キョウカ
コウタが軍に復帰、そしてヨウとシアが魔王討伐軍『地組』に入隊してから二週間が過ぎた。ヨウとシアの引っ越しも終わり、それぞれ男性寮と女性寮に別れて一人暮らしを始めている。
この二週間で、涼しく過ごしやすい秋から、油断すると肌寒い秋に変わり、軍内でも風邪など体調を崩さないよう毎日のように呼び掛けられている。ティノジアでは、外傷と違い魔法でなんとかならない病に対する医療技術は地球よりもかなり遅れているせいもあるだろう。
さて、男性寮と女性寮の間に建っている食堂。二人掛けと四人掛けのテーブルが所狭しと並べられているそこでは、中央にあるテーブルを固めて最強の矛、最強の盾議論が行われていた。
「いや、やっぱり最強の矛はコウタ隊長だろ。ガイア隊長はコウタ隊長に比べると猪突猛進過ぎるというか、無駄が多すぎる気がする」
「なに言ってんのよ。確かにコウタ隊長は強いけど、それは総合的な強さ。最強の矛っていうなら攻撃特化のガイア隊長に決まってるでしょ?」
「ていうか、あの遺跡の人獣倒したのガイア隊長なんじゃね?」
「はぁ? ガイア隊長でも流石に一人じゃ無理でしょ」
「いや、ほら。愛するコウタ隊長を傷つけられたショックで」
「ぶはっ。それはあるかもな!」
「うわー。人の恋心を笑い物にするなんて、男ってサイテー」
一方では、
「じゃあ最強の盾って誰だろう」
「うーん。ネタ枠ならトドロキなんだけど」
「なんで俺なんだよ! っていうか、最強の盾もコウタ隊長なんじゃねぇか?」
「はぁ? あんたちょっとコウタ隊長ラブ強すぎない?」
「ラブじゃねぇ! 普通に尊敬してんだよ! 人獣との戦いを見てたら、誰だって俺みたいになると思うぜ」
その言葉に、一同は近くの席で緑色のうどんらしき麺類を食べていたユリに目を向ける。
注目されていることに気付いたユリは、箸を置き、胸の前で両手をクロスさせてそっと目を閉じる。
「コウタ隊長になら、この身を捧げてもいい」
「そこまで!?」
「うぉー! 流石隊長だぜ!! 最強の矛も盾もコウタ隊長のことだ!」
両腕を上げてガッツポーズをするトドロキのすぐ後ろの席で、誰かが乱暴に音を立てながら立ち上がった。
濁ったような白色の髪を一つ結びにしている小柄な彼女は、騒いでいる者達を見もせずに、空の食器の乗ったトレイを返却口に置き、出入り口へ向かう。
食堂を出ようとした時、彼女は三人組と鉢合わせる。
「あ、キョウカさん」と口を開いたのはシアだった。
キョウカはその視線に一瞬怯むと、コウタに小さく頭を下げて足早に食堂を出て行った。
「俺だけスルー……」と落ち込むヨウの耳に、
「最近、キョウカの奴荒れてるよな」
と言う声が聞こえてきた。
「あ! コウタ隊長じゃないですか!」
しかし、その声に対する返事は、他の隊員の歓声によってかき消される。
「皆、今日もお疲れ様。さっき、何か面白い話をしてたみたいだね」
隊員達の中に入っていくコウタを見送ってから、残されたシアとヨウは顔を合わせる。
小腹が空くまで食堂で話でもしていよう。ということだったのだが、早速一人欠けてしまった。
ヨウとシアは、入り口近くの四人掛けの席に向かい合って座る。
「さっきの、シアと同じくらいの歳の奴、キョウカっていうのか?」
「はい。寮の部屋が隣なんです。なんだか距離を置かれちゃってますけど……」
苦笑するシアに、ヨウは「まぁ、嫌ってる感じじゃなかったから大丈夫だろ」と言ってから、ふと思い出したように、
「てか、俺、明日の任務あいつとだ」
「え。そうなんですか?」
「あぁ。キョウカってあいつ一人だけだろ?」
「多分」と返すシアに、ヨウは「そうかー」とどうでもよさそうに返す。実際、どうでもいいのだろう。
「ここ、座ってもいいかな」
ヨウの後ろからそんな声が飛んできたのは、話題がないせいで、空腹より先に二人が眠くなってきた時だ。
振り返ると、そこには『地組』副隊長のモーゼズが立っていた。その両手には食堂のトレイを持っている。
「どうぞ」と二人が答えると、モーゼズは「どうも」と言ってヨウの隣に腰を下ろした。
「何やら向こうでは話が盛り上がっているみたいで、近寄りがたくて……」
と恥ずかしげに頭をモーゼズに、シアは微笑む。
「隊長補佐は最強の頭脳ですもんね」
「いえ、そんなことは……」
照れるモーゼズと微笑むシアを見ているヨウの内心は、もちろん面白くない。もしここでモーゼズがシアを口説いてくれたら手を出しても正当防衛が成り立つ(?)のだが、モーゼズにそんな様子は無さそうだ。一安心。だが面白くない。ヨウの心は山の天気以上にコロコロ変わっていた。
シアは入隊前から回復要員として討伐軍に出入りしていた。そのためか隊員達と仲が良く、同期として入ったヨウがこうして置いてけぼりを食らうことがしばしばあった。
「あ、そういえば、私達が入る少し前、月一の体力測定をしていましたよね。あれの結果ってもう出たんですか?」
「体力測定?」
ヨウの口から思わず出た問いに答えたのはモーゼズだった。
「はい。月に一度、任意で体力測定を行っているんです。『戦闘型天命』を持っている方、特に地球の方はとても成長が早く伸びしろのある方が多いので、鍛錬の際の参考にでもなれば、と思い、以前の結果と比例したグラフや、成長を楽しんでもらえるようパラメータ化した測定結果を配っているんです」
「へぇー。凄いな。『地組』だけでも数百人はいるだろ」とヨウは素直に感心するが、モーゼズは「いえいえ」と首と両手を横に振る。
「これくらい、どこの補佐もやっていることですから」
「まじでか」と驚くヨウに、モーゼズは苦笑しながら頷く。
「それに、いいことばかりではありません。成長が分かり易いように作っている以上、やはり成長していない部分も目立ってしまうんです」
「あー、まぁそりゃそうか」
と、ヨウも苦々しく同意する。新たな環境のせいか、彼もこの頃伸び悩みを感じていた。スランプではない。ただ、自分が成長している気が全くしないのだ。
「というか、モーゼズ隊長補佐。その測定結果で、最強の矛と最強の盾が分かるんじゃないですか?」
「いや、それは」
ないよ。それぞれやっぱり考え方も動き方も違うし、持っている技術も違うからね。僕が計っているのは単純な力や持久力っていう基礎ステータスなんだ。
という長い言葉をほとんど言えないまま、
「それマジですか、隊長補佐!」
「えっ? ちょっ、まっ」
「ちょっとこっちでお話聞かせてください!」
と言って、複数の隊員に担がれて拉致されていった。
「……軍なんて言うからもっとギスギスしてるもんかと思ってたけど……」
「自由なところですよね」
ヨウとシアは顔を見合わせると、お互い同意するように大きく頷いた。
翌朝。魔王討伐軍拠点の前には、多数の隊員達がそれぞれ部隊毎に別れて集合していた。彼らはこれから任務へ出発することになる。
任務は基本的に日帰りだ。任務先がどこであろうと、転移魔法を使えば距離など関係ないのだから。
様々な隊員が集まる中、とある三人編成の部隊には、見るからに険悪なムードが流れていた。
「えーと、あの、もう知っていると思いますが、きょ、今日の私達の任務は、ナズベキニアのタシカル村付近の沼で大量発生しているヒックリカエルの討伐です!」
「はぁ!?」
ヨウとキョウカの不満たっぷりの声に、ノゾミは肩を震わせて涙目になる。その表情に怯んでしまうヨウだったが、キョウカは違った。
「やっぱり納得出来ない! ヒックリカエルって少し大きいだけの臆病な蛙だろ! そんなもの魔法使い一人連れて行って一気に焼き払えば――」
「あ、あの! 蛙がいる沼は、特産の植物や希少な動物が住んでいて……その……」
キョウカの鋭い視線に、ノゾミの声と肩幅がどんどん小さくなっていく。
「……まぁ、そういう依頼ならしょうがないだろ。ノゾミは転移魔法使えたよな。じゃあ一人転移屋呼ぶか」
「あっ、待ってください」
電話を借りに拠点内に入ろうとしたヨウを、ノゾミは呼び止める。
「帰りの転移魔法は依頼主の方が用意して下さっているようなので、行きは私がお二人を送ります」
「三回も転移魔法して大丈夫か?」
「はい。なんとか。初のリーダーなので頑張らないと!」
胸の前で両拳を握るノゾミはヨウから見ても年下のように見える。
