第6章 愚痴(Ⅲ)
今日の夕食も、昨日と同じカップ麺だった。小学生がこうも常習的に食べるのは健康上まったく良い気はしない。
しかしまあ、いつも通り変わらないというのは、良いことだ。……こうすることで、私の中で平穏が保たれる。
それはかなめちゃんもそうだろう。
……いろいろ、大変なことがあったけれど。
もう、考えるのも嫌になってしまったけれど。
しかしまあ……よく考えてみると、この夕食も、よく考えれば異常だ。ルートは一体、何をしているんだ? なんだか、サニーと言いあっている時に、彼は彼で、何か面倒くさいものごとを抱えているみたいだったが……大人の話ということだろうか。私たちに伝えないということは、伝えないだけの考えがあったということだろうけれど。
でもまあ、不信感はぬぐえない……。
というか――だ。
そもそも、ルートの指揮下で、トートロを倒すことはできるのだろうか?
一応リーダーは吉光里利ということになっているのだけれど、実際のリーダーはやはりルートなのだろう。トートロまでの移動手段もルート任せになるだろうし、行くか行かないか、結局決めているのはルートだ。
……それが、一番の問題かもしれない。
そもそもトートロは――吉光里利の、失ってしまった個性なのだから。正確には個性の器。個性を手に入れるのに――どうして、誰かの許可が必要だろうか。これは、吉光里利が考えて、吉光里利自身で取り戻さなければいけないのだから。
いや、その方法しかないのだ。個性というものの、原理からすれば。
そして、だからこそ――早く連れ戻さなければいけない。彼女には、家出をするよりももっと大事なことがあるのだ。
……それこそ、彼女が自分自身に向き合う、いい機会なのだけれど。
というか、私が決めることのできるものでもないよなぁ。自殺志願者だった私に、今の吉光里利をどうやって責めることができようか。死ぬのなんて個人の勝手じゃん――感覚的には、それと全く変わらない。
いいや、死ぬのだって――自由じゃない。
自殺をするなら、うまくやれ。
全員に承諾を取り付けろ。それができなくとも、誰かに迷惑をかけるようなことをするな。絶対に反対する人がいるのなら、その人のために生きることを考えろ。そしてその人が信用に足る人かどうか判断しろ。安易な気持ちで自殺することは、許されない。自殺は……信念だ。自分の信念のために、自殺をしろ。
死してなお、誇りは捨てるな。
……私は、そう思っている。だから、かなめちゃんを巻き込んででも自殺しようとは、思わないのだ。
そんなの、私が望まない。正義にもとるようなことは、しない。自殺という、人間社会にとっての最大の罪を働くのだから。
だからこそ――私は、待つことにしよう。
かなめちゃんがカップ麺を食べ終わる。うん。やっぱり濃い味だった。小学生が毎日食べていいものではない。今度ルートか、もしくはサニーか……いや、ジャックに頼んでどこかに食べさせてもらおうか。直接頼むわけにもいかないから、どう言えばいいのかは考えなければいけないけれど。
それとやはり、カップ麺だけで胃がたまるような子ではないのだ、かなめちゃんは。もう少しだけ、おなかがすいている。我慢しろと言われればずっとできる程度だけれど、成長期の子供にとっては、少しばかりつらいものがある。
……食欲も回復して来た。精神状態も安定してきているようだ。さすがに友くんの話題を出すと泣くだろうけれど、しかし、それでも何とか生活できるくらいにはなった。少しずつではあるが、回復に向かっている。
かなめちゃんは、まだ未来のある子だ。他人とのコミュニケーションを断絶しているわけではないし、精神もこれから成長していくのだ。
だからその点で言えば、吉光里利や――私のほうが、面倒なことになっていると言える。
大人になったら――というか、年を取ったら、精神状態というのは固まってくるものだ。誰かに何かを言われたからと言って、簡単に落ち込んだりなんかしない。心が強くなるのだ――しかし、逆に言えば、柔軟性を失っているということである。
精神の回復力が、鈍っているということである。
