表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/13

不思議少女

 端的に言うと、俺達は保健室から追い出された。まあ次の授業が始まりそうだったし、俺が雄介と春菜と元気に話をしていたら当たり前と言えば当たり前だ。ちなみに今三人で教室に向かって歩いているところ。


「あーあ。おとなしくしてたら後一時間は保健室で授業サボれたのにな」


「俺と春菜は大丈夫だけど、雄介は授業サボると成績が危ないだろ。ちゃんと出ろよ」


「俺だって大丈夫だよ! 今までだって試験で赤点取ったこと無いしな! ……今回のはちょっと自信ないけど」


「普段から真面目に勉強しておけば毎回ギリギリなんて事も無いだろうにな。そんな成績だと若菜さんに嫌われるぞ」


「あ、お前若菜さんの名前出すなんてずりーぞ!」


「ははは」


 そうこうしている内に、二時間目の開始を告げるチャイムが鳴った。春菜は、急かすように俺の腕を引っ張る。しかし、そこで俺は突然頭に何かを叩き込まれたような感覚を覚えた。そして、力無くその場で膝をついてしまった。隣を見ると、春菜も同じような感じだった。慌て俺達二人を支えようとした雄介も、体に触れた瞬間に膝から崩れ落ちた。


「何なんだ今のは?」


 そう呟いたのは俺だ。


「頭の中に映像……いや、音声もだ。記憶が流れ込んできたみたいだ」


 そう言ったのは雄介だ。だが俺も同じような感じだった。春菜が腕に触れた瞬間、記憶が流れ込んできたのだ。俺が普段過去の記憶を再生しようとした時のように五感全てで感じる再生のような……。でも普段と違うのはその再生が現実時間で一秒も無い程の時間の中で行われたという事。それと音も映像もすり切れた古い映画を見ているかのように荒い。そしてその記憶と言うのは、先程春菜が話してくれた夢の話だった。


「何? あの時の夢がまた?」


 そう口にしたのは春菜だった。あの時の夢と言ってる辺り、俺達が見た物が春菜の見た夢であることは間違いなさそうだ。それにしても、まさか自分と話をする光景を見ることになるとは思わなかった。

 ……宮内家のリビングに腰かけ、少しだけ歳を取ったように感じる自分と話をする春菜の視点。椅子に座った俺はゆっくりとアイスコーヒーを口に運んでいる。ただ、声がはっきりと聞こえず俺と春菜が何を話しているかは分からない。そして最後は、聞いていた通り――


『MVPを取っておけば良かったのに!』


 そう頭で願った所で記憶が途切れた。その言葉だけははっきりと聞き取れた。俺と雄介は、頭が落ち着くと春菜の方に視線を送った。春菜は、俺達二人を交互に見ると一言こう言った。


「てへ!」


 俺はそんな春菜の頭を反射的にパシッとはたいてしまった。春菜の頭に触れた瞬間、今度は何も俺の頭に流れ込んでは来なかった。触れたから記憶が流れ込んできたわけでは無さそうだ。


「それにしても、今の夢と俺の記憶が無関係には思えないし。もしかしたら並行世界とかじゃなくて、もっと違った何かなのかも」


 そして俺達は考え込む。しかし、考えたところで答えが出るはずもなかった。いたずらに時間を浪費するだけだ。


「あー! ヤメだヤメ! 薫も春菜も、とりあえず教室に戻るぞ! やっぱり考えたって無駄だ!」


 雄介の声で、俺達は教室に向かって走り出した。もうチャイムが鳴っているので、遅刻は確定している。それでもわざわざ走ったのは、気持ちの問題って奴だ。先生は教室に駆け込んだ俺達を咎めることもなく、授業を続けてくれた。気持ちを汲んでくれたのだろう。


