第二話 危険な賭け
(一)
師走初旬、とある霊園で神崎竜二は車を止めさせた。嘗て、人気ソプラノ歌手だったソフィア・レノア・天道は、ここに埋葬されていると言う。。
神崎は、音楽番組で彼女と知り合った。当時の神崎は《音楽業界の問題児》と言われ、雑誌記者と喧嘩をする、女性関係も派手、警察沙汰の一歩手前まで行く事など一度や二度ではなかった。そんな神崎をカリスマと持ち上げていた周囲は、もう神崎竜二に関心を示さなくなっていた。。
自分が落ち目なのは、決して『KIRA』の所為ではない。努力を怠り、天狗になっていたからなのだ。それが、あの頃は理解らなかった。ソフィアは彼が本気で好きになった女性であったが、彼女が選んだのは吉良であった。嫉妬と憎悪に取り憑かれた神崎がその後何をしたのか。
――あんたが、殺した。
天道リキに言われた言葉が、改めて心に突き刺さる神崎竜二であった。
直接手には掛けていくても、本当に病死だったとしても、自分がした事は許されるものではない。今更謝っても、吉良もソフィアもこの世にはいない。
クリスチャンだったと言う天道吉良の墓石には、十字架が建てられている。
墓碑銘は―――『KIRA TENDOU』。そして二人の女性。海と空の母ソフィアと、陸の母・茜である。その墓前で、高校のブレザーを来た少年がいた。
「父さん。俺、父さんの顔を知らないけど、凄いミュージシャンだったっていつも兄貴たちから聞かされてた。武道館に立つのが夢だって。父さん、兄貴たちを助けてよ。もちろん傍にはリキ叔父さんもいるけど、父さんは今でも兄貴たちの憧れなんだ」
それは、天道家末っ子・陸であった。学校が早く終わった時は、父の墓参りをするのが陸の行動パターンだ。彼は父とは、僅か三年しか暮らしていない。顔も写真でしか知らず、昔ミュージシャンだったと、叔父のリキや兄たちに聞かされて知っているだけである。
「――君は彼の息子かい?」
振り向いた先に、男は立っていた。陸は、音楽の世界はあまり詳しくはない。神崎芸能プロダクション社長の顔を知らないのは当然だ。
「あの――」
「お父さんの、古い知人さ。確か天道吉良はアメリカ人の女性と結婚したと聞いたが――君、ハーフには見えないが?」
「父は再婚したんです。僕の母も一年後に。兄達の、お母さんも知っているんですか?」
「ああ。綺麗な人だった」
「でしょうね。隣のおばさんが、兄達がそっくりだっていいますけど。でも、中身は違うかと思います。」
「どうしてだい?」
「一番上の兄は、ブラコンで、天然で、直ぐに人に抱きつくし、二番目の兄は無愛想で近づきがたいし、毒舌だし、それは最悪です」
「面白いお兄さん達だな」
男は、墓前に手を合わせると軽く笑う。その横顔を、どこかで見たような気がして陸は首を傾げた。
「私の顔に何がついてるかい?」
「どこかで、あった事があります?」
「いや。君とは初対面だ」
神崎は持っていた花束を供え、天道家の墓を後にした。
「誰だったんだろう?」
去っていくその背後を見つめる陸の問いに、墓の父は答える筈もなく、線香の煙が冷えきった空に真っ直ぐに延びていた。
そんな陸が通う高校は、藤沢駅からバス十分の所にある。
もうすぐ冬休みとあって、クラスメートは両親の実家に行く者、今回は海外へ行くと云っている者、様々だ。
「天道、お前今年はどうする?」
弁当を食べ終えた親友の塚田京介が、振り向いた。
「家にいるかな。父さんの命日もあるし」
