嵐山 1
「嵐山にいくの?」
「うん。栄子さんが行きたいんやって。」
「バイク?」
「遠いから電車で行くわ。」
「駅までおくろっか?」
「何時に帰ってくるかわからへんから自転車でいくわ」
上島の母親は最近息子が明るくなったような気がしていた。一人息子ということもあり助けになることに対しては惜しむことがなかった。
「栄子さんみてみたいなー」
「また今度ね」
上島はそっけなく答えて玄関のドアを開けた。
「いってらっしゃい」
外にはバイクが停めてあったが、今日は自転車に乗って駅まで向かった。寒さが厳しい日々になってきた。
「寒いなー」
上島は自転車をこぎながらつぶやいた。もう半年以上は電車に乗っていなかった。福寺が嵐山にいきたいと言ってきた。一応地図で嵐山の場所を確認した。この距離と寒さの中をバイクで行くのは困難だと判断した。福寺は当然のように電車で行くと思っていた。上島も断ることはできず、電車で行くことを決めた。駅に行く時はいつも同じ道を通っている。桜並木はまだ色づくことなく連なっていた。春になればみんな写真をとるのだが、今は誰も見向きもせずにその下をいききしていた。
自転車を駐輪場に停めて上島は電車に乗った。盗撮犯にされそうになった日からこの電車は乗っていなかった。休日ということで人はまだ少なかった。人の視線が気になるので、ドアにもたれ外を見ていた。
(もう大丈夫かも…)
上島は電車に乗る事を避けてきたが今は問題なかった。鶴橋で乗り換えて京橋で福寺と待ち合わせ、そして二人でそこから嵐山に行く予定にしていた。
上島は福寺に「そろそろ鶴橋につくわ」 とメールを送った。電車は定刻通り鶴橋に到着しようとしていた。上島がいる反対側のドアが開く事がアナウンスされた。
(反対か…)
上島はふりむきドアを背にして到着を待った。その時ずっとこっちを見ている女性の視線があった。上島は何気なくその視線の先の女性を見た。白のコートを着た30代ぐらいの女性だった。
(あっ!!)
思わず後ろを向いた。自分を盗撮犯にしようとした女性のような気がした。上島はガラス越しに映る女性を見た。揃えた前髪の下の目線がずっとこっちを向いていた。上島は恐怖を覚えた。
(絶対にそうだ…)
迷惑を被ったのは自分だったがその時の事を問いただす勇気はなかった。鶴橋のホームが車窓から見えた。
(まだ見てる…)
電車は鶴橋駅に到着した。反対側のドアが開いた。たくさんの人がおりだした。
(早く降りろ!)
上島は先に女性がホームに降りるのを待った。ホームで叫ばれたらこの前と同じ状況になってしまうと想像した。しかし女性は動こうとしないでこっちを見ていた。
「ドアが閉まりまーす。ご注意下さい。」
車内にアナウンスが流れた。
(やばいっ)
上島は焦ったが動けなかった。ガチャン ドアが閉まり電車は動きだした。ほとんどの人が鶴橋で下車した為、車内はがらがらになっていた。次の終点上本町は鶴橋から距離が近く数分で到着する区間だった。
(もうすぐ駅だ)
一緒には降りたくなかったので上島は別の車両に移ろうとした。するとガラスに映る女性が自分の方に近づいてくるのが分かった。振り返った上島はドアを背にして女性と向かいあった。その距離はかなり近かった。
「こないだはすいませんでした。」
女性はまえぶれもなく謝ってきた。目が大きく開いたままだった。その視線はずっと上島の目をみていた。上島はまばたきもせずに一点を見続ける女性にますます恐怖を覚えた。
「な…なんの事ですか?」
上島は知らないふりをした。
「あの日からずっとあやまらなけばならないと思ってたのです。」
「すいません、ちょっとわからないんですが。」
「いえ、私の気持ちがおさまらないので…」
上島は知らないふりを続けたが女性は聞く耳をもたなかった。
女性は上島と同じ電車によく乗っていた。どこで乗車して下車することぐらいは分かっていた。
(私を見て!!)
