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ティノジア  作者: 野良丸
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戦う理由

『新たな人類の希望、魔王討伐軍『地組』所属、勇者アカネ、辺境の村を襲っていた巨大オルフを瞬殺』

 アカネが討伐軍に入隊して一ヶ月が経つ頃には、連日、彼女の報道で持ちきりとなっていた。

 可愛らしい容姿、快活な笑顔から想像も出来ないほど圧倒的な力。そのギャップも人気の理由だが、一番は彼女の天命にあるだろう。

 勇者、と記事には載っているが、正確には、勇者『の子孫』と続く。本来、勇者や魔王、大司祭などの特殊な天命は、世界に一人しか存在しない。そこに子孫という天命が生まれた原因は大司祭ティアクリフトをもってしても不明だが、『人間の窮地を見かねた天命神からの授けものかもしれません』というコメントを残している。

 そして、大仰にも思えるその言葉に値するだけの力がアカネにはあった。

『先祖返り』。それによって変化するのは髪の色だけではない。先祖返りによって身体能力が爆発的に強化され、伝説の勇者と同じ技を使うことが可能になった状態のアカネは、一隊員ながら魔王討伐軍最強の座にいる。

 レイリア王国の中央広場にあるベンチに座っているニコールは「ケッ」と女性らしくない声を出すと、目前に広げていた新聞を丸めて近くのゴミ箱へ投げ捨てた。雪が降る中、ヨウと会った時と変わらない服装をしている彼女は寒そうだが、実際は魔力により身体を守っている状態なので冷気はほとんど感じていない。

 ゴミ箱の枠に弾かれて薄く積もった雪の上に落ちた新聞を手にとってゴミ箱に入れ直したのは、勇軍にいた黒髪の少女だった。そんな彼女を見てから、ニコールは両手をベンチの腰掛けに広げて首を曲げ、空を見上げる。

「うちにも有望な新人が入ったというのに取材の一つもこないとは何事だ」

 小言を漏らすニコールの隣に腰を下ろしながら少女が苦笑を浮かべる。

「有望って……。私はそういうの苦手だからいいですよ」

 ニコールとは対照的に、少女はローブの上からモッズコートを着て、首にはマフラー、手には手袋を着てなお、小さな口から白い息を吐いている。

「だから代わりに私が語ってやるんだ。如何にコマチが可憐かを」

「せめて能力について語ってくださいよ……」

「ほほう?」とニコールの目が光り、口元に意地の悪い笑みが浮かぶ。

「それは能力になら自信があるということか?」

「え、ちが……」というコマチの言葉を遮り、ニコールが大口を開けて豪快に笑う。

「それはいい! 早速帰ったら皆に報告せんとな!」

「や、やめてくださいよ……」

 本気で困った顔をするコマチに、ニコールは笑みを引っ込めると少し真剣な表情をつくる。

「皆も心配しているんだ。コマチがいつまでも他人行儀だから、いつかマキシムを辞めてしまうのではないかと」

 コマチは顔を上げて、「そんなつもりは……」と口を開いた。

「分かってる。皆にも、人見知りが激しいだけだと言っておいた。だが、それだけではないだろう?」

 心を覗き見るようなニコールの視線に、コマチは思わず足元へと目を逸らす。

「まだ気にしているのか、あの見栄張りのことを」

 コマチは答えない。だが、膝の上で軽く握られた両手を見れば、返事が無くとも心は分かる。

「あの男に命を救われて感謝していることは分かる。だがそれは私達も同じだろう。何故、そこまで、肉親でも恋人でもないあの男を気にしているんだ」

 まさか惚れているのか? と付け足すと、コマチの顔が紅潮する。

「……本気か。コマチ、お前アレか。駄目男に惹かれるタイプか」

 その言葉に、突然コマチは立ち上がり、

「ゆ、ユタカさんは駄目男なんかじゃ……!」

 と口にしてからハッと息を呑み、先程以上に顔を赤くしてベンチに腰を下ろした。

「まぁ人の好みにどやかくいう趣味はないし、コマチがあの男とくっつくというのなら普通に祝福してやる」

 呆れた表情をしながらもそう言うニコールだが、

「だが、戦いのパートナーとしても一緒にいたいと思っているのなら、やめておけ」

 と、鋭い目をコマチに向ける。

「あの男がいくら私達にない特殊な天命を持っていても宝の持ち腐れだ。指揮官は、仲間を知り、その能力を最大限に生かす、言わば引き立て役。自分が自分が、というばかりのあの男では己の能力すら生かせないだろう。私達に任務の協力を依頼した時、あの男はいつも前衛に立っていたが、それも自分の力が分かっていない証拠だ。確かに地球人はティノジア人に比べて戦闘魔力が身体に馴染みやすく身体能力が高い。ある程度戦いに慣れれば小型魔物くらいは倒せるだろう。だが、あの男が伸ばすべき能力はそこじゃない。まず、敵を知ること、味方を知ることだ。無知でも力があれば戦士になれるが、無知な指揮官に従う者はいない。先程の新聞に載っていたように、中型魔物にも小型魔物に似たものがいる。どんな敵でも、観察して深く知っておくに越したことはない。少なくともあの男には常人以上に敵や味方を視る目があるはずだ」

 だからこそ宝の持ち腐れなんだ。と言ったニコールは、腰に下げている小袋から竹筒のようなデザインの水筒を取り出すと、少しだけ口に含んだ。

 そんな彼女の頭に浮かぶのは、コマチが気にしているユタカのこと。レイリアに送り届けてから苦々しい表情をして去っていった彼だが、それ以降姿は見ていない。民衆の興味も、ティノウラの記事と勇者の子孫の出現によって完全に勇軍からは離れたため、どこに現れても話題にはならないだろうが。




 同時刻、地球の制服の上に白いコートを着たアカネが軽快な足取りで笑みを振りまきながら魔王討伐軍拠点から出ると、彼女の前に一人の少年が立ちふさがった。水色のローブを身に纏った金髪の少年は、別の場所で噂されているユタカだ。

「君が勇者の子孫であるアカネだな?」

「うん、そうだよ! サイン?」

 慣れた手付きで空間から羽根ペンを取り出すアカネに、ユタカは若干引き笑いを浮かべながら否定する。

「サインじゃないの?」

「……まぁ、サインといえばサインかもしれないな。僕は君を勧誘に来たんだ」

「あ、新聞はいらないです! 読んだら寝ちゃうので!」

「違う! ……君を僕の軍に勧誘しに来たんだ。勇者の子孫という天命を授かった君は、勇軍に入るに相応しい」

「ゆーぐん?」

 両手を胸の前で広げたまま固まるアカネに、ユタカは懐から一枚の書類を取り出す。魔王討伐軍の入隊届に似た内容だが、入隊希望届ではなく、入隊許可届となっている。

 勝手に許可されちゃった……。と再び固まっているアカネに書類を押し付けたユタカは、

「記入したらホテル『タケノマ』に来てくれ。僕はそこに滞在している」

 と言うと、優雅に手を振りながら去っていった。

「……タケノマ?」

 タケノマ、ホテルじゃなくて民宿だ。アカネの知る限り、レイリアで一番小さくて値段も格安の宿。部屋は布団を敷く場所しかないという噂だが。

「そんなとこで首傾げてどうかしたか?」

 アカネが振り返ると、そこにはたった今拠点から出てきたらしいヨウがいた。Tシャツの上に薄手の紺青色のジャガードパーカーを着ている。

 手に持っていた羽根ペンと入隊許可証を空間にしまったアカネは、ヨウの格好をまじまじと見ながら口を開く。

「ヨウってアレなの? 冬に着る服がないから我慢して秋服着ちゃう人?」

「違う」

 早くも二度目の否定に、アカネは照れたように笑う。

「それに、今のところは寒くない。魔力で身体を覆ってるから、冷気もある程度は防げるんだ」

「そうなの? ……本当だ! 知らなかった!」

 ヨウは、寒くない! と跳ねたり雪をすくったりしてはしゃぐアカネの両肩に手を置いて落ち着かせてから、

「じゃあ行くか」

 と言って歩き出した。

「でも、なんでそんなことしてるの? 少しずつだけど魔力消耗しちゃうよ?」

 その横を歩きながら、前屈みになってヨウを見上げるアカネに、「モーゼズに言われたんだよ」と答えながらヨウは彼女から目を逸らす。

『私もアカネさんは少し苦手です』

 不意に浮かんだシアの苦笑いに、ヨウが逸らした目を戻すと、まだこちらを見ていたアカネと目が合い、笑みを向けられる。

「前向け。人とぶつかるぞ」

「はーい」と答えて背筋を伸ばして前を見てから、「なんで補佐さんに?」と問う。

「俺はこれから後衛に回ることになったから、単純に魔力の増加狙いだ。使えば使うほど増えるってわけでもないらしいけどな」

「へぇー……。でも、確かにその方が合ってるかも! ヨウ、接近戦は激弱なのに、あの障壁だけは破れないもん」

 激弱、という笑顔から吐かれた言葉が胸に突き刺さるが、事実なので何も言えない。戦闘魔力込みの身体能力では、ヨウはユリやシアにすら劣るようになってきた。魔王討伐軍に入ってから、ほとんど成長が見られないのだ。目に見える成長といえば、いくつかの魔法を習得した程度だろう。

