嘘のような関係。本当の気持ち。
金曜日の放課後ともなると、そろそろ恋人として手を繋いで帰る事にも若干であるが抵抗がなくなろ。とは言え、流石に人前で手を繋いで帰るなんて勇気は俺にも、春菜にも備わっていないのだった。人通りの少ない道に入ってから、ぎこちなく手を握る。――それだけは今後も変わることはないのだろう。
「ねえ薫。明日の夕方から暇? ――なんて聞くのも無意味かしら。どうせ暇よね」
失礼な! 俺にだって用事の一つや二つ!
「無いよ、用事は。確かに暇だけどどうかしたのか?」
張るような見栄などもなく、素直に用事がないと宣言する俺は、中々かっこいいと思う。――そうでも言っておかないと虚しいだろう。
「はー。その様子だと、土曜日にどんなイベントがあるかも知らないのね」
あきれたような表情を浮かべ、俺の手を放す春菜。イベント? ああ、確かに言われてみればそんなものもあるな。
「お祭り! 一緒に行きましょ!」
春菜が嬉しそうに声を上げた祭り。それは、この地域でこの時期、毎年土曜日の夕方に開催される屋台市の事だろう。この町のメインストリートに一般や企業など様々な人が軒を連ねる。俺は今まで一度も行ったことは無いのだが、浴衣を着て参加をする人も多いと聞く。俺の記憶が正しければ、今年の土曜祭りは今週末が最後だったはずだ――
「あたし、実は今まで行ったことがなかったのよ」
「嘘だろ? お前の周りの女子はそういうの好きそうじゃないか」
「あたしは今まで部活の練習で参加できなかったから。みんなは行ってたみたいだけど」
「それを聞くと納得だな。まあ俺も同じで、部活の練習で今まで行ったことがないんだけど」
「今年は早めに練習切り上げてよね。あたしはこの通りだから、練習は無いし、家で待ってるから」
「ああそうだな。その前に、明日は遅くまで残って練習はしないよ。何せ、雄介がいないからな。いつもあいつがいるから遅くまで残っていたようなものだし。明日は活動時間も四時半までだから、すぐに帰るよ」
「そんなこと言いながら、新田君がいなくても自主練してたくせに」
「別にいつも自主練していたわけじゃない。たまたまその場面を見る機会が春菜に多いだけだ」
「そう。なら、期待して待ってるわね。五時に間に合わなかったらどうなるか――。薫も期待してなさいよね」
「それは、期待ではなく覚悟と言うんだよ」
「あら、どっちも同じ意味じゃないの? 何か起こるって意味では」
「遅れなければ、何も起こらないんだから心配しなくても大丈夫だろう」
「薫、それってフラグと言うものよ? ますます期待が高まるわね」
「高めるな。下げたまえ」
「そんな事より、明日浴衣着て行こうと思うんだけど、薫はどんなのが好み?」
おお。それは期待が高まる! 噂でしか聞いた事のなかった浴衣での祭り。まさか自分が体験することになろうとは! しかし待てよ。今ここで浴衣の好みを聞いてくるというのは俺のセンスを試していることに他ならないのではないか? もしここで間違った返答をすれば、やっぱりナシなんて事態にもなりかねないのではないか?
慎重に、慎重に考えるんだ俺!
「ちょっと待ってくれ、今携帯でサンプル採取するから」
「そんな調査じゃないんだから、ぱっと答えてくれればいいのよ。判断力ないわね。知っていたけど」
なんと! もうすでに評価は低くなっているだと? いや、慌てるな。まだ挽回のチャンスがある。汚名挽回、名誉返上だ。落ち着くんだ。ちゃんと四字熟語が頭に浮かぶ程度には落ち着いている。携帯で画像を検索していると、一際目を引く写真が表示された。
――これだ!!
「春菜、これを見てくれ。これが俺の好みだ」
春菜は食い入るように俺の携帯を見る。ほうほう、なるほど。俺の抜群のセンスに度肝を抜かされているんだな? 分かるぞ。
「……」
携帯から目を離して、ゆっくりと俺の目を見る。その眼は、なんと言うか……。腐った魚を見るような眼をしていた。
「あんた馬鹿でしょ。知ってたけど」
「説明を頼む」
大きくため息を吐いた春菜は力なくしゃがみ込んだ。
「まず、これ浴衣じゃない」
「浴衣で検索したんだぞ?」
「次に! あたしがこんな吉原遊郭の遊女みたいなセクシーな着物を着ると思ったの? 馬鹿でしょ! 浴衣の前に常識って言葉を検索しろ! この変態! 知ってたけど」
こいつ、俺の悪いところは何でも知ってるんだな。
「春菜さん春菜さん。口調が大変なことになっていますよ」
「あら失礼」
すくっと立ち上がった春菜は、当然のようにまた俺の手を握った。
「でもまあ、薫がどんな色の着物が好きかってことが分かったから良いわ」
俺の胸の押し付けるように返された携帯には、先ほどと同じ画像が表示されたままだった。
「花魁だから、複雑な模様だったけど、薫はシンプルなのが好みよね? 赤いアクセントの可愛いシンプルな浴衣でも探してみるわ」
春菜の提案に、俺の想像力は今までに見せたことのない程の馬力と回転数を叩き出した。――俺の脳内で作られた浴衣バージョン春菜のフィギュアは、確かに俺好みの見た目で出来上がった。
「お、おう。期待しておくよ」
「そうね、覚悟しておいて」
「いや、そこは期待のままで良いんだよ」
「あら、どっちも同じ意味じゃない。何かが起こるって意味では」
恐らく、その何かと言うのは俺の感動か何かなのだろう。まあ、あまり感情的でない俺が感動なんて表現ができるほど、心が揺さぶられるかどうかは分からないのだけれど。
「そういえばさあ。薫って、いつも自分で言ってるほど無感情じゃないよね。よく慌てるし、たまに泣くし。明日も案外、嬉しすぎて倒れるんじゃない?」
またもモノローグを読んだような発言に驚かされた。しかし、そこは否定させてもらおう。
「俺は、もし明日世界が終わるって言われても、何とも思わずに普段通りの一日を送って過ごすと断言できるくらいには冷めた人間だよ。どうせ、一日じゃ何もできないしな」
「それと無感情とはあんまり関係ないわよね」
「そうか?」
「そうよ。一日じゃ何もできないから何もしないって言うのは案外普通の事なのかもしれないわよ? でも、もしそれが……」
そこまで言って春菜は足を止めた。何か……思うところがあるのだろうか?
