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ティノジア  作者: 野良丸
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アカネ



 ヨウが指揮官に任命されてから半年が過ぎた。その間に、指揮官の数はヨウ一人から五人にまで増えたが、そこにユタカの名前はない。

 机の上では三センチほどの人形四つと六センチほどの四角いブロック一つが動き回り、攻防を繰り広げている。

 前衛にいた赤色の人形が後退すると、四角いブロックが横にこてんと倒れ、動きを止めた。

「最後にトドロキの魔法でトドメだ」

「……ふむ。少し戻って……ここの場面、僕ならここはこう動かす」

「まぁ確かに、その方が安全かもな」

「君の場合は絶対障壁があるから何かあっても大丈夫だろうが、それ前提に動かしすぎると隊員達が依存してしまうぞ」

 ユタカは忠告してから、机の上に置かれた複数の人形を動かす。

「それと、他に気になったのは中盤のここ。敵の行動を決めつけて動くのは危険だろう。もっと様々な可能性を考えて……」

「それで何も出来なかったら勿体ないだろ? いざとなったら障壁があるしさ」

「だから、その考えが――」

 指揮官のため、新たに設けられた『指揮官室』。向かい合わせに並べられた四つの机を見渡すように置かれた一つの机。そこに座っているヨウと、彼に向かい合う形で、どこからか持ってきた椅子に座っているユタカの。彼らの他にはシアと一人の女性がいるが、淡々と言葉を交わす二人を気にした様子もなくお茶を飲みながら会話を楽しんでいる。

「それにしても、ユタカ君もよくやるね。指揮官の中では一番ベテランのヨウ相手にさ」

「でも、まだ指揮官への道は遠そうですね」

「あはは。まぁ、最初が最初だったし、慣れないと取っ付きにくい性格も変わってないし。任務をこなしながら少しずつ認められていくしかないよ」

 ヨウの次に指揮官となった女性、パトラは、薄い金色の前髪を払いながら笑う。彼女は、名前の通りティノジア人で、歳は二十代中盤。この軍の中ではベテランに入る人物だ。

「ま、私としては、『風組』の指揮官が私以外にも欲しいところなんだけどね。指揮官が一人しかいないのって『地組』と『風組』だけだし。『火組』なんか隊長が猪みたいな特効型だから、逆に隊員には前衛にも指揮官タイプが多いらしいわ。補佐のアデルなんか典型的なソレだし」

 その言葉にシアは苦笑すると、

「ガイア隊長が聞いたら怒りますよ」

 と言った。

 一方その頃、噂されているガイアは拠点の隣にある王城の一室で行われている隊長会議に出席していた。

「こうして隊長格が全員集まるってのは久し振りだな」

 総隊長フランセスクの言葉に、各隊長補佐と、ラウール、コウタが頷く。

「悪魔化魔物と中型魔物に隊員だけで対応出来るようになりましたからね。流石に、悪魔化中型魔物からはそうもいきませんが、討伐軍の戦力は確実に上昇しています」

 とラウールが笑みを浮かべて言うと、ガイアも「そうね」と同意した。

「指揮官ってのも最初はどうかと思ったけど上手くハマってるみたいだし。ヨウみたいなのが上手くいってるのはホントに意外だけど」

「そういえば、『風組』と『地組』はまだ指揮官が一人しかいなかったな。多数いればいいというわけでもないが、候補者はいないのか?」

 フランセスクの言葉にフウズイは首を横に振った。

「『地組』は、指揮官のヨウが、ユタカのことを気に掛けているようです」

「えぇ?」と不満げな声を漏らしたガイアに苦笑を向けてから、コウタは再度口を開く。

「ユタカは色々と有名なので皆さんご存知だと思いますが、特殊な天命『指揮官』を持っています。役割の指揮官としては力不足で選ばれませんでしたが、支援能力の高さだけなら『地組』トップです。彼が指揮官という役に上手くはまれば、ヨウと並んで部隊を引っ張ってくれると思っています」

 ふむ、とフランセスクは人差し指と親指の腹で顎をさすってから頷いた。

「なるほどな。更なる戦力増強に期待できるのはいいことだ」

 その言葉に、隊長格はそれぞれフランセスクに目を向ける。

 何か、重要なことを言う。今の言葉からそれが感じ取れた。

「だが、そろそろ我等も攻めに転じなければならない頃合だ」

 その言葉に、隊長格全員、特にコウタには大きな緊張が走る。

「それはつまり……」

「あぁ。各部隊の隊長、及び隊長補佐に問いたい」

 フランセスクはそこで短く呼吸をすると、そのまま一息に問う。

「現時点の魔王討伐軍で、黒炎竜を討伐することは可能か、否か」

 黒炎竜。ヨウの絶対障壁を破った黒い竜。ヨウは指揮官として成長しているとはいえ、相変わらず身体能力に大した上昇は見られない。おそらく、現在でも黒炎を障壁一枚で防ぐことは不可能だろう。つまり、広いとはいえ限られたあの空間で、黒炎などを避けながら攻撃にも転じることの出来る素早さ、体捌きを持った者でなければならない。それだけならノブユキだが、黒炎竜には知恵がある。自分を傷付ける可能性がない者は後回しにするだろう。攻撃力、魔法ともに優れているのはトドロキだが、障壁を展開しながらの近接戦闘を得意としているため、少々相性が悪いか。防御主体に戦うキョウカは、トドロキ以上に相性が悪い。ヨウも、連れて行けばおそらく真っ先に狙われるだろう。

「コウタは悩む必要ないでしょ」

 と言ったのはガイアだ。

「いくら広いって言っても洞窟内である以上、隊員を十人も連れて行っても邪魔になるだけ。せいぜい十人弱、各部隊から二人ずつで、八人編成ってところかしら」

 視線を向けられたフランセスクが「あぁ」と頷くと、ガイアは再度コウタを見る。

「ね。だから、『地組』はもう決定じゃない。ここ数ヶ月で一番成長してるのは、確実にあの子なんだし。今日だって悪魔化中型魔物の討伐に行ってるんでしょ?」


 アガレス王国南東にある小さな村は炎に包まれていた。悲鳴や助けを求める声が響く村は小型の蜥蜴型魔物により囲まれ、逃げ場も隠れる場所もない地獄の状態となっている。

 村の遥か上空には、羽を生やした一頭の大蜥蜴。この魔物が時折口から火の玉を吐いては、村を燃やしていた。その姿は、まるでドラゴンのようだ。

 その村に近付く四つの黒い影。

「私は飛んでる奴倒す!」

「一人で大丈夫?」

 一つの影は大きく頷いたかと思うと、辺りを明るく照らすような青色に髪を変化させた。

「私とノブユキは周りの敵を倒そう。トドロキは苦手だろうけど水の魔法で……」

 ユリの言葉を置いて、地面を思い切り蹴り出す。村を囲む蜥蜴型魔物を飛び越え、そのまま燃えていない屋根の上に移り、両足に強化魔法を掛けると、屋根を踏み外すほどの勢いで空へ飛び上がった。

