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ティノジア  作者: 野良丸
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ティア



 黒炎竜との戦いから一週間が経った。レイリア城下町では、青空の下、今日も復興作業が行われている。

 その様子を見ながら討伐軍拠点への道を歩いているのは、コウタ、シア、キョウカの三人だ。

「ガイア隊長、お元気そうでよかったですね」

 シアの言葉にキョウカが頷く。

「あぁ。高熱の中、あれほど黒炎竜と戦えるガイア隊長はやっぱり凄いな」

 三人は、先程まで病院にいた。風邪をこじらせて入院しているガイアの見舞いだ。キョウカが言った通り、ガイアは高熱にうなされながらも黒炎竜と戦っていた。確かにそれは事実である。

 でもなぁ、とコウタは隠れて苦笑を浮かべる。

『そんなに怒らないでよ……。私だって気付かなかったんだもん。だるさとかなかったし、むしろ身体が熱くてやる気に満ち溢れてるって思ってたくらいだったし……』

 風邪のせいかいつもより弱気なガイアを思い出す。このことはキョウカやシアにはもちろん、隊員にも言わない方がいいだろう。弱気なガイアを少し可愛いと思ってしまったことはそれ以上に誰にも言えない。

 笑顔で話をするシアとキョウカを見て、コウタも笑みを浮かべる。長い間見なかった光景というわけでもないのに、妙に懐かしく感じるのは、おそらくコウタだけではないだろう。黒炎竜との戦い以来、各地で増加傾向にあった中型以上の魔物の数が目に見えて減っていて、日々追い詰められていた人間軍にも僅かではあるが余裕が生まれつつある。その分は町復興に回るため、忙しいのは相変わらずではあるが。

「さて、そろそろヨウが戻って来てるころかな」

 コウタの言葉に、シアとキョウカが振り向いて頷く。

 一昨日までずっと眠り続けていたヨウは、説明もそこそこに、コハルとともにシジンの里へ行ってしまった。大体のことはコハルや、後からやってきたヨシから聞いているのだが、そういう問題でもない。

