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ティノジア  作者: 野良丸
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黒い炎

 レイリア王国から十キロほど離れた森の中に、罵声が飛ぶ。

「阿呆か貴様は!」

 金髪の少年を数メートル吹き飛ばしたのは、全身に細かい傷を負ったニコールだった。

 地面に倒れたまま睨み上げてくる少年を、彼女は激怒の表情で睨み返す。

「ただのオルフといえど、冬形態に移行するタイプの魔物はこの時期飢えて凶暴性が増している! そんなことも知らない者が指揮官を名乗るなど笑わせるな!!」

「う、うるさい! 僕は地球人だ! お前らにとっての常識でも僕らにとっては――」

「お前はお前の無知が仲間を殺してもそうやって言い訳をするつもりか!!」

 その言葉に、少年はニコールの後ろ、二人の女性により手当てを施されている少女に目を向ける。彼女は地面に仰向けで倒れていて、ところどころ切り裂かれたローブには血が滲んでいる個所もあり、瞳を閉じたまま大量の汗を流し荒い呼吸を繰り返している。

「ニコールさん! 応急処置は終わりましたが、やはり治癒魔法がないと大きな傷は対処仕切れません! 魔力の消耗も激しいようです!」

 女性の言葉に、ニコールは素早く振り返る。

「レイリアへ運ぶ! メディナは怪我人を背負え! アルヤと私で道を作る!」

「はい!!」

 指示を飛ばすと、ニコールは少年に首だけ振り返る。

「死にたくなければお前もついてこい」

 その言葉に少年が顔を歪めた時だった。

 近くの茂みが揺れ、反射的に身構えたニコールの前方に現れたのは、

「あ、やっぱり人だー」

 呑気そうに笑う金髪の少女だった。膝上丈のスカートはともかく、少し大きめのサイズなのか裾の余っているセーターは暖かそうだが、そのどちらとも戦闘に、そしてこの鬱蒼とした森に適した格好であるとはいえず、更にその背中には大きく膨れ上がったリュックサックを背負っている。

「初めまして。持田茜です」

 突然現れて深々と頭を下げる場違いな少女、アカネに四人が固まっていると、

「ってあれ? その人大丈夫?」

 アカネはメディナが背負っている少女に駆け寄ると、そっと手をかざした。すると、少女の全身にあった細かい傷がゆっくりと治っていく。

「あれ。やっぱり私の魔法じゃ治しきれないか」

 苦笑する少女は、

「レイリアに連れて行くの?」

 と問い、メディナが首肯すると、自分が背負うと言った。

 ニコールに困惑の視線を向ける二人だったが、

「いや、協力者が増えるのは有り難い」

 という言葉に頷き、リュックサックを腹に持ち替えたアカネに少女を背負わせた。

 小柄なアカネが小柄な少女を背負っている光景は見ていて不安になるが、意外にもアカネは余裕の笑みを浮かべている。

「えっと、レイリアってあっちだよね」

「い、いえ。向こうです」

「あー、だからなかなか着かなかったんだ」

 アルヤと呑気に話をするアカネを見て、ただの治癒魔法使いではないのか? と疑問の浮かぶニコールだったが、今はレイリアに行くことが優先だ。空間から剣を取り出すと、二人の部下に指示を飛ばす。

「我々三人でアカネの道を作るぞ!」

「道?」

 はい、と二人が返事をする前に、アカネが不思議そうに首を傾げた。

「私一人で大丈夫だよ?」

 そう言ったアカネの両足を、強い光が覆った。

 速度強化の魔法。それでも追いついてくる魔物はいる。

 そのことをニコールが口にする前に、アカネは膝を曲げて、四人に笑みを向ける。

「じゃあこの人、病院に送っとくから。あ、私お金ないから、後で払っといてね」

 そう言って軽く大地を蹴った瞬間、尋常ではない量の砂埃が辺りに舞い上がったかと思うと、そこにアカネの姿はなくなっていた。

「え、えっと……」

 アカネの消えたであろう先を指差し、ニコールに顔を向けるのはアルヤ。

「……私達じゃ追いつけないだろう。魔物もな」

 呆気に取られた表情のニコールは、去り際のアカネを思い出していた。

 地面を蹴る寸前、アカネの髪が金から青に変色したように見えたが、気のせいか?

 ニコールの疑問に答える者はおらず、代わりに少年の大きなくしゃみが辺りに響いた。





 魔王討伐軍の人気は低い。

 まず、度重なる魔物による被害で軍というものに不信感を抱いている民が多いこと、それと王国軍やギルドと比べて危険な仕事が多く度々死人が出るイメージがあるため――もっともこれは、そこまで極端でないにしても事実である。王国軍などに比べて絶対数が少ないためどうしても目立ってしまうが――、そして何より、王国軍と比べると給料が低い。魔王に滅ぼされるかもしれない世界とはいえ、民にとっては毎日の生活も大切だ。各国の王国軍も一応は魔王討伐を目標に掲げているため、あちらに行ってしまう者が多いのだ。魔王討伐軍は地球人が多い、というのも理由の一つかもしれない。

 そういうわけもあり、約一万の地球人がティノジアに来てから五ヶ月が経ち、小型の魔物が冬形態へ完全に変態した頃には、入隊を希望する者の数も落ち着いてきていた。

「今日の面接官、俺じゃないんだけど……」

 討伐軍拠点にある一室、三人掛けのソファ二脚と長テーブルが置かれただけの殺風景な部屋は、普段は空き部屋、今日は面接室となっている。

 そこに座っているのは、今日の面接官である『火組』隊長のガイアと、彼女の補佐を務めているアデル、そして今日は珍しく休日、となるはずだったコウタの三人だ。

「なんか気になること書いてる奴がいんのよ。それに休みだからいいでしょ? ってか、アデル! あんたこっちに身体寄せすぎじゃない!? そっち無駄にスペース空いてるじゃない!」

