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吉光里利の化け物殺し 番外編  作者: 由条仁史
第3部 別れる時に出会う時
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第9章 花坂かなめ(Ⅰ)

 やってしまった。


 ……そう後悔したのは、すべてが終わってからだった。


 もうここに、吉光里利はいない。私の言葉に納得した様子で、目の色を変えて――彼女は、もう帰ってしまった。


 踊り場に残っているのは、私――いや、花坂かなめ、ただ一人だった。


 ただ一人と――意識がもう一つ。


「…………」


 やってしまった。


 私は再度――後悔する。


 今まで、散々決めていたじゃないか――できるかぎりかなめちゃんには迷惑をかけず、できる限り変化を与えることなく、化け物は倒されるべくして殺されるように、と。


 なのに――すべて、破ってしまった。


 私はすべてを、壊してしまった。


 ……なにもしなければ、友くんは死ななかっただろうところを、私のわがままで、殺してしまった。何もしなくても、吉光里利はトートロを倒したであろうところを、私のわがままで、速めてしまった。


 どうしてこんなことをしてしまったんだろう。


 私は、変わることが嫌だったはずなのに……。いや、これもまた、意識の変化ということだろうか? 私もかなりの世界に触れてきた――上も下も、浅きも深きも、高きも低きも。強きも弱きも。そして善も悪も――はずなのに。そのうえで死ぬことを選んだはずなのに――変わらないことを選んだはずなのに。


 それとも――変わらないために、変わることが必要だった――ということだろうか。私がちゃんと死ぬために、吉光里利に忠告することが、必要だったと。


 そういうことだろうか。


 自暴自棄になって、かなめちゃんごと殺そうとして――そこに、良心という名のブレーキが作動し、非常事態だとして、認識を変えたということか。だとすれば、抗いようのないことのように思える……よいか悪いかは、別にして。


 そして、この場合は、もちろん悪いことだった。


 後ろを向き、窓枠に肘をつく。月を見上げる。銀色に輝いて町の風景を照らしている。太陽ほどの明るさはないものの、うっすらとした影を残すには十分だった。


 夜風が気持ちいい。鼻の奥を冷たい風が、つん、と刺激する。

 柔らかい空気が、くすぐるように耳に入る。


 私は、ため息をつく。


 もはや、逃れようがない。言い逃れのしようもない。私がかなめちゃんの肉体を乗っ取って、好きかってやっていたことを――誰にも、知られないようにしていたはずなのに。


 もう、そんな秘密を保つことはできなくなった。


「…………かなめちゃん、起きてる?」


 その言葉を外気に放ち、私は意識を少しだけ引っ込める。

 数秒の沈黙。かなめちゃんは目をつむることもなく、窓の外を見ていた。


「……うん、起きてるよ」


 と、かなめちゃんは答えた。


「……そっか」


 かなめちゃんに、知られてしまった。

 自分が――神岸かずみという人格が、かなめちゃんの中にいることを。肉体の中に、誰か別人の精神が、巣食っていることを。


 と、そこで――ぐら、ぐら、と――視界が揺れた。


「……? ……っ!」


 吐き気がして、慌てて口を押える。


「……う、うっ」


 かなめちゃんが嗚咽を漏らす――吐き気に近い感覚だ。お腹から何かがこみあげてくるような、そんな感覚。


 私も――頭が、痛くなってくる。もう頭なんてないはずなのに。精神の部分が、ぐちゃぐちゃと悲鳴を上げている。


 一人の肉体に、二人の精神――なんてのは、医学の分野では珍しくもないことだろうけれど、一般的に考えればそれは珍しいなんてものではなく、奇怪なものでしかない。奇異なもの。おかしいもの。気持ちの悪いもの。そういった類のものであり――


 花坂かなめは、まさにそういったものである。その、真実。


 気分が悪くなるのも、仕方がない。


「う、あ……ぁ。……ぅ」


 ふら。ふら。


 頭が揺れる。一つの脳を、二つの精神が使っているのだ――キャパオーバーになるのは当然だ。キャパシティの問題ではないとしても、普段使わない部分を使っているのだからしょうがない。私が出てくるときはかなめちゃんはオフ。


