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ティノジア  作者: 野良丸
8/15

不安



 大神殿にある執務室には、足の短い長テーブルを挟んで座っている大司祭ティアクリフトとロキナの姿がある。

 テーブルの上には数枚のカードが裏面にされて置かれていて、ティアの手にもロキナから見えないよう数枚のカードが開いた扇のように持たれている。

 それに手を伸ばして、また悩むように引っ込めるロキナを、ティアはいつも通り無関心な顔で、だがどこか楽しそうに見ていた。

「そんなに悩んでも結果は同じよ。占いってそういうものだもの」

 先程から何度も同じようなことを言っているのだが、ロキナは「むー」と唸っている。

 その時、ノックの音に続いてドアが開き、ラキナが執務室に入ってきた。

 テーブルの上にカードを広げている二人を見て、無表情の中に僅かな呆れが浮かぶ。

「……大司祭様、書類の方は……」

「書類なんかより妹の恋愛について気にならないの?」

 その言葉に、ロキナは驚き顔を上げる。

「え、ティア様、これって……」

「そういう結果も出るかもしれないって話よ。占いってそういうものだもの」

 そんなやり取りをする二人と机に積まれた書類を見てからラキナは大きな溜め息を吐く。

「私達は神に仕える身。それに、ロキナはまだ子供です。ロキナ、あなたも大司祭様と一緒に遊ばないで、仕事をするよう促すのも仕事のうちなのですよ。あのことに関しての報告は終わったのですか?」

 うっ、と言葉に詰まったロキナは、白い空間から二枚の書類を取り出すと、カードを広げたままつまらなそうな顔をしているティアに向かい合う。

「ロキナ、報告ってなに?」

「えっとですね。一ヶ月前、『勇者の子孫』がムソウとの戦いの後に消失した件と……近況報告です!」

「あぁ、あのこと。私の中では『勇者が魔物に殺されたから』っていうことで納得しているのだけれど、何か進展があったのかしら」

「いえ。他に原因らしきものは判明せず、やはりその説が最有力とのことです」

「そう。まぁ原因がどうであれ、ムソウを倒す実力者と未来の勇者を二人同時に失ったのはかなりの痛手よ。黒炎竜討伐の話も再浮上してないんでしょう?」

「はい。アカネ様の消失はもちろん、隊長二人の負傷もあり延期となったままです。そして最近は…………」

 言葉が途切れたロキナに、ティアは不思議そうに首を傾げる。読めない字でもあったのだろうか。

「ロキナ、ちゃんと読みなさい」

 姉の言葉に、ロキナは渋い表情をしてから口を開く。

「最近は、ムソウとの戦闘以来、指揮官ヨウ様の様子がおかしく、また指揮もまともに取れないことも多々あるため、討伐軍の一部では、軍を辞めてしまうのではないかという不安があるそうです。私は辞めないと思いますが」

「報告に私情を挟むのは止めなさい」

 ラキナに注意されて、ロキナは再び渋い顔をする。

「あら? ロキナと、そのヨウって人は面識があるの?」

 ティアの問いにラキナが答える。

「はい。地球の方をお迎えにあがった際に」

「あぁ、そういえば、ロキナが転移魔法に失敗して色々やらかしたことがあったわね。あの時の人」

 ふぅん、と鼻を鳴らしてから、手に持っていたカードを机の上に置く。

「血で武器を作ったって聞いた時から気になってはいたけど、そのうち会いに行ってみようかしら。私が見れば彼の天命も分かるでしょうし、ロキナが人に懐くなんて珍しいものね」

「珍しくないですし、懐いてもいないです」と分かりきった強がりを言うロキナをスルーして、ティアは立ち上がりながらテーブルの上のカードを一瞥する。

 想い人去る。途中で終わってしまった占いだ。その後にどんな言葉が続くのかは、ティアにも分からない。




 隊長室の机の上に置かれた除隊願いの書類に目を落としたコウタは、細く息を吐いてからヨウを見上げる。

「シアさんは?」

「もう話した」

「今度は、連れて行ってあげないのか」

 除隊願いが書かれた一人分の名前を見てコウタは苦笑してから、小さく息を吐いて真剣な表情をヨウに向ける。

「そんな顔してるヨウを久し振りに見たよ。軍を辞めて後悔しないなら止めないけど、それでもそんな顔をするようなら、隊長としてだけじゃなくて一人の友達として引き留めるよ」

