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フォトラップ・フォトリップ

「写真のおまじないは実行できたと言う事ね」


 教室で自分の椅子に座る俺を見下ろすように茜ちゃんは言った。俺は茜ちゃんに報告するという事も有り、部活を終えて教室に戻って来ていた。部活で体力を使い果たして机にしな垂れかかる俺とは違い、茜ちゃんは偉そうに腕を組ながら無い胸を一生懸命にかき集めて盛り上げようとしている。いくら放課後の教室に二人きりのシチュエーションとは言え、茜ちゃん相手に欲情する事はないが……。


「まあ、この通りだよ。写真の真ん中に俺が写ってて皆が囲う形。これでいいんだろ?」


 俺は現像した写真を見せて、少しの解説を加える。小さな達成感を持っていた俺とは裏腹に、茜ちゃんは眉をひそめた。


「ちょっとまずい事になるかもしれないわね……。いえ、気にしないで。ただ妄想でイッただけだから」


 逆に気になるよ。いや、気にするのはやめよう。


「それより本当に良いのか? 茜ちゃんはおまじないをしなくても」


「ええ。前にも言ったけど、丸岡くんの事を信じているから記憶が無くなっても問題ないわ。一夜を共にしたと言われても信じるわ」


「そんな事言うわけ無い」


「記憶なら捏造してあげるわよ? なんなら実際に一夜を共にしてみる?」


「しねぇよ」


「そうね。そんな事をしたら、流石の私も二人から殺されてしまうわ」


 二人って誰だよ。茜ちゃんの彼氏が二人もいたのか? ……って言えるほど俺も鈍くは無い。


「分かっているなら良いわ。しっかり選んであげなさいよ。優柔不断は人を傷つけるのだから」


 茜ちゃんがそう言い終えると、教室の扉が勢い良く開いた。俺達バスケ部も遅くまで活動をしている方だが女子陸上部もなかなか遅い事で有名で、更に部活後の女子トークが長くて帰るのが遅くなるらしい。つまりそう、扉を開けたのは女子陸上部所属の生徒、春菜だ。


「薫! 帰るわよ!」


 笑顔と言う春菜らしさを全面に押し出した表情。あの遊園地から帰ってからと言うもの、春菜は妙に上機嫌なのだ。日曜日も迷惑メールも迷惑する程のメールを送ってくるし、月曜日の今日も朝から一緒に登校するって言って家まで来るし。……俺は朝練が無いから、のんびりしたかったのだが。

 しかし、そんな春菜の態度に逆に俺は遠慮のようなものを感じた。御機嫌を装っているような――。そして、心なしか玲菜の話題が増えたように感じていた。


「それじゃあ、茜ちゃん。また明日」


 俺は春菜に引っ張られる形で教室を後にした。さっきまで話していた茜ちゃんは何を考えているか分からない無表情で手を振っている。鼻歌交じりの春菜に手を引かれて学校を出る。夕日も沈んだ後のほの暗い校庭にはもう誰も残ってはいない。冷ややかな風が運動後の疲れた体に染みわたる。