「なあ薫。春菜が並行世界を夢で見る能力を持っているとしたらどうだ?」


 授業中にもかかわらず、雄介は隣の席から身を乗り出して俺に囁く。先生は黒板の上の方に頑張っててを伸ばして化学式を書き綴っている為、雄介のことは気付いていない。

 この化学の先生は背の低い女性で、ロリ白衣萌えの男共に大人気である。

 ロリと言えば、俺の目の前にもかなり小柄な女の子がいるんだが、如何せん話したことが無いのでどんな子か分からない。

 織田茜――。

 誰とも話をしているところを見たことが無い不思議な女の子だ。


「並行世界の未来か? そこまで複雑になると、流石に考えても分からないな。そもそも並行世界ってのが怪しいし」


「でも、並行世界があるってのが一番可能性があるじゃないか。どんな事実の矛盾も解決するしちまうぜ! それに……」


「それに?」


「いや。何でもない」


 そこまで私語が続いたところで先生は黒板からこちらの方に向き直した。どうやらプリントを配るようだ。先生は、席の最前列にまとめてプリントを配布してまわる。そしてなぜかいつも俺の列は、決まってプリントが回るのが遅い。他の列の皆がプリントを手にして目を通しているのに、まだ回ってこない。いつものことなので慣れている。周りからかなり遅れて俺の手に織田茜がプリントを渡す。それと同時に織田茜は口を開いた。


「並行世界なんて存在しないわよ」


 俺は初めて織田茜の声を聞き、驚きから返事をすることが出来なかった。それもそのはず。誰とも話をしているところを見たことが無い不思議な女の子であるはずの織田茜が話しかけてきたのだ。

 俺に向かって!

 しかも、その内容はさっきまで雄介と話していた並行世界の事。すぐに言葉を返すことができないのは自明の理である。


「何か言うことはないの?」


 抑揚も無く、表情の変化も無い。ただただフラットで、女の子にしては低い声で質問をしてくる。


「あ、いや。……なんで?」


 自分でもみっともない返答である。幼稚園児でももう少しまともな返事をするのではないだろうか。


「並行世界は無い。私はそれを知っている。それだけ。さっきあなた達が並行世界の話をしていたから、私は知っている事を伝えたの」


 知って……いる?


「どういう事なんだ? 知ってるって、いったい……」


「私は不思議な事に興味があるの。並行世界は過去に私が興味を持って調べた不思議な事の一つ。調べ方は企業秘密」


 なんだろう。不思議な事って言うなら、今俺の目の前にいる小柄な女の子が最も不思議な気がする。興味があるなら鏡でも見せてあげようか……。


「そりゃ、教えてくれてありがとう。でも、なんでわざわざそんなことを教えてくれたんだ?」


「あなたからは不思議な臭いがしたの。だから興味が沸いて話しかけた。そんなところ」


 可愛い女の子から興味があるなんて言われたら嬉しいもんだな。うん。今日という日、今という時間は忘れないでおこう。九時五十五分だ。


「不思議な事なら確かに抱えてるかな? 信じてくれるなら織田さんにも話すよ」


「織田さんなんて呼び方はしないで、気軽に茜様って呼んでいいわよ」


 何て言うか……。今この時を持って織田茜のイメージが崩れた。九時五十六分だ。


「冗談よ。好きに呼んでいいわよ」


 完全に崩れた。……九時五十六分だ。


「じゃあ、茜ちゃんとでも呼ばせてもらうよ」


 ちっちゃいから、ちゃん付けが似合う。茜たんとか、茜ちんでも良かったが流石に自重させてもらった。


「その茜ちゃんは、俺の話を聞いて信じてくれるのか?」


「とりあえず早く話して。私、遅い人って嫌なの。だからと言って早すぎるのは論外よ。お互い気持ちよくなれるくらいの時間が良いわね。別に変な意味じゃないわ」


 絶対に変な意味を含ませてる!! てか、変な意味の中に必要なことを少しだけ含ませているくらいだ。ツッコミを入れたいが、まだ話したばかりだし、様子を見よう。


「早くって言われても、そんなに簡単に話せる内容ではないし……。ひとまず授業が終わってからな」


「そんな放置プレイなんてされたら、気になって気になって全身の穴という穴。毛穴という意味よ。そこから塩辛い水が溢れだしてきちゃうじゃない。しっかり吸い取ってよね。タオルで」


