第4章 羨望と混乱(Ⅱ)
かなめちゃんは泣いている。泣き続けている。
今日は、友くんの通夜だ。
宗教的な行事をすませ、あとは皆で懇談するという流れなのだけれど、懇談と言う雰囲気はまるでなかった。友くんの親戚筋……親は化け物によって殺されているし、家の事情で葬式には参加できないという人も大勢いて。それでも来た人はもうすでに帰ってしまった。
薄情な人たちだ。
……まあ、私が言えたことでもないのだけれど。
かなめちゃんが泣いているから、まわりのみんなが何をしているのかがわからない。机に突っ伏したまま、たまに思い出したように泣いている。
さっきからずっとこの調子だ。
無理も、ないのだけれど。
しかしかなめちゃんではない私にとっては、どうしようもなく居心地の悪い時間だ……かなめちゃんの心を読めるわけでもないし、読めたとしても干渉なんてできないのだから。
悲しんでいる人を悲しみから解放する……そんなことが、私にできるわけがない。
精神的にも、そしてなにより物理的に。
私は、かなめちゃんからは観測できていないのだから。
……私に、かなめちゃんの心が分からないように。何も考えていないわけじゃないんだ。この子は。今みたいに、泣くことができる。思い出すように、何か考えているんだ――そのことだけは、分かる。
……どうして、こんなことになってしまったのか。
どうして、友くんは死んでしまったのか。
理由は単純だ。吉光里利が、何もしなかったから。
そうだ――思い出した。友くんが撃ち抜かれたあの日、あの時。吉光里利は私たちのそばにいた。私たちのそばで、トートロから距離を置いて、安全な場所から、ただ眺めていただけ!
吉光里利が何とかしなければならない。吉光里利にしかできないことだ。それをしなかった。できなかったのではなく、しなかった。それは大罪だ。
罪だ。
できないのではなく、やらないのは罪だ。
その結果が……これだ。友くんは死んでしまったし、私は死ねなかった。
それがどれほどの罪なのか……吉光里利は気づいていないのだろうか。直接見たから、この施設にいたときのように、『あとはどうにでもなれ』といった心の病んだ人間ではないのは分かったのだけれど……だからこそ、気付いていないのか、と聞きたくなる。
気付いていたとしたら、本当に、なんて――罪深い人間なのだろう、と。思わずにはいられない。
私以上に、最悪だ。
……なんだか、嫌な方向に思考が飛んでいる。だめだ。この方向に進んでいるというのは、私も精神が病んできているということだろうか。もっと現実的に考えろ、私。かなめちゃんが何もできない以上、私がかなめちゃんの代わりに何とかしないといけない。もっと冷静になれ。
現実的に考えるならば……吉光里利自身は、まだこのことには気づいていない。だから決定的な策を練ることができない。そういうことだろう。
だから、どうにかして気付かせてあげないといけない……私が。気付かせてあげないといけない。
忘れたというのなら、ただ思い出せばいい。ただそれだけだ。
そのとき、私の肩に――かなめちゃんの肩に、大人の人の手が置かれる。顔を上げると、ルートさんがそこにいた。目尻に浮いた涙を拭いて、かなめちゃんはルートさんを見る。
「ルート……さ、ん……」
「おう」
……はじめのころは怖がっていたが、今となっては、頼りになる大人だ。いや、違うのか……頼りにしないとどうしようもなくなった大人、か。すがるしかない、他に選択肢もない。そう考えると、どうにも奇妙な感覚を覚えた。
「……お前は、俺を恨んでいい」
と、ルートさんは言った。
「すべて俺の責任だ……俺の配慮が足りなかった。俺の考えが及ばなかった。化け物がどれだけ恐ろしいものか……俺は本当に理解していなかったんだ」
そんな、『プレイヤーズ』最年長として、自信のない言葉を吐く。
「すまなかった。花坂かなめ」
と――コードネームではなく、本名で謝ってきた。
かなめちゃんは、目に涙を浮かべる。
「ルート、さ……のっ……、せい、じゃ……」
そう言って、かなめちゃんはルートの言葉を否定する。
そうだよ。ルート……謝るべきはお前じゃない。
お前は、謝るべきじゃない。
謝るより、他にするべきことがあるだろう?
