準備は整った
「気でも触れたか?」
「そう言う事にしておきます?」
「冗談だ」
「じゃあこちらも冗談と言う事で」
ひりつく空気が社長と領主の間に満ちる。
両者の間を鉄格子が物理的に隔てている。
その空間に骨と骨が擦れる音が場違いに響いていた。
「食えぬ男だ。嫌がらせにあの古参狩人を使いに寄越すあたりがな」
「色々適任でしたでしょうに」
「それは認める」
領主は忌々しそうに顔をゆがめた。
その顔は年齢に対して過分な皺が刻まれているが、芯の通った立ち姿と威厳に満ちた声は若々しい。
特定の嗜好を共有する女達は、領主ヤード派とヤード領主派で二分されている。
そのせいで辺境の極一部が著しく姦しく、その事を知っているからこそ領主は常々苦々しく思っている。
「それはそうと、奴等に動きがあると言うのは本当か?」
「動きがあると言うよりは、動かすと言う話ですけどね」
社長は胡散臭い笑みを領主に向けて、骨と骨を擦り合わせるのを止めない。
領主は苛立ちを顔に張り付けるだけに留め、手早く話を進める事を選択した。
「奴等が辺境に害となる何かに至ったと言う事か?」
「師匠――ミリバールの死は色々と予想外でしてね」
社長が幾分表情を緩めてそう言うと、領主は表情をすとんと落とした。
「あの女は死んで尚私に迷惑を掛ける」
「理不尽に殴られなくはなりましたよ?」
「今となってはそれも寂しくあるがな」
短い遣り取りの後に、二人は元の胡散臭い男と威厳のある男へ表情を戻していた。
領主が無言で社長に続きを促すと、社長は胡散臭い笑みを浮かべて喋り始める。
「東側の遺跡に関しては聞いていますよね?」
「何だそれは?」
社長の言葉に領主が怪訝な顔をして、社長は想定と違う領主の反応に骨を削る手を止めた。
これまでに一度も見た事無い珍妙な表情の社長に領主は若干戸惑う様な表情を見せたが、すぐにどこか得意気なそれに張り変えて鼻で笑った。
「お互い苦労を掛けられるな」
「全くです」
社長は胡散臭い笑みを張り付け直して頭を振った。
☆
管理小屋の片隅、雑多に空箱が積まれて入口からは見えない場所で、ポンドは干し肉を咀嚼する。
舌を刺激する強い塩味に誘われるがまま、ぐびぐびと水を飲んだ。
ポンドはここしばらく辺境の街に戻っていない。
社長は東域関係の仕事を斡旋するにあたって管理小屋で寝泊まりする手筈を整えていた。
若い女と大男が狭い小屋で寝食を共にするのもどうかと思ったポンドだが、モリと言う人物を評価するにあたって特に問題無いと考えを改めた。
「性別以前に、人としてどうかと思う」
半裸で鼾をかくモリが床に転がっている。
劣情に駆られて寝こみを襲ったり、はたまた親切心から毛布を掛けてやろうとしたりは微塵も考えない。
モリがその気になればポンドはなす術もなく殺される。
モリがその倍の重さはあろう猪を返り討ちにする光景をポンドは目撃していた。
突進して来る猪に合わせてふわりと跳んだモリが、足で握った鉄杭をその眉間に突き立てる見事な身のこなしを。
元暗殺者としてのポンドはモリの評価を最大限を超えて引き上げていた。戦闘面に限った話だが。
暗い蝋燭の光の中で、モリをじっくりと観察する。
皮膚病と思しき肌の凹凸はほぼ全身に及んでいる様だったが、それ以上に目立つのが無数の古傷だ。
致命傷寸前と思しき傷痕も複数ヶ所見て取れる。一際痛々しいのは腹部を穿たれたのであろう大きな二つの傷痕だ。
撃ち出し槌か、とポンドは呟いた。
昆虫類の甲殻ですら容易に貫く半面、その取り回しの悪さから狩人は好まない武器だ。
少なくとも辺境のいざこざで向けられる物ではない。
撃ち出し槌は辺境においては領主の私兵ですら運用していない。
全身鎧や大盾持ちを複数相手にしない限りは攻撃力が過剰なのだ。
視線を傷痕からモリの身体全体へと引くと、今度はその貧相さが目立つ。
足は長く細く、肩幅も胸囲も腹囲もとにかく細い。肉付きの悪さは死に掛けの孤児のそれに近く、肌の汚さと相まって同情すら誘う程だ。
しかし良く見ればその身体は引き締まっていると評価する事も出来る。