ふと、静かになったキョウカを見ると、服の上に着ていた防具を外していた。
「……何見てんだ。服まで脱がないぞ」
「期待されたきゃ、もっと肉食え」
バシン、と、軽いとはいえない音が響く。
ちょっとしたからかいのつもりが、返ってきたのは重たいビンタだった。
先程まで騒がしかった拠点前が、急に静かになる。
そんな中動いたのは、意外にもノゾミだった。
「そ、それじゃ、先にヨウ君から転移します!」
「え? あ、は」い、と返事すらまともにする暇もなく、空に引っ張られる感覚、そして程なくして地面に吸い込まれる感覚とともに、ヨウとノゾミは見知らぬ村の入り口に到着していた。
振り返ると、そこには茶色の世界が広がっている。草も、地面も、木の葉も、全てが枯れた色をしていた。ここでは一足早く冬が訪れているのかもしれない。服の上に軽鎧を着ていても感じる空気の冷たさに、ヨウの身体がブルッと震える。
ノゾミがローブの裾部分から取り出した世界地図を地面に広げると、地図の一部分が淡く光っていた。迷うことなくそこを指先で押すと、地図は拡大されて、ここがナズベキニア帝国のタシカル村であることが分かった。魔法の道具といえばそうなのだが、地球にも同じ様なものがあるため、初めて見た時もあまり驚かなかったヨウである。
「タシカル村、であってますね」
「みたいだな」
地図を覗き込むと、距離が近くなったせいか、ノゾミは顔を赤くして引っ込める。本来ならお互いに照れるべきなのかもしれないが、あまりに反応の早いノゾミにヨウはついて行けず、結果としてノゾミをからかっているようになってしまう。ノゾミ自身がそのことを分かっているから問題ないのだが。
「あの、ヨウ君」
ノゾミは地図を畳ながらヨウを下から覗き込むように話し掛ける。上目遣いという言葉をこの人は知っているのだろうか、と少し照れるヨウだが、
「キョウカちゃんのこと、怒らないであげてね」
という言葉には素直に頷いた。
「分かってる。なんか、踏んじゃいけないところ踏んじまった感じだったし」
ノゾミは頷き、笑みを浮かべると、「それじゃあ行ってくるね」と言って、転移魔法で姿を消した。
残されたヨウは、分厚い雲が浮かぶ空を見上げて一言。
「……意外とリーダーやってんな」
失礼な言葉だと分かっているが、思わず口からこぼれてしまった。
「ていう感じで呟いた俺の気持ちはどうすればいい?」
依頼主であるタシカル村の村長の家で、ヨウはノゾミを見下ろしていた。
「まぁ、防寒着を持ってきてくれたことは普通に有り難いんだけど」
「ご、ごめんなさい」と謝るノゾミはベッドに横になって、だるそうな目をしている。
魔力限界ギリギリまで魔法を使うとこうなります。といういい例だ。
そんな二人の会話を聞いていた老人、この村の村長が、二人に頭を下げる。
「申し訳ない。行きの転移屋も私共で用意していれば……」
「そ、そんなこと――」
「いえ、行きも帰りも自分達でなんとかするのが普通なので、帰りだけでも用意して下さって本当に助かっています。……一人がこんな状態ですし」
ノゾミは、「うぅ」と呻くと毛布で顔を隠した。
「てなわけで、結局二人でやることになった」
「あっそ」
もはやどうでもいいのか、それともまだヨウのことを怒っているのか、食い気味に返事をしたキョウカは、手に持っていた小さな布の鞄を肩に掛けると沼に向けてさっさと歩き出す。
「……似合ってるな、そのコート」
その後ろを歩きながら、普段ならば絶対に口にしないことを言ってみる。実際、白い髪のキョウカが黒いコート&ミニスカートを着るというモノクロコーディネートだと、どこか現実離れした雰囲気がある。
「どうも」
「……ミニスカート寒くないか?」
「別に。それにこれから沼に入るんだし、そんなの気にしてられないだろ」
その言葉に、ヨウはハッと息を呑む。そうだ。このままでは、鎧や服が汚れてしまうではないか。
「……キョウカ」
「なに?」
「俺、沼入るとき下はパンツ一丁になっていい?」
「………………」
「………………」
「……シアや隊長に報告していいなら」
「分かった。やめとく」
沼はそれほど村から離れていないため、十分も歩けば遠目に見えてきた。
幅三十メートルほどの丸い形の沼だ。殆どがドロドロとした沼地で、所々に水溜まりが出来ている。
「……せめて靴脱いだ方がよくないか、これ」
「足の指を無くしたくないならやめた方がいい」
靴に手をかけながら呟いたヨウに、意外にもキョウカが反応した。その内容は物騒なものだったが。
「大量発生してるのはクソ雑魚のヒックリカエルだが、こういう沼地には決まって『ユビキリガニ』が生息している。見た目は地球のザリガニそのものだが、色が黒く、なにより鋏の力が桁違いだ。人の指くらいなら簡単に」
「よし、靴おっけー!」
靴を指差して安全確認をしてから、ヨウは目を凝らして沼を見る。
「ここからじゃ見えないな。泥に擬態してんのか植物の陰に隠れてんのか……。まぁ近付けば分かるか」
キョウカとヨウが沼に近付くにつれて、足元のぬかるみが酷くなっていく。そして、先に沼の縁に着いたキョウカは大きく息を吸い込み、
「わっ!!」
と先程までの気怠そうな声から信じられないほどの大声を出した。
その瞬間、沼中の泥が――いや、泥に擬態していたヒックリカエルが飛び上がり、ひっくり返って真っ白い腹部をさらけ出した。
これがヒックリカエルの特性。擬態はほぼ完璧にも関わらず、少しの物音で驚き、死んだ振りをして、その実、自分の存在を周りに知らせてしまう、少しお馬鹿な蛙なのである。しかし、その全長は平均一メートルあり、大きな個体は一メートル五十センチ、つまりキョウカより大きくなるのだ。臆病でほとんど害のない魔物だが、一般人が退治しようとすると必ずと言っていいほど彼らの下敷きになり、怪我をする、最悪の場合、沼に沈んで窒息死、溺死する事件が発生するため、今では国軍か魔王討伐軍へ依頼することになっているのだった。
「一瞬沼ごとひっくり返ったかと思ったぞ」
そう言いながらキョウカの横に立ったヨウは、沼の様子を見て「うげ」と顔を引きつらせた。
三十メートルの沼の、大体三分の一ほどだろうか。
ヒックリカエルの白い腹で、真っ白になっていた。しかも、一応死んだ振りのはずだが、すべての腹が大きく上下していて、時折足がピクピクと動いている。
「……やっぱ無理だ。私帰る」
「いやいや、待て待て待て!」
身を翻したキョウカの肩を掴む。
「これを一人でやるとか無理だ。死ぬ。精神的に」
その必死な形相に、若干怯んだキョウカだったが、諦めるように溜め息を吐くと、ヨウの手を払って、いつの間にか左手に持っていた鞘から刀を引き抜く。
コウタが以前使っていた両刃の西洋剣と違い、日本刀のような形状をしている。オルフに襲われた際、ヨウが血で作り出した刀にも似ていた。
剣士? 侍? とヨウが天命予想をしていると、キョウカは鞘をしまうとともに、もう一本刀を取り出した。
「……刀二刀流って腕キツくないか。それ少し刃長いだろ」
「キツいけど、持ってる刀の中で一番軽い二本だし、それに、こんな依頼じゃあこのくらいしないと鍛練にならない」
なにより、
「これの方が早く終わる」
「……確かに、そりゃいいな」
それには同意せざるを得ないヨウは、キョウカに習って二本の剣を空間から取り出す。
未だにしっくり来る武器のないヨウは、スタンダードな西洋剣を使っている。
「お互い、二刀流には慣れてないみたいだし、斬り合ってもつまらない。私はあっちから、お前はあっちから敵を倒して行くぞ」
それぞれ沼の左右を指差してキョウカは言う。
「了解。あと、俺の名前、ヨウだから」
キョウカはヨウを一瞥すると、ふん、と鼻を鳴らしてから地面を蹴り、自分の持ち場へ跳んでいった。
そのジャンプ力に見とれていたが、キョウカの跳躍は沼の縁に僅かに届かず、一匹のヒックリカエルの腹を踏みつけてしまった。その瞬間、ヒックリカエルの肛門から、緑色の排泄物が捻り出される。
そのままヒックリカエルを踏み台にして沼の縁に足を着いたキョウカだったが、その顔は今日一番のしかめ面だ。
それもそのはず。ヒックリカエルが危険を感じたときに出す排泄物は、通常のものより遥かに臭い。その強烈さはドラゴンすら逃げ出す、とも言われるほどだ。