「相変わらず勝手な奴だな。戻ってきたと思ったらいつの間にかどっか行くし、その上、今日戻ってきても、また旅に出るんだろ?」

 キョウカは、この三人の中で唯一ヨウと顔を合わせられなかった。不満気な言葉と表情は、そのせいもあるのだろう。

「そう言ってましたよ」と呆れたように笑いながら答えるのはシア。

「コハルさんのように強い力を持っている人を探しに行くそうです」

「そりゃまぁそのことに文句はないけど……。でも一人で行くって言ってるんだろ?」

「ヨウさんの天命『死神』は少人数で行動するほど成長効率が良いらしいですから。私としても、治癒魔法使いの一人は連れて行った方がいいと思うんですけど……」

「まぁ、大丈夫だよ。今のヨウなら、ティノジアにいる魔物には負けないんじゃないかな。コハルさんによると神様も倒しちゃったみたいだし」

 コウタの言葉に、キョウカが「それです!」と声をあげる。

「私としては、その話が未だに信じられませんよ。確かにヨウは前と比べ物にならないくらい強くなっていたみたいですけど、人型魔物を一人で倒すなんて……」

 如何にしてヨウがシジンを倒したのか話し合いを始めた三人が向かっている討伐軍拠点の入り口にはユタカとコマチが立っている。

 討伐軍のコートを羽織っているユタカとローブ姿のコマチは、つい半刻ほど前に任務から戻ってきたばかりだ。

「ヨウさんに会うために早く任務終わらせたのに、結局待つことになっちゃいましたね」

「まぁ、アイツが僕の予想通りに動くとは端から思っていない」

「指揮官さんじゃそんなこと言ったら駄目なんじゃないですか?」

 クスクスと笑うコマチに、ユタカも「確かにな」と同意して笑みを浮かべる。

「なんかここらの空気は甘いな。私は甘いものは嫌いなんだが」

 そんな言葉と共に二人の前にニコールが着地する。む、と少し嫌そうな顔をするコマチと、驚く素振りもなく冷静なユタカ。

「君も任務か?」

「あぁ。と言っても終わったところだ。チビっこい転移屋が、帰るときにレイリア上空に転移したこと以外、何の問題もなく終わった」

 だから屋根から降りてきたのか、とユタカは空を見上げながら思う。

「空からの眺めは良くてな。拠点前でイチャイチャしている若者が見えたからついつい来てしまった」

「い、イチャイチャなんかしてません……!」

「なら私とするか」

「嫌です」

 即答したコマチに両手を広げて迫るニコールを横目に見ながら、ユタカは大きく欠伸をした。


「ふわぁ」

 口の前に右手を置いて大きな欠伸をしたティアクリフトの髪が青から白へ変化する。

 彼女が座っているのは会議室の上座。この部屋ではつい数分前まで世界中の王達との会議が行われていたが、今はティア一人しかいない。

 涙を溜めた瞳で室内を見渡していると、会議室の扉がゆっくりと開き、そこからロキナが顔を覗かせた。

「ティア様。まだここにおられたんですね」

「えぇ。執務室には口うるさいラキナがいるでしょうし、ちょっとした休憩よ」

 その言葉にロキナは苦笑すると、扉を大きく開くと、そこにはラキナが立っていた。

「あら。いたの」

「誰が口うるさいですか」

 ぷいっと顔を背けるティアに、ラキナは肩を落として息を吐く。

「そういえば」と、そんなラキナにティアが顔を向けて、

「私、今日からしばらく出掛けるから」

 その言葉に、ラキナの表情が固まるが、すぐに我に返ると、

「突然何を言い出すんですか。仕事があるない以前に、大司祭にそんな勝手が許されると――」

「じゃあね」

 パン、と両手を叩いた瞬間、ティアの姿は会議室から、おそらく大神殿から消えた。

「……ロキナ」

 忍び足で会議室を出て行こうとしていたロキナの肩が跳ね上がる。おそるおそる振り返ると、ラキナは笑顔を浮かべてこう言った。

「お仕事、手伝いなさい」




 シジンの里の入り口には、里の者全員が集まっていた。彼等と向かい合って立っているのは、ヨウ一人だけだ。

「んじゃ、そろそろ行くな」

 その言葉に、コハルとヨシは頷き、

「兄ちゃん、また来いよ!」

 とソウタは言う。

「あぁ。そのうちな。……コハルも、次に会うのは一ヶ月後になりそうだな」

 その言葉に、コハルは頷く。人間軍の一員として巫女の力を使うことを決めた彼女だったが、すぐに里を離れるわけにはいかない。

 シジンを倒したことにより、ヨウだけでなく里の者も縛られる理由はなくなった。だからと言って、誰もが里からいなくなるわけでもなければ、里を無くしたくない者もいる。魔界へ行くことになっている一ヶ月後までに里のこれからについて話し合い答えを出してから、コハルは人間軍に合流することになっているのだ。