 逆にかなめちゃんが起きているときは、私は前に出ないようにしていた。両方が前に出てくることは、できない。


 しかし今は、そんな状態とは、例外であった。


 かなめちゃんが、私のことに気付いてしまった――そのことがある以上、私のことを考えずにはいられない。私のことを、前に出さずにはいられない――考えるなと言われて、素直に思考をやめることのできる人間など存在しない――だから、混乱している。


 これは、器質的な問題だ。


 かなめちゃんはたまらず、踊り場にしゃがみ込む。脳が痛い。割れるように痛い。そして、からあの内側から何かが出て来そうな気持ち悪さがある。


「お……ぅ……かなめ、……ちゃ……」


 これは私の言葉だ。


 気持ち悪さに踊らされながら、私はかなめちゃんの名を呼ぶ。どうにかなるわけではないけれど……この気持ち悪さを、解消しなければ。


 でも、どうする? ……もう、どうしようもない。私が死ななきゃ、やっぱりなにも終わらないのだ。


 失敗だった。


 私が自殺を失敗してから、何もうまくいっていない。吉光里利を遣る気にすることはできたかもしれないが、所詮それだけだった。人を殺し、ついにはこうして――かなめちゃんに気付かれてしまった。


 かなめちゃんは、たまらず倒れ込む。冷たいコンクリートが、頬をなでる。


「ぅ……くぁ……」


 いや、違うな。


 どだい、バレないなんて無理だったんだ。バレずになんでもうまくやろうだなんて、それこそ虫が良すぎる。何か行動をする――決定的な行動をするにあたって、かなめちゃんに知られることは必然だった。


 だから、この状態は不思議でもなんでもなく――この苦しみは、私の自業自得だった。すべては自殺に失敗したことに起因する。ああ、どうして私は飛び降り自殺なんてものを選んでしまったのだろう。そんなものを選んで化け物に食べられてしまえば、死ぬよりも苦しい現実が待っているんだぞ。慎重に選ぶべきだった。


 今更後悔しても――もう遅いけれど。


 ずき、ずき。あたまが割れそうだ。


 視界が、少しずつぼやけていく。ああ、これが死ぬ感覚か? こんなに苦しいものだなんて――いや、そりゃそうか。死ぬのに楽に死にたいだなんて……そんなえり好みが、私にできるはずないだろう。だって、私は死んでいるんだぞ? そういうえり好みは、生きているうちにすることであって――もう、この場所で死んでしまっても、良いだろう。


 そう思う。


「……ま……っ、て……」


 そのとき、かなめちゃんが、かすれた声でそう言った。


「いか……ない、で……」


 呼び止めても、もうどうしようもない。脳の限界だ。一つの脳で、二人の人間がアクティブに行動できるわけがない。


 どちらかが消える定め……いや、どちらかが引っ込むか。だ。


 もう、考えるな。私のことを考えるな――花坂かなめ。もう、私のことなんか気にするな。私は、望み通り追放されよう。その代り――肉体の持ち主であるかなめちゃんは、生きていなくちゃいけない。生きていなきゃ――


 生きていなきゃ――何だ?


 生きていないことが、何を意味する? それはただ死ぬということで、それを怖がる理由は一つだってない……なのに、かなめちゃんには生きていてほしいと思っているのか?


 とんだエゴだ。


「…………っ!」


 それでも、かなめちゃんは、ふんばる。自由に落下していく私の意識を、かなめちゃんはつなぎとめる。


 どうして、そこまで。気持ち悪いから、吐きだそうとしていたんだろう? 私の人格なんて、かなめちゃんには必要ない。


 もう、やるべきことは全部やってしまったんだ。


 おねがいだから、もう、死なせてくれ。

 おねがいだから……


「ころしてよ……もう……」


 私の言葉が口から出る。瞳からは、涙が出てくる。


「なんで……私にもっと求めるの……? もう十分でしょう……! もう十分、役目を果たしたでしょう……! だからお願い。もう休ませて。もう死なせて。おねがい、おねがい……!」


 ずっと心の奥底に挟まっていた思いが、今、あふれだす。それでも私の意識は落ちない。


 かなめちゃんがまだ、手放していないのだ。

 そんなかなめちゃんは、右手で――額を触れる。


 そして、こう言ったのだ。


情景(プラント)……移植(ビジョン)!」


 そして、ぱたぱた。と意識が折りたたまれる。そして、同時に、広がっていく。

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