ごめんなさい、ありがとう
「お嬢様、もう一度やってみましょう。」
何度やっても変わらないのに…。
そう思うが、言われるまま私は再びピアノと向き合い、お世辞にも上手いとは言えない音色を奏でた。
「…きっとお嬢様はお疲れなのですね。今日はここまでにしておきましょう。」
別に疲れてない。
ずっと屋敷に閉じこもっているのだ。
疲れるわけがない。
先生も分かっているはずだが、これ以上やっても無駄だと判断したのだろう。
その証拠に微笑もうとして失敗した微妙な顔つきになっている。
「はい。」
私が返事すると先生はゆっくりと部屋を出ていった。
今日の予定はピアノで終了であるため、夕食時まで暇になってしまった。
また屋敷の図書室にでも行こうかなと思い椅子から立ち上がると、ズドンと何かが落ちたような音がした。
外だ。
思わず2階の窓から下をのぞき込んだ。
すると、この部屋の丁度真下に何かがいた。
敷地内を囲う柵の向こう側に居るため、行って確かめることが出来ない。
そのため、この場でその『何か』を凝視する。
すると、その『何か』は動き出した。
「…あ、」
人だ。
人がいる。
しかも自分と同じような年頃の男の子だ。
私はあまり同じような年齢の子どもに会ったことがない。
何度か子どものお茶会のお誘いがあったが、兄が全て断ってしまったため子供達と会う機会を失ってしまった。
つい好奇心で男の子を見てしまう。
これが普通の子どもであるなら、ここまで興味を惹かない。
そう、男の子は私が知っている普通ではなかったのだ。
「…赤い髪…。」
男の子は燃えるような真っ赤な髪色だった。
そんな色の子、見たことない。
それに見たことがない悪趣味な仮面を被っていた。
…何だろう。
男の子は大きなボールに乗ろうとしている。
なるほど、さっきの音はボールから落ちた音だったのか。
謎は解けた。
しかし、新たな謎が生まれた。
(何でボールに乗るのかしら?)
王都の子供の中で流行っている遊びなのだろうか。
遊びなら何故男の子は1人なのだろう。
遊びは友達とやるものだと教えられていた。
というこのは、あれは遊びではないということだ。
では、あれは何だろう。
…ん?
遊びは1人でもできるって兄さんが言ってた気がする。
…。
駄目だ、分からない。
ここは王都から離れた土地だ。
わざわざこんなところに足を運ぶ理由は何だろう。
様々な謎が生まれる中、またしても男の子がボールから落ちる音がした。
見れば、やはり男の子は地面に手をついていた。
「う…、ひっく…うぅ…」
男の子は泣いていた。
泣いているくせに再びボールに乗ろうとする男の子。
理解できない。
嫌なら辞めればいい。
出来ないのなら、諦めればいい。
そう思うのに…
(どうして?)
男の子はまた落ちた。
何度も何度も落ちる。
いつの間にか男の子の仮面は外れ、その悔しそうな顔をあらわにしていた。
私は気付けば、それを夢中になって見ていた。
日が傾き、あたりは茜色に染められている。
それでも男の子はやめない。
諦めればいいのに。
どうせ出来ないものは出来ないのだから。
ここから大声で言ってしまおうか。
そうすれば男の子も気付くだろう。
今やっていることは無意味であることを…。
私は思いっきり息を吸った。
そして、男の子にぶつける。
「出来っこないわ!」
「出来たっ!!」
私の声に男の子の声が重なる。
男の子の声は無邪気だ。
心の底から歓喜に溢れている。
それがわかり、次の瞬間目を見張った。
「…出来てる…。」
私の目にはボールに立っている男の子が映った。
信じられなきて目を擦り、再び視線を真下に向けるが、やはりそこにはボールの上に立っている男の子が居た。
「嘘…。」
ありえない。
出来ないことができる訳が無い。
私が驚きのあまり身体を硬直させていると、男の子は顔を上にあげた。
そして目が合う。
「―っ!」
私は慌ててしゃがみこむ。
気づかれた。
いや、気付くだろう。
ずっと見ていたのだ。それに私は大声を出した。これで気づかない方がおかしい。
ここで、ニコリと微笑めばいいもの私の表情筋は死んでいる。
それにこの状況を打破できるほどの社交力は生憎持ち合わせていない。
私の心臓は今までにない以上にうるさく脈打っていた。
「ねぇ!出来たよっ!!」
下で男の子が何か言っている。
一体誰に言っているのだろうか。
私は恐る恐るのぞき込んだ。
「出来たよっ!」
「―っ!?」
ばっちり目が合う。
私に言っていたらしい。
どうして良いのかわからず、わたわたしてしまう。
なんて言えばいい?
