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狩人

 社長秘書のニュウに苦悩は絶えない。

 原因は大体社長にある。


「まだ改善してなかったのか」

「申し訳ありません」


 弊獣社の社長、巷で魔術師或いは奇術屋と呼ばれるその男は、右手で兎の骨を遊ばせていた。

 掌に収まる大きさのその骨が、男の手に纏わり付く様に宙を舞う。


 冬に向けて食糧が足りていない。

 社長がそう指摘したのは五日前の事だ。

 言われたニュウが調べれば、穀物類の備蓄量は危険基準を割り込んでいないものの十分とは言い難い。

 辺境であり開拓の最前線であるこの地では外部からの物資調達に時間が掛かる。

 だから五日で話を纏めるニュウの能力は高い。だが……。


「今日、中央から雑穀の買い付けを行う予算が確定しましたので――」

「そんな回りくどい事しなくたって、もっと手っ取り早い方法があるだろう?」


 それは社長のお気に召さない段取りであった様だ。

 社長が手の平で踊らせていた骨を捕まえてぎゅうと握りしめると、それは二枚の獣皮紙へと変化した。

 社長はその獣皮紙を無造作に机の上に投げ出す。

 そこには二人の登録狩人の情報が記載されていた。


「この二人への依頼と、後は社から一つ許可を出すだけでいい。なに、普段から横行している事に許可と秩序を与えてやるだけだ。つまり――」



 ヤードが渋い顔で弊獣社からの提案を受け入れたのは五時間程前の事だ。

 辺境きっての古弓使いと言われたヤードが、古弓を射る手を失ってから半年が経とうとしていた。

 狩人を辞めて探索士になったヤードに対して、他の狩人からの風当たりは元々強かった。

 弓を射る事が出来なくなったとなれば更に強くなる。

 大絶ちや撃ち出し槌は片手で満足に扱えず、古弓の名手であった事が災いして回し弓すらまともに扱えない。

 まともに扱えるのは小絶ちや料理絶ちが良い所である。

 そんなヤードに降って湧いたのが社からの指名依頼だった。

 そして今、ヤードは森の中にいる。


 濃い緑の匂いがじっとりと纏わり付き、静かな様で騒がしい。

 葉と葉が擦れる音。枝をすり抜ける風。遠くで流れる水。踏まれた落ち葉。獣の吐息。


 濃密な生と間近な死が混ざり合って、ヤードは自身の輪郭を見失いそうになる。

 狩人として初めて足を踏み入れ、探索士として分け入り、弓を引く手を失った今はただ息を潜めて彷徨う。

 緑の芳香と獣臭の間を縫って、微かに辿り着いた死臭を辿る。

 慎重に、同時に大胆に深緑を進む。

 進むにつれて死と緑がより濃密に混じり、ヤードは少し噎せた。


 折れた枝。真新しい落ち葉。抉られた幹。

 明確な戦闘の痕跡から、ヤードは獲物を予想する。


(猪だろうか? 痕跡から、大きさは三メートル程か? そうならば大物だ)


