3.唯の才能
まもなく22時を迎えようとする時刻。唯の姿は相模原支社内にあった。
「うーん……どこに住もうかな……」
“カチッ”とマウスを右クリックしては画面を眺めて渋面を作る。
大手の賃貸サイトを見ながら家賃などの条件を比較する。あれから数日。理不尽だとはいえ、ミスしたことには変わらないので始末書を書き上げて提出した後、本格的に退所に向けて唯は行動を始めていた。唯が退所を決めたと聞いた面々は一様に反対したが唯は断固として自分の意志を変えようとはしなかった。
「……一般人になるって難しいなぁ………」
“うーん”と額に皺を寄せて唯は画面をスクロールする。退所にあたって、生活費を稼ぐことも視野に入れてバイト先も探している。ただ、年齢不問や学歴不問と書かれたところは胡散臭い。年齢と経歴はその気になった時に買えばいいののでそこまで重要視していないが、やはり転職するなら今より“いい会社”もしくは“組織”だ。これからの人生設計を考えるなら正社員で福利厚生がしっかりしているところがベスト。まかり間違ってもブラック企業なんかに再就職してはいけない。
「後は外に誇れる資格があんまりないのも問題だよな」
賃貸は最悪、浪脇や支社の面々が保証人にはなってくれると言っているので安心しているが問題は退所後の生活を維持するための仕事だ。学生生活を謳歌するつもりだが、生活費も安心したい。けれども残念なことにめぼしい求人に書かれた資格は唯が17年かけて積み上げた暗殺技術ではない。空き時間に行った業界研究から言わせて貰えれば事務職での転職ならば簿記やPCスキルが求められるらしい。
「これ見てる限りだと普通自動車免許ぐらいか…」
その切ない事実に唯はため息を吐く。自分が17年生きてきた業界で培ったのは人をどう効率よく殺すか。だが、外の世界で働くために必要なのはナイフや銃などを扱う物騒な知識ではなくパソコンスキルと高校卒業程度の学歴。
“パソコンは使うけど、報告書書くぐらいだしな”
報告書や決められた書式で書類を仕上げることはあるがそこまで誇れる腕ではない。生活費の足しにバイトしようと思い立ったものの調べれば調べるだけ自分がよりよい業界に転職する資格を持たないことに気づいてしまう。
「ほんと俺って……中途半端だよな」
やはり高校に入り、大学を出てから本格的に探すしかなさそうだ。そのことに我知らず、肩が落ちる。“はぁ”とため息を吐いてずるずると椅子に背を預けて煤けた事務所の天井を見上げる。
“俺の他人負けないことって何なんだろ”
暗殺者に向いてないと自覚してからそんな自分にも他の人より優れていることがある筈だと自分研究を始めた。ミスをした当日には帰り道に本屋に寄って購入した“ザ、転職”という本を参考にしている。そうやって転職に向けて一念発起したものの自分の出来ることを調べれば調べるだけ自分の不器用さに落ち込んでいく。そもそも相模原支社の先輩の三上さんのように事務能力に秀でていたら組織内でも引く手あまただろうざ自分にはそんなスキルはない。その事実にため息が零れ落ちる。
「普通自動車免許なんて役に立たないし」
就活を終えた大学生達が卒業までに教習所にまで取りにいくため、持っていてもさほど重要視されない。もしかしたら少子高齢化に喘ぐ、物流業界なら大歓迎かもしれないが。机に突っ伏して暫し、考えた唯は無言で体を起こす。
「そうじゃん!俺には物流業界が待っている!」
そう復活し、唯はウキウキの気分で求人一覧表をチェックしていく。
ーその時ー
「誰だ?何やってるんだ?」
カチカチと支社内の事務所に設置されたパソコンを操作していた唯に声がかかる。その声に唯はパソコンから上げた顔を輝かせる。そこに立つのは相模原支社エース事務員の宮原貴生だ。
「あ、宮原さん。お疲れ様です」
そう言って手をあげると声から自分を判別した宮原が目を瞬かせる。その仕草に唯は“ああ”と笑う。
「綺麗に染まってるでしょう?」
地毛は茶色と色素が薄い髪をしているが今の自分の髪色は目に眩しい金髪だ。髪を掴んでニヤリと笑うと扉の前で紙袋を持った宮原が嘆息する。
「いつもながらに完璧だな」