「そんなことないです」

 赤髪のボブヘアを揺らし、どことなる怠そうな目をガイアから逸らしてそう答えるアデル。しかし、誰が見てもガイアと同じことを言うだろう。

 コウタはじゃれ合っている二人を放置することに決めて、ガイアが気になると言っていた入隊希望者の紙を手に取る。

 希望者は女性。歳はコウタの一つ上で、名前からして地球人。そして日本人だ。そこまでは、いいとして……。

 その時、控えめなノックの音が室内に響いた。

「はい」とコウタが答えると、ドアが開き、拠点の受付をしている女性が顔を覗かせる。

「あの、面接の方がいらしたのですが、お通ししてもよろしいでしょうか?」

 コウタが隣の二人を見ると、先ほどまでじゃれ合っていたのが嘘のようにしゃんと座っていた。

「どうぞ」

 苦笑しながら返すと、受付の女性も同じような表情で頷いた。おそらく、声が廊下まで聞こえていたのだろう。

 女性が顔を引っ込めてドアを閉めると、またすぐにノックを音がする。

「ど」うぞ、とコウタが返す前に開いたドアから入ってきたのは、肩ほどまである金髪と同じくらいキラキラとした笑みを浮かべる少女。

「こんにちは! 持田茜です!」

 その服装は、コウタにとっては久し振りに目にする、ブレザータイプの制服だ。

「アカネさん、どうぞ席に」

「はい!」

 元気な人だな、と思いながら、コウタは手元の入隊希望届に視線を落とす。色々気になるところはあるが、とりあえずは……、

「何か一言、の欄に『人獣を倒した』と書いてあるのですが……」

「はい! 倒しました!」

「誰と?」

 間髪入れずに質問を飛ばしたのはガイア。

「一人です!」

「いつ?」

「えっと、忘れました!」

「どうやって?」

「えいっ、って!」

「鍛錬場に行くわよ」

「はい!」

 その即決に、コウタは「え!?」と顔を上げる。既に腰を上げているガイアは、そんなコウタを見下ろすと、

「それが本当なら入隊。嘘なら不合格。命を預け合う仲間に見栄を張るような馬鹿はいらないから」

 そう言って、常時落ち着いた様子のアデルに目を向ける。

「残りの二人はアデルに任せるわ」

「了解」と頷くと、早速資料を見始める。流石補佐。ガイアの突拍子のない行動には慣れているようだ。

「って、俺は?」

「ついてきて。人獣の強さ知ってるのはこの中でアンタだけなんだし」

「私も知ってるよ?」

 ニコニコと笑うアカネの言葉はスルーして、ガイアは部屋を出て行く。そんな背中を見ながらコウタは溜め息を吐くと、

「じゃあ案内するよ」

 とアカネに言った。



 鍛錬場、と言っても、鍛錬用の器具は一切ない。壁は木張りで、床には固いマットが張られた大きな建物だ。

 中では二人一組、あるいは一対二など変則的な組み合わせでの手合わせが行われていたが、ガイアとコウタが足を踏み入れると、誰もがその手を止めた。

「が、ガイア隊長だ……」

 震える声がどこかから聞こえてくる。それを見て、怖い人なのかな、と思うアカネだったが、

「また壁に穴を空けに来たのか……?」

「やべぇよ。早く逃げねぇと、また徹夜作業に付き合わされるぜ」

「肌が荒れちゃう……」

「わざと壊したみたいに言うな!!」

 ガイアのツッコミに、室内のいたるところから呆れたような笑い声が聞こえてくる。

 そんな中、次に響いたのはコウタの声だった。

「えーっと、ごめんけど、入隊希望者とガイアが手合わせをするので、怪我をしたくない人は……」

 手合わせ、と口にした時点で壁際に避難する隊員達を見て、コウタは苦笑しながらガイアを見る。

「準備出来たよ」

「……なんか納得いかないけど、まぁいいわ。アカネ、中央に行くわよ」

「はーい」

 手を挙げてガイアについて行くアカネに、コウタも足を動かす。ガイアのことだから大丈夫だとは思うが、何かあった時に彼女を止められるのはコウタだけだ。

 鍛錬場の中央で振り返りながらガイアは一本の大剣を空間から出す。叩き切る、という表現がピタリと当てはまるような重厚な刃。その全長は、百六十センチ弱のガイアの身長より確実に長い。左手で柄を掴み、剣先が地面に触れると重たい音が室内に響く。

「床が!」

「やべぇよ……」

「なっ……。このくらいじゃ壊れないわよ!!」

 犬歯を剥き出しにして叫んでから、ガイアはアカネに向き直る。十メートルほど離れて向かい合うアカネの手には一本の西洋剣が握られていた。

 ヨウの剣と似ている、とコウタは思う。つまりスタンダードな剣だ。男の二の腕ほどの幅の両刃。柄などの装飾は細かく、ヨウの剣と比べると少し良いものを使っているようだった。

 だが、あれで人獣の首が切れるのか?

「全力で来なさい。私も全力で行くわ」

 大剣を顔の横で両手持ちして、剣先をアカネに向けて構える。

 壁際から「全力!?」という悲痛な叫び声が聞こえてきたが、今度は反応しない。

 本当に全力だ、とコウタは横目に見ながら思う。ガイアに対するアカネは笑みを崩さずに、

「全力……。はい!」

 と返事をすると、中腰になって剣を構える。

 頼まれたわけじゃないけど、自分がやるべきだよな。とコウタは一歩引くと、

「それでは……」

 と双方を順に見てから、大きく口を開いた。

「始め!」

 言い終えるが先か、ガイアが床を蹴る。踏み込み辛いマット、手に持った大剣。どちらも感じさせないほどの初速。

 対するアカネは、ただ一言、小さく呟いた。

「『先祖返り』」

 アカネに向けて振り下ろされた重厚な刃は空を切り、床を抉る。だが、ガイアはそこで動きを止めず、空気の揺らぎを感じて振り向き様に剣を横殴りに払う。

 それを、アカネは笑顔のまま身体の正面に武器を構えて受け止め、弾き返すと、空手の左手を開き、ガイアに向ける。瞬間、そこに熱を感じたガイアは、大きく後方に飛んだ。一瞬遅れて、彼女の顔が先ほどまであった場所で小規模な爆発が起こる。