冷静になれと先ほど私に言い聞かせたものだけれど、それでも思ってしまうことはどうしようもなくある。世の中には、謝らないほうがいいことだってたくさんあるのだ。今はそのうちの一つだろう? 何謝ってるんだよ……お前が、変わってどうすんだよ。
変わるのは、何よりも嫌だ。だって、それって、間違いを認めるってことだろう? 自信のない奴のすることだろう?
それはお前の役目じゃない……お前は憎まれ役に徹して、変わらずチームを導いていかないといけない。リーダーじゃないにしても、それがお前の本当の役割だろう?
その役割を放り出して……いや、この辺でやめておこう。私がかなめちゃんの中で思っても、どうしようもない。
かなめちゃんは涙を両手で拭いつつ。次の言葉を紡ぐ。
「わる、い、のは……」
悪いのは、あの化け物。
そして、吉光里利。
「わるいのは……わたし、です……」
と――かなめちゃんは、言った。
「わたしが……わがまま、言ったから……。わがままはだめだって、わかってた、のに……」
我儘。
そうだった。
……冷静になれなんて、自己暗示は必要なかったんだ。誰のせいでこんなことになったのか、明白じゃないか。
ほかでもない、私の責任だ。
私がかなめちゃんを操って、そして友くんも引きずり込んで……そして、死なせた。
私が殺したようなものだ――そこに、疑いの余地など何もない。私が何もしなければ、こんな悲劇は起こらなかった。
自分を棚に上げていた。
なんて……最悪。
最低な人間なんだろう。
つくづく思う。
私は、死ぬべきだと。死んで、死んで。詫び続けなければいけないと。
「わたしの、せいで……」
いいや、違う。私のせいだ。
「大丈夫だ。カノン。お前のせいじゃない」
ルートが、かなめちゃんの頭に触れる。
「お前は、まったく悪くない。レンドも、お前が悲しんでいる様子を、見たくないだろうさ」
友くん……は、砲弾を受ける直前に、私と吉光里利をつきとばした。砲弾から――庇ったのだ。身を挺して。私たちを守ったのだ。
そんな彼の意志を――尊重してやれないのだろうか。
「だからカノン……いや、かなめ。お前は、お前の人生を生きろ。……化け物と無理して向き合う必要なんてない」
……まったくもって、その通りだった。
ルートの言っている通りだった。まったく、私はなんなんだろう。歪んだ思想ばっかりで、肝心の当の本人のことはまるで考えることができていない。
自分のことしか、考えていなかった。
……そうだよ、かなめちゃん。
私も、悪かった。いいや、私が、全部、悪かったんだ。
だから、かなめちゃん……かなめちゃんは、自分の人生を生きてくれ。もう、私が口を出すなんて……そんな図々しい真似はできない。
私ほど罪にまみれた人間はそういないから。かなめちゃんは、私のことなんて、全部無視してくれ。
そうお願いするのが、筋ってものだろう。
……私の自殺のことなんて、どうでもいいんだ。私が死ぬかどうかなんて、かなめちゃんにはまったく関係のないことだ。だから……もう、いいんだ。
死にたいけど……死にたいだなんて、大きな声で言えるわけないじゃないか!
化け物にもう一度対面して、突っ込んで殺されたいだなんて、言えるわけないじゃないか!
ちくしょう……ちくしょう!
「……やめ……ない……っ」
涙ながら、かなめちゃんはそう言った。
「お兄ちゃん……は、だめって……言う、だろう、けど……それでも、やめない……っ」
ふだん言葉を紡がないかなめちゃんが、絞り出すように、言った。
「おにいちゃん、の……かたきは……とる、もんっ……!」
ああ。
うっかりしていたのは私のほうだった。
かなめちゃんも、危険思想を持つことがある。
それを、理解していなかった。
……もう、何が何だかわからない。
これだから、変化は嫌なんだ。