「じゃあ、ここ一ヶ月の俺はこんな顔をしてなかったか?」

 表情を隠すように俯きながらヨウの放った言葉に、コウタは何も答えない。分かっていた。ヨウが何か悩んで、後悔していることは。

「……ヨウは相変わらず人に頼らないね。そういうところを凄いと思う反面、たまに寂しくなるよ」

 何も答えない友人に、コウタは頷き、除隊願いを手に取る。

「確かに近頃のヨウは調子が悪かったけど、それでもまだ信頼を寄せている隊員はたくさんいるよ」

「今の俺じゃあ、いつか仲間を殺す」

 ユタカよりも、よっぽど。

「……じゃあ、せめてシアさんは連れて行ってあげたら? 前みたいに、比較的安全な町で一緒に暮らしたらいい」

 その言葉に、ヨウが無言のまま踵を返した時、隊長室の扉が勢いよく開いた。

 そこに立っていたのは、任務帰りなのか、軍のコートを羽織っているキョウカ。怒り一色に染まりきった表情でヨウを睨みつける。

「今、シアから聞いた」

「そうか」

 あまりにもあっさりとした答えに、キョウカは歯を食いしばり、手を震わせながらヨウの胸倉を掴み上げる。

「どういうことだ」

 その問いに、ヨウは疲れ切った虚ろな視線を返すだけで、答えようとはしない。

「人を引き止めといて、自分だけ勝手にどっか行くつもりか!」

 胸倉を掴んだまま身体を揺すっても、ヨウは返事も抵抗もしない。この一ヶ月、ずっとこうだった。何をしても反応が薄くて、ずっとどこか辛そうで、でも、いつか元に戻ってくれると信じていた。

「アカネのことなら誰の責任でもないし、私の方が……!」

「違う」

 唐突にヨウが発した言葉に、キョウカは動きを止めるが、

「アカネのことは関係ない。俺は、戦うのが怖くなっただけだ」

 その言葉に、再び怒りを浮かべ、目が涙で揺らぐ。

「軍を辞めて、シアはどうするんだ。お前が守るんじゃなかったのか」

 逡巡するような間の後、「シアは」と口を開く。

「キョウカ、お前が守ってやってくれ」

 その言葉に、血が滲むほどに唇を噛み締めたキョウカは、強く握り締めた拳でヨウの左頬を打ち抜いた。

 呆気なく床に倒れるヨウを見下ろしたキョウカは、頬に一筋の涙を流しながら口を開く。

「言われなくてもやってやる。私は絶対に、仲間から離れたりしない」

 そう言って隊長室を出て行くキョウカを見送ってから、コウタが苦笑気味に口を開く。

「早速後悔してない?」

 何も答えずに立ち上がり部屋を出て行こうとするヨウの背中に、コウタは言葉を飛ばす。

「これ、とりあえず預かっておくから。一応、客員騎士的な扱いだから、色々融通も利くし」

「……悪い」

 その謝罪が何に対してのものだったのか、コウタには分からなかった。




 ヨウが軍を抜けてから一ヶ月が経った。

 アカネに続きヨウまでいなくなったことによる隊全体の士気の低下や、ヨウの穴を埋める形で指揮官となったユタカのことなど様々な問題に追われている討伐軍に、また新たな問題が降りかかる。

 マキシムを含む、ギルドとの実質的な協力関係の凍結。無論、正式に決まったことではないが、協力要請を拒否されることが多発している。

「隊長、どうでしたか?」

 机に向かっていたモーゼズが顔を上げて、隊長室に戻ってきたコウタに問うと、苦笑と首を横に振る仕草が返ってくる。

「そうですか。治癒魔法使いはどこでも貴重とはいえ、中型魔物討伐に隊長格も回復要員も無しは辛いところがありますね」

「隊長格がいないから回復要員が欲しいのに、隊長格がいないから協力出来ないってところばかりなんだ。気持ちはすごく分かるけど、マキシムに至っては、ヨウもアカネもいない軍に仲間を任せられないって言われたよ」

 アカネの比類なき力と、ヨウの絶対障壁。彼らが戦場にいるだけで、隊員達にとっては安心の理由となる。それは、ギルドも同じだ。マキシムの場合は別の理由も当然あるのだろうが。