流石にここまでは臭ってこないが、キョウカの気持ちを考えると、心なしか臭いような……
「って、普通にくせぇ! おぇぇ! なにやってんだキョウカ!」
「黙れ! わ、ワザとじゃない!」
「当たり前だ!!」
と、こういう感じになるので、ヒックリカエル討伐時は一撃で絶命を狙う、つまり首を跳ねるのが絶対条件となっている。
ヨウは沼の縁を歩いてキョウカの向かい側にたどり着くと、近くにいたヒックリカエルを早速斬りつける。想像していた以上に柔らかい身体は、首と胴体が簡単に切り離された。
すると、その周りでひっくり返っていたヒックリカエルが大きな目をギョロっと動かしたかと思うと、舌を伸ばして、出来たてホヤホヤの死体を食べ始めた。
「……………………」
死体が綺麗になくなると、一匹のヒックリカエルはヨウと目を合わせてから、ガクッと首を沼地に付けて死んだフリを再開した。
「お前ら馬鹿にしてんのか!!」
ヨウの咆哮に、沼の中で眠っていたらしいヒックリカエルがピョンピョンと出てくる。
「ギャー!!」
という叫び声がした対岸では、キョウカの周りにヒックリカエルが降り注いでいた。
カエルの雨が落ち着くと、キョウカは遠目にも分かるほど目尻に涙を溜めてヨウを睨んだ。
「なにやってんだお前!! ぶっころギャアー!!」
再び降り出したカエルの雨に逃げ惑うキョウカ。
どうやら、こちら側よりあちら側の方がカエルの数が多いようだ。植物が生えていて日陰があるからか? と、こんな時だけ冷静なヨウである。
それにしても、
「これ、沼の断面図とったら、ヒックリカエルが何層も重なってんじゃないか……?」
あまり想像したくない図だが可能性は高い。対岸でヨウに背を向けて腕で目を拭っているキョウカには絶対に伝えられないことだが。
「まぁとにかく、やるしかないよな」
ヨウは手始めに、先程目の合ったヒックリカエルの首を一刀両断した。
「あのクソリーダー、自分ばっかり楽しやがって……」
「そーだ、そーだー」
「私達がこんな臭い思いしてるってのに……」
「そーだ、そーだー」
「世界なんか滅びちまえ!」
「そーだ、そーだー」
二人に差す夕日。ほぼ一日を費やしてヒックリカエル狩りを終えた二人に、既にまともな思考力も精神も残っていない。ついでに嗅覚も少し狂っている。さらに言えばキョウカの目が赤く腫れている。
沼から少し離れたところにある綺麗な地面に頭を向かい合わせて寝転がっている二人の顔には、どこかやりきったような達成感が溢れていた。それでも口から出るのは、リーダー、及び洒落になっていない世界への罵倒だが。
「二人ともー」
そこへ、遠くから呑気な声が聞こえてくる。
「クソリーダーの声が聞こえるぞ」
「そーだ、そーだー」
「……リーダーはいらないから、お風呂入りたい。着替えが欲しい」
「キョウカ、どうした? 普通の女子中学生みたいなこと言ってんぞ?」
「ふん!」とキョウカは指先をフックのようにしてヨウの鼻に突っ込む。
「ギャー! くっせ! 痛いよりくっせ!」
「よ、ヨウ君、どうしたの!?」
駆け寄ってきたノゾミが、ヨウの横にしゃがんで治癒魔法を掛ける。
「おぉ、ありがとな、リーダー。臭さだけが残った」
「ていうか、二人とも凄い汚れてる! すいませーん。この人達に痛くないよう水魔法をお願いしまーす。代金は討伐軍にお願いしまーす」
ノゾミは顔を上げて、自分が走ってきた方向を見る。ヨウが顎を浮かせてそちらを見ると、そこには三名の神官がいた。顔をも覆い隠すローブのせいで性別すら分からないが、ロキナのような子供やルキナのような小柄な者はいないようだ。
彼らは転移屋だろう。大神殿の魔法使い達は、ティアクリフトの命により、こうして討伐隊や王国軍の手伝いをしてくれるのだ。
だが、手伝いに来てくれた筈の彼らは、ノゾミの要請に対し首を横に振って断っている。
「な、なんでですか? お金は後でちゃんと払いますから!」
「匂いがだめですー」
女性の声と共に、神官の一人が頭上で両手を交差させる。
「絶対むりですー」
「汚されちゃいますー」
他の二人も続く。ノゾミが、どうしよう、と考えていた時、ブチ、と何かが切れた音がしたかと思うと、ヨウとキョウカはゆっくりと立ち上がり、三体の獲物をロックオンする。
「はよ水よこせや、おらぁ!」
「好きで汚れたんじゃねーんだよぉ!」
常人より素早く動ける最悪のゾンビと化した二人が、逃げ惑う三人の神官に襲いかかるのを、ノゾミは黙ってみることしか出来なかった。
「えーっと、お金を取るとはいえ、神官さんの多くは善意で協力してくれている方々です」
「はい」
「そんな方々の服を泥だらけにした挙げ句泣かせるなど、絶対にあってはなりません」
「はい」
「今回は向こう側にもほんの少し問題があったから、と言って許してもらえましたが、実際は完全にこちらの問題です」
「はい」
「あなた達二人は、排泄物に二日ほど漬かったような匂いを発している人に近付きたいと思いますか?」
「はい……あ、いいえ」
「……三人に駆け寄るほどの元気があるのですから、村まで戻って水場を借りればよかったのではないですか?」
「いや、あれは怒りによって隠されし力が……あ、なんでもありません。いいえ。本当になんでもありません」
「しかも神官さんを助けようとしたノゾミさんが障壁魔法を使って倒れるなんて、下手すると命に関わりますよ。分かってないんですか?」
「いいえ。分かってます」
「……本当に反省してますか?」
「いいえ。……あ、はい」
「……………………」
説教が終わり、痺れる足でぎこちない動きをしながら部屋を出て行くキョウカを、コウタ、モーゼズ、ヨウの三人が見送る。
ここは『地組』の隊長室だ。室内には隊長用の立派な机、隊長補佐用のそこそこ立派な机、来客用の三人掛けソファが二脚あり、その間には足の短い長テーブルが置かれている。ヨウとキョウカが座っていたのは、そのどれでもなく床の上だが。
ヨウは正座を崩して床の上にドシッとあぐらを掻いて座り直す。
「というか、どうしてそんなに下手したの? ヨウとキョウカなら、ヒックリカエルの首くらい簡単に跳ねられると思うけど」
隊長用の机の椅子に座り、先程からずっと苦笑を浮かべていたコウタは、ドアが閉まるのを見てから、ヨウにそう訊いた。
任務から一夜明けた今日、ヨウもキョウカも、昨日の汚れや匂いは完全に消えた。ノブユキの気配を消す魔法で匂いが消えるとは、なんとも便利なものである。それを頼む時、ノブユキはずっと鼻栓をしていたが。
「いや、ヒックリカエルって驚くと跳ねてひっくり返るだろ? そのひっくり返った場所に別のヒックリカエルがいて、下敷きになったヒックリカエルが危険を感じてブリッとして……って感じの光景があちらこちらで」
その地獄絵図を想像してしまったのか、コウタとモーゼズの表情が思い切り引きつる。現実はそんなに甘くない、と言いたくなったヨウだが、怒られたばっかりなので自重した。
「まぁ、先程のことは別として、ヨウさんとキョウカさんが仲良くなったみたいで安心しました」
モーゼズが、隊長補佐の机の上にある書類の束を整えながら言う。
「まぁ、同じ糞にまみれた仲だからな」
「……そんな仲は僕ならご遠慮したいですが」
「あいつ、そんなに孤立してんのか? 普段の態度はまだしも、一緒に任務やれば、強いうえに悪い奴じゃないって分かりそうなもんだけど」
あー、と少し気まずそうにコウタとモーゼズは顔を合わせる。ヨウの質問に答えたのはコウタだった。
「今回の場合は任務がよかったね」
「あァ!?」
「違う違う。嫌みとかじゃなくて、今のキョウカさんには合ってたってこと。戦闘中の連携を必要としない任務がね」
「……なるほどな」とヨウは浮かせていた腰を床に着ける。
「どうもキョウカさんは連携よりも攻撃一辺倒になりがちでね。状況によるけど、前衛はただ敵と戦っていればいいってものじゃない。守りの薄い後衛を守りながら戦わなくちゃいけない。それが出来ない人と組みたくないのは、後衛としては当然の意見だろうね」
「攻撃一辺倒、ね」
一昨日、食堂で少しだけ耳にした会話を思い出す。
「最強の矛か。タイムリーな話題だな」