 その推測を補強するかの様に強い獣臭が漂い始める。

 その割に血の匂いは少ない。

 もう争う音はしない。狩りは終わっていると言う事だろう。


 ふわりと、薄い汗の匂いがした。

 ヤードのそれではない。

 まるで花の様に上品なそれはミリの匂いだ。

 その匂いの先に、大猪の死体がどっかりと倒れていた。

 予想に違えず、体高三メートル以上はあるであろう大物だ。


「……でかいな」


 呟きながら虫避けを焚く場所を探す。

 幸いにもおあつらえ向きな平たい岩が猪の横に埋まっていた。

 表面は苔むしていて、触れてみるとじっとりと湿気っていた。

 火災に繋がる恐れは無さそうだと判断したヤードは、筒状に押し固められた薬草を取り出して火を点ける。

 もうもうと薄緑の煙が吹き出して空へと昇る。

 煙は死体漁り達に対する目印となると共に、虫が寄って来る事を防ぐ。


 一仕事終えたヤードは手頃な倒木に腰を下ろし、水筒の水を煽った。

 そして猪の死体を観察する。

 その両目は潰れていた。

 回し弓による射撃による損傷以外は有り得ない。ミリは回し弓以外の攻撃手段を持っていないのだから。

 完全に埋没してしまっているのであろう。矢の後端は見えない。

 回し弓の矢には矢羽が無いので、矢が埋没してしまう事は良くある。

 だからこそ何本撃ち込まれたのかは分からないが、ヤードが追って来た狩りの痕跡はそこそこ長かった。

 距離から推測するに、猪の突進を躱しながら弓を回して普通であれば二本か三本。

 だが、とヤードはミリと最初に会った時に感じた奇妙な印象を思い起こす。


(目がぐずぐずになってると言う事は……二本ずつは撃ち込まれているな)


 ミリの見た目は小さな子供だ。

 中背程度でしかないヤードの更に半分程の身の丈。

 黒いざんばら髪に、幼さを残しながらも美しいと形容されるに相応しい顔。

 その黒い双眸には――何も無かった。

 ただ眼球が二つ埋まっているだけ。

 ただ光を映しているだけ。

 動きに無駄は無く、口数は少ない。

 ミリが人である証左は僅かな体臭だけであった。


「肉、嫌いなのかも知れないな」


 一般的に肉を好む者程体臭は濃い。

 ミリの体臭は虫避けの匂いによって完全に消えてしまっていた。

 ざわりと風が走り抜け、煙が形を崩す。

 葉が擦れる音、遠くに翅音。そして微かに聞こえる人の声と吐息。


(人数は……四人程度だろうか?)

 

 ヤードに課せられた仕事は言葉にすれば単純。

 ミリが仕留めた獲物を見付け、それを運搬する者達に位置を知らせる。


 死体漁り。弊獣社がその存在を認めるまでは灰色だった行為。

 当然だ。獲物を狩る能力が足りない者が行う横取りじみた行為。

 弊獣社が開拓地の食糧事情改善を銘打って立ち上げた新たな制度の、これは試験的な運用だ。

 これ程まで深い森に分け入る事が出来る者達は少なく、その殆どが自力で十分な稼ぎを確立している。

 ヤードの様な例は例外中の例外なのだ。

 単独で大物を狩るが、運搬能力に乏しくその角や牙しか持ち帰らないミリ。

 狩猟能力を失い、しかし森の奥深くまで分け入る事だけならなんとでもなるヤード。

 そして、徒党を組めば森の奥深くまで分け入る事がなんとか可能なその他大勢。

 それらを上手く組み合わせた弊獣社。

 その成果は僅か五時間で出てしまった。

 更に言うなら僅か五時間、森に分け入ってからなら四時間程度でこの大物を狩ってしまうミリに、ヤードは畏怖と底知れぬ不気味さを感じていた。


 それらを振り払う様に、ヤードは大猪の死体に視線を振る。

 手軽に持ち帰る事の出来る牙はミリが確保済みだ。

 利き手の動かないヤードに出来る事はもう残っていない。

 そもそもヤードに課せられた仕事は獣の死体を見付けて狼煙をあげる事だけだ。

 何も持ち帰る必要は無い。今の所は、まだ。

 この制度が本格的な運用になった際には何か証明が必要になるだろう。

 今はヤードが独占しているこの仕事は、いずれは多人数で奪い合う仕事になるからだ。


(そうなった時、この仕事を全う出来るのか? そもそもこの仕事だけで食っていく事は出来るのか?)


 そう考えたヤードは少し陰鬱な気分になった。

 物思いにふけっている間に、遠くから聞こえていた人の声は大分近づいて来ていた。

 ヤードは膝に手を付いて立ち上がると、声とは違う方向へと移動を始める。

 この様な惨めな姿を、なるべく他の狩人に見せたくは無かった。

 それが死体漁りをする程度の狩人であれば尚更。

 ミリは一日に一体しか獲物を狩らない。ヤードはそう本人から聞いていた。

 ならば今日の仕事は終わりだ。

 森に点在する人の気配を避けながら、ヤードは居住区へ向けて足早に森の中を進んで行った。


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