第1章 神岸かずみ(Ⅳ)
生きるべきか死ぬべきか。誰が言ったセリフかは不確かであるが、確か劇中の言葉であったからシェイクスピアであろう。その劇中の誰が言ったかとか、そんなことはどうでもいいが、その問いに答えることのできる言葉は恒真命題として名高い『場合による』くらいだろう。とてつもなく応用力の高い言葉ではあるものの、だからと言って何を言ったわけでもない。まさにトリビアルだ。
しかし、そんな『場合による』なんてご高尚なセリフを求めているわけではないだろう。いや実際場合による以外の答えなんて存在しないのだろうけれど、数百年もその問いを受け継いでいる私たちにとって、もう少し深く考えなければいけないだろう。
生きるべきか死ぬべきか――その境界線は、どこにあるのか。
この言葉はその境界線がどこにあるか――いや、その境界線上にいるからこそ発される言葉なのだから。
では、何が境界線か。
『死ぬべき時が死ぬべき時である』という循環論法で答えるというのも、また陳腐なものである。では、具体例に向き合ってみよう。
例えば私、神岸かずみは、死ぬべきであると思ったから、死んだ。そこに何の後悔もない。反省があるとしたら、もう少し確実な死に方を選ぶべきだったのだが……死後に反省ができるとは、これは生きている人にとっては皮肉だな。
しかし、さて――そんなどうでもいい哲学論考はさておいて、さて――だ。
私は死んでいた。
ちゃんと、確実に。
……そんな絶対的な事実が存在するというのに、私の精神は今もこうやって生きている。かなめちゃんの中にちゃんと存在している。
ちゃんと死んで、ちゃんと生きている。
……なんたる矛盾。
オカルト的な思想を加えるならば、これは矛盾でもなんでもないだろうが、普通の、常識的良識的科学的な考え方からすると、肉体が死ねば、精神も死ぬのだ。あいや、精神とは肉体活動の結果だから、肉体活動の停止すなわち死がもたらされれば精神なんて現象が存在するわけもないというわけで。
……だから、非科学的。
あの化け物――呼びにくい。今後『トートロ』と呼ぶことにしよう――トートロは、非科学的としか説明できない。
……それでも、科学者に見つかれば科学的に解釈されるのであろうが――それが科学の進歩というものだ――私は科学者ではないから、どうもしない。
ただし解釈は必要だろう。
……それが、『他人の絶望』か。
私は施設にやってきた、その男の話を、かなめちゃんの耳越しに聞いていた。
いや、まぁ……陳腐と切り捨てるつもりはないけれど、それはそれでなんとも単純だなぁと考えずにはいられない。
なんだそれ。
魔法少女かよ。
……いや、魔法少女に限定する必要はないけれど。
絶望だなんて適当で、それこそ主観的なものが原因だなんて。その人がいかに絶望的状況に追い込まれているとしても、それを感知できなければ絶望なのか? 心が壊れてすべてが楽しくしか思えなくなったら絶望なんてあるのか? どんなに幸せそうな状況でも、甘やかされた人が絶望と思えばそれで絶望なのか? というか絶望って何? 不幸と何か違ったりするの? 長期的に続くかどうか? そんなことどうやって判別すればいいのか……。まあ、などなど。
科学的に考えたところでしょうがない、ということは散々言ってきたことだけれど、そんな曖昧なものであんな非科学が生まれてきたらこの世界は滅茶苦茶だ。
頭を抱える。
こいつ……本当に化け物――トートロを倒す気があるのか?
私はかなめちゃんにそうと気付かれないように額を触った。昼間にしては少し過剰な干渉だったが……いやはや、だ。
私がこう思うのは、ただ単に、私が知っているだけかもしれない。トートロの倒し方を。
トートロの性質を。
トートロの弱点を。
トートロの欠点を。
私は、トートロの中にいるとき、知った。
知ったというか、知らされたというか。
だから、単純な知識量の差なのかもしれない。彼を責めるのは酷なのかもしれない。
にしても、と思わずにはいられない。
そう。
にしても――この人の言うことには、傾聴の価値がある。化け物を倒そうという頭のおかしい発想が――私にはふざけて言っているようには思えなかった。
かなめちゃんの後ろ側で……聞き逃さないように、神経を集中させていた。
彼の言葉、その意図。
ちゃんと理解していた。
ここには――この施設には、化け物……トートロの被害者のみが集まっているという事実。
そして、化け物を――トートロを倒そうという意志。そして、この場所に来た目的。
彼の言葉に、手を挙げよう。
みんな、ぽかんと彼の言葉を聞いている中。
私は、すっ――と、右手を挙げる。
「ぜひ――私に、倒させてください」
花坂かなめではない。神岸かずみとして、決断した。