「今欲しいのは最強の矛や盾より、ちゃんと連携が取れて信頼できる仲間なんだけどね」
コウタのボヤキに、ヨウは「確かに」と笑うと、痺れが回復したらしい足で立ち上がり、数歩後ろに下がった。
「で、また話変わるけど、俺がここに残った理由」
「隊長に見てもらいたいものがあるんですよね?」
「モーゼズにもな」
ヨウはそう言うと、「えーと」と斜め上の虚空を見上げてから、両手を胸の高さまで上げて、コウタ達に開いた掌を見せるようにした。
次の瞬間、ヨウの掌から三十センチほど離れた場所に、ところどころ欠けている歪な楕円形の障壁が現れた。
「魔力による障壁……?」
それ自体はさほど珍しいものではない。コウタも「おー」と驚きの声をあげているが、それはヨウが新たな魔法を覚えたことへの感想だろう。
しかし、とモーゼズは障壁を見て考える。彼が驚いたのは、障壁の色。これは得意な魔法の属性によって変わると言われていて、ノゾミならば白、トドロキならば赤、水系の魔法に秀でている『水組』隊長ラウールならば青といった具合。得意魔法が複数ある場合、任意に色を変更し、特定の属性に耐性を持つ障壁を作り出すことも、腕のいい魔法使うなら可能だ。
だが、ヨウが出した障壁はどうだろう。色は、透明どころか光すら通さないような黒だ。
「ちょっと攻撃してみていい?」
「よっしゃ、来いや、最強の矛!」
何故かはしゃぎ始めた二人に、モーゼズは「あまり暴れないでくださいね」と言って、隊長補佐の机の裏に避難する。
両手に力を込めて構えるヨウに向かって、コウタは魔剣を出して手に取ると、机の上を跳ねて飛びかかった。
金属の塊を石で叩いたかのような鋭い音が室内に響き、剣先が当たっている障壁の一部にヒビが入り、僅かに砕けて、その欠片が床に落ちた。
「防がれたかぁ」
剣を空間にしまいながら、少し悔しそうにコウタが言う。
「へへん」と得意げなヨウ。
「……まぁもう少しサイズ大きくしたら破壊出来そうかな」
「そん時は俺ももっと魔力込めるっての。今のあれだから。今のはメラではない、ってやつだから」
「それ全力ってことなんじゃ……」
「まったく。なに意地張り合ってるんですか」
呆れるモーゼズだったが、その障壁の強固さには内心驚いていた。討伐軍の中にコウタの攻撃を障壁で防げる者は少なからずいるだろうが、それは魔法系の天命を持つ者に限られるだろうし、障壁を二重、三重にするなどの技術を持ってしてのことだ。だが、この黒い障壁は一枚でコウタの一撃を防いだ。もちろん、コウタとて全力ではなかっただろうが。
「……ヨウさん。入隊時にそんな魔法は聞いていませんが、いつから……」
モーゼズの問いに、ヨウは両腕を下ろして障壁を消してから答える。
「出来そうだって思ったのは、昨日、リーダー……ノゾミが使ってるのを見て、だな」
ノゾミの障壁は『地組』のなかでも抜群の強度を誇る。それを見て触発されたということだろうか。
モーゼズがヨウを少し気にかけているのは、彼の天命が未だに不明であることが大きい。
地球人は天命について無関心なのか、事情を知っているコウタやシアは気にしていないようだが、本来、天命が分からないなど有り得ないのだ。
「……しばらくヨウさんを様々な人と組ませて見ましょうか」
その提案に、コウタは椅子に座りながら頷く。
「いいかもしれないね。ヨウが何かに影響されて、新しい技や魔法を覚えれば、ってことか」
モーゼズは頷く。
「もちろん、無理のないメンバー構成を最優先にしますが、障壁魔法の使える前衛となれば、割とどんなメンバーにでも組み込める気がしますね。では早速次の――」
「あー、盛り上がってきたとこ悪いけど」
とヨウがモーゼズの言葉を遮った。二人が顔を向けると、ヨウは斜め下に目線を落としながら人差し指で頬を掻く。
「これ、結構魔力の消費激しいから、そんな多用は出来ないぞ?」
「魔力の消費が、ですか?」
魔法系天命の者と比べると少ないが、ヨウの魔力自体は、前衛にしては無駄なくらいにある。障壁はそれほど消耗の激しくない魔法なのだが、やはり強力な分の違いがあるのだろうか、とモーゼズは首を傾げながら考える。
「あぁ。感覚的に、せいぜいあと四回だな」
つまり魔力全快の状態でようやく五回。しかし無理は出来ないので、四回が限界だろう。
「そうですか。それじゃあ、そのことも頭にいれて次の任務の編成を考えますね」
まったく、ヨウさんは。と、溜め息を吐きながらシアは寮の自室の鍵を掛ける。
白い壁に、光沢のあるフローリングの床。清潔感溢れる女性寮をシアはそれなりに気に入っている。自分の知らないところで家が汚れているということもない。家に帰ったら洗い場に食器が放置されていることもない。
だからこそ、心配になってくる。
ヨウの部屋は、どんな惨状になっているのだろうか、と。
本人に聞いても
『部屋? ピカピカだっての、ピカピカ。ピカピカチュウ』
と誤魔化されるし、行ってもいいかと聞くと、
『女の子が男性寮に来るもんじゃない』
とそれらしいことを言って断られる。こうなったら抜き打ちでいってやろう、と考えたのである。
寮の廊下を歩き、前方に階段が見えてくると、ちょうど誰かが上がってきた。
「キョウカさん」
シアの声に、キョウカは驚いたように顔を上げる。
「……あの、大丈夫ですか? 歩き方がぎこちないですが」
「だ、大丈夫だ」
「そうですか……」
見るからに足が震えているのだが、あまりつついて避けられるのも嫌なので、とりあえずそういうことにしておく。怪我という感じでもなさそうだ。
「あの、昨日はヨウさんが色々ご迷惑をかけたみたいですいません」
「……いや、昨日のことは私にも責任がある。気にしていないから気にするな」
そう言うと、キョウカはやはり足をぎこちなく動かしながら廊下を歩いていった。
少し話が出来た、と口元に笑みを浮かべながら、シアは一階へ降り正面玄関から出て男性寮へ向かう。
「シア」と名前を呼ばれたのは、食堂の前を通り過ぎようとしていた時のことだった。
振り返ると、そこには同い年の少女ユリが立っていた。任務時は軽鎧を着ている彼女だが、今日はシアと同じで休みなのか、ワイシャツに長ズボン、そしてその上からベージュのローブを羽織っていた。
「ワイシャツ?」と首を傾げるシアに、ユリはワイシャツの襟を摘みながら「こっちに来るとき着てたやつ」と言った。
「シアは、ご飯?」
今度はユリが首を傾げる。
「え? えーと……」
違う、のだが、このユリという少女、寡黙は寡黙でも茶目っ気溢れる一面があり、大したことのない噂話に少し装飾を加えて大ニュース(誤報)にしたりと色々やらかしている。
ここで真実を言えば、『通い妻のシア、ヨウの自室へ』や『浮気調査? ヨウの自室に侵入するシア』などのゴシップが飛び交いかねない。
少し悩んだ末、シアは苦笑いを浮かべる。
「は、はい。小腹が空いたので……」
嘘を吐いた結果、シアはユリと共に食堂へ来ていた。二人掛けのテーブルにはそれぞれの飲み物とパンケーキが置かれている。
「そういえば、ユリさんは休日にどこへ行ってたんですか?」
先程話し掛けられた時、ユリが拠点の方から歩いてきたことを思い出して、シアが訊くと、
「街の喫茶店」
ユリは箸でパンケーキを一口サイズに切りながら答えた。
「一人でですか?」
「……一応、二人かな」
「も、もしかして相手は男性ですか?」
「うん。デートとかじゃなくてスカウトだけど」
そう答えると、無表情のままパンケーキを口に入れる。すると、少しだけ雰囲気が緩くなった。口に合ったらしい。
「スカウトですか? もしかしてギルドとかの……?」
ギルドというのは王国軍や魔王討伐軍に反感のある者、あるいは、単純に、したいことをやって過ごしたい者が入るところなので、スカウトということはあまりされないし、討伐軍相手に、なんて笑い話にしかならない。
だが、ユリは首を横に振った。
「私に話しかけてきたのは、『勇軍』」
勇軍。王国に属さず、ギルドでもなく、当然魔王討伐軍でもない。地球人ユタカが作った新たな組織だ。組織規模は、メンバーが百人程、そのうち五名の幹部がいて、トップにユタカがいる。最近になって新聞や掲示板で見られるようになった名前で、拠点やユタカと幹部以外のメンバーの詳細は不明だが、世界中を飛び回って魔物討伐をしているらしい、ということは、シアも知っていた。
