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ティノジア  作者: 野良丸
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ティノジア



 鐘の音が響く教会の中では、司祭服を身に纏った神父が講壇を挟んで五歳ほどの少年と向かい合っていた。それを参列席から見ているのは、少年の両親らしき夫婦と、剣を腰に差している中年の男性、そして、十代半ばほどの少年二人、少女一人からなる三人組だった。

 緊張した面持ちの少年に、神父がそっと、しかし、教会に響く声で問う。

「汝に与えられた『天命』を述べなさい」

 少年は頷き、口を開いた。

「ち、『治癒魔法使い』です」

「その言葉に、嘘偽りはありませんね?」

「はい!」

 神父は「よろしい」と言い静かに笑みを浮かべると、教会全体を見回した。

「ここに、また新たな天命を持った者が誕生しました! 彼もまた、この世界を担う一人となったのです!」

 その言葉に、腰に剣を差した男性が静かに拍手をして、少年の両親は笑いながら涙を流し始めた。

 三人組の男女は、互いの顔を見合わせてから、とりあえず、というように拍手をした。




 中年男性に付いて三人組が教会を出ると、そこは畑と民家の並ぶ田舎村だった。

 トック村。ティノジアと呼ばれる世界の、遥か西に存在する、集落とも言えるほど小さな村だ。魔物の動きが活性化している昨今、何事もなく生活出来ている数少ない平和な村でもある。

「あれが、『天命の儀』だよ」

 足を止め、振り返った中年男性が言う。少し厳つい髭面とガタイの良さに似合わず、その声はとても優しい。

「どうだった? 何をやっていたのか分かったかい? じゃあコウタから感想を聞かせてくれないか?」

 コウタと呼ばれて、二人のうち、髪を茶色に染めている方の少年が「え」と反応した。額が出るほど短く切りそろえられた茶髪に、人当たりの良さがにじみ出るような風貌をしている。中年男性と同じように、何かの皮で作られたらしい鎧を身に纏っているが、着慣れていないのか、ただ単に重たいのか、歩き方が目に見えてぎこちなかった。

「俺? えっーと、俺達がいたところ……地球では見ないような儀式だったけど、何をやっていたのかは何となく分かった……かな? って感じです」

「そうか。理解が早いと助かるよ。説明の手間が省けるからね。シアはどうだ?」

 次に問われたのは、紅一点の少女。濃い茶色の髪を頭の後ろに纏めていて、目は人形のように大きい。男二人に囲まれているから小柄に見える、というわけではなく、元より小さい。そんな彼女は、裾の辺りに灰色の線が刺繍された白いローブを身に纏っている。

「私も、なんとなくは分かりました。でも……」

 とシアは横目で最後の少年を見る。長い黒髪に隠れている目は、どこか不機嫌さを感じさせる。彼の服装は、他の三人と打って変わり、そこら辺の村人が着ているような布で出来た服を纏っている。

「……なんで冒険パーティーに村人が混ざっているの? って感じですね」

 シアの言葉に、少年の横顔が引きつり、中年男性は苦笑した。

「わはは。その様子じゃあ、やっぱりヨウは分からなかったみたいだなぁ」

「まったく分からなかった!」

 ヨウは少しヤケになりながら認めると、大きな溜め息を吐いた。

「ダンベルさん、『天命』ってなんなんだ? 職業かなんか? 治癒魔法使いって、昨日、シアが言ってたやつと同じだよな?」

 その問いに、ダンベルは眉を潜める。

「ショクギョウ? というのが何なのかは分からないが、『天命』っていうのは道標、その者が歩むべき道だ」

「やっぱよくわかんねぇ」

「俺は頭が悪いからこれ以上の説明は出来ないぞ」

 がははは、と豪快に笑ってから、「武器を買いに行くぞ!」と歩き出したダンベルに付いていきながら、ヨウはシアとコウタに目を向ける。

「それで、シアが『治癒魔導師』で、コウタがなんだっけか?」

「俺は剣士。これでヨウが魔法使いかなんかだったらバランス最高なのになぁ」

「そりゃ悪かったな」

 悪態を吐いたヨウを見て、シアがクスリと笑みを零した。



 日が暮れ始めた頃、ダンベルの家へ向かう四人の姿があった。そのうち、二人の手には見るからに新しいそれぞれの武器が握られていて、嬉しそうに、物珍しそうに、構えたり軽く振ったりしている。

 コウタが構えているのは、両刃の西洋剣。見た目と大きさに反して重量はあり、鎧の重さもプラスして、構えるのが精一杯。振っても、剣に振られるという様だった。

 シアは、木製の杖を出したり消したりしていた。これは、魔法系の素質が少しでもあるものなら誰でも使える基礎魔法だが、地球から来たシアにとっては物珍しいなんてものじゃない。

 そして、ヨウ。ダンベルは、先程よりも不機嫌な顔をしている彼の背中を叩きながら笑う。

「まぁまぁ、ヨウ。そうひねくれるな! 無手が一番しっくり来るなんて、経済的でいいじゃないか! 天命が分からないなんて聞いたこともないが、こりゃあ空手家辺りか? いや、意外と可愛い顔してるから踊り子あたりかもな! がははは!」

「ヨウさんの踊り……ぷっ。MPなくなっちゃいますよ」

「シア、ちょっとそれ貸せ。一発殴らせろ」

「いやです。ヨウさんの手垢がつくじゃないですか」

 わいわいとはしゃぎながら歩いていると、ダンベルの家が見えてきた。この村の用心棒をしているダンベルの家は、村の入り口にある。この世界で生きる中で最も警戒すべきは魔物だが、それでも悪さをする人間がいないわけではないのだ。

 ふと、ダンベルが足を止める。それにつられて、三人も立ち止まった。ヨウがダンベルの視線を追うと、家の前に三人の女性が立っていることに気が付いた。三人とも同じ青いローブを着ている。フードをすっぽりかぶっているせいで顔は見えなかったが、四人の視線に気付くと、フードを脱いで深く頭を下げた。