「止め!」

 二人が互いに距離を縮めようと足に力を込めた時、コウタの声が鍛錬場に響いた。

「へ?」と点になった目をコウタに向けるアカネと、大きく息をすると大剣を消したガイア。

「もう十分だよ。十分過ぎる。普通ならガイアの初撃をある程度受け止めたらオーケーってくらいのところを避けたんだし」

 そう言うと、コウタはガイアにじとっとした目を向ける。

「仕方ないでしょ。払わなきゃヤバかった」

「ま、そうだったみたいだね」

 ガイアの頬を流れる一筋の汗を見て、コウタは同意してからアカネに顔を向ける。

「合格?」と首を傾げるアカネに頷く。

「合格だよ。おめでとう」

 やった、とその場で大きく飛び跳ねたアカネ。先程までの金髪とは明らかに違う、青く輝く髪が、彼女の動きに合わせて緩やかに舞った。





 魔王討伐軍の男性寮と女性寮に挟まれている食堂では、モーゼズによる勉強会が開かれていた。その光景はまるで学校の授業のようで、食堂の机は綺麗に並べられて、椅子は全て、食堂のカウンター側に置かれたホワイトボードに向けられている。

 ホワイトボードの横に立ち、ティノジア特有のものについて説明したり、隊員達の質問に答えているのはモーゼズ。その身に纏っているのは白衣だ。以前、勉強会を開いた時、ヨウに薦められて着始めたのだが、意外と気が引き締まっていい。

「天命についての基本的な説明は以上となります。ここからは、少し応用、皆さんの役に立つかもしれない話です。

 天命というものは、人の道標。その人の才能を教えるだけではなく、適した環境や過ごし方をも教えてくれる時があります。そしてそれは、その人の才能を更に伸ばすことに繋がる。

 許可はいただいているので、とある隊員を例に出しましょう。彼女の天命は『騎士』。戦闘型、前衛に適した天命です。彼女は、長い刀を好んで使い、時には二刀流にするなど、攻撃的、悪く言えば、周りが見えなくなるほど攻撃一辺倒でした。能力測定で目立った成長が見られず焦る彼女は更に攻撃に傾倒していきました。しかしある時から盾を持ち、守ることを頭に入れて戦うようになってから、彼女の動きは激変します。仲間の声が聞こえ、動きが見え、そして守れるようになりました。攻撃に特化することが悪いというわけではありません。騎士という天命の者が全てそうすれば強くなれるのかも、まだ分からないといった段階です。ただ、その人の友人の言葉を拝借するならば、『騎士は仲間を守ってなんぼだろ』ということのようです」

 隊員の中にはその人物に思い当たる者がいたのか、クスクスと小さな笑い声が聞こえる。

 そんな中、アカネはモーゼズの言葉の要点を必死にノートに書き写していた。

「今回の例の場合は『戦い方』でしたが、環境も関係すると言われています。例えば、周りに人が多数いる今のような環境だと鍛錬効率が上昇する者、あるいは下降する者など、それは天命、そして当然その人自身によって様々です。自分に適した環境や戦い方を見つけることが出来れば、皆さんの力は更に伸びるでしょう」

 モーゼズはそう区切ると、何か質問はないかと隊員達に問う。

 すると、食堂の隅の方で、一本の手が上がった。指名すると、その男性は立ち上がり口を開く。

「あの、天命のことじゃなくて、その前に話してたティノジアと地球の繋がりについてなんですけど、いいですか?」

「もちろんです。どうぞ」

「ティノジアと地球の命が本当に繋がっているなら、自分達が魔物を殺したら地球では人が死ぬかもしれないってことですか?」

 その言葉にハッと驚いた表情をしたのはアカネのみ。他の者は答えを知っているのか、余裕のある顔をしている。

「ご安心ください。魔物とは、千年前に魔王が動物を変化させた生き物です。その時から彼らはティノジアの命ではなく、魔界の命になっています。つまり、魔物を殺しても、地球の命に変化はありません。魔界と地球に命の繋がりはないですから」

 モーゼズの丁寧な説明に少し安心した様子の男性だったが、まだ気になることがあるらしく、立ったまま軽く手を挙げた。

「えっと、その魔王は元々ティノジアの人間なんですよね? 魔王も、もう魔界の住人っていうことになってるんでしょうか」

「はい。おそらく、封印された時にそうなったものだと思われます。そうでない場合も、地球の人が死ぬことはないでしょう。魔王は既に千年以上生きています。その命が人と繋がっているなら、既にこの世にいないはずですから」

 ですので、とモーゼズはにこやかに笑う。

「安心して魔王、魔物討伐を行って下さい」

 他に質問がある方は、というモーゼズの声が響く食堂内に、地球人隊員の中でも見慣れた者達の姿はない。彼等は今、ティノジアの西にあるトック村へ一泊二日の任務に行っているのだ。




 トック村の冬は、とても過ごしやすいものだ。とにもかくにも暖かい。夜でも毛布をかぶれば寒さを感じないし、昼はポカポカ陽気だ。当然、レイリアのように雪も積もっていない。

「……俺、ここに住む」

「なに言ってんだよ。早く起きないと、シアさんとキョウカが待ってるよ」

 コウタに言われてヨウが起きあがると、昨晩に即席で作られた暗幕の仕切りは取り払われていて、そこに敷かれていた二枚の布団もなくなっていた。

 昨日、コウタ率いる、ヨウ、シア、キョウカの部隊は、トック村にあるダンベルの家に泊まった。

『トック村の老人が村付近で発見したという洞窟の調査』

 ダンベルから、怪しいのではないか、という手紙がコウタに届き、そこから発生した任務だ。本来ならば日帰りの予定だったのだが、洞窟を発見したという老人のド忘れが発動し、モーゼズに連絡したところ、苦笑しながら、

『四人とも明日は休みですし、今日はそちらの観光でもして、また明日、ご老人が思い出せば、ということでいいんじゃないですか?』

 との返事があったので、一泊二日の任務となった。昨晩の宴会で、シアとキョウカが酌をしていると老人が洞窟の場所を思い出したので、あのド忘れは演技だったのではないかとヨウは睨んでいる。