「新聞に載っていたユタカさんへのインタビューを見たことがありますが、『勇軍のメンバーは選ばれし者のみ』みたいなこと言ってましたよ。そんな人にスカウトされるなんて凄いじゃないですか」
「うーん」と、ユリが珍しく困ったような顔をする。
「そうかも、って私も浮かれてた。だけど、そのユタカって人に直接会ったら……」
「会ったら?」
「なんか凄い小物臭だった。昨日のヨウとキョウカみたいな刺激臭はしなかったけど」
「二人とも気にしているみたいなので本人には言わないであげてください」
ユリは素直に頷くと、勇軍の話を再開する。
「自分は特別な天命を持ってる、とかずっと話してて、私のスカウトに来たのか、自慢話をしに来たのか、途中から分からなくなるくらい」
「へぇー。確かにインタビューとかみても自分に自信がありそうな感じですけど」
「隊長補佐に少し分けてもらいたいくらいにナルシストだった」
せっかくシアがボカした言葉を口にするユリ。その言葉には全面的に同意だが。
「でも、ユリさんのところに来たってことは、他の人にもスカウトに来そうだね」
ユリはパンケーキを咀嚼しながら頷く。
「ほいうか、ほぼろきとかもふかうほはれはっへ」
「トドロキさんもですか? まぁ確かに前衛も出来そうな魔法使いは希少かもしれませんが……」
「あんな暑苦しいのをね」
「せっかく言葉を飲み込んだのに」
ふふん、とユリは得意気に笑った。
「帰るだと!?」
緑葉をつけた木が生い茂る森に突如響いた声に、小鳥達は枝を離れ、近くの水溜まりで水浴びをしていたヒックリカエルはひっくり返った。
声の主は、十代半ばの少年。短く切りそろえられている前髪と違い、後ろ髪はうなじを隠す程度に長い。髪と同じ金色の眉を吊り上げた少年が向かい合っているのは、ガタイのいい男と、相変わらず大胆な服装のニコールだった。
「あぁ、帰らせてもらう。前金も返す。だから二度とウチに来るな」
ニコールは眉間に皺を寄せたまま怒りを滲ませた声でそう言うと、少年に向けて金の入った小袋を放り投げた。
彼女の後ろにいるガタイのいい男は、少し気まずく顔をしながらも、どこか、仕方ない、といった雰囲気がある。
「依頼放棄などすれば、ギルドの名に傷が付くぞ」
怒りを剥き出しに歯を食いしばる少年の後ろでは、一人の少女がオロオロと狼狽えながら、双方を交互に見ている。
「構わん。お前みたいな奴に仲間を馬鹿にされながら依頼をこなすくらいなら、その程度の傷は甘んじてやる」
そう言うと、ニコールは踵を返して歩き始める。ガタイのいい男も、黙ってその背中に続いた。
「あぁ、そうだ」と不意に振り返ったニコールは、少年の肩越しに少女を見て、
「お前も、死にたくなければソイツから離れた方がいい」
と言って、再び歩き始めた。
「稀にみる糞な依頼人だったな」
とニコールが口を開いたのは、二人の姿が完全に見えなくなってからだった。あはは、と愛想笑いを返す男の腹に軽く裏拳をする。
「お前も少しは言ってやればよかっただろう。ったく、最近噂の軍をまとめてるのはどんな奴なのかと思っていたが、まさかあんなゴミ屑だとは。勇軍ってやつも長続きしないな」
ぷんすか怒っているせいか、ニコールの足や肩には力が入っていて、歩く動作も大きくなる。男がつい向けてしまった視線の先で胸が大きく揺れている。彼にとって、依頼人がどれほどクソ野郎だろうと、ニコールと共にいられるだけで幸せなのだった。
「ったく、人をまとめるというなら、あんな奴よりアイツの方がよっぽど…………」
言葉を止めて、チッ、とつまらなそうに舌打ちしたニコールは、男に聞こえないほど小さな声でそっと呟いた。
「そういや、アイツも軍になど入ったんだったな」
魔王討伐軍拠点異臭事件から更に二週間が経った、とある朝。いつものように拠点の前はこれから任務へ向かう隊員達で溢れている。
そんな中、明らかに気まずいムードの五人組がいた。
「またお前とか」
そう言うのは、軽鎧の上から魔王討伐軍のコートを羽織っているキョウカ。
朝は大分冷えるようになった今日この頃、拠点前に集まった隊員のほとんどが同じ、膝下まで丈のある黒いコートを羽織っている。
「その言葉、そっくりそのまま返す」
キョウカにそう言うのは、同じくコート姿のヨウ。
そしてそんな二人を見て苦笑いしているのは、モーゼズとノブユキ。ふわぁ、と欠伸をしているのはユリだ。
今回の任務のメンバーは、この五人となっている。
「それにしても隊長補佐、今回は随分偏った編成だね」
二人を放置することに決めたノブユキは、モーゼズに顔を向けて訊く。
「うん。どうしても魔法使いが足りなくて、ここを削らせてもらいました。今回、僕達は魔物の捜索から始めないといけないから、すぐに戦闘ってわけでもないし。いざっていう時は、代わりにはならないかもしれないけど、一応僕は回復魔法も使えるので」
「転移は?」と問うのはユリ。
「もう呼んであります。ここは人が多いので城の前で待ち合わせることになっています」
流石隊長補佐。どこかのドジッ子と違ってリーダー的な立ち位置になれている。
「それじゃあ行きましょうか。そこのお二人もいいですか?」
「おっけー」
「……了解です」
ヨウとキョウカの返事を聞いて、五人は歩き出す。
『レイリア王国とジャケイグ帝国の国境にある樹海にて四、五メートルほどの巨大な影の目撃情報あり。討伐軍には国境付近の探索を依頼する』。
今回の任務は、その影を探し、人に害をなすものなら討伐することだ。西からはジャケイグ帝国軍が、東からはレイリア王国軍が大勢の兵士を率いて探索に当たることとなっている。
「いくら国境付近だけでいいって言われても、樹海は広いからね。こういう探索に慣れてるノブユキさんと、良い眼を持ってるユリさんには期待しています」
「あれ? モーゼズ、俺とキョウカは?」
「えっと……敵に出会った時は期待しています」
モーゼズの言葉に「よし」と満足げなヨウだったが、
「影が見間違いだったら役立たずだな」というキョウカの言葉に、「マジだ」と絶望の表情を浮かべる。
「……敵がいない方が平和で良い」
ユリの言葉にモーゼズも「ですね」と同意する。もっとも、その可能性が低いから、こうして二人を連れてきているのだが。
樹海にやってきた五人を待っていたのは、肌に張り付くような湿気と夜のような暗闇だった。今にも雨が振りそうな曇り空のせいで太陽は完全に隠れてしまっている。だが、今は雨が降っていないだけマシな天気なのだ。なんとこの樹海の降水確率は、一年間で八十パーセントを越えるという。
更に、ヨウの体力を削るのは、背中に負ぶっているユリという名の重り。命を背負っているとかそういう格好いいことではなく、ただ単純におんぶしているだけだ。だが、ノブユキの魔法で照らされているとはいえ、木の根や石で不安定な地面を人一人乗せて歩くのは想像以上に体力と気を使う。
ユリは眼を閉じているが、寝ているわけではない。彼女の魔法は、一度使えば目を開かない限り持続する。
「ユリさん、周辺に何か異常はありませんか?」
モーゼズが問うと、ユリは頷く。
「今のところ、なにも。少し西にいったところに拓けた場所……池があるけど、そこにも何もいない」
彼女は今、遥か上空からこの樹海を見下ろしている。五メートルある巨体がいるならば、上空から見ても何かしらの変化はあるはずだ。
辺りに気を遣わなければならないノブユキ、あまり体力がないうえ鞄を背負っているモーゼズ以外、つまりヨウとキョウカで順番にユリを背負うことになっている。背負っていなければいないで、魔物の警戒、現れた場合は戦わなければならないため、あまり休まる時がない。もしかしたらモーゼズはこのために二人を連れてきたのかもしれない。
「池、ですか。影が発見されたのは陸地ですが、一応見ておいた方がいいかもしれませんね。ユリさん、方角は西でいいですか?」
「西北西くらい」
「了解です」
池、と聞いて思わず顔を見合わせるヨウとキョウカだったが、
「ヒックリカエルはここらにはいないので安心してください」
