第2章 反省(Ⅲ)
「死にたい……」
ベランダで夜風を浴びながら、私はそう呟いた。
大都会とまではいわないが、ビルの明かりがちらほら見える。草木も眠る丑三つ時とは言うものの、そよ風でなびく様子から、眠りなど必要ないと主張しているようだった。
私はコップに注いできた、牛乳を飲む。
「って、もう死んでるか……」
自嘲する。
……かなめちゃんは、もう眠っている。こんな時間に起きている人なんて、この施設では私しかいないだろう。睡眠を必要としない。かなめちゃんの肉体を操って活動しているが……なに、睡眠で大事なのは脳の休息であるらしい。それが保たれている以上、かなめちゃんの睡眠を妨害しているといったことはまったくない。
「けど、なぁ……」
睡眠妨害なんか比べ物にならないくらい――かなめちゃんの人生を妨害してしまった。
「…………」
友くんに詰問されて、ああいう風に答えてしまったが……結局、良かったのだろうか? もちろんあんなのはその場しのぎだ。本心でもなんでもなく、ただ既成事実を作ろうとしているだけ。
かなめちゃんには、本当に悪いことをしたと思っている。
でも……不思議なことが、ないとは言わない。
「どうして……この子が、発言を撤回しないのか」
やわらかい頬を撫でつつ、私は言う。
自分の意にそぐわない発言だとしたら、取り消しても何の問題もないのに。一貫性のないと言われようとも、トートロ――あの化け物を倒そうというのだ。戦闘の必要はないと言っても、積極的に参加しようという話じゃない。とくにこの子は、まったくと言っていいほど発言をしない子だったはずだ。
……撤回の発言もできないほど、小心者ということだろうか?
「……積極的、なわけないしね」
あの子は、何かに積極的になれるような子じゃない。これまでそんなことをしてきた記憶はなかった。感情は読み取れないが、そんなことくらいは察することができる。
「……はぁ」
牛乳を飲み干し、私はため息を吐く。
夜風はいつもの通り吹いている。暗さが肌を撫でる。冬と言うわけではないので吐息が白くなることはないけれど。
「……どうして」
どうして、あんなことを言ったのだろう。
かなめちゃんがそれを撤回するかどうか、というのはまたともかくとして――どうして、どうして私は、あそこで手を挙げてしまったのだろう。
化け物を倒したいだなんて、言ってしまったのだろう。
……私は、変化することが嫌いだ。
ただの日常が、ただの平穏がゆがんでしまうこと、それが心の底から許せない。普通に、普通に生きていたい。それだけが、私の願いなのだ。
……あいつも、あいつも、こいつも……私に変化することばかり求めてきやがって。あいつらのために頑張ってやったのに、頑張って変化したのに、それすら足りないと、まだまだ変われと言うのだから、始末に負えない。これ以上変わったところで何になる? 生きている間変わり続けなければいけないなんて、本当に腹が立つ。だから、だから……自殺をしたのに。
自殺なんて最悪だ。そのことくらいわかっている。
でも、そうでもしなきゃ……逃げることなんてできない。
でも、逃げた先にも。
「……変わりたく、ないなぁ」
変わる。
もう、うんざりだ。
私は目をつむる。
眠らなくていいというものの、眠気のような、だるさのようなものが体を支配する。
もう一度、ため息を吐く。
……いや、違うな。
私は、空を仰ぎ、目を開ける。
これは、最後なのだ。
私の人生の、最後の変化。
変わることを認めたくない――そんな私に与えられた、最後の試練。
絶対に変わらずに、すべてを変える。
あの化け物を倒す――否、殺す。
あの化け物を殺して、私も殺す。
月を睨みつける。
それで、いいんだろう。
「やだなぁ……もう。こんなの」
……ああ、もう嫌だ。意気込んだはいいものの、まったくもって力が湧かない。
終わりにしてくれ。うんざりだ。
気が抜けたせいか、コップを滑り落としそうになる。
「……まあ」
私自身がどうこうしようというわけではない。かなめちゃんに押し付けただけの責任は取るつもりだけれど、それ以外はどうでもいい。私自身が変わる必要はないのだから。
私はただ……歯車を押してやるだけ。詰まってしまった歯車に、ちょっとした衝撃を与えるだけでいい。
そのためだけに、私は行こう。
「…………」
ただ、少し、思うことがないわけではない。
かなめちゃんのことでもなく、私のことでもなく――友くんのこと。
彼に使命感を与えてしまったのは、私の望んでいたことではない。かなめちゃんの兄として、自分も化け物退治に参加しなければならない。そのことくらい考えておくべきだった。
変わることは嫌いだ。誰かに変化を強いるのも、嫌いだ。
……どうして、やっぱり、どうして。
どうして私は、あそこで手を挙げたのだろう。
……さっきから、同じ話ばかり繰り返している。
まったく同じだ。
私のプライドが、私のやったことに矛盾する。さっきからこの矛盾が解決できない。
矛盾のまま。解決できない。
ああ……面倒だ。
「……さっさとしろよ、ヨシミツサトリ……」
夜空に背を向け、部屋に戻る。
寝よう。
どうせ、なにもしなくても……時間が解決する問題なのだから。