「ダンベルさんの知り合い?」

 コウタが訊くと、ダンベルは「いや」と短く答えてから、

「多分、ありゃあ、大司祭様の遣いのもんだ。連絡は入れたが、もう迎えにきたのか」

 その言葉に、ヨウの眉がピクリと動く。

「大司祭ってーと、俺らをこんなところに連れてきた迷惑ヤローか」

「まぁ、間違っちゃいないが、人前ではあまり言うなよ? 大司祭様を尊敬してる奴は多いからな」

 ケッ、と目を尖らせるヨウに、コウタが苦笑いする。

「でも確かに文句の一つくらいは言いたいな」

「そうですね」

 シアが同意すると、今度こそダンベルは困ったように頭を掻き、黙ってしまった。

 すると、こちらがいつまでも立ち止まっていたせいか、ローブの三人が近付いてきた。近くで見て分かったが、彼女達の顔は瓜二つ……いや、三つだった。三つ子なのだろうか。いや、しかし、三人それぞれ身長は違うようだ。

「私、大神殿で大司祭ティアクリフトに仕えているラキナと申します」

 一番身長が高い人がラキナ。

「同じく、ルキナと申します」

 間がルキナ。

「同じく、ロキナと申します」

 そして一番低いのがロキナである。

 身長の違う同じ顔が順番に頭を下げていくのはどこか芸術性を感じた。

「こちらの若いお三方が、異世界からいらした方で間違いないでしょうか」

「あぁ。間違いないよ」

 ラキナの問いにダンベルが答えると、ルキナ、ロキナの二人が、ヨウ達三人をじっと見つめる。

「ルゥ姉さん」

「なぁにロキナ」

「一人村人みたいなのがいるよ」

「あぁ!?」

 ヨウが反射的に反応すると、ロキナなルキナの背中にさっと隠れた。

 ルキナが冷静に頭を下げる。

「申し訳ありません。この子は今日が初仕事なんです」

「……まぁ、いいよ。子供の言うことだからな」

「ありがとうございます。……ほら、ロキナ。あなたも村人様に謝りなさい」

「よし、まずお前が謝れ」

 あら失礼、というように片手を口に当てるルキナ。それを見ていたラキナが「こら」と妹二人を静かに叱ってからヨウに向き直る。

「妹達が失礼をして申し訳ありません。神殿には同年代の子が少ないので、少し浮かれているようです」

 深々と頭を下げられてヨウは思わず怯む。

「あぁ、そうなのか。ならまぁ、しょうがないよな」

「本当に申し訳ありません」

 ラキナはもう一度頭を下げると、他の二人にも目を向けた。

「お三方のお名前をお訊かせ願いますでしょうか」

 あぁ、と三人はアイコンタクトを取り、その結果、コウタから自己紹介することになった。

「萩原幸太。ここに来る前は高校一年生でした。部活はテニス部に入ってました」

「ハギワラコウタ様ですね。コウコウやテニスなどの意味は分かりませんが、よろしくお願いします」

 ラキナが頭を上げたのを確認してから、続いてシアが口を開く。

「鈴野詩亜です。中学三年生……十五歳で、えっと、趣味は家事です」

「スズノシア、様。十五歳、私と一緒です。よろしくお願いします」

 ルキナが少し嬉しそうに微笑みながら頭を下げる。

 なんとなくオチ担当な気がしてならないヨウだが、嫌々口を開く。

「浦島陽。コウタと同じ高一」

「ウラシマ・ムラビト・ヨウ様ですね?」

「ちげーよ、変なミドルネームつけんな」

「好きな食べ物はなんですか」

 ロキナによるまさかの逆質問。

「好きな食べ物? 特にないけど、強いて言うならカレーだな」

「精神年齢十歳……。私と同じです」

「うれしくないからな」

「ちなみにかれぇとはなんでしょう」

「知らないのかよ」

 微笑むロキナ。あれだけ失礼を繰り返した後に、何故そんな無邪気な笑みを浮かべられるのだろう。

 自己紹介を終えると、ラキナが、

「それでは、皆様を大神殿へお連れします」

 と言って、フードをかぶり、コウタに向けて、掌を上に向けた右手を伸はした。それに続き、ルキナとロキナもフードをかぶると順に手を前に出す。

「私達の魔法で皆様を大神殿へ転移します。一度の転移魔法でお連れできるのは一人までなので、コウタ様は私の、シア様はルキナの、ヨウ様はロキナの手に触れてください。別れの言葉があれば今のうちにお願いします」

 その言葉に、ヨウ達三人は、一歩引いたところから成り行きを見守っていたダンベルに振り返る。

「案外、早いお別れになってしまったな」

 こういう雰囲気は苦手なのか、何かを誤魔化すようにダンベルは後頭部を乱暴に掻く。

 視線を交わした三人のうち、代表するようにコウタが口を開く。

「ダンベルさん。昨日、今日の二日間、お世話になりました。昨日は命を救ってもらって、今日はこの世界について教えてくれたり、武器を買ってくれたり、本当に助かりました」

「俺は買ってもらってないけどな」

 ヨウがそっぽを向きながら呟いた言葉に、シアは咎めるような視線を向ける。

「わははは。まぁ、そうひねくれるな。何気に、ヨウ、お前さんには期待してるんだぞ? 見たこともない魔物に襲われて、あそこまで冷静に動ける奴はなかなかいない」

 素直な賞賛の言葉に、ますますそっぽを向いたヨウを見て、また豪快に笑ってから、ダンベルは三人を見る。

「お前さん達が、これからどうするのか、俺は強制する気はない。この世界のことはこの世界のモンでなんとかするべきだと思ってるからな。だから、どんな道に進んでも、気兼ねせずまたここに来い」

 その言葉に三人は頷くと、ダンベルに頭を下げてから、ラキナ達に向き直った。

 差し出された掌に、それぞれの手を乗せる。

 その瞬間、空に引っ張られるような感覚が三人を襲い、次の瞬間、その場に残ったのはダンベル一人となった。

 この世界を守るため異世界人が来る、ということは、ティノジアに住む者なら誰もが知っている。

 そうしなければならなくなった原因は、この世界で魔王に匹敵する戦力と成りうる者達が、まだまだ幼いからだ。

 ダンベルは、大神殿のある方角を見上げながら呟く。

「あいつらだって、まだガキじゃねぇか」




 地面に引き戻される感覚と共に、コウタはいつの間にか閉じていた目を開いた。

 目の前には、見上げるほどに巨大な扉。そして、更に見上げると、ここが巨大な神殿であることが分かった。青紫色を基調とした神殿は、階が上がるごとに先が細くなっていて、まるで城のようでもあった。屋根の上や、一部の壁には、村の教会で見たような十字架や、神、天使の像が装飾されており、ここが神聖な場所であることが、考えるまでもなく理解できる。