「次も一緒に戦えるな」

 その言葉に、コハルは微笑むと、「はい」と頷き答えた。




 翌日の早朝。門番と軽い挨拶を交わしてから、単身、レイリアの門を出た黒いローブ姿のヨウは、「さてと」と肩に掛けた布の袋から地図を取り出し、目の前に広げる。

 向かう先は、既に決めている。

「どこに行くの?」

「まずは南だ。この山をちょっと散策してみたい。シジンの里みたいに、どこに何があるか分からないからな」

 と答えてから、ヨウは「で」と地図を下げて、いつの間にか目の前に立っていた者に目を向ける。

 十歳ほどの少女。しかし、その顔には新聞などで見覚えがあった。

「俺が知る大司祭様は髪が青色で、そんな無気力な目はしてないんだけどな」

「私だって人の子だもの。性格に多少の裏表くらいあるし、髪を染めて悪ぶりたい時もあるわ」

 あからさまな嘘をさらっと言ったティアは麻色のコートをはためかせながらヨウに背を向ける。

「それじゃあ行きましょ」

「待て待て」

 ヨウは地図をしまいながら、さっさと歩きだそうとするティアを呼び止める。振り返った彼女の表情は、なに? と言いたげなものだ。

「色々言いたいことはあるけど、まず、俺は一人で行く。あんたは連れて行かない」

「いけずね」

「むしろ俺が意地悪されてる気分だ」

 その反応にティアは口元に笑みを浮かべる。

「でもあなたは私を連れて行かなくてはならないわ」

「なんで?」

「理由はないけれど。ただ、秘密をバラされるのは困るでしょう?」

 大きく目を見開いたヨウを見てティアは変わらず笑みを浮かべている。

「大司祭様が脅しとか、世も末だな」

 ヨウはそう言いながら大きな溜め息を吐く。

「そうならないためにあなた達を呼んだのよ。それに、天命なんか人格には何の関係もないわ。あなたもそんな物騒な天命を持ってるけど、人を殺したりしないでしょう?」

「これに関しては文句言いたくて堪らないんだけどな」

 頭を掻くヨウを見て、ティアは薄い笑みを浮かべたまま頷く。

「私が決めたわけじゃないけれど、誰かと言えば私のせいだものね。文句くらいは受け付けるわ。南に向かう道中で」

 しれっと付け足された言葉に、ヨウは苦笑すると「まぁいいや」と言って歩き出す。

「文句言ってもどうしようもねぇ」

 その横に並んだティアに、ヨウは笑って見せる。

「俺が決めたことだからな」

 その笑みに対する返事が咄嗟に浮かばず、ティアは短く「そう」とだけ答えた。

「さて、じゃあ走るぞ」

「え?」

 ヨウの言葉に、ティアはキョトンと首を傾げる。

「え、じゃねえよ。ティノジアは地球と比べたら狭いけど、それでもチンタラ歩いてたらあっと言う間に一ヶ月後だ。移動手段がなければ基本走るぞ」

「いやよ。面倒臭い」

「なら置いてく」

「バラしてもいいのなら」

 ぐ、と喉を鳴らしたヨウは、渋い顔でティアを見てから、背を向けてしゃがむ。

「じゃあおぶってやる。修行だと思ってな」

「そうやって胸の感触を楽しむつもりなのね」

「中身大人だから失礼かもしれないけど、当たる胸がねぇだろ」

「最近ようやく膨らみ始めてきたの」

「んな情報いらん。いいから早く乗れ」

「せっかちな人」と言いながら、ティアはヨウの背中に乗る。その小さな身体は予想通りとても軽い。

「じゃあ走るぞ」

 そう言ってヨウは草原を駆け出した。しばらくはいつもと違う高さの景色をぼーっと眺めていたティアだったが、ふと思い出して口を開く。

「目的地の山には何をしに行くの? 言い方的に村や町があるわけではないのよね?」

「あぁ、今向かってる山はレイリアでは人影山って呼ばれててな。人の影はよく目撃されるんだけど、人本体を見た奴はいないっていう曰く付きの山だ」

「それって普通に幽霊なんじゃないの?」

「え。この世界に幽霊っているのか?」

「地球と同じだと思うわ。いるという人もいるし、いないという人もいる。見える人もいれば見えない人もいる。私は見えないしどうでもいいけど」

「でも神がいるんだから幽霊くらいいそうだよな」

 その言葉に「神?」と首を傾げたティアに、シジンの里のことを話すと、彼女は「あぁ」と納得したような声を洩らした。

「それは、あなたの思ってるような神じゃないわ。おそらくシジンは元々強い力を持った人間ね。流石に神の名のつく天命は知らないけれど、『天の使い』――いわゆる天使という天命を持った者なら千年前にいたのだから、まぁいてもおかしくはないけれど」

「命を懸けて勇者と共に魔王を封印した『天の使い』フェリシタか。悪魔化魔物が現れ始めた頃にも思ったけど、『天の使い』はまだ現れないんだな……ってちょっと待てよ」

 そう言って眉を潜めてから、「人間? シジンが?」と問うヨウに、ティアは頷いて見せる。

「地球にはいない? 特殊な、あるいは強大な力を持ってるあまり人々から神として崇められた人とか」

「昔はそういう奴もいたみたいだけど……。でも本当にそうなら、人間が魔物になったってことになる」

 そんなこと有り得るのか? そう言いたげなヨウの言葉を、ティアは平然と肯定した。

「一般には公表されていないけれど、大神殿に保管されている資料では可能とされているわ。千年前の大司祭が残したものだし、何よりも、大司祭が受け継いだきた力の中に魔物化を抑える魔法があるから信憑性は高い、というかほぼ確定ね」

「……それって俺に言っていいのか?」

「駄目に決まってるじゃない。私しか知らないことだからバレたら怒られるわけでもないけど」

 でもね、とティアは続ける。

「あなたは魔王に狙われる可能性が高い。あのムソウも、元は人間軍の特攻隊長を務めていた強者だから」

「じゃあ人型魔物ってのは……」

「えぇ。その名の通り、元は人よ。本来、人は魔物化に耐えきれず、肉体か精神が先に駄目になってしまうのだけど、それを耐えきれる強者だけが魔物になる。だから人型は強い」