「ちょっと黙れド変態!! R指定になるだろうが!!」


「流石は男の子ね。しっかり突っ込んでくれるわ。私も突っ込まれるのが快感なのよ。夜も「待て! それ以上言うと後悔するぞ」


 危うく後悔どころか非公開になるところだ。どうにか爆弾発言の連発を阻止することに成功した。しかし、茜ちゃんはとても満足気だ。イメージどころの騒ぎではない。もう、小説のジャンルすら変えかねなかった。


「私黙らせたかったら、上の口にナニかをブチ込むことね」


「そうか、じゃあ自分の左拳をブチ込ませてあげよう。右利きだから、ノートはとれるだろ。俺って優しいな」


「おもしろく無いわね丸岡くん。もう少しノってくれても良いのに。いっそ馬「待て! それ以上言うと後悔するぞ」


 もうね。うん。こいつおもしろい。


「そこ! 静かにしなさい!」


 先生に怒られてしまった。流石に普通の声の大きさで突っ込みを入れると先生も気付くみたいだ。しかし、怒られているにも関わらず、茜ちゃんは何食わぬ顔で自分の席に居直っていた。そして周りのクラスメートが俺の方を見たときには、俺が一人で先生に頭を下げている状態だ。これじゃまるで全部俺がいけないみたいじゃないか。

 ふと春菜を見ると何処に持っていたのか、スケッチブックに『そこで面白い弁解を一言!』と書いてカンペを出してきた。俺はなんか悔しいので、先生に見付からないように全力で消しゴム(新品)を投げつける。すると春菜は、器用に筆箱でキャッチ。またスケッチブックに何か書いてきた。

 なに?


『甘い!』


 くっ! なんて奴だ! ……更に二ページ目だと? 春菜はスケッチブックに筆を走らせる。ものすごい早さだ。法廷画家もビックリの早さだ! まあ、法廷画家は実際には法廷で下書きしか描かないそうだから早いかどうかは分からないけど。そんなことを考えている内に、新たなカンペが出てきた。


『ちょうど消しゴムが欲しかった所だったのよ。ありがたく頂戴する!』


 何だと?! 先週買ったばかりの消しゴムが取られてしまった。当分この消しカスみたいな消しゴムで頑張るしかないのか……。不覚だ。せっかくだから、この消しカスみたいな奴に名前でもつけてあげよう。そうだな。春菜って名前にしよう。そうして俺は、授業が終わると雄介に消しゴムを貰い、春菜を捨てた。捨ててやったぜ!!


「痛っ! 何するんだよ春菜」


 何故か、消しカス春菜を捨てた直後に人間春菜にふくらはぎを蹴られた。


「なんか愉しそうな顔してたから、蹴ってみただけよ」


 本当に、こいつは人の心を読めるのではないかと怖くなるときがある。


「そうだ春菜。今日の放課後にちょっと教室に残っといてくれよ」


「何? 愛の告白なら体育館裏が良いわ」


「じゃあ、体育館裏に来てくれ」


「えっ?」


 春菜がどんな返答をしてくるか予想をしていたから、意表をついてやった。たまには困らせてやろう。もちろん、愛の告白なんて全くもってそんな気はない。狙い通り、春菜は困った顔をしている。顔まで赤らめてる。まさか?