兄と使用人と先生以外と話すのは初めてだ。
声でだけでなく言葉すら見つからない。
あ、そうだ。
紙に書こう。
そうすれば声に出さずにすむ。
男の子が帰ってしまう前に書かなければ!
私は慌ててペンを持ち、文字を書き出した。
『泣き虫』
違う!
そんなことを言いたいわけじゃない。
新しい紙を出し再び書き出す。
『つまらない』
『悪趣味』
何故こんな言葉しか思いつかないのだろう!
焦れば焦るほど自分の意に反した言葉ばかり浮かんでくる。
「ねぇー!!君の名前はー?」
「ひっ!?」
外から男の子の声が聞こえた。
焦った私は、自分の名を書き、何を血迷ったか、今まで書いてきたものを紙飛行機にし、全て男の子へ投げてしまった。
「あぁ…!!」
我にかえり、顔から血の気が引く。
やってしまったものは戻らない。
手紙は全て男の子の元へ飛んでいってしまった。
男の子はボールから降りると、私が投げた紙飛行機を1枚、1枚拾い上げた。
拾わないで、違うの!
ちゃんと言えばいいものの、私の口からは意味を成していない「あぅ…ぁ」などの言葉しか出ない。
男の子は紙に目を通し、首を傾げた。
「ごめんね。僕、字が読めないんだ!」
その言葉にホッとした。
もう一生読めなくてもいいよ、なんて失礼な言葉が浮かぶ。
「僕の名前は■■■!よろしくね!」
そう言う男の子は、無邪気な笑顔を私に向けてきた。
***
意識が浮上し、目を開ける。
あたりはまだ暗闇に包まれていた。
(良かった…。まだ夜だわ。)
ホッとし私を抱きしめている男の様子を伺と、頭上から規則正しい寝息が聞こえた。
(寝ているみたいね。)
…まさか私まで寝てしまうとは思っていなかった。
思っていた以上に疲れていたのか、それとも男の側はそんなにも落ち着くのか…。
(帰りましょう。)
私は髪留めを1つ頭から抜き取り、手錠の鍵穴に刺す。
私はもしもの場合に備えて、兄から様々な護身術を教わっていた。
まさか、それを使う日が来るとは思わなかったが…。
手錠はあっさりと外れた。
開放された右手は軽い。
そして、細心の注意を払い男から離れる。
やっとの思いで男から離れ、その見下ろす。
(寝るときも仮面をつけているのね。)
先程、昔の夢を見た。
夢の中で男の顔を見た筈なのに、現実に戻れば、私は何も覚えていない。
最後ぐらい顔が見たい。
私はゆっくり手を男へと伸ばす。
(いや、知ってどうするのよ。)
私の手は寸前で止まった。
(きっと見てしまったら帰れない。)
そんな気がする。
私はゆっくりと手を引っ込た。
「…ごめんなさい、ありがとう。」
そう呟き部屋を出た。
本当はもっと色んなことを言いたかった。
しかし、いざその場になると言葉は思うように出てこない 。
これで良いのだ。
道は覚えている。
その通り進めばいい。
私は夜の道をゆっくりと歩き出した。