 それを聞いて、ヨウはハッと顔を上げる。

「じゃあもしかして、こうして旅に付いてきたのも、万が一のことを考えてなのか?」

「えっ」

「いや、俺が魔王に狙われる可能性が高いって……」

「あぁ、そうね。うん。そうよ。その通り」

「………………」

 そういう理由でもなかったらしい。

「まぁ幽霊はともかくとして、その人影が、ムソウのように実体をなくした人型魔物である可能性はあるわ。せいぜい気を付けなさい」

「そりゃあ気を抜くつもりはないけどさ」

 ならいいわ、と言ってしばらく無言のまま背中にしがみついていたティアだったが、一時間ほど走ったあたりで大きな欠伸をした。

 万が一にもヨウを見失わないよう、夜明け前から門の近くで見張っていた彼女は三時間程度しか眠っていない。魔力だけなら右に出るものはいないティアだが、身体が子供である分、体力はまだまだ少ないのだ。

「眠いなら寝とけよ? 人影山に着くのは早くても昼過ぎるし」

「そうね。じゃあお言葉に甘えて眠らせてもらうわ。涎垂らしちゃったらごめんなさい」

「そん時は落とす」

「酷い人」と眠たげに呟いたティアは、ヨウの肩にそっと頬を付けた。

 あっと言う間に小さな寝息を立てて眠ったティアの顔をヨウは横目に見る。

 初日から予定が狂ってしまったが、仕方のないことだし、レイリア城下町の住人を一気に転移させられるほどの魔法を使える大司祭の同行は単純に心強くもある。

 今のとこはこんな感じだけど……、と前に向き直り小さく息を吐く。

 こうして初めて大司祭ティアクリフトと顔を合わせたヨウだが、シアやコウタ、討伐軍の隊員達から聞いていた印象と大分違う。

 神聖。指導者。常に世界のことを考えている。凄いしっかりしてる感じ。容姿とのギャップが凄い。可愛かった!

 まず、神聖さは感じない。司祭服を着ていないことや髪色が違うことも要因かもしれないが。

 二つ目、指導者という感じもしない。

 三つ目、世界のことを考えている。常に、というわけではなさそうだが、まぁ考えていないわけはないと思いたい。

 四つ目、しっかりしている。これはない。ちゃっかりはしてそうだが。

 五つ目のギャップに関しては同意出来るが、おそらくヨウが感じているギャップとはまた違うであろうことは予想がつく。

 最後の、印象というか感想は隅の方に置いておくとして、ヨウは大司祭について知っている限りのことを頭に浮かべる。

 大司祭という特殊な天命を持つ者は、この世界に一人しか生まれない。勇者や魔王と違うのは、常に存在するという点だろう。常人の三倍ほど生きると言われる大司祭だが、寿命、または何らかの理由で死に至った場合、その力の一部を引き継いだ新たな大司祭が、翌日には世界のどこかで誕生する。そういう点では、コハルの天命である巫女と少し似ているだろう。

 寿命が長い分、身体の成長は遅く、十歳かそこら、ロキナと同い年くらいに見えるティアだが、三十歳の誕生日を迎えたという記事を以前見つけた。

 三十歳。ヨウの約二倍の時を生きている大人だ。

「……見えねー」

 すやすやと眠るティアは、その言葉に小さな声を漏らしながら頬を擦り寄せた。




 床、壁、天井、ベッド、そしてそこで眠っている彼の肌。全てが白い。

 とある病院の一室で、小柄な黒髪の少女は丸椅子に座り、目を閉じたままの恋人を見つめていた。

 壁に掛けられたカレンダーは四の月を表しており、窓から見える街の景色にはところどころに桜色が見える。

「私、大学二年生だよ。もうすぐ二十歳。お酒も飲める大人だよ」

 その色と同じ名前を持つ彼女は、苦笑気味の笑顔を浮かべて口を開いた。

 突然意識を失い、そのまま昏睡状態となる。そんな事態が世界中で同時に発生して大騒動となってから、もうじき二年が経つ。

 彼女……鈴野桜の恋人である萩原幸太、義理の妹に当たる鈴野詩亜、幸太の友人である浦島陽は、二年前から眠ったままだ。

 しかし、まだ命があるだけ、目を覚ます可能性があるだけでも三人は幸運だ。

 二年前、世界中で確認された一万人近い意識不明者のうち、一割もの人が、原因不明のまま命を落とした。その中には、幸太達と同じ年頃の日本人もいる。他人事では決してないのだ。