「とりあえずその任務に関しては、途中からでも合流出来そうな隊長格、あるいは治癒魔法使いがいないか当たってみます」

「ごめんけど頼むよ」

 苦笑しながら言って自分の席に座ったコウタは、ふと思い出したように「そういえば」と口を開いた。

「そろそろ報告に戻ってくる頃じゃないかな。ユタカが指揮してる部隊」

「あー……」とモーゼズは言いよどむように語尾を伸ばし、苦笑しながら指先で頬を掻く。

「実は、さっきユタカさんが報告に来ました。任務自体は成功したそうです」

 その言い方に、コウタも苦笑を浮かべた。

「ってことは……」

「はい。相変わらず、味方が言うことを聞かないと言っていました」



 勢いよく開いた扉に、室内で机に向かっていた三人が驚いたように顔を向ける。

 そのうちの一人、パトラは、部屋に入ってきた人物を見て呆れたように笑った。

「なに? また御機嫌ナナメ?」

「うるさい」

 心なしか床を強く踏みながら自席に着いたユタカに、三人はニヤニヤと笑みを向ける。

「なぁ、ユタカ。聞かせてくれよ。今日はどんな面白エピソードがあるんだい?」

 一番ニヤニヤしているマイクがそう訊くと、ユタカは「ふん」と鼻を鳴らす。

「そんなものはない。ただボンクラ共が言うことを聞かなかったせいで少し手こずっただけだ」

「言うこと聞かせるのも指揮官の腕なんだけどね」

 パトラの横槍に「ぐっ」と悔しそうな顔をするユタカを見て、マイクは手のひらを天井に向けた両手を肩の位置まであげてつまらなそうな表情をした。

「なんだ。なにもないのか。ユタカが地図を見間違えて、森に行くつもりが砂漠に着いたって話は凄くユニークだったのに」

 更に渋い顔をするユタカに、三人は可笑しそうに笑う。

 マイクは、ユタカの少し前に指揮官になった『地組』の隊員。そして、地球人だ。その名前通り外国人で、髪は濃い茶髪で肌は色白。歳は二十代後半と、この中では最年長だが、日本人にはなかなか出せないダンディな雰囲気は彼を更に年上に見せる要因の一つだろう。実際は、ユタカと仲良くしていることから分かるように、とても親しみやすい人物である。

「そういえばユタカの隊には新人の女の子がいたよね? ほら、治癒魔法使いの」

「そうなの? 治癒魔法使いとは仲良くしといた方がいいわよ。……その様子を見るに、今更なアドバイスになっちゃったっぽいけど」

「ぐっ。……どいつもこいつも言うことを聞かない癖に口を開けばヨウはこうだっただのああだっただの……」

「まぁ、確かにそう言う隊員は多いよね。特に今は、あの戦いを聞いて隊に入ってくる新人さんが多いし。指揮で劣ってるつもりはないけど、やっぱり私達とヨウじゃあ安心感が違うでしょ。障壁だけじゃなくて、なんだかんだで私達だって頼りにしてるところあったし」