というモーゼズの言葉にほっと胸を撫で下ろして足元に視線をやると、干からびたオタマジャクシらしき死体があった。
なんでこんなところに……ってか蛙はいるのか、と嫌な予感を感じざるを得ないヨウだったが、気を取り直して、ユリを支える手に力を入れて歩き出す。
「セクハラ」
「なにが!?」
「ヨウさん、大声はやめてくださいね」
池が見えてくると、そこには巨大な影どころか魔物一匹いなかった。その澄んだ水に、池の周りに広がる草原。寝転びたい、という衝動に駆られるが、ユリを背負っているためそれも出来ない。
「……おかしいですね」
止まるように腕を横に上げて茂みに隠れたモーゼズの言葉に、ノブユキとキョウカが頷く。ヨウもとりあえず頷いておいた。
「どうしたの?」
と訊いたのはユリ。
「池に、魔物一匹いません。この辺りに水場はここしかないはずです」
「……待ち伏せか」
「お前気付いてなかったのか」
キョウカの呆れた声に「うぐ」と唸る。ユリを背負っていなければ、今頃草原の上で両手両足を伸ばして仰向けに寝ていた、なんて絶対に言えない。
その間にもモーゼズはノブユキとユキに周囲の状況を訊き、魔物の気配が感じられないこと、上空からは異常がないことを確認すると、ふむ、腕を組んで視線を下げる。
「ユリさん、目を開けて下さい」
十秒ほど思考してから、モーゼズはそう言った。
「ここは、敵の待ち伏せに乗ります。問題は、敵が陸地から来るのか、水中から来るのか。これはいざその時になってみないと分かりません。ただ、後者の場合、水中にだけは引きずり込まれないよう、注意して下さい」
全員が頷き、武器をそれぞれ取り出して、モーゼズ、ユリを囲んで護る陣形のまま池へ近付く。
池の側まで来ても、何かが飛び出してくるような気配はない。
「……なにもない?」
モーゼズの呟きに、五人はそれぞれ警戒したまま武器を下ろす。
ヨウが水中を覗くと、頭が拳ほどの大きさのオタマジャクシが泳いでいた。
「でかっ」
ウシガエルか? と驚くヨウに、モーゼズが「どうかしましたか?」と問う。
「水中に滅茶苦茶デカいオタマジャクシがいる」
その言葉に、キョウカ、ユリ、ノブユキの三人は、ヨウに白い眼を向ける。
だがただ一人、モーゼズは首を傾げていた。
「おたまじゃくし、とはなんでしょう」
「なに、って蛙の子供だろ?」
ヨウの言葉に、モーゼズは珍しく吹き出して笑う。
「あはは。何を言ってるんですか。蛙の子は蛙に決まってるじゃないですか」
「え? そうなのか?」
「そうですよ? 卵から小さな蛙がたくさん生まれるんです」
「きもちわるい」
ユリが眉間に皺を寄せる。
「じゃあコイツはデカくなってもオタマジャクシなのか」
「はは。そもそも、おたまじゃくしという生物ではないでしょうからね。おそらく、似た形をしたティノジアの魚です。この辺りに生息しているのは、ロナアワ、ウィーグ、メデカ、他には……」
笑いながら池を覗いたモーゼズだったが、おたまじゃくしの姿を確認した瞬間、笑顔と口が固まる。
「えっと……なんですか、これ」
「だからオタマジャクシだって」
同時刻、横一列になって樹海を進むレイリア王国軍の中に、研究目的で付いてきた一人の老人がいた。彼が、小さくやせ細った身体に似合わない軽快なステップを踏んでいる理由は、首からぶら下げている小型の水槽にある。
その中に入っているのは、拳ほどの頭を持つオタマジャクシだ。
「なぁ、あの爺さん、なんであんなにはしゃいでんだ?」
後ろを振り返った兵士の一人が気味悪そうに言う。
「新種のなんかを見つけたんだと」
と答えた隣の兵士は、「ん?」と足を止めることなく空を見上げる。枝葉で空が隠れている上、兵士自身も全身鎧に包まれているので分かりづらいが……。
「雨降って来やがった」
「まじかよ」と兵士達が顔をしかめたときだった。
「ぬおぉぉ!」
という叫び声が聞こえて、兵士達は慌てて振り返る。しかし、そこで見た光景は、水槽に顔を張り付けている頭のおかしな老人だった。
「足が! 足が生えてきおったぞ! おぉ、後ろ足も! 尻尾がなくなっていく!」
それを見ていた兵士達の顔が、少しずつ強ばっていく。
「こらぁ! 隊列を乱すな!」
そんな声が聞こえてきても、誰一人そこから目を離せる者はいなかった。
バリン、と響く、水槽の割れる音。
ペタン、と地面に足を着ける音。
ペロン、と老人を舌で巻いて丸呑みすると、オタマジャクシだったものは兵士達に振り返る。
そこにいたのは、五メートルを越すほどに大きな蛙だった。
「ほら、ユリ見ろよ。こっち、十匹以上いるぞ」
「気持ち悪いって言ってるのに見せようとするなんて性悪」
「ご、ごめんなさい」
結局、魔物の待ち伏せなどはなく、五人は池で昼休憩をしていた。
少し離れたところで池を覗き込んでオタマジャクシを観察しているヨウ、まだ食事中のキョウカとユリ、ノブユキは池の周りを見て巨大な魔物の痕跡がないか探していて、モーゼズは地図を眺めていた。
その時、モーゼズが見ていた地図に、水滴が落ちる。防水加工してあるとはいえ、濡らすのはあまり気分のいいものではないため、慌てて畳みながら空を見上げる。ユリとキョウカも僅かに残っていた昼食を口に詰め込むと、空になった弁当箱などを鞄にいれた。
「ちょうど雨が降ってきたね」
駆け戻ってきたノブユキに、モーゼズは頷くと、
「ここで休憩して正解でした。そろそろ行きましょう。樹海の中なら雨もあまり当たらないはずです」
鞄を背負い、ヨウ達を振り返った。
「おい、なにやってんだ! 行くぞ!」
キョウカの声に、池を覗き込んでいたヨウが顔を上げる。
見開かれた瞳、青ざめた顔、切羽詰まった表情に、先程までの脳天気さは欠片もない。
「逃げろ!」
ヨウが振り返り駆け出すと共に放った言葉に、他の四人は一瞬遅れて反応する。
次の瞬間、池の水が膨れ上がったかと思うと、ところ狭しと言わんばかりに大量の、そして巨大な蛙型魔物が姿を表した。
二本足で立っているとはいえ、人獣のように防具はつけていないし、毒々しい斑尾模様の皮膚も固くはないだろう。
だが、数が多すぎる。
二十を優に超える数の蛙達は、近くにいた獲物、ヨウに、その飛び出した目玉を合わせる。
蛙の口から素早くとんできた長い舌をヨウは近くの茂みに飛び込んで避ける。出来れば仲間と合流したかったが、あの拓けた場所にいつまでもいる方がマズい、とヨウは樹海の中を走り抜けていった。
一方の四人も、樹海の中を時折振り返りながら走っていた。
あの巨体だとやはり木が邪魔で動きづらいのか、しばらく走ると、追ってきているのは一体だけとなる。
「迎撃します!」
その言葉に、四人は身体の向きを変えながらブレーキを掛ける。
向かってくるのは、赤色に黒の斑尾模様の蛙。
最初に地面を蹴り出したのはキョウカ。右手に刀を持つと、足に力を込めて蛙を飛び越すほど高く飛ぶ。
首切り狙いの行動。だが、その場に立ち止まった蛙は、突然首を回してキョウカを見ると、口を開いた。
「やば」
そこから飛び出した長い舌は、キョウカに巻き付く寸前で軌道が逸れる。舌の先端、少し丸くなっている部分に、矢が刺さっていた。ある程度目標を自動で追尾する魔法あっての弓技だ。
このまま首を切るか? いや、舌を戻すときに捕まる可能性がある。
キョウカは体勢を変えると、伸びきっていた舌を両断した。これにより、舌の長さは半分ほどとなる。
着地したキョウカを踏みつぶそうと左足を上げる蛙。キョウカはその下を通って懐に飛び込み、見るだけで嫌悪感を覚える白い腹に斜めの斬撃を叩き込む。
ドロリと薄い皮膚は容易く避けて、内臓が溢れ出す。
その光景と匂いに顔をしかめたキョウカは、横から迫り来る右手の一撃を寸前まで察知出来なかった。
その平手に、威力自体はさほどない。だがキョウカの身体はそのままユリ達の方へ吹き飛ばされる。
だが、その勢いは急速に衰え、ユリ達の頭上を通り過ぎたところでキョウカは宙で体勢を整えて地面に足を着く。
風魔法だ。おそらく、本来は敵を吹き飛ばすためのもの。
キョウカの前に立っているモーゼズの右手には、身の丈ほどある木製の杖が握られていた。先端に三つ鈴が付けられているにも関わらず、その音は聞こえない。
「キョウカさん、あなたはそこにいてください」