「まぁそうだな。味方の危険を察知して、障壁で守るってのがこれからの俺の役目だ。中型魔物の攻撃なら少し離れたところからでも防ぎきれることは確認済みだし」

「楽しかったね、おっきなオルフ討伐! 剣が折れちゃった時はヒヤッとしたけど!」

 あはは、と笑うアカネにヒヤッとした様子は微塵も感じられない。空中に浮いた状態のアカネが敵の右爪を防御した際、剣が真っ二つに折れ、驚く間もなく敵の左爪が迫ってきた。その際、先程ヨウが口にした黒い障壁の耐久力を確認出来たわけだが……。

「ま、先祖返りすればあれくらいの攻撃は受け流せたけどねー」

 と余裕で笑うアカネを見ていると、わざわざ助けなくても良かったのではないかと思えてくる。巨大ウルフの取り巻きのウルフとの戦い中によそ見したせいでヨウは右手を引っかかれたため、尚更。一度使うと二十四時間使用不可になるという特殊、いや、現時点ではアカネの専用技の先祖返りを温存出来ただけ良しとするしかない。その日は結局先祖返りを使うことはなかったわけだが。

 武具屋に着いた二人は、まず武器を見ていく。

『またお金あげるから今度はまともな武器買ってきなさい。ヨウ、あんたお目付役で一緒に行ってくれない?』

『あ、ついでにヨウも後衛用の武具を見てきたら? 高価だけど魔力を増強するものとかあるらしいし。あ、モーゼズが言ってた魔力の修行も忘れずにね』

 右手に持ったピコピコハンマーで左手を叩きピコピコと鳴らすガイアと、それを横目に苦笑しているコウタの言葉を思い出す。

「あ、これ欲しい!」

 そう言ってアカネが手に取ったのは一見普通の剣。アカネほどの実力者が持つには平凡過ぎるかもしれないが、ピコピコハンマーを買ってきたことを考えると、意外と普通の武器だ。

「これ振ったらヌメヌメが飛び出すんだって!」

「却下」

 目を輝かせるアカネの手から剣を奪って棚に戻す。よく見ると、商品名が『ヌメヌメ剣』だった。しかも、ガイアからもらった金がなくなるくらい高い。こんなものを買って帰れば、次こそ大剣が飛んできてしまう。

「ほら、これなんかいいんじゃね? 少し金出せば買えるぞ」

 武器屋に並べられている剣の中でそれなりに良さそうなものを指さすが、アカネは「お金ない!」と即答した。

「金ないって……端数だぞ? これくらいなら出せるだろ」

 と言うヨウに、やはりアカネは首を横に振る。どうやら本当にないらしい。まだ給料日までは十日ほど残っているのだが。

「……ちゃんと飯食ってるか?」

「うん! 次の給料から天引きされることになってるから、食堂のご飯食べ放題なんだ!」

 食べ放題ではないが、ちゃんと食べているならいい。そうか、と返すと、アカネは嬉しそうに笑った。その笑顔から、ヨウはつい目を逸らしてしまう。

 アカネのことが嫌いなわけでもない。ただ単に、満面の笑みというものに慣れていないだけ、というより泣き顔も苦手なことを考えると、ヨウが本当に苦手なのはダイレクトに伝わってくる感情なのかもしれない。

『ちょっと待って』

 アカネに続いて隊長室を出ようとしたヨウはガイアに呼び止められて振り返る。その後ろで扉が閉まり、一人分の足音が遠ざかっていった。

 何? と問うように視線を向けたヨウに、ガイアは真っ直ぐ視線を返して口を開く。

『ヨウ、あんたアカネのこと嫌い?』

『は』と思わず口から出た言葉。何故なら、二人は任務で一度一緒になっただけで、好き嫌い以前によく知らない。毛嫌いしているか、という問いならNOだが、そういった感じの質問ではなさそうだ。

 だが、その言葉でガイアは満足したように、しかしどこか煩わしそうに前髪を乱暴に掻いた。

『ならいいわ。あんたは知らないみたいだけど、あの子最近、隊で孤立してるみたいだから』

『……孤立』

 ヨウの呟きに、ガイアは頷く。

『特に若い隊員の中であの子に対する不満が溜まってるみたい。有りがちな話だけど、ぱっと出の新人があっという間に『最強』なんて言われちゃって面白くないみたい。その気持ちは分からないでもないけど』

 と一旦言葉を区切る。アカネが入るまで、最強の座は隊長四人で競い合っていたのだ。隣で苦笑しているコウタも、悔しい気持ちがないわけがないだろう。

『アカネはアカネで、そういうことに鈍感だからいつもの調子で隊員と接するし、そんな様子が余裕に見えて余計反感を買ってるってわけ。まぁ、確かにあの子も空気読めないところあるし』

『ガイアもあるけどね』

 そう言うコウタに、ガイアは『なっ』と微かに顔を紅潮させながら、

『私は読めないんじゃなくて読まないの!』と言った。

 それもそれでどうかと思ったヨウだが、ガイアの言うことには確かに思い当たる節があった。と言っても、すぐに嫌う理由になるほどでもない。

『まぁアンタは少し大人……おっさん臭いから、大丈夫だろうとは思ってたけどね』

『なんで嫌な表現に言い直した?』

『最近は態度が露骨らしいから、流石にアカネも薄々気付いてると思う』

 その言葉にヨウのしかめ面が引っ込む。

『性格、というか相性の問題だから誰が悪いってわけでもないのは分かってるけど、命懸けの日々、特に地球人は無関係ではないとはいえ巻き込まれた形だし、普段は明るく振る舞っていてもどこかナーバスになりがちな隊員達にアカネの性格は少し眩しすぎる。だから、ヨウから少し自重するように言ってくれない? 私から言うと、命令みたいになっちゃうし』

 自重、という言葉に引っかかりを覚えたヨウだったが、ガイアの言うように誰が悪いわけではない。人に個性がある以上、自分に合わない者というのは存在するだろうし、ヨウにも思い当たる人物がいる。だからガイアも仲良くしろとは言わない。ただ、仕事に支障が出るほど険悪になるのは避けたいのだろう。

 記憶から現実へ意識を戻したヨウは、アカネにバレないように小さく溜め息を吐いた。だが、目を開けて顔を上げると、目の前には快活な笑顔。

「デートに溜め息は即刻フラれるレベルだよ!」

「ご忠告どうも」

「ま、私なら溜め息も笑顔で吹き飛ばしちゃうけど!」

 得意げな笑みを浮かべて両手を腰に当てるアカネに、ヨウは初めて『無理』を感じた。彼女の言葉にではなく、その笑顔に。

 それに気付かれたことを本人も分かったのか、アカネは両手を下ろすと力のない笑みを浮かべる。

「あはは……。ヨウって変な人だよね。他人に興味ないフリして、たまにすごい鋭い」

「別にそんなことないけどな。アカネはいつも笑ってるから、ちょっとした違いでも気付いちまうもんだろ」

「いっつも笑ってるからいつもと同じだ、って普通は考えると思うよ」

「それが嫌なら笑わなきゃいいだろ」

 その言葉に、やはりアカネは困ったように笑った。




 剣、杖とローブを購入した二人は、帰り道に、アカネの希望で本屋に寄っていた。

 城下町で一番大きな書店ではなく、路地裏にある小さい古本屋だ。狭い店内に本棚が所狭しと並んでいるため人がようやくすれ違える程度の通路しかない。もっとも、店内にはヨウとアカネ、それから店の主である、寝ているのか起きているのかも分からない小柄な老婆しかいないため、その心配は不要だ。