 その姿に気付いた大蜥蜴が火の玉を吐き出すが、空間から一本の剣を取り出すと、一切の躊躇なく火の玉を両断し、勢いのまま大蜥蜴の首を跳ねた。

「……あれ?」

 青髪の少女アカネは、ふと気付く。

「落ちちゃう。どうしよう」

 下を見ると、ざっと五十メートルはありそうだ。身体強化を全力で掛ければ死にはしないが、かなり痛い。骨折は間違いなくする。

「……トドロキー!!」

 上空からの大声に、苦手な水魔法で村の消火活動をしていたトドロキが顔を上げる。南西方向五十メートル先に、頭から地面に落下しそうになっている勇者の姿があった。

「たーすーけーてー!!」

「バッカじゃねぇのか!?」

 思わず暴言を口から吐きながら、トドロキは慌てて駆け出した。



 隊長会議の議案は、終わりを迎えようとしていた。

 現在の室内では、フランセスク以外の全員が手を上げている。そして、それをゆっくりと確認したフランセスクが「よし」と頷き、顔を上げる。

「それでは、一週間後に黒炎竜の討伐へ向かう! 討伐に参加する各隊員には今日明日中に伝えておくこと」

 特に、とフランセスクはコウタに顔を向ける。

「今回のキーマンは間違いなく『地組』のアカネになる。コウタ自身準備もあるだろうが、気に掛けてやってくれ」

 コウタは当然のように頷く。

 アカネは、現時点で間違いなく魔王討伐軍最強。入隊したころのように新聞などで報じられたからではなく、誰もが身を持ってそれを感じていた。

 今では、任務の内容によっては協力することもあるマキシムやその他のギルド。七ヶ月前の一件でアカネやヨウを失っていれば、この時点での黒炎竜討伐は不可能だっただろう。

 だが、今の討伐軍ならいける。それは、隊長格全員の総意だった。




 大神殿にある狭い三角型の一室では、白髪のティアクリフトが大きな水晶玉に両手を当てて目を閉じていた。

 ふと、ノックの音が響き、続いて少し幼い声が聞こえた。

「ティアクリフト様」

 占い部屋、と神官達からは呼ばれているこの部屋に入ってきたのはルキナだ。

「……なに?」

 目を閉じたまま問うティアクリフトに、ルキナは手に持っている紙を見ながら緊張気味に答える。

「転移屋をしている神官の話によりますと、五日後、討伐軍の精鋭が黒炎竜に挑むそうです」

「そう。大分長く待ったけれど、人間が魔王に挑むに値するかようやく分かるわね」

 対するティアクリフトは、いつも通り落ち着いた態度だ。これでもしも討伐軍が負ければ、人は更なる窮地に立たされるというのに、とルキナは思ったが、すぐにティアクリフトの手元に目がいく。

 よく考えてみると、ティアクリフトがこの部屋に来ているところを見るのも、ルキナがこの部屋に入るのも初めてだ。詳しいことも知らず、ただ『世界を覗く部屋』としか聞いていない。

「ティアクリフト様。何を見られているのですか?」

「さぁ。何でしょうね。私にも分からないわ。ただ少し、この世界に変なものが混ざった気がするの」

 そう言うと、ティアクリフトは目を開けて、水晶玉から手を離した。その頬を一筋の汗が伝う。

「……駄目ね。隠れるのが上手いのか、私の気のせいなのか。出来れば後者を望みたいわ」

 少し休むわ、と言ってティアクリフトが部屋を出て行った後、ルキナが何気なく水晶玉に触れると、何かを吸われる感覚に、思わず脱力し、尻餅をついた。

 魔力だ、と広げた両手を見ながらすぐに気付く。ほんの一瞬指先を触れただけで、とんでもない量の魔力を持っていかれた。

 ティアクリフトはこれに何分触れていたのだろうか。自分と会話した僅かな時間でさえ、ルキナには耐えられる気がしない。

 机に手を掛けて震える足でなんとか立ち上がると、水晶玉にどこかの景色が映っているのが見えた。

 ナズベキニア帝国だろうか。どこかの民族の集落が映し出されている。

 ルキナがすぐに水晶玉から目を逸らして占い部屋を出て行ったのは、果たして良いことだったのだろうか。

 凄惨な光景を見ずに済んだのは良いことだろう。だが、もう少しだけ発見が早ければ、あるいは……。




『魔王討伐軍へ応援要請。ナズベキニア帝国、南東の集落が、赤い鎧の魔物の襲撃により壊滅』

 赤い鎧?

 その情報に、拠点中の隊員が一気に静まり返る。食堂にいたヨウとアカネもその例外ではない。

『首を切り落とすといった殺害方法から、おそらく『ムソウ』であると予想されます。隊長格、指揮官、それからアカネさんは拠点の裏へ、その他の隊員は、その場で指示を待ってください』

 立ち上がった二人に、食堂にいる隊員達の不安そうな視線が集まる。

 それはそうだ。ムソウは人型魔物の中でも最強と言われているほどの敵。しかし、大型魔物と戦ったことがない隊員にとっては、未知の領域だ。大型魔物との戦闘経験のあるヨウとアカネにとっても、苦戦は必須の相手である。

 だが、

「勝ってくるよ!」

 こんな時でも、アカネは迷いなく笑顔だった。その普段通りの姿に、食堂内の空気が柔らかいものへと変化していく。

 隊員達の声援に背中を押されて食堂を出た二人が拠点裏へ到着すると、既に三名の隊長が揃っていた。

 コウタ、ガイア、ラウール。この場にいないのは、各隊の隊長補佐と『風組』隊長のフウズイのみだ。五日後の対黒炎竜に向けて、討伐に参加する隊長は任務を減らしている。その分を隊長補佐が補っているため、この場に姿がないのだろう。

