閉都
ごうんと、地響きの様な間延びした音が響く。
守備機工の中で最も数が多い兵器、中距離砲が稼働した時の音だ。
「鳥でも迷い込んだか?」
白い礼装の男が数歩後ろを歩く女に問い掛ける。
地上と異なり、上空は外縁都市を素通りする事が可能であるため、中央まで侵入する害獣の大半は鳥類である。
「追撃がありませんので、中型以下の鳥ではないかと」
閉都が攻撃されているのにも関わらず、二人は歩みを止めない。
男は統治院の選任管理者であり、女は補佐管理者である。
自治領連の方針を決める七百十五人の選任管理者と同数の補佐管理者に暇は無い。
時には覚醒薬を使用して数日間眠りもせずに活動する事すらある。
「本来ならば辺境で全て食い止めて当然だと言うのに……何のために予算を割いていると思っているのか」
選任管理者が嘆くと、補佐管理者が全くですと心底同意した。
「特に最近は弊獣社の傲慢が過ぎます」
淡々と、しかしどこかにどろどろとした感情が見え隠れする声音で女が嘆く。
弊獣社。
彼等統治院から有用な害獣と評される組織。
辺境に突如出現し、狩人の組織化して自治領連へ侵入する害獣を八割減らした組織。
害獣対策費の増加と言う煩わしい問題から統治院を解放した反面、辺境一帯の実質的管理権をじわじわと奪い取る有害な組織。
「予想通りではあるのだが、資金面から力を削ぐ計画は実質破綻したな。資料廟と数信寮は統治院からの影響が及び難い」
「やはり、軍事力で磨り潰しますか?」
統治院全体の意思としては、弊獣社の発展は必要悪と見做されている。
しかし、管理者個人で違った考え方を持つ者は少なくは無い。
歩きながら物騒な相談をするこの二人はその代表例である。
「その前に試すべき策はある。例えば魔術師の暗殺とか、な」
「……失礼ながら、それは過去に二度、失敗しておりますが」
実に不愉快だなと言いながら、選任管理者は懐中時計を取り出す。
「我々が手配した者はしくじった。だが、資料廟が組織だって動き始めているではないか?」
「奴隷共ですか……でもそれは数信寮の報告を信じるならば、ですが?」
「奴等は嘘等吐かんさ。その代り正しく聞かねば正しく答えてくれんがな」
そう言いながら、懐中時計を懐へと戻す。
この瞬間は珍しく余裕があったため、二人の会話は継続される。
とは言え歩く事は止めないが。
「先程資料に目を通しましたが、想定以上に資料廟の動きが活発な印象を受けました。辺境に魔王が封印されているなんて絵空事だとばかり思っていましたが」
補佐管理者は納得が行かないとばかりに唸る。
魔王の存在が示唆されている文書は資料廟しか存在していない。
その手の類の存在の中で自治領連に資料が存在するのは、魔法の実在を示唆する僅かな古書と、精霊と呼ばれる超越的な何かに関する口伝の書き取りだけだ。
「精霊に比べれば魔法や魔王はまだ現実味がある話だ。荒唐無稽な事には変わりは無いがな」
「何者であれ、魔術師を葬ってくれるのであれば歓迎します。魔術師は確かに有用ですが、やはり危険過ぎます。回し弓も撃ち出し槌も携行兵器として強力過ぎます」
憤る補佐管理者に背中を向けたまま、選任管理者は自治領連内に瞬く間に普及した二つの兵器について思考を沈める。
回し弓は弓と名が付いてはいるが、旧来の弓とは全く別の兵器である。
矢からして異なるのだ。それを弓の一種だとして法の網目をすり抜けた。
細い物では指程の、太い物では腕程の径を持つ矢を、高速回転させながら射出するその兵器は、分厚い毛皮と脂肪に覆われた獣の身体をも穿つ。
一部の甲虫類にはシビアな入射角度が求められるが、熟練者であれば殆ど全ての害獣に対して有効と言える。
大きな特徴は軽量である点と反動の小ささ。欠点は連射性が皆無である事。
対して撃ち出し槌は汎用性には劣るが、その威力は目を見張る物がある。
近接武器で規制の複雑な絶ち類では無く、刃の無い槌としてこれもまた法の網目をすり抜けている。
槌と名が付いているが、その構造上振り回す必要は無い。
必要なのは抑え込む力だ。
強力な反面反動の大きい機構で力強く撃ち出される頭部は、換装する事で貫通力と破壊力の比重を調整可能である。
物によっては小型の守備機工並みの破壊力を誇る一方、屈強な者でなければ携行する事すら困難な代物だ。
撃ち出し槌の登場によって廃れつつあった全身鎧が再流行し、資料廟では機動性を放棄した不動隊なる組織まで登場した。
辺境の地にいながらこの影響力である。
「問題のある点が既に流通している兵器に限るとも言い切れん」
自分に言い聞かせる様な選任管理者の言葉に、補佐管理者が疑問を含ませながら続きを促す。