上島に視線を頻繁にむけたり、時には隣にわざといったりもしたが、上島は気づいていないのか全く相手にしてくれなかった。日がたつにつれ女性は憤りを募らせてきた。完全に無視されているようで、自分のプライドがゆるさなくなった。携帯を見ていた上島の前を歩く機会がきた時、今まで溜め込んできた怒りが爆発した。上島を盗撮犯にするという暴挙にでた。冷静になって考えると何故あんな行動にでたのか自分でもわからなかった。その後、自分が加害者として逮捕されないか心配になってきた。しかし数日過ぎても何の音沙汰もなかったので普段の生活に戻った。再び電車に乗り出したが上島と会うことはなかった。もう会う事はないと決めつけていたが、上島が電車に乗ってきた時には驚いた。
(これは運命!!)
再び心が燃えだした。この後の予定など、どうでもよくなった。声をかけて何とか引き留めようと考えた。お詫びのしるしとして何か物を買ってあげるのもわるくないと思った。上島に対する執着心は半端なく強かった。
「こないだのお詫びとして何かさせて下さい。」
女は上島に迫った。
「いや、いいですよ!!」
上島は断った。
「上本町に百貨店があるでしょ。そこで何か選んでいただいてもいいです」
上島はこの女性の考え方や言動が理解できなかった。
「僕も予定があるので無理ですよ」
「お願いします」
上島は断り続けたが、女性はなかなか諦めなかった。電車は上本町駅に到着した。
(反対側か!!)
反対側のドアが開いた。
「すいません、いかなけばならないので」
上島は降りようと一歩進んだ。
「あ…あー待って、待って」
女は焦るように持っていた鞄の中に右手を入れた。そして何かをごそごそと探しだした。上島はその女性の右手を見た。
(何を探してるんだ)
一瞬キラッと何か反射した。
(ナイフ!?刺される!!)
上島は瞬時に逃げなければと本能が働いた。女は上島が行ってしまうのを止めようと前をふさいだ。上島は女の横をすり抜けようとしたが体が半分ぶつかった。ぶつかった女はふらつきしりもちをついた。その時、女が手にした携帯が地面に落ちた。
上島は女がこけたは分かったが電車から飛び出てホームを走った。しりもちをついた女性は唖然としたがすぐに起き上がった。そしてシルバーに装飾した携帯を拾った。傷がないかを確認した後、電車からおりて上島を探した。その時上島はホームのかなり先まで走っていた。
「待ってー!!待ちなさい!!」
女はホームで叫んだ。他の人が自分を見てるが回りの状況など関係なかった。女は叫んだが追いかけることはなかった。上島は階段をおりて見えなくなった。
「どうしました?」
駅員が声を聞いて駆けつけた。
「何でもないです。」
女は毅然とした態度になり歩きだした。
(また叫んでる!!)
上島は女の声が聞こえていた。駅員に捕まったら終わりだ。また警察を呼ばれる。忘れたい過去の記憶がよみがえってくるようだった。階段を降りた先は別路線の難波三宮行きの専用ホームだった。とにかく降りてきた階段から離れて女が来ないか見ることにした。
(早く電車来てくれ!!)
上島は祈った。あと数分は電車がくる予定はなかった。もし降りてきたらこの先の階段から逃げようと計画した。もう来てもおかしくない時間は経過したが女は来なかった。難波三宮行きの電車が到着した。車内には人が多かった。上島は奥のドアの前に立ち茫然とした。反対側には鶴橋奈良行きの電車も停車していた。その電車にさっきの女性が座っているのを上島は見つけた。その姿は力が抜け放心状態だった。女性は顔をあげずに下を向いていたので、向かいの電車に乗ってる上島に気づくことはなかった。お互いの電車はそれぞれの目的地に動きだした。この車両に乗ってない事がわかり上島は安堵した。
(栄子さんに電話しないと…)
上島は携帯をとりだし確認した。冬の厚着の中で走った事と電車の暖房により額から汗が流れた。上島はハンカチで汗を拭った。大阪城公園駅を出た時にメールしてほしいと返信があった。
「ごめん、地下鉄で梅田に行くからJR大阪駅の改札の外で待ち合わせにして」
上島は福寺にメールを送った。
しばらくすると「分かったー。どうしたの?」という返信がきた。上島はそう聞かれることは予想できた。メールでどう打とうか悩んだが直接説明する事にした。難波で乗り換え地下鉄御堂筋線で梅田に向かった。まだ1日が始まったばかりなのにかなり疲労した。福寺からは大阪駅に着いたというメールが届いた。
(もう、着いたのかー)
梅田に到着した上島はJR大阪駅まで再度走った。変更した待ち合わせ場所に福寺は立っていた。
「ごめん、お待たせ」「いいよ。行こっかー。」
その優しい笑顔に上島は救われる思いだった。