「一週間後に世界が終わるとしたらどう? 一週間あれば何かできるんじゃないかしら?」
「んー。それでも俺はいつも通りかな? 俺だけが世界の終わりを知っているならの話だけど。世界中の人が世界の終わりを知っていたら、そうは言ってられないんだろうけど」
暴動が起こるのだろうから。
「そうね、薫ならそうするでしょうね。知ってたけど。……聞いてみたかったの」
「あたしは……来週世界が終わるなんて知ったら、自分が今まで我慢してきたことをやっちゃうなー。どうせ、一週間後には何もなくなるなら――って」
「それも有りだろう。俺が何もしないってだけで、みんなに同じことを強要するつもりなんてない」
「ううん。それは強要するべきよ。最後まで倫理を守って今まで通り過ごすべきだって。それが今まで幸せに生きてこれた理由なんだからって」
「なんでそこまで言うのか分からないけど。別に我慢しなくていいことを我慢してきた人は、少しくらい我儘したって良いと思う。頑張ってきたご褒美にさ」
「良いの……かな?」
「良いだろ。でも来週世界が終わるなんて、まずもって無いけどな。春菜が未来を予知したんだし」
「でも、人の数だけ世界があるって言うし、もし死んじゃったら世界が終わるのと同じ意味じゃないかしら?」
「俺は幽霊も、死後の世界も信じてるから、終わりとは思わない。それ以前に、自分が死んだ後も世界が回り続けるって信じたい。残された人たちに幸せになって貰いたいじゃないか」
幽霊を成仏させるために奔走する神様とかもいるんじゃないか?
「聖人みたいなことを平気で言うのね。ちょっとだけ惚れそうだわ」
「えっ? 惚れてくれてなかったの?」
「ふふ、想像におまかせよ。そろそろ家に着くし、手――放そっか」
春菜は、玲菜やお母さんに付き合っていることを知られたくないらしく、家が見える位置に来ると手を放す。俺も、宮内家総出で弄られることは勘弁していただきたいので、両者一致した行動なのだ。
「それじゃ、また明日ね。初めてのお祭り、楽しみにしているわね」
「俺の方こそ楽しみにしてる。遅刻しないように気を付けるよ」
「ふふ、期待してるわよー」
手を振って玄関に吸い込まれていく春菜を、見えなくなるまで見送った。……世界の終わり――まさか――な。俺の頭の中の不安が、一つに繋がろうとしていた。
七月十四日、土曜日。
恐らくはフラグを立てまくった俺が悪いのだろう。部活の片づけに手間取った結果、春菜と約束していた五時に迫ろうかと言う時間に俺は家に向かって走っている。――急いで着替えれば、どうにか間に合うだろうか……。
玄関を乱暴に開け、リビングに抜け殻を捨てるかのように制服を放り投げた。待っていましたとばかりにハンガーにかけてあるTシャツとジーパンに着替える。この時点で、時計の針は五時をまわったところ。そして春菜の家の前に立っていたのも、五時丁度。準備完了から現場到着までの時間はわずか一分以内。
幸運なことに、春菜はまだ家にいるようだ。俺が安堵していると、誂えたかのように春菜が玄関を開けて出てくる。
「ごめん。待ったかしら?」
「いいや、俺も今来たところだから」
俺の返答を聞いた春菜は満足げに微笑んだ。いつもの、春菜が俺に悪戯を成功させた時の笑顔に似ている。
「知ってるわ。ずっとインターホンのカメラで見ていたから」
「お前、性格悪いことするんだな。それならそうとわざわざ言う必要もないし、それ以前に玄関の外で待っていてくれたらこっちだって素直に謝れたのに」
「時間通りなんだから謝る必要は無いじゃない。あたしはただ、『待った?』『俺も今来たところだよ』って言うデートっぽいやり取りをしたかっただけだから」
無駄にクオリティーの高い俺の物まねを挿んだ春菜に感心しつつ、若干呆れた。通りで満足気な訳だ。
「それにしても、薫はいつも走っているわね。好きなの?」
「どちらかと言えば嫌いな類なんだけど、何故か走らざるを得ない状況になっているだけだよ」
「そ、あたしは好きだけどね。陸上部だし」
それは流石に俺でも知っている。
「あと、さっきのやり取りとは別に聞きたい言葉があるんだけど……」
何だろう? このウキウキと言う音が出そうな春菜の仕草は――? 体をゆらゆらと揺らし、俺の顔を口角を上げて覗き込む。
春菜の事だから、恋人っぽいベタな展開を望んでいるのだろうが……。そうか、そういう事か!