 指揮官は六人中二人、ヨウとパトラのみが集まっている。

「さて、本当にあのムソウなのだとすれば、私とパトラさんはあまり役に立てませんね」

 ラウールの言葉にガイアは頷く。

「ムソウに魔法は効かない。障壁も、ヨウのものくらいの強度がないと大した役に立たないわね」

 ってわけで、とガイアはヨウに顔を向ける。

「アンタには来てもらう」

 ムソウの攻撃は多彩だ。最低限でもある程度動きが見切れるようになるまで、絶対障壁はなくてはならない。

 ヨウが頷くと、次にコウタが口を開く。

「じゃあヨウの護衛としてキョウカにも来てもらおうか。もちろん二人は攻撃に参加させないし、キョウカの『範囲防御』も禁止するよ」

「敵を発見次第、治癒魔法使いは少し離れた場所に待機させましょう。治癒が必要な場合は、戦場を離脱してください」

 とんとん拍子に話は進み、転移魔法が使える隊員やキョウカがやってきた頃には、戦いの準備は整っていた。

 シアとノゾミも、転移兼治癒要員として、それぞれヨウとキョウカの前に立つ。

「お二人とも無理はしないでくださいね」

 手を前に出しながら言うノゾミにヨウとキョウカは頷くと、それぞれ右手の掌に置く。

 ヨウの手を握るシアの手には、いつもより少しだけ力が籠もっていた。




 ナズベキニア帝国南東の草原に並べられた十を越す数の丸い屋根の移動式住居。

 テントが燃えていたり、崩れていたり、ということは一切ない。テントはしゃんと建っていて、長い棒に下げられた洗濯物は風に靡いている。

 ただ、そこで日常を送っていたはずの人々は、首と胴体を切り離され、日常風景を赤黒く染めていた。

「ムソウらしき魔物が現れたのは三十分前」

 その光景を見ながら、確認するようにコウタが口を開く。

「襲われた民族の中に転移魔法を使える人がいたおかげで早い行動が出来たけど……」

 集落の周辺に敵の姿は見えなかった。小型魔物を取り逃すのとはわけが違う。

「アカネ、分かってると思うけど、敵と遭遇したら必ず『先祖返り』を使いなさいよ」

「もー、分かってるよー」

 軽い調子で返すアカネに強い視線を向けながらもどこか心配そうなガイアに、ヨウは内心首を傾げる。

 もしかして、ガイアの奴、アカネの昔のこと知ってんのか?

 この光景に、アカネの頭に血が上っていないか。ヨウ自身、それを気に掛けていたため、タイミング的にもそう思ってしまう。

「……人の死体には慣れましたが、首切り死体を見るのは流石に初めてです」

 隣のシアが何の感情も映していない瞳で呟いた言葉に、ヨウも頷く。

 普通の魔物に襲われた者の死体は、見るに耐えないものだ。基本的に、魔物は喰らうために人を襲うのだから。

「いつもに比べて綺麗だ、って思ってしまいます」

「……死んだら終わりだ。死に方に意味なんかない」

 そうですね、と返してから、シアがそっと俯いた時、耳をつんざくほどの絶叫が集落中に響いた。

 まだ幼い声に、討伐軍の面々が反応した瞬間、その声は途切れた。まるで、一時停止を押したかのように、唐突に。

「動くな!!」

 アカネを遮るように右手を広げ、ガイアは叫んだ。その視線、いや、彼女だけではなく、全員の視線の先は、集落の中心にあるテントに向いている。

 テントの入り口の布から、長い刀を持った甲冑の右手が出てくる。色は赤。

「……シア、ノゾミ、ラウールは離脱」

 ヨウの静かな言葉に、三人は頷き、音を立てないよう後退りしていくが、その瞳は不意に大きく見開かれる。

 人間のように布を避けて出て来た赤い鎧の魔物、ムソウの左手には、年端もいかぬ少年の首があった。

 その瞬間、アカネの髪が青く変色したかと思うと、ガイアの腕の下をくぐって駆け出す。先程ガイアが言ったことは守っている。だが、彼女が冷静でないことは、誰が見ても一目瞭然だった。

「ガイア! コウタ!」

 ヨウが叫ぶと、二人はその背中を追いかけて地面を蹴る。

 敵の存在に気付いたムソウは少年の首を横に投げ捨てると、ゆっくりと刀を構えて横に振った。

 それは、目にも止まらぬ速度で突進してきたアカネの横っ面を見事に捉えていた。アカネが咄嗟に剣で防がなければ、の話だが。

 しかし威力は殺しきれず、アカネはそのまま横に吹き飛ばされる。ムソウは続く二人を迎え撃つため、新たな武器を黒い空間から取り出した。

 まるでガイアに合わせたかのような大剣だ。二メートルほどの全長のムソウよりも長く、そしてガイアのものより厚い。

 人と変わらない体つきで大剣をなんなく振りかぶったムソウは、迫り来る二人の方向にその剣を振り下ろした。

 大剣が空を切り、地面に触れた瞬間、コウタとガイアは大きく左右に飛んだ。二人の背後にあったテントが真っ二つに切り裂かれ、それを横目で確認してそれぞれ顔をしかめる。

 風斬り。千年前の戦いで人間軍を苦しめたムソウの技の一つだ。近距離型に見えるムソウだが、実際は距離など関係無しに斬撃を放ってくる。障壁が届くギリギリの場所にいなければならないヨウとキョウカも既に射程圏内だ。

 だが、ムソウは近接戦闘を好む。魔物に戦いの好みがあるなど一般的には有り得ないが、資料に残すほど、千年前の人間はそれを確信していた。

 風斬りを避けて一気に接近してきた二人の攻撃を、ムソウは大剣で全て捌き、叩き落とす。そして、ほんの一瞬の隙を見て空間から細い剣を取り出し左手で掴むと、攻撃を捌かれたばかりのガイアに剣先を向けて突き出す。

 それを防いだのは、巨大化した魔剣だった。

 ムソウの雰囲気が変わる。魔剣を構えたまま、コウタは見た。不思議そうに、まるで人間のように首を傾げるムソウの姿を。

 資料にあったより、ずっと人間だ。と細剣を弾きながらコウタは思う。真っ黒の中身が人ではないのかと疑ってしまうほどに。

 コウタは目を見開く。瞬きをした自覚はなかった。だが気付けば、彼女はムソウの背後に飛びかかっていた。

 アカネだ。大きな怪我はしていないようだが、その表情にいつもの笑みはない。

 傾げた首を戻すと同時に膝を曲げ、アカネの横薙ぎを避ける。

 だがそれで終わりではない。アカネはそのまま空中で素早く体を回し、着地と同時に剣を振りおろす。反対側からは、一歩後退したコウタに合わせて地面を力強く踏んだガイアの振り上げ、前後上下からの攻撃に、ムソウが取った行動は、両手に細剣を持ち、二人に剣先を向けただけ。だが、確実に首へ向けられたソレに、二人は攻撃を止めざるを得なかった。あと数センチ近づいていれば、いや、ムソウが後少し手を伸ばしていれば、その切っ先は二人の首に刺さっていた。それをしなかった理由は、余裕の現れか、あるいは、そこまですると三撃目を狙っているコウタに隙を見せてしまうと判断したのかは定かではない。