「これ欲しい!」

「金無いだろ」

 棚から一冊の伝記を取り出したのを見てヨウが顔をしかめると、アカネは「へへー」と得意げに笑い、店の奥にあるカウンターの方を向くと、

「おばーちゃん! ツケで!」

 数秒、間が空いた後、あいよー、と蚊の鳴くような声が返ってきた。アカネは得意げな笑みを更に深くしてヨウを見る。

「すごいでしょ! 常連さんだからツケが許されてるんだよ!」

 鼻高々なアカネに、ヨウは、だから給料がすぐに無くなるのか……と呆れている。

「これ面白いんだよ? 貸してあげよっか?」

 そう言って目の前に突き出してきた一冊の本のタイトルは『勇者伝説』。サブタイトルが『勇者VS黒炎竜』となっていて、一瞬驚いた。あの事は、まだ隊員達に伏せている。

「千年前の戦いの小説か? 簡単に纏めた資料なら隊長室か資料室に行けば……」

「そんなのつまんないしー」

 案外面白いんだけどな、と呟くヨウの横でアカネはそのシリーズの本をどんどん手に取っていく。

「そんなに買うのか」

 いや、ツケか、と自身の言葉を内心で訂正するヨウに、アカネは本棚に手を伸ばしながら大きく頷く。

「面白いもん。伝説なんて言われてる勇者も、生まれは小さな村だったんだって」

 それは資料にも書かれていたためヨウも知っている。そもそも勇者が旅立った理由が、生まれ故郷の村を魔物に滅ぼされたことであるのは世界的に有名な話だ。

「私もね、ティノジアに来て、討伐軍に入る前は、勇者の故郷みたいな小さな村にいたんだよ? ヨウは知らないと思うけど、北のチハマ村っていうところ」

 アカネの予想に反して、その名前に覚えのあるヨウは、どこで目にした、あるいは耳にしたものか記憶を辿っていく。

 北……、クロース遺跡?

 そこまで辿り着くと、正解は目の前だった。

「クロース遺跡の近くにある村か。てことは、アカネが人獣と戦ったのは……」

「そそ。逃げてきた隊員さん……ユリちゃんとトドロキさんとノブユキさんだったかな。遺跡が壊れたって聞いて、魔物討伐に行ったんだよ。村の警備で戦闘には慣れてたからね」

 アカネは十冊ほどの本を両手に抱えると、レジに向かって歩き出す。

「村の人はね、みんな良い人なんだよ。私のことも受け入れてくれたし、笑顔が可愛いって言ってくれたし」

 カウンターに本を置きながらアカネはヨウに笑いかける。満面の笑顔ではなく微笑みくらいの表情だが、今日一番の笑みだ。

「アカネはその人達のために討伐軍に入ったのか?」

 店主が本の裏表紙を見て、一冊一冊の値段をゆっくりと電卓で打つ音のみが小さく響く店内。その問いの答えが返ってくるまで、そんな時間が妙に長く感じた。

「うーん。どうだろう」と人差し指の先を顎に付けて視線を上に向けながら呟いたアカネだったが、明確な答えが出ないらしく、ヨウに笑みを向ける。

「私はただ、笑えないのは嫌だなぁって思っただけだから、誰かのためってわけじゃないのかも」

 戦う目的は同じとて理由は千差万別。それでも、そんな理由で戦う者は珍しいだろう。ヨウも、内心驚くと同時に、今日のアカネとの会話の中で一番興味を持った。

「笑えないのが嫌なのか」

「そりゃそうだよ」とアカネは笑う。

「辛いとか悲しいから笑えないんじゃなくて笑えないからもっと辛く悲しく感じちゃうのだ、っていうのが私のモットーだから。だから、笑えないのは嫌なの」

 その笑顔に、思わずヨウも笑ってしまった。そして、心の中でガイアに謝る。

 悪い。やっぱ自重しろとは言えねーや。




 二人は拠点の前で別れると、アカネは寮に、ヨウは一応報告をしに地組の隊長室へ向かう。

 強敵が増えて、組同士の更なる連携も必要となってきたため、隊長格の休みが重なると、今日のようにそれぞれの部隊について話し合いが行われている。今日はガイアとコウタが休日なので、地組隊長室には二人がいる。こうあまり頻繁に行くとお邪魔かもしれないが、サクラのことも知っているヨウからすれば、ガイアの気持ちを知っても素直に応援は出来ない。

 相変わらずコウタはモテるな、と欠伸をしながら歩いていると、前から見知った顔の二人が歩いてきた。

 ユリとノブユキ。二人とも任務帰りなのか討伐軍のコートを羽織っている。

「やっ」と片手を上げるノブユキと同じ動きをしてから、

「二人はデートか?」

 と茶化す。

 苦笑するノブユキだったが、そんな彼を見上げていたユリが、不意に胸を隠すように両腕を交差する。

「ユリ、なにやって」

「勘違いしないで。あなたに身体を許しても、私の心はずっと永遠にコウタ隊長のものだから」

「本当に何を言ってるのかな、この子は」

 そのやり取りに、ヨウが可笑しそうに笑む。そんな彼を、ノブユキとユリは目を点にして見た。

「……なんだよ」

「いや、ヨウが笑うなんて珍しいこともあるものだね」

 隣のユリも素直に頷いて同意する。

「私のボケ技術が上がった証拠」

「多分違うと思うよ」

「…………? ノブユキのツッコミもまぁまぁ面白いけど、まだ素人レベル」

「なにその謎の上から目線……」

 年の差十歳を感じさせないやり取りをする二人の前で、ヨウは頭を掻いて少しだけ振り返る。

「笑い顔か。あいつのが移ったか?」

 その呟きは二人に聞こえなかったらしく、

「私達はコウタ隊長のところに行ってた」

 と、当初の質問にユリが答える。

「隊長室か?」

 前に向き直りながら問うと、二人は揃って頷く。

「ガイア隊長と二人きりって聞いたから、様子を見るついでに任務の報告にね」

「ついでが逆だろ」

「ヨウもコウタ隊長に用事?」

 ユリの問いに頷いた時、ふと先程のアカネとの会話を思い出した。

「そういや二人とも、クロース遺跡から撤退した時、世話になったっていう……」

「チハマ村?」

 声を揃える二人に、ヨウは「あぁ」と返す。

 そこでアカネと会ってたのか? そう訊こうと開いた口は、影が差した二人の表情を見て動きを止める。

「私達も、少し前に知った」

 ノブユキも暗い表情のまま頷く。

「世界中で起きていることとはいえ、自分達が知ってる、助けてもらったことのある村があぁいう目に合うのはやっぱりどうしようもなく悲しいよね」

 その言葉と表情に、伝説の勇者が旅立った理由が、不意にヨウの頭に浮かぶ。

「前々から避難勧告を出していたとはいえ、避難に掛かる費用全て国が出せるわけじゃあないし、慣れ親しんだ土地を離れたくない気持ちもやっぱりあったんだろうね。頼りになる用心棒みたいな人がいるって言ってたんだけど、留守を狙われたのか、その人でも対処出来ない魔物の群れが来たのか。狼型とか蜥蜴型とか、たくさんの足跡が残されていたって話だから」

 不意に、俯いたユリがノブユキのコートを軽く握った。そんなユリの頭に手を置くノブユキの表情も辛そうなものだ。

『笑えないのは嫌だなぁって』

 面白い。ただそれだけで興味を持ったアカネの言葉に、今なら少しだけ同意できる気がした。




「ヨウさん、最近アカネさんと仲が良いようですね」

 腰に小袋を下げ、Tシャツにハーフパンツというラフな格好で鍛錬場から出てきたヨウを、いつもと同じ白いローブ姿のシアが出迎えた。

「任務終わったのか」

「はい。中型の獣型魔物でしたが、なんとか大きな怪我人も出さずに討伐出来ました。ただ、魔物の死体を調べたところ、やはり悪魔化の傾向があります」

 その言葉にヨウは眉間に皺を寄せると、

「またか」と小さく口にした。

 悪魔化。千年前、魔王により大人しい動物が魔物に変貌した際使っていた言葉だが、シアが言うように現在は魔物が更に凶悪に、魔界に存在するという悪魔のような姿に変貌していくことを差している。