「ねぇ、薫って将来の夢とかってある?」


「なんだよ藪から棒に」


 会話と言うものはいつも突然、驚くべき驚きの連続だ。実際に藪から棒が出てきたりなんかしたら驚くどころではすまないが――。


「あたしにはあるんだー。夢」


 後ろ手を組ながら歩く春菜は、俺にではなく日の沈んだ西空に向かって話を続けた。


「あたしの夢は、オリンピックに出て金メダルを獲ること。もちろん陸上競技で!」


「そっか。なんだか春菜にならできそうな気がするな。そうなったら、俺は金メダリストの幼馴染みだって自慢できるよ」


 俺は適当に返事をしたわけではなく、割りと本気で割りと真面目に答えた。裏無く隈無く本音でそう言った。


「本当は金メダルなんて獲れないこと分かってるんでしょ? まあ、あたし自身が一番分かってるんだけど。いいとこ国体の入賞止まり。あたしには、もう先が見えてるのよ」


「先のことなんて誰にも分かんないだろ。少年漫画みたいに努力すれば絶対に実るとまでは言わないけどさ、春菜にならできそうな気がする」


 励ましではなく俺の素直な感想。それに対して春菜は首を軽く振って否定する。


「あたしには自分がどれだけ努力できるか、どれだけ伸びるのか――。それがかなり具体的にイメージできるの。自分の限界が見えちゃうの」


「そう思い込んでるだけじゃねーの? 勝負の世界だから相手の調子にもよるだろうし」


「だから、あたしはいつも言ってるでしょ?『運』で上手く行ってるだけだって」


 運も実力の内、とは良く言ったもので、実力という大きな枠があってこそ運が発揮されるのだと俺は思っている。いつも良い結果を全て運のおかげにしている幼馴染みがいるが、俺はそいつの実力を大いに認めている。実力の中に運が含まれるのだ。


「運の中に実力が混じっているのよ。実力があるのはたまたま運が良かったから。そんなことを言ったら努力している人に怒られるかもしれないけど、あたしはそう思うの」


 俺の記憶にある成功者は、例外なく何らかの努力をして実力を備えている。――運だけで上手くいっている人は知らない。目の前のこいつだってそうだ。


「運って言っても色々あるのよ。生まれとか才能はもちろん、環境も。人の命が生から死まで運ばれる過程。その全てが運。運命ってやつ? ……決まってるんだよ」


「何ニヒルを気取っているんだか。それも前文から内容を把握する力の発展系か? それでも、努力次第で変えられることはたくさんあるだろ。勝てない相手にだって勝てるようになるよ」


「あたしお姉ちゃんに勝てる?」


「それは無理だ」


 即答してしまった。しかし、分かってもらいたい。決して春菜を低く見ているわけではないことを。若菜さんが特別なのだ。特別過ぎるのだ。俺でさえ何一つ勝てる気がしない。得意なスポーツと自信がある記憶力を引き合いに出したとしてもだ。


「玲菜より可愛くなれる?」


「それは無理だ」


 またしても即答してしまった。


「いや、決して春菜が可愛くないと言ってるわけじゃなくてだな。玲菜が特別過ぎるんだよ。あの子は誰からも可愛がられる能力がある。その点は天才的だ。玲菜を可愛いと思わない生物は存在しない」


「あんたと同意見なのは悔しいけど。全くもってその通りなのよ。勝てないものは勝てない。あたしの価値には限界がある」


 自らに対して否定的な割りには、表情が朗らかだった。


「結局のところ、あたしって周りが幸せそうにしていたら、それが一番嬉しいのよ。だから、みんながあたしより優秀で評価されてても悔しくないし、むしろ楽しいのよね」


 もちろん薫は例外ね。春菜は最後にそう付け足して言いきった。


「だから、あたしを切り捨てることで誰かが幸せになるのなら、迷わずその誰かを選んでよね。薫はいつか選ばないといけなくなるんだから」


 スキップをしながら笑顔で――。愉しげに振る舞う春菜を見て、俺は少し寂しくなってしまった。なぜだか理由は分からないのだが、胸が締め付けられるように感じた。


「薫お兄ちゃーん!」


 信号待ち。交差点で止まっていると、タイミングを見計らったかのように嬉しそうな笑顔と声でみんなの天使こと、玲菜が駆け寄ってきた。あたかも、初めから決められていたかのように俺と春菜の間に入り込む。俺と春菜、二人共と腕を組めるように。……腕に伝わる感触が、とても中学生とは思えない。玲菜の頭をワシャワシャと撫でまわして恍惚とした笑顔をたたえる春菜もまた、高校生には思えない。……まるで久しぶりに孫に会ったおばあちゃんのようだ。