「そう云えば、お前の兄貴たちって何してるんだ?」
「え……」
「何も、驚く事じゃねぇだろ。兄貴が二人いるって言ってたじゃねぇか」
「そう……だっけ?」
親友・塚田は、陸の二人の兄がロックバンド『BROTHERS』とは知らない。別に隠している訳ではなかったが、敢えて突っ込まれると陸はどう言えばいいのか困る。実は陸は友達を家に呼んだ事はない。家に帰れば、海が食事の支度にと帰っているが果たしてあの兄を見て、冷静でいられるかどうか。何せ、塚田は『BROTHERS』のファンだった。日常の海を見て、直ぐには理解らないだろうが天道家には空もいる。空の場合、劇的に変わらないので『BROTHERS』ヴォーカルだと理解るだろう。
問題は、塚田は口が軽い。歩く宣伝カーと渾名されるほどだ。
そうなれは、校内パニックである。『BROTHERS』の弟がいるとなれば、サインが欲しいだの、いろいろ教えて欲しいだの、陸は校内中の『BROTHERS』ファンから追われる事になる。人気者を持つと、いろいろ大変なのだ。
「見て見て、『BROTHERS』のライブが決まったって」
女子達が、音楽専門雑誌『LEGEND』を広げ、会話している。
「いいよなぁ。『BROTHERS』」
「そうか?」
「顔は良いし、曲も良いし、最高じゃねぇか」
陸は上目遣いに、日常の兄たちを思い浮かべ眉を寄せた。
(あれが、ねぇ……)
塚田の話に上手く話を合わせながら、陸は横目でその雑誌を覗いた。
日付は十二月二十四日、ライブハウス『SUCCESS』。それは父、天道吉良の命日の翌日だった。
◆
――彼は……、吉良と同じかも知れない。
リキの足は、吉良の墓に向いていた。表情は強張り、その時以上に手が震える。
数年ぶりの嘗てからのメンバー、藤堂からの電話。震えるその声が、リキを再び地の底に落とした。
「吉良、あいつらを助けてくれ」
弟の墓の前で、彼は祈るように呼びかけた。最近は、仕事で命日以外殆ど来れなくなった墓参り。だがどんなに忙しくなっても彼の時間は、あの日から止まったままだ。 十三年前のライブ、メジャーデビュー一ヶ月前を控え、メンバーの誰もがはしゃいでいた。
「これで武道館に近づいたな?兄貴」
吉良はそう言って、リキに微笑んだ。そう、やっと夢が叶う。やっと―――。
「何故なんだ?俺たちが何をした?これからなんだぞ。何故…」
目の前で、倒れる弟・吉良。本当は、助けられたと理解っていたらと思うとリキは今でも忘れられない。彼の悲痛な叫びに、誰も答えてはくれない。
「あんたの場合は、何かあると必ず親父の墓に行く事だ」
砂利を踏む音に、リキの背がビクリと強張る。
「珍しいな。お前が墓参りとは」
そこにいたのは、空だった。ファー付きのダウンジャケットにマフラー姿で、片手に木桶、もう片方に菊の花束を手にしている。
「そうでもないさ。この時間に来るのは初めてだが、何度も来てるよ」
「空……」
「あの医者、あんたの昔の仲間だったんだな。どおりで、あの先生変な顔で俺を見た筈だぜ。ガキの頃、会ってる。しかも、顔に思ってる事が出るタイプだな。どうも、俺の周りには馬鹿正直な奴ばかりが集まる。あんたの所に連絡来ただろう?」
いつになく多弁な空に、リキが口を挟む隙がない。
「体調が悪いのなら、何故言わない。お前の悪い癖だぞ、空。ポーカーフェイスは吉良だけだと思ったが、その心の内を覗かせないのも吉良そっくりだ」
