一件落着
日の出前の薄暗い中、二人の女が密会していた。
一人は非武装のノット。但し、この時のノットは武装していた。
「古弓なんて使えたのね?」
「弦の短い奴ならね。大振りな強弓は無理」
古弓は弦を番えた状態で腕よりも短く、太腿に結わえられた特殊な矢筒に収められた矢もまた短い。
矢筒は走りながら矢を手にする事に重きを置く時に使われる物で、収納出来る矢の本数は七本だけ。両足でも僅かに十四本。
「これでお別れとなると寂しくなるわねぇ」
ノットと対面するこれと言って特徴の無い女に、武装の類は見て取れない。
服装も人の生活圏から出ない時の普段着で、足元には大きな袋が置かれていた。
ノットは女に小さな袋を投げ渡す。
袋からは硬貨が暴れる音が聞こえた。
普段着の女は微笑みながらそれを受け取って、中身も見ずに足元の袋を蹴り転がした。
「色々と不穏な噂が飛び交ってるから大した量は用意出来なかったわ」
「構わない」
領主の不穏な動き、亜人の疫病、動向の掴めない社長……はいつもの事だが。
辺境は生産性が乏しい。有事ともなれば中央からの供給無しではどうなるか分からない。
特にここ最近は、中央の情勢が不安定なのだから尚更だ。
「世話になった」
ノットは袋を背負う。
そのまま普段着の女に背を向けようとするその横顔に、若干底意地の悪い声が掛けられた。
「答え合わせ位はさせてくれないのかしら?」
ノットは顔だけを普段着の女へと向けた。
ノットは荒事に関しては半分素人だ。素人では無い半分も、精々相手が荒事に慣れているかどうかを見分ける程度にしか役に立たない。
そして、ノットの半分は普段着の女がその気になれば抵抗は意味を成さないと判断していた。
「……むしろどこまで知っているの?」
「暗殺未遂まで?」
「ほぼ全てじゃない、と言いたい所だけど、私はそんなことする気は無かった」
ノットは苦々しい顔でそう吐き捨てた。
「まあそうよね? 暗殺しようとしたのはスラッシュだけ。彼の姉が閉都の権力争い絡みで領主に殺されているのよ」
「……それ、初めて知ったんだけど?」
「餞別よ、餞別。あなた達が領主に何かしらの詐欺を働こうとしてたのも予想がついてるし、シャープに利用されたのも知ってる。ついでにノット、その名前が本名なのも知ってる」
現地の協力者って奴よねとウインクする普段着の女に、ノットはこの会話に意味はあるのと言って白い目を向ける。
「あら、重要な事よ? 事実と思われる推測と、当事者から聞いた話は全く別の情報よ?」
全部聞き出したい所だけど時間が無いのが残念ねと肩を竦めてから、普段着の女はノットの方へゆったりと歩み寄る。
ノットは普段着の女の微笑に気圧されて半歩後ずさりした。
「正直な所、領主暗殺に関する情報はもうそれ程重要視されないの。閉都があんな状態じゃ商売あがったりなのよね」
「……じゃあ、何を聞きたいの?」
緊張を隠せないノットが引き攣った声で問うと、普段着の女は微笑を深くして、遺跡の事よ、と言って淡々と距離を詰める。
ノットは普段着の女が東域の遺跡の存在を知っている事の異常さに気付かず、むしろほっとした。
「遺跡の正体を教えろとは言わないわ。知っている事を話してくれるだけでいい。そうしたら――」
胸と胸が触れ合う程近付いた普段着の女はノットの耳元に口元を寄せて、偽の住民証明をつけて閉都に逃がしてあげると囁いた。
ノットは辺境の生まれだ。そして辺境で生まれた者の多くは閉都に憧れを抱く。
ノットもその例外では無い。
閉都に? と呟いたノットの声には、隠せない動揺と期待が込められていた。
閉都よ? と呟いた普段着の女の声は、感情を隠した甘い響きが込められていた。
普段着の女の肩越しに壁を見るノットは、その向こうに閉都を夢見た。
現実しか見ていない普段着の女は、冷めた目で明るくなりつつある空を見ていた。
「話すことを話したら東域に入らずに閉都を目指しなさい。隠れている三人はもう手遅れよ」
☆
東域の外れ、遺跡の影響が及ばない場所に領主と領主に率いられた私兵が集まっていた。
「姿を見せないと聞いていたが、東域に潜んでいたのか」
憮然とした声の領主に話し掛けられて、ポンドは引き攣った顔で背負っていた三体の死体を地面に転がした。
禿頭の男と、顔に火傷のある女と、四角い顔の男。