 そのコウタが大剣ほどに巨大化した魔剣を振りかぶると同時にアカネとガイアは一歩引く。 魔剣による一撃を片手で防いだムソウがもう一本の剣をコウタに向ける前にガイアは再度距離を詰める。回避されないことを重視して腰を狙った一撃。堅牢なことで知られるムソウの鎧を傷付けられるかどうかはどうでもいい。この攻撃により体勢を崩す、最悪防がれても構わない。

 ガイアの攻撃を受け止めたムソウの首を狙い、アカネが剣を横に構える。

 コウタとガイアで両手を塞ぎ、最速の攻撃を持つアカネが仕留める。千年前の戦いで人間軍がとった方法だ。

 しかし、討伐軍にとって誤算だっのは、黒炎竜同様、ムソウもまた進化を遂げていたこと。それも、知恵を付けたわけではなく、更なる戦闘特化へと。

 アカネの剣を防いだのは、ムソウの三本目の手に構えられた盾だった。アカネの目が驚愕に見開き思わず身体を硬直させた瞬間、顔の横で何かが砕ける音が響いた。

 アカネの顔ほど小さな黒の障壁。それが砕けた穴の向こうに、三本目の細剣が見えた。

「……今の何枚使った?」

 遠巻きに戦闘を見ているキョウカが、隣で両手を前に構えて小さく息を吐いたヨウに問う。

「かなり小さめに作って二枚。実質一枚分の魔力だから、あと十回はいける」

 もっとも、と呟き、思わず距離を取った前衛の中心に立っているムソウに目を向ける。

「それで足りるかは怪しいけどな」

 人で言えば肩甲骨の辺りから生えた左右二本の新たな腕。計四本の腕に細剣を持ったムソウは、全ての剣をゆっくりと振り上げた。その方向にはそれぞれ、前衛と後衛がいる。

 風斬り、そして追撃。そこまでは、全員の予想通りだった。外れたのは、ムソウの速さと、その向かう先だ。

 それを見て、しまった、とコウタは思いながら地面を蹴る。ムソウは、好奇心のようなものがあり、そして近接戦闘に絶対の自信を持っている。そんなムソウの攻撃を完全に防げる者がいれば、興味を持つのは当然だった。

 風斬りを避けたヨウに迫り来るムソウ、その間に、キョウカが身体を入れた。その左手には、屈めば身体を隠せるほど大きな盾が握られている。

 四本の剣から繰り出される連撃を紙一重のところで全て防ぐキョウカだが、その一撃一撃にはまるで巨大なハンマーで殴られているかのような衝撃があり、思わず顔を歪める。衝撃による痺れで、盾を持つ手が出遅れてキョウカの頬が浅く切れた瞬間、アカネが背後からムソウを襲う。

「キョウカ!」

 ムソウが二本の剣を背中で交差させ、その一撃を防いだのを見たヨウの声に合わせてキョウカは足の踏ん張りを解き、衝撃に逆らわず大きく後退する。

 ムソウがアカネに振り返ると同時にコウタとガイアが後ろに回り込み、戦況は先程のものへと戻った。

 距離を置き、ムソウが前衛の三人の相手を始めたのを見て右頬を拭ったキョウカの手の甲が血で染まる。

 隊長クラスの前衛が最低でもあと一人、出来れば二人欲しい。口には出さずとも、誰もがそう思っていた。しかし、それは連携が取れること前提の、叶わない夢だが、そう考えてしまうのも無理はない。

 ムソウが四本の剣を操るようになってから、前衛の三人は明らかに押されつつあった。それも、敵の猛攻に防戦一方なわけではなく、攻撃を仕掛けても防がれ、その上で反撃がくる。ムソウはヨウに興味を示した時以外、未だにその場から動いてすらいないのだ。

 それほど圧倒的な力の差が見える攻防から思わず距離を取った三人のうち、アカネの額から顔の半分を覆うほどの血が溢れ出す。四本の腕、そのうちの二本は、その動きの殆どをアカネに向けている。後退する彼女への一撃が額を掠めていたのだった。

「アカネ、一時離脱しなさい!」

 ガイアの指示に、アカネは目を見開く。出血はあるが、深くはない。ここで引くなど考えられなかった。

「ついでにラウールに水でもぶっかけてもらって頭を冷やしてきなさい! 今のアンタじゃ足手まといよ!」

 だが、そう言われると、従うしかない。自分の中に押さえきれない何かが渦巻いているのは、アカネ自身が一番良く分かっていた。そして、その何かが、自分の身体を普段と違う動きをさせていると。

 唇を噛みながらアカネが後退する。それを追おうと動き出したムソウに、コウタとガイアが足止めに掛かる。

 集落を抜けて小さくなっていくアカネの背中を横目で確認してから、ヨウは隊長二人に集中する。

 ガイアは嘘を吐いた。アカネの動きがいつもと違うことは、おそらくここにいる誰もが気付いていた。誰一人それを口にしなかったのは、そんなアカネでも、ここにいる五人の中では間違いなく最強だからだ。

 足手まといというなら、それは自分達のことだ。四人全員が、ガイアでさえも、それを自覚している。それでもアカネを離脱させたのは、このままでは確実にジリ貧となる一方だからだ。

 ヨウは、離脱の指示を出せないだろう。前衛の危険が格段に上がることが目に見えている。

 だから、ガイアが言ったのだ。危険を省みず、彼女の知る本当の勇者が戻ってくることを信じて。それが出来るからこそ、隊員達の彼女に対する信頼は厚い。

 二人の攻撃をいなし、隙を見て反撃を繰り返していたムソウだが、二人の攻撃が止んだタイミングを見て、二本の腕を消した。

 何かの前兆かと思い、コウタとガイアは揃って後退するが、ムソウはそんな二人に顔を向けるのみ。

「……どういうこと?」

 ガイアの呟きにコウタが答える。

「腕を増やすのには魔力を消耗すると仮定して、消費を抑えるため。あるいは、ただ単に必要がなくなったと判断した、ってところかな。まぁどっちにしろ手を抜かれてるね」

「あぁ、そう。それは有り難いわね」

 ガイアは薄く笑うと、

「おかげで、ブチ切れそう」

 その髪色を、輝く赤色へと変化させた。

「激高のガイア。久し振りに見たよ」

 コウタの言葉に、ガイアは顔をしかめる。

「その呼び方やめてくれない? 私はもう怒りに振り回されたりしないから」

 ガイアはそう言うと、ムソウに顔を向ける。

「絶対に死なずに、あの子が戻ってくるのを待つ。私達の一人でも欠けたら、アイツは倒せないわ」

「さっきの攻防で障壁に二回助けられたからね。ただの足止めにヨウの魔力も無駄に出来ない」

 ガイアが頷き、「まぁ、とりあえずは」と剣を構えたまま膝を曲げると、彼女の両足を、燃えるような色の戦闘魔力が覆う。

「舐めた真似したアイツをぶん殴る」

 足止めってなんだっけ、や、本当に怒りに振り回されてないのか、など問いたくなったコウタだが、その案自体に反論はないので、頷き、二人は同時に地面を蹴った。

 ガイアの『激高』状態は、アカネの『先祖返り』と同じく使用者の身体能力を上昇させるというものだ。ただし、全体的に能力が上がる『先祖返り』と違い、『激高』は攻撃特化となっている。