「何か、とんでもなく悪い奴に聞こえるぞ」
「そのつもりで云っている」
吉良も空も、決して悪気はない。それは、リキも理解っている。周りを心配させまいと、心の内にしまい込むのだ。兄弟なのに、家族なのに、二人とも何も云ってはくれない。
リキが、何を云いたいのか空には理解っていた。リキが吉良の死でトラウマを抱えているように、空も父の死を見ているのだ。。
あれから、空は表情を隠した。強くならなければと言う意志が、今の空に繋がる。大きな衝撃を受けると、それ以後の事はそんなにショックではなくなった。
「俺には、責任がある。吉良に変わってお前達を護ると云う責任が。それが、あいつへの償いだ」
リキは、十三年と同じ言葉を今度は空に言う。
「だから、親父が死んだのはあんたの所為じゅないと何度も言っただろう」
「俺の所為だよ。気付いてやっていればあいつを止められた。だから―――」
「ごめんな…」
空がポツリと呟いた言葉に、リキは何も言えなくなった。
―――ごめんな、兄貴。
それは、楽屋を出る時、リキが聞いた吉良の最期の言葉だった。
「今度のクリスマスも、出来そうもないな」
もう十年以上、天道家ではしなくなったクリスマスパーティー。苺がたくさん乗ったケーキに、こんがり焼けたチキン、クリームを口にいっぱいつけて笑う幼い弟の顔が浮かぶ。
兄弟三人で、追い続けた夢は間近と云う所にある。
夢は動き出した。止めるわけにはいかないのだ。
その夜、空は譜面を前に新たに書き込みをした。
『BROTHERS』の作詞作曲も兼任する空は、これまでにない思いを込めた。
これまでにないそのアレンジに、空ははっきり言ってうまくやれるか理解らない。だが方法は、それしかないと躯が訴える。武道館ステージ実現の為の、切り札。ただそれは、とても危険だった。普段なら、リキに新曲の譜面を見せるのだが。
「ふ、とても見せられないな」
止まる事は、出来ない。今度の試練はとても厄介で手強い。それでも、止まれない。
間違いなく叔父・リキに一発却下されるその内容に苦笑して、それでも彼は決行しようと覚悟を決めたのである。
(二)
その日、神奈川には大雪が降った。見慣れた車窓の眺めも雪景色となり、さすがに鎌倉の海にはサーファーの姿はなかった。
極楽寺の緑の看板も雪が付き、郵便ポストも雪を頭に乗せ、駅の名前の由来となった極楽寺の屋根も白く染まっている。
「またかよ~」
そう大袈裟に愚痴ったのは、陸だった。
授業が早く終わったのはいいが、兄と同じ電車に乗っていたらしく改札で鉢合わせしたのだ。しかも、今度は空までいた。
「何度も云うが、お前と帰る時間が重なるは偶然だぞ」
「今日は、空までいるし」
「叔父貴も誘ったんだが、用があるそうだ。いい加減結婚しないと、干からびると言ってンだけどな。どうも天道家の男どもは、もやしか干物になりたがる」
干物はともかく、もやしが誰を揶揄しているのか陸には理解る。背後から、ゾクッとするような冷たいモノを感じるのは決して気の所為ではない。ここは早く退散と思ったが、海に捕まった。
「ま、そう言わず久し振りに」
海は腕を陸の腕に回した。
「何、考えてんだよ」
「昔は、手繋いで歩いたんだぞ。なぁ?空」
「忘れた」
「離せ~、目立つじゃないかぁ!」
そう、昔は手を繋いでこの道を歩いた。
♪夕焼け小焼けで日が暮れて~♪
幼い三兄弟が手を繋ぎ、帰って行く。
「や~まのお寺の鐘がなる~♪」