「……暗幕の向こうで着替えとかしてたのか」

「二人に殴られるよ」

 苦笑しながら布団を畳んだコウタは、「布団、外で干すから持ってくよ」と言ってから着替え始める。

「だってさ、壁と違って一枚の布越しだぞ?」

「……まぁ心に来るものがないとは言わないけどさ」

「コウタ……お前、流石だな」

「俺の発言みたいにするのやめてくれる?」

 着替え終わった二人は布団を両手に抱える。先を歩くコウタが器用に部屋のドアを開けると、そこにはシアとキョウカが立っていた。

 シアは慣れているのか、もう諦めたような顔をしているが、キョウカは少しショックを受けた表情をしていた。もちろん、ヨウにではなく、コウタに対して。

 あ、飛び火した、とコウタが悟るが早いか、

「隊長……」

 というキョウカのか細い声が聞こえて、ヨウはやれやれと肩をすくめる。

「まぁ、そりゃショックだろうな。キョウカは自分より強い奴を素直に尊敬出来る奴だし。その自分より強い隊長さんが俺なんかに同意するなんて」

「自分で言ってて悲しくないですか」

「涙が出るほど悲しい」

 言い訳も出来ない状況に苦笑するしかないコウタに、「でも隊長も若いですから」とフォローと言えるのか微妙なことを口にする一つ年下のキョウカ。その横では、ヨウが悲しみの涙で布団を濡らし、その頭をシアが撫でている。

 こうして、四人の任務は今日も始まった。幸先良く、とは言い難いが。




 老人が洞窟を見つけたのは六十年も前の話になるらしい。若き頃の老人は、魔物をズバズバと斬り伏せ、女子をブイブイいわせる村一番の戦士だったという。そんな彼が、ある日、南に村を出て、その先の草原を抜けた更に先にある深い谷に行った時だった。崖から谷間を覗いていると、どこからか、何かが吼えるような音が聞こえるではないか。なんだなんだ、と音のする方へ崖っぷちを歩いていくと、対岸の崖に、ぽっかりと空いた洞窟を見つけた。

「らしいけど、何度思い出しても前半の件いらないよな」

 草原を歩きながらボヤくヨウに、シアは苦笑しながら答える。

「まぁ、お爺さんはかなり酔っぱらってましたから。少しくらいは仕方ないですよ」

「そりゃそうかもしれないけどさー」

 どこか不満げなヨウに同意するように口を開いたのは、意外にもキョウカだった。

「でも、私もあの爺さんは苦手だ。どさくさに紛れて胸触ろうとするし」

「そうですか? 私には何も……ヨウさん、何か言いたそうな顔ですね」

「気のせいだ。でも、それに関しちゃあ爺さんの気持ちも分からんでもない。なぁ、コウタ」

 ニヤニヤと笑いながら話を振ってくるヨウを、飛び火はごめんだ、というようにコウタは無視を決め込む。

「……隊長……」

「キョウカさん、俺何も言ってないからね」

「す、すいません。嘘を吐くのは嫌だから黙っているのでは、と勘ぐってしまいました」

「………………」

 そんなやり取りを見て心底楽しそうに笑うヨウの頭を軽く叩いてから、シアは「そういえば」と辺りを見回した。

「ここら辺って、私達がダンベルさんに助けてもらったところじゃないですか?」

 その言葉に、ヨウとコウタは目を丸くしてから辺りを見回す。

「うん。そう言われるとそんな感じがするね。ずっと草原だから、なんとなくだけど」

「いや、多分合ってる」

 ヨウはそう言うと、草原にぽつぽつと生えている木のうちの一本を指差す。

「あの木、多分俺達が登ったやつだ。登りやすそうな形してたから覚えてる」

「登った?」と眉を顰めるキョウカに、シアが「はい」と頷く。

「来て早々オルフの群れに遭遇してしまって、その時ヨウさんが咄嗟に『木登りしようぜ!』と」

「呑気な奴だな」

「『木に登れ!』だからな。木登りしようぜなんて今日日小学生でも言わねーよ」

「意味は同じじゃないですか」

「必死さがちげーよ」

「ていうかあの時、ヨウさんが私を持ち上げて、先に登ってたコウタさんに引っ張り上げてもらったじゃないですか?」

「ん? あぁ、そうだな」

「ヨウさんから私のパンツ丸見えでしたよね」

「んな余裕あるか!!」

「あの時履いてたのは何色でしたっけ?」

「確か白だったぞ」

 白い目を向ける女性陣から顔を逸らしたヨウに呆れた表情をしていたキョウカだったが、ふと思い付いたように口を開く。

「そういえば前から気になってたんだけど、三人は地球にいた頃からの知り合いなんだよな?」

 その問いに、三人はそれぞれ肯定する。

「コウタ隊長とヨウは同じ歳だから分かるとして、シアとはどういう関係だったんだ? 幼なじみとかか?」

 その割にはヨウとだけ親し過ぎるけど、と思いながら問う。しかし、親しい割には付き合っている感じはなく、このくらいしか思い付かなかった。

 キョウカの問いに、シアとコウタはヨウに目を向ける。

「……なんだよ」

「いえ、言っていいのかな、と」

「別に隠してるわけじゃないからな。シアに任せる。ただし、言うなら俺のいないところでな」

 その言葉にシアは「はーい」と返すと、キョウカを見て、「それじゃあ拠点に帰ってからお話します」と言った。

「……何でここじゃ駄目なんだ?」

 どうしても気になり、キョウカがシアの耳元で尋ねたところ、

「あはは。照れてるんですよ」

 とのことだった。照れるような出会い方なのか、とキョウカは不安を覚えつつ前を向く。

「崖が見えてきたよ」

 コウタがそう口を開いたのは、それから三十分ほど歩いた頃だった。ここまでの約一時間の道中で二度ほど魔物の群れに襲われたが、小型の魔物は多少集まっても既に彼らの敵ではなく、魔力を使うことも、傷を負うこともなく辿り着いた。