 少し遅れて、ラキナとコウタのすぐ横に、ルキナとシアが現れた。

「きゃ」とシアは小さな悲鳴を上げて、その場に尻餅をつく。

「大丈夫ですか?」とルキナが差し伸べた手を握りながら、シアはコウタに気付く。

「あはは。転んじゃいました。コウタさんは大丈夫でしたか?」

「うん。驚いたけど、なんとか」

「そうですか」とシアは服を叩きながら照れ笑いを浮かべると、辺りを見回した。

「ヨウさんは……」

「まだみたいだね」

「転移魔法は、熟練度によって転移速度、精密さが変わるため、ロキナとヨウ様はもうしばらくかかると思われます」

 そう説明するのはラキナ。

「と、言っても、多分、あと十秒もしたら来る、はずです」

 ルキナの補足に、コウタとシアは顔を合わせる。

「楽しみですね。ヨウさんの反応」

 いたずらっ子のような笑みを浮かべるシアに苦笑を返しながらも、コウタも同意するように頷いた。




 見渡す限りの草木。湿った空気。そして、二人を囲む獣の唸り声。

 ヨウとロキナは、黒い狼のような魔物の群れに囲まれていた。

「……おい」

「はい」

 ヨウの呼び掛けに即答するロキナ。

「なにこれ」

「キリサキオルフ。強靭に進化した前足の爪が厄介な小型魔物です。狼型の魔物で、主に集団で狩りを行います」

「そういうことじゃない」

「囲まれたが最後。そこから逃げるのは困難」

「知りたくなかった」

 十頭ほどいるキリサキオルフのうち、一頭が大きく吠える。

「うおっ! マジでやばいだろ、これ。昨日より大分ヤバいだろ。おい、さっきの魔法、使えないのか?」

「はい」

 即答するロキナに、ヨウの表情が強張る。

「……マジで?」

「はい。私は未熟者ですので、往復分の魔力しかありません」

「こいつらを一網打尽に出来る魔法とかは……」

「ありますが、私は使えません」

 ヨウの頭の中に、村人レベル一、魔法使いMP無VS魔物十体という絶望的な構図が完成する。

「ですが、安心して下さい」

 ロキナがそう言いいながら目の前に手をかざすと、そこに一振りの杖が現れた。シアが買ってもらったような木製のものではなく、光沢のある人工的な杖。先端には赤色の丸い玉が付いている。ロッドと呼ぶ方がらしいかもしれない。

 ロッドを握ったロキナは、一歩前に出る。

「わわわわ私の仕事はああなたをしし神殿につつつ連れて行くこことです」

 そして振り返り、涙の溜まった瞳でヨウを見て、

「どうか安心して下さい」

「出来るか!!」

 ヨウのツッコミにロキナが肩を震わせて腰を抜かすと、その揺れで、目尻に溜まっていた涙が頬を伝った。

 全身ガクガクじゃねぇか! と続けようとしたヨウだったが、それを見ると、う、と言葉を飲み込み、大きく溜め息を吐いた。

 その時、背後で草の擦れる音が聞こえて、ヨウは咄嗟にロキナのロッドをひったくると、振り向き様、薙払うように振った。

 ロッドの先端は、キリサキオルフの横っ面をとらえて、予期せぬ攻撃をくらったオルフは数メートル吹き飛ぶ。

「た、戦うのは無茶です!」

 起き上がれないのか、両手を地面についたロキナが言う。

「当たり前だろ!」

 即座に答えたヨウは、ロキナの身体に腕を回して脇に抱えると、オルフを吹き飛ばしたことによって空いた魔物の隙間を目指して地面を蹴り出す。

 しかし、そこは集団の狩りになれている魔物が一枚上手。二頭のオルフが逃げ道を塞ぐように立ちはだかる。しかし、立ち止まれば、その途端一斉に襲われることが目に見えている。

「ヨウ様、魔法です! なんでもいいので!」

「魔法!?」

 ヨウは魔法など知らない。自分が使えるのかすら分からない。

 だが、先程と違い、正面からオルフ二頭を相手にするのは、まず無理だろう。

 そうこうしている間に、二頭のうち一頭のオルフがヨウ目掛けて飛びかかってきた。

「くそっ!」と苦し紛れに薙いだロッドはオルフに避けられたが、結果的に一頭をどかすことに成功する。

 そのオルフを目で追い、よし、とヨウが油断した瞬間、

「ヨウ様、前です!」

 という叫び声が耳に届いたと同時に、視界に影がかかった。

 首元目掛けて飛びかかってくるオルフが、スローモーションに見える。時間が止まったようなヨウの頭に響いたのは、ロキナの、魔法という言葉だった。

 だけど俺は呪文を……。その時、ヨウはあることに気が付いた。

 シアやロキナが魔法で武器を出し入れする時、ラキナ三姉妹が転移魔法を使った時、彼女達は、呪文など唱えていない。

 呪文なんてない?

 当然、その問いに答える者はいない。

 だが、どちらにせよ、生きるにはやるしかないのだ。

 ロッドは、薙いだばかりで、そこから返していたら間に合わない。

 ヨウは足を止めて、飛びかかってくるオルフに目線を合わせる。

 創造するのは、自然に生きる者なら誰もが恐怖する、紅蓮の炎だ。





 大神殿の大広間には、コウタとシア以外に約五千人が集められていた。教会のように講壇があり、参列席が並んでいるが、腰を下ろしている者は少なく、殆どの人間は立ったまま不安そうな表情を浮かべている。

 その中でわりと落ち着いている数名と会話して分かったことは、ここにいる皆、地球から連れてこられた者達だということだ。コウタやシア、そしてここにいないヨウと同じ様に。

 五千人の中には、日本人と比べれば少数だが、外国人も混ざっている。言葉が通じるのは、ラキナ曰わく、この場所にかけられた翻訳魔法の効果らしい。

 情報収集を終え、コウタがシアのもとへ戻ると、シアは壁に背をもたれて不安そうな表情で俯いていた。

「鈴野さん」

 名を呼ぶと、そこでようやくコウタの存在に気付いたらしく、弾けるように顔を上げた。

「コウタさん。すいません。ちょっとぼーっとしてました」

 コウタは頷き、優しく微笑む。

「ヨウなら大丈夫だよ。普段はあんなでも俺よりずっと冷静だし、ラキナさんとルキナさんも探してくれてるし、何よりヨウだし」

 その言葉に、シアは小さく吹き出す。

「……そうですね。殺しても死なないのがヨウさんですから」

 その時、大広間のドアがゆっくりと開き、三人の人物が入ってきた。

 武装した神官らしき男を二人付き添えて先頭を歩くのは、十歳ほどの少女。青色の司祭服、青色の瞳、フードからは青色の髪がはみ出している。

 青い少女の醸し出す神聖な雰囲気に、人々は不安すら忘れて見とれ、脇に逸れて少女の歩く道を作る。広間の中央を堂々と歩く少女は、時折左右を見ては、意味深な笑みを浮かべていた。