両親はなくても、三兄弟には幸せな時間。喧嘩しようが、必ず仲直りしていた。
「♪お手々つないでみなかえろ~」
遠き日の、色褪せぬ思い出。
「空、何してんだよ!置いて行くよぉ」
「煩い兄弟どもだ」
だが、愛すべき兄弟だ。いつまでも続けばいいと思っていた幸せな時間。父も母もなく、兄弟三人だけの生活を続けて三年、陸は今やすっかり生意気で、海は二十三になっても相変わらず悪戯好きだ。空は海のように愛情表現が苦手で、感情を表に出す事をしなくなった事で強い奴と誤解され易いが本当は違う。本当は怖くて、叫びたくて、泣きたくて、父が死んだと理解ったあの日のように。
それでも、本当の自分を閉ざしてしまうのだ。
「兄たん、おうちに帰ろう」
父の死を理解できぬ幼い弟が、空の手を握る。こいつの為に、強くなる。そう決めてからもう十三年。
その夜、空は海に譜面を見せた。
「何だ?」
「新曲さ」
パラパラと捲っていた海は、「何の、冗談だ?」と眉を寄せた。
「俺は冗談は言わない」
「ライブまで二日しかない。無理だ」
新しく加えられたギターのパート、ハイテンポな上にかなりハードなテクニックを要するコード。ギター担当の小森蓮にはとても今度のライブまでマスターできるレベルではない。
「ギターをもう一台入れる。なら問題ないだろ」
「何処にいるんだよ。これを弾ける奴が」
「叔父貴に、絶対云わないと云う自信あるか?」
「お前、もしかして――」
「まさか、アレを引っ張り出す羽目になるとは思わなかったぜ。何処かのアホが、やらかしたお陰でな」
「だから……悪かったって言っているだろう?」
海は、それを突っ込まれると何も言えなかった。
◆
十二月二十三日―――、天道吉良の墓の前に、久し振りに天道家一族全員が揃った。
吉良の弟・天道リキ、吉良の三人の息子、長男・海、次男・空、そして末っ子の陸。今日は天道吉良の命日で、バンドの練習もなかった。
「親父、俺たち必ずしも武道館に行くよ。皆で」
海が手を合わせて語りかけ、持参した包みを開く。
「海兄、何それ」
「何って、稲荷寿司さ。お前、思いっきり馬鹿にしただろう?早起きして俺が作ったモノを」
墓前に備えられた重箱の稲荷寿司、陸の顔は嫌そうに歪んだ。朝食に出されたまでは我慢出来る。お供え用に余ったモノは隣近所に配ったりしたが、まだ大量にある。その先が何処に行くか予想すれば、空も眉を寄せた。
「そんなに作って。昼間までそれ食わせる気?嫌だからな。俺は絶対、ビックリドンキーのハンバーグ食ってやる!」
「親父~、あの可愛いりっくんがこんな我が儘になってごめんなぁ~」
「恥ずかしい事を言うな、馬鹿兄貴。特大ハンバーグを、奢らせてやる」
おいおいと嘆く長兄に、陸は何度後ろからどつきたくなったか。いつもと変わらない、天道家の風景。
「お前はお子様ランチじゃねぇの?外食と言ったら必ず食ってたじゃん?りっくん」
「もう怒った!」
逃げる海に、追いかける陸。見守るリキが空の隣で、苦しげに呟く。
「俺は、怖いんだよ。また何か起きそうで」
「まったく、あんたがそんなに恐がりだとはな」
「何処かの馬鹿が、そうさせているんでな。こいつと同じような事をする馬鹿野郎が」
リキはそう言って、吉良の墓を見つめる。もうこの際、夢はどうでもいい。この幸せな時間が再び奪われるくらいなら、吉良も許してくれる。そう、まだ機会はいつだって―――。ではそれは、いつなのか?
