第2章 反省(Ⅰ)
水滴が体に降り注ぐのを気持ちいいと感じるのは、その肉体の持ち主だけではなく、発現し得ない中にいる人格も同様である。感覚器官を共有し、その情報密度が変化することはないということなのか。
なんにせよ、気分転換にはなる。純粋に、肉体的快楽で。
しかし、精神的にはどうしても悔やまずにはいられなかった。
悔やむ――そう。後悔している。あのとき、あの男――龍人だか言ったか、いや漢字が違うかもしれない――の言葉に、何の思慮も躊躇もなく手を挙げてしまったことを。
軽率な行動であった。
自分を恥じる。
生暖かいしシャワーを後頭部に当てながら……ため息をつく。
これも過剰干渉。
本来、この子の人生はこの子が決めるもの――私が決めていいものじゃない。それなのに、私のただのわがままで……かなめちゃんの人生が、かなり変わってしまった。
化け物――トートロを殺す。
そんな危険なことに、巻き込むはずじゃなかったのに。
私が倒したいというだけで――かなめちゃんの意志では、なかったのだ。
「…………」
女子小学生。
その裸姿が、流水に包まれる。
なるほど……きれいな体をしている。真っ白で、弾力のある肌。人形みたいでありながら、生命の鼓動を感じる、そんな肌。それはただ単に幼いからということだろう。付け加えるなら、精神的な幼さも関係しているのかもしれない……いや、その関係を断定するには、この理屈は強引すぎる。
温室育ち。
……体の主をどう思っているんだ。
生まれ変われるなら、人間ではないものがいいと思っていた。でもまあ、生まれ変われるなら健全な肉体を持っていたいとは思っていた。かなめちゃんみたいな、きれいな肌。
弾力のある、生命の肌。
桃色の、健康そのものの肌。
――足に痛々しく刻まれている、手術痕を除けば。
「…………」
ちくりと、心が痛む。
体は、かなめちゃんが動かしている。ボディタオルで、身体が磨かれる。傷跡を避けるように。
……能力。
異能力。
トートロのルールの一つ……『トートロに傷をつけられた人間は、異能力を手にする』だ。異能力だなんて、そんなものあるはずない――と嗤うことはできない。
この子の傷は、この子に、人ならざる力――この世ならざる力が備わっていることを示している。
備わっている、というより――植え付けられている。
この施設には、そんな、トートロに襲われた子供たちが多くいるようだ――私のきいた限り。あの龍斗(漢字は教わった)という人も、それが狙いだ。
つまり、トートロを倒すために、異能力が欲しい。
異能力バトルだと。
(なーにが異能力バトルだ)
と、心の中で思ってしまう。
私はもう心しかないけれど。
……『情景移植』。
それがかなめちゃんの持つ能力。心象風景を、触れた相手と共有する――能力。
心象風景。というのも奇妙なものだ。そんなものが科学的に存在するものか。確かに、何かを考えるとき、それに付随するなにかしらの風景が思い浮かぶこともある。しかし、そんな類のものではないのだ。
考えていること――そのものが、情景として現れるのだという。
過去のことを考えているのなら、過去の情景が。未来のことを考えているのなら、未来の情景。抽象的なことを考えているのなら――『抽象的なこと』が顕現する。そんな空間。
この子は、それを作り出す能力を持っている。
あまり使いはしないけれど。
そして私も、聞いただけだけれど。
「…………」
はじめのうちは、自分に何が起こったのか、パニックに陥っていたが……今はだいぶましになったようだ。落ち着いている。
能力の発動条件は、まず第一に、対象の人物に直接触れること。そして、能力を発動しようと決心すること。
制御できるという点では、異能力にしては優しいほうだと思う……いや、はじめのころは制御なんてできなかったのだけれど。
誰もはじめは自転車に乗れないのと同じことだ。
今はかなめちゃんの意志で、能力を発動することができる。
ようだ。
「…………」
かなめちゃんの肉体が、浴槽につかる。お湯の温みに体はとても落ち着いているようだが、私の――かずみとしての精神は、別段何も変わらなかった。
(どうして、あんなこと言ったんだろう)
化け物を――倒させてだなんて。
トートロを倒させてだなんて。
(多分、それは――けじめだ)
(あるいは、復讐か)
けじめ――かなめちゃんに、こんなに痛々しい傷を作ったことに対して。
あのとき、化け物は私自身であった――だから、この傷の責任は私にある。その責任を果たすために――化け物、トートロを倒そうじゃないか。
そういうことだろうか。
……復讐、という意味合いのほうが強いのかもしれない。
私は、トートロを憎んでいる。
恨んでいる。
私がビルから飛び降りたとき――本当に死ぬつもりだった。肉体だけでなく、精神も含めて、すべて。私の『私』すべてを殺すつもりだった。
それを――トートロが、邪魔をした。自殺を、邪魔した。
だから――許せない。
あのとき、どんな思いで足を踏み出したのか――それを思うと、より一層憎しみは募る。
(だから――倒す)
化け物を、殺す。
ただただ、憎しみのために。
(だからといって、私の自殺が完成するかどうかは分からない)
倒して――そして、どうするか。
それはまた、別に考えなきゃいけないのか。
(…………)
分からない。
私が、化け物を、トートロを倒す理由は十分にある。強い動機にもなりうる。
しかし――どうして、それを口に出した?
口に出すほど――強い思いではなかった。
今分析しても、そう思う。
私は感情で動くような人間ではないし――決断に他人を巻き込むような人間でもない。はずだ。
あくまでも、トートロを殺したいというのは私個人の考えであって――かなめちゃんがそう表現したことは一度もない。ただの一度だって、誰かに話したり、独り言で言ったこともない。
私の独りよがりな、わがままだ。
そのわがままを――どうしてか、貫いてしまった。
私は死ぬことができればいいだけで――かなめちゃんの人生をどうこうするつもりはなかった。
けれど――変えてしまった。
……かなめちゃんは、どう思っているだろうか。
私には、かなめちゃんの心は分からない。
情景移植を、私の意志で発動することは、できない。あくまでもかなめちゃんの意志に即しているようだ。そして情景移植が発動したとしても――かなめちゃんの心は、わからない。
かなめちゃんが何をどう思っているのか、分からない。
分からない。
分からない……。
そんな自分が、何を考えているのかすら。
心だけになっても、私の心は、分からない。