「金の心配ならいらないぜっ!」
「ちっがうっ! そんなのどうだっていいわよ! ほら、ちゃんと見てよ! 分かるでしょ?」
分かるでしょって言われても……。
「髪型変えた?」
「そりゃ変えたわよ」
おっと。これは少しずつ答えに近づいてきている匂いがするぞ!
「薫……わざとやってるでしょ?」
「だって気恥ずかしくてさ。言いにくいじゃないか」
「まあ、それはそうよね」
少し残念そうに下を向く春菜。
「で、感想は? それくらいの義務は果たしてよ」
義務って言い方は何だろう? ……確かにそう言う権利はあるだろう。
「まあ、なんて言うか……。昨日どんな感じか色々と想像なんかもしてたんだけど、そこで思っていたのが可愛すぎたのかもしれない」
「あ、もういいや。続き聞きたくない」
「想像を超えちゃって言葉にできない」
「あ、もういっかい。もっと聞きたい」
「欲しがりさんだな。そんな子に育てた覚えはありませんよ?」
「奇遇ね。あたしも育てられた覚えがない。そんな事より、もういっかい」
はぁ……。
「想像してた以上に可愛いよ」
その言葉を聞き終える前に春菜は悶えはじめ、地面を物凄い速さで転がり始めた。
「おいおい。せっかくの浴衣が汚れるぞ。あっほら!」
少し落ち着いた春菜は顔を真っ赤にしたまま立ち尽くし、俺が浴衣をパタパタとはたく。思っていたよりは汚れてはおらず、時間はかからなかった。
「さ、行こうか。良いものが無くなる前にさ」
「うん」
借りてきた猫のように大人しくなってしまった春菜の手をひいて会場へ向かう。ギプスに浴衣と、春菜はかなり歩くのが辛いのではないかと思い、バスで行くことを提案したのだが、本人の意向で徒歩と言う移動手段となった。まあ、三十分もはかからないとは思うが……。
会場に着くころには春菜は疲れてしまっているのではないかと心配していたのだが、無用であった。噂に聞く女子の謎な体力と言う奴だろうか? 器用にギプスでスキップをしている。ギプスキップしている。
「あっ! きゅうり味噌売ってる! 買おっ!」
春菜は飛びつくようにきゅうりの屋台に向かう。
「二本百円か……。お姉さん、二本下さい」
「えっ? 奢ってくれるの? しかも二本も?」
「一本は俺のだよ」
嘘みたいな、嘘って言いたい顔をする春菜にきゅうり如きを渡さないなんて選択肢を取る事なんてできず、俺は屋台のお姉さんから受け取ったきゅうり味噌を二本とも春菜に渡す。
大学受験に受かったみたいな嬉しそうな顔をしてやがる。――このくらいで喜ぶなんて、本当にキャラクターの安定しないやつだな。
「ありがとう! これで一日幸せに過ごせるわ」
「安い幸せで良かったよ」
「あたしは安い女だからね」
いちいち言う事がネガティブと言うか自虐的なのはもはや仕様だな。
「それにしても凄い人混みね。知り合いとかにも会いそうね」
「そうだな。これだけいれば学校の奴にも会いそうだな。俺はわざわざ声かけてくるような奴は部活の連中くらいで、適当にあしらえるけど……春菜はそういう訳にいかないんじゃないか?」
あまり恋人関係を公にしたくない春菜にとっては、ここは完全危険区域ではないだろうか?
「大丈夫よ。あたしも適当に誤魔化すから。玲菜にさえ見つからなければ問題ないわ。あの子には誤魔化しが利かないから」
確かに、玲菜はそういう点でかなり頭の回転が速い。二人で歩いているところを見られただけで確実にばれてしまうだろう。
「でも、心配ないわ。あの子は今日、夏季集中講座で塾に行っているから。八時まで勉強三昧よ」
「そうか、受験生は大変だな」
「みんな受験シーズンは大変なものなのよ。薫はまわりが大変な思いをしている間、変態だったのかもしれないけど」
「うまいこと言えてないからな?」
俺だってちゃんと一回は教科書を隅から隅まで目を通しているし、授業だって全部聞いているんだ。全く勉強をしていないなんてことは無い!!
