16話 曇天
火曜日。
今日は一日中雨が降っていたことを覚えておこう。
傘を持っていくのを忘れた、自然に対する理不尽でどうしようもない嫌がらせを記憶の隅々まで刻もうと思って。
「……さて、このままどうしようか」
ノートパソコンの画面に睨み付ける新藤弥彦は腕を組んで思案を巡らせていた。
登校する朝は紛れもなく快晴だった。
太陽の日差しはほのかに暖かみを増して、当たり障りのない穏やかな天気は絶対に崩れないと思っていたのに。
昼下がりの頃に曇天の空が広がり、ガラス越しの窓からでも確認できる小さな水滴は勝手に滴り止む気配はない。麗らかな春の季節に訪れる嵐の前の静けさは内心不気味と感じていた。
この心境がまさしく予期せぬ事態に勘付く危機察知の気配なのかもしれない。
早速下校しようとしたところで自然と傘を忘れてしまった。
これでは家に帰れない。
「ずぶ濡れになりながら帰りたくはないな。普通」
風邪を引きたくない弥彦は恋路部で籠城中。
雨が止むまでに部室で待機することにした。部活動に加担しない学生の大半は傘を差しているが、そうではない者は今後の体調を気にせずに仲間と談笑している。ああいう奴に限って風邪を引くパターンであろう。
対して部活をする学生達は工夫を凝らし校舎で技術を磨きあげているのに。
図書室では勉強や読書をする生徒は大勢いるのに。
学校に居残るだけでもそれなりの価値は掘り下げることで見付けられる。耳を澄ませば、掛け声を上げる誰かの声が木霊する。放課後になろうが天気が崩れようがやることは変わらない。
弥彦もその一人だろう。
「それにしても、退屈過ぎる。パソコンでもするか……」
部活の概念があろうとも本題である依頼人が来なければ全く意味がない。
何かしらの使命かなければ帰宅部と同じだった。
ちなみに恋路部によく来る客人の相澤契は来ない。
というか既に下校している模様。
下校を断念した弥彦は部室に向かうと指定された所に契は着席していて、
『今日は友達と予定があるから、彦くん。私は先に帰るね』
「……黙って帰ればいいのに。何しにきた相澤」
手を小さく振る彼女を見届けながら会話が呆気なく終わった。
単に傘を持っているからまだしも、雰囲気を読んでいそうな遠慮した態度には完璧に敗北を味わった感覚がして、募りに募った猜疑心は外の世界が晴れない限り拭き切れることはない。
という訳でこの部室に彼女は来ない。
ついでに依頼人でさえ気配さえしないのだから、弥彦は素直に納得するだけ。
「あーあ、傘を忘れるんじゃなかった。けれど、何処に置いたのやら……」
今更後悔しても遅い。
身に覚えのない過ちに疑問を抱こうが時間の無駄。雨が止むまでの暇を潰す努力を傾けなければ、もしも依頼の時に限って、本来の実力を思う存分に発揮できないのは恋路部の部長として致命的な問題なので。
弥彦はこの現状で出来ることをする。
「まあ、いいや。どうせ雨は止むだろう」
窓ガラスに降り付ける水滴が増えていく。それを無視して時間の経過のままにメガネを掛けた弥彦は何かしら操作してノートパソコンの画面を睨み続ける。
事前に買っておいたお茶のペットボトルを口元に運ばせようとしたその途端に。
見覚えのある客人が現れた。
「おや? 既に帰宅していたと思っていたが、意外と忠実なんだな」
「一様? 義務ですから」
恋愛に迷える子羊に手を差し伸ばすための救済処置、恋路部の顧問でもある秦村吉報が戸を開けてこの部室にやって来たのだ。感情の起伏を失せるような態度と相変わらずノックをしない無礼な現れ様である。
「というか、何しに来たんですか。暇潰しですかね」
「仕事に決まってんだろ仕事」