「……分かったわ。考えとく。ちゃんと行くわ」


 春菜は俯いて視線を左斜め下四十五度の方向へ逸らす。なんだかその仕草が女の子らしく、不覚にも春菜が可愛く見えてしまった本当に告白してみようかと……。


「いや、体育館裏とか嘘だから。てか、分かったわとかお前らしくないから!」


 ……思ったりなんかしないのだった。俺がそう言って笑い声を上げると、春菜が肩をワナワナと震わせた。震撼していた。……ちょっと怖いんですけど。俺も震撼していた。


「残念だわ。せっかく薫の愛の告白を録音してばらまいてあげようと思ったのに」


 春菜は携帯の録音機能を止めて、悔しそうに震えていた。


「えっ? いつの間に録り始めたの?」


 それを聞いた春菜は直ぐに再生ボタンを押した。


『今日の放課後にちょっと教室に残っといてくれよ』


『愛の告白なら体育館裏が良いわ』


『じゃあ、体育館裏に来てくれ』


 そこで停止ボタンを押した。こうやって聞くと、まるで俺が一方的に告白に持っていこうとしているみたいだ。俺は、してやったつもりが逆にまんまとしてやられたようだ。


「てか、録音開始音なんて鳴ってなかったぞ? 一体どうやって俺に気付かれずに録り始めたんだよ」


「あら、録音開始音なんて消音にしておけばいいだけじゃない」


「携帯の録音機能は開始音を消せなくなってるはずなんだよ!」


 すると、春菜は更に携帯に録音していたであろう音声を流した。


『制限は解除するためにあるのよ。あたしを舐めないでちょうだい』


「どこまで用意周到なんだよ!」


 もう解除方法まで追求しないことにした。


「ところで、放課後に何の用かしら? あたしだって試合を控えてて暇じゃないのよ」


 満足気な春菜はもっともなことを言った。流石に俺もそれに対して真面目に答える。


「俺の記憶違いと、春菜の夢について話がしたいと思ってね。別に部活の後でいいんだ。俺と雄介もその方が都合がいいし。茜ちゃんも残る用事があるって言ってたし」


「茜ちゃん? 織田さんの事?」


「そうそう。不思議な事に対する知識があるみたいで、俺達の話を聞きたいらしいんだ。パラレルワールドについて色々と教えてくれるって」


 春菜は、黙って考え出した。突然、今まで話したことの無い人と重要な話をするかもしれないのだ。悩むのは当たり前だ。むしろ、話したくないと言い出しても不自然ではない。誰でも気持ち悪く感じるような現象だ。しかも、その気持ち悪い現象を起こしているのは自分自身。おいそれと他人に話せるはずも無いのかもしれない。


「安心してくれ。まだ、春菜が不思議な夢を見てるって話はしてないから。するのは俺の記憶違いの話だけでもいいんだ」


「あれ? 薫があたしを気遣ってる? 違う違う! チャウチャウちゃうんちゃう? ちゃうちゃう、チャウチャウちゃう。そんなことで考え込んでた訳じゃないから。どうでも良いことを考えてただけだから。部活終わりで良いなら大丈夫よ。八時でいいかしら?」


「八時で良いんだな? 雄介達にも伝えとくよ。ちなみに、どうでも良いことって何だ?」


「どうでも良いからどうでも良いことって言うのよ! 気にしないで。それより次の授業は移動教室よ。急がなきゃ」


 気にしたら負けだよな。俺も急いで次の授業の準備を始めた。時は流れて、午後八時。誰もいない教室に、俺と雄介は忍び込んだ。忍び込んだと言っても、ちゃんと鍵を開けて扉から入ったし、物音も普通にたてている。俺は、迷うこと無く窓際の後ろから二番目に座る。自分の席だ。そして、そのとなりには雄介が腰かける。いつものポジションに付いた俺達は、窓から星空を眺めながら女性陣を待った。


「そういえば、何で今日は若菜さんを呼ばなかったんだ? 問題解決には一番の適任だと思うんだが」


 口を開いたのは雄介だった。


「いつも若菜さんにばかり頼ってたら、何だか悪い気がするんだよね。それにこの前、若菜さんの力は借りずに解決するって言っちゃったしな」


 ん? この台詞を言った時は記憶を共有できているのか? ふとそんな事が頭をよぎる。大丈夫な気はするが、自信はない。


「それでか。若菜さんが少し悩んでたのは」


 心配は無用だったらしい。


「悩んでた? どういう事だ? 確かにその時、一瞬だけ若菜さんの様子が変わった気がするけど」


「一瞬……か。俺達にとってはそうなのかもな」


 俺達にとってはそう……。まるで若菜さんの台詞のようだ。私にとってはそう。薫君にとってはそう。春菜にとってはそう。確か、若菜さんは普通とか常識とか当たり前って言葉が嫌いだったな。だからこそ、皆が皆違っていると言う表現を多用する。しかし、俺は何故かそこに寂しさを感じてしまっていた。