「そういえば、この祭りって、目玉は何なんだ? 結局何も下調べ無しで来たから。何を見たらいいのか分からないな」
「奇遇ね。あたしもよ」
こんなところで奇遇になりたくはなかった。
「取り敢えず、端から順番に見て行って、気になった屋台に寄ってみるか」
「そうね。食べたいものも片っ端から食べればいいかしら」
「そうだな。って言ってる傍からあれ美味そうだ! 本場ドイツのホットドッグ」
「ホットドッグの本場ってアメリカじゃないの?」
「ソーセージの本場がドイツだからな」
「いきなりソーセージアピールしないでよ」
どっちが変態だよ。
ホットドッグを頬張る男ときゅうり二本持って歩く女の二人組は、周りから見ると不思議な光景だったのでは無いかと思う。その後は、めぼしい食べ物はあまりなく、通例通りのたこ焼きを買ったくらいだった。
「あっ、あれ面白そう!」
春菜がそう言って指を指したのは、『虫屋』と書かれた屋台だった。
「何だろうな? 虫を売ってるのか?」
気になって、店員さんらしきお兄さんに声をかける。やけにイケメンなこのお兄さんは、近くの大学で昆虫の研究をしているらしい。
「一回三百円でクジを引いて、当たった虫を持って帰って貰おうって店だよ」
もちろん、いらない虫なら、持って帰らなくてもいいそうだ。
「どうする? 一回引いて行くか?」
春菜にどうするか聞いてみたら、目を輝かせて景品を見ていた。
「もしかして、これタガメじゃない?」
「なんだ? そんなに珍しいのか?」
一応、クジの順位で言うと三等なので、中々珍しいものなのは分かる。
「お目が高いね、お嬢ちゃん! それ、実は俺の一押しなんだよ」
「これって、買おうと思ったら三千円くらいしますよね? 良いんですか? こんなところに出して」
「俺が実家で養殖してるやつだから、少しくらいなら大丈夫なんだよ。それにしても詳しいね。普通なら一等と二等のカブトとクワガタに食いつくものなのに」
俺は正直、一等のオオクワガタ以外に興味がなかった。
「よし! 嬉しかったから、彼氏さんと二人で五百円で良いよ。三回引かせてあげる」
「やった! 薫! 絶対に取るわよ!」
「運しだいだけどな」
「運だけなら任せなさい!」
男らしく浴衣の袖をたくし上げて言う春菜。
「なら、俺が一回。春菜が二回引くので良いか?」
春菜は返答もせずに、精神統一をして集中力を高めていた。
「じゃあ、俺から一回」
お兄さんから渡された箱の中に手を突っ込み、手近な一番上のクジを手に取る。
「これで」
クジをお兄さんに手渡す――
「ざんねーん。はずれだ。右にある大きな虫かごの中から好きなものがいたら持って帰ってねー」
……目ぼしいものはいなかった。と言うか、名前も分からない虫ばかりだった。
「よし!」
俺の落胆をよそに気合を入れ終わった春菜が一歩クジに近づいた。――まあ、俺の引くクジに期待はしていなかったから落胆とまではいかないが……。
豪快に箱に手を入れる春菜。
時間をかけ、中を散策している春菜。
勢い良く手を引き上げる春菜。
「お願いします!!」
威勢よくお兄さんにクジを渡す。お兄さんは気合満点の春菜を見て笑いを堪えられず、声を上げていた。
そして、肝心の結果は――
「おお! 大当たり!! 一等賞だよ!!」
「うっわー。はずれた!」
頭を抱える春菜を見てまたもやニヤニヤと笑う店員さん。
「オオクワガタだったら、俺がもらうよ。春菜、さすがだよ!」
「あと一回。あと一回あるから!」
目に闘志の炎を燃やしながら春菜はつぶやく。
「それにしてもお兄さん。一等のオオクワガタがこんなに簡単に当たっていいんですか?」
少し気になった俺は、質問を投げかけた。まだ祭りの中盤。こんな時間に目玉である一等賞品が無くなっては困るだろう。すると、俺の耳元でこっそりと教えてくれた。
「ここだけの話。オオクワガタは、案外簡単に採れるからストックが結構あるんだよ。三等は一匹しかいないんだけどね」
なるほど、良い商売している。それに、春菜の食いつきに喜んだ理由も少しだけ理解した。本当はタガメが一番の目玉だったか。
「次! 絶対に引きます!」
豪快に箱に手を入れる春菜。
時間をかけ、中を散策している春菜。
勢い良く手を引き上げる春菜。
「お願いします!!」
祈るようにクジを渡す春菜。
「さあ、今度はどうかなー」
にこやかにクジを開くお兄さん。――その顔が、一気に驚きの表情に変わる。
「すごいじゃないか! 見事だよ! 本当に三等だよ!!」
「やったー!! 来た甲斐があったよ!! どうしよう。嬉しすぎる! どうしようっ!!」
無邪気に飛び跳ねながら喜ぶ春菜は、近くでクジを引いていた小学生に引かれていた。
「ホントに驚いたよ。こいつが景品のタガメだけど、まだ祭りを楽しむんだったら持って歩くのも大変だし、帰り際にまたおいで。その時に渡すから」
「あ、あ、あ、ありがとうございます」
春菜は顔を真っ赤にして、お礼をしていた。
「君、虫が好きならいつでもウチの研究室においでよ。タガメの世話についても教えるし、虫取りに連れて行ってもあげるよ。彼氏君も一緒に。大歓迎だよ」
「ありがとうございます。今度伺います!」
ぺこりと頭を下げ、春菜は俺の手を取った。