その冷え切った言葉に、キョウカは目を見開く。
「なに言って――!!」
「ヨウさんがいない今、あなたの特攻をフォロー出来る人はいません。それに先程、私はあなたに何度も『下がれ』と命を出しました」
振り返ることなくモーゼズが言葉を続けた言葉に、キョウカは完全に言葉を失った。その指示は、まるで聞こえていなかった。
「無視をしたとは思っていません。ただ、仲間と戦うことが出来ない者は、邪魔にしかならない」
蛙の相手をしていたノブユキが不意に振り返ると、地面を蹴って大きく後退した。蛙の狙いは、モーゼズとユリに変わる。
「ユリさん、影縫いは必要ないですよ」
背負った矢筒に手を添えていたユリに、モーゼズは静かに言うと、蛙に向き治り、杖を持つ手を軽く挙げると、そのまま地面に下ろした。鈴が静かに鳴る。
次の瞬間、蛙に巨大な雷が直撃した。
黒焦げとなって崩れる蛙を見て、驚きの様子を浮かべているのはキョウカだけではなく、ユリもだった。ただ一人、ノブユキだけは引き笑いを浮かべてモーゼズに駆け寄る。
「相変わらず凄いね、これ」
「魔力は衰えない、と言うけど、久し振りに使うと少し疲れますね」
モーゼズはノブユキに笑いかけた後、ゆっくりと振り返り、キョウカと目を合わせる。
「今の魔法を、三度、使う機会を逃しました。つまりあなたは、自身だけでなく仲間の命を、三回分の無駄な危険にさらしたということです」
その言葉に悔しそうに目を逸らすキョウカを見て、モーゼズは溜め息を吐きながら言う。
「あなたは弱い。まずはそのことを、心に刻みなさい」
「うるさいっ!!」
その怒声に、ユリとノブユキの肩が跳ね上がる。だがモーゼズは、涙を溢れさせているキョウカを無表情で見ていた。
「そんなこと私が一番分かってんだよ!! 私が一番強くなりたいって思ってんだよ! なのに、強くなれないから……」
弱々しい口調に、そして表情に変わっていくキョウカに、モーゼズは逡巡するような顔を一瞬見せてから、俯きがちに口を開いた。
「キョウカさんがいくら魔物を殺しても、あなたのご友人は戻ってきません」
刹那の空白の後、頬に衝撃を受けて、モーゼズは地面に倒れる。
駆け寄ってきたノブユキとユリに起こされると、そこには既にキョウカの姿はなくなっていた。
一旦森から出たモーゼズ達の連絡により、魔王討伐軍から応援が送られることとなった。だが、その数はたったの三。
しかし、樹海の入り口に到着した彼らを見て、モーゼズ達の表情に絶対的な安心感が漂った。
「じゃあ行こうか」
『地組』隊長、コウタ。
「はい!」
『地組』所属、シア。
「なんであんたが仕切るのよ」
『火組』隊長、ガイア。
魔王討伐軍最強の剣士と呼ばれる二人の共闘など、そうそう見られるものではない。
「ていうか、なんでガイア隊長が……?」
ノブユキの素朴な問いに、ガイアは鋭い視線を向ける。
「ただの暇潰しよ」
だが、その顔はほのかに赤くなっていて、そして、魔王討伐軍に所属していてガイアの恋心を知らない者は多分いない。
それを知ってか、ユリは口元を両手で隠しながら、
「た、ただの暇潰しなんだからねっ」
「なにこの子供! ムカつく!」
拳を振り上げたガイアから逃げるユリを横目に、コウタはモーゼズから状況の説明を受ける。
「なるほどね。うん、分かった。じゃあ探しに行ってくるよ」
そう言って歩き出そうとするコウタを、ノブユキが呼び止める。
「ま、待って下さい! 俺らはどうすれば……」
立ち止まり振り返ったコウタは、「あー」と苦笑する。
「モーゼズがいるとはいえ今の三人で森の中に入るのは危険だし、こっちはガイアがいるから、他の人がいても逆に危ないし……。あ、じゃあここで見張りね。蛙とかが出て来たら、頑張って倒して」
にこやかな表情に、ノブユキが「りょ、了解」と答えると、コウタはシアとガイアに声を掛けて樹海の中へ消えていった。
「頑張って倒せって……簡単に言うなぁ」
ノブユキが思わず零した言葉にモーゼズは苦笑して答える。
「簡単に出来ちゃうんだろうね。魔剣を手に入れてからは毎日のように中型魔物以上の相手してるから」
「両手に花」
ユリの呟きに、モーゼズは可笑しそうに笑う。
「片方は人の花だけどね」
さてどうしたものか、と、ヨウは木の幹に背中を張り付けたまま考える。
木の向こう側では、一匹の巨大蛙が辺りをキョロキョロと見回している。ついでに目玉もギョロギョロと動く。
一対一で勝てるだろうか。首切りが出来ればベストだが、どう考えても先程の舌がネック過ぎる。怯んだ時を狙うってのは……待てよ。確か蛙って痛覚ないんじゃなかったか? 痛くなくて怯むのか? 魔力を気にせず戦えればイケそうだけど、この後が……。
悩むヨウのすぐ横に、蛙の目玉が現れた。
これは目が合うって表現でいいのかな。と下らない疑問が浮かぶと同時に、ヨウは地面を蹴った。
逃げ切れる自信はある。心配なのは――。
ヨウの前方に巨大な影が見えた。
こういう状況になること! とヨウは泣きたいのを堪えながら方向転換する。
運良く、前方にいた蛙には気付かれなかったらしく、追ってくるのは相変わらず一匹のみ。
逃げ切れる、と確信、いや、油断した瞬間、伸びてきた舌がヨウの足に巻き付いた。
そのまま引き戻される気配を感じて、ヨウが武器を取り出そうとした時、横から跳んできた何者かが、蛙の舌を根元から切断する。
落下しながらヨウの目に映ったのは、蛙の左手で弾き飛ばされるキョウカの姿。
尻餅を着く形で地面に落下したヨウは、足に巻き付いた舌を取ると、蛙のいる方へ駆け出す。
弾き飛ばされたキョウカは木に身体を打ち付けたのか、地面に転がっていてピクリとも動かない。
「おいこら、糞蛙!」
キョウカを見下ろしていた蛙は、ヨウの存在に気付くと、身体ごと振り返った。
「しょうがないから、全力で相手してやる」
右手に剣を持ち、ヨウは蛙と対峙する。
ヨウは地面を蹴ると、蛙の懐へ飛び込む。迫り来る振り下ろしの左手を上に跳んで避けると、蛙は飛び出た目玉でヨウをロックオンし、舌で巻き取……れる筈がない。
「やっぱり頭は赤ん坊のままだな」
ヨウは蛙の頭に乗ると、右の目玉を斬りつけ、間髪入れず左の目玉に剣を突き刺した。そのまま蛙の頭を踏み台にキョウカのそばに着地すると、肩に乗せて走り出す。
視力を失った蛙に二人を追うことは適わず、その場で見えもしない周囲を見回していた。
キョウカが目を覚ますと、隣に誰か座っているのが見えた。角度的に横顔すらまともに見えないが、着ている軽鎧を見ればそれがヨウだと分かる。
起き上がろうとすると、頭に鈍い痛みが走った。「っ」という声が漏れて、ヨウがキョウカの様子に気付く。
「大丈夫か?」
普段は悪態吐いてばっかりなのに、こういう時は素直に心配してくれるんだな、とキョウカは少し嬉しく思う。
頭痛が引いていくのを感じて起きあがると、そこが木の根元に出来た空洞だということが分かる。
「……お前、馬鹿じゃないか?」
「いきなり罵倒!?」
「こんな逃げ場がないところにいるのが蛙にバレたら終わりだろうが!」
そう言うと、意外にもヨウは「あぁそのことか」と分かっていたように呟いた。
「大丈夫だ。あいつら、蛙だから」
「……は?」
「蛙は動いてるものしか視ることが出来ないんだよ。実際、さっきあいつらは気絶してるキョウカの前で棒立ちしてた。それはそれで踏まれそうで怖かったけど……。だから、もしここに蛙が来ても、そのコートかぶってじっとしてればオーケー」
ヨウが指差した先は、キョウカが寝ていた場所。そこには、しわくちゃになってコートが敷かれていた。
「い、いらんことするな!!」
キョウカはコートを手に取ると、ヨウに突き返した。
「いや、俺の匂いで良い夢見て欲しいなって」
気持ち悪、と言おうとしたキョウカだったが、その時のヨウがあまりにも悲しい顔をしていたため、言葉に詰まってしまった。
「結局、悲しい夢見ちまったみたいだけど」
そう言って、ヨウはキョウカの頬に人差し指の背をそっと当てた。その指は濡れていた。違う。濡れているのは、キョウカの頬だった。
また夢を見ていたんだ。あまりに見過ぎて、その夢を見たのが今日なのか昨日なのか、もっと前なのか、やっぱり今日なのか、わけが分からなくなるほど見た夢を。