「見て見て薫お兄ちゃん! 春菜お姉ちゃん! 先週あった実力テストで、玲菜学校で一番取ったんだよ!」


 誇らしげに成績表を見せてくれる玲菜。全校生徒二百人中、一位。ちなみに、前回は五十二位みたいだ。


「すごいじゃん玲菜! これなら俺達が通う高校にも合格できるな!」


 何を隠そう、俺達が通う森北高校は市内で一番偏差値が高い進学校なのだ。玲菜が今通う中学からは毎年十人合格すれば多いと言われている。


「うん! それに次の成績も良かったら推薦貰えるかも知れないの。玲菜、お勉強以外はずっと頑張ってたから、先生が良い内申点つけてくれるって!」


 玲菜は、宮内家の血筋をしっかりと受け継ぎ生徒会長や学級委員長をこなしている。俺にとっては頼りない妹キャラなのだが、学校では違うらしい。――姉二人が優秀だと、プレッシャーが大きいだろうな……。そんな考えが頭を過ったが、隣で無邪気に笑う玲菜を見ると、思い過ごしだろうと感じた。


「でも、突然一位なんてどんな勉強をしたんだ? 勉強法を本にでも書いて出したら売れるんじゃないか?」


「えっとね……。実は玲菜にも良く分からないの。本当はもっと間違いがいっぱいあると思ってたの。でも間違ってなかったの」


「ん? つまり、適当に答えてた箇所がたまたま沢山当たったってことかな?」


 玲菜は首を大きく振って否定する。


「違うの。テストを受けた時は間違えてたの。絶対に間違えてたの。でも、テストが返って来たら正しい答えを書いてるの」


「玲菜ったら、勘違いしてるんじゃないの? やればできる子なんだから、何も不思議な結果じゃないわ。運良く当たったにしても、玲菜だから取れた点数なのよ。もっと自信もって!」


 玲菜は納得のいかない表情で頷いた。かくいう俺も、何かが引っ掛かっていた。人は、知られたくないことがあるときに話を逸らしたり、嘘で誤魔化したりするもの。春菜のフォローは、まさしく前者のそれだった。話を逸らした。俺はそう感じた。他の女の子との会話ならあまり気に留めなかっただろう。しかし、相手は春菜だ。前文から内容を把握する力のある春菜だ。いや、冗談で言っているわけではなく。

 春菜なら、悩んでいる妹の話をずれた返答で納得させる真似はしない。そう信じている。テストでの思い違いにほとんど触れずに、成績の話に戻し、自信を持つように促す……。何か引っ掛かる。と言うよりは――。