「じゃあ、続き。まわろっか!」
今日一番の笑顔で、軽やかに歩き出した。
「次ってどこかまだ見て回っていないところってあったか? 結構隅々まで見たと思うんだけど」
「ふふふ。祭りじゃないんだけど、すぐそこに山――というか、神社があるじゃない? あそこでこれをね」
そう言って手に持っていた巾着袋から何かを取り出す。
「線香花火……?」
「そう! 浴衣と言えば線香花火よね!」
「そう言われればそうなのかもしれない。けど、準備がいいな」
「何と言っても、これがメインイベントみたいなものだからね」
線香花火の入った袋を振りながら口を窄めて言った。
「じゃあ、少し歩くか。手は……このまま繋いでいくのか?」
さっきまでは、誰かに見られたときに面倒だからと言う理由で手は繋いでいなかった。しかし、ノリで手を握ってきた春菜に、今一度確認をしておいた方が良いかと思い、質問してみたわけだ。俺の想像通り、春菜は無意識に手を握っていたらしく、熱いやかんに触ってみたいに素早く手を引っ込めた。
「あぶないあぶない」
「何がだよ」
「火傷するところだったわ」
「そんな熱くねーよ」
そんな茶番劇を続けながら、俺たちは目的地に向かって歩いた。祭りの賑わいがピークだからか、神社の境内には人っ子一人いなかった。てっきり俺たちと同じような目的でやって来ている人がいると思っていたが、予想外だった。
「誰もいなくてラッキーね」
そう言った春菜は、慣れた手つきで巾着袋から空のペットボトルを出し、ちょろちょろと流れる手水を汲んだ。
「おい春菜、罰が当たるぞ」
「ちゃんと御賽銭入れといたから大丈夫よ。抜かりないわ」
いや、それとこれとは話が違うと思う。
「ほら、社の横あたり丁度いいんじゃない? あそこで線香花火をぶっ放しましょう」
「その言い方だと線香花火と言うより、閃光花火って感じだな」
腰を掛けるに丁度良いサイズの石を見つけ、二人で腰掛ける。ベンチと言うには、心許ない大きさで、必然的に肩が触れ合うことになる。
「ささ、四本入りの線香花火だから、一人二回しかチャンス無いわよ」
嬉しそうに袋から取り出す春菜。日はまだ落ち切っておらず、薄暗い夕日が頬を染めた。急に動くのをやめたせいか、体から汗が溢れ、顔が熱く感じる。そんな俺とは違い、春菜は涼しげな表情を浮かべていた。
「蝋燭まで準備しているのか。用意周到だな」
「言ったじゃない。メインイベントだって。はい、薫の分。同時につけましょ。一回目はどっちが長く保つか勝負よ!」
俺の鼻に付くのではないかと言うほどに、まさしく目と鼻の先に差し出された線香花火を優しく受け取る。勝負――と言われると、負けたくはない。
「ただ黙って線香花火を見ているのも詰まらないから、そうね……。将来設計でも立てよっか」
「しょうらいせっけい?」
思いもよらない台詞に、俺の脳は単語を理解するのに時間を要した。
「そう、将来設計。高校卒業して、大学に行って、社会に出て結婚して――って感じの奴」
「はあ……そういうの苦手なんだよなー。線香花火が燃えている間だけ……な」
「よし! じゃあ、スタート!」
「ちょっと! おいおい」
飛び出し気味に火をつける春菜。一秒と待たずに俺も火をつけたが、やはり火花が散り始めたのは春菜が先だった。
「薫は、地元の大学に進むんだっけ?」
さっそく将来――と言うか進路の話を切り出してきた。
「そうだな。教育学部に進もうと思ってる」
「あれ? 教師志望だったっけ?」
「教師になりたいってわけじゃないんだけど、学校だけじゃなくて、社会に出てもバスケを続けていきたくてね。できれば、仕事の一部で」
「なるほど――。部活の顧問みたいな?」
「それは考えてる。でも、それ以外でもインストラクターみたいなものも有りかなって。実業団に入りながら、スポーツを教える感じの」
「いいね、そういうの。薫は人に教えるのが上手いからぴったしだよ」
「そうかな? コミュニケーションは苦手なんだけどな。特に女の子なんか――敬遠されてるのがよく分かって、部活でも辛い。将来的にも男に教える立場が良いな」
「敬遠? うーん……噂だけなら聞いてるけど、敬遠……ねえ」
じっとりと張り付くような視線を向けられた。
「なんだよ噂って。気になるじゃないか」
「うーん……内緒っ! 悪い噂じゃないから安心して」
「気になるなー。今度雄介にでも聞いてみるよ」
「そうして!」
線香花火は、花らしく光りだしていた。
「じゃあ、今度はね……。結婚とかどうしたい?」
「どうって……」
「抽象的すぎる質問だったかしら。なら、何歳で結婚したい? ……あたしと」
「春菜と結婚することは大前提なんだな」
「あれ? あたしとは嫌なの? ふーん、そっかー」
「春菜さん? 花火、花火が俺の腕に当たりそうだから。このまま行くと火傷するから!」
「おっと失礼。で?」
「んー、将来が不安になってきたな。そうだな……結婚するなら――二十八歳くらいかな? 仕事について三・四年は経って落ち着いた頃くらい」
「現実的ねー。家とかは?」
「できれば、今俺が住んでる家で暮らしたいな。春菜の家も近いし、安心だろ?」
「うちで暮らすってのも有りよ? 孤児院時代の建屋があるし、お母さんもいるから、子育て安心、家事楽ちん!」
