過去の栄光
その光景を見た時、神祇官は一瞬迷った。
怒りを見せるべきか呆れを見せるべきか。
今更になってニュウの何とも形容し難い表情の意味が分かった。
弊獣社の社長。資料廟では奇術屋と呼ばれる変人。
こいつをまともに相手にしていては気力が持たないのだと。
「一応施錠してあった筈だが?」
「辺境の単純な錠前機構なんて、遺跡のそれに比べたら無いのと一緒だと思わない?」
それはそうだが、だからと言って勝手に宿の部屋に入って良い理由にはらなない。
加えて言うなら、勝手に侵入して食事を楽しむ理由にはならない。
「錠前に関する話は後にするとして、何故ここで食事を?」
「今日は一日受付係をやっていたからね。食事を取り損ねてね」
資料廟は社長を野放しにする程能天気では無い。
故に報告は貰っていた。
監視対象は一日中受付に座っていたと。
「いい気なものだな。本来の窓口係が遺跡に潜ってから今日で四日目だぞ?」
社長との話し合いを経て、神祇官は生き残った守護奴隷を遺跡の周囲に配置する事を決めた。
要するに出し惜しみしたのだ。
ルートが弊獣社に派遣された人員として扱える事と、社長がその戦闘能力を高く評価した事がその判断を後押しした。
社長は信用出来ない人物だが、仕事はきっちり熟す人物だ。
利益を奪われる危険は決して低くはなかったが、手駒が負傷者を含む僅か五名の守護奴隷では選択肢等無いに等しい。
「大丈夫、大丈夫。そろそろ出て来るだろうし、もし明日出て来なかったら僕も潜るから」
明日も窓口で座っているからとでも言うかの様な気軽な発言に、神祇官は一瞬何を言っているのか理解出来なかった。
「窓口係も飽きちゃってさ」
そう嘯く社長に何とも形容し難い視線を送る神祇官は、漠然とその皺寄せが誰に向かうのかを察して、割と真面目にニュウに同情した。
☆
ルートは残弾数を確認して、大盤振る舞いし過ぎたと舌打ちをした。
三万発以上持ち込んだ弾丸の内、既に半分近く消費している。
原因の一つはヤードが予想以上に優秀であった事だ。
アールを置き去りにして目的の施設に辿り着き、そのまま居着くなんて予想外もいい所だった。
露払いをして貰う予定だったが、完全に当てが外れた。
加えてミリの存在である。
遺跡から無限に動力を引き出せるルートの弾幕戦術に、五日も対応し続けるとは思わなかった。
そう、ルートはミリ一人に五日に渡って足止めされているのだ。
このままではいずれ社長が介入し始めるのは目に見えている。
ルートは早急に自分の目的を果たさなくてはならなかった。
それは遺跡の最奥で稼働する施設、炉の掌握。
炉さえ確保してしまえば、社長を経由して貯め込んだ遺物が化けるからだ。
手にしているL字型の筒――単距離加速器もその一つだし、両手に装着した紫色の手甲――工事用補助手袋だってそうだ。
ルートが遺跡の中で優位を保てるのは全て遺物と遺跡が生産し続ける動力の恩恵である。
ルートにはとても古い記憶があった。
科学と魔法と剣が存在した忘れ去られた時代の記憶が、ルートにはあった。
ルートは自身が別の遺跡の奥で発掘されたとミリバールから聞いていた。
その当時の記憶は無い。気付けば見知らぬ部屋で寝かされていたからだ。
ルートの身柄は極秘裏に弊獣社に引き渡されていた。
それはルートの身を案じたミリバールの判断だった。
意識を取り戻したルートが目の当たりにしたのは、かつての面影の無い遠い未来の世界だった。
自分のいた時代の遠い未来である証拠は、遺跡から発掘された遺物だけだった。
見覚えのある製品の数々が、唯一ルートの記憶が正しい事を証明していた。
そしてルートは遺物の研究と持ち得る知識の再現に没頭した。
と言っても、その知識は偏っていたので回し弓や撃ち出し槌と言った単純な機構の物品しか再現出来なかった。
そして何故か魔法は如何なる手段を用いても再現出来なかった。
気になる事はたくさんあった。
何故魔法の再現性が失われたのか。
何故剣は概念ごと消え去ったのか。
何故奴隷は独立した権力を持つ職業になったのか。
何故複数種類あった国家の仕組みが全て潰えたのか。
そんな中で何故よりにもよって数信寮だけは何も変わらず存続しているのか。
ルートはそれなりに優秀ではあったが、一人で全ての疑問に対する回答を見付けられる程優秀では無かったし、本人もその事は分かっていた。