「そう言えば、前に春菜が遅刻してきた時に先生から預かってたプリントがあったんだった。部屋に忘れてたんだけど、今からウチに寄れるか?」


 春菜は何かを察したようで、俺の目を見た時には、一瞬辛そうな表情を浮かべた。罪悪感を覚えている人間の目だった。


「玲菜は先に帰ってお姉ちゃんと晩御飯の準備してて。あと、薫の分も用意よろしくね!」


 明るく軽やかに、いつもの春菜は玲菜に一人で帰宅するよう促した。会話に置いていかれた玲菜は、若干の挙動に不審さが伺えたが、すぐにいつもの玲菜に戻った。


「分かった! 薫お兄ちゃんが来てくれるなら、いつも以上に玲菜張り切っちゃう! 楽しみにしててね」


 信号が青になると同時に走り出す玲菜。俺達の家は、もう目と鼻の先だ。玲菜が家に入って姿が見えなくなると、無理矢理笑顔を作っていた春菜が苦しげに言った。


「聞きたいこと……あるんでしょ?」


 ああ。答えなくても分かっているんだろ。何て言ったって春菜。お前はどうしようもなく春菜なんだからな。

 春菜は遠慮がちに俺の後ろをついて家に上がる。幼馴染み、隣人、クラスメイト、そのような深い間柄ではあるが俺の家の玄関をくぐるのは何年かぶりになる。


「とりあえず座れよ。お茶でもいるか?」


 リビングまで案内し、大して物も入っていない冷蔵庫を漁る。


「要らないわ。すぐに終わる話だし」


「そうか」


 春菜は大きく溜め息をついて椅子に腰掛ける。まだ話したくなさげな雰囲気を醸し出しながら――。


「俺が聞きたいことってのはだな――」


「そうよ。……過去が変わったのよ。――玲菜の願い通りに」


 頭を抱えたままの春菜は話を続ける。つらつらと、ぽつりぽつりと……。


「しょうがないじゃない。何も知らない玲菜にワールドメモリーやら過去変えやらを説明するわけにいかないし……誤魔化すしかなかったのよ」


 それからもうひとつ。誰しもが疑問に思うであろう事実に対する考察も挙げた。


「茜ちゃんのおまじない。おそらく、と言うか確実に玲菜にも効果が出てるわね。まあ、玲菜ならあの写真を肌身離さず持ち歩くでしょうし……。当然と言っちゃ当然よね」


 放課後に茜ちゃんがまずいと言っていたことは、この事だったのだろう。確かにまずい事ではありそうだ。何も知らない女の子の記憶を混乱させてしまうのだから。


「さあ、こんなもので良いかしら。玲菜も待ってることだし、さっさとウチに行くわよ」


 言いたいことは全て言いきった。椅子から立ち上がった春菜は背中で語る。しかし、一歩踏み出した春菜を俺の手が引き止める。服越しに肩を捕まえて。


「俺が聞きたいことってのはだな――。それじゃないんだよ」


 流石の春菜も、俺の考えを全て読めるわけではないらしい。……考えてみれば当たり前なのだが。


「春菜が俺に対して誤魔化そうとしていること。後ろめたい何かが有るんじゃないのか? 今の話ではない何かが」


 春菜の体が若干強張ったのが伝わる。動揺――しているようだ。デリカシーとやらを持って、空気とやらを読んで、突っ込んだ質問をしないというのも一つの手としてあったのだろう。しかし辛そうな顔をした春菜を黙って見ていられるほど俺は大人にはなれなかった。だが、春菜は俺の質問に対して無言を貫く。――貫こうとした。無理矢理とは言えない弱い力で俺の手を降りほどこうと歩みを進めた。


「未来の玲菜は、自分のテストの点が高かったらよかった――。そう願ったわけだ」


 俺は一つの賭けに出る。対する春菜は返事をしない。


「あの時のテストで一位だったら良かったのに。それか、あの時のテストで百点がいっぱいとれていたら良かったのに。もしくは、森北高校に推薦が貰えたら良かったのに……か」


 一貫して無言で通す春菜。そんな春菜には悪いが、俺の博打――。試させて貰う。


「春菜――。ごめん」


 引き止めるために掴んでいた肩を引っ張り、強引にこちらを向かせる。驚いて俺の目を見た春菜の顔。その頬に手を触れた。春菜の素肌と俺の素肌とが『接触』した。俺の博打。それは本人以外が記憶を説明した後に触れても、ワールドメモリーシンパシーが発動するかどうかというもの。保険として、いくつかの案を提示し、更に俺の脳内で実際にイメージも持っておくようにもした。

 ワールドメモリーシンパシー。その発動条件が今までの認識と違うということに賭けたのだ。春菜の頬に触れる。その瞬間に賭けに勝ったかどうか、結果が分かるのだ。もし成功した場合、春菜が隠そうとした記憶を無理矢理覗いたのだ……どんな仕打ちだって甘んじて受ける覚悟をしている。