「仕事をしながら子育てって考えると協力してもらうってのもアリか。春菜は、結婚したら仕事続けたいのか?」
「あたしは――。どっちでも良いかな? これといってやりたいことなんて無いし、大学は行きたいけど、その後は流れに身を任せて……かな? 専業主婦だってもってこいよ!」
「将来設計なんて言いだした奴の台詞とは思えないな」
「あたしの夢だとね」
そういえば、玲菜の視点だが未来を見ているんだった。
「二十八で結婚の話をしている薫は、今とあんまり変わらなくって、多分バスケは続けてる。体つきが……ね。あたしは、小学校の先生してるみたいだったけど、正直、全く実感が湧かないわ」
「小学校の先生かー。生徒と一緒にアホなこととかしてPTAに怒られてそうだな」
「いいじゃない! 怒られるくらい!」
「なんだよ、怒られてたのか?」
「知らないけど」
「知らないのかよ」
話をしているうちに、線香花火は最後の火花を散らし始めた。
「子供は何人欲しい?」
「四人……かな」
考える時間など無く、ふと口からこぼれていた。
「なんで四人なの? それ、あたし結構頑張らないといけないよね?」
「理由――か……。何だろう、俺の中の家族のイメージって、どうしても四人兄弟なんだよな。多分、俺が宮内家の一員のような育ち方をしたせいなんだと思うけど」
「ようなじゃなくて、一員だよ、薫!」
「嬉しいこと言ってくれるな。そう、俺にとって家族って言うのは春菜たち家族と同義なんだ。もし、俺の両親が生き返っても、俺は家族と思えないかもしれない」
「じゃあ、あたしと結婚しても何も変わらない日常が続くのかも知れないわね」
「それはそれで幸せじゃないか」
「そうね。あっ……」
「あっ……」
同時に、零コンマ一秒の誤差もなく、二つの火の種は地面に落ちた。
「引き分け――だな」
一息ついた春菜は、ペットボトルの水をぐいっと飲んだ。
「春菜、その水は――」
「さっき汲んだやつよ」
火消用に汲んだのじゃなかったのか――
ふー、と大きく息を吐き出す春菜。ただでさえ息をするだけで、その揺れが肩を通じて俺に伝わる。それが、水に濡れた唇で大きく深呼吸のように息を吐くのだ。心なしか春菜のその色っぽい姿にドキッとした。心臓を直接叩かれているかのように、自分の心臓ではないかのように内側からも夏の暑さが襲う。汗が止まらない。汗が止まらないのが気になって仕方がない。
――どうしよう。肩、汗で変に濡れてはいないだろうか? 大丈夫かな?
「二本目、行こっか!」
最後の二本を取り出した。そして、春菜は話を続けた。
「今度は、二つの線香花火をくっつけましょ! 火がついて溶け始めたら合わせるの。――もし、最後まで落ちずに燃え尽きたら、願いが叶う……。そんなおまじないがあるんだって」
「初耳だな」
「薫が知らないなんて珍しいわね」
おまじない自体、あまり目に入れないからな……。
「準備は良いかしら? 願い事の準備も」
「春菜は願い事決まってるのか?」
「決まってるけど、成功するまで内緒よ」
「なら、俺も内緒にしておくよ」
俺の願いは――春菜の願いが叶いますように……かな?
「じゃあ、始めるわよ」
その言葉を皮切りに、二人同時に線香花火へと火をつけた。
そのまま、線香花火以外の時が止まったかのように二人して沈黙する。線香花火は、二人分の火薬が混ざり合って肥大し、一人分のそれを遥かに下回る火花を上げていた。力が合わさっても結果は、パフォーマンスは下がり、リスクは上がる――。何にも珍しくない例の一つ――そんな事が頭に過った。
俺と春菜なら――どうだろうか? 二人一緒で負の要素はあるのだろうか? ――考えられないな。ちらりと横を見ると、無心で花火を見つめる春菜の顔が火花の光で瞬いていた。――なんて綺麗なんだろう。素直にそんな感想を抱くことが出来たのは、自分でも不思議だ。なんとなく儚げで、今にも消えてしまいそう……そんなはずは無いのに、俺は考えてしまうのだった。
線香花火は特に盛り上がることもなく、光を失っていく。どうやら、おまじないとやらは成功したようだ。隣には、ひと仕事終えたサラリーマンのように、ふーっと息を付く姿があった。
「おまじないが本当なら、願いが叶うはずよね?」
「成功したんだしな。まあ、おまじないが本当だとしても、願い次第じゃないか?」
晴れやかでにこやかな笑顔の春菜に、俺も同様の笑顔で返す。
「その……。春菜の願い事ってなんだったんだ? おまじないが成功したら教えてくれるって話だったよな?」
俺の言葉を聞くや否や、春菜は突然立ち上がった。――肩がやけに涼しい。
「先に……薫のお願いを教えて。そしたらあたしも答えるから」
顔を俯け、紅潮させて言った。
「俺の願いは……。また、くさいって言われそうで嫌なんだけど――」
「なによ。聞いてみないと分からないでしょ?」
ふー……。どうせ言う羽目になるなら早い方が良いか――
「俺の願い事は『春菜の願いが叶いますように』だよ。ほら、笑いたきゃ笑え」
しかし、春菜は思いのほか真剣な顔で俺を見ていた。
「良いと思うよ? 薫らしいよ」
褒められると、逆に恥ずかしくなる。
「おかげで、あたしの願いは叶いそうよ!」
そうだ、肝心の春菜の願いはなんなのだ?