禿頭の男と顔に火傷のある女は額から後頭部に突き抜ける小さい穴が開いていた。
四角い顔の男は顔面が陥没していた。
「監視要員兼解体士兼――運搬者って所ですね」
三人も背負って来るのは骨が折れますからと、四角い顔の社長が肩を竦めた。
一人も背負ってくれなかったがなと、ポンドは社長に精一杯の文句を漏らした。
「説明はしてくれるんだろうな?」
領主は憮然とした声で社長に圧を掛けるが、社長は全く気にした様子も無く顔を剥がした。
べりべりと剥がれた四角い顔の裏から、胡散臭いいつもの社長の顔が現れる。
何故その顔を貼りつけていたのだと領主に問われた社長は、髭を隠せるくらい顔が大きかったのでと冗談を返して領主に殺気を飛ばされた。
巻き込まれかけたポンドは何食わぬ顔で領主の正面から私兵寄りに立ち位置を変えた。
私兵達はポンドに若干同情的な視線を向けた。
「事前に軽く説明はしましたけど、遺跡は太古の都市施設である事が大半で、太古の都市はそれ自体が秩序を守る機能を持っている物が多いんですよ」
それは遺跡の調査が困難である理由の一つでもある。
無秩序な破壊や遺物の収取を行うと、遺跡がそれを秩序を乱す行為と捉えて制裁を下す場合がままあるのだ。
「まあ、実際はその機能が十全に維持されている方が稀で、多少強引な探索を行っても死にはしないんですが、どうもこの遺跡は厄介な方向に機能不全を起こしてしまいましてね」
「その結果が、前回立ち入った兵の全滅か……いや、まて。遺跡に殺された私兵は東域に入った瞬間に死んだと聞いたが?」
領主の疑問に対して社長は深々と溜息を吐いて、面倒臭そうに続きを語り始める。
「その辺りの正確な基準は要調査ですけれど、どうも他の遺跡が感知した犯罪行為を参照出来る様で、尚且つ死罪の基準もびっくりするくらい緩くなっている様で、今はっきりしているのは人を襲ったら害獣ですら死刑になる事ですね」
害獣と人が同じ括りになる機能不全を起こしている様ですよと、社長は頭を振った。
「今回はその特性を利用して遺跡に誤検知を促してこの三人を処分した訳です。今まで害獣からその身を守ってくれていた仕組みに殺された訳です」
どこか感慨深げな社長に、領主は険しいままの視線を向けて圧を強める。
「ならば、どうやって貴様は遺跡の死刑を掻い潜ったのだ?」
領主の関心は暗殺者一味の死体には無い。
今領主がずっと脅威に感じている事は、東域が不可侵地帯となっていると言う事。
これは辺境領主として政治的な意味でも看過できない問題だ。
それらの懸念を解消し得る質問に対して、社長は端的に答える。
「刑を全うしたからですよ」
「ふざけているのか?」
「大真面目ですよ? ちゃんと牢に繋がれて労役を熟していたでしょう?」
殺気を強める領主に返された回答に、それまで地の文に現れない程存在感を消していたヤードが感嘆の声を漏らした。
しかし尚も領主の疑念は尽きない。
「……死罪を回避するのがあの程度の労役だと?」
「逆ですよ、逆。本来あの程度の労役で許される犯罪が死罪になっていたんですよ。ああ、だからと言って無暗に東域に入らないで下さいね? 僕があの程度の労役で許されたのは遺跡にとって僕が殺人等の重罪を犯していない小悪党に過ぎないからです」
領主もその私兵も、少なからず人を殺している。
それらは辺境を預かる者として当然の義務や権利を行使したに過ぎないが、判断するのは遺跡なのだから。
「まあ、適当な人間を送り込んで条件を絞るのが最善でしょうね。幸いにも害獣を殺しても殺人犯扱いなので試す人員に事欠きませんし」
でも先ずはこっちですよねと、社長は転がった三体の死体に視線を向けた。
「適当な噂を流して、領主様の威厳を取り戻しますかね?」
「貴様に借りは作りたくは無いのだがな」
「いえ、どちらかと言うと師匠の後始末を一緒にしましょうと言う提案ですが?」
「……不本意だが、納得せざるを得ない理由だな」
幾分か剣呑さの薄れた顔で領主が溜息を吐くと、社長はお互い苦労を掛けられますねと胡散臭い顔で領主を労った。
「全くだ」
どこか諦観と寂寥を滲ませた領主の言葉を、ヤードは一歩引いた場所で静かに見詰めていた。
そしてポンドはヤードより領主から離れた場所で干芋を齧っていた。