「もしかして、あれがティアクリフト様なのかな?」

 壁際にいるせいでよく見えず、コウタは背伸びしながら言う。

「すいません。私、全然見えなくて……」

 背が低いことを気にしているらしいシアは、若干自嘲的な表情をしながら言う。失言だった、とコウタは引き笑いを浮かべるが、フォローのしようがない。

 そうこうしている間に、青い少女は十段程度の短い階段を上がり、講壇に立った。

「皆さん、初めましてー。この世界で一番偉いティアちゃんでーす」

 マイクらしきものはないが、その声は広間内によく響いた。

「え? なに?」

 一人の神官が、ティアに駆け寄る。不思議そうに首を傾げるティアだったが、すぐに顔を引きつらせると、前に向き直った。

「えー、申し訳ありません。翻訳魔法の調子が少し狂っていたようです。改めまして、私が、この世界、ティノジアの代表、大司祭のティアクリフトです」

 軽く頭を下げてから、広間を見渡し、また口を開く。

「皆様をこの世界へ呼んだのは、私です」

 広間内にもとからあった小さなざわめきが、一瞬にして大きなものへ変化する。だが、怒りに我を忘れるというよりは、誰もが戸惑っているようだ。怒れない原因の一つとしてティアの容姿があることは間違いないだろう。

 そんなざわめきを気にもせずにティアは口を開く。

「既にこの世界の者からある程度の話は聞いていることと思いますが、私の口から改めて説明させていただきます」

 ティアの口から、この世界を魔王が滅ぼそうとしていること、ティノジアの民だけでは、あと数年も保たないこと、そして、地球人を半ば強引に連れてきた理由が語られる。それは、コウタ達がダンベルから聞いた話とほぼ変わりはない。他の者も、事前に聞いていたらしく、驚きの表情を見せるものは殆どいなかった。

 だが、次の言葉で、彼らの表情に緊張が走ることになる。

「ここまでは、ティノジアの民達にも説明した内容です。そして、ここからが、あなた方のみに話す、地球に関係する内容となります」

 地球? と内心首を傾げたのは、コウタやシアだけではないだろう。ティノジアと地球は、まるで違う世界だ。関係があるとは思えない。思わないのが、普通だ。

 再びざわつく広間。

「皆様の故郷である地球と、ここティノジアは、とても深いところで繋がっています」

 だが、ティアが口を開くと、誰もが口を噤み、顔を上げて、その言葉に集中した。

「人を含む、動物、あるいは植物などの類似性もそうですが、何よりも、その数。ここティノジアには六十億人も人間はいませんが、自然は地球よりも豊かです。地球とティノジアの、繋がり、それは、動物や植物など、生けるものの数にあります。それは両世界でほぼ均等に保たれていて、例えば、ティノジアで人が一人なくなれば、地球でも人か、動物か、植物かは分かりかねますが、生けるものが失われることになります。そして、逆もまた然り、と」

 ここまで言えば、ティアの言いたいことを理解した者も出てくる。しかし、それはにわかに信じられる、認められるものではなく、彼らは自分の考えが間違っていることを祈りながらティアを見上げる。

 しかし、それは紛れもなく、正しい答えだった。

「この世界が滅びれば、地球も滅びます。病が流行るのか、天変地異が起こるのかは分かりませんが、確実に滅びます」

 静まり返る広間。

 絶望の、あるいは信じられないといった表情を誰もが浮かべる中、コウタの視界の隅に、にこやかな表情をしている少女が映った。横顔で顔は表情くらいしか分からないが、髪は金色のショートで、服装は、どこかの学校の制服姿だ。おそらく、自分と同じか少し年上くらいだろう、とコウタは推察する。

 その時だった。

「な、なんで私達なのよ!!」

 悲鳴混じりの女性の声が広間に響き、コウタは反射的にそちらに顔を向けた。人で隠れて姿は見えないが、声だけは聞こえてくる。

「私は魔王となんか戦わない! 知りもしない世界のために命を掛けるなんて馬鹿のやることでしょ!」

 ヒステリックな、我を忘れたような声だが、その言葉に心から反対出来る者は、この場にはいない。程度の差はあれど、誰もが思っていることだ。

 ティアもまた、怒りも悲しみも感じさせない無表情で大きく頷いた。

「もちろん、皆様に協力を強制する気は、我々にもありません。魔王と戦うか否か、それは皆様の自由です」

 それと、と付け加える。

「何故、六十億人いる地球の方々から皆様を選んだのか。その説明をしましょう。

 まず、知っている方もいるでしょうが、後に関係してくる『天命』について話しましょう。ティノジアの民は皆、生まれながらに『天命』を背負って生まれてきています。例えを出すのならば、『魔法使い』や『剣士』などの戦闘特化のもの、『農家』や『鍛冶職人』といった非戦闘的なもの、私の天命『大司祭』のような特殊なものがあります。『天命』の通りに人生を歩めば成功出来る、というわけではありませんし、天命とは別の道を歩み、成功している方もいます。いわば、天命とは一つの道標。その方の生き方を示すものなのです。

 そして、ここからが本題、あなた方を選んだ理由です。いえ、選んだ理由、というのは違いますね。正しくは、『あなた方でなくてはならなかった理由』です。

 先ほども言った通り、ティノジアと地球の生命の数は、『ほぼ』同等となっており、ティノジアに生きるものの命と地球に生きるものの命は、死を共有するほど深いところでリンクしています。そんな命を、無理やりこちらへ連れてくれば、何が起こるのか予想がつきません。互いの世界の命の均等を守るため、どちらか、あるいは双方の世界に大きな変化――それが、命を増やすものなのか減らすものなのかも分かりませんが、何かが起きることは間違いないでしょう。流石に、今の段階でそこまでの危険は犯せません。そこで私達が目を付けたのが、あなた方、『命の均等化』からはみ出た方達です。