 可視化した淡い赤色の戦闘魔力に覆われた大剣による一撃は、先程までどんな攻撃も受け止め続けていた細剣をムソウの手から弾き飛ばした。

 コウタの追撃に、ムソウが大きく後退して、剣の無くなった右手を見る。

「つくづく人間らしい動きだね」

「人間だとしたらかなりの戦闘狂ね」

「狂戦士がそれ言うんだ」

「私が言うから説得力あるんでしょ?」

 その言葉に、コウタは笑いを零す。

「確かに、その通りだ」

 そうして再び剣を構えた二人を見据え、ムソウは空間から新たな武器を取り出す。

 その武器を見た瞬間、二人の表情に緊張が戻った。

 両刃剣。柄の両端に刃が付いていて、資料によると離して二本の剣として使うことも出来る。黒色の柄に、鎧と同じ赤色の刀身。千年前の戦いで、ムソウが最も得意とした武器だ。

 一振りの状態である今、その全長はムソウの背丈を越すほどあり、両端にある刃の幅も厚みも、先程までの細剣の比ではない。

 その武器を両手で持ち、ムソウが地面を蹴る。一足に距離を詰め振り下ろされる刃をガイアが大剣で受け止める。重たい一撃にガイアは歯を食いしばり、両足が僅かに地面に食い込む。

 コウタの追撃が来る前に、ムソウは足を前に出してガイアの腹部を蹴りつけ離すと、身体を反転させながら剣を振り上げ、斜め後方からの一撃を狙ったコウタの魔剣を弾く。そして、両剣を分断すると、振り上げていない方の剣を右手に持ち、がら空きとなったコウタの腹部へ横に薙ぐ。黒の障壁が現れるのを確認した瞬間、コウタは弾かれた魔剣に魔力を注ぎ込み巨大化させ、柄を両手で持つと勢い良く振り下ろした。

「あと七回……」

 苦々しく呟いたヨウの背後で足音が聞こえて、二人は咄嗟に振り返る。

 遠くから全速力で走ってきたのは、額の傷が完全に塞がっているアカネだった。どうやら本当に水をぶっかけてもらったらしく、遠目に見ても髪やコートが濡れていることが分かる。そのおかげか、表情の強ばりは消えたようだった。

 ヨウは前衛二人の戦いに視線を戻してから、右手をそっと横に上げる。

「ガイアの髪が赤くなってる」

 その仕草に、ヨウの隣で足を止めたアカネが呟く。

「激高状態ってやつだな。俺も初めて見た」

 ヨウはそう返して、アカネの顔を横目に見た。

「とりあえず落ち着いたみたいだな」

「うん。ラウールに水掛けてもらったし。その後、シアちゃんとノゾミんに怒られてたけど」

 思わずラウールに同情してしまったヨウだったが、そう言うアカネの表情を見て、少しぎこちない笑顔を浮かべた。

「落ち着いたっつっても、まだ怖い顔してんな」

「真顔だよ」

「いつも笑ってるから怖く感じるんだ」

 むぐ、と言葉に詰まるアカネにヨウは、

「今日初の、多分最後の指示だ」

 と言って笑みを向ける。

「今は笑ってろ。そんな顔してたら、また怒りの感情に飲み込まれる」

 アカネは目を丸くしてから、顔を手で隠してながら俯く。

 そうして顔を上げた彼女の表情は、いつものように快活な笑顔だった。

「りょーかい!」

 ビシッと敬礼をしてから剣を取り出したアカネは、激しい攻防が繰り広げている一点に顔を合わせ、軽く地面を蹴る。

 それだけで、彼女の身体はムソウの背後へと移動した。正確に反応出来たのはムソウのみ。消していた二本の腕を再び出現させると、その手に持った細剣を交差させアカネの攻撃を防いだ、つもりだった。

 交差させたはずの腕が地面に落ちて、更なる第二撃がムソウの首もとに迫り来る。この瞬間、ガイアとコウタがムソウの残る手を塞いでいれば、戦闘は終わっていたかもしれない。

 振り向きざまにアカネの攻撃を一振りの両刃剣で受け止めたムソウは、あと一秒遅かったコウタとガイアの攻撃を背中側に伸びて再生した手で受けようとする。だが、巨大化した魔剣と激高状態のガイアにより、二本の細剣は再び弾き飛ばされた。

 アカネ、コウタ、ガイア、討伐軍前衛最強の三人の同時攻撃を、二振りに分けた両刃剣を構え、その場で回転して防ぎきる。

 距離を置いた三人を順に見てアカネで動きを止めたムソウは、両刃剣を一振りに戻し、片側を地面に刺すと、不意に顎を上げ、何度も上下に揺らした。

 響くのは、鎧が揺れる金属音のみ。しかしそれは、まるで高笑いをしているかのように見えた。

「魔物も笑うんだ」

 そんなムソウに、アカネも笑みを返す。不敵なものでも、引きつったものでもなく、まるで友人に向けるような純粋な笑みを。

 その表情に応えるように、ムソウが地を蹴る。

 前の手には一振りの刃。後ろの手は無手、のように見えて、片手に小刀を隠し持っていることにアカネは気付いていた。

「隙を見てさっくりやられるのはゴメンだよ」

 そう言って両手を前に翳し、「ボン」と呟くと、ムソウの足元で中規模の爆発が発生し、バランスを崩して足を止めると共に辺りに砂埃が舞い上がる。

 一時的に視界を制限されたムソウに、背後から西洋剣が襲いかかる。振り返り、それを受け止めた時、表情などないムソウが、僅かに狼狽の気配を感じさせた。砂埃の中、僅かに見えたのは、通常サイズの魔剣を持ったコウタだった。西洋剣の一撃はアカネによるもの、という誤認。それは、ただの魔物ではなく知恵がある人型魔物だからこその反応だ。

 それに気付くと同時、小刀を隠し持っていた背中の二本の腕が切られ、魔剣を振り払おうと力を込めるムソウに、コウタも魔剣を巨大化させて抵抗する。その背後に、赤い戦闘魔力に覆われた大剣が姿を現した。