少し強めの言葉が飛ぶ。それでも行き場を無くし何処かへ消えていく。
顔色変えずに辺りを見渡す秦村先生は自由に述べる。
「フッ、相変わらず典型的な殺風景だな」
「……うるさいな」
鼻で笑われるが正論である。言い返す言葉が弱いのは事実だ。
隅に聳え立つ机の摩天楼しか取り柄のない部室。中央に佇む机と椅子が物寂しさを醸し出しているだけ。
唯一張り合えるノートパソコン。ただし、持参した物なのである意味無効。
これでは各高校にある文芸部に過ぎない。
「別に、恋愛に関する依頼について外見を拘る必要が……」
「そうか? 俺は外見に拘る人間だ。シンプルな景観であっても、統一しているものは何処か物足りなさがある訳で。即視感が人の気分を損ねると思うぞ。何清掃は整っているんだ。改装でもしたらどうだ?」
「どこにその予算が浮かび上がるものですかね」
心してため息を吐く。ため息しか吐けなかった。
数を必要としない文芸部に予算なんてあるのだろう。絶望的に懐が寂しい。たとえ予算があってもジンバブエドルと同等に過ぎないため致命傷だったりする。よく紙飛行機にして飛ばしていたのを思い出す。
「大体、ロクに部活らしさなど皆無なんですけど」
「いいや、お前には気付いてないようだが、相澤の依頼はとうに済まされており、茅月理世の件についても解決の方向を示していた。十分に部活らしさの機能は働いている。これらの功績は全てお前がやって退けたものだぞ」
「それでも納得した結果には至らなかったと、自分は思います」
「ははは、この世界に完璧なものは存在しない。それぐらい知ってるだろう?」
「ええ。次こそは必ず、より良く成功させてやると臨むだけですよ」
最初から定められたレールを素直に乗るつもりは断じて有り得ない。
希少価値のあるビスクドールのような眺めるだけの無機質な生き方を否定する。
人間は、何かしらの意味を求める生き物なのだから。
成し遂げる意味を欠けた役者を埋めるための数合わせを、弥彦はただ単に選ばれたに過ぎない。青春を折る者として、依頼を解決するためには正義と悪の両方を振るう中庸の立場が必要だった。
一体何が正しいのか、それを理解させる真実の答えとやらを。
「……実に野心的だな。お前」
呆れて笑う秦村先生。肩を竦めて可笑しげに反応を返す。
自分の席から微動だにしない弥彦を見て、とある要件を提供してきた。
「しかし、お前が望む結果には至らないだろう。何せ殺風景な部室では依頼に来る重要な客人が来なくなる。それはつまり実現出来ないことになる。部室の意味がなければ、廃部の検討を視野にいれないとな。生徒会の連中が入れ知恵してきた」
「要は歓迎されてないって事か……」
校内の最高組織にして全ての学生の権利を管轄する生徒会。
規則や風紀には厳しい姿勢を取る生徒会は意味不明に創設された恋路部を良いとしてない上に敵対していると見た。流石に文芸部と感付かれたのだろうか。
いいや、恋愛撲滅部として認知すれば事なき終えるものだがそれはきっと違う。
彼らの狙いは利害の問題だ。
「なるほど。非常に分かりやすい戦略の持ち主のようで」
「……それは、どういう意味なんだ?」
顎に手を触れる弥彦は唐突に目の色を変える。瞬きを繰り返しながら思考を整理させていく。そうして導いた解答は相手の策略を沿うようにして利用するだけ。
静かにノートパソコンを閉じた弥彦は壁に背を預ける秦村先生の方へ振り向く。
そしてメガネを外す少年は淡々と答えるだけだった。
「簡単な仕事ですよ。直接生徒会に宣戦布告を仕掛けます」
「嘘だろ。お前って奴は……」
舌打ち混じりの笑い声が部室に響く中、恋路部の部長は始動する。