 調査したところ、ティノジアの生命と地球の生命では、地球のほうが少しだけ数が多いことが判明しました。それが、あなた方、『ティノジアに繋がりを持たない者』達です。異世界転送の際、世界中に別れてしまったらしく、今日は半数ほどしか集まりませんでしたが、現在、この世界には約一万人の地球人がいます。

 ティノジアと繋がりを持たない者がこの世界へ来れば、中には類のないほど強力な天命を背負った者がいるのではないか。これは、つい先程までは私達の勝手な希望でした。しかし、今こうして皆様を前にして、その希望は間違っていなかったと確信しています。

 私の天命、大司祭は、少し特殊なもの。人より三倍ほど長く生き、そして顔を見るだけで相手の天命を読み取ることが出来ます。しかし、この中には、私をも超える特殊な天命を背負った方もおられるようです。その力は鍛えれば千の魔物に相当し、魔王にすら刃が届くでしょう。

 先程も言った通り、戦いを強制することはしません。しかし、これだけは覚えておいていただきたい。

 皆様は、私達の希望です。そして、ここにいない方の中にも、おそらくいるのでしょう。

 強大な力を秘めた、私共の新たな希望が――」




 ポン。と、可愛らしい音をたてて、ヨウとオルフの間に、ライターのような火が出た。

「………………」

「………………」

 そのショボさに思わず言葉を無くすヨウとロキナだったが、そんなチョロ火でも魔物を怯ませる効果はあったのか、オルフはその場で固まっていた。

「……狙い通りだ!」

 オルフの脇をすり抜けて駆け出したヨウに、ロキナが白い目を向ける。

「嘘ですよね」

「うっせ! 落とすぞ!」

 答えながら振り返ると、先程までの半数、五頭のオルフが後を追ってきていた。

 ティノジアに来て、ある程度身体能力が向上しているとはいえ、やはり獣の足には適わず、見る見るうちに距離を詰められていく。

「ヨウ様、左から来ます!」

 いつの間にか横に回り込んでいた一頭が飛びかかってくる。再びロッドを振るい退けるが、大したダメージは与えられない。

「今度は右です!」

 予想通り、それでも余裕がないのは、それだけ敵の戦略が理に適っているということだろう。簡単に言えば挟み撃ちだが、ほぼ一人の状態だと打つ手がないほど有効だ。

 振り向き、目線で照準を合わせて炎をイメージする。しかし、今度はライターほどの火さえ出なかった。

「ぐっ」と喉を絞るような声を漏らしながら、ヨウは無理矢理に体勢を変えてオルフの牙を回避する。

 だが、彼等の本当の武器は牙ではない。その事を、ヨウは完全に失念していた。

 すれ違い様に、発達した前足の爪で、肩を切り裂かれる。運良く、さほど深い傷ではないが、瞬間的に腕から力が抜け、ロキナを地面に落としてしまう。

 再びロキナを抱えて、また駆け出す時間は与えられなかった。

 五頭のオルフは二人を囲み、今度は逃がさないというように、二人を中心に回り始める。

 焦燥に顔を歪めるヨウ、そして血の滲んだ肩を見て、ロキナはそっと口を開く。

「ヨウ様、一人でお逃げください」

 力の入らない足を無理矢理動かして立ち上がるロキナに、ヨウは驚きの表情を向ける。

「私の仕事は、ヨウ様を無事大神殿までお送りすることです。無事、とは既に言えませんが、大司祭ティアクリフト様に仕える者として、しばらくの足止めくらいは成し遂げ――」

 ゴツ、と鈍い音が響く。思わずオルフが足を止めてしまうほどの音の発生源は、ロキナの頭頂部に振り落とされたヨウの拳骨だった。

 声にならない声を上げながらロキナは両手で頭頂部を覆い、はっきりと怒りの表情を浮かべているヨウを見上げる。

「アホ」

 その口から出たのは、説教でも、咎めるような言葉でもなく、ただの暴言だった。

「なっ」と眉を吊り上げるロキナに、ヨウは「バカ」と口にする。

「ななっ。だ、誰が阿呆で馬鹿ですか! 私は真剣に……!」

「だから言ってんだろ。仕事だか大司祭だか知らねぇけど、死んだら終わりだ。そんな守り方されても、なんも嬉しくないんだよ」

 その言葉に、反射的に口を開こうとしたロキナだったが、反論は浮かばず、その表情から力が抜けていった。

 どんな反論をしても、それがいくら正しかろうと、無駄なのだ。ヨウが感情だけで物事を決める考え無しだから、というのは建前。ヨウの言葉は現状を理解出来ていない。現実的ではない。だがロキナは、そんな言葉に、死ぬ覚悟を根元から折られてしまった。

 俯くロキナに、ヨウはロッドを差し出す。

「返す」

 このロッドは、魔力強化の効果があるものの、鈍器としてはとても弱い。魔力が切れていて非力なロキナが持っていても、ヨウ以上に意味がないだろう。何より、ヨウの武器がなくなる。