「あたしの願いはね――」
やはり言い出しづらいのか、少し間を開けた。
「薫とキスすることよ」
キスすること――
空っぽになった頭の中で何度も何度も反響を繰り返すその言葉。キス……? キスって何だ? スズキ目スズキ亜目キス科の魚類の事か? まさか内胚葉の一部が体外に出ることで形作られた口唇と口唇を重ね合わせて、愛情表現をすることか?
いや、ここは手の甲とか頬にするキスのことかもしれない。欧米諸国では挨拶の一環として行われるというあれだ。
「恥ずかしながら、ファーストキスなんだけど……。薫は……?」
ファーストキス!? 正しく唇と唇の出会いの方じゃないか!! ――いや、慌てることは無い。ここは落ち着いて事に当たることを考えるんだ。
「ね、願い事が叶うって言うおまじないなのに、そそ、そんなことをお願いしたので良いのか? もっとこう、ギャルのパンティが欲しいとか、そんなのじゃなくていいのか? キスなんて簡単なことで。そりゃ、そのくらいなら簡単に俺が叶えてあげることもできるわけだけれど」
「薫……簡単って言う割には、物凄い難しい顔してるわよ。――目も泳いでるし」
「これはだな、難しい顔をしているんじゃなくて、顔が難しいんだよ。それに、確かに目が泳いでたかもしれないけど、これは夏に向けての予行練習なんだ」
「海で目が泳いでたら警察が来るわよ」
はー。とため息を吐く春菜。
「で、あたしの願い事。叶えてくれるの?」
「え、あ、ああ。もちろん」
「じゃあ」
そう言って目を瞑った春菜。夜風で髪がさらさらと流れる。一歩、また一歩と春菜に近づくにつれて、俺の鼓動が速く強くなるのを感じる。こんなの、バスケの試合よりも緊張する――
そっと両肩に手をかける。一瞬強張る春菜だったが、それは一瞬で、すぐに肩の力は抜けたようだった。――恋人なんだ。キスくらい。しかしそんな考えとは裏腹に体は緊張で固くなる。
あと数センチ――鼻の先で春菜が少し顔を上げた。なぜだろう。俺の右手は自然と春菜の頭を後ろから抱き、瞼は重力のまま落ちた。
そして――
そっとお互いの唇が触れた。その瞬間、俺の神経は唇にしか無かったのだと断言しよう。想像を遥かに超える柔らかさ、マシュマロなんてただの噂だ。春菜に触れている唇以外、身体の感覚が薄らいでいく。全身麻酔をかけられたかのように、深い海に沈んだかのように。夢の中に落ちたかのように――
そこで俺はふと現実であることを再確認したいという思いに駆られた。恐る恐ると言った風にゆっくりと薄目を開ける。そこには、目を閉じた春菜の綺麗な顔――
ではなく、見知らぬ男性の後ろ姿があった。黒いコートを羽織り、顔をこちらに向けようともしない。
『なぜ、君だけが幸せになれないのだろうね。それを考えたことがあるかい?』
なんだ? ここはどこなんだ? コンクリート剥き出しのビルの一室のようだ……。確かめようにも、金縛りにあったかのように体が自由に動かない。
『この世は、誰かの不幸無くして、誰かの幸福は有り得ない。そう――できているんだ。なら、君が不幸であることで、一体誰が幸福になっているのだろうね?』
黒コートは続けて言った。誰かの不幸が誰かの幸福に直結するなんて考え……そんな短絡的なもの、有り得ないじゃないか。根本からおかしい。いや、そんなことよりここがどこなのかを教えてほしいんだ――
しかし、俺のそんな思考を上書きして消し去るかのように違う人の言葉が脳内で聞こえる。
『お姉ちゃんが……お姉ちゃんが私の幸せを全部持っていってる。大学も、仕事も、友達も……全部恵まれてる。薫お兄ちゃんの事も――。私がしたかったこと。私が欲しかったもの。全部持ってる――』
まさか……と思って視界の端の自分の体に意識を向ける。やはり――
『宮内玲菜。君が幸せになるには、君の幸せを奪ってしまっている人を消してしまう以外方法が無い』
『お姉ちゃんを――消――す?』
『そうだよ。君の力なら、誰も苦しまず、誰も傷つかず。知らない内に全て変えられるんだ。――前に試しただろう? あれと同じ要領でやればいい。そうすれば君は――』
『そうすれば、私は――私は――』
『幸せになれる――』
最近の春菜の急変の理由――ずっと頭に引っかかっていた何か。それが今、繋がろうとしていた。
『お姉ちゃんが――お姉ちゃんが――』
やめろ! やめるんだ玲菜! その続きは願っちゃいけない! 春菜が!