筋肉の塊と言うと違和感が強いのだが、実際そう表現したくもなるある種の完成形と言える肉体なのだ。
ざっと見る限り骨格は細いので、巨体で抱え込んで押し潰せば致命傷を与えられそうではある。
ポンドは元暗殺者の癖でその様を想像してしまい、犯罪的だなと感想を漏らして干芋を口に放り込んだ。
干し肉と違い僅かな甘みが舌に心地良い。喉が渇く事と顎が疲れる事は干し肉と変わらないが。
東域での仕事は思った以上に単調で退屈だった。
辺境で退屈した際の暇潰しと言えばそう、噂話である。
ポンドは依頼を受けた時には頭から振り払った幾つかの噂を、今回の仕事に絡めて思い起こす。
大猫に右腕を食い千切られた領主の噂。
この噂の影には幾分物騒な噂が付随していた。
曰く、領主暗殺未遂。
領主が大猫に右腕を食い千切られた噂が流れ始めた頃、四人組の狩人が辺境から姿を消した。
四人組で活動していたその狩人達は、領主からの仕事を多く引き受けていた。
弊獣社の庇護下である狩人達は領主とそれとなく距離を取る傾向がある。
そんな中領主絡みの仕事を積極的に受注する四人組は領主から重宝されていた。
その四人の内の一人をポンドは知っていた。
シャープと名乗っていた顔に火傷のある女だ。
シャープは詐欺師の類で中央でカンマと名乗っていた。何かやらかして辺境に流れて来た可能性もあるため、その事を吹聴して回る事はしなかったが。
そしてもう一人、既知の人物ではないがその気配に馴染のある男がいた。
スラッシュと名乗っていたその男は恐らく暗殺者だ。
そして、スラッシュが死んでいる事は確認出来ている。
非公式ではあるが、辺境の解体士は人間の死体も扱うからだ。
そうなると東域側にある中央からの連絡路に領主の私兵がやたら手厚い巡回を強いている事が違った意味を見せて来る。
同時に、領主から逃げ延びた者がいた場合どこに隠れたのかが想像出来てしまう。
そうなればこの仕事は領主絡みの仕事で、ノットは領主暗殺犯の一味。
森林で見た妙に素人臭い未熟な身の熟しは本来後方支援を行う人員だからか。
しかし、と。
それでも一つ、ポンドの中には無視出来ない疑問が残った。
一連の推測の中に、社長の影が見えない事である。
社長が領主の暗殺を防がなかった所までに不思議は無い。
弊獣社と領主は敵対関係とは行かないまでも、友好的な間柄だとは思えないからだ。
だが、遠く離れた閉都にすら積極的に火種を撒く社長が、この一件を何らかの形で利用しなかったとは思えない。
加えて、一連の推測から想像される暗殺者達の人物像がどこかお粗末な印象だ。
そこまで思い至ってから、ポンドは途轍もなく嫌な予感に襲われた。
(そもそもだ、何故東域の調査まで依頼に含まれるんだ?)
ニュウと話していた時に形に出来なかった違和感の正体に、ポンドは今になって思い至った。
そもそもおかしいのだ。この辺境において社長が把握出来ない事等ほとんど無い筈だ。
百歩譲ってお粗末な暗殺者連中を野放しにしていたのは良いとしても、不穏分子が潜む東域の状況を把握していない訳が無い。
(いやまさか、社長が把握できていないのが東域と呼ばれる領域?)
そうなると、前提条件が崩れて来る。
社長の思惑を最上位で警戒しておけばなんとかなると、ポンドは頭のどこかでそう考え続けていた。
しかし実際は、東域は社長が手を出せない程危険だとしたら……。
そこまで思考して、ポンドはその考えを否定した。
理由は単純だ。狩人として素人であるノットが何度も東域に潜っている事。
そして、狩人としては素人であろう者達が東域に潜伏している事。
ノットが物資を運搬している事は確認している。
そこからおのずと潜伏している人数も推測出来るし、そう考えれば潜伏先も人数も大凡見えてくる。
そうやって考えれば考える程、最初の疑問に行き当たる。
社長の思惑。
それは最も警戒すべき事柄で、事後に片鱗だけでも触れられれば御の字である。
(状況によっては、動き方も考えておかないとな)
事態が大きく動いたのは、その翌朝の事である。