 俺にはデメリットしかない賭けであったとしても、実行しなければならなかった。実行結果俺達は――。俺達の意識は未来へと飛んだ。


「あー。なるほどね、こんな凄い力があったんだー」


 ソファーに転がり、天井へと言葉を飛ばす俺――否、玲菜か。口元がいやらしくつり上がるのが分かる。


「さっきの人が言ってた通りの能力なら、何でもできちゃうな」


 そこで呟きは終わり、頭の中での言葉が代わりとなる。


『今までの思い違いにも説明がつくし……。みんなと話をした内容……、あれが無かったことになってたのは、このせいね』


 話した内容が無かったことに――。思い違い――。詳しい事は分からないが茜ちゃんのおまじないのせいで経験した周囲との記憶違いの件だろう。詳しくは分からないとは言え、俺が経験した疎外感を未来の玲菜は感じていたという事は間違いないみたいだ。


『つまり願っちゃえば、翌日には過去が都合良く変えられるってことよね?』


 玲菜の考えを読んだ瞬間、背筋に嫌なものが走った。ゴキブリやムカデが走ったかのようだった。


『世界は私の思うがまま……。手始めに――』


 すくっと立ち上がる玲菜。


「森北高校の推薦が貰えるくらい、成績が良くなれ!!!!」


 言葉と共に強く願った玲菜。それと共に、へそを背中側から引っ張られるような感覚に陥った。……元の意識に戻ったのだろう。元の時間軸に戻った俺が始めに感じたこと。それは、手に付いている水。

 春菜の頬に触れていた手に水が付いていたのだ。俺は、半ば反射的に腕を引っ込める。


「ごめん……」


 俺は反射的に謝る。


「玲菜は……悪くないの」


 春菜の第一声は、玲菜の擁護だった。涙を流してまで――。


「ああ、わかってる。玲菜だって辛い想いをしてたんだ。いや、するのか……」


 いや、ずっとし続けているのか――。春菜は涙をそのままに立ち尽くしていた。俺は、春菜の泣き顔は長年見ていない。前に見たのはそう、あれは十年ほど前。俺が両親の仕事の都合で海外に引っ越すと言う話になった時だ。あの時は、寂しいと言ってずっと泣いていたな……。その直後に、両親が交通事故で逝ってしまって海外行きは無くなった。俺も一週間後に意識が戻った頃には全てが終わっていて、良くわからない内に宮内家の孤児院に引き取られていた。

 話は逸れたが、つまりは春菜の涙に慣れていない。対処がわからない。だから俺は、自分の袖で乱暴に拭いてやった。後から考えると、有り得ない対応だったと思う。しかし、その時の春菜は大いに笑顔だった。

 春菜が落ち着いたのを確認してから、俺達は玲菜が作る夕飯を楽しみに宮内家に移動した。


「おかえりー! 薫お兄ちゃーん!」


 宮内家でいつも聞くセリフと共に飛び付いてくる雄介。


「何でお前がいるんだよ」


 抱きつかれる直前に前蹴りで受け止める俺。なんと優しいのだろう。


「夕飯を一緒に食べないかと若菜さんに聞かれたら、普通どう答えるよ?」


 雄介は腕を無茶苦茶に振り回して俺の足を払うと、決め顔で言った。


「行くでしょ!!」


 そうだろうよ。知ってたよ。


「やっほー。薫君おかえりー」


 奥の部屋から顔だけを出した若菜さんが手を振る。もちろん俺に対して手を振っているのだろうが、雄介がそれに応えて手を振り返した。にやにやしながら――。俺がきもちわるい雄介に気を取られていると、若菜さんの影から影を置き去りにするほど素早い生物が飛び出し……飛び付いてきた。


「薫お兄ちゃん!! 待ってましたーー!!」


 あまりの衝撃に、俺は玄関扉に背中を打ち付けた。……痛い。痛かったが、玲菜を落とさないようにだけは細心の注意を払っていた。


「もし玲菜を落として怪我させたら、校舎から落として怪我させるから」


 耳元でドスを利かせた春菜が笑顔で囁く。


「それ、怪我じゃ済みませんから」


「じゃあ落とさないことね」


 そう言うと春菜は荷物を部屋に置きに行った。俺は、玄関に置いてある雄介の荷物のとなりに鞄を並べると、玲菜を抱えたままリビングに向かった。玲菜は俺に抱えられている最中、終始嬉しそうに笑っていた。


