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スープ

 社長は人差し指の先でフォークを直立させて、溜息を吐いた。


「僕の情報収集能力もまだまだだったと言う事か」

「はぁ……」


 ニュウは曖昧な相槌を打つ。


「まさか、形にもならない肉しか入っていないとは……」

「えぇ、まぁ……」


 弊獣社の食堂は社屋の二階で営業している。

 メニューは基本的にパンとスープのみで、これは弊獣社傘下外の宿屋と食事処に配慮しての物である。

 値段が安い代わりに、パンは不味くも美味くもない程度の物でスープは商品にならない小さな骨と屑肉を煮込んだ物である。

 極稀に内臓を焼いた物や煮込んだ物が追加される場合もある。

 弊獣を持ち込む狩人の大半は現地で内蔵を抜いて来るか、需要のある臓器のみを持ち帰るか、自分用に確保するかのいずれかに該当するので、提供されるとしても兎や鳥といった小動物の内蔵だけである。


「もうちょっと目に見えて肉だと分かる肉を入れよう。死体漁りが有用であると言う事を周知しなければならないからな」

「ではその様に手配致します」


 ニュウに選択肢は無い。

 その頭の中では傘下外の関係各所にいかにして話をつけるかを考えていた。

 社長は後の面倒事等意に介さぬ涼しげな顔で、直立したフォークを掴んで曲げた。

 ぐにゃぐにゃの金属塊になったフォークが床に投げ捨てられた。



 ヤードは独り安酒を煽っていた。

 それは酒を飲める程度に懐が潤った事を意味していて、同時にそれは矜持を切り売りしていると言う証でもあった。

 くだらない矜持であると言う自覚はあった。

 狩人としての矜持を語るのであれば、探索士に転向した時点でそんな物は捨てたとも言えるのだから。

 それでも、そこまで理解していても、死体漁りに対する忌避感が拭い去れない。

 死体漁りに対する忌避感。更には自分がその死体漁り以下の立場であると言う事実。


 弊獣社が死体漁りを公認してから三日が経っていた。

 肉の流通量も極僅かだが増え、死体漁りの事を運搬者と呼ぶ者もちらほらと現れ始めた。

 ヤードの前に置かれたスープにも、はっきりと視認出来る形で肉が入っている。

 ほんの数日前までは屑肉とも呼べない何かが入っていたスープが、今やまともなスープにすら見える。事実まともなスープなのだが。


「おヤ、ヤードさんじゃないですカ」


 ヤードに独特な訛りの声が掛けられる。

 声の方へと向けられたヤードの胡乱な視界に、浅黒い肌の女が居た。

 ルートと言う名のその女は弊獣社の窓口係だった。


「……珍しいな」

「肉のスープ食べに気ましタ」


 社長の肝煎りなのですヨと言って、ルートはヤードの横に座った。


「一人前下さいナ!」


 ルートの騒がしさに辟易しながら、ヤードは酒を一口飲んで酒臭い溜息を吐いた。

 久々の酒の味は全くと言っていい程分からなかった。


「社長って、あの社長か?」

「どの社長かは知りませんガ、私の知ってる社長は一人だけですヨ」


 ヤードだって社長を名乗る人物は一人しか知らない。

 社長は目を引く人物ではある。と言うか普通に目立つ。

 まず恰好が奇抜なのだ。

 シルクハットを頭に乗せ、白いシャツに白い蝶ネクタイを締め、黒い背広に黒いマントを羽織っている。

 そして何故かマントの裏地と革靴が赤い。それも鮮やかな赤だ。

 手には何かの骨から削り出したと思しき長杖を持ち、常に何かで手を遊ばせている。

 そしてその顔はほぼ髭だ。整えられた髭が輪郭と口元を覆い隠しているのだ。


「あの社長は普段何してるんだ? そもそも社長ってのは何する仕事なんだ?」

「私も知らないネ」


 会話が途切れる。

 ヤードはルートに視線を這わせた。

 服装は弊獣社の一般的な制服。長い髪は後頭部で一纏めに縛られ、右耳にだけ奇妙な形の耳飾りがぶら下がっている。

 化粧っ気のない浅黒い顔に色も厚みも薄い唇。目は細く、鼻は低い。

 全体的にのっぺりとした顔は極南部出身者に良く見られるが、それにしては肌の色がやや薄いし、独特の訛りは極南部のそれとは違った。

 ヤードは知らないが、ルートの訛りは地域差によるそれよりも時代差によるそれに近い。


(社長もアレだが、この窓口係も相当アレなんだよな)