もう一人の己が問いかけて来るが、何も答えられなかったリキだった。その機会が本当に訪れるのか、それは一年後なのか、もっと先なのか、誰にも理解らないし、答えられない。
――ごめんな……。
吉良の声が聞こえた気がして、リキは振り返る。
「理解っているよ。お前は悪くない。俺が苦しむと思ったからこそ、お前は何も云わなかった。お前と違って、俺は臆病だ。ふん、情けない兄貴だったよ」
――そんな事はないよ。兄貴は最高の兄貴だったよ。
「吉良……」
半透明の弟は、最後に言った。
――兄貴がいたからこそ、俺は夢を目指せた。やっぱり、最高の兄貴だ。
その日の午後、天道家の電話が鳴った。
「はい、天道ですけど」
電話に出た海は、相手が誰か直ぐに理解った。
「椎名さん…」
それは、嘗て父達の音楽プロデューサーで、天道家にも出入りしていた椎名和彦からであった。
『ちょっと出て来られるかね?』
「いいですよ。雪も止んでいるし、これから夕飯の買い出しもありますし」
今頃何の用かと思ったが、心当たりに思い立った。
こんな時、空がいれば話をはぐらかせるが家にはいない。
「う~ん、椎名さん苦手なんだよなぁ…」
直ぐに態度に出ると言われる海は、行くと云ったが対応まで考えていなかった。
椎名は今は音楽の世界に在籍していないが、嘗ては名音楽プロデューサーと言われていた男である。
(あの野郎~)
頭に、神崎竜二を思い浮かんだ。神崎の二十二年ぶりの帰国と、音楽の世界への復活が椎名を動かしたに違いない。五年前、ネットに現れた一度だけのギタリスト。神崎を復活されたその正体に、椎名は興味を待った。
まずは、そんなところだろう。
「出掛けるの? 海兄」
「ああ。夕飯までには帰るよ」
改めて、当時の自分は愚かだと思う海であった。
(二)
鎌倉・小町通り―――、鎌倉駅東口を出て直ぐに目の前のあるこの通りは、鎌倉・鶴岡八幡宮に通じる通りで、地元の人をはじめ観光客で賑わう。
そんな小町通りの裏路地に、こぢんまりとした喫茶店がある。海たち『BROTHER』メンバーには、馴染みの店である。
「ご無沙汰してます、椎名さん」
「吉良の――葬式以来かな?君と会うのは」
「俺も珈琲ね、マスター」
「あいよ」
椎名こと椎名和彦は元、音楽プロデューサーである。しかも父・天道吉良を含むバンド『SOULJA』をメジャーデビュー直前まで押し上げた名プロデューサーである。既に業界から身を引いていたが、海の予想は的中した。
「単刀直入に聞こう。『KIRA』は、君だね?海」
「『KIRA』は死んだ親父だけですよ」
「私もそう思っていたよ。ミュージックチャンネルを知っているかね?」
「ええ、インターネットのサイトですよね」
「そこには毎日何千、何万と言う楽曲がUPされる。プロになりたくてね。だが、選ばれ更にプロになり、売れるのはその中の数人だ。偶に有名アーティストの名前で投稿してくる輩もいるが」
(だからこの人は苦手なんだ……)
人を見抜く天才と言われた名プロデューサー。それが、昔の椎名の呼び名であった。何故よりにもよってこの男にデモテープを送ったりしたのか、海は我ながら呆れながらも必死にごまかして退散する手に打って出た。
「椎名さん、俺はYESともNOとも言えません。でも―――そのうち理解りますよ。何もかも」
謎めいた海の言葉に、椎名は眉を寄せる。椎名はそれ以上追求してこなかったが、海は生きた心地はしなかった。
「危ねぇ……」
海は隠し事が下手だ。追求されると、直ぐに態度に出る。五年前、海がしたのは間違いなく『KIRA』と言う名前でUPした事だ。だが決して、有名になりたくて父の名前を使った訳ではない。忘れられていく、好きだった父の名。込み上げた悔しさから思わず唯一残っていた父のギターソロ曲を送信してしまった。とんでもない事が理解ったのは、それから間もなくの事だ。
「嘘だろう――!?」
「嘘じゃない。海がUPしたのは親父のやつじゃない」
「だって……家ン中にあったんだぞ?」
「あのなぁ……、良く聴けよ。親父のと微妙に違うだろうが」
パソコンを前に、空はやれやれと『ミュージックチャンネル』の再生をクリックした。
「じゃあ、俺がUPしたのは誰だったんだぁ?」
既に幻のギタリスト『KIRA』として、一人歩きし始めた彼の正体。だが海の驚きは、
これだけではなかったのである。
――あの叔父貴に、絶対言わないと言う自身あるか?