 そのことを口にしようとするロキナに、ヨウは無理矢理ロッドを押し付けた。

「心配すんな。村人なりに、やれることがなんとなく分かってきたところだ」

 そう言うと、ヨウは左肩の傷口を、右手で覆った。

 すると、服に染み込んでいた血が、見る見るうちに消えていく。

 治癒魔法? と考えたロキナだったが、すぐに、違う、と否定する。治癒魔法は、身体の傷を直すが、汚れまで取れない。何より、魔法発動時の淡い光が全くない。

 ヨウの右手が、何かを掴むようにゆっくり握られていく。

 その異変を察知したオルフの群れが、ヨウとロキナ目掛けて一斉に距離を詰める。

 いつの間にか、ヨウの右腕には赤い何かが握られていた。

 柄だ、とオルフに身構えながらロキナが横目で確認すると同時に、ヨウはゆっくりと、柄を引き抜いた。

 その仕草はまるで、鞘から刀を抜く剣士だ。そして、そのイメージ通り、ヨウの肩から細い刃が姿を表す。

 ヨウは、一斉に飛びかかってきたオルフを一瞥すると、一気に刀を振り抜いた。

 振り抜きざまの、大きな円を描くような一撃は、全てのオルフを真っ二つに切り裂く。

 身構えていたロキナは、その光景に瞬きすら忘れていたが、ふとフードをかぶっている筈の頭に風を感じて、頭頂部に左手を当ててみる。

 フードがなかった。というか、頭頂部の、少し盛り上がったところだけが見事に切られていた。

 どっ、と背中に冷や汗が流れるのを感じながら、ぎこちない動きでヨウを見る。

 ヨウの手には、太刀とも呼べるほど長い刀が握られていた。それは、柄から剣先まで全てが濁った赤色をしている。

「……あっ」

 ロキナの視線に気付いたヨウが、小さく言葉をこぼす。その視線はロキナの頭頂部に注がれていた。

「…………狙い通りだ!」

「嘘ですよね」

 髪の毛を、というか、頭を切られなくてよかった、と思いながら、ロキナはフードを外す。

「ヨウ様、その刀は血で出来ているのですか?」

 その問いに、ヨウは頷き、刀に視線を落とす。

「そうみたいだ。なんとなく出来そうな気がしたからやってみたら出来た」

 出来なかったらどうするつもりだったのか、とは、怖くて聞けないロキナである。

「……大司祭に仕えるものとして、様々な天命を見て育ちましたが、そんな技や魔法は見たことがありません。天命を聞くという行為が失礼にあたるものと理解したうえで、ヨウ様の天命を聞かせてもらえませんか?」

「知らん」

 その即答に、一瞬、頭が固まるが、

「シラン? それはどのような天命なので――」

「いや、そういうことじゃなくて」

 割り込んできた言葉に、ロキナは首を傾げる。彼女の頭の中には、既にハテナしかない。

「コウタやシアは天命を理解出来てたみたいだけど、俺は自分の天命が何なのかよく分かってないんだ」

「……そんなことは有り得ないのですが、今度は嘘じゃないみたいですね」

「あぁ、俺は嘘を吐かない男だ」

 ロキナは白い目でヨウを見てから、周囲を見回した。魔法の気配はないが、いつまでもここにいるのはまずいだろう。血の臭いにつられて、どんな魔物が現れるか分からない。

「とりあえず、話は後にしてここから離れましょう。とりあえずどこかで休息を取り、私の魔力を最低限回復させて、ヨウ様の傷を治癒します。傷はそこまで深くないですが、消毒の必要もありますから」

 血と一緒に毒も出ていそうですが、と考えながら、ロキナはヨウの刀に目を向ける。すると、刀に突然ヒビが入り、パキ、と軽い音を立てると砕け散ってしまった。

「あれ?」と声をあげたのはヨウ。何もなくなった右手を見てから、その手を前頭部に当てる。その目は、どこか焦点が定まっていない。

「ヨウ様?」

 その呼び掛けに答えることなく、ヨウの身体は前のめりにゆっくりと倒れていった。




 ティアクリフトの話が終わる頃にはすっかり日が暮れており、希望する者は大神殿に一泊出来ることとなった。

 この世界に来て、まだ二日目。帰る場所がない者が圧倒的に多く、大多数が宿泊を希望した。

 コウタとシアの二人も、その大多数に含まれている。ダンベルの元へ戻っても、彼は笑顔で受け入れてくれるだろう。しかし、ヨウのこともあるうえに、あんな話を聞いた後だ。二人も、少し一人になりたかった。

 割り当てられた部屋のベッドで三十分ほど横になっていたシアだったが、広間を出る際、食事の前にお風呂へどうぞ、と言われていたことを思い出し、身体を起こしてベッドから降りると、クローゼットの前に立つ。

 着替えは用意してあるって言ってたけど、と思いながらクローゼットを開くと、中には丈の長い半袖タイプのネグリジェが入っていた。

 こんな可愛いパジャマ着てるところをヨウさんに見られたら確実に笑われますね、と笑みを浮かべるが、すぐに俯き、暗い表情になる。

 ネグリジェを畳んで胸に抱え、部屋の扉まで歩き、足を止める。

『大広間や大浴場など、共有施設の出入り口には転送魔法が掛けられていますので、行きたいところを口に出して扉を潜れば一瞬で転送されます。部屋に戻るときは、どうしても徒歩になってしまいますが』

 宿泊者への説明の中で神官が言っていたことを思い出す。

 ドアノブを握ったまま、小声で「大浴場」と呟き、扉を開くと、扉の向こうには『女』『男』と書かれた引き戸があった。

 振り返れば、自室。自室の前は廊下だった筈だ。

 魔法だ。凄いとは思うが、はしゃぐほどの元気も余裕もない。

 潜ると、自室への扉は消えたが、シアは振り返ることなく、そのまま『女』と書かれた引き戸を開ける。

 脱衣場には、すでにたくさんの人がいた。青を基調としたタイルの床は、日本の温泉や銭湯では見かけない派手な柄だ。

 籠の入った棚が何列も並び、その殆どに服や下着が入っている。説明係の神官は一度に千人入れる大浴場だと謳っていたが、洗面所の籠に空きがなければどうしようもない。

 そのうち、隅の方で空いている籠を見つけたシアは、ローブと、その下に着ていたキャミソールと短パン、下着を脱ぎ、籠の中にあったタオルを持って浴場へ向かう。

 浴場は、確かに千人入れそうなほど広かった。しかし、約五千人、その半数が女性と考えると約二千五百人いることになる。もちろん、その全てがここにいるわけではないが、人で溢れる湯船を見ていると、オープンしたばかりのプールを見ているようだった。

 あんまりのんびり出来そうにないな。分かっていたことだが、シアは内心溜め息を就いてから、空いている風呂椅子に座り、シャワーの蛇口を捻り、お湯を頭からかぶる。

 シャンプーを終えて顔をあげると、いつの間にか隣に誰かが座っていた。

 何気なしに横目で見ると、そこにいたのはシアと同じくらいの歳の少女だった。

 不機嫌そうな吊り目から強気さがにじみ出ているが、その身体はシアと同じくらい小さい。その割に胸の膨らみは平均並にあり、シアは舌打ちをしたくなった。

 腰まで届くほど長い髪は濁ったような白色だが、おそらく地球人だろう。シアやコウタも地球では黒髪だったが、この世界に来た時、何故か茶髪になっていた。

 しかし、彼女が同年代の地球人だからといって、話しかける理由にはならない。きっと、今は誰もが自分のことだけで精一杯だろう。

 結局、その少女と言葉を交わすことのないまま、シアは腰を上げて浴槽に向かう。のんびりは出来そうにないけど、少しは浸かっておこう、と考えて。

「こんばんは」

 と話しかけられたのは、シアが浴槽に肩まで浸かった時だった。

 相手は、シアと同い年か、少し年上くらいの少女だ。首が隠れるくらいの金髪に、緑色の瞳。笑顔のよく似合う少女だが、この雰囲気の中、無邪気な笑顔を浮かべているのが、あまりに浮いていた。