 老人の言葉通りなら、崖に空いているという洞窟には何かしらの魔物がいる可能性が高い。こうして誰もが万全の状態を保てているのは互いに心強かった。

「洞窟は……見当たらないね」

 深く、そして長い谷を見下ろしながらコウタが言う。他の三人も頷き、全員で顔を見合わせた。

「大きな谷みたいだからすぐに見つかるとは思ってなかったけどね」

 コウタの言葉通り、谷というより大地の裂け目のようなそれは、左右を見てもその先が見えないほど続いている。

「じゃあ二手に別れよう。俺とシアさんは左に、ヨウとキョウカは右に」

 ヨウとキョウカは前衛とはいえ、最近は二人とも防御型の戦闘スタイルになりつつある。魔物に襲われた場合を考えれば、後衛を守るのは攻守共に万能なコウタが適任だろう。単純に、この中で一番腕が立つという理由もあるだろうが。

「洞窟が見つかったら黄色の信号弾、戦闘とかで何かしら危ない状況になったら赤色の信号弾を上げる、ってことでいい? 信号弾は持ってるよね」

 他の三人は頷くと、それぞれ腰にぶら下げた小袋から、ビー玉ほどの小さな玉を赤黄二色ずつ取り出す。

 コウタは「よし」と頷き、「それじゃあ後で」と言って踵を返すとシアと歩き始めた。

 そんな背中をぼーっと眺めるヨウの少し見慣れない表情にキョウカは首を傾げた。

「なんともいえない表情してどうした?」

 ヨウはキョウカに顔を向けると、「あぁ」と少し言葉に詰まりながら、「とりあえず行くか」と歩き出す。

「別に大したことは考えてないんだけどな。しっかり隊長やってんなぁ、って思っただけで」

「コウタ隊長はいつもしっかりしているだろ。それとも、ここに来る前はあんな感じじゃなかったのか?」

「いや」とヨウは即答する。

「やっぱり同年代の中じゃあしっかりしてる方だったと思う。今よりもう少し弾けてた感じはあったけど」

 隊長になる前のコウタを知らないキョウカにとって、少しとはいえ弾けている彼の姿はどうしても想像出来ない。

「ただ、アイツの彼女……二つ年上なんだけどな。年上から見ると危なっかしかったりまだ子供な面が見えてたのか、いっつもコウタのことを心配しててな。高三だってのに身長はシアより低いし、見た目は完全に向こうのが子供なんだけど」

 ヨウは思い出し笑いを浮かべてから言葉を続ける。

「だから、今のコウタを見たら、どんな反応すんのか、って何となく思ってな。まさか俺達が異世界で魔物と戦ってるなんて思いもしないだろうし」

「それはそうだろうな」とキョウカはいう。

「地球での私達は、謎の意識不明に陥った多数の患者の一人でしかない。大司祭が向こうの身体のことは任せろと言っていたから私達自身の心配はないと思うが……」

「まぁ、いつまでも寝てたんじゃ色んな人に迷惑がかかるよな」

 キョウカは頷いてから「だが」と口にする。

「戻るなら、必ず生きた状態だ」

「当然。だからさっさと魔界の入り口見つけて魔王ぶっ飛ばして帰ろうぜ」

 そう言って珍しく快活な笑みを浮かべるヨウに、キョウカも少しだけ笑って見せた。




「あ、もしもし? ティアちゃんですけどー」

 大神殿にある一室、大司祭ティアクリフトの執務室に、軽い口調が響く。

「え? あー、ごめん。翻訳魔法の調子がおかしいのかも。勘弁してちょー」

 そう言うティアだが、椅子に座って足を組み、机に頬杖をついている姿を見れば誰もが嘘だと分かるだろう。もっとも受話器の向こうの相手は、その肝心の姿が見えないため納得するしかないのだが。

「で、どうしたの? そっちからこっちに連絡を取るのって結構大変なんじゃなかったっけ? え? まだ魔王を倒せないのか? いやいや、まだ半年も経ってないじゃん。確かに地球の人は私特製の身体を使ってるから身体能力が高いし、面白い天命を持ってる人も多いけど、それだけで倒せる相手じゃないんだよ? 何人死ぬのか? そんなの分かんないよ。まぁ、魔王に負けたら全員死ぬことになるけどさ。…………あー、もう。なんなの? あなたが心配してるのは、地球のこと? こっちにいる地球人のこと? それとも自分のこと? あなたが文句を言ったところで魔王は死なないんだから、無駄な時間を使わせないでもらえる? ……は? あなたは地球を滅ぼさないために一万人を戦いに行かせることを決めたんでしょ? こうなるかもしれないってことは、その時から分かっていたはずよ。あなたは犠牲者に関して私に何か言う資格はない。あなたは、私と一緒に、犠牲者の遺族や親しかった者に罵られる立場よ」

 冷めた口調と表情でそう言ったティアは、受話器についたボタンを静かに押して通話を切ると、椅子の斜め後ろに立っていたラキナに放り投げる。

「相変わらず煩い人。本当は誰よりも臆病なくせに。まぁだからこそ二つの世界に関する私の言葉を信じてくれたのでしょうけど」

 そう言うティアの口調には、先程までの軽い様子も、地球人の前で見せた厳かで神聖な様子もない。

 無感情で、無表情。何もない彼女を表すように、青だった彼女の髪は白く色を変化させていた。いやおそらく、これが彼女の本来の姿なのだろう。

「大司祭様、途中から翻訳魔法の調子が回復していましたが」

「そうね。さっきのことで何か言われたら、その言い訳を使わせてもらうわ」

 しれっと答えるティアに、ラキナも「そうですか」とだけ答えてから、手元の資料に目を落とす。

「王国軍や魔王討伐軍、ギルドの近況報告ですが、数だけなら相変わらず王国軍が圧倒的です。レイリアやアガレスなど、強力な王国軍では中型魔物の討伐も確認されています」

「へぇ」

「……魔王討伐軍は、現状、少数精鋭といったところでしょうか。四部隊の隊長は皆、並の中型魔物ならば一人で渡り合える実力の持ち主です」

「はぁ」

「…………ギルドは、魔物討伐を専門としているマキシムやウインドに実力者が集まっています。魔王討伐軍の隊長格と比べれば実力は劣りますが、組織としての連帯感は彼らのほうが高く見えます」