「御馳走様でした」


 言っておくが、頂いてもいないのに御馳走様でしたと言ったわけではない。完食。若菜さんと玲菜が手伝って完成したのであろう夕飯は、完璧な食事だった。味はもちろんのこと、栄養バランスから食べ合わせまで。いつ食べても感動させられる。……主な要因は若菜さんなのだが。……要員は。


「薫お兄ちゃん! ご飯食べ終わったし、これから玲菜の部屋に来てよ! 見せたいものがあるんだー」


「なんだ? 見せたいものって」


「えへへ。見てのお楽しみだよ。若菜お姉ちゃんと春菜お姉ちゃんと新田さんも!」


 俺だけじゃないのか――。少しだけ残念な気持ちもあったが、同時に安心する気持ちもあった。どうでも良いが、雄介は新田さんと呼ばれているんだな。


「洗い物が終わってから行くわ。皆は先に玲菜の部屋に行ってて」


 食器を片付けながら若菜さんは笑顔で声をかける。すると釣られるかのように雄介も席を立った。


「俺も、片付けの手伝いが終わったら行くよ」


「お母さんがやっておくから良いわよ。二人とも行ってらっしゃい」


 気を利かせたお母さんがそう言ったが、二人に譲る気配は無かった。


「お母さんはゆっくりしてて。片付けは私に任せて」


「こんな美味しいものを頂いたのですから、洗い物くらいさせてください」


 二人の押しに簡単に折れてしまったのか、お母さんは静かに腰をおろした。


「じゃあ、任せようかしらね」


「早く早く! 薫お兄ちゃんと春菜お姉ちゃんは先に玲菜の部屋!」


 一秒でも早く俺達に見せたいのであろう。一体なにを見てほしいのか分からないが、おそらく俺達が良いリアクションを取れるものなのは間違いない。俺と春菜は、玲菜に腕をグイグイと引っ張られながら『玲菜の部屋』と可愛らしく装飾がされたプレートがついている扉に向かった。


「さ、さ。入って入って! ちょっと待っててね」


 促されるままに玲菜の部屋に入った。かなり久し振りに入る訳だが、なんと言うか――昔抱いたイメージから毛ほども変わりがない。女の子らしさを全面に押し出したコーディネート。流行りの可愛いヌイグルミを並べたベッド。女の子の部屋を絵に描いた、そんな様相だった。


「よっこらしょ」


 玲菜のベッドにどっしりと腰をおろした春菜は、親父臭い声をあげる。比較対象が両極端で、互いが際立つ。――本当に姉妹なのか?


「ふふふっ薫お兄ちゃん達に見せたかったのはこれなのです! じゃじゃーん! どう? 凄いでしょ?」


 そう言って玲菜が差し出してくれたのは、手作り感漂うアルバムだった。一目見ただけでかなり作成に時間がかかったのだろうと予想できるファイルだった。卒業アルバムにひけを取らない。さらに驚くべき点はそれだけではない。――量だ。量が半端ではない。おそらく幼少期からの写真全てをまとめたのであろう。――十冊も出てきた。