 主な変化は、単純に身体能力の上昇、体色の変化、爪や牙などの凶悪化、そして、

「背中に、羽のようなものが生えていました。まだ小さく、空を飛べるほどではなかったですけど」

 シアの言葉に「そうか」と返してから二人は並んで歩き始めた。

 近頃、その悪魔化の傾向が見られる魔物と、その目撃情報が多発している。報道でも大々的に取り上げられており、ティノジアの、特に小さな村に住む者は不安ばかりが募っているという。

「『天の使い』が使える特殊魔法が効きそうなんだけどなぁ」

「肝心の天使さんが現れませんね」

 二人が言う『天の使い』、天使とは、千年前に活躍した特殊な天命である。その力は対悪魔戦で絶大な威力を誇り、彼がいなければ魔界での死者数は二倍まで膨れ上がったであろうと言われるほどだ。

「それで、一連のことをコウタさんに報告へ行ったら、ヨウさんが鍛錬場にいるという話を聞きまして」

 うげ、とヨウはシアから逸らした顔をしかめる。話が戻ってしまった。

「それで鍛錬場を覗いたら、アカネさんに剣を向けられているヨウさんの姿が」

「言っとくけど、頼んだのは俺からだぞ」

「それも珍しいですよね。最近は資料ばっかり読み漁っていたのに」

「部屋にいる時はな。今の俺じゃあ後衛で出来ることは限られてるし、せめて自分の身は魔法無しで守れるようにならないと」

 だからこそ、魔物についての資料を読んで特性や攻撃について研究し、先祖返りをすれば攻撃速度において右に出る者はいないアカネを相手に鍛錬をしているのだ。

 そのことはシアも分かっているはずだが、ここのところ、どうも機嫌が悪い。そして先程の言葉。ヨウでなくとも、アカネとの不仲を気にするのは当然だろう。だが、

「一応言っておきますけど、私はアカネさんのこと嫌いじゃないですからね。会いたくないと思う気分の時もあるでしょうけど、あの人には任務で何度も助けてもらってますから」

「……そうなのか?」

 じゃあなんで……、と内心首を傾げるヨウに、シアはじとっとした目を向ける。

「え。もしかして俺のことが嫌いなのか?」

「なっ、なんでそうなるんですか!」

「思い当たる節がたくさんあってな……」

「それは少し反省してください」

 苦笑するヨウを見て、シアは小さく溜め息を吐く。

 シアから見て、近頃のヨウは少し変わった。よく笑うようになったし、中途半端に前衛をやっていた頃よりも目標が定まったような気がする。

 良い変化だ。良い変化なのだが……。

 やることが増えたせいで、近頃食堂でも顔を合わせることが少なくなった。シアにとって何より悔しいのはヨウがそれを全く気にしていないことだ。どうせ先程口にした『思い当たる節』にそのことは含まれていないだろう。

 シアが再度溜め息を漏らすと、

「デート中に溜め息は振られても文句言えないらしいぞ」

「他の女の人の話をするのも割とアウトですよ」

「マジでか。てかなんで分かったんだ?」

 こういうことに関してはとても分かりやすいヨウにシアが呆れ顔を向けた時、拠点のそこらにあるスピーカーから、非常事態にのみ鳴らされるベルの音が響いた。二人の表情が引き締まり、口を噤むと天井を見上げる。

『魔王討伐軍に応援要請あり。レイリア南東のサヨイ村を小型魔物の群が襲撃。ただし、全ての魔物は完全に『悪魔化』を終えており、苦戦が予想されます。転移魔法が使える者と各隊の隊長格は拠点裏へ。それ以外の隊員は、現在転移屋を要請しているので拠点前で待機してください』

 繰り返します、と声が聞こえると、二人は顔を合わせる。

「シアは……」

「分かってます。アカネさんをお連れすればいいんですよね」

「あぁ。魔力は大丈夫か?」

 その問いに、シアは苦笑を返す。

「転移魔法を使ったら、もうあまり役には立てませんね」

「そうか。俺も後から行く。村人を守る必要もあるから優先してもらえるだろうし」

 二人は首を縦に振ると、お互いに背を向けて駆け出す。

 悪魔化を終えた魔物の力は未知数だが、現在まで残っている小さな村には相応の力の持ち主――ダンベルのような用心棒だったり、村に存在するギルドだったり――がいるはずだ。それを突破した以上、最大限の警戒が必要だろう。

 拠点の入り口が見えてくると、ちょうど入ってきた少女がヨウに気付いて数歩近付いてきた。

「ノゾミ、まだいたのか」

「はい。裏に行ったら隊長からヨウさんを連れてくるように言われて、今鍛錬場に向かうところだったんです。やっぱりシアさんはアカネさんのところに行ったんですね」

「なんでそこまで分かってんだ、あいつは……」

「隊長ですから」

 ノゾミに苦笑を返しながら、ヨウは小袋から灰色のローブを取り出して羽織った。


 ノゾミの魔法によりサヨイ村近辺に着いた二人は、すぐに辺りを見回す。

 レイリア城下町より深い、足首まで隠れる雪に顔をしかめてから辺りを見回すと、遠くに見えるサヨイ村より手前に討伐軍が集合しているのが見えた。僅かに眉間に皺を寄せるヨウと小首を傾げて「どうしたんでしょう」と疑問を口にするノゾミ。

 村の上空を飛んでいる魔物がここからでも確認出来るため討伐は終わってない筈だ。単独行動は危険なのは確かだが、既に十人以上の隊員が集まっているように見える。あれほど集まれば、隊長格がいなくとも戦闘に向かうところだ。

「もしかして……」

ノゾミの呟きに頷いたヨウは「とりあえず近付いてみるか」と足を進める。

 二人が近付くと、張り上げられた二つの声が耳まで届いてきた。一方は聞き慣れたガイアの声だが、もう一方は……。

 ヨウは見慣れた背中を見つけて声を掛ける。

「シア!」

 困惑した顔で振り返ったシアは、ヨウを見ると少し表情を和らげる。しかし、二つの怒声が止むことはない。

「だから! アンタがなんと言おうと、ギルドとの取り決めを無視して突入することなんて許可できない! 後々の相手の出方によっては人間同士の争いになる可能性だってあるのよ!?」

 今にも殴り合いを始めそうなほど近付いた二人の間に身体を入れたのはコウタだった。

「アカネ。ここだけの話になるけど、ギルドとの関係修復は少しずつ進んでるんだ。それに成功すれば、こうして立ち往生する必要もなくなる。でも、今、なにかあれば今までの話も全部……」

「そんなのどうでもいいよ! 今は村を助けることが最優先でしょ!」

「だから村人はみんなギルドが避難させてあるって……」

「人が無事でも村が無事じゃなきゃ帰ってこれないじゃん!」

 その言葉に、コウタを押しのけたガイアが更に一歩前に出る。

「人も村もって、いくらアンタが勇者の力を持ってても全部を守ることなんか出来っこないわよ!」

 ガイアの言葉にアカネは怯むが、唇を強く噛むとすぐに睨み返す。

「そんなこと知ってるよ……! 私が戦ってるのは、ただ……」

 その声は尻すぼみに小さくなり、アカネは討伐軍のコートの裾を握りしめた。その後に続く言葉を分かっているのは、おそらくヨウだけだろう。

「ギルドって?」

「マキシムとウインドの連合部隊みたいです」

 ヨウの問いに、シアが答える。

「二大ギルドでも苦戦してるのか」

「はい。おそらく、私達と同じで主力が揃っていないのもあるでしょうが、悪魔化していつもと違う魔物に手こずっているんだと思います」

 そして、回復役の少ないギルドは、軍よりも消耗戦に弱い。敵の数に押されてジリ貧になっているのだろう。

 こういうことは、普段からないわけではない。ただ、今回のような緊急時は、いつもならギルドが一歩引いていた。今の討伐軍のように遠目に見ていることはあったが。

 この場にいる隊長格であるコウタとガイア、アデルは、応援要請後間もなくここに到着した筈だ。そのことを考えると、討伐軍への要請自体が遅れてギルド指揮者の我慢が限界を迎えたか、ギルドの暴走か。といったところか、とヨウは推察する。そして、村人の避難はギルドの者が行ったという言葉が真実なら、先に到着したギルドにはそれほどの時間があったということになる。