 パトラの言葉に、ユタカは更につまらなそうに「ふん!」と鼻を鳴らす。これは彼の癖のようなものだ。

「あんな奴、散々偉そうなこと言って戦いから逃げた腑抜けじゃないか」

「そうかもしれないわね」

 同意されても、ユタカの表情は変わらない。

「でも、それは同じ戦場に立つことも出来なかった私達が言えることじゃないわ」

「……そんなことは分かっている」

 苦々しそうに呟き顔を逸らすユタカに、他の三人は顔を見合わせると肩をすくめて声に出さずに笑う。

 少しずつだが、ユタカは変わり始めている。隊員にはなかなか受け入れられずにいるが、その成長を見てきた指揮官達には彼に期待している者も多いのだった。




 見渡す限りの砂。そこに緑は一切見えない。

 ティノジアの西にあるラハル砂漠を、砂の積もった小高い丘から一人の少女が見渡していた。

「シア!」

 その声に、白いローブを纏ったシアが振り返る。

 声を掛けたのはキョウカ、その後ろには、大神殿の神官と話をしているアデルの姿がある。

「転移屋が来た。戻ろう」

 頷いて返し、キョウカの肩越しにアデルを見る。

「アデル隊長補佐の魔法、凄かったですね」

 キョウカは振り返りながら「あぁ」と同意する。

「私も見たのは初めてだが、流石は『火組』元隊長だな。威力が強すぎてこんな場所でないとなかなか使えないだろうが」

 ふと視線が合うと、アデルはシアとキョウカを見て、お先に、というように敬礼する。二人が軽く頭を下げると、神官の手を掴んで拠点へと転移した。

「私達も帰るか」

 キョウカが言うと、シアも頷き、そっと手を伸ばす。

 その手を見ると、軍を辞めた少年の姿がどうしても浮かぶ。

 シアの様子は何も変わらない。少なくとも、キョウカから見た限りでは。

 しかし、普段浮かべる表情も、今手を伸ばしながら浮かべる笑みもどこか空元気な気がしてならない。

 気にしすぎだろうか。

 そう思いながらキョウカが伸ばした手を、シアは強く握った。




 それから数日が過ぎたある日、『地組』隊長室にモーゼズが疲れた顔をして入ってきた。

「モーゼズがそんな顔するなんて珍しいわね」

 そんな彼を迎えたのは、ソファに深く腰掛けたガイアだった。

「ガイア隊長、大型魔獣の討伐お疲れ様です」

「ん。流石に疲れたわ」

「コウタ隊長に何かご用ですか?」

「ううん。他の隊長とかみんな出払ってて暇だから来ただけ」

「なるほど。同じく大型魔物の討伐に行っているコウタ隊長が心配で来たと」

「いらないなら耳削ぎ落とすわよ」

 眉間に皺を寄せて空間に手を突っ込むガイアを見て可笑しそうに笑いながらモーゼズは自席に着く。

 ったく、と空間から手を引き抜いたガイアは、再度ソファに背をもたれると、「で? どうかしたの?」と横目にモーゼズを見ながら口を開いた。

「指揮官のユタカさんにちょっと文句を言われてきただけですよ」

「あぁ、あの……。文句って? ってかアンタのその口調気持ち悪いから止めなさい。上司命令よ」

 その言葉に苦笑しながらモーゼズは答える。

「相変わらず治癒魔法使い不足でね。三日後の任務、余力があれば途中参加になるって言ったら、考えていた計画が全て狂うってさ」

 その言葉に、ガイアが「くふふ……」と笑いを堪える。

「笑いごとじゃないよ」

「違うわよ。最初から怪我すること前提の計画ってのがちょっとツボなの」

 でも、とガイアは肩を震わせながら言う。

「指揮官はそのぐらいでいいわ。治癒魔法使いがいないなら自分がなんとかする、誰にも怪我をさせないなんて考えだと、必ずいつか折れる。アイツみたいにね」

 目尻に溜まった涙を拭い、「はー」と笑いを引っ込めたガイアに、モーゼズがなんとも言えない表情をする。

「地球の方を僕達と同じだと考えたら駄目だよ。大多数の人が戦いどころか剣を持ったことすらなかったんだ。人の死にだって、慣れてない」

「そんなことは何の理由にもならないし、私は別にアイツを責めてるわけでもないから。むしろ、あの調子で無理に続けるよりは良い判断だと思ってるわ。結局最後までアイツの障壁を砕けなかったことだけは心残りだけど」