 ムソウの背後では、既にアカネが第二撃の用意を完了している。彼女の強さは、何よりもその剣速だ。速さを感じさせない真っ直ぐな剣。それは、怒りに囚われ、力任せな攻撃をしていては生まれない速さだ。

 二本の剣のうち、止められるのは片方のみ。ムソウが選んだのは、ガイアの大剣を止めるという選択。

 そして、大剣と両刃剣がぶつかると同時に、ムソウの首部分にアカネの攻撃が直撃する。

『ムソウの首は簡単に跳ねられる。大変なのは、そこに辿り着くまでだ』

 戦闘前、拠点で行われた話し合いで、誰かが口にした言葉。口にせずとも、誰もが分かっていたことだった。

 だが、誰も可能性を考えなかった。腕が増えたという進化を見ても、なお。

 何故か。簡単だ。考えたくなかったのだ。

『ムソウの首の強度が上がっているかもしれない』

 ただそれだけのことが、どれだけ仲間を、そして自分自身をも絶望させるか分かっていたから。

 金属音と共に、アカネの攻撃は止まる。

 そして、再生した腕に持たれた西洋剣が、コウタの腹部に突き刺さった。

 もう一方の剣でコウタの首を跳ねようとした一撃を黒の障壁が防ぐと、ガイアとアカネは迷わず動き出す。アカネはムソウの腕を切り落とし、ガイアはコウタを抱えて駆け出した。

 ムソウは、それを追わない。それどころか、これで邪魔者がいなくなったと言わんばかりに距離を取ってアカネと向かい合う。

 それを横目に確認したガイアは、ヨウとキョウカとすれ違う際に、大声で叫んだ。

「すぐに戻るから、魔力を使い切ってでもアカネを守りなさい!」

「……了解!」

 コウタへの攻撃を防ぐことが出来たのは、こうして遠目に戦いを見ているヨウしかいなかった。油断した結果だ。『もっと様々な可能性を考えろ』というユタカの言葉が脳裏に蘇り、ヨウは歯を食いしばる。

 ガイアが去ってすぐに始まったアカネとムソウの戦いは、明らかに前者が不利な状況だった。

 ムソウの首を狙うには、邪魔をする四本の腕を切る必要がある。ただ単に、これが出来ない。アカネの一振りによって切ることの出来る腕は、せいぜい二本。しかし、残りの二本を切っている間に、ムソウの腕は再生してしまう。

 一対一でムソウには勝てない。三対一が最低限のものだった。

 だが、コウタの即時復帰は難しいだろう。身体を貫通するほどの、おそらく内臓を傷つけたであろう傷は、治癒魔法ではなく、コウタの右腕を治した時のような再生魔法が必要だ。そして、再生魔法は治癒魔法と比べ物にならないほど時間を消費する。

 距離を詰め、攻防の末に後退することを繰り返していくうちに、アカネのコートや手足に小さな切り傷が増えていく。アカネの動きは悪くない。むしろ、最高の状態だからこそ、たった一人で、ヨウの援護も無しにムソウを抑えていられるのだ。

 だが、その防御を優先する動きを、ムソウは許さない。後退したアカネを、一振りの両刃剣と西洋剣、そして小型の盾を持ったムソウが追う。

 反撃が盾で防がれれば、残り二本の刃が確実に襲いかかってくる。その考えから、盾を持った手を切りにいったアカネは、単純に、素直過ぎた。

 完全に読まれていた攻撃はムソウの両刃剣と西洋剣に完全に阻まれ、僅かな隙の出来たアカネに、盾による殴打が襲いかかる。その攻撃は、目にも止まらぬ攻防の中、ヨウがなんとか張った一枚の障壁さえも砕き、アカネの腹部へと直撃した。

 小さな呻き声と共に数メートル吹き飛び地面を転がったアカネだったが、すぐに身体を回転させて起き上がり、ムソウを見据える。

 腹部の鈍痛によるものか、戦いによる疲労か、そのどちらもだろう。アカネの息は先程までよりもずっと荒い。

 だが、汗と泥と僅かな血で顔を汚しながらも彼女は笑みを浮かべて、ムソウに剣を向ける。

 何故笑っているのか。そう問うように首を傾げたムソウに、アカネは笑みを返す。

 いくら人間らしくても、きっとこの魔物には分からない。

 アカネはそっと、遠くのヨウへ目を向ける。コウタのことに、この状況に責任を感じているであろうヨウは、先程よりもぎこちない笑みを浮かべた。

 ムソウへ向き直ったアカネは、答えを口にしながら剣を構える。

「ちゃんと笑って欲しいから」

 その答えに納得したように、ムソウも剣を構えた。

 再度激突を繰り返す二人に、ヨウの魔力が少しずつ消費されていく。

 残り五回分、四回、三回。

 それでも、アカネの身体や服には細かい切り傷が刻まれていく。その時、

「残り何回使える!?」

 背後から聞こえた声に、ヨウが三回と答えると同時に、その横を赤い塊が通り過ぎていった。

 数分間、戦闘を離れてなお、彼女の怒りは治まっていない。それどころか、確実に激化している。

『隊長補佐は何にずっと怒っているんですか?』

 もう一年ほど前になる。とある新米隊員の問いが、地を駆けるガイアの脳裏に蘇る。

 その記憶を掻き消すように振るった大剣は、首まで数センチのところで間に入ってきた盾によって防がれる。それでも、構わないと言わんばかりに、振り抜かれた大剣は盾に阻まれながらもムソウの兜の角部分を掠った。

「アカネ、大丈夫?」

 後退したムソウからガイアも一歩引き、アカネの隣に移動するとそう問う。

「もち。ガイアこそ大丈夫? なんかオーラがもわんもわんになってるけど」

「大丈夫。多分、アンタが笑ってるのと同じ理由だから」

 彼女達は、その感情でしか自分の力を、自分自身を引き出すことが出来ない。だからこそ、それ以外の感情を引き出してくれる存在が大切で、そのために戦う。たとえ、勝利の可能性がごく僅かでも。

「ヨウの魔力が尽きるまで、障壁三回分しかないわ」

「それまでに決めないとねー」

 剣を構えた二人にムソウが一気に距離を詰める。

 邪魔な腕をかいくぐり、首を跳ねる。出来ることなら、その役は大剣を持っているガイアが好ましいだろう。やること自体は、先程までと変わらない。ただ、更に困難になっただけだ。