『お姉ちゃんが、いなくなっていれば良かったのに――』
あの事故で死んでしまった事にしてはいけないっ!!
――俺の強い願いとともに、現実世界の俺の目も開かれた。目の前には、先ほどとは違う蒼白な顔で目を見開く春菜の姿。手を胸の前で固く握りしめ、怯えたように震えていた。俺の方を――いや、正確には俺のさらに後ろの方を見据える春菜。
「春――」
「ごめんなさい!!!!」
叫ぶように、骨折を気にもせず走り去る――
俺はそれを引き止めることが出来なかった。すぐに追いかければ間に合ったかもしれない。しかし出来なかったのだ。
「薫お兄ちゃん――今のって……?」
俺の後ろに立っていたのは、春菜が目を丸くして見ていたものとは――
「玲菜――」
「塾が早く終わって、学業の神様が居るって言うここに来たんだけど……タイミング――悪かったね」
そうか、春菜はさっき、不意に現れた玲菜を見て予知夢をフラッシュバックさせたのか。だから、触れ合っていた俺とワールドメモリーシンパシーが発動――してしまったのか。
「へ、へー。薫お兄ちゃんと春菜お姉ちゃんが付き合ってたなんて、知らなかったなー」
とぼけたように笑う玲菜。
「ごめん玲菜」
「えっ? なんで薫お兄ちゃんが謝るの? それに」
視界がぼやける。
「なんでそんなに悲しそうな顔で泣いてるの?」
なんで? さっきまで玲菜の辛くて重い感情に当てられていたからか? 春菜が消えてしまうという事を知ってしまったからか? おそらく――来週の水曜日にはみんなの記憶も書き換わって、いない事になっている。世界の記録から消えてしまっている――
「玲菜は、春菜のこと――好きか?」
「当たり前じゃない。大好きだよっ!」
「じゃあ、俺のこと――好きか?」
「なんでそんなこと聞くのっ?」
そうだよな。ここにいる玲菜はいつも通りの玲菜だ。
「はは、玲菜は良い子だな。家まで――送っていくよ」
「ありがとう。……でも、お姉ちゃんは?」
「玲菜を家まで送り届けたら、ちゃんと話して連れて帰るよ。だから――心配しなくて良い」
「薫お兄ちゃんがそう言うなら……」
「よし、帰るよ」
行きとは違う手を取り、行きとは違う交通手段で、バスを使って帰った。案の定、家に春菜は帰っていない。
さて。あの、自己犠牲猫をこれからどうやって探し出せばいいのだろうか――。とりあえず、浴衣のレンタル店で張り込んでいたら捕まえられるんじゃないかな。そんな安易な考えで、レンタル店へ向かうことにした。高確率で現れると踏んでいたレンタル店。しかし、俺の予想は見事に外れた。いや、春菜が先を行ったと言うのが正しいのだろう。
「足にギプスをはめた女の子がここで浴衣を借りて行ったと思うんですけど」
俺の言葉に、店のおばさんは一呼吸すらつかずに答えた。
「ああその子なら、さっき着替えて出て行ったところよ。それにしても、物凄く辛そうな顔してたから、あんまり話ができなかったわ。こんな祭りの日に女の子を泣かしちゃだめよ? おばさん、色んなカップルを見てきたけど、こういう時は、男がさっさと謝るのが一番よ」
何を勘ぐったのか分からないが、おばさんは親身に説得をしてくれた。――単に喧嘩でもしたものだと思っているのだろう。
「どっちの方に行ったか分かりますか」
「さあねー。なにせ、ギプスのくせに物凄い勢いで走り去っていったもんだから……。でも、喧嘩した後なら、近くの河原で風でも浴びてるんじゃないのかしら?」
なるほど。暗くなったらあまり人も来ないし、逃げるにはもってこいの場所かもしれない。
「ありがとうございます。とりあえず河原あたりを探してみます」
「見つけたらまず、ぎゅーーっと抱きしめてやんな」
音が出そうなウィンクをするおばさんに手を振って、俺は河原へ駆け出した。
「おーい! 春菜ー!」
呼びかけても反応は無い。
「おーい! 春菜ー! いるなら出てきてくれー!」
いたとしても、出てくるはずは無かった。――俺から逃げたようなものだからな。三日間逃げ通せば勝ち――。おそらく、そんな事を考えているのだろう。やはり、春菜の本当の願いは、俺とキスをすることなんかじゃなかった。
春菜の本当の願い――
それは、俺と玲菜が結ばれて、幸せになること――
十年……。十年の時を超えた玲菜の願いは、春菜の願いと重なって、その結果、今の春菜と未来の玲菜が選んだ答え。
春菜が消えてしまうことに……辿り着いてしまったのか――
繋がってしまったのか――
二人の願いが……。
時を超えて――