「一瞬なんて、みんな一緒だろう。でも、若菜さんが悩むなんて、俺の言葉が悪かったのかな」


「いや、若菜さんにしてみれば薫に頼られなかった事が寂しかったんだよ。若菜さんは、他人の事を何より思い遣る人だからな」


 納得だった。自分の苦労と他人の幸せ。若菜さんなら天秤にかけるまでもなく、他人の幸せを優先させるのだ。それを俺は、選択肢を与えずに断った。そう思うと、寂しさを感じさせてしまったのは当たり前なのかもしれない。


「それと、俺達の一瞬と若菜さんの一瞬は違う」


 雄介が言葉を続けようとしたところで茜ちゃんが教室に入ってきた。雄介は、俺以外に話すつもりが無かったのだろう。続きを話す事を辞めてしまった。


「何だか新しく不思議な臭いがしたけど、それには首を突っ込まないでおくわ」


 そう言って茜ちゃんは、俺の前の席に座った。


「初めて織田さんの声聞いたぜ」


 雄介は、俺の耳元でこっそりと呟く。今日の朝に俺に対して話し掛けた時は、雄介の耳に入っていなかったようだ。そんな雄介の言葉を他所に、茜ちゃんは足音など立てず、自分の席にまで歩いた。そして、まるで存在感を極限まで薄めるかのような所作で椅子に座ったのだ。

 本当に静かな子なんだな……。俺がそう思ったのも束の間。教室のドアが音をたてて開いた。


「ヒーローは遅れて登場するものよね!」


 そこには春菜が立っていた。シャワールームで汗を落としてから来たのだろう。妙にさっぱりとした表情でタオルを首にかけていた。


「……Hエロが遅れて登場なんて、世の中捨てたものじゃないわね」


「HEROをHとEROに分解するんじゃない! どうしてお前はいつもそんな事ばかり直ぐに思い付くんだ!」


 茜ちゃんは、俺の突っ込みに対してとても満足気だ。


「そんな所に直ぐに気が付く丸岡くんもなかなかの変態ね。ますます興味を持ったわ。変態仲間ね」


「一緒にするんじゃない! 俺はいたって健全な男子高校性であって、変態なんかではない! 人よりちょっとだけ知識の幅が広いだけの一般市民だ!」


「あら、そんなに必死に否定すると逆に怪しいわよ。それは、イヤよイヤよって言いながら最後には気持ちよくなってしまうパターンよ。つまり、変態じゃない変態じゃないって言いながら最後にはド変態になるパターンよ」


「違う! 違うんだ! 俺は変態なんかじゃないんだ」


「そうよ織田さん。薫は変態じゃないわ。薫は薫よ」


 まさか、春菜から助け船が出るとは思わなかった。なかなか良いことを言ってくれるじゃないか。


「そんな事言ったら変態に失礼じゃない。変態だって立派に生きてるんだから。立派に生きてない薫は、さしずめどうしようもない不完全変態よ。一週間だってまともでいられるはずがないわ」


 何も、そこまで言わなくてもいいだろうに。それにまず、蝉に謝れ。不完全変体だって頑張って生きてるんだ。


「そうね、不完全変態にも失礼ね。だから始めに言ったように、薫は薫。薫って言葉がどうしようもなく使ってほしくない形容詞ね」


 ……世界中の薫に謝れ!!


「まさか、そこまでとは思っていませんでした。私が甘かったようです」


「そうね。せっかくだから、今日は薫の本性について語る会にしようかしら」


 ……何だか直ぐに仲良くなった二人だが、俺にとってはあまり宜しくない友好関係だ。早急に手を打たなければならなくなりそうだ。


「薫の本性なんていいから、織田さんの紹介を頼むよ」


 雄介は、立ち上がると俺の肩を叩いて話を切り替えてくれた。


「雄介、お前は本当に親友だよ」


「今度、ジュース奢れよな」


 爽やかな取引だった。爽やかついでに、今度カルピス原液を買ってあげよう。

 織田茜。以前にも話したと思うが、声を出さない話もしない。誰も口を開いているところさえ見たことが無い。誰からもそのような認識をされており、彼女がおとなしい子、物静かな子だと言うの事は周知の事実だ。俺も実際、初めて口を聞くまでは噂に違わぬイメージを持っていた。まことしやかに囁かれていた動く人形説も、その時に確実に崩壊した。体は小さく常にゆっくりと動く様子と、コンディショナーの行き届いたサラサラの黒い髪。