 勝機が見えたのは、大剣を振り回すムソウに二人が距離を取った時だった。

 後退しながら放ったアカネの一撃がムソウの腕を飛ばす。

「……再生しない?」

 地に足を着けたガイアが腰を低くしたまま頬の血を拭って呟いた時、ムソウの腕の断面を黒い塊が覆ったかと思うと、そこには新たな腕が現れていた。

「さっきから腕が切れやすくなった気はしてたけど、もしかして魔力切れなのかな」

「可能性はあるわね。腕を一瞬で再生するなんて人間じゃあ考えられないことだし、それなりに魔力消耗も激しいのかも」

 再生した腕に視線を落とすムソウに疲労の色は見えず、鈍くなったのは再生速度のみで、戦闘面での動きの低下はまるでない。

 対する二人は、既に肩で息をしている状態だ。身体中の小さな傷が少しずつ彼女達の体力を奪う。特に、アカネ。その表情から読み取ることは出来ないが、腹部に殴打を受けた際の鈍痛が徐々に増している。気を抜けば座り込んでしまいそうな痛みに、彼女の全身からは汗が滲み出ていた。

「私が腕を全部切るから、ガイアは首狙ってね」

 ガイアは黙って頷く。このままではヨウの魔力だけでなく、二人の体力が尽きてしまう。

 ここで、決める。

 ガイアが目を向けると、ヨウは了承したように頷く。

「アカネ。三回までなら防御は考えなくていいわ」

「それならラクショーだね!」

 笑顔で返し、腹部に痛みを感じながらも大きく深呼吸をすると、アカネは前屈みに構える。

 低い体勢のまま地面を駆けるアカネに、先程までのキレはない。動く度、骨に響くような鈍痛により、身体に力が入っているためだ。

 ムソウの間合いに真っ直ぐ入ったアカネに向けられる、両刃剣による首を狙った一撃。アカネはそれを避ける素振りを見せず、そして障壁が防ぎきったことすら確認せずに剣を振り上げ、二本の腕を切り飛ばす。そのまま後ろに回り込む際、カウンター気味に横殴りで飛んできた盾を障壁が止めて、アカネが腕を切り落とす。

 残り一本。残り一回。

 軽く地面を蹴り、背中に回り込んだアカネに向けられた西洋剣を、首を切る寸前のところでまたしても障壁が阻む。

 首切りムソウ。そう呼ばれる所以となった戦い方が、太刀筋を読み易いものとしていた。

 宙に足を浮かせたまま、アカネは斜めに剣を振るい、最後の腕を断ち切る。あとはガイアが、アカネがそう思うと同時に、下半身に違和感を覚えた。

 地面に足を着いた瞬間、その正体に気付く。

 左足が、膝の下から無くなっている。

 バランスを崩し地面に倒れるアカネの目には、いつの間にか再生した一本の腕が手にしている西洋剣で、大剣を弾かれるガイアの姿が映った。他の三本の腕は、再生の様子がまるでない。一本の腕の再生に魔力を集中させたことに気付く。

 弾かれた大剣は、二人の頭上に飛ばされ、そして、返しの一撃で、ムソウの刃はガイアの首に向けられる。

 その刃は、再び、黒の障壁に遮られる。しかし、たった一枚しかない、そして不安定なそれは、勢いを殺しただけで、障壁を破った刃はガイアの首に向かう。

 その攻撃に対し空中で身を捩ったガイアだったが、地面に落下した際、彼女の首は三分の一ほどまで切り裂かれ、傷口からは大量の血が噴き出た。

 だが、敵を見上げる彼女の瞳に絶望はない。何故なら、彼女が見ているのは、敵の更に上。

 足の切断面から血を地面に降らせながら、空高く飛び上がったアカネの姿だ。その手が、弾かれたガイアの大剣を力強く掴む。

 赤い戦闘魔力が、ガイアの怒りが未だ籠もったそれを、アカネはムソウの首へ斜めに振り下ろした。

 高い金属音が辺りに響き、完全に力を使い果たしたアカネは地面にゆっくりと落下する。

 そんな彼女のすぐ隣に、ムソウの兜が音を立てて落ちてきた。

 薄く目を開けて空を眺めるアカネの耳には、ムソウの身体が倒れる音、そして、大切な者の慌てた声が聞こえてきた。

 少しだけ顔を動かして声の方向を見ると、ふらつきながら立ち上がったヨウがキョウカに何か指示を飛ばしていた。

「はっ」

 と、荒い呼吸に混じって短い笑い声が聞こえた。薄い金に髪色が戻ったガイアが、地面に膝を立て、片手で首を抑えながら笑みを浮かべていた。

「あいつもフラフラじゃないの」

「ガイアの方がフラフラだよ」

「アンタなんて立てないじゃない」

 二人の傍まで来ていたヨウは、そう言って笑い合う二人を見て安堵したように表情を和らげた。

「今、シア達を呼んでるからな」

 頷く二人の傍に、ヨウは腰を屈めると、小袋から適当なローブを取り出し、近くに落ちていたアカネの剣で切り裂く。

「二人とも、これで怪我したとこを押さえとけ。アカネは……こういう場合縛った方がいいんだったよな。確か魔法縄が……」

「緊縛ってアンタ……」

「いやん」

「案外余裕だなお前ら」

 もっとも、まともな声を出せていないガイアとアカネにそんなものがないのは見るまでもないが。

 その時、キョウカがシアとノゾミを連れて戻ってきた。だが、ラウールの姿はどこにも見当たらない。

「頼む」

 ヨウが短く言うと、二人は頷き、シアはアカネの、ノゾミはガイアの横に両膝を着いて両手の平を前に出す。

 二人の重傷箇所が淡い光に包まれるのを地面に腰を下ろして見ていたヨウは、ふと、傍に立つキョウカを見上げる。

「そういや、ラウールはどこいったんだ?」

 その問いに、キョウカは逡巡するような間の後、口を開く。

「少し前に、レイリアに黒炎竜が現れた」

 その言葉に、ヨウとガイアは目を見開く。

「黒炎竜はレイリアを覆っている巨大障壁を破壊したら去っていったらしいが、そこから悪魔化した魔物が王都へ侵入して大混乱となっている。少数だが、死傷者も出ているほどだ」

 何故レイリアが狙われたのか、と訊く者はいない。世界一と言われる王国軍に、魔王討伐軍の拠点まであるのだから。

「……こっちが囮だった、ってことはないよな」

「わざわざこんな魔物を使うか、とは思うが、そこは分からないな。だが安心しろ。既に大方の魔物は駆逐し終えている」

 その言葉にヨウとガイアがほっと息を吐き肩の力を抜くと同時に、傷部分を覆っていた淡い光が収まっていく。

「とりあえず傷を塞ぎ出血を止めました」

 と口を開くのはシア。

「ですが二人とも、すぐに病院へ行く必要があります。ナズベキニア王都へ転移しますので、ガイア隊長はノゾミさんの手に、アカネさんは私の手に――――」

 え? と呆然としたシアの口から漏れた言葉に、他の四名は不思議そうな顔を向けて、目を見開いた。

「……あれ?」

 そして、アカネ自身もまた、己の両手を見て言葉を漏らす。

 右手にも左手にも、指がない。左足のように切り落とされているわけではなく、まるで虹のように少しずつ薄くなっている。それは指だけでは止まらず、手の甲、手首にも浸食していく。