その言葉に唯は肩を竦める。これからの潜入に向けて今朝染めたのだ。暗殺技術は劣るが潜入に関しては誰にも譲らないぐらいの気概は唯にもある。
「へへへ……これぐらいしか能力ないからさ」
そう言って笑う唯に宮原は嘆息する。本人は普通だと言い張るが、潜入する度に容姿を変える相手は変幻自在だ。今日など髪を金に染め、目には黒のカラコンを嵌めた唯の姿は普段から見慣れている人間でも一瞬分からないほどに別人。これでその場に合わせた振る舞いをされたら声をかけられるまではこちらも分からなくなるのだ。まさしく、木は森に隠せとなる。唯のいつもながらの完璧な変装に嘆息しつつ、宮原は問いかける。
「次はどこだ?」
「ほら2筋先の角に出来た地下バー。なんかそこで違法薬物の取引が行われてるらしくて本当かどうかの証拠集め」
カチカチとパソコンのマウスを激しく右クリックする音をさせながら唯が返してくる。それに宮原は眉を潜める。
「素人か?」
「らしいね~。本当に素人は困るよね」
今、歓楽街は組織に属する店の方が健全な経営をしている。素人が勝手に違法薬物に手を出したり、違法な風俗店を経営するのだ。そういう店に耐性のない素人が捕まって更に深い所に落とされる。そういう店の噂を耳にすればわざと人を送り込んで調査する。そのスペシャリストである唯はあまり気にした様子も見せずに転職サイトに釘付けだ。その横顔を伺いながら宮原は嘆息する。暗殺技術に優れていなくても彼はこの組織に欠かせない人員だ。
“宮原さん、リードするね”
裏からの工作のために姿を潜めていた唯が手引きするために姿を現してそう発した時はかなりピンチな時。インカムに届くその言葉に救われた現場は山とある。本人は自分の才能に気づいていないが宮原にとって唯は頼りになる同僚だった。いつもその完璧な変装を誉めると彼は苦笑してこう言う。
「場に溶け込むには容姿からって言うしね~」
「それが凄いんだがなぁ……」
「またまた~❗宮原さんたら上手いんだから」
自分の正当な評価に“ヒラヒラ”と手を振ってのほほんと笑う姿からは想像がつかないが彼は一度事態が起きた後はどんな現場でも冷静沈着だ。慌てず、ただあるがままを聞いて最善な対処を叩き出す。トラブルが起きた時はまるでそうなると分かっていたかのように完璧にフォローしてくれるのだ。そのため、唯のことを“裏方の神”と崇める新人達も多い。
“お願いします!暗殺依頼の時は古坂さんと一緒にして下さい”
そう真顔で唯の工作を依頼する暗殺者も相模原では後を立たないぐらいだ。そんな状況にも関わらず、本人は至って自分に才能がないと思い込んでいる。つい先日も味方を誤射撃したのがよほどショックだったらしく…。
「暗殺者に向いてないので転職しようと思います」
…と言い出した。本人は自身に暗殺技術がないことが悔しいらしく転職を願い出る始末だ。
“暗殺は出来ても人とのコミュニケーションが苦手な奴が多いから誰とでも訳隔てなく話せる能力は必須なんだけどな”
唯の転職活動報告を聞き流しながらいつもの定位置についた宮原は嘆息する。
“お前には才能があると言っても流されるしな”
真顔で真剣に言ったのに自分の才能に気づかない少年は“またまた”と流してしまうのだ。実際、唯から転職の意向を示された時に目を見開いて呻いたのは自分だけではない。
“俺の責任か…”
唯の提出した退所届けを前に相模原支社の所長で唯の才能を見抜いて引き抜いてきた所長はこの世の終わりのような顔さえしていた。そんな顔をするなら最初から唯を現場に出すなと言いたいぐらいだ。自分のパソコンを開いて電源を入れながら宮原はため息を吐く。
“どうしたら転職する気満々の古坂を引き留められるかだな…”
目の前で嬉々として普通自動車運転免許を持つ自分がいかに“物流業界”に必要とされているかを画面に向かいながら自分に話しかける唯に宮原は遠い目をする。
“頼むから転職しないでくれ!”
それが相模原支社の切なる願いだった。
いつもお読み頂きましてありがとうございます。誤字・脱字がありましたら申し訳ありません。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです❗