「そう」

 机の上に置かれた書類に羽根ペンで何かを記入しながらいい加減な相槌を打っていたティアだったが、不意に「あ」と顔を上げる。

「そういえば、少し前に『勇軍』っていう新生魔王討伐部隊が話題になってたわね。あれはどうなったの?」

「解散したそうです」

 その即答に、ティアは小首を傾げる。

「解散したの?」

「はい。というより、ほとんどが嘘だったようです」

「……嘘?」

「百人の隊員がいる、中型魔物を討伐した、隊長のユタカ氏は一人で百体のオルフを殲滅した等」

「そういう系の噂全部? へぇ。ある意味すごいわね」

 ラキナは首肯で同意してから、

「実際は、最多時でもメンバーは五人。中型魔物とは対峙したこともなく、更に言えば、ユタカ氏は二十頭程度のオルフの群れに遅れをとったことがある、と、今週発売の週刊誌『ティノウラ』に載っていました」

「あなた、そういうの読むのね」

 ティノジアの裏を見たい方へ。週刊ティノウラ絶賛発売中。

「でも、少し残念ね」

 ふと零すティアの表情にそういった感情は見られないが、彼女がそう言うのならそうなのだろう。

「あの人が特別な天命を持っていることは本当だから」

「『指揮官』でしたね」

「えぇ。おそらく仲間が多ければ多いほど能力を発揮する天命よ。広範囲への身体強化系の魔法も使えそうね」

「……ユタカさんは今、単独行動をされているそうです」

「そう。本当に残念ね。地球の人は粒ぞろいだというのに、それをまとめる強い力を持つ者が少なすぎるわ」

 その呟きに、ラキナが「強い力といえば」と思い出したように口を開いた。

「魔王討伐軍に、大司祭様が気に掛けていた少女が入隊したようです」

「それって勇者の……?」

「はい」と答えるラキナに、ティアは「へぇ」と今度は興味を持つように微笑んだ。

「あの子、どれくらい強くなったの?」

「噂によれば、魔王討伐軍の隊長格より上ではないかと」

「じゃあ中型魔物には敵なし、大型は一人じゃ無理ってところかしら」

 ティアは、羽根ペンの羽部分で自身の鼻をくすぐりながら静かに微笑む。

「ということは、まだ私の方が強いわね」




 黄色の信号弾が上がり、ヨウとキョウカが駆けつけると、身を乗り出して谷を覗き込むシアと、二人に気付いて片手を上げるコウタの姿があった。

「シア、あんまり覗き込むとパンツ見えるぞ」

「……普通落ちることを先に注意しませんか?」

 呆れ顔をするシアの横で、コウタはキョウカに洞窟の場所を指さしていた。

「……よく見えませんね」

 コウタが指差す場所はかなり深いところにあり、洞窟のような影が見えたり隠れたりを繰り返している。

「うん。だからヨウに照らしてもらおうかと思って」

 顔を向けられたヨウは「そういうことか」と言って、軽く指を曲げた右手を胸の前に持ってきて、視線を落とす。

 すると、そこには強烈な光を放つ魔力の球体が現れた。その眩しさに、思わず三人は目を逸らすか瞑るといった行動を取る。

 ヨウがその球体を下手投げで谷に放り込むと、数秒落下してから更に眩い光を放った。

「お、洞窟見えたぞ」

「……あの光って近くで見たら失明するレベルですよね」

「まぁ集団戦じゃ使えないね」

「障壁にしてもそうだが、ヨウの魔法って極端だよな」

「あれ? 俺今役に立ったよね?」

「あぁはい。ご苦労様です」

「なにその適当な感じ!」

 コウタは洞窟までの距離を目算してから立ち上がり、三人に顔を向ける。

「シアさんは飛び移るのは辛そうだね。キョウカ、シアさんを抱えてあそこまで行けそう?」

 キョウカは谷を覗き込んで頷く。戦闘魔力を纏った彼女の力はヨウよりも強く、そのくらいなら造作もないだろう。

「でも、帰りはどうするんですか? 流石にあそこからここまで飛ぶのは無理ですよ」

「洞窟がどこかに繋がってることを願うしかないかな。まぁ魔界に繋がってたら一番嬉しいんだけど、それ以外にも、せめてどこかに抜ける道があればね」

 そう答えながら、コウタは小袋の中から三メートルほどの縄を一本取り出す。

「なかった時は、これを使うよ」

「魔法縄ですか」と言ったのはシア。ヨウとキョウカは知らないらしく、二人とも『縄跳びでもするのか?』というような顔をしている。

「へぇ。シアさんは知ってるんだね。そこそこレアな道具なんだけど」

「はい。ユリさんから、コウタさんがノブユキさんを縛るのに使っていたと」

「そんなことした記憶はないなぁ。なんでシアさんはそれを普通に信じちゃってるの?」

「魔力を込めることによって強度を増したり、長さを変更したり出来るんですよね」

「うん。合ってるけど、なんか素直に頷けない」

「隊長……」

「いつ来るかな、って思ってた」

「コウタばっかりいじられてズルいな」

「こういう流れになったのヨウのせいなんだけど……」

 コウタの話によると、意外にも魔法縄は魔力を消耗するという。所有魔力に比べて消耗の激しい魔法ばかり持つヨウ、魔剣を持っているコウタ、今回の任務では回復だけでなく攻撃魔法役も兼ねているシアは不適正となり、消去法で魔法縄の使用者はキョウカとなった。

 魔力を込めて長く伸ばした縄を、先に洞窟の入り口へ飛び降りたコウタに投げて、適当なところに結んでもらう。キョウカ達の方でも近くにあった木に結び付けているので、万が一空中で体勢を崩しても、これを掴めばとりあえずは安心だ。