「シア! とりあえず治癒魔法だ!」

 ヨウの声に我に返ったシアは、動揺に目を泳がせながらも頷くと、アカネに両手の平を向ける。すぐにノゾミも加わり治癒魔法を掛け続けるが、身体の消失は速度を増していく一方だ。

 地面に両手をついてアカネを覗き込むヨウとガイアの顔は徐々に焦燥感が濃くなっていく。

「なんなのよ、これ!」

「なんなんだろうね」

 思わず声を荒げるガイアに、アカネは笑みを浮かべながら右手を伸ばし、僅かに赤みがかった薄い金髪に触れる。

「わけ分かんないけど、なんとなく、ここまでなんだ、ってことは分かるよ。天命と同じくらいに、頭のどっかで理解してる感覚。だから、もう治癒魔法もいいよ。二人して転移魔法を使えなくなっちゃったら困るでしょ?」

 その優しい言葉は、治癒魔法使いの二人の心に棘のように突き刺さる。だが、やめろと言われて止めるくらいなら、最初から治癒魔法使いとして戦場に立っていない。敵を倒す力も、仲間を守る力もない彼女達は、傷付いた仲間を癒すために、また立ち上がれるように、ここへ来ているのだ。しかし、だからこそ分かる。自分達が使えるどの魔法も、今のアカネには何の意味もないことが。

「……二人とも、止めて」

 笑みを浮かべたまま、しかし嘆願するようなアカネの言葉に、シアがそっと両手を握りしめ、膝の上に置き俯く。それでも治癒を続けていたノゾミも、少しずつ魔法の光が弱くなり、唇を噛みしめていた彼女の瞳から涙が溢れると同時に途切れた。

 アカネは二人に「ありがとう」と笑みを浮かべてから、ガイアに顔を向ける。

 ガイアの表情に、既に焦燥も、やり場のない怒りもない。覚悟を決めた顔をしていた。

「やっぱりガイアはイケメンだね」

 アカネは可笑しそうに笑う。

「ガイアが私を気に掛けてくれてることくらい、ヨウに言われる前から私分かってたよ」

「当たり前でしょ。あんだけ世話掛けさせといて知りませんじゃ済まさないわよ」

 覚悟は揺るがない。揺れるのは、涙の滲んだ瞳のみだ。

「ありがとね」

 ガイアは、両手を伸ばしたアカネを起こして、そっと抱き締める。もう目には見えない腕から先の感触を、たまらなく寂しく感じた。

 そっと身体を離したアカネは、ガイアに支えられながらヨウを見る。

 その、引きつり、強張った表情にアカネは困ったように笑う。

「ヨウ、笑ってよ」

「……笑えるかよ」

 その答えに、アカネは眉をハの字にしたままクスクスと笑ってから、そっと呼吸をして、口を開く。

「あのねヨウ、私、地球じゃあいっつも一人ぼっちだったんだよ?」

 ヨウは間を空けて小さく頷く。それは、なんとなく、そうなのではないかと思っていた。アカネが、地球のために戦うと口にしたことは一度もなかったから。

「家族にも学校のクラスメートにも、この笑い顔が嫌がられてるっていうのは分かってたんだけど、それで笑うのを止めちゃうのはなんとなく嫌で、ずっと一人でいたの」

 アカネの上半身は、既に消えかかっている。残り時間は、あと僅かだろう。

「だから、ヨウが言ってくれた『いつでも笑い合える』って言葉、つい隠しちゃったけど、本当は凄く嬉しかったんだよ」

 だから笑って、という言葉に、ヨウは感情が暴れ出すのを堪えるように眉間に皺を寄せる。

「ズルいなぁ。人を泣かせたくせに、自分は泣かないんだ」

 アカネは笑いながら言うと、

「耳貸して」

 と口にした。僅かに見えている首元の動きから、おそらく左手を伸ばしているのだろう。

 ヨウがアカネの横にしゃがむと、見えない左手が後頭部に添えられて、そっと引き寄せられる。

「あのね」

 不意に、言葉の続きを待つヨウの頬に、暖かく柔らかいものが触れる。

 目を見開いて驚き、思わず背を伸ばして顔を遠ざけたヨウに、アカネは「わぁ」と驚いてから、悪戯っ子のように笑い、そして、満足したかのように、優しく微笑んだ。

「ありがと。大好きだよ」

 その言葉を最期に、アカネの身体は完全に消失した。

 彼女の身体を支えていた両手が空を掴み、ガイアは僅かに目を見開き、溜まった涙をそっと拭う。

 眼鏡を外して涙を流し続けるノゾミ、俯いたまま膝の上で握り締めた拳を震わせるシアに顔を向けてから、ヨウはゆっくりと立ち上がった。

 キョウカは涙を見せてはいない。ただ、悔しそうに唇を噛む彼女に、ヨウは口を開く。

「キョウカ、まだ戦えるか?」

 そう問うヨウの顔に、一切の感情は籠もっていなかった。

 キョウカが小さく頷くと、ヨウは地面に座ったままの三人に目を向ける。

「シアとノゾミ、まだ転移魔法は使えるか?」

 二人はそれぞれ俯いたまま首を縦に振る。

「なら、シアはガイアを病院に、ノゾミはキョウカを連れてレイリアに向かってくれ」

 その言葉に、シアは思わず顔を上げて、涙の滲んだ瞳でヨウを見た。

「俺なら大丈夫だ」

 顔を逸らして言うヨウに、シアは何かを言いたげな顔をしながらも俯き、小さく頷くとガイアに手を伸ばす。ノゾミも、涙を止めて立ち上がると、すぐ横まで来ていたキョウカに向かい合った。

「ヨウさん」

 ガイアの手を見たまま、シアが口を開く。

「ナズベキニアの軍に、迎えを要請してもいいですか?」

「……あぁ。頼む」

 その言葉を最後に四人が転移魔法により姿を消すと、ヨウはその場にゆっくりと腰を下ろし、膝を立てて座った。

 虚ろな目で血に染まった地面を見ていると、雲から顔を出した日光に反射して、一本の西洋剣がその刃を光らせる。

 それを見た瞬間、ヨウは両目を大きく見開き、顔を膝に埋めると両手で頭を抱え、乱暴に掻きむしった。




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