絵画泥棒
あのついていない一日から何ヶ月かが過ぎた。
メリッサの機嫌もすっかりいつもどおりに戻り、リリィとも以前と同じように仕事をしていた。ランチに行ったり、会社の愚痴を言い合いながら。
リリィは忘れかけていた。役立たずと言われたあの時の気持を。
だが、ふとしたときに思い出すのだ。
ナナに言われたあの“リリィは可哀想”という言葉。
リリィはその言葉が不思議でたまらなかった。
あれからナナはリリィの家を訪れてはいない。
仕事が終わり、ビルから出て、メリッサと別れ、地下鉄にいつもは向かうリリィだったが、なぜか今日は帰りたい気分にならなかった。
ウォーキンシティの中心部に戻り、適当に見つけたカフェで夕飯を食べ、街を散策した。
ぼおっと歩くリリィの目に“クレイラントの夕焼け世界初公開”という文字が目に飛び込んできた。
いつの間にかあのお屋敷のような美術館の前まで来ていたのだ。
(そういえば明日だったわね)
リリィは近くにあった自販機でホットコーヒーを買うと、横断幕の下にあるふたつの銅像に挟まれた大きな階段に腰掛けコーヒーをすすった。
「この世界であの絵に魅了されない人間はいない・・・か。一体どんな絵なんだろう」
そのとき背後で大きな爆発のような音が聞こえた。
「何!?」
驚いてリリィは立ち上がり、後ろを振り返ったが、建物に変化はない。
だが、また爆発音のようなものは聞こえた。
「裏口だわ」
裏口に向かうリリィの耳に防犯ベルの音が響き渡った。
思わず耳を抑えた。
(すごい音)
その音はリリィをその場に膝まずかせた。
そしてまた爆発音が聞こえたかと思うと、建物の屋根から黒い物体が飛び出した。
一瞬それは鳥かとリリィは思った、だがそれはほんの一瞬そう思っただけで、よく見れば人の形をしていた。
しかも、その人の形をしたものは手に大きなキャンバスを持っていた。
リリィはしばらくその姿を見つめていたが、それが泥棒であることをやっと意識した。
(絵が盗まれた)
リリィはその姿に向かって泥棒と反射的に叫ぼうとしていた。
だが、泥棒の名前をリリィは知っていた。
だから、名前でちゃんと泥棒に向かって叫ぶことができた。
「ナナ!」
大音量で響き渡る防犯ベルの音の中、リリィの叫び声が屋根の上にいるナナに聞こえるはずがない。
だが、ナナはリリィを見て笑ったのだ。
そして、ふわりと飛び上がり、別の屋根に飛び移りそのまま夜の街へ溶けていった。