「先に行きな。殿は務めてやる」

 キリッとした表情で言うヨウをスルーして、キョウカはシアを抱いてさっさと谷を降りる。

「スルーは一番傷付くんだけどな……」と悲しみを漏らしながら、キョウカ達が無事着地したのを見てヨウも飛び降りた。

 ヨウの強力な光魔法により洞窟の入り口も照らされているが、奥を覗くと目の前すら見えなくなるほどの暗闇が広がっている。

「とりあえずもう一回使っとくか」と呟いて振り返ると、三人は既にヨウに背中を向けていた。

「光が強力なのはいいけど、周辺を照らすことしか出来ないのは不便だよね」

 目を閉じていても尚分かる光を感じながらコウタが口にした言葉に頷いたのはキョウカ。

「普通の照明魔法って効果が常駐しますからね。光の玉がついてくる感じで」

「私は好きですよ。なんか不器用な感じが可愛くて」

「お前ら俺の魔法嫌いなのか」

 好きだって言ってるじゃないですか、と返すシアとしかめ面をしているヨウの前をコウタとキョウカはゆっくりと歩き始める。

 目で見える限り、洞窟は長い一本道だ。老人が耳にしたという何かの声も聞こえない。

 蝙蝠型の魔物『キュケット』が壁や天井の隙間に隠れているのが見えたが、光を嫌う彼らが襲ってくることはない。

「流石に蝙蝠は吠えないよな」

「鳴いたとしても、キー、くらいですね」

 コウタとキョウカの後ろを歩くヨウが天井を見上げながら呟くと、シアが苦笑しながら返事をする。

「こいつら合体したりしないよな。んで、吸血鬼になる、みたいな」

「それは洒落にならないね」

 と反応したのはコウタ。

「俺達がイメージするような吸血鬼ほど人に近い形をした魔物の力は大型の魔物……それこそドラゴンとかよりも上だって言われているからね。今の俺達が遭遇したら迷わず逃げることを選択するよ」

「人型の魔物、ってどういうものがいるんですか?」とキョウカが訊く。

「千年前の戦いで有名なのは『ムソウ』じゃないかな。多分、実体のない霊的な魔物なんだけど、見た目は全身真っ赤な鎧の魔物だよ。俺達みたいに空間から武器を取り出して戦うんだけど、多種の武器を使った多彩な攻撃が厄介だったみたいだね」

「それを倒したのもやっぱり伝説の勇者なのか」

「うん。もっとも、鎧の頭部分を跳ねれば即勝てる相手なんだけどね。少し固定されてるだけで、両手で上げれば取れるレベルらしいし」

 その言葉に、他の三人の目が点になる。

「簡単に首撥ねが出来そうに聞こえますけど……」と小首を傾げながらシアが言う。コウタはそれに首肯してから、でも、と付け足した。

「それを簡単にさせないから強い。勇者の軍は、ムソウとの戦いで多数の戦死者を出したって話だからね」

 それからも人型魔物について話をしながら洞窟内を進んでいた四人だったが、ふと、コウタが開いていた口を止めて前方を凝視した。少し遅れてキョウカも前方のそれに気付く。

「扉?」と呟いたキョウカにコウタも頷く。

 前方には僅かに開けた空間、そして、上部分の角がない丸扉があった。両開きのもので、近付いて触れると、金属の冷たさと共にその重厚さが伝わってくる。

「開くのか、これ?」

「うん。かなり重たいけど、なんとか開きそうな感じだ」

 扉についている、丸い輪の形をした取っ手を軽く引っ張りながらコウタが頷く。少し引く度に天井から土や砂が落ちてきて、シアはフードをかぶった。

「まぁ、明らかに何かありそうだから三人ともここからは黙って進むよ。各自今のうちに武器を出しといて」

 コウタは一旦扉から手を離して指示を飛ばす。それぞれが武器を取り出すと、コウタは魔剣を腰の鞘に差して、取っ手を両手で掴む。

「ふっ」と息を吐く音と共に全体重を掛けて扉を引いた。

 予想していたことだが、扉の向こうには真っ暗闇が広がっていて、手に光を放つ球体を作りながらヨウが顔を向けると、コウタは一度頷き背中を向けた。

 今日三度目、視界が白くなるほどの光が辺りを包む。

 明るく照らされた扉の向こうは、驚くほど広く、奥が見えないほどだ。そして天井は見上げるほどに高い。壁は先ほどまでの自然の岩壁ではなく、人の手がかかったくすんだ黄色の煉瓦が使われている。

 四人は目配せをして、扉をくぐってその部屋に足を踏み入れた。

 その瞬間、四人は同時に動きを止める。怪しいのは奥の暗闇。声に出さずとも、そう考えていたため、突然背後から聞こえた呼吸音への対処が遅れた。

 四人の中でいち早く動き出したのは、意外にもヨウだった。その反応速度は、奥の暗闇に対する警戒心が他の三人より少ない、言わば油断ともいえる軽さの結果だ。

 ヨウは振り返ると同時に一歩前に出ると、短く息を吐きながら両手を前に出して障壁を発動させる。

 黒の障壁に妨げられたのは、同じ黒色をした炎。

 障壁から溢れたソレを見た瞬間、コウタの表情が驚きに染まる。

 黒い炎。千年前の戦いで、それを吐くと記された魔物は一体のみだ。

「……なぁ、コウタ」

 障壁が割れる。両手から煙をくすぶらせ、頬に冷や汗を垂らしながら、ヨウは引き笑いを浮かべて問う。

「俺らは、ドラゴンには勝てるのか?」

 彼の視線の先には、扉の真上にぽっかりと空いた大きな窪みに全長十五メートルはありそうな巨体を収めている黒い鱗の竜の姿があった。慌てる様子どころか、威嚇も警戒もしていない。ただ、品定めするように小さな黒い瞳で四人を見ている。

「……目を逸らさず、ゆっくり扉から出よう。全員で一気に扉を閉める」

 息を潜めたコウタの小さな声も、この静かな空間と、緊張で身体を強ばらせている三人の耳には十分届いた。それぞれ固い表情のまま頷くと、竜の真下にある扉へ目を向ける。

「逃げるのなら、勝手にせい」

 突然頭に直接響いた声に、四人は動きを止める。

「千年は長かった。記憶にしかないヒトの言葉を覚えてしまえるほどにな」

 コウタは、記憶の中にある千年前の戦いを思い出していく。しかし、人の言葉を喋ることの出来る魔物など、現代はもちろん千年前の記録にすら存在しなかった。少なくとも、この竜、黒炎竜が言葉を話したとされる記述はない。