「凄いな玲菜。これ全部一人で作ってまとめたのか?」


「そうだよ! 百円ショップで買った分厚い冊子に沢山デコレーションして可愛くしたんだー。テスト期間中は午後から休みだから、頑張っちゃった」


 受験生は勉強しなさい。少し頭を過ったが口には出さなかった。出せなかった。満足気で嬉しそうな天使の笑顔を見たら何も言えなかった。


「玲菜ー。受験生なんだからお勉強もしなくちゃー。あんまり運にばっかり頼ってちゃダメよー。後悔するわよー」


 しかし春菜は、俺の心の声を代わりに口に出した。優しく促すように。


 ……未来の玲菜が後悔していたことを、自分の力で乗り越えるため。そんな優しさがあったのだろう。


「うん! これが最後だよ。頑張って勉強するって決めたから。お姉ちゃん達と同じ高校に行くって決めたから!」


 こぶしをぎゅっと握りこんだ玲菜は宣言した。


「前回のテストで良い成績だったから希望が出たの! 玲菜頑張る!」


 未来の玲菜の願いは、過去の自分のやる気を出させるというポジティブな結果となったわけか……。てっきり努力無しで高校に合格する過去へと変えるのかと思っていたが、少し安心した。


「それより、見て見てっ!! 薫お兄ちゃん覚えてる? 小学校の時に行った合同遠足」


 玲菜が差し出したのは、俺が小学五年生の時に行われた全校合同遠足の写真だった。遠足班がランダムに決められるため、俺と玲菜の学年が被っている期間で唯一同じ班で行動する予定だったものだ。

 そう、予定だったものだ。


「あっ懐かしいわね。あたしが先生を脅してみんなと同じ班にさせた時のだ! ほら、お姉ちゃんもいる。薫は覚えてる?」


 そんな裏事情があったとは……。恐ろしい小学五年生もいたものだ。将来関わりたくないタイプの子供だな。そんなことより気になるのは、春菜の聞き方だ。いつも俺に覚えているかどうか尋ねるときは、覚えている『内容』について聞くのだ。それを今回は、根本的な出来事を覚えているかと聞いてきている。

 ――もちろん覚えていない。なぜなら、この日は風邪をひいて宮内家で一人寝て過ごしたのだから。


「うーん。よく覚えてないなぁ」


 俺が覚えていないと言った瞬間、玲菜は寂しげな顔を、春菜は予想通りと言った顔をした。


「えぇぇぇーーっ!? 覚えてないのーー?? ばっかじゃないのーー?? 有り得なぁい」


 春菜はこれ見よがしに非難する。わざとだと分かっていても腹が立つほどに。――ベッドから投げ出しているスネに一撃かましてやろうか。


「しょうがないなぁ。楽しかった思い出を教えてあげようじゃないか!! ねっ玲菜!!」


「うん! 薫お兄ちゃんに思い出してもらう!」


 春菜の意図は分からないが、二人から思い出話を聞くことになった。玲菜がどんなエピソードを語ろうかと悩んでいる頃、俺のポケットで携帯が震える。見ると、春菜からのメールだった。


『後であんたの思い出も教えなさいよね。片方だけしか知らないなんてずるいんだから』


 なるほど、お互いの思い出を共有したい――そういう事か。俺は、玲菜と春菜から話を聞きながら、春菜にメールを送り続けた。記憶違いの全てを。アルバムをめくれば、いくつもの知らない自分がいた。しかし、ついこの間まで一人で記憶違いに苦しんでいた頃とは違い、むしろ新鮮で楽しい気持ちがあった。

 しばらくすると、雄介と若菜さんが部屋に入ってきて思い出話に花を咲かせた。雄介は部屋に入ってから、基本的に若菜さんの写真探しをしていた。アルバムに食い入るようにして。


「やっぱり若菜さんの昔の写真はブレてるのが多いですね」


 やっぱりってなんだよ。確かに俺の記憶にある若菜さんの写真はブレているものが多い。


「写真は苦手なのよね。不意に撮られたらほとんどブレるのよ」


 おそらく、普段からてきぱきと動くせいで止まっている瞬間が少ないのだろう。


「おっ! これは俺達が中二の時の運動会じゃないか」


 雄介が指差した写真には、トラックを玲菜の手を引いて走る俺の姿があった。――全く記憶にない。


「これって確か、借り物競走であたしが紛れ込ませた『宮内』って札を薫が引いた時のやつね」


 またお前かよ。変なことばっかりしやがって。だが、またしても俺の記憶では違うことになっていたのだ。俺の記憶では春菜の手を引いて走っていたはず。一応俺はその事をメールで伝える。メールを受け取った春菜は中身を見て、なにやらニヤニヤしていた。ニヤニヤしながらベッドに倒れこむ。ちょっと気持ち悪い。


