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守るべきもの

人にはそれぞれ守りたいものがある。

それは自分だけの想い。

でも、大切な人の意志が加われば、「守りたいもの」から「守るべきもの」へ。

誰にも触れさせたくない記憶や信念は、

時に窮屈でも、人を強くする。

 


 小鳥のさえずりが聞こえる。窓から少しだけ覗くことができる枝の先には、桜の蕾が今にでも咲きそうな様子だ。

「春・・・」

 私――阪東美嬉はベッドの上で小さく呟く。

 そう、もう春だ。

冬の間眠っていた命が、温かい世界を迎えるため、姿を現し、それはそれは華やかな外観をつくりだす。風に吹かれた桜の花びらが舞う中を、蝶は華麗に踊り狂い、花々は艶やかな輝きと香りを放ち、枝先には小さな鳥がチョコンと首をかしげている。

一般の人たちはそれを干渉し、どこか開放感を覚え、心機一転事を始めようと心が清らかになるだろう。でも、私は違う。私はただ、ここでこうやって・・・。

扉が開くときに生じる摩擦音が耳に入った。やがて私の元へ足音が聞こえる。私は思わず身体を起こした。

「衛、来てくれたんだ」

「ああ、最近忙しくて来れなかったから」

 彼は藤崎衛。私の大切な人。衛は持ってきた花束を末来のベッドの隣にあるデスクに飾ると、ふう、と言って椅子に座った。

「ごめんね。最近お見舞い来れてなくて」

「ううん。大丈夫。まあ、ちょっと寂しかったけど」

「ハハハ、全く素直だな。調子はどう?」

「うん。調子いい感じ」

「そっか。元気そうでよかった」

 衛はいつもこうやって励ましてくれる。些細な気持ちの変化にもちゃんと気付いてくれて、ホントに私は精神的にも助かっていた。

 現在、私も衛も同じ地元の中学校に通う中学三年生。小学校の頃から仲良く遊んでいた私と衛は、小学校六年生の頃から付き合う関係になった。昔からお互いのことを把握していることが功を奏したのか、今まで大した喧嘩もなく、関係を継続できていた。

 私はただそれだけで幸せだった。それなのに・・・。

 

事件は中二の秋ごろに突然私を襲った。いつものように登校し、授業を受けていたときだ。急に手先が震え始めたのだ。麻痺と言った方が状態は恐ろしく伝わるだろう。結局その日、部活は休んだ。家に帰ってからもその症状は依然として続いていた。母親にそのことを打ち明けると、すぐさま病院に行こうと言った。そして・・・。

「脊髄小脳変性症です」

 医者からの言葉を聞いたとき、私は目の前が真っ白になった。そのとき隣で嘆いている母親の声も全く耳に入ってこなかった。

 ドラマで見たことがあった。脊髄小脳変性症を患う少女が主人公の物語を読んだことがあった。非常に感動したことを身を持って覚えているが、まさか自分が同じ病気を患うことになるとは文字通り夢にも思わなかった。

 その後から私の病態は下り坂。悪化の一途を辿り、今となっては病室に籠りっきりの生活を強いられることになった。

 母親は直に言わないでくれているが、私は察していた。私の残りの命はそう遠くない未来に終焉を迎えることを。今となってはもう絶望を通り越して、何故か晴々した気分になった。死を間近に迎えると、人間は心が晴れるらしい。これも天国への第一歩かと思うと、苦笑しかできなかった。

 そんな投げ槍にも似た感情から一転させてくれたのは、紛れもない衛の存在あってのことだった。当時、衛は私の異変に気付いていた。そこで、恐る恐る衛に病名を伝えた。彼は何も言わなかった。驚いているのか、動揺しているのか、あるいは両方かもしれないが、衛はずっと黙っていた。やがて発した言葉は「そっか・・・」と一言。