選任管理者は何の確証も兆候も無いがと前置きして、沈んだ思考から湧き上がった懸念を言葉に紡ぐ。
「回し弓にしても撃ち出し槌にしても、欠点が全く同じであると言う点が少し気になった。連射性も速射性も、本当なら実装できるのではないか? 例えば……小型軽量で反動の割に威力が大きく連射可能な携行兵器、等と言う悪夢の様な兵器も作る事が可能なのではないか?」
魔術師、或いは奇術屋。
神算鬼謀にして荒唐無稽な、実在する人物。
「そもそも、何故魔術師は閉都へ来ない? 遺憾ながら、あれ程の人物であればここでも十分にやっていける筈だ。閉都でなくとも、近隣の都市を拠点としても十分活動出来るし、情報伝達の時間を考えるなら準基幹都市辺りが最適――」
選任管理者の言葉は、何かの擦れる様な音と小さな破裂音によって永遠に掻き消される。
その頭部が割れ、ゆっくりと身体が倒れる。
「は?」
間の抜けた声を漏らしながらも、補佐管理者は本能的にその場に転がった。
何かが頭上を通過する音と同時に壁に小さな穴が開いた。
その場に留まっては拙い。
転がりながら視線だけを背後に向ける。
いつの間にか背後に立っていたその人物を見て――
「え?」
そこに居たのは一人の男だった。
まず見えたのは髭だ。整えられた髭が輪郭と口元を隠していた。
シルクハットを頭に乗せ、白いシャツに白い蝶ネクタイを締め、黒い背広に黒いマントを羽織っている。
僅かに見えるマントの裏地は鮮やかな赤で、靴も同じ色に染められていた。
補佐管理者はその男を知っていた。
過去に一度だけ辺境で会った事がある。会う価値があると判断した選任管理官が、補佐管理官秘書ではなく補佐管理官を派遣したのだ。
魔術師、或いは奇術屋と呼ばれる、弊獣社の社長。
いる筈も無い相手の存在に、補佐管理者が僅かな時間硬直し。
それで十分だった。
補佐管理官の右頬に穴が開き、左側頭部が爆ぜた。
「順番を間違えたな。殺す優先順位では無く、視線の向きを考えるべきだったか」
一息吐いて、社長は肩を竦めて頭を振る。
その手にはL字に曲がった筒が握られていた。
それこそが選任管理者の懸念していた兵器。
反動が小さく、大きな破壊力を生み出す兵器。
一つ懸念と異なる事と言えば、付属部であるとは言えやや重い背負子を背負っていると言う事だろうか。
背負子から伸びた二本の管がL字型の兵器に接続されていた。
背負子の中で何らかの機構が作動し、甲高い駆動音が廊下に響いた。
☆
ニュウは思った。
社長が居ても居なくても厄介事はやって来るものだと。
諦観と達観の中間くらいの何とも言えない穏やかさに、語気を荒げていた神祇官は僅かに気圧された。
「話を要約致しますと、森で狩人に襲われて守護奴隷複数名が負傷したと?」
ニュウが落ち着いていられるのには幾つかの理由がある。
最大の理由はもちろん社長が不在であると言う事だが、狩人と弊獣社の関係もまた大きな理由である。
一部の例外を除いて、狩人は弊獣社に所属してはいない。
ただの取引相手である。
「当社として現状況で可能な対応は対象とされる狩人の登録抹消くらいですね。それも裏付けが取れればの話ですが」
弊獣社に辺境の統治権は無い――表向きは。
「弊獣社は犯罪者を野放しにする気か?」
神祇官が低い声で睨み付けるが、ニュウは揺るがない。
社長が過去にやらかした数々の暴挙に比べれば屁でも無い。
「それは統治院が判断し解決する事案です。当社として対応をする事を御望みであれば個別に対応致しますが、現在社長が不在ですので即時の判断は致しかねます」
「不在? 奇術屋がか?」
社長の代名詞として広く呼ばれているのは魔術師であるが、何故か奴隷達は奇術屋の方を使う。
そして社長が自称するのもまた奇術屋である。
(資料廟は弊獣社と消極的な敵対関係にある筈なんだけど……変な所で気が合うのかもなあ……)
そんな事を考えながら神祇官に生暖かい視線を送るニュウに、神祇官は訝しげな視線を返した。
ニュウは知らない。資料廟はニュウもまた社長と同類の人種として見ている事を。
「ええ、今朝早くに……本人は中央に遊びに行くとか嘯いてどこかへ」
中央へ行って帰ってくるとなると、通常十日程の時間が掛かる。
「しばらくは帰って来ないと言う意味だと私は解釈しましたが……!?」
喋っていたニュウの目が見開かれる。
それまで判別不能な感情が張り付けられていた顔に、分かり易い驚愕が浮かび上がる。
「ただいま」
二人しか居なかった筈の社長室に、その部屋の主の声が乱入した。
神祇官が振り返ると、いつの間にかそこに社長が居た。