それに気付けるだけ、まだましなのだろうけれど……本当に凝り固まった人は、自分の精神が悪化していくことに、気付かない。
……私も、気づいてはいる。吉光里利のほうも、気付いているだろう。自分が、どれだけやばい状態であるか。そのことに気付いて――そして、どう行動するか。それが分かっていないのだ。
私も、吉光里利も。
吉光里利は逃避するという行動を選んだ――もっとも、逃避したからと言って現状が変わるわけでもない、むしろ悪化してしまうのだけれど……それに対して、私はなにもできていない。考えるだけ考えて、何も行動していない。
肉体をかなめちゃんに任せている以上、行動も何もないのだけれど……。
何か、行動しなければいけない――のだろうか。
行動しても何にもならないということを、私は考えていたのだ。私にできることは何もない、ただ、待つことしかできない。そう結論付けたはずだった。
……今現在、行動しているのは、ルートはともかく、サニーか。
サニーの能力……幻像創造で、吉光里利の位置を知ることができるのだと、言っていた。ならば、その発動を続けている限り、吉光里利の位置は分かるというわけだ。……いや、そうでもないか。吉光里利がそれに気づき――見えなくても、触れるのだから――持ち物をすべて捨てるようなことがあったら、ことは変わってくる。
すなわち、情報源はなし。
……精神体である私が、吉光里利の精神に入り込んで云々……という話も、漫画とかの中ではあるのだろうけれど、生憎だがそんなことはできない。他人の精神に入ることができるのであれば、かなめちゃんのようないたいけな子の肉体なんか捨てて、世を儚む似たような人を探して、一緒に自殺をしていた。
不可能なことはできない――だから、私にできることをやろう。
そのためには……いいや、一つしかない。
私は、行動することができない。肉体の所有権が、私にはない。そのことくらいわかっているだろう? だから――考えることしかできない。
考えること。そのことしか、私にはできない。
「…………」
かなめちゃんは立ち上がる洗面所に向かう。歯を磨き、寝るのだろう。
……結局、私にはこれしかないのだ。
私は、もう、死んだのだ。
だから、私にできることはただ一つ――考えることだけ。
――私の生涯は、どうもこうも、変化の連続だった。
友達が変わり、環境が変わり、すべてが変わり、それでも貫かなきゃいけない人生があり、それでも誰かを大切にしなくて、かと思えばすべてを投げ出さなきゃいけなくなって、他人に振り回されまいとして、結局みんなを悲しませて、ならばとみんなに優しくすると、それにつけこまれてひどい有様になって、変わって、変わって。環境も変わった。自分も変わった。何度も、何度も。
普通から始まり、異常を経て、今度は有能になって裕福な暮らしを得たと思ったら貧相な暮らしに転落。ゴミのような人生を送った挙句に、普通に戻ってまた転落。ふらふらした脳みそで生きていたら、どうしてか高い地位についてしまって、嫌で逃げだして、逃げだした先も面倒くさいことばかりで。
怠けていたわけじゃない。生き急いでいたわけじゃない。私はただ、そのときそのとき、生きることに必死だっただけだ。どうにかなると信じて、裏切られて、心が荒んで、荒みきれなくて。病気になって楽になったと思ったら、それも治って苦しみが始まる。生きることに対する自分の執念。嫌になるほど経験した。
だから、死のうと決意した。
自分勝手というなら、言ってくれてもかまわない。
それでも、自殺と言う選択肢を見たときには、私はそこに救いを感じたのだ。
だから、誰にも迷惑をかけないように、自殺をしたのだ。
「…………ふ」
それでも、自殺した後にこうして精神体となっているあたり、生命力のしつこさを感じずにはいられない。
……もしくは、これも自殺のための試練と言うことか。
いいだろう。トートロを殺すことも、私が自殺するための必要なことだというのなら、私も、それに向けて精いっぱい頑張ろう。
だから、今は――信じよう。
なあに、時間はたっぷりあるんだ。
かなめちゃんが死ぬまで、たっぷりと。
かなめちゃんを殺すまで……たっぷりと。