「もういい!」

 アカネの金切り声が冷たい空気を震わせて、隊員達は静まり返った。

「……なにしてるの?」

 怒りの籠もった問いを発するガイアの前で、アカネはコートを脱いで投げ捨てる。

 制服姿になったアカネは、眉間に皺を寄せているガイアに無理矢理な笑みを作ってみせた。

「私、討伐軍辞めます! 今までありがとーございました!」

 アカネは深く頭を下げる。その言葉に思わず一歩前に足を出したヨウに、顔を上げたアカネが気付くと、困ったように笑って、「バイバイ」と胸の高さまで上げた手を振った。

 次の瞬間、アカネの髪色は輝く青色に変化し、ここにいる誰も追いつけない速度で村へと駆け出した。

「……総員待機。ギルドが撤退するのを待ってから、村にいる魔物を一掃するわよ」

 雪の上に残されたコートに背を向けたガイアは俯き気味に言う。隊員達はそれぞれ了承の返事をすると、武器の手入れ、あるいは近くにいる者と小さな声で会話をし始めた。

 そんな中、ガイアと、アカネのコートを黙って眺めていたヨウに、シアがすました顔で口を開く。

「ヨウさん、少し馬鹿なことを考えてませんか?」

 ヨウは目を丸くしてから引き笑いを浮かべる。

「え。シア、お前、もしかして心読める魔法とか使えるのか?」

 その言葉にじとっとした目を向けたアカネだったが、諦めたように溜め息を吐くと、

「いいですよ。私はヨウさんに付いていきますから」

 と言った。その言葉に今度は驚き一色の顔をしたヨウだったが、

「……なら迷う必要もないな」

 照れ隠しに目を逸らし、頭を掻きながら言うと、シアは笑みを浮かべて頷いて見せる。

 ヨウとシアはそれぞれ腰に下げた小袋に手を入れると、コートを引っ張り出す。二人の行動に気付いた隊員からざわめきが起こり、俯いていたガイアも目を見開いて二人を見た。

「ヨウさん、シアさん……」

 後ろにいたノゾミが、不安げに二人を見つめる。

「悪いな。わざわざ送ってもらったのに」

 ヨウはそう言うと、怒りを通り越したのか呆れた表情をするガイアと、その隣で苦笑しているコウタに顔を向けて、同じように謝ってから歩き始める。

 シアもまた、隊員達に頭を下げてからヨウの横に並び、二人はアカネのコートの上にそれぞれのコートを置くと振り返りもせずに駆け出した。

 あっという間に小さくなっていく背中を眺めながら、コウタは「あはは……」と困ったように笑う。

「……アンタは辞めないでしょうね」

 残されたガイアが、隣のコウタを疑いの視線で見上げる。

「流石に隊長じゃあ『今辞めてきました』は通じないからねー」

「……ふん」

 まるで、隊長じゃなければ辞めていたかのような言い方、とガイアは不満げに鼻を鳴らした。




 異常に長く伸びた牙、伸縮可能の爪、素早さ、力、耐久性全てが普段と桁違いのうえ、空を飛ぶ。

 オルフ一体にしても、普段とここまでの違いがある。

 久し振りに剣を振るいながらヨウは村の角で戦っていた。

 勢いで出てきたはいいものの、最近は後衛ばっかりだったヨウと魔力が切れかかっているシアで、魔物が溜まっているであろう村の中心まで入っていくのは危険だ。とりあえずは村の端で敵と戦いながら、怪我人を治療していくことにしている。

「おい!」

 なんとかオルフの首を跳ねたヨウの頭上から声が飛んでくる。反射的に顔を上げた二人の視線の先、民家の屋根に立っていたのは……、

「そこのお前、治癒魔法使いか!? こっちに怪我人が……って」

「よー、ニコ。久し振りだな」

「ヨウさんのお知り合い……って、あぁ!」

「あれ? シアも知ってんのか?」と不思議そうな顔を向けるヨウに、短めの片刃の剣を両手に持ったニコールは怒りの籠もった苦々しい表情を浮かべる。

「……なんで討伐軍の奴が戦ってんだ」

「あ、俺無職だから。働く気もないからニート」

「働く気はあってくださいよ……」

「ふざけるな!」

 あちらこちらで声が飛び交っている戦場に怒号が響き、二人は顔を向ける。

「討伐軍でも無い奴がここに急行出来る筈がないだろう! 私達は軍に助けを求めるつもりなど……」

 前のめりになって叫ぶニコールに、ヨウがそっと掌を向ける。その瞬間、ニコールの背後で何かが衝突したような音が響いた。振り返った瞬間、ニコールの頭にとある言葉が浮かぶ。

『黒の絶対障壁』。ギルドの中で近頃話題になっている、どんな攻撃でも一撃では絶対に破られないと評判の障壁だ。今までに見たことも聞いたこともない障壁の上、使い手も分からず、ニコールは眉唾物の噂でしかないと思っていたが……。

 突然目の前に現れた黒い壁に衝突し、若干ふらついた蜥蜴型魔物の首をニコールが舌打ちしながら切断する。

 それを確認してから、ヨウはシアに振り返り、

「さ、今のうちに行くぞ。あっちに怪我人がいるらしい」

「はい」

「ちょ……待て!」

 さっさと走り出す二人をニコールも追う。

 追ってくるということは、方向は合っているらしい、と、たまに振り返って確認しながら村の中を走っていると、ローブを纏った黒髪の少女が民家の陰から腹部を押さえながら走って出てきたのが遠くに見えた。

 その姿がニコールからも見えた瞬間、彼女の表情に緊張が走る。コマチは魔物から見つかりにくそうな場所に待機させていた。つまり、そこから出てきたということは……。

 コマチを追うように一体の悪魔化オルフが姿を現した瞬間、ヨウは走りながら片手の掌を前に出すが、すぐに顔を歪める。ここからでは距離がありすぎて障壁が届かない。

「コマチ!」

 ニコールの叫び声と同時にオルフがコマチの背中へと飛びかかる。

 その長い牙が細い首に刺さる光景がニコールの頭に浮かんだ瞬間、コマチとオルフを分断するように、何者かが降下してきた。

 着地による衝撃で雪が飛び散り、地面は茶色の肌を露わにする。

「ふぅ」

 浅く息を吐き、西洋剣を軽く振って血を飛ばしたのは、この世界に似付かわしくない制服姿の少女、アカネだった。

「あれ? ヨウとシアちゃんだ」

 やっほー、と手を上げるアカネに二人は駆け寄り、シアはコマチに治癒魔法を掛け始める。

「よ、俺達もニートになっちまった」

「えー。私働く気あるもん」

 アカネが嬉しそうに笑いながらそう返した時、

「……その顔に髪色」

 背後から聞こえた声に振り返ると、そこには先程と同じ苦々しい表情をしたニコールが立っていた。

「まさか、その勇者サマまで軍を辞めたというつもりか?」

「ていうか、こいつが一番乗り。俺とシアは便乗」

 ヨウに指さされたアカネは照れたように笑う。

 それを苦々しい表情のまま見ているニコールに、ヨウは溜め息を吐き、緩い表情を消してから口を開く。

「……これは討伐軍にも言えることだけど、ニコ、お前は何のためにここにいるんだ? 互いに譲れないところがあるってのは分かる。でも、それは戦う理由以上に譲れないものなのか?」

 まぁ、とヨウは軽い感じで区切ると、今度は親指でアカネを差す。

「そこらへんのことは、俺よりもアカネの方が分かってる。戦う理由の揺るがなさに関しちゃあ勝てる奴はいないだろうな」

 ニコールにとっての戦う理由。軍が守れなかったものを守ろうと決めた日からそれは変わっていない。

 譲れないものは、軍と協力すること。なあなあな関係になること。それも、あの日から変わっていない。

「ヨウさん、とりあえず傷は塞ぎました。ですが魔力を消耗しすぎています。私の魔力も今ので大分……」

 その言葉に、ニコールは思わずコマチに目を向ける。地面に仰向けになって薄い目を開けたまま荒い呼吸を繰り返している彼女は、自分にとってどんな存在なのか。

 自分自身が何も変われずにいた中で変わったのは、家族が出来たことか。それは、同じ譲れないものでも、秤に掛けられるようなものではない。そして、それを今度こそ自分の手で守ることが、本当の戦う理由だった筈だ。

