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肉と皮

「そもそも、仕事が熟せるのならば男だろうが女だろうが何人で行おうが一切構わん」


 社長は片手で革紐を弄り回しながらそう言い切った。

 無作為に弄っているようにしか見えない革紐は、着実に何かの形へと編まれて行く。


「加えて言うなら、常時雇う必要も無い」


 何の話であるかと言うと、弊獣の解体を行う者の雇用形態についてである。

 弊獣社は弊獣を買い取るが、解体を専門とする者を雇ってはいない。

 解体士を雇うのは弊獣社から商品を買う者達である。

 そもそも、弊獣そのものを持ち帰る狩人は全体の半分程でしかない。

 必要な部位だけを切り取れば荷物は劇的に減るからだ。

 どの部分を持ち帰り、どの部分を廃棄するのか。相場調査も含めて、それを判断するのも狩人の力量の内である。


「傷病者なんざ掃いて捨てる程居るが、全部捨てるのはもったいない」


 優しいのか冷たいのか判然としない社長の言葉に、ニュウは僅かに眉を傾けただけだった。

 そんな事を話している間に、社長が遊んでいた革紐はいつの間にか小さな蝶の形に編まれている。


「ではその様に手配致します」


 ニュウはそう言って頭を垂れる。

 社長は小馬鹿にする様に鼻を鳴らすと、革紐の蝶を握り潰す。

 ぎゅうと握られた手が開かれるとそこに革紐は無く、代わりに鮮やかな色の蝶がふわりと舞い上がった。

 ひらひらと飛ぶ蝶は空いていた窓から外へと逃げて行った。



 弊獣社の買取窓口と併設される形で、弊獣解体室がある。

 建物は弊獣社の資産であり窓口係は弊獣社の社員であるが、解体室で作業を行うのは肉屋と加工屋の従業員だけであった。

 そう、昨日までは。


「やあ、旦那」


 窓口で手続を終えたアールは、解体室へ立ち寄ると片手を挙げて品の良い笑みを浮かべた。

 汚れた前掛けをした屈強な巨漢、肉屋所属の熟練解体士ポンドは口を覆っていた布を剥ぎ取ると、皮肉気な笑みを浮かべてアールの方を向いた。


「おう、今日も死体漁りか?」

「いえ、今日は普通に狩りですよ。指名で依頼がありましてね、山羊の皮を納めて来た所です」


 短気が溢れる辺境では珍しい程人当たりの良いアールは、挑発する様な軽口にもその態度を崩しはしない。

 ポンドはアールの装備に目を向ける。

 山羊は切り立った崖にいる事が多い。

 狩るだけなら簡単だ。撃ち落とせばいいからだ。

 だが、綺麗な角や革が欲しい場合はそうもいかない。


(また、初めて見る装備。金属……いや、山羊って事は甲殻か)


