姦しい
「何故牢屋の中に居るんだ?」
「昨日も同じ事を言われたよ」
こりこりと小気味良い音が牢屋に響く。
床に座る社長の足元に白い粉末が薄らと積り、二本の骨はその先端が尖りつつあった。
何故牢屋の中に居るのかとか、何故骨を削っているのとか、何故両手を拘束されているのかとか、ヤードは色々と尽きない疑問を一旦忘れる事にした。
社長のやる事に一々驚いていたのでは時間が無駄になるだけだし、何より軽く聞いて回答が得られないと言う事は答える気が無いからだ。
ヤードは舌戦で社長に勝てる等と思わない。
だから、多分答えてくれそうで尚且つ一番気になったな事だけ聞いてみる。
「それ、何の骨だ?」
ヤードの問い掛けに社長は手を止めて視線を持ち上げる。
ヤードは一瞬身構えた。
社長の視線に異様な圧を感じたからだ。
「流石元一流狩人。目の付け所が違うねぇ」
にやりと胡散臭い笑みを浮かべてそう言う社長に、先程の異様な圧は無い。
ヤードはぐびりと唾を飲み込んで、見慣れない骨だったからなと言葉を返した。
「そりゃあそうだ。これは亜人の骨だからね」
「はぁ?」
呆れた声を吐き出しながら、ヤードは心のどこかで安堵していた。
はぐらかされた。いや、はぐらかしてくれた。
一連の遣り取りを、ヤードはそう判断した。
何か知らない方が良い事に触れてしまい、巻き込まれずに煙に巻かれて済んだ。
下手に真実を教えられるより、知らない方が幾分マシだ。
厄介事に巻き込まれる事自体は社長に目を付けられた時点で諦めるしかない。
「鳥の亜人の骨だよ」
「それはそうと、今日は何の仕事で?」
はぐらかされている内に話題を変えようと、ヤードは本題の方を促す。
社長は胡散臭い笑みのままちょっとしたお使いだよと言葉を紡ぐ。
「ちょっとばかり、領主様の元で働いて貰いたいのさ」
結局どう足掻いても厄介事だと、ヤードは溜息を吐いて壁に視線を向けた。
☆
狩人には男が多いが、辺境の男女比では女が多い。
狩人にしろ探索士にしろ日々それなりの数が死ぬのだから当たり前だ。
もちろん辺境は荒事に満ちていて、そんな環境では男の方が有利なのは事実だ。
だが、人的資源は有限である。だからこそ男女の差では優遇してくれない。
もっとも男女で性質の差が無い訳も無く、辺境と言う過酷な環境から垣根こそ低いものの両者の領分はそれぞれに存在する。
その酒場は声に満ちていたが、それは騒がしいと言うより姦しいと表現する方が適当な環境だった。
男子禁制を謳う酒場、捌かれる臓物亭は女による女だけの女主導の酒場だ。
まあ、男子禁制と言いながら給仕は若い男で、極々稀だがミリもここで給仕をしている。
「領主ねぇ? それ本当なの?」
ノットが果実酒を呷りながら訝しげな視線を向けると、赤ら顔の女が本当よぅと虚空を叩いた。
「ついに引き籠りの世話係に格下げられたのよ、あのジジイ!」
「あんた相変わらず公認死体漁りの事嫌いよねー」
公認死体漁りはここ最近呼ばれる事の少なくなったヤードの蔑称である。
ヤードの与り知らぬ事だが、一部の若い女の中でヤードの人気は低い。
それは一時期ミリと一緒に仕事をしていたせいで、本人が知れば理不尽だと嘆くだろう。
「でも、と言う事は、領主様のシモの世話も……ぐへへ」
「ああ、あんた年上好きだったわね」
髪の長い女が野卑た笑みを浮かべて涎を拭った。
ヤードの与り知らぬ事だが、一部の若い女の中でヤードの人気は高い。
領主も似た様な人気がありよくセットで語られる。
本人が知れば勘弁してくれと嘆くだろう。
「いっそミリちゃんも交えて三人で――」
欲望を垂れ流す野卑な笑みの女が、後頭部に鉄拳を受けて机に沈んだ。
「ミリちゃんは鑑賞用なの! 触れてはならないのよ!」
「まあ、噂の信憑性は高そうなのよね。少なくとも公認死体漁りが領主の館に出入りしているのは間違いないみたい」
「ふーん。それは社長からの仕事って事じゃないの?」
激昂する赤ら顔の女を余所に、これと言って特徴の無いつっこみ役の女はノットに顔を近付けて声を潜めた。
「どうも最近社長が不在らしいのよ」
「……それこそ、本当なの? ってかどこ情報よ?」
ノットもまた声を潜めてつっこみ役の女に顔を近付けた。
あれよと言って、つっこみ役の女は酒場の片隅に視線を向けた。
ノットが視線の先を追うと、そこにはニュウが浅黒い肌の女と酒を飲んでいた。
「社長秘書と、受付係?」
「最近たまに来るのよ。大体受付係が社長秘書の愚痴を聞いてる感じ」
「で、社長が不在だと? あの社長の事だから本当はどこかで暗躍してるんじゃないの?」
「まあ、それを疑ったらきりがないけどさ、ニュウちゃんの顔色見て見なよ」
そう言われてノットはニュウの顔を横目で眺めてみたが、これと言って何も感じない。
と言うか、普段との違いが分かる程ニュウの顔を見慣れてはいない。