 私が病室に閉じ籠ってからも、衛は毎日のように顔を出してくれて、毎日のように私の話し相手になってくれて、毎日のように私と笑ってくれた。

そして、毎日のようにこう言ってくれた。

「俺はいつか絶対に医者になる。俺がおまえを助けるまで絶対に死ぬなよ。俺が『守る』から」

 衛がそう言ってくれる度に、私は心を動かされ、大いなる感謝を抱いていた。

――俺が守るから。

 衛の真摯な眼差しがその言葉の熱意を物語っていた。


「それでさ、山田の奴、急に笑い出してさ。ほんと、何考えてるか分んねえよ」

「まあ、山田らしいね」

 私も同意を示す。

「あら、衛君。こんばんは」

「あ、おばさん、こんばんは」

 私のお母さんが病室に入って来た。どうやら仕事が終わったらしい。

「いつもいつもごめんね。面倒見てもらって。・・・あ、お邪魔だったかしら?」

 冗談のようにものを言う。今年四十五を迎えるけど、まだまだこれから、の元気っぷりだった。

「そんなことありません。俺も、そろそろ失礼しようかと」

「あら、そうなの?じゃあ、ありがとね」

「ええ、また来ます」

 衛は私の顔に視線を移動させた。そして、私のそばに歩み寄りしゃがみこんで、澄んだ瞳を向けてくる。

「今日も元気に過ごせてよかったね。何かあったら、俺が守るから」

「・・・うん」

 衛はもう一度笑ってみせると、じゃあね、と別れを告げ、病室から去っていった。

「ほんとに、いい男の子ね、衛君」

「うん。当ったり前でしょ。私のことを本気で想ってくれて、考えてくれて、好きでいてくれて・・・私、衛がいなかったらここまで強く生きられなかったと思う」

 窓の外を見ると、もう陽はどっぷり暮れていて、闇に包まれていた。

衛がいなかったら・・・ここまで強く生きられなかった。自分で言った言葉をもう一度心の中で呟き、そして眼をつぶる。そのまま意識は遠のいた。


 衛は本当に毎日のように来てくれた。

 その度にいろいろな話をしてくれ、その度に私の話を聞いてくれた。そんな日々に、私は小さな温もりと大きな幸せを密かに感じていた。時に、自分が患者であることを忘れることもある。一中学生として衛と向き合ってきた。

でも、彼がいなくなると・・・。自分が残り僅かな命を持つ身であることを思い返される。自分の立場を悔やんでも悔やみきれなかった。いつ絶命するのか、それに脅かされる夜を毎回過ごしていた。

そのときは・・・来てしまった。

 今日は土曜日。衛は昼過ぎから見舞いに来てくれた。いつものように面白い話で私たちは盛り上がっていた。

「やべ、飲みすぎちゃったかな。トイレ行ってくる」

 衛はさっきまで、病院内の自販機で買ったと思われるペットボトルのコーラをがぶ飲みしていた。尿意を感じたのだろう。病室を抜け出す。

「・・・衛らしい」

 ちょっと抜けてるところがある衛。そんな衛が将来医者になれるのかな。彼の白衣姿を浮かべる。クスリ、私は笑った。

「・・・!」

 瞬間的に胸の奥が強い力で締め付けられる感じがした。呼吸が荒くなる。

 そのとき私は全てを諦めていた。


       *


 俺は扉を開けながら文句を言う。

「あそこの便器、水がずっと流れて・・・」

 俺は目の前の光景に咄嗟に体が動く。

「おい!美嬉!大丈夫か、おい!美嬉!」

 美嬉は、ハア、ハア、と荒い呼吸をしている。これは尋常ではない、俺はそう悟った。衝動的にナースコールに手が伸びる。甲高い音がする。これで美嬉の異常が伝わっただろう。

「・・・まも、る」

「おい、大丈夫か!美嬉!」

「今まで・・・あ、あり・・・ありがと」

「美嬉・・・」

 俺の眼から溢れた液体は頬を伝い、かけ布団の上に落ちる。

 まもなくして白衣を着た女性、そして後から主治医の先生が姿を現す。

 俺はひたすら「美嬉を助けてください!」と連呼していた。落ち着いて、と制されるが、俺はその声を止めなかった。

――美嬉!


 あれから何度目の春だろう。

 既に遠い過去のことを墓の前で思い出していた。合掌を終え、しばらく俺は静止していた。

 あの日、美嬉は数時間後に息を引き取った。俺はその夜、泣き崩れた。このまま死んでしまいたい、それも考えた。でも・・・。

――生きねば。

 俺に生きる勇気を与えたのは、紛れもなく美嬉だった。彼女は遺書を書いていたのだ。気付かなかったが、机の引き出しにしまってあったらしい。その文書を読み、俺は美嬉の分まで生きることを志した。


 これを衛が読んでいると言うことは、衛は私を守れなかったということです。

 罰として、一つお願いがあります。

 将来、できるだけ多くの人を救ってください。

 将来、衛が医者になって、多くの患者を救っている姿をいつでも見ています。

 あ、それと。

 今までありがとう。

 私のことを愛してくれてありがとう。

                                  美嬉


この遺書を何度も何度も読み返した。そのうちにだんだんと「生」という奇跡に感動を覚えるようになっていく。

「そうか、俺にはやらなければならないことがある」


「藤崎先生」

 病院の廊下を歩いていると、後ろから声がする。

「ああ、山本先生」

「先生、南ちゃんが昨日から、何か心閉ざしていて」

 南ちゃんとは四肢失調の障害のある中学生だ。山本先生はその南ちゃんのカウンセリングをしていた。

「分った。先行っててくれ。すぐ追いつく」

 用を済ませ、すぐさま南ちゃんの病室へと駆けこむ。中には、南ちゃん、そして先ほどの山本先生が晴れない表情でしゃがんでいた。

「藤崎先生・・・」

「南ちゃん」

 俺は南ちゃんの元へ歩みよると、しゃがんで見上げる姿勢をとる。


 俺は美嬉の命を守れなかった。

 俺は決めたんだ。

 美嬉と共に過ごした記憶、そして感じ合っていた愛を永遠に脳に刻み込むことを。

 そして、二度と辛い思いをさせないように、多くの人を助けることを。

 それが美嬉を逝かせてしまった罪滅ぼしになってほしい。


「南ちゃん、大丈夫。先生が守るから」

                                    END



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