「こうして病院にいると、幸太と初めて会った時のこと思い出すよ」

 親戚である片平祐輔の見舞いに行ったのは、桜が高校に上がった頃だった。

 半年後に成功率の低い手術を受けることが決まっている祐輔は、もしもの時を考えて親戚に詩亜のことを頼んで回っていた。しかし、どこでも良い返事はもらえず、桜も両親からあまり関わらないように言われていた。自分の家のことは桜も分かっていたし、完全に割り切れるわけではないが両親の判断には納得していた。関わるなというのが、期待を持たせるなという意味であることも。それでも気付けばこうして足を運んでしまうのは何故なのだろう。ただ二人が好きだからか、それとも自分を慰めるためか。桜は自分でも分からなかった。

 中学一年生の詩亜と、この一年で大分やつれてしまった祐輔と話をしていると、ベッドを仕切っているカーテンが揺れて、黒髪の少年が顔を覗かせる。

 それが、幸太と桜の初対面だった。

「こんにちは」と幸太は三人に頭を下げる。

「おお、幸太。また来てくれたのか」

 嬉しそうに、だが昔と比べると弱々しい笑みを浮かべる祐輔に、幸太は「はい」と笑みを返す。

「陽も一緒に来たんですけど、たった今逃げていきました」

 その言葉に祐輔は可笑しそうに笑う。

「そうか。まぁ来てくれただけでも嬉しいよ」

 祐輔は、詩亜と桜に顔を向けて、

「俺の元生徒の萩原幸太。今もたまに見舞いにきてくれるんだ」

 と言ってから、次に幸太を見る。

「娘の詩亜と、親戚の鈴野桜ちゃん。詩亜は幸太の一つ下で、桜ちゃんが二つ上だな」

 それぞれ紹介された三人が改めて挨拶を済ませると、詩亜が祐輔に訊く。

「お父さん、陽さんって、お父さんが話してた人? いっつもムスッとしてるっていう……」

「あぁ、そうそう。その無愛想な奴だ」

 その言葉に苦笑を浮かべる幸太を、桜はなんとなくじっと見ていた。一目惚れとか、そういうものではなかったと思う。

 ただ、その少しの会話だけで彼が優しい人だということが分かったから、甘えたかっただけなのかもしれない。

「幸太は誰にでも優しいから、少し心配だよ。夢の中で浮気してない?」

 その言葉に返事はなく、桜は寂しさを誤魔化すように苦笑すると、鞄を持って腰を上げる。

「また来るね」

 そう言って廊下に出た桜は、エレベーターに向かう途中で四十代ほどの女性の後ろ姿を見つけて声を掛ける。

「好恵さん!」

 その声に振り向いた女性は、桜を見ると笑顔を浮かべた。

「桜ちゃん、幸太君のお見舞い?」

「はい。今から詩亜のところに行こうかと思ってて……」

「じゃあ私も一緒に行こうかしら」

 そう言って二人は詩亜の病室に向かって廊下を歩く。

「また暖かくなってきたのに、三人とも目を覚ましませんね」

「そうね。せめて世界中の誰か一人でも目を覚ましてくれたらもうちょっと気が楽になるんだけど」

「そうですね……」と顔を俯かせる桜を見て好恵は言う。

「まぁ、心配なのはどっちかというと陽よりも詩亜ちゃんだけどね」

「そうなんですか?」と目を丸くする桜に、好恵は笑いながら頷いた。

「あの子は詩亜ちゃん残していなくならないでしょうから」

 幸太君もね、と言う好恵に、桜も笑みを浮かべて頷き返した。




 ティアが生まれて初めて口にした言葉は、パパでもママでもなく、父親の天命だった。彼女にはずっとそれが見えていて、文字など知らなくとも読むことが出来るものだったから。理由はそれだけ。でもたったそれだけで、彼女の人生はその日から大きく変わった。

「おい、ティア。起きろ」

 その声に瞼を開くと、目の前にヨウの顔と彼の天命が浮かび上がる。

 しばらくその顔と天命を眠気眼でじっと眺めていたティアだったが、やがて睡魔に負けてゴロリと寝返りをうって寝る体勢になる。

 そんなティアを呆れ顔で見ていたヨウだったが、「まぁいいや」と呟くと、ベッドから離れて、テーブルの上に置いていた小袋を腰に下げると、空間からペンを取り出して、メモ用紙に何かを記入し始めた。