だから、目標は一つに絞った。
稼働可能な炉を見つけ出す事。
大きな出力が得られれば種類は何だってよかった。
ついでに高効率な電力変換機構が付随しているのなら尚良かった。
分解炉でも地熱炉でも魔導炉でも縮陽炉でも、何でも良かった。
初歩的な木炭炉は再現出来ていたのだが、出力や電力変換の面で問題があったのだ。
そして、その条件を満たす炉をミリバールが遺跡の奥で起動させ、死亡指定された。
命の恩人であるミリバールが死亡指定された事は悲しかったが、遺跡の奥で何らかの炉が稼働し始めた事にルートは歓喜した。
都合の良い事に、炉かもしくは遺跡自体が無線式の給電機構を内包していた様で、遺跡に近付くだけで一部の遺物は稼働し始めた。
その喜びもつかの間、資料廟が介入を始めた。
社長を経由して妨害を試みたが、遅延工作で精一杯だった。
半年耐えた。
半年も、耐えた。
そうやって回って来た好機なのだ。
ルートは今こそ邪魔者を全て排除して炉を手に入れる時だと確信していた。
炉さえ手に入れてしまえば、ルートは個人で強大な力を手に入れられる。
その事に対して弊獣社は――少なくとも表向きは――協力的だ。
ルートは社長を全面的に信用はしていない。しかしながら、経営者と言う観点で見れば非常に信頼のおける人物だった。
ルートが弊獣社に利益を提供すれば、社長はそれに見合った報酬を提示して来た。
少なくとも今までその報酬が過剰であった事も過少であった事も無い。
商売人と言う面で、社長程信用出来る人物は他に居なかった。
ルートが右手を大きく振る。
手甲の機能が飛来した弓を的確に払った。
それは本来であれば、足場の悪い場所での作業中に落下物から身を守る機能だ。
手を払う動作を引き金に一定以上の速度で接近する物体を叩く機能。
短距離加速器の切断面を矢が飛来した方向に向けて起動する。
小指の先程の大きさの金属塊が磁力で加速され、筒の先端から飛び出した。
短距離加速器自体は本来銃器では無いので、弾道は酷く不安定だ。
だと言うのにミリはそれらを紙一重で避け、再び姿を眩ました。
ルートにはミリの目的は分からない。
ただ、邪魔である事は明確な事実であったし、技量は自分よりも上だった。
舌打ちをして周囲を見回す。ミリの痕跡をルートは見つける事が出来ない。
ルートが遺跡を進む速度は当初の想定よりも遥かに遅い。
外骨格式補助服のおかげで大きな疲労は無いが、持ち込んだ携行食は一割ほど消費してしまっていた。
後の作業を考えると少々心もとない。
壁面に這う木の根を苛立ちに任せて引き千切り、ルートは歯噛みした。
この炉を確保して終わりでは無いのだ。
保守作業を行わなければならないし、並行して邪魔者も排除しなければならない。
アールは恐らく問題にならない。
ミリとの戦闘中に余計なちょっかいをかけてきたので、適当に十発程度の弾丸を浴びせたら逃亡した腑抜けだ。
高々十発程度の弾丸しか浴びせていないのにしっかりと被弾し、残された血痕から推測するに十分な深手を負わせたことは間違い無かった。
遺跡には小型の犬が棲み付いている。
血の匂いを漂わせたアールが生き残れるとは思えない。
当面の邪魔者はミリであり、ミリを排除する事は確定事項だが、一方でヤードの扱いは少し迷っていた。
恐らく金銭で懐柔する事は可能だと思われたが、若干卑屈になっているヤードは時に思いもよらない方向に考えを巡らせる。
敵対した場合でも負けはしないだろうが、探索士としての経験もある狩人は手強いだろう。
それでも、敢えて渡した短距離加速器の性能に溺れていてくれれば正面からでも不意は打てる。
ルートは遺物を無効化する方法を幾つか所有しているからだ。
彼等を首尾良く処理出来たとして、その後には資料廟と言う組織が立ちはだかる。
個人と異なり組織を相手にするのは大変だ。
だが、ある程度は弊獣社に押し付ける事が可能だ。
都合の良い事に弊獣社と資料廟は現状消極的な敵対関係にある事に加え、ルートが遺跡に潜っていること自体が交渉材料になる。
建前上ルートは資料廟の尻拭いをしている立場だからだ。
そうやって順番に邪魔を排除して行った結果最後に残るのが……。
「結局あの詐欺師カ……」
ルートは苛立たしげな足取りで遺跡を進みながら、待ち受ける障害の多さとその難易度に頭を抱えたくなった。