「何カ、失礼な事考えていませんカ?」


 事実失礼な事を考えていたヤードは無言で視線を逸らした。

 その態度は明確な肯定以外の何物でも無かったが、ルートは気にした様子も無く首を解す。

 ばきばきと骨を噛み砕く様な音が響いた。

 そんなルートの前に給仕がパンとスープを持って来て並べる。


「今日ハ、臓物無いのネ」


 残念そうなルートの呟きに給仕は言葉を返す事も無く厨房へと下がって行った。

 ルートはおもむろにパンをスープの中に突っ込むと、スプーンでぐちゃぐちゃと搔き混ぜる。

 それはヤードが初めて見る奇妙な食べ方だった。


「……お前、どこの出身なんだ?」

「私カ? 都の出身だヨ?」


 答えになっていない答えだったが、ヤードはそれを指摘しなかった。

 訳有が多い辺境で過度の詮索は嫌われるからだ。


 ヤードは片手で器用にパンを千切ると、軽くスープを吸わせて口に放り込んだ。

 雑多な獣から掻き集めた骨を砕いて煮込んだスープは複雑かつ濃厚な味わいだ。

 穀物粉も家畜の乳も入っていないのに僅かにとろみがあり、皿の底が見えない程度に白濁していた。

 このスープは弊獣社傘下の宿か食堂でしか飲めない一品で、辺境では濁ったスープと呼ばれている。


 ルートの手元では、ぐちゃぐちゃとスープとパンが一体化して行く。

 ヤードは信じられないと眼で語りながらその様を見詰めていた。


「ミリバールの事ハ、まだ吹っ切れてないカ?」


 唐突にルートの手が止まり、ヤードの心の傷が抉られた。

 ミリバール。壊滅した探索士部隊の隊長の名前である。

 ミリバール率いる探索士部隊十二人の内、生き残ったのはヤードとミリの二人のみ。

 その際にヤードは利き手を失ったが、ミリは五体満足で生還した。


「ミリの活躍に嫉妬していないカ、少し気になっていたヨ」

「嫉妬はしていないさ。思う所はあるが、それはミリに対してじゃねぇ。あいつは良く分からん奴だしな」


 ルートの心配を、ヤードは間髪入れずに否定した。

 ルートはそんなヤードの顔をじっと見詰め、安心したように表情を緩めた。


「……ふム、本音みたいだネ」

「そもそも奴隷自体が良く分からん存在なんだ。あー、あいつはもう奴隷じゃないんだったか?」


 奴隷。それは魔法と同じくらい起源が判然としない存在。

 大昔には数多く存在していたとされる者達。

 ミリはその末裔だ。

 とは言え、魔法と比べればまだ理解の及ぶ存在ではある。

 なにせ現存しているのだから。


「奴隷は人として認められなていかった、なんて記述があったとか聞いた事があるが、ミリの所業を見れば納得出来る話だ。ありゃ確かに人に成せる技じゃねぇ」

「人として認められなかったネ……。うン、そうだネ」


 憧憬と羨望が混ざった感情が溢れだすヤードを、ルートはどこか遠くを見る様な視線で見ていた。

 ミリの狩りは異常だ。

 猪だろうが鹿だろうが、とにかく大物しか狙わない。

 そして武器は回し弓のみ。

 普通の狩人は何かしら予備の武器を持つのだが、ミリは回し弓一つしか持たない。


「理に適ってる。最低限の装備、矢の本数に至るまで最低限だ。狩るのは常に一頭、それも最低限だ。持ち帰るのは腐らず多少乱暴に運んでも傷が付きにくい牙や角、これも最低限だ」

「子供だからネ。体力も腕力も必要としない狩り方は必要だろうネ」


 ルートもまたヤードと同様に、ミリの異常性は十分に理解していた。

 だが、ヤードはその本質に至るまでは理解していない。

 そもそも資料廟の外に出て来る奴隷はそう多くないのだから仕方の無い話ではある。


「ミリバールの弟子だった頃からその片鱗はあったんだ。必要最低限の仕事を最高の精度で熟す。あれは狩人の理想ですらある」

(うーン。この話っぷリ、ヤードの中で全ての奴隷が超人になってる気がするネ……)


 ルートは呆れた様な視線をヤードの方へ流しながら、パンとスープの混合物を一匙口に運んだ。

 全ての味が均一に混ざっている事に軽く満足すると、混合物次々に口へ運ぶ。

 ヤードがその様子を視界に入れてしまい、浮かされつつあった妙な熱が一気に冷めた。


「その食べ方……」

「ン? 手早く食べられル、合理的な食べ方だロ?」


 どこと無く自慢気なルートに、ヤードは曖昧な返事を返す。

 食事は気力を養う行為だと考える狩人にとって、ルートの食べ方は冒涜的だ。


「所デ、追跡者の仕事は慣れたカ?」


 追跡者。弊獣社がヤードの仕事に対して付けた名称である。

 運搬者と違い狩人の間ですらほぼ認知されていない単語だ。

 その事が、ヤードが自身を死体漁り以下だと卑下する原因になっている。


「慣れたと言えば慣れたが……」

「それは残念ネ」

「……何が残念なんだ?」


 予想していなかったルートの感想に、ヤードが眉根を寄せて殺気立つ。

 追跡者としての自分を否定されても肯定されても腹が立つ。ヤードは自分を取り巻く環境にじわじわと追い詰められていた。

 だからこそ、その次にルートが告げた言葉は、ヤードにとって少なくない衝撃であった。


「明日からは別の仕事をして貰いたいネ」


 ヤードの思考が空転する。

 言葉の意味が理解出来ないと言う訳では無い。

 色々な意味で解釈出来るからこそ、ただルートを凝視する事しか出来なかった。

 そんなヤードに対して、ルートはどこと無く歯切れの悪い言葉を続けた。


「んン、何と言うかネ、ヤードには探索士みたいな事をして貰いたいのヨ?」


 何故疑問形なのかとか、探索士みたいなっての何なのかとか、心の傷を抉りやがってとか、何をさせる気だとか、色々な言葉がヤードの頭で渦巻いた。

 そうして絞り出されたのは、結局劣等感から生まれた台詞だった。


「それは今の俺に出来る様な仕事なのか?」


 失った利き手が、ずきずきと痛んだ。


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