 ベッドから薄目でその様子を眺めていたティアだったが、ヨウが部屋を出る頃には眠りについていた。

 二人は現在、アガレス王国内の東に位置するキウト村に一昨日から滞在している。もちろん、何の理由もなく貴重な三日間を消費しているわけではない。

 昼前に目を覚ましたティアはのそのそとベッドから降りると、テーブルの上にあるヨウの書き置きに目を通す。

『ギルド行ってくる』という一言が書かれた紙の上にはパンが三個買える程度の小銭が置いてある。昼に起きたからこそ足りるものの、朝食分も考えてのものならば確実に金額不足だ。

「……ひもじい」

 レイリアを出発して二週間。ヨウとティアは金銭面の問題に追われていた。



 キウト村は、木造の民家と少数の店がある普通の小さな村だ。しかし、この規模の村には珍しい建物がある。

 建物は小さな四角い形。一枚だけある扉の横にはティノジア文字で『キウト村ギルド』と書かれた看板が取り付けられている。ギルドを名乗ってはいるものの、実際は村を守るために有志が集まって作られた自警団のようなものだ。

 建物の中では、六人の男女がテーブルを囲んで談笑している。そのうちの一人はヨウで、残りの五人がここの全メンバーだ。

 その少数で、黒炎竜討伐までの悪魔化魔物大量発生をよく凌いだものだと初めこそ思ったヨウだったが、昨日、共闘して分かったが、彼らはとても腕が立つ。五人で中型魔物を撃退したこともあるというのだから驚きだ。

「ところでヨウ、今日はシズクちゃんは来ねえのか?」

 そう聞いたのは、お茶が入ったジョッキを持った四十代ほどの男性。角刈りの頭に、強面の顔を沿うように生え揃えられた髭、筋肉により盛り上がった肉体で威圧感は凄いが、酒と女にはてんで弱いグバルだ。ついでに、そんな容姿ながら子供好きである。

「シズクならそろそろ起きたくらいだろうし、来るかは分からないな」

「子供の頃からそんな生活してたら身体に良くないよ」

 と言うのは、ヨウと同い年くらいの少年、グバルの息子のウォルトだ。彼も父親同様、前衛を努めているが、容姿も体型も母親似らしく細身で中性的な顔立ちをしている。『頭も親父より良いから親父から継いだのは黒茶色の髪の毛だけ』というのは彼が初対面のヨウに言った笑い話である。

「ウォルトだってまだ十五でしょ」

 そう言って赤茶色のポニーテールを揺らしながら呆れ顔をするのは、ウォルトの幼なじみで二歳年上のキャスだ。強気な性格に合った雷、火の魔法を得意とする魔法使いだ。魔法使いにしては珍しく戦闘中でもローブを羽織らず、動きやすい格好にとりあえず三角帽子をかぶるというなんちゃって魔法使いのような彼女だが、その魔法は討伐軍の平均以上の威力がある。彼女の父親のハリス、母親のジェスも共に後衛を努めており、実力は三人ともほぼ同等。

 五人とも、ヨウが指揮官をしていた頃に出会っていたらおそらく軍に勧誘していただろう実力の持ち主だ。

「大体だな、ヨウが放置気味だからシズクちゃんが暇で寝てばっかりになるんじゃないか?」

「あいつが寝てばっかりだから放置気味になってるんだ」

 その反論に、グバルは「あぁ、なるほど」と納得しながら腕を組む。

「でもあの歳で平和な世界からこんな世界に連れてこられたらそりゃあ色々大変よね」

「そーだなー」

 むしろアイツが俺達を連れてきたんだ、とは言えない。

「そーだなー、じゃないぞ。ヨウは兄貴なんだから、もっとシズクちゃんを気に掛けてやれ。今もきっと暇してるだろ。ここに連れてきてもいいんだぞ? なっ?」

「親父、シズクちゃんが親父の顔見ても怖がったり泣いたりしないからって……」

 シズクというのはティアの偽名である。髪色が一般的に知られているものと違うとはいえ、流石に顔までは変えられない。行く先々で騒ぎを起こすのは二人とも勘弁だったため、シズクという偽名と、ヨウの妹であるという設定を作ったわけだ。おかげで、ヨウは行く先々でグバルの言ったことと同じようなことを言われるハメになったわけだが。