「これは俺達が中三の最後の県大会の写真かー。玲菜も若菜さんも応援に来てくれてたんだなー」


 俺のセリフに雄介が小さく反応する。記憶違いを察してくれたのだろう。しかし、なぜか一番察してくれたのは若菜さんだった。記憶違いについて知らないはずなのに。


「本来なら、私も玲菜も春菜の応援に行くはずだったんだけど、その日は突然の雨で陸上競技は延期になったのよ。優勝して全国大会に行くものだと思ってたけど、僅差で負けちゃったし。中学最後の薫くん達の試合、応援に行けてなかったら、後悔してたでしょうね」


 一から十まできっちり説明してくれた若菜さん。本当にこの人は何でも知っているのではないかと思う。超能力でもあるんじゃないかとか。なんでもできちゃう超能力。また俺の記憶違いを春菜にメールで教えようと思ったが、相変わらずベッドで「ふひひっ」と言いながらうずくまっていて気持ち悪かったのでやめた。

 新鮮な思い出話を語りながら、俺達は玲菜が用意していたアルバムを全て見終えた。


「ところで玲菜。この前皆で撮った遊園地の写真はどうしたんだ? アルバムの中に無かったけど」


 常に持ち歩いているという事は分かっている。しかし、わざわざこうやって聞いたのには理由がある。


「うんとねぇ。特にお気に入りの写真はちっちゃいアルバムに入れて持ち歩いてるんだぁー!」


 玲菜はそう言うと、学校指定鞄の中から小さなポーチを取り出す。そこには手のひらサイズのアルバムが入っていた。


「玲菜の一番の宝物だよー」


 玲菜は嬉しそうにアルバムを抱き締めると自慢気にそう言った。しかし、俺達に見せてくれる気配は無かった。


「玲菜? どうしてそれは見せてくれないんだ?」


「えっ……。だって恥ずかしいんだもん」


 ……恥ずかしい? 今までのアルバムと何か違うのか? そんなことを考えていると、若菜さんから玲菜への助け船が出された。


「女の子には人には見せたくない写真だってあるわよね。人と言うよりは薫くんに――かしらね?」


「もう! 若菜お姉ちゃんのいじわるっ!!」


 ……全く意味がわからないが、若菜さんと玲菜の間では何かが伝わったのだろう。


「さあっ! そろそろ遅くなってきたし、今日はこの辺でお開きにしましょうか。最近は物騒だからね」


 唐突に帰宅を促したのは、やはりと言ったところか、若菜さんだった。確かに最近は原因不明の事故や犯人が捕まっていない事件が多発している。時計を見ると、そろそろ九時をまわる所だった。


「そうですね。また明日も学校ですし、解散にしましょう」


「俺はまだ大丈夫ですよ!? 少しでも長く若菜さんのそばに」


 俺は、雄介が最後まで言い切る前に首を腕に引っ掛けて止めた。


「それではまた明日」


 雄介を引き摺るようにして玄関に向かう。靴を履き、扉を開けると背後から声をかけられた。


「またいつでもいらっしゃい。薫くんは春菜と玲菜と一緒でうちの家族なんだから」


 お母さんがにこやかに見送りをしてくれたのだった。


「いつもありがとうございます。お邪魔しました」


 雄介も愛想良くお辞儀をすると、扉を閉めた。


「――若菜さん……辛いんだな」


 雄介との別れ際、雄介のそんな言葉が耳に残った。

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