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森の管理人

 武器を持たない女が一人森を進む。

 非武装のノット。そう呼ばれる女だ。


 背の高い女だ。顔は丸く、全体的に厚ぼったい。

 細い目の奥から鋭い眼光を放ちながら、黙々と森を進む。

 背にはぱんぱんに膨らんだ背嚢が背負われていた。


 一般的に狩人は荷物を減らしたがる。森で余分な体力を失いたくないからだ。


 ノットは時折汗を拭いながらずんずんと森を進む。

 その様子を伺う獣がいた。


 大猫だ。

 樹上でねっとりとした眼光をノットに注いでいた。

 ぴくぴくと髭を震わせきゅうと口角を引き上げる。


 鋭い牙と赤い口腔、そして濃い獣臭。

 ノットはそれらに気付かない。

 ほうと一息吐いて、胸前にぶら下げた水筒に手を伸ばす。

 前方を中心に散らしていたノットの視線が下へと向けられ、大猫の視線に無防備な項が映る。


 大猫は自身の潜む樹上がノットの死角に入っている事を確認して、音も無く飛び降りた。

 牙を剥き、爪を出し、しなやかに、一直線にノットの項を目掛けて――


 ばしゅ。


 大猫が最後に聞いたのは小さな射出音だけだった。


 ノットは真横に落下して来た大猫を見て、少しだけ目を見開いた。





 両腕の無い女が片足を器用に用いてお茶の味を楽しみながら、空いた足で管理台帳を捲っている。

 器用だなと言うポンドの言葉に、女は慣れっすよと軽い口調で嘯いた。

 雑に切られた金髪と、浅黒い肌。

 皮膚全体が凸凹していて年齢は分からないが、体格は子供のそれだ。


「台帳を見る限り、ノットさんがこの森に潜り始めたのは三年程前からっすねー。多分最長記録っすね」


 管理台帳を遡ってノットの入森回数を数え始めたその女。森の管理人モリと名乗る女を、ポンドは僅かに眇めた目で観察する。


(辺境ではあんまり見ない種類の人間だよな)


 胡散臭さは社長に通ずる所があるが、厄介な相手ではない。

 それは社長と比較してではなく、一般的な辺境の住人と比較しての話だ。

 判断の基準として腕が無い事は理由にならない。

 むしろ事が暴力に関する話となれば危険な部類だと、ポンドはモリをそう評価している。

 害獣が現れる事もある森の淵で生活している時点で、ポンドよりも対害獣力は高くなくてはならない。

 それが入森規制の敷かれている東域の入森者管理人であり、小柄な女ともなれば尚更だ。


(厄介な隠し玉でもあるんだろう……。まあ、辺境でその手の秘密が無い人間は極稀だが)


 とまあ、そんな背景を考慮した上でポンドの下したモリの人物像は、馬鹿の二文字である。


「半年で七十四回っすね! どうりでちょっと聞き覚えがある名前な訳っすよ!」

「普通はしっかりと印象に残っているものだろうがね」


 要領が悪い方ではない。そんな奴に務まる仕事ではないからだ。

 理解力が無い訳ではない。少なくともポンドの質問はその意図が正しく伝わっている。


 問題は記憶力である。


(七十四回も東域に潜った異常者を、ちょっと聞き覚えがある程度にしか記憶していないのはどうなのだろうか?)


 まあ、そのための管理台帳なのだろうとポンドは考える。

 管理台帳が無ければモリに森の管理人等と言う役割は遂行不可能だ。


「覚える必要の無い事は覚えないっす。まあそのせいで自分の名前とか忘れちゃったっすけど」

「その話の真偽の程は置いておくとして、もうちょっとマシな偽名は思い付かなかったのかい?」

「森の管理人でモリって覚え易くて最高っすよ?」

「ああ、そうかい。そんな感じで腕もどっかに忘れたのか?」

「いや、この腕は社長にやられたっす」


 軽口に無駄に重い情報が返って来た事でポンドは言葉に詰まった。


「殺そうとしたっすよ」


 さらりと告げられたその言葉の真偽を考えながら、ポンドはモリに対する警戒度を最上限まで引き上げた。

 最上限まで引き上げてから、元に戻した。

 何と無く察したからだ。社長がこの暗殺者を生かしている理由を。


「気が付いたら色々絶たれてたっす。どうやったか今でも分かんないっすよ」


 けたけたと笑うモリを半眼で眺めながらポンドは思った。

 この口の軽い女に暗殺なんぞ依頼したのはどこのどいつだろうかと。


「所で、その台帳詳しく見せて貰ってもいいか?」

「んー? いいっすよ」


 逡巡してからあっさりと台帳を渡したモリは、駄目って言われてないっすからと若干気になる台詞を付け加えたが、ポンドは聞こえなかった事にした。

 世の中には色々深く考えては駄目な事が沢山ある。ポンドは社長との付き合いでその事を学んだ。


 ぱらぱらと台帳を捲る。

 台帳は非常に簡単な代物で、入出森の日付と名前だけが延々と書き連ねられている。

 数頁捲るもそこにはノットの名前だけが延々と書き連ねられている。

 更に頁を進めると、ちらほらとノット以外の名前が現れ始め、その半分程が出森日の記載が無く、その様な名前の幾つかには上から朱線が引かれている。


 日付が無いのが未帰還者、朱線が引かれているのが死亡指定者だ。

 更に頁を進めるとノットの名前が出現しなくなり、同時に朱線が引かれた名前もほぼ無くなった。

 死体か遺品が発見されない限り、森に消えた狩人は未帰還者のままだ。

 恐らくノットは狩人の死体と遺品を積極的に持ち帰っているのだろう。

 そう考えたポンドはその理由に思考を向ける。


 幾つもの理由を思い付くも、どれも確度は低い。

 それは同時に、この台帳から得られる情報ではノットの人となりや狩の手法を推測するには足りないと言う事だ。


 台帳を最新の頁へと戻す。

 そこには見覚えのある名前が一つ書かれていた。


 元奴隷の小さな狩人、ミリ。入森は四日前。出森記録は無い。

 ポンドは小さく溜息を吐いて、モリに一枚の獣皮紙を見せてから東域へと踏み入った。


 因みに、ノットの入森記録はポンドが数えた限り三十六回であった。

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