「久方振りにヒトがきたかと思えば、まるで小童のような力しか持たぬ者ばかり。先程の魔法ももう使えぬのだろう?」

 黒炎竜は瞳をヨウに向ける。周りの三人は、それでようやく気付いた。

 荒く息を吐き、大量の汗を流しているヨウは、立っていることさえ苦しそうだ。その理由を見透かしたように、黒炎竜の言葉が再度頭に響く。

「先程の障壁は見事だった。仲間を守りきったことも評価しよう。だが、三枚の障壁を重ねて、ようやく防ぎきれる程度。それが、貴様等と我の力の差だ」

 三枚、だが、それだけではない。広範囲を護るために、ヨウは障壁を片手毎に発動させていた。つまり、計六回障壁を使用したことになる。それに加えて道中で光魔法を三度使っていることを考えれば、彼の魔力が限界に近いことは明らかだ。

 そして今、三人が目を向けると同時に、その身体を支えていた気力が尽きてヨウは膝から地面に崩れ落ちた。

「ヨウさん!」

 敵から目を逸らしてヨウに駆け寄るシアを黒炎竜はつまらなそうに眺め、

「去れ」

 と短く言って組んだ前足の上に顎を置くと眠るように目を閉じた。

 信じがたい光景に、罠ではないかという考えが頭に浮かんだコウタだったが、すぐにその思考を恥じた。この竜に、そんなことをする理由などないのだ。殺すつもりであれば、黒炎をもう一度吐けばいいだけなのだから。

「……行こう。ヨウは俺が背負う」

 竜から目を逸らし、コウタはヨウの横にしゃがみ込む。

「その判断と、安易に挑発に乗らなかった思慮も評価しよう。つまらなくはあるがな」

 その言葉に、コウタはヨウを背負いながら唇を強く噛んだ。




「黒炎竜……。千年前の戦いで絶大な力を持って幾度も人間軍を窮地に追い込んだ漆黒の竜ですね」

 沈痛な雰囲気の隊長室に集まったコウタ、キョウカ、シアは、モーゼズの言葉に俯いたまま薄い反応しか示さない。

 ソファに座って暗い表情を浮かべる二人はまだしも、戦場以外でここまで厳しい顔をしているコウタを見るのは、モーゼズにとって初めてのことだった。

「……相手は大型魔物上位のドラゴン、その中でも最強と言われていた黒炎竜です。遭遇して、誰も命を落としていない。今はそれで十分です」

 そう言ってから、

「それと、このことは僕以外には誰にも話さないようお願いします。調査はこれからも行いますが、今のところ、その黒炎竜が守る洞窟が、魔界の入り口に繋がっている可能性が高い。そのことを知れば、先走る者も出てくるでしょう」

 首を縦に振った三人を順に見てから、モーゼズは解散の指示を出した。

 シアとキョウカが隊長室を出て行き、扉が静かに閉められたことを確認すると、モーゼズはコウタに顔を向ける。

「ヨウさんの障壁を三枚崩す威力の黒い炎……。現状の戦力で攻めたとして、隊長から見て勝算はありますか?」

 コウタは机に両肘を付き、組んだ指に顎を乗せて答える。

「魔王討伐軍が総出で戦ったとして、隊長格が最後まで生き残っていれば倒せるかもしれない。でも、少なくとも半数以上は死ぬ。炎を避けるには、あの場所は狭すぎる」

「……冷静さが残っているようで安心しました。あなたがその様な顔をしていては、隊員も不安に思います」

「分かってるよ。ここにいる時だけだ」

 そうですか、とモーゼズは微笑むと、隊長室のドアノブを握り、ヨウの様子を見てくると言って部屋を出て行った。

 残されたコウタの表情は、先程よりも厳しいものになる。

 敗北は、決して初めてではない。それどころか、地球人隊員が集まる以前は、明確な勝利を収められたことの方が少なかった。

 だが、これは敗北とすら言えないのではないか。仲間は倒れ、敵は戦意を失い、なにも出来なかったおかげで無傷の自分達はのこのこと逃げ出した。

 大きな屈辱。そして、あまりに強大な敵の出現。黒炎竜が大型魔物の中でも最上位種に位置することは、なんの言い訳にも、気休めにもならない。

 いつかは戦わなければ、そして勝たなければならない相手だ。

 力も数も足りない。王国軍と連携を取ったとしても、それでもなお。

「ギルドか」とコウタは呟く。

 現状、軍とギルドはお互いに不干渉となっている。依頼内容がかぶった場合は早い者勝ち、互いに助けなど必要はない、と。魔物との戦いの中、人間同士で衝突することは避けたいと今まで先延ばしにしていたが、そろそろどうにかするべき、願わくは、千年前のように『人間軍』として一丸となって魔王に挑みたい、そうしなければ太刀打ち出来ないところまできている。

 だが、ギルドの中には軍を嫌うどころか憎悪のある者すらいるという。そして、軍にも、そんなギルドを嫌う者がいるのも事実。

 いや、とコウタは首を横に振る。戦力不足なのは確かだが、今は自分が強くならなければならない。黒炎竜との戦いで必要なのは、数よりも個々の強さだ。生半可な力は、あの黒い炎によって等しく消し炭にされるだけだろう。





 彼女の力になりたかっただけ、なんて格好良いことは言えない。

 自分にそんな力がないことを彼は分かっていた。

 ただ後悔したくなかっただけ。この後悔だけは、絶対に残したくないと思えたからこそ、これまで無駄に固めていたプライドも、避けて通ってきた恥も捨てて我が儘を通した。

 そうして彼女は、彼にとって守るべき存在となる。

 彼が目を覚ますと、彼女は椅子に座って本を読んでいた。

「シア?」

 状況が飲み込めず、そう口にしてから、気を失う前の記憶が蘇ってきた。

 シアは目を見開いて彼を見ると、安心したように肩を撫で下ろして微笑んだ。

「おはようございます、ヨウさん」

 その言葉に、ヨウも仰向けに寝たまま笑みを返す。

「おはようさん。泣かせてないみたいで安心した」





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