 まさしく人形そのものだったのだ。紹介と言っても、俺が知っているのはその程度の皆が知っている情報と大差ないのだ。違うと言えば、そうだな。……不思議なことと下ネタが大好きだと言う点くらいだ。


「えっと、俺も今日初めて話をした訳なんだけど。織田茜さん。不思議なことが大好きなドスケベさんだ。茜ちゃんと呼んであげてくれ」


 茜ちゃんは何故か誇らしげに立ち上がり、無いはずの胸を張って腰に手を当てている。一方、俺のそんな適当な紹介を聞いた春菜と雄介はポカーンとした顔をしていた。獅子小渡(ししおどし)が近くにあれば、確実に空気を読んで音を立てていたことだろう。


「私は二人の事は予習済みだから、紹介は省いてもらっても構わん」


 茜ちゃんは、春菜と雄介が付いていけないような雰囲気を醸し出していた。しかし、醸すと言っても発酵しているわけではない。醸すと言うのは、穀類を麹にして発酵させるもので、酒造りで良く使われる言葉だ。ただ、その雰囲気に浸って酔いしれているかのように満足気な表情を浮かべる茜ちゃんは、確かに雰囲気を醸して酒のように変えてしまったかのようだった。言葉と言うものは、本当に言い得て妙だ。

 そろそろ本題に入ろうと思う。俺の記憶ではおとなしかったはずの織田さんが、何故ドスケベ茜ちゃんになってしまったのかだったな。うん。記憶って怖い。


「今気付いたんだが、紹介と雄介って漢字の感じが似ていて間違えそうだよな」


「そんな事はどうだっていいだろ。本題に移ろうぜ」


 珍しく俺がどうでもいいボケをするとこうだよ。


「そうだな。この件を初めて聞く茜ちゃんもいるわけだし、最初から説明をするか」


 俺がそう言ったところで、春菜は適当な席に座ろうとした。しかし、そこで茜ちゃんはすかさず自分のとなりの席を勧めた。彼女曰く、


「その席に座っている渡部さんは良いボディーソープを使っていて、本人が座っていなくてもエロい香りがするから。ちなみに男が同じボディーソープを使ってもこの香りは作り出せないわ。男と女では汗に含まれる匂い成分が根本的に違うものね」


 だそうだ。それに対して春菜は、なるほどとだけ言って渡部さんの席に座った。春菜のなるほどには、俺が茜ちゃんをドスケベ扱いしたことについて納得した。そういう意味が含まれていた。座った瞬間に、俺にアイコンタクトでそう伝えてきたのだ。腐った幼馴染みでも、腐っても幼馴染み。それくらいの離れ業はやってのけられる。


「話は戻るけど、事の発端である俺の記憶違いから説明を始めるよ。まず、最初に自覚したのは大会前の天気についてだ。俺は雨の記憶があるのに、実際は晴れていた。その次の記憶違いでは、俺はMVPに選ばれてない記憶があるのに、実際はMVPに選ばれている。そして、それから後の一週間の記憶が完全に違うものになってる」


 春菜と雄介は何度も聞いたはずの話なので、別段驚くようなことはなかった。しかし、初めて聞いたはずの茜ちゃんまで驚きもせずに静かに聞いていたことに、俺は若干の驚きを感じた。


「それで並行世界なんて考えに至ったのね。浅はかだわ」


 茜ちゃんは小さな声でそう言うと、俺に続きを促した。まず、浅はかだと言う理由を聞かせて欲しかったが、そこはぐっと我慢して話を続けることにした。


「そして、春菜に夢の話を聞いた」


 続けて言って良いか迷い春菜を見たが、続きを喋るようにカンペが出されていた。大分気に入ったみたいだな。それ。


「夢の中では、少し年をとった俺に春菜が話しかける様子が春菜視点で描かれていて、しばらく話をしたところで、MVPを取れば良かったのにって願って終わる」


 俺の記憶容量が多い事にしかスペックを持たない脳みそではその程度でしかまとめられない。春菜と雄介は相変わらず、黙って聞いていた。茜ちゃんは椅子に後ろ向きで座り、背もたれに顎を乗せて考え込んでいた。目を瞑って頭をメトロノームのように動かしている。