 ガイアが苦々しい表情をしながら前髪を掻き上げた時、小さなノック音が隊長室に響いた。

「はい」というモーゼズの声に反応してドアノブが回り、ゆっくりと扉が開く。

 そこにいたのは、先日、初任務を終えたばかりの新人治癒魔法使い、エノだった。

「あの、モーゼズ隊長補佐……」

 中途半端に開いた扉からヒョコッと出した顔にはまだ幼さが残っている。それもそのはずで、彼女はティノジア出身の隊員としては最年少の十四歳の少女だ。

 途中で言葉を止めたエノの視線の先にはソファで足を組んだガイアの姿がある。

「が、がががガイア隊長……」

「………………」

 口を震わせて顔を青くするエノを見てガイアは口元を引きつらせる。

 地球人や討伐軍隊員は現在のガイアをよく知っているが、ティノジアの人々、特に田舎から出てきたばかりのエノのような者には、未だに『激高』の印象が強い。

「ガイア隊長、顔が怖いですよ」

「笑ったら笑ったで怖がられるのよ」

 唇を尖らせるガイアにモーゼズは苦笑を返してから、扉を掴んでいる手をガタガタと震わせるエノに顔を向ける。

「えっと、それでエノさん、僕に何か? 任務の報告……じゃないよね」

 今日エノは休みとなっていたはずだし、服装は一応コートを羽織っているものの、その下は毛糸の半袖とロングスカート姿と、完全に私服姿だ。どこかに出掛けていたのだろう。

「あ、はい! えっと! さっき町でユタカさんを見ました!」

「何の報告なのよ、それは」

 思わずツッコんだガイアに、エノはビクッと肩を震わせる。

「ガイア隊長は静かにしといてください。エノさん、続きを」

「は、はい。あの、ガイア隊長、ごめんなさい」

「謝らないでよ。怒ったわけじゃないんだから」

「はい。ごめんなさい……」

「………………」

 すっかり拗ねて頬杖をつきそっぽを向いたガイアを見て、やっぱり怒ってる、と勘違いしながらエノはモーゼズに向き直る。

「あの、ですね」

「はい」

「ユタカさん、マキシムの拠点に入っていったんですけど……」

 モーゼズとガイアの表情が固まる。もちろん、そんな話は聞いていないし、聞いていたら絶対に止めている。

「大丈夫なんでしょうか?」

 という呑気な声が静かな隊長室に響いた。




 マキシムの拠点にあるギルド長室。執務用の机と本棚が置かれただけのそこに通されたユタカは、机に両肘をつき、組んだ指の上に顎を乗せているニコールと対峙する。

「討伐軍の指揮官が来たと聞いてもしやと思ったが早とちりだったか。前に見た顔ではあるがな」

 ニコールはつまらなそうにユタカを見た。

「何の用だ? 今更コマチを迎えにきたわけでもないだろう?」

 その問いにユタカは「ぐっ」と怯みながらも、すぐに睨み返すと、

「何故、軍からの協力要請に応じない」

「単純に人手が足りないというのもある」

 他にも理由があることを隠すつもりもない言葉に、ユタカは怒りに顔を歪める。

「お前もヨウやアカネがどうこうと言うつもりか!」

 その声に、ニコールは冷めた表情のまま、

「なんだ。流石にお前でも分かっていたのか」と返す。

「アカネはともかくとして、ヨウはただの臆病者だろう! 二大ギルドの長は、あんな奴がいないと応援も出せないのか!」

「当然だ」

 その迷いのない即答に、ユタカは一瞬呆気に取られる。

「アカネやヨウ、せめて隊長格の人間がいなくて、誰が私の仲間を守ってくれるというんだ? 例えばお前の目の前でギルドの者と討伐軍の隊員が死にそうになっていたとして、お前はどうする?」

 ニコールの問いに、ユタカは逡巡を見せながらも答える。

「……状況による。だが、ギルドの人間だからといって見捨てるようなことは」

「そうかもしれないな。だが、状況によっては見捨てるということだ。アカネやヨウのように、両方を守れる力がお前にはないのだから」

「戦場に出る時点で絶対な安全など有り得ない! だが、このままでは世界は絶対に滅ぼされる!」

「だから犠牲になれというのか? 軍がそういう考えなのであれば文句は言うつもりはないが、ここはギルドだ。そんな考えの奴らと共に危険な戦場へ仲間を送り出すわけにはいかない」

 そう言い切ったニコールは、怒りの表情を浮かべたまま言葉に詰まるユタカに鋭い視線を向けたまま、

「傷付いた仲間の見舞いにも迎えにも来ないような奴が指揮する部隊など特にな」

 そう言うと、両肘を机から離して机上の書類に視線を落とす。

「帰れ。どうせ軍には無断できたのだろう? 今なら黙っておいてやる」

 ユタカは歯を食いしばり、拳を握りしめながらニコールに背を向けて扉に向かう。

 その時、ノック音と共にドアが開き、コマチがそっと顔を覗かせた。

 ユタカの表情が一瞬で怒りから驚きに変わり、そして何かを誤魔化すように顔を逸らすと、コマチの横を通って部屋から出て行った。

「……ユタカさん」

 閉じられた扉を見ながら俯き気味に呟くコマチを見て、ニコールは大きな溜め息を吐く。

「うちの人気者が軍の指揮官に恋い焦がれているなんて知れたら、男連中が三日間は使いものにならなくなるな」

 普段ならば慌てて赤面するなどニコール好みの反応をしてくれるコマチだが、今は扉を見たままボーっと立ち尽くしている。自分よりユタカを優先されたようで面白くないニコールは「む」と口をへの字に曲げる。