「……こんばんは」

 少し警戒しながら言葉を返す。先程広間でヒステリックに叫んでいた女性も怖かったが、理解出来ないという意味では彼女も同等だ。しかし、シアのそんな様子を気にする素振りも見せずに彼女はまた笑う。

「私、持田茜。高校二年生の十六歳。あなたは?」

 その明るく弾んだ言葉に周りの視線を感じ、シアは小声で自己紹介を返す。

「鈴野詩亜といいます。中学三年生の十五歳です」

「シア! いいなぁ、可愛い名前で。私の名前、元気そうな名前だね、ばっかり言われるんだよ?」

 それはあなたが元気だからでは、と思ったが、この状況であまり会話を広げたくはないので黙っておく。しかし、名前を誉められたのは素直に嬉しかったので、「ありがとうございます」とだけ返しておく。

「そんな丁寧な言葉使わなくていいよー。ここには地球の上下関係なんてないんだし」

「いえ、これはもう癖みたいなものなので……」

 相変わらずニコニコと笑う彼女は、驚くべきことに、既にこの状況を受けて入れているようだった。シアも、ヨウやコウタといった信頼できる人物がいるおかげもあり、割と冷静を保てていると自覚していた。しかし、彼女のように現状を笑い過ごすことは、どう頑張っても無理そうだ。それが普通。だからこそ、アカネは浮いている。

「癖! すごいなぁー。私なんか敬語苦手でたまに怒られちゃうのに」

 それは敬語云々ではなく、空気が読めていないせいではないだろうか、と周りの鋭い視線を感じながら、シアが苦笑いを返し、結局ゆっくりできなかったけどそろそろ上がろう、と腰を浮かし掛けたとき、アカネが不意に疑問を口にする。

「ていうか、アレって本当なのかな。まおー倒したら地球に帰れる、ってやつ。流石に都合良すぎる気がするんだけど……」



「信用出来ない、というか、本当は今すぐ帰れるが、その方法を隠している、と考えるのが普通だろう」

 女風呂と違い、男風呂ではあちこちらで話し合いや議論が行われていた。

 とある一角でも、コウタを含む五人の男が集まり意見を交わしあっている。先程の言葉は、そのうちの一人、二十代前半の堅物そうな男が発したものだった。

「でも、あの話が本当なら、どちらにせよ、この世界を救わないと地球も滅亡するんだよな」

 そう返すのは、堅物男と同じくらいの歳だが、どこか軽い感じの男。

「その話だって、本当かどうか分かったもんじゃない。それこそデタラメなんじゃないかって俺は思う。適当な嘘を吐いて、俺達が戦わなければならないように仕向けているんだろう」

 堅物男の言葉に、四人は頷く。

「そうかもしれない。だが結局のところ俺達は、あの子供のいうことが真実であれ嘘であれ、戦うか戦わないかしか選べないのも事実だ」

 五人の中では最年長、三十歳くらいの髭面の男が口にした言葉には暗に『そんな議論は無意味だ』という意味が含まれていた。

「さっきから黙っている、そっちの若い二人はどうするんだ?」

 髭面の男はそう言って、コウタとその隣にいる金髪の少年に顔を向ける。

「僕は戦う」と即答したのは、金髪の少年。その凛々しい顔立ちと優雅な立ち振る舞いからはどこか気品が漂っていて、彼を一般家庭で育った少年だと思う者はいないだろう。

「僕の天命は『指揮官』。あの大司祭が言っていた特殊な天命だ」

 その言葉に、他の四人は僅かに驚きを見せる。どうやら、コウタだけではなく、他の三人も一般的な天命のようだ。

 それを感じ取った金髪の少年は、どこか誇らしげな笑みを浮かべる。

「ただし、魔王討伐軍やギルド、王国軍などの既存の部隊に入るつもりはない。僕は僕の目に適う者を集めて、最強の部隊を作ってみせる」

 まだ混乱している者も少なくない中で、これほど明確に自分の考えを持てていることは、確かに凄いことなのかもしれない。だが、コウタには引っ掛かる部分があった。

「それじゃあ今までの軍とギルドの関係と何も変わらない。敵は世界中に存在するんだ。組織に関係なく人間同士、手を組んで連携体制を築けないと無駄に苦戦を強いられるだけじゃないかな」

 だが、金髪の少年は怯むことなく反論する。

「僕が結成するのはあくまで新たな魔王討伐軍だ。都市や町の防衛は、各地に点在するギルドや王国軍にやらせればいいだろう。あの大司祭も言っていたように、特別な力を持つものでないと魔王には太刀打ち出来ないのだから」

「いや、でも」とコウタが口を開いた時、軽い感じの男が「まぁまぁ」と仲裁に入った。

「どう戦っていくかは置いといて、君はこれからどうするつもりなの? まぁ、今の話を聞いてるから今更かもしれないけど」

 その問いに、コウタは大きく頷く。

「俺も戦います」




「そうですか」

 と、シアは驚くことなく呟いた。

 大広間と同じくらい広い食堂では、各自が自由に料理を取るバイキング形式の夕食が始まっていた。

 コウタとシアは二人掛けの席に向かい合って座り、食事をしながら、入浴中の出来事とこれからのことを話し合っていた。

「大司祭さんから話を聞いた時から、コウタさんは多分そうするだろうなって思ってました。桜さんのこともありますから」

 コウタは頷き、今度はシアに質問する。

「鈴野さんはどうする?」

「あの、シア、でいいですよ。この世界には名字ってものがないみたいですし」

「……ヨウに怒られそうなんだけど」

「その時は私が逆にヨウさんを叱ります」

 その言葉に笑い合ってから、シアはそっと箸を置き、コウタを正面から見る。

「私は、ヨウさんを探しに行こうと思います」

「うん」とコウタは、やっぱりか、と言うように頬を掻く。

「でも、それは駄目だ」

 その言葉が意外だったのか、シアは目を軽く見開く。

「鈴野さん……シアさんがヨウを大切に思っていることは知ってるけど、俺は、ヨウがどれほどシアさんを大切に思っているかも分かってる。だから、ヨウのために危険な旅に出ることは許せない。きっと、ヨウも望まない」