「あれ? もう終わり?」


 目がパチッと開くと、続きを促すかのように言葉を発した。考え込んでいたように見えたのは、単に続きを待っていただけだったみたいだ。


「終わりだけど……。不思議だろ? しかも夢の話をされた直後に春菜に触れたら、その夢が俺達の頭にフラッシュバックした様に流れ込んできたんだ」


「ふーん」


 そう言って茜ちゃんは、春菜の胸を鷲掴みにした。否。掴む直前に春菜に手首を捕まえられた。


「茜ちゃん。残念ながらあたしにそっちの気は無いわよ」


「別に触れたからと言って、夢が流れ込んで来る訳じゃないみたい」


 茜ちゃんは、何事も無かったかのように自分の椅子に戻る。織田茜! なんてやつなんだ! 俺だって内心玲菜の胸を!


「何だよ春菜」


 春菜は視線で死線をさ迷わせる程の眼力で俺を睨んでいた。


「変なこと考えてたなら早く謝った方が良いわよ。尾てい骨を粉砕されたくなかったらね」


「すみませんでした!」


 雄介は一人で爆笑していた。


「聞いて良いかしら宮内さん?」


「何かしら、織田さん?」


 春菜はあからさまに茜ちゃんを警戒していた。もちろん話に対してではなく、セクハラに対してだ。


「始めに丸岡くんが言ってた雨の日の事については夢を見て無い?」


 明らかに口籠る春菜。否定の言葉は発っさず、首を横に振ることもしない。そう。沈黙をもってして肯定していたのだ。


「その夢の内容については教えてくれないのかしら」


 茜ちゃんは何か確信めいたかのように質問をする。対する春菜は答えようとしない。


「別に答えないならいいわ。丸岡くんに聞けば分かるから。丸岡くんは絶対に記憶を間違えたりしない。そんな能力を持っているのよ」


 なぜだろう。もう全てを知っているかのような物言い。更には、口調まで変わってきている。しかして春菜は口を開かない。


「じゃあ、聞くわ。丸岡くん。その雨の日に宮内さんに何か言われなかった? それとも、されなかったの方が適切かしら?」


 ああ……。もしかしてあれのことか? 俺の記憶が正しいのであれば、確かに言われた台詞がある。俺が初めの記憶違いの時に間違いであって欲しいと思って証拠を必死に探したのはこれがあったから……と言うのもあるかもしれない。ふと春菜の方に目をやると、焦点の定まらない視線を床に這わせていた。そして時折俺の方を見て、直ぐに視線を落とす。何かに怯えている……。そんな感じだった。事実、俺の記憶と一致しているのかどうかはまだ分からないと言うのにだ。はっきりさせた方が良いのだろうか?


「確かに、春菜から言われた台詞は覚えてる。でもあの」


 俺が続きを言うか言わないか。その瞬間に春菜は立ち上がって声を上げた。


「それ以上言わないで!! あれは……あたしだけの夢で……良いのよ……」


 始めに上げた声から尻すぼみで小さくなる声が、春菜らしくなく、その辺にいる普通の女の子のようだった。普通って言葉を使うと、また若菜さんに普通なんて無いって言われてしまうかもしれない。しかし、女の子っぽさと言うものは確かにそこにあったのだ。


「これで残る可能性は二つね」


 一体、何の可能性なのかまでは茜ちゃんは言わない。それは自分さえ納得できれば満足と言う考え方からなのか。はたまた、俺達も容易にその答えに辿り着くと過信しているからなのか。そこまでは分からなかった。


「宮内さん最後の質問よ」


 春菜は何も応えず、椅子に座った。


「夢の中で丸岡くんに話し掛けていたと言うのは、本当にあなたかしら?」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