 一見して金属の様な光沢を放つその防具は甲殻製だろうと予測し、アールと呼ばれる狩人の異質さに僅かに目をすがめる。

 甲殻製防具の利点はその軽さであるが、それは革鎧で補える程度だ。

 依頼に合わせてある程度装備を変えるのは熟練の狩人であれば当たり前の事だが、アールの所持している装備はポンドが把握しているだけでも異様な程幅広い。

 辺境に似合わない物腰と所持する多彩な装備、そしてやたら丁寧な仕事。

 中央でもっと安全な仕事をしていてもやっていけるだろうにとポンドは思うのだが、それを口に出す事はない。

 訳有な人材が流れ着くのもまた辺境なのだから。


「あれもこれも熟しやがって、相変わらず器用な奴だな」


 一瞬で脳内を巡った邪推を、俺等は助かるがなと言って笑い飛ばす。

 その笑いに被せる様にアールも笑い声で答える。


「獲物を綺麗な状態で仕留めるのも、狩人に求められる技能ですからね」


 アールの謙遜に対してそれもそうだなと同意しておきながらも、ポンドは全くそう思ってはいない。

 猪相手にならともかく、山羊相手にそれは至難の業だ。


「奥で作業しているのが、噂の非正規雇用社員ですか?」


 アールは解体室の奥へと視線を向ける。

 そこには大きな猪の皮が拡げられていて、三人の男女が革に残った肉や脂を削ぎ平でこそいでいた。

 連日大物が持ち込まれればポンド一人では手が回らない。


「ああ、弊獣社も良く分からん仕組みを作りやがる。まあ、商品を腐らせなくて済むから悪い事じゃあないんだろうがな」


 ポンドはアールの視線の先に少しだけ自らの視線を振ってから、つまらなそうにそう言った。

 解体士の仕事に素人が混ざるのは気に喰わない。

 とは言え手は足りていないし、その素人は仕事が無くなれば用済みの時間雇いだ。

 その賃金も弊獣社が出すのでポンドの収入は減らない。

 悪い事は無いのだ。多少気に喰わないと言う点に目を瞑れば。


「あれが昨日私の持ち帰った大猪の皮ですか」


 アールの目が探る様な色となり、声も僅かに音程が下がった。

 ポンドはそれに気づかず、次の言葉が発せられる時にはいつもの物腰柔らかなそれに戻る。


「アレ、丸のまま使うんで?」

「アレはあの状態で弊獣社が中央に売るらしい」


 通常ならば後の行程が行いやすい大きさに裁断される。

 何に使うんだろうなとポンドは首を傾げた。


「中央の中枢に住む様な人達は珍しいモノを好みますからね。飾って自慢するんじゃないでしょうか?」


 アールの推測に、ポンドは一応の納得をする。

 持ち込まれた猪の大きさは特段珍しいものではないが、全身が綺麗な状態で持ち込まれる事はまずない。


「そう言えばあの猪、致命傷は両目から撃ち込まれた矢ですか?」

「目だけじゃねぇよ。耳と、口からもだ。全部で八本、しこたま撃ち込まれてたぜ」


 ポンドの返答にアールは特段大きな反応を示さず、冷静に仕留めた狩人の能力を推し量る。


「一人で八本と言う事は、一時間程度で仕留めた、全体では半日程度の仕事ですかね?」

「まあ、そんな所だろうな」


 効率がいいんだか悪いんだかと嘯くアールは知らない。

 ミリがそれをその半分以下の時間で成し遂げた事を。

 その八本と言う数字も、ヤードが知れば驚いただろう。

 撃ち込まれた場所が目だけでないと分かれば尚更。

 頭を下げて突進して来る大猪の耳と口に、どうやったら矢を撃ち込めるのかと。


「だが、一人でアレを仕留めるって事自体がちょいとばかし異常だぜ? 加えて撃ち込まれてた矢が全部重要な臓器に届いてやがった」

「へぇ……」


 どこか賞賛する様なポンドの口振りにアールが一瞬だけ眉根を寄せ、声に僅かだが警戒の色が混ざる。

 気難しいポンドが人を褒める事は稀だ。

 それが面識も無い子供となれば尚更。


「優秀な狩人なんですね」


 そうミリを評したアールの声はいつもと変わらない柔らかさで、警戒の色は抜けていた。


「弊獣社の記録によると、アレをほぼ毎日狩る実力があるらしいからな。値崩れがちょいと心配だが、その辺りは細い嬢ちゃんが何とかするだろう」


 相変わらず奇術屋が仕事しねぇからなと笑うポンドは、不自然にならない程度にアールの顔色を盗み見る。

 ポンドから見たアールは常時物腰穏やかだが、弊獣社の社長が絡む話題になると時折剣呑な雰囲気を漏らす事があるからだ。

 幸い今回はその様な雰囲気を醸し出す事は無く、表面上は愛想笑いで応じていた。


「さて、明日も指名依頼が入っていますので、その準備に掛からなくては」


 よりにもよって鳥の羽根なんですよと困った様な笑いを浮かべるアールに、ポンドは節操無しもそこまで行くならすげぇなと呆れた様な賞賛を送る。

 それに対して小物限定だからですよと謙虚な軽口を返したアールは、にこやかに別れを告げると解体室を後にした。

 さて仕事に戻るかと入口に背を向けたポンドの中に、小さな疑問が芽生える。


「……あいつ、何しに立ち寄ったんだ?」


 そもそも狩人が解体室に立ち寄る用事等ほとんど無い。

 ポンドは首だけを入口の方に向けたが、そこには今し方閉まった扉があるだけだった。

 わざわざ呼び止めてまで聞く程の疑問では無い。そう考えたポンドは芽生えた疑問を毟り取ると、忘却の彼方へ捨てた。


「……狩るには最低でも五人、余裕を持つなら十人以上と言った所かな?」


 扉の外で、アールが一人ごちる。

 意識的に主語を省略されたその言葉を聞き止める者はいなかった。

 アールの表情は愛想の良い笑顔を張り付けたまま社屋を後にする。

 その様子を見ていたのは来客の途切れた窓口で首を解す窓口係だけである。


 アールは社屋を出て数歩歩くと立ち止まって振り返り、見上げる。

 一介の狩人でしかないアールが知る筈の無い社長室の場所を睨む。その双眸に明確な憎しみを滲ませて。

 それは時間にして一秒に満たない。

 誰一人としてアールの感情に気付く事は無く、この所幾分か柔らかくなってきた日差しが屋外に居た全ての者に平等に降り注いでいた。

 忌々しいと言う思いも、思わず打ちそうになる舌打ちも、アールは笑顔の下に隠した。

 宿に向かって歩くアールは普段の物腰柔らかな男を完全に装っていたつもりであったが、その口から無意識に一つの単語が漏れていた。


「魔術師」


 それは無味乾燥な声音で、アール自身も聞き取れない程小さな呟きだった。


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