 諭すようなコウタの口調に、シアは俯き、言葉を無くす。シア自身、それは分かっていたことだった。

「俺は魔王討伐軍に入るつもりだから、シアさんもとりあえず一緒に来ない? 魔王討伐軍の拠点があるレイリア王国なら、色んな情報が入ってくるんじゃないかと思うし、何より安全だ」

 レイリアとは、ティノジアの中央にある大きな国だ。王国軍の質は世界一とされ、世界中の魔物討伐にも一役買っている。

 確かに、レイリア王国にいれば、昨日のように魔物に襲われる心配はないだろう。だが、

「……私はいつも守られてばかりですね」

 思わず口から零れた、自嘲的な言葉が、シアの本心だった。

 シアのあまりに弱々しい姿に、コウタが言葉に詰まっていると、

「何なのよ、あんたは!!」

 という聞き覚えのある叫び声とテーブルを叩く音が食堂に響いた。今度は、距離がわりかし近いこと、ほとんどの者が席に座っていることもあり、コウタとシアの位置から声の主を視認することが出来た。

 二十代前半ほどの女性だ。目はつり上がり、一目で分かるほど怒っているが、その表情からは怒りと同じくらいの疲労、心労が見て取れた。

 その向かいの席に座っているのは、シアに取っては見覚えのある者、大浴場で話しかけてきたアカネだった。

 困ったような笑みを浮かべているアカネに向かって女性は尚も叫ぶ。

「あんたみたいな脳天気と一緒にしないで! こんな世界に無理やりつれてこられたっていうのにそんなにヘラヘラして、どっか頭おかしいんじゃないの!?」

 その罵声に、アカネは更に困ったように眉尻を下げる。しかしその表情は苦笑。あくまで笑顔は消えなかった。

 その表情を見た女性はコップを掴むとアカネの顔に水をぶちまけ、肩を怒らせて食堂を出て行った。

「あっはは。びしょびしょ……」

 濡れた顔を拭い、手を振って水を切りながらアカネは周囲に笑みを向ける。

「大丈夫?」と心配する声も聞こえるが、シアは大浴場の件もあり、出て行った女性に対して若干同情していた。





「誠に申し訳ありませんでした」

 とある小さな村にある診療所のベッドの上で上半身を起こしているヨウに、ラキナは深く頭を下げる。

 寝ぼけ眼のヨウは現状が分からず、とりあえず眠たい目を擦りながら、

「お、おはようございます」

 と挨拶を口にした。

 ラキナの話によると、ヨウは五日もの間眠り続けていたらしい。

 キリサキオルフの群との戦闘後、ロキナは倒れたヨウを背負い、回復魔法をかけながら森をさ迷ったという。

 そのうちに、森に食材を取りにきていたこの村の者に発見され、二人は診療所に運ばれた。これが四日ほど前のことだ。

 その翌日には大神殿に連絡が行き、ラキナとルキナがやってきて、ロキナから事情を聞き、そのままルキナとロキナは大神殿へ帰還、ラキナはヨウが目を覚ますのを待っていたという。

「五日……」とヨウは呟いてから、ハッと顔を上げる。

「シアとコウタは?」

「お二人とも、レイリア王国に滞在しています」

 そっか、とヨウは安心したように呟く。

「……今回のミスは、ロキナの未熟さによるものです。そしてそればかりか、ヨウ様を危険な目に合わせることとなり――」

「いいって、いいって。こうして生きてんだし」

 その言葉に、ラキナは再度頭を下げてから、

「ヨウ様にお伝えしなければならないことがあります」

 と言って、五日前、ティアが大神殿で話した内容を口にした。

「そうなのか」と、ヨウの返事は軽いものだった。

 しかし、ラキナに驚く様子はない。それもその筈。話を進めるうちに、これからどう動くのか、ヨウがすぐに決めたことが、表情に出るほどハッキリと分かっていたからだ。

 そしてヨウは、その答えを口にする。

「俺は戦わない」

「……理由をお訊きしてもよろしいでしょうか」

「戦うの怖いから」

 嘘だ、とは言わないが、それが全てでないことは、ヨウのことをよく知らないラキナでも分かった。

 ロキナから聞いた、魔物に襲われた時の彼の動きは、戦いを恐れるだけの者に出来るものではない。

 だが、ティアも言っていたように、戦いに参加するか否かは自由だ。

「そうですか。差し出がましい質問、申し訳ありません」

「いいって。あんまり謝られると、俺が悪いことした気分になる」

「申し訳……」

 そこで口を止め、小さく頭を下げるに留める。顔を上げたラキナは、どこか堅い表情をしていた。

「……戦闘をしないのなら、言う必要はないかもしれませんが、今回、ヨウ様が倒れた原因は、魔力が底をついたからです」

「魔力?」

 魔法なんか、チョロ火ファイアしか出してないはずだ、とヨウは首を傾げる。

「ロキナの報告にあった、自身の血液から武器を生成する技――いえ、魔力を消費しているため、魔法と呼ぶべきなのかもしれませんが、おそらくそれが原因であると私は考えています」

 確かに、あの戦闘を振り返っても、あのチョロ火とそれ以外に何かした記憶はない。

「ヨウ様のその術が何か特殊なものであることは確かです。それ故に、今のヨウ様の身には余る。万が一戦闘をすることがあっても、それは使わない方がよろしいかと。魔力だけではなく血も消費しますので」

 素直に頷いたヨウを見て、ラキナの表情に柔らかさが戻る。

「とりあえず、今日はもう日も遅いので、ここでお休み下さい。明日、私の転送魔法でレイリアへお送りいたします」

 そう言って最後にまた頭を下げると、ラキナは病室を出て行った。

 その背中を見送り、扉が音もなく閉じられると、ヨウの顔から表情が消える。

「……地球が滅びる、か」

 ヨウはしばらく目の前の虚空を見つめてから、何かを振り払うように勢いよくベッドに横になった。






 喪服に身を包んだ大人達の中、彼と彼女だけが制服姿だった。

 一人で涙を流す彼女を見て、彼は遺影を睨みつける。

 死んだら意味ないじゃねえか。

 その言葉をぶつける相手は、すでにいない。残されたのは、守るべき者だけだった。






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