 皮肉なものだ。大切な者を守るために戦え、そう言って、ヨウが戦う理由を作った自分が、今度は彼に戦う理由を教えられるとは。

「ここからは三人小隊を組んで、とりあえず怪我人を村の外まで運ぶ。軍の近くに置いとけば流石に助けるだろ」

「早速利用する気満々ですね……。ていうかあんなふうに出て行った後すぐに戻れる神経の図太さは尊敬します」

 二人のやり取りにアカネが可笑しそうに笑う。

「待て」

 コマチを背負おうと手を伸ばしていたヨウは、その言葉に動きを止めて振り返る。

「……コマチは私が運ぼう。おそらく、その方が早い」

 まだ納得しきれていない表情のニコールだが、三人は笑みを浮かべて頷いた。

「それと、勇者の子孫」

「アカネだよっ」

「……アカネ、コマチを救ってくれて……、礼を言う」

 言ってねーじゃん、と茶々を入れるヨウの脇腹を抓るシアにもニコールは顔を向けて、

「シアにも礼を言わねばな」

「いえ、そのために来たわけですから……」

 美人なニコールと向き合ったせいか、シアは少し照れたように俯くが、その胸元に目が行くと「おっきい……」とショックを受けたように固まった。

「ニコ、俺には?」

「お前は何もしてないだろう」

「しただろ! ニコ助けたじゃん!」

「あの程度の奇襲、普通に気付いとったわ」

「マジかよ!」

 また魔力の無駄遣い……と落ち込むヨウの肩に手を置いて慰めるアカネを横目に、ニコールとシアは協力してコマチをニコールの背におぶらせる。

「ま、胸くらい触らせてやってもいいか?」

「え?」

 不意に呟いたニコールにシアが首を傾げる。

「いや、なんでもない」




『悪魔化した魔物がサヨイ村を襲撃する! それを救ったのは、なんと軍ではなくギルドだった!!』

「ふふふふふ。ほら見ろ、コマチ。これでギルドの人気もうなぎ登りだ」

 ギルドにある医務室のベッドで横になっているコマチは、小躍りしているニコールに苦笑を向ける。

「あの、すいません。私まだ身体がダルくて……」

「そりゃあいかん。この記事を見て元気を出せ」

 どうしても見せたいのか、とコマチは早々に諦めて上半身を起こすと新聞を受け取る。

『軍の到着が遅れ、先に村人を避難させていた両ギルドだったが、隊員が魔物を襲われたことを皮切りに戦闘が始まってしまう。

 悪魔化した魔物相手に両ギルドが苦戦する中、軍は遠目に高みの見物。軍とギルドは不干渉と取り決めがなされていることは周知の事実だが、軍の到着が遅れたことによる事態にこの態度は如何なものだろうか。

 だが、そんな軍の中にも、ギルドのため、サヨイ村のために立ち上がった者が三名いた。

 一人目は、皆さんご存知、勇者の子孫であるアカネ氏。

 二人目は、優秀な治癒魔法の使い手として軍内外に隠れファンの多いシア氏。

 三人目は、パッとしない容姿で見落としてきたが、実は凄い魔法を持っているらしいヨウ氏。

 この三名は、その場で軍服を脱ぎ捨てて戦場へ駆け出した。

 その後、この三名の活躍もあり、村にいた悪魔化魔物を退けることに成功。三名の行動に賛否両論あることを理解したうえで、この場は彼らの行動に賞賛を送らせてもらいたい』

 新聞から目線を上げたコマチはなんとも言えない表情でニコールを見る。

「……これ、人気出るのギルドっていうより」

「言うな」

 突然テンションを下げて椅子に腰を下ろしたニコールを見て、コマチは苦笑する。どうやら先程までの様子は空元気だったらしい。

「……これ、五日前の新聞ですよね。この人達はこのまま軍を辞められてしまったんですか?」

「まぁそうだな」

 ニコールの言葉にコマチが俯いた時、ノックの音が部屋に響いた。

二人が顔を向けると、医務室のドアが開き、噂の三人が入ってきた。軍のコートも戦闘用のローブや鎧も着ておらず、三人とも私服姿だ。

「よ、ニコ。昨日は色々とありがとな」

「ありがとー、ニコちゃん」

「本当にありがとうございます」

 出会いざま、ニコールに何故か感謝の言葉を述べる三人にコマチは首を傾げる。

「構わん。さて、私は一旦席を外すからな。あとニコはいいがニコちゃんはやめろ」

 ニコールはそう返すと、これまた何故か足早に医務室を出て行った。残されたコマチは、この三人とほとんど面識はない。助けられた記憶も夢ではないかと思うほど曖昧なものだ。

「コマチさん、体調はどうですか? まだ少し怠そうですが……」

「ううん。大分良くなりました」

 シアの言葉に首を横に振ってから、

「あの、この前は危ないところを助けてもらってありがとうございます」

「どういたしましてー」

「……俺は何もしてないしな」

「素直にお礼言われたら言われたで照れるんですね」

 そんなやり取りのせいか、それともアカネの笑顔につられたのか、コマチは自然と笑みを浮かべていた。しかし、すぐに俯き、暗い顔になる。例え自分を助けても助けていなくても、三人は軍を辞めることになっていただろう。それが分かっていても、命を恩人相手に何も出来ないということを歯がゆく思ってしまう。

「あの、皆さんはこれからどうされるんですか?」

「これから?」とアカネが不思議そうに首を傾げてから笑みを浮かべる。

「もちろん、魔王討伐に向けて全力を尽くすよ!」

 両手を握り締めて意気込むアカネだが、軍を辞めたことでその道がかなり困難になったことは確実だろう。三人から始めるとなると、それ以上だ。

「だったら、うちのギルドに入りませんか?」

「え?」と三人は顔を合わせてから、今度はヨウが口を開く。

「いや、絶対駄目ってわけじゃないだろうけど、流石にそれはマズいだろ」

「確かにギルドの人も最初は敬遠気味になるかもしれませんけど、皆さんならすぐに打ち解けられると思いますし、私も協力します! 私達のために軍を辞めてしまった皆さんをこのまま放置するなんて」

「待った」

 何かおかしいと思った、と呟いてから、ヨウは言葉を選びながら口を開く。

「えーとな、まず、俺らは軍を辞めてない」

「へ?」と目を点にして小首を傾げるコマチだったが、

「で、でもさっきニコールさんが……」

「あー、まぁ辞めたといえば辞めたけど、派遣みたいな……王国軍で言う客員騎士的な扱いで軍には今日から新しく在籍することになった。一応言っておくと、当然ニコールも知ってる」

 コマチはその言葉に数秒間固まってから、一気に顔を赤くすると、毛布を引き寄せて隠してしまった。今の彼女の心は、安心と恥ずかしさとニコールへの恨みでごちゃ混ぜになっている。

 そんなコマチを見てニコニコと笑うアカネと苦笑する二人だったが、「でも」とシアが口を開いた。

「こういう形でも私達が軍に残れたのは、ニコールさんが色々やってくれたおかげなんですよ」

「ニコールさんが?」

 毛布から目を出したコマチに、シアとアカネが頷いて見せる。

 そういえば、正式な軍人ではないにしてもニコールが軍関係者をギルド内に通すなんて、以前までなら有り得ないことだ。

「結果的に、私達の軍復帰が決まり、まだマキシムのみですが、前々から話し合いを重ねていたこともあり討伐軍との関係も良好なものになりつつあります。このままいけば、そのうち任務や依頼などで協力することにもなるでしょう」

「そうなんですか……。本当によかったです」

「私もよかったです。ヨウさんがニートにならなくて」

「私も! よく考えたら軍辞めたらツケ払えなくなっちゃうもん!」

「俺は別にしばらくニート生活しても良かったな」

「またキョウカさんに殴られますよ」

 うげ、と顔をしかめるヨウに、コマチはクスクスと笑う。なんとなく軍は堅いイメージがあったが、それだけでもなさそうだ、と思っていると、ヨウが「そういやぁ」と小袋から紙袋を取り出した。