「ごほん」とわざとらしい咳払いにコマチは両肩を跳ね上げ、ようやく振り返った。

「それで、依頼の報告か?」

「は、はい。行商人を襲った中型魔物の討伐、完了しました」

「そうか。ご苦労」

 と返してから、じっとコマチを見る。

「な、なんでしょうか」

「いや、なんでもない。詳しく聞いたら私が嫉妬に狂ってしまいそうだ」

「なんですか、それ……」

「アイツのことが気になるか?」

「結局聞いてるじゃないですか……」

 コマチは溜め息を吐きながら、再度扉に顔を向けて頷く。

「それは、気になりますよ」

「珍しく素直だな」

「変に誤魔化してもからかわれるだけなので」

「素直なら素直で私は嫉妬に狂いそうなのだが」

 どうすればいいんですか、と言いたげな呆れ顔を浮かべるコマチに、ニコールは「くっくっく」と笑う。

「冗談だ。そこまでのものではない」

「嫉妬はしてるんですね」

「まぁな」

 平然と頷くニコールに、コマチはむず痒そうな顔をするが、

「アイツも、私やコマチのようにもう少し素直になればいいんだがな」

 その言葉にキョトンと首を傾げる。

「アイツって、ユタカさんですか?」

「あぁ。そうだが?」

 それがどうした、というようなニコールの表情に、コマチは思わず笑みが浮かぶ。

 前まではユタカに対して何を言うでもなく『止めとけ』としか言わなかったニコールが、僅かではあるがユタカを認めているような気がしたからだ。

「……コマチ、なんだその笑いは」

「いえ、なんでもないです」

 そう言いながらもニコニコとしているコマチを、ニコールは不満げに見ていた。




「聞きたいことがあるんだけど」

 人のまばらな食堂で一人昼食をとっていたシアの向かいの席に、トレイを持ったガイアが座る。

「任務お疲れ様です、ガイア隊長」

「うん。アナタも昨日はお疲れ様」

「そういえば、ギルドとのことについてもお疲れ様です」

 昨日、ユタカがギルドに怒鳴り込んだという話は既に広まっており、今朝の新聞にも『軍VSギルド再び!?』という見出しが載ってしまっている。

「今回はマキシム側が流してくれたから助かったけど、本当に勘弁してほしいわ。血で反省文を書かせてやろうかと思っちゃった――」

 その時、ガイアのガタンと椅子の揺れる音が響いた。

 怪訝な顔をしたガイアが振り返ると、そこには両手でトレイを持ったまま真っ青にした顔をブルブルと震わせるエノの姿がある。

「……冗談だから」

「はっ、はい! 分かりました!」

「ガイア隊長が新人いびりを……」

 と言うのは、エノの隣に立っているユリだ。彼女に口で勝てないことを何度も経験しているガイアは、思い切り顔をしかめるとシアに向き直る。

「それでね、聞きたいのは地球のことなんだけど……」

「地球のことですか?」

「うん。まぁ、そうね。地球のことよ」

 その含みのある答え方にピンときたシアが、ガイアの耳元に口を近付けて、

「地球でのコウタさんのことですか?」

 と聞くと、ガイアの肩が僅かに跳ねて、小さく頷いた。

「……略奪愛計画」

「なんで聞こえてんのよ!」

 ユリの呟きにガイアは勢いよく振り返る。

「ふふん。狩人は五感を強化する術に長けている」

「こんなことに魔力無駄遣いすんじゃないわよ!」

「ガイア隊長、エノちゃんが気絶しそうになってますから……」

 シアの言葉にガイアがハッとして顔を向けると、エノは全身を大きく震わせて、箸で掴んだ一口サイズの肉がポロッとトレイの上に落ちた。

 うぐぐ、と悔しそうな呻き声をあげるガイアに、シアは苦笑しながら言う。

「えっと、話は私の部屋でしましょうか」


 軍寮の一人部屋は狭く、ベッドと机を置いてしまえば僅かなスペースしかあまらないほどだ。ガイアの場合、隊長室のソファで眠ることも多いため、部屋にあるのは本当にその二つの家具だけ。それに対してシアの部屋は、ベッドには白と青、そして雪の結晶模様のカバーをつけていて、枕の横や机の上には可愛らしかったり少し奇妙だったりするぬいぐるみが置かれている。