そんなノットの心中を余所に、つっこみ役の女はへにゃりと笑みを浮かべた。
「今日も絵になるわよね、あの二人」
「いや、それはいいから」
ノットの呆れた声につっこみ役の女は咳払いと共に顔を元に戻して、生き生きしているでしょとノットに同意を求めた。
何がどう? とノットが疑問を返した。
「社長がいると精神的に負担が高いみたいでね、もっとこう、目が死んでるのよ」
私和姦主義だからと言うつっこみ役の無意味な情報を、ノットは無表情で聞き流して先を促した。
「忙しさにやつれてるのはいつものニュウちゃんなんだけど、ここに来る余裕があって目が死んでない時は社長と顔を合わせていない日よ」
「……やっぱ、あんたが一番やばい気がするわ」
思わず距離を取ったノットに、つっこみ役の女は私は和姦主義だからと意味不明な弁明をしてノットに身体を寄せた。
「まあでも……あんたの女を見る目はある意味信用出来るのが嫌な所よね」
「んふ。私はノットちゃんの抱える闇も愛せるわよ」
上唇を舐めるつっこみ役の女から距離を取りながら、ノットは救いを求める様に赤ら顔の女に視線を向けた。いつの間にか酔い潰れていた。
ノットは右手の中指でこめかみを叩くと、諦めた様に果実酒を呷った。
そして頭の中で今し方の会話を整理する。
「取り敢えず今聞いた話を整理すると、ヤードが領主の所に出入りしていて、社長が不在って事?」
「んー、まあそうなるかな?」
「って事は……どう言う事よ?」
「さあ?」
つっこみ役の女のとぼけた返事に対して、ノットは所詮噂話よねと溜息を吐きながらも言葉とは裏腹に色々と考えを巡らせる。
一連の会話の中で一番重要な事柄は社長が何かをしていると言う事だ。
領主の動きは気になるが、社長もまた警戒するべきである事は間違い無い。
領主を差し置いて辺境の支配者となった男なのだから当然だ。
そうなると次に気になるのは領主と社長の関係だ。
少なくとも五年前に領主が変わった際には剣呑だったと当時を思い起こして、すぐに訂正を入れる。
(領主が弊獣社を敵視していたのは間違い無いけど、逆はどうだったかは不透明よね)
弊獣社の社長。あれ程何を考えている分からない人種も珍しいと、ノットは警戒感を募らせる。
その辺りの情報は無いのかとつっこみ役の女に話題を向けようとして、ノットはふと気になった事を先に聞く事にした。
「噂と言えば、あんたは聞いて来ないのね?」
「毛深いのは趣味じゃないのよ」
意味深に笑いながら果実酒で口を湿らせて、つっこみ役の女はやたら艶っぽい吐息を漏らして視線をニュウと受付係に流した。
ノットもつっこみ役の女の視線の先を横目で確認する。
ニュウは蒸留酒を片手にくだを巻いていた。その目は据わっている。
受付係の方はと言うと、何かの入った器をスプーンで搔き混ぜていた。
つっこみ役の女は果実酒を口元に近寄せると声を潜めて囁いた。
「彼女、ルートって言う名前なんだけど、あんまり聞き慣れない響きよね」
つっこみ役の女の言葉にノットは受付係の女、ルートの事を改めて観察した。
服装は弊獣社の一般的な制服。長い髪は後頭部で一纏めに縛られ、右耳にだけ耳飾りがぶら下がっている。
化粧っ気のない浅黒い顔に色も厚みも薄い唇。目は細く、鼻は低い。
全体的にのっぺりとした顔は極南部出身者に良く見られるが、それにしては肌の色がやや薄い。
ノットも口元に果実酒を近寄せると、声を潜めて囁いた。
「あの耳飾り、抱翼環よね?」
「何それ?」
「古代の徽章よ。拾遺物に良く刻まれてる模様」
「へー。……なんてそんな事知ってるのよ?」
「……私、ミリバールのファンだったのよ。」
つっこみ役の女の視線がぎらりと輝き、ノットに向けられる。
「ほほう……」
ノットは半眼で冷ややかな視線をつっこみ役の女に向けた。
「……あんたの思ってる様なアレじゃないからね?」
「そりゃ残念」
「で、あの受付係がどうかしたの?」
「ニュウちゃんは前から偶にここに来るけど、受付係が同伴し始めたのはあの噂が広まってからで、決まって貴方がここに来る時だけ」
つっこみ役の女の言葉に、ノットは内心を隠して目を眇めた。
心臓は静かに荒れ狂い、手の平にじわりと汗が滲む。
「御代はつけとくわ」
つっこみ役の女はにやりと笑って果実酒を呷った。
ノットも苦々しく顔を歪めて果実酒を呷った。
「ああでも、ルートちゃんもあれはあれで好みなのよね」
「前に女なら大体行けるって言ってなかったけ?」
僅かに張り詰めていた空気を、つっこみ役の女が取り払う。
ノットは軽口を叩きながらも横目でルートを警戒していた。
「当然よ。それはそうとノットちゃん、前から聞いておきたかったんだけど」
つっこみ役の女はずいと距離を詰めて妙に色っぽい吐息を吐いた。
「ノットちゃんてつっこみたい方? それともつっこまれたい方?」
これと言って特徴の無いつっこみ役の女の言葉にノットはただ冷たい視線を向けた。




