7. どうやら異動先は修羅場の真っ最中のようです
「……よし、頑張るか……」
ひとしきり、自分の現状を嘆いた唯は顔を覆っていた手を外すして深呼吸するとニッと笑う。
「それに嘆いた所で状況は変わらないしね」
親もおらず、頼れるのは自分自身だけだど唯はこの17年の人生で悟っていた。不出来な自分と違って血を分けた弟は暗殺者としての才能に優れていたため、養成所内でも常に比べられてきた。故に苛められても泣いていれば誰かが助けてくれるなんて考えは当の昔に捨てた。人生に休憩は必要だが、その人生を豊かにするために歩き続けるのも自分しかいないのだから。
「えーと、事務所は6階であってるかな?」
17歳にして達観した人生観を持つ古坂唯はそう自分の状況を理解したのち、がさがさとスポーツバックから宮原が紙に書いてくれた異動先の住所や新しいマンションの住所を書いてくれた紙を取り出す。そしてさっきから耐震強度が気になるビルに踏み込んだ。そしてそのままビルの案内板に近寄ってざっと確認する。
表向きにビルの案内板に乗せられている会社名は組織が運営している企業名が並ぶ。このひとつのビルで暗殺技能の維持からその地域でのすべて必要な機能を果たす優れものだ。
「この造りだと地下1と2が射撃場で、1階がエントラス。2階と3階がジムかな」
ちなみに支社と呼ばれるビルの内部は基本的に内部は同じ作りになっているのでどこの支社に異動しても案内板を見ればだいたいの予想を組織の人間にはつけることが出来るのだ。
「よし、行くか」
ざっと頭の中にビルの構造を叩き込むとビルに1台しかないエレベーターのボタンを押した。来てしまったからにはまずは新しい職場を見なくては何も始まらない。“すー”と6階からゆっくりと下がってくるエレベーターの階数表示を見ながらさっきから気になって仕方ないことを呟く。
「それにしても気になるなぁ……耐震基準」
この1ヶ月で第2席になるからには支社すべての管理をするのは当たり前と事あるごとに繰り返した宮原はビルに関わることから雇用管理、健康保健等に関わる業務まで教えてくれた。そのお陰か、このビルが県の耐震基準をクリアしているか気になるまでに成長したのだ。ちなみにビルのメンテナンス費用は支社の売上から出さないといけないという世知辛い真実も知ってしまった。
“えーと、まずは支社の収支を確認して”
やってきたエレベーターに滑り込み、唯は指を折りながら自分の仕事を考えていく。
“今日は前年度と実績と、今抱えてる仕事の量と采配を見ると”
“ウィーン”と階数表示が上がる中、頭で予定を組み上げる。
“だいたいこんなもんかな”
宮原に絶対見るようにと口を酸っぱくして言われた部分を唯が復習し終える。それを見計らったかのように“チン”と音を鳴らしてエレベーターは6階に到着するとかがっと年季を感じさせる音をさせて扉を開く。
「うわー」
エレベーターからビルのエントラスに降り立った唯はその惨状に頬をひきつらせる。目の前は喫煙所にもなっているようだが、非常階段の扉は開け放たれてタバコの吸い殻が床に無造作に落ちているではないか。
“これは予想以上に大変そうだな”
古い支社にありがちな光景に唯は苦笑を禁じ得ない。唯の持論にはなるが、整理整頓の行き届いた組織は風通しがいい。反対にゴミや整理整頓が出来ない組織は古い慣習によるルールが出来ていることが多いのだ。そのことに頭痛を覚えながらも唯はご用の方は押して下さいボタンを押す。
「?」
押しても誰も出て来ない。そのことに“うーん”と天井を仰いでみた唯は再度、ボタンを押す。
「………行こう」
再度ボタンを押しても出てこないのを確認して、どの支社でも同じ造りの事務所を軽くノックしてから唯はノブを回して扉を引く。
……と同時に耳に電話がけたたましく鳴り響く音と怒声が響き渡る。
「すみません、相模支社から来た古坂唯ですが……」
恐る恐る扉の中に顔を覗かせた唯がそう発した声は灰色の事務ロッカーと騒音に遮られ、新しい同僚達に届くことはなかった。
なぜなら……
「協力者に連絡を取れ!」
「山中はどうなってる!」
「連絡、取れません!」
「ちっ!こんな時だってのに所長はまだか!」
「まだ到着されておられません!」
「出るまでかけ続けろ!」
「分かりました」
ドア1枚隔てた新しい職場は怒声の飛び交う修羅場の真っ最中だった。
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