 これがいつだかユリの言ってた女子力ってやつ……? なんか良い匂いもする……。とガイアが戦慄を覚えていると、一足先に部屋に入ったシアが机の椅子を引く。

「どうぞ、ガイア隊長」

「う、うん」

 ガイアが椅子に座ると、シアはベッドに腰掛ける。

 狭い部屋のあちらこちらを見渡して、借りた猫のような状態になっているガイアに苦笑しながらシアは口を開いた。

「コウタさんの話ということですが……」

「えっ? あっ、うん。そうね」

 膝の上にちょこんと手を置くガイア。この姿をエノに見せれば印象もかなり変わる気がするのだが、そういうことを狙って出来ないからこそ彼女なのだろう。

「具体的にはどういうことを知りたいのでしょうか? と言っても、私もヨウさん繋がりの関係なので詳しいことは知らないですけど」

「えーとね、その……アイツと付き合ってるっていう彼女のこととか……」

「桜さんのことですか。それなら少しは知っていますが」

「本当に?」

 表情を輝かせるガイアだったが、

「えぇ。一応、私の姉になりますから」

 その言葉に表情を固めた。

「べ、別にユリが言ってたみたいにコウタを取ろうとかそんなんじゃなくてただどんな人がタイプなのか知りたかっただけで別にユリが言ってたみたいに」

「話がループしてます」

 ガイアは口を止めると、赤くなった顔を気まずそうに逸らした。

「それに、分かってます。コウタさんがガイアさんを好きになったならそれはしょうがないことですから」

「いいの? お姉さんなのに」

「姉と言っても義理ですし、一緒に住んでいたわけでもありませんから。恩もありますし優しい方ですけど、恋愛は別の話です」

「……意外と冷めた考え方してるのね」

「そうでしょうか?」

 何が可笑しかったのかガイアには分からないが、シアはクスクスと笑う。

「義理っていうのは? それに、一緒に住んでないって。まさかそのサクラさんがシアのお兄さんと結婚しててコウタは不倫恋愛してるなんてことは……」

「ありませんね」

「まぁ、そうよね」

 ホッとしたような、残念なような。

「桜さんの家……鈴野家に、私が養子として入ってるんです」

「養子? でも一緒には住んでないのよね?」

「はい。鈴野家は六人姉弟で、そこまで余裕がある生活ではないらしく、私的里親と言いますか、保護者代理と言いますか、ここに来る前の一年間は浦島家にお世話になっていました」

「ウラシマ……?」

 どこかで聞いたような、と首を傾げるガイアに、シアが微笑みながら答えを口にする。

「ヨウさんのご家族です」

「あぁ、そっか。どこかで聞いた名前だと思ってた……なんで?」

 人によっては訊くのを躊躇う質問を平気で口にするガイアにある種の気持ちよさを感じながらシアは笑みを浮かべたまま答える。

「なんででしょうね。私も詳しい理由は教えてもらってないんですけど、ヨウさんは、死んだ私の父……教師をしていたんですけど、その元生徒で色々お世話になったからと」

「へぇー。今のティノジアじゃあ親のいない子供は珍しくないけど、地球でもそういうことあるのね。みんなの話を聞いてすごく平和なところなんだと思ってたわ」

 平然と言うガイアだが、この場に地球、特に日本出身の者がいれば更に聞きたいことがあっただろう。ティノジアと違い、今日からこの子はウチで育てます、と言って簡単に育てられるような世の中ではないのだから。

「それでガイア隊長、桜さんの何を聞きたいんですか?」

「あぁ、そうだったわね。えっと、まず髪型とか服装、それからどんな性格か……」

『俺のとこ来るか?』

 壁越しに聞こえる大人達の喧騒を裂くような声が、不意にシアの脳裏に蘇る。本当に、何故、彼は自分を助けてくれたのだろう。

 そして、今、どこで何をしているのだろう。





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