新曲の譜面を見せられた時、空に言われ大丈夫だと答えたがはっきり言って自信はない。この間も、なにか隠してないか?と突っ込まれたばかりだ。
そして、運命のライブの日はやって来た。
◆
「メリークリスマス」
鎌倉駅のホームで、親友・塚田が陸を見つけてやって来る。
「お前なぁ、恥ずかしいだろうが。普通にあいさつできんのか?」
「今日は聖夜だぜ?」
「全く、この時期になるとどうして、にわか教徒が増えるんだが」
「お前の親父、そのクリスチャンじゃなかったか?」
「何でウチに結びつける。兄貴も俺も、無宗教だよ。上はともかく、二番目は鼻で笑うな。うん!間違いなく」
一体、この末っ子に二人の兄はどう思われているのか。
「それよりさぁ、お前がライブハウスに行くなんてよ。しかも最前列のチケット、よく取れたなぁ」
「知り合いがくれたのさ」
陸は、思わずたじろいだ。本当はその兄から貰ったと言えばいいが、更に追求される。陸も海と同じで、こうした追求には弱い。
ライブ開始まで、まだ一時間。塚田は、何か食べてくると出かけ、陸はリキと共に控え室に入った。
「部外者が入っていいの?」
「楽屋は、まずいだろうが、ここならいいだろう。お前は俺の甥っ子だからな」
「リキ叔父さん、凄い有名人だったんだね」
「凄くなんかないさ。あいつらや、あいつに比べればな」
「父さんと、兄貴たち?」
「ステージに立つと、吉良は――、お前たちの父親は何かに憑かれているじゃないかと思うほどさ」
「――音楽の神様」
「え……?」
「俺が言ったんじゃないよ。昔の雑誌に載っていたんだ。音楽の世界には偶に音楽の神様が降りるって」
「ロマンチストなコメンテーターだな」
陸は出されたクッキーを摘まみながら、机の雑誌を捲っていく。
「あ……」
「どうした? 陸」
「この二人、さっき見掛けたよ」
言葉を失った、リキである。そこには、オリコン年間ランキングトップを獲得した『SEIYA』について、所属事務所社長の神崎竜二が語り、コメント欄に椎名和彦の写真が載っていた。
「その人、俺一度会ってる。父さんの墓の前で」
「神崎竜二が、吉良の墓に……来た?」
「うん。この人、芸能事務所の社長さんだったんだ」
叔父が何故顔色を変えたのか、陸は知らない。
だが、さすがに会場内でも二人は目立った。神崎芸能プロダクション社長と、元名プロデューサーが顔を揃えれば、当然である。更にそこに、橘涼子も現れた。
大手芸能プロダクション敏腕マネージャーまで現れては、雑誌記者たちの反応は最早驚きを通りとして呆気にとられた。
「――こんな所で会うなんて」
「偶然だよ、涼子」
神崎は、今ではすっかり板についた笑顔を張り付かせていた。
三人が来ている事は、海も空も理解った。
「おい……、本当にやるのか? 空」
「ああ」
(三)
――音楽の世界にも神様がいるんだよ。偶に降りてきて、愉しませてくれる。
そう言ったのは彼らの父親、天道吉良である。未だ小学校に行く前、古いレコードを聴かせながら吉良はそう言った。その意味を、二人は大人になるまで理解らなかった。
父が亡くなり七年後、もう家にはないと思っていた父のCDが出て来たのは奇跡か。
しかもこの世に出る事のなかった、吉良作曲による新曲。まだ試作段階だったのか、ギターソロだけで、CDRに保存されていたもの。
天道家に降りた神様は、愉しませてくれるどころか悪戯をした。
海が『ミュージックチャンネル』UPして暫く経った頃、ネット記事に載った幻のギタリスト『KIRA』の存在。高評価され、UPした本人である海は当然喜んで、空にこれは「俺がやったんだ」と告白した。
「海が……やった?」
「睨むなよ……、俺も悪かったと思ってるんだ」
「親父じゃないよ」
「は……?」
「この弾き手は、親父じゃない」
「だって、家ン中にあったんだぞ?」
「お前がUPしたヤツ、何処にあった?」
益々、パニックになった海である。
そのCDは、押し入れにあった。今は大事に抽斗に保管してあるが、それを見た空は大きく溜息をついて、「やっぱりな」と言った。