「……お前に泣いてるところ見られるとか最悪」
「泣いてる女の子は三倍増しで可愛いって聞いたことあるんだけど、おかしいな。憎さが勝っちゃう感じだ」
いつもと同じ反応に、キョウカは「ふん」と鼻を鳴らす。
「雨がやんだらあいつらはオタマジャクシに戻ると思う」
「そうなのか?」
「オタマジャクシの干からびた死体があったから、多分」
「なら、雨が止むまでの辛抱か」
「あぁ。雨が止んだら、俺はいつも通りになる」
その言葉に、キョウカは疑問を覚える。ヨウはいつだっていつも通りだ。様子が変だったことなど、一度もない。
「お前、いっつもいつも通りだろ」
「いやいや、今の俺は全世界の年下の女の子に対して完璧お兄様モードだ」
「お兄様モードぉ? ロリコンモードの間違いじゃないのか?」
からかうようなキョウカに、ヨウは「だから」と続ける。
「泣きたきゃ泣いていいんだぞ?」
「なっ」と顔を赤くしたキョウカは、ヨウの背中を思い切り叩く。
「痛い!」
「なにカッコつけてんだバーカ! お前なんかに心配されるほど私は弱くなんか――!!」
『あなたは弱い』
キョウカの目尻に涙が溜まっていく。
さっき自分で言った通りだ。私は弱い。そんなこと、ずっと前から分かってる。だから守れなかった。だから強くなりたいと思った。でも――
「いてて……。言われなくても、キョウカが強いことくらい分かってるっての」
「え?」
「だってこんなに背中が痛い」
「ふん!」
「ぎゃあ! やっぱ痛い!」
冗談だろー、と涙目になるヨウを見て、キョウカは溜め息を吐きたくなる。戦闘スタイルと同じだ。良い線行ってるのに、これだ、って決め技がない。
「さっき守ってくれたからな」
「え?」
キョウカが思わず聞き返すと、ヨウは驚いた顔を向けた。
「え? って。もしかして覚えてない? キョウカさん、俺のこと守ってくれたんすけど……」
そりゃあ、覚えている。でも、守るなんてつもりはなかった。ただ、危ないところを見たら、身体が勝手に動いただけだった。
返事をしないキョウカを見て完全に忘れたと勘違いしたらしいヨウは、苦笑しながらも「まぁいいや」と改めてキョウカに向き合う。
「助けてくれてありがとな」
駄目だ。満足してしまいそうだ。
キョウカは目に力を込めながら言葉を返す。
「あんなのじゃ駄目だ。やっぱり私は強くなんてない。この任務でも、結局、敵を一体も倒せず――」
「でい」と緩い掛け声と共に、キョウカの頭にチョップが振り下ろされる。
「アホか。キョウカが弱いってなったら俺の立場がねぇよ」
ムスッとして不機嫌そうに腕を組むヨウに、キョウカは少し呆気に取られてから思わず吹き出してしまった。
「だいたい」と、そんなキョウカを見て、ヨウが再度口を開く。
「キョウカは魔物を殺したくて戦ってんのか?」
答えを待たずに、ヨウは言葉を続ける。
「なんとなく、キョウカは誰かを守るために戦ってるんだと思ってたけどな」
誰か、って。そんな相手は、もういない。
だから、もう誰にも傷付いてほしくないと思った。その気持ちがいつの間にか私を一人で動かすようになっていて、結局、自分の手で仲間を傷付けてしまった。
キョウカの頬を涙が伝い、膝を立てて、隠すように顔を埋めた。
「!?」
ヨウが驚いている気配がキョウカにも伝わる。泣けって言ったくせに泣いたら狼狽するとは、情けないお兄様だ。
巨大蛙討伐から一夜が明けた。
いつもより記述箇所が多いであろう報告書や後処理諸々、面倒臭そうなことは全てモーゼズに任せて、ヨウはシアと二人で城下町の武器屋へやってきていた。
「これまではダンベルさんに買ってもらった杖を使ってたんですけど、昨日コウタさんとガイアさんに『魔力が強すぎて今のままだと近いうちに武器が壊れる』と言われてしまいまして」
展示されている杖を眺めながらそう言うシア。
「ほぉん」と答えるヨウは興味が無さそうに見えるが、実際はただ少し眠たいだけだ。
巨大蛙討伐は夕方頃に雨があがると同時に終了したが、迷子の二人を捜すのに夜までかかってしまった。そこから拠点へ帰還、色々あったため総隊長にも報告をしに行って、シアが眠りについたのは日付を回って二時間が経った頃だった。
昨日、色々とお疲れだったことは分かっているが、久し振りに二人で出掛けているというのにこの反応は面白くない。最近はずっとローブ姿で過ごしていたシアだが、今日はなるべく違う。
長袖のキャミソールワンピース(っぽい服)と、勇気を出して買ったミニスカートで、日本っぽいお洒落をしているのだ。
にも関わらず、先ほど会った時のヨウの反応は、
『おー、寒くない?』
「そりゃ寒いですよ!」
「!?」
まったく、とブツブツ呟きながら、杖を選んでいると、店内が繋がっている隣の防具店に一人の少女が来店した。
「あ」
「キョウカ」
距離はそれなりに離れていて、尚且つそれなりに小さな声だったのだが、何やら挙動不審なキョウカの耳には届いたらしい。勢いよく振り返ると、うえ、と顔をしかめた。
キョウカの服装は、身体のラインがくっきりでるタイトな長袖シャツに、白黒のロングスカートというシンプルながら(一部)破壊力のあるものだ。
「よー、キョウカ、昨日振り。なんだ? 今日は随分可愛い格好してんな」
「!?」
「うるさい。休日にどんな格好しようが私の勝手だろ」
「そりゃそうだ。むしろ、平日もその格好で頼む」
「絶対に嫌だ」
「そうかー……」
シアは震えていた。なんだというのだろう。この本人達にしか分からない感じの親密度の高さ。昨日、何かあったのだろうか。ってかなにこの人サラッと服誉めてんだ私の時は親戚のおばさんみたいな反応だったくせに確かにキョウカさん可愛いけど。
「……シアの言うとおり、なんか寒いな」
「そうか? 暖房効いてるし、私は気にならないけど」
ふぅ、と深呼吸すると、シアはキョウカに顔を向ける。
「キョウカさんは何を買いにこられたんですか?」
「え、うん。えっと、その……」
キョウカはチラチラとヨウを見る。
「なんだ? ここ防具屋だから下着とかは売ってないぞ」
「分かってる! 盾だよ、盾! 盾買いに来たんだ悪いか!」
「いや、いいと思うけど……」
なんか今日は二人ともおかしいな、とヨウは後頭部を掻きながら内心で首を傾げる。
「ほら、お前らも買い物に来たんだろ!? さっさと戻れ!」
という言葉と足に背中を押されて武器屋に戻った二人。
「背中に足跡が……」とシアがヨウの背中を軽く叩いていると、
「なぁシア」
「はい?」
「キョウカって意外と胸あるのな」
「えい」
可愛らしい掛け声とは裏腹に、ビンタにしては鈍い音が店内に響く。
「痛い! お前ら人の背中に手形残すのマイブームなのか!?」
その帰り道、結局同じタイミングで店を出た二組は合流して、一緒にカフェテラスへ立ち寄っていた。
「キョウカってシアが苦手なのか?」
シアが席を外すと、ヨウは、早速、というように質問した。どうやら、シアが『キョウカさんに避けられているような』と言っていたことを気にしていたらしい。そして今日の態度を考えると、聞きたくなるのも頷ける。
「いや、苦手でも嫌いでもないんだけど……」
んー、と口をムズムズとさせながら頭を掻いてから、「内緒な」と言う。
ヨウが頷くと、
「友達に似てるんだよ、雰囲気とか。だからちょっと、接しづらいというか」
と言った。
「キョウカ、お前……」
う、とキョウカは怯む。そういえば、コウタの仲のいいヨウは、自分の過去を聞いているかもしれない。だとすれば、そんな友達とシアが似ているといわれて、あまり良い気分がしないのは当ぜ……
「友達いたのか」
「いるわ!!」
思わずツッコんだキョウカに、ヨウは頭を掻きながら苦笑する。
「悪い悪い。なんか意外で」
「ったく……」と唇を尖らせて、チャノムギを口に運ぶキョウカにヨウは笑いかける。
「ま、なら仲良くしてやってくれ。で、任務とかで一緒になったらアイツの事も守ってやってくれな」
う、と言葉に詰まるキョウカの頭に、ヨウはそっと手を置く。
「今のキョウカになら任せられる」
髪が乱れるのを気にしてか、今度は手を動かさない。顔が熱くなり、なんとなく涙が出そうで、キョウカは俯いたまま小さく頷いた。
「しょうがないな。分かったよ、ヨウ」