「見舞い品」と紙袋を差し出すヨウにお礼を言って受け取る。中身は各種フルーツの詰め合わせのようだ。

「それと、コマチって元勇軍なんだよな?」

 その問いにコマチが頷き、アカネは「ゆーぐん?」と首を傾げた。どこかで聞いたような。

「指揮官のユタカが今どこにいるか知らないか?」

「ユタカさんですか? 少し前に中央広場でそれらしい後ろ姿を見かけましたけど、最近のことはちょっと分からないです」

 そうか、と頭を掻くヨウの横で、アカネが「ゆたか?」と首を傾げたままその場にしゃがむ。どこかで見たような。

「あの、ユタカさんがどうかされたんですか?」

「俺の知らない間に勇軍が解散してたらしいから、今のうちに勧誘しとこうと思ってな」

「本心は、このままでは自分が指揮官をやらされることになりそうだから身代わりが欲しい、です」

 いらない補足をされたヨウがしかめ面を向けるが、シアはそっぽを向いて誤魔化す。

 今までは隊長格やベテランの者が部隊を指揮していたが、最近になっていよいよ強敵との戦いが増えつつある。隊長格の負担を減らすため、とりあえず一人だけお試しがてら指揮官を任せてみよう、という話になったのだ。そこで平隊員の中から候補として上がっている中にヨウの名前があった。後衛で、人望もそこそこあり、最近は資料などを読みふけっているため、魔物への対処も他の隊員より分かっている。何より、仲間の危険を察知したら自分の手で守れる『絶対障壁』の存在が大きかった。

 絶対じゃないんだけどな、と思うヨウだったが、流石にそのことを言うわけにもいかず、このままでは面倒臭そうな役割を任せられてしまう。その時に思い出したのが、勇軍であるユタカの存在だ。

「指揮官、やってみればいいじゃないですか」

「俺には荷が重い」

「だからって他の人に背負わせるのもどうかと思いますが……」

 シアが苦笑した時、アカネが突然立ち上がったかと思うと、

「思い出した!」

 と叫んだ。

 目を丸くする三人に、アカネは小袋から一枚の書類を取り出して目を通すと、見せつけるように突き出した。

「入隊……許可証? なんだこれ」

 ヨウの呟きに、コマチは「え?」と顔を上げる。

「ほら、ここ。ユタカって書いてあるでしょ? ヨウが言ってるのってこの人?」

 書類の左端、『勇軍隊長『指揮官』ユタカ』と書かれた部分を指先でつつくアカネに、ヨウは「マジだ」と零す。

「この人なら、タケノマにいるって言ってたよ!」

「あ、それじゃあそこに滞在しながら依頼をこなしているのかもしれません。私が見かけた時、依頼掲示板を見ていましたから」

 そう言うコマチが安堵の表情を浮かべていることに気付いたのはシアくらいだろう。

「そうか。近くにいてくれるのは有り難いな」

「早速行くの? 私もヨウが指揮官でいいと思うんだけどなー」

「適任者がいるならソイツに任せた方がいいだろ」

 その言葉に、思わずコマチの笑みが引きつる。適任者。あのユタカを見ても、ヨウはそう思うのだろうか、と。

 ヨウ達がコマチに別れを告げて医務室を出ると、そこにはニコールが壁にもたれて立っていた。

「わざわざ見送り、なわけないよな」

 ニコールは頷くと、「歩きながら話すぞ」と木張りの廊下を入り口へ向かって歩き出す。

「まず一つ目だ。今回のようにギルドを訪れる場合は私に連絡しろ。今回はお前達に恩を返すため軍との協力関係を強化することになったが、当然それに納得していない者もいる。何かするような馬鹿はいないと思うが、一応な」

 三人は素直に頷く。

「それと、二つ目。さっきの会話が聞こえてきたんでな。軍がどうなろうと知った事じゃないが、一応忠告しといてやる」

 ニコールは嫌そうな顔をしてから静かに言う。

「あのユタカとかいう男はやめておけ。最悪、アイツが軍を滅ぼすぞ」





『おぉ、勇者の子孫じゃないか。最近何かと噂の三人が揃いも揃ってどうしたんだ? ははぁ、言わなくとも分かった。三人とも勇軍へ入隊したいのだな? なに? 僕の方が魔王討伐軍に入れだと? 指揮官として? 馬鹿を言うな。僕は既存の部隊になど……と、言いたいところだが、僕についてこられるほどの者が見つからず、孤高に悩んでいたのも確かだ。ここは一つ、魔王討伐軍の実力を見ておくのも悪くない選択かもしれないな。それで? 僕は何組の隊長になるんだ? ……最初は平隊員だと? 指揮官になるのも隊員の多数決の結果? ふん。まぁいいだろう。力のある者には自然と人が付いて来るものだ。確か『地組』の隊長は二ヶ月で隊長になった筈だな。なら僕はその半分、一ヶ月で隊長になることを宣言しよう。僕が隊長になったら、そうだな、組の名前は僕の髪の色からとって『雷組』だな。その際は、君ら三人も僕の組へ引き抜いて――』

「はい。結果発表しまーす」

 心底どうでもよさそうなアデルの声が魔法により拡張され、隊員が所狭しと集結した食堂内に響く。

「一ヶ月間アンケートを取り続けた結果、ヨウ隊員のダントツ勝利ー。というわけで指揮官はヨウ隊員にけってー。拒否権はなしー。はい終わりー」

 そう言うと、忙しいのかさっさと食堂を出て行くアデル。

 アデル隊長補佐のやる気のなさが半端ねぇ……という声があちらこちらから聞こえる食堂の隅では二人の男が眉間に皺を寄せて顔をしかめていた。

「……おめでとうございます、ヨウさん」

「おめでとー!!」

「あー……、残念だったな、ヨウ。おめでとう」

 そのうちの一方、ヨウは、シア、アカネ、キョウカに祝福されて更に顔を歪ませる。

「子供が見たら泣くレベルの顔になってますよ」

「誰でもいいから泣かしたい。今の俺の戦闘能力はアカネすら凌駕する」

「ホントに!? やった! 鍛錬場いこ!」

「ごめんなさい嘘です」

 下げた頭を上げると、ヨウは大きく溜め息を吐く。周囲からは祝福の声に混じって「やっぱりかー」といった声が多数聞こえてきた。

「俺は噂でしか聞いてないんだけど、ユタカの指揮ってそんなに酷かったのか?」

「まぁ、候補者同士はかぶらないようになってましたからね。おかげで私達は三人ともユタカさんと当たりましたが……」

 シアが二人に目を向けると、キョウカは大きく頷き、アカネでさえも苦笑を浮かべた。

「最悪だったな。私はあいつの盾になるのはごめんだ」

「うーん。自分がトドメを刺すから弱らせろっていう内緒の命令は流石に聞けなかったなぁ。一発で倒せるからこそ強いわけだし」

 アカネが正論を言っている。それほどなのか。とヨウは今日一番驚く。

「私の意見がどうであれ、多数決ならこの時点で終わってますが……」

「まぁ参考までにシアの意見も聞かせてくれ」

「魔法はまあまあ良いものを持っていました。広範囲にいる味方の身体能力強化など、流石は特殊な天命といったところです。ただ、強化された味方を一割ほども生かせていないので話になりません。あと、私はお尻を触られました嘘ですけど」

「あいつ殴ってくる」

「おい嘘だって言ってるぞ!?」

 真顔でユタカに向かおうとするヨウをキョウカが羽交い締めにして止めて、なんとか落ち着かせ、椅子に座らせる。

「なんだ、嘘か。それならそうと早く言えよ」

「これ以上ないくらい早く言ってただろ……」

 呆れるキョウカに、シアとアカネが可笑しそうに笑う。

「ていうか、ユタカが駄目だってことは分かったけど、だからって俺になるのにはやっぱり納得いかねー」

 誰にも言えないことだが、ここ一ヶ月、手が抜けるところでは極力手を抜いていたヨウである。おそらく、期間中に一番多く出した指示は、勝手にしろー、だ。

「えー。でもヨウと組むと楽で私は好きだなぁ」

 と言ったのはアカネ。

「あれこれ細かい指示を出すんじゃなくて勝手にやらせてくれるし、本当に危なかったら守ってくれるし」

「確かに。いちいち指示を確認しなくていいのは楽だったな」

「………………」

 裏目った。そのことをヨウが悟るのは、あまりに遅すぎた。

「私には手を抜いてるようにも見えましたけど……。まぁそのくらいの方が気にしすぎなくていいかもしれませんね。流石はヨウさんです」

 シアまで納得してしまった。普段なら絶対口にしないような賞賛の言葉付きで。

 なんか逆に馬鹿にされてる気分になってきたヨウの耳に、不意に怒声が届いた。

「この結果はどういうことだ!!」

 声で判別が出来なくとも、この状況でそんなことを言う人物は一人しかいない。

 ヨウと同じようにしかめ面をしていたユタカは、今は怒りに顔を歪ませていた。

「何故僕が選ばれない!? 力のない奴は人を見る目すらないのか!?」

 叫ぶユタカを、周りの者は冷めた表情で見ている。そんな中、一歩前に出たのは小さな黒髪の少女、ユリだった。

「あなたの指揮は完璧に近い。それでも、的確さ、無駄のなさ、観察眼、臨機応変さ、ついでに味方への思い遣り、その他諸々が足りない」

 それ、全然完璧じゃないじゃん……。と、食堂にいる殆どの者が思っただろう。言いたいことを言ったためか、満足げな表情をしているユリをノブユキが抱え上げると、そのまま人の間を抜けて食堂を出て行った。