「でもまぁ、確かに今日は夜まで暇だし、一回宿に戻ってみるかな」

 そう言って腰を上げたヨウに、ジェスが女性ながら男気溢れる笑みを向ける。

「シズクちゃんがまだお昼食べてなかったらウチにきなよ。私の料理は力がつくぞ」

「味はまた別の話だけどね」

 ボソッと呟いたキャスの頭を笑いながら軽く叩くジェスに頷いてからギルドを出ると、ヨウは早足に宿へ向かう。

 この小さな村でギルドの仕事はあまりない。実戦らしい実戦は、たまにある食料目的の狩りくらいで、後は近くの森に山菜や果物を採集しに行ったり、どこか別の町や村に行く時の護衛をしたり、畑仕事を手伝うくらいだ。実際、一昨日にこの村で宿代が払えない状況に陥って以来ヨウがやったことといえば、畑仕事の手伝いだけだ。

 一昨日、ギリギリ二人分の宿代を持ってキウト村へやってきたヨウとティアだったが、色々あって金がなくなってしまった。

 そんな時に提案されたのが、宿代分、ギルドの手伝いをすること。そして、三日後、つまり明日ある魔物討伐に参加することだった。出来ることなら早く旅を再開したかったが、金がないヨウに断る選択はなく、現在に至る。

「やっぱり一回レイリアに戻るかシアに連絡取るかして金持ってくればよかったな……」

 思わずそう呟いてしまうヨウ。討伐軍にいた際の貯金はシアが残しているはずだが、『金なくなったから帰ってきた』と言うのは情けなさ過ぎる気がして結局戻れない。

 宿が見えてくると、その近くで集まっている数人の子供が視界に入る。

 シジンの里のソウタ達より年下、四、五歳ほどの子供に囲まれているのは、ワンピースを着たティアだった。レイリアを出発した当初はコートと司祭服しか持っていなかったティアだが、行く先々で服を貰い、今ではヨウよりも遥かにバリエーション豊かだ。もっとも、比較対象であるヨウが、色違いの服とズボン、そして灰色のローブと黒のローブを一日ごとに変えるという無頓着ぶりなので、大抵の人は彼よりも服を持っているだろう。

「つまり、人影山で頻繁に目撃されていた人影の正体は、火と影を操ることの出来る小型魔物だったというわけ。新発見の魔物で正式な名称ではないけれど、私は火蜥蜴と呼んでいるわ」

「お姉ちゃんヒトカゲだらけで何言ってるか分かんない」

「まぁつまり私が言いたいのは、手のひらに乗るサイズの魔物とも言えない魔物に『お前は誰だ!?』と呼び掛けていたヨウの姿はとても間抜けだったということよ」

「へぇー」

 何やらとても失礼なことを言っている。確かに火蜥蜴は基本的に無害で臆病な魔物で、人影を作り出すのも、自分を大きく見せて身を守るためだったわけだが。

「あら、そんな間抜けなお兄ちゃんがあんなところに」

 ヨウに気付いたティアがそう言うと、彼女を囲んでいた三人の少年少女が振り向き、「間抜けだー」「甲斐性なしだー」「一文無しだー」と指を差す。その三つとも断固として否定できないあたりがなんとも悲しい。

「シズク、昼飯食ったか?」

 差された指を手で掴みながら訊くと、ティアは頷き、右手で腹部をそっと押さえる。

「でもあれだけじゃあ私のお腹は満たされないわ」

「その理解不能な大食いのせいでこんな状況になってるんだけどな」

「自分の計画性の無さを妹のせいにするなんてお兄ちゃん酷いわ」

 手で口元を隠し俯いて泣き真似をするティアを見て、少年少女から抗議の声が上がる。純粋な心を利用して人をからかうとは酷いおばさんだ。

 指を掴まれている手を大きく振って抵抗する子供二人から顔を逸らしてヨウは泣き真似を続けるティアを見る。

「ジェスが昼飯食いに来いって言ってたけど行くか?」

「行くわ」

 口元を押さえていた手をおろし、いつもの澄まし顔をするティアに、ヨウはしかめ面を向けてから子供の指を離す。

「じゃあ早く行くか。ご馳走になるんだし手伝いくらいはしないとな