父のものである筈がないのだ。録音された日付は、この一年間だった。
本物の父のオリジナルは、何と海の部屋にあった。自分でその事をすっかり忘れ、出てきたCDを疑いもせずに行動した。
「じゃぁ、誰なんだよ……? これ」
次の空の言葉に、一気に、血の気が引いた海である。
だが、神様の悪戯はまだ終わっていなかった。
『幻のギタリスト・KIRA』が公になる事が、父・天道吉良が隠した秘密を明らかにしてしまう。
あれから五年、封印した音がもうすぐ目覚める。
「行こう、海。武道館のステージに」
新曲の譜面を見せた空は、もう覚悟を決めていた。
眩いライトを浴びて、ベースを弾く海の斜め前に空がいる。
ああ―――行こう。必ず、空。
憧れの、日本武道館。そのステージに。
二曲目が終わり、ステージが暗転した。
「――…な」
思わずそう声を漏らしたのは、壁際にいたリキだった。
「天道プロデューサー?」
「聞いていないぞ……、俺はこの構成…聞いていない」
ステージ構成はもちろん、曲も細かくチェックしていたリキが驚くは無理はなかった。
「――最後は、俺たちの新曲、『BEAT』」
空の声に、ステージは一気に明るくなった。
イントロからの、ハイテンポなギター。
「これって――……」
椎名和彦、神崎竜二、そして橘涼子は直ぐに理解った。
そしてもう一人、唖然としている人物がいた。陸である。
『BROTHERS』のステージを見るのはビデオで何回かあるが。
そこには陸の知らない兄がいた。
家ではいつも、眉間に小さな皺を刻んでいる無愛想な次兄。
「彼が――『KIRA』だ」
椎名和彦は、確信する。
『幻のギタリスト』の正体。
「このCDは、俺が親父のギターを弾いて録音したやつなんだよ」
海が押し入れで見つけたCDは、空が録音したものだった。自ら作曲し、父のギターを弾きながら。
◆
ライブは、大成功だった。メンバー誰もが、心躍る興奮に酔った。
――行ける!行けるぞ!俺たちは、武道館に!
『BROTHERS』の面々は、そう確信した。
楽屋へ向かう通路で、メンバーの足は止まる。
「――これは、どう言う事だ?」
明らかに憤っているリキを前に、空が進み出た。
「俺が、皆に口止めしたのさ。あんたに言えば、反対派されるのは理解っていたからな」
「当たり前だ!認められん」
「どうしてだよ……!?叔父貴。空の演奏聞いただろう!!」
「空、確かにお前のテクニックは最高だ。俺も挑戦してできなかったあのテクニックを、お前はやった。だが――、おれが怒っているのはお前たちが俺に今日の事を隠していたからじゃない」
「海、皆と先に行ってくれるか?」
「空」
「大丈夫さ。この叔父貴は怒っているが殴る事はしないよ」
海とメンバーは、何度も振り返りながら楽屋へ続く曲がり角に消えた。
「――張り倒したい気分だ」
「そう言えば、あんたに殴られた事なかったな。海にあんたは、殴らないと言ったが、いいよ。殴っても」
「可愛げのない子供だったよ、お前は」
「随分だな。いい子だったと俺は思うぜ?海なんか、しょっちゅう悪戯してたし、陸はビイビイ泣いてたぞ」
「お前は、いい子過ぎるのさ」
天道吉良が亡くなった十二年前、三人の息子を引き取ったのは独身だったリキである。家事などした事はなかったが、隣の田中夫人が面倒を見てくれた。
そして、空は決して我が儘も言わず、欲しい物も言わず、子供の頃からポーカーフェイスだった。陸は甘えん坊で、泣き虫で、リキの心の傷が、三兄弟にどんなに癒やされたか。今でも、思う。もう少し甘えて欲しかったと。父親にはなれなくても、家族なのだから何でも言って欲しかった。
「叔父貴には、感謝しているよ」
「まさか、今頃お前に手こずらされるとは思っていなかった」
「暫く付き合ってくれ、俺の我が儘にさ」
「空」
「今度で…決着をつけるよ。それまであいつらには――、海と陸、『BROTHERS』のメンバーには、何も云うな」
「……保障はできん」
「あんたは、海と同じで理解りやすいからな」
二人がいる通路には、まだ興奮が冷めぬ観客の声が聞こえていた。