 ユタカを含め、空気ごと固まっていた隊員達だったが、しばらくすると、我に返った者から解散し始めた。

「……俺もコウタのところに行ってくるかな」

「抗議とかして隊長を困らせるなよ」

「んな無駄なことはしないっての」

 キョウカにそう返してから、ヨウはヒラヒラと手を振りながら食堂を出た。

 外は既に暗く、寒空には地球と同じように星が瞬いている。

「ああいうことは時と場所を考えていうべきだよ」

「ごめんなさい」

「またそうやって誤魔化そうと……え? いや、分かったならいいんだけど……」

「ところで、ノブユキのズボンのチャックが朝から開いてるんだけど、これはいつ言うべき?」

「それは朝気付いた時にそっと教えてほしかった」

 寒空の下、食堂入り口横で行われているノブユキとユリのいつも通りのやり取りを横目に、ヨウは裏口から拠点に入る。こちら側から入れば、隊長室は目の前だ。

『地組』隊長室のドアを叩くと、中から「どうぞ」というコウタの声が聞こえて、ヨウはドアノブを握る。

 ゆっくりとドアを開いた瞬間、コウタが吹き出して笑みを浮かべる。

「なんだよ」

「いや、やっぱりヨウが選ばれたんだな、って」

「おめでとうはいらないからな」

「そう?」

 ヨウはソファに腰掛けてから大きく息を吐き、空席となっている隊長補佐の机に目を向ける。

「モーゼズは?」

「今日は珍しく任務に行ってたから早めに上がってもらったんだ」

 そうなのか、と呟き、ヨウは本棚しかない前方に鋭い視線を向ける。

「なぁ、コウタ。反対するなら今のうち、それが出来るのもお前だけだぞ」

「指揮官のこと?」

 ヨウは頷く。

「たくさんの仲間がいる中で一人だけを贔屓する奴は指揮官に向いてないだろ」

「それをシアさんに言ってあげれば喜ぶのに」

 コウタの言葉に、ヨウは思い切り顔をしかめる。

「まぁ、その時はその時じゃないかな。みんなの目が曇ってたってことで」

「そんな軽い感じで済めばいいけどな。討伐軍全員と秤に掛けられても、俺はシアを取るぞ」

「だから、それをシアさんに」

「うっせ」

 止める気がないことを早々に察したらしいヨウは、腰を上げると「んじゃ」と言って隊長室を出て行った。

 みんな、それが分かったうえで選んだんだと思うけど、とコウタは内心苦笑いしながら、ヨウの背中を笑顔で見送った。

 拠点から出ると、ちょうどアカネが食堂から出てきたところだった。しかし、歩いていく方向を考えると、寮に戻るわけでもなさそうだ。

「アカネ、こんな時間からどっか行くのか?」

「うん。星を見に行くんだよ! ヨウも行く?」

 行くわけないよね、とからかうような笑みを浮かべるアカネに反抗して、というわけではないが、ヨウはその言葉に頷く。

「えっ? ホントに行くの? まぁいっか」

 不思議そうに首を傾げるアカネだったが、すぐに気を取り直すと、笑顔を浮かべてヨウの斜め前を歩き出した。

 アカネの鼻歌をBGMに、ところどころ雪の残った城下町を、白い息を吐きながら歩く。アカネが足を止めたのは、日中は様々な人で賑わっている中央広場だった。今は太陽と同じように沈んで、静かで広い空間だけが広がっている。

「そこのベンチが特等席!」

 アカネは中央広場の中心にある噴水付近のベンチを指差すと同時に駆け出し、飛び込むように腰を下ろした。

「それで、どうしたの? ヨウが付いてくるなんてビックリ」

 隣に座ったヨウに、アカネが首を傾げて訊く。

「少し訊きたいことがあってな」

「彼氏はいないよ」

「どうでもいい情報ありがとな」

「あれ、違った? 告白されるかと思ってドキドキしたのにー」

 そのドキドキを全く感じさせないいつも通りの笑顔を浮かべるアカネに、ヨウは小さく笑ってから、質問を口にする。

「勇軍に誘われた時、どう思った?」

 その瞬間、ほんの少しだけ、アカネの笑顔にぎこちなさが生まれた。

「……なんでそんなこと聞くの?」

「なんとなく」

 その答えに、アカネは困ったように笑う。

「ヨウには隠し事できないなぁ」

「隠したいことなら無理に訊く気はないけどさ」

「ううん。多分、誰かに話したい」

 首を振ってそう言うと、膝を上に両手を置いてアカネは口を開く。

「ホントはね、勇軍に行くこともちょっとだけ考えちゃった。あの時は勇軍についてよく知らなかったし。それに、この世界に来たときにね……」

 アカネは少しずつ、思い出しながら、ティノジアに来てからのことを語った。気が付くとチハマ村にいたこと、村の人に天命のことなどを教えてもらったこと、大神殿で話を聞いた後も、迷わず村に戻ったこと、村の有志で結成された自警団に戦い方を教えてもらったこと。

「すぐに私の方が強くなっちゃったんだけど、それでも弱いフリしてたの。強くなったら村を離れなくちゃいけなくなる気がして。村の人は弱い私にもみんな優しくて、暖かくって、笑顔を返してくれたから、勇軍に行けばまたそんな関係が出来るかも、って」

 討伐軍じゃなかなか難しそうだし、とアカネは苦笑を浮かべる。

「ごめんね。ヨウに褒めてもらったのに、私も戦う理由ブレブレなの」

「でも、アカネは討伐軍に残った」

「それだって、褒められるような理由じゃないよ」

「残ったことを褒めてんだから、理由なんて俺には関係ないね」

「なにそれ」とアカネは可笑しそうに笑うが、いつものように快活に、とはいかなかった。

「自分が必要とされてなくても、自分の力が役に立つなら残ろうって思えるのが凄いんだろ。少なくとも俺には無理だな」

「ヨウは私を買いかぶりすぎだよ」

 アカネは苦笑した後、でも、と優しい笑みを浮かべる。

「ありがと。それって、ちゃんと私のことを見てくれてるってことだもんね」

 その言葉と表情に怯んだヨウは、

「俺だけじゃなくて、他にも意外といると思うぞ。ガイアとか。隊長だからって距離置いてるけど、アカネのこと結構気にしてたし」

「あ、照れ隠しだ」

「うっせ」

 口元を押えて笑うアカネに、ヨウも思わず笑みが浮かぶ。そして、あ、と小さく言葉を発したアカネの瞳から、大粒の涙が一気に溢れだした。

「あれ、なんで、やだ」

 乱暴に涙を拭うアカネの手を、ヨウが掴んで止める。

「おい、腫れるぞ」

「だって、涙が、やだ、わたし、泣くのきらい」

「ならせめてこれ使え」とヨウは小袋から取り出した白いハンカチをアカネに渡す。

 顔を隠すようにハンカチで覆ったアカネは、時折鼻を啜る程度で、嗚咽は一切洩らさなかった。

十分以上経ってようやく涙が止まったのか、鼻を啜りながらアカネが目だけを出す。

「結局真っ赤になってんな。明日まで残るぞ、それ」

「お化粧で誤魔化す」

 涙声で即答するアカネに、ヨウは笑って見せる。

「俺が笑ってアカネが泣いてるなんてレアだな」

「レアだよ。超レアだよ。これっきりだよ」

 その言葉にヨウが笑い、アカネも涙声ながら小さく笑った。

「ま、それも悪くないな。アカネがずっと笑ってるってことは、俺さえ笑えばいつでも笑いあえるってことだもんな」

「……ヨウ、全然笑わないじゃん。ってよく考えたら、ヨウと笑い合ってることの方がレアなんじゃ……」

「何言ってんだ。流石にそんなことはな……」

 途中で言葉を止めて、おや? と首を傾げるヨウを見て、アカネはハンカチで目を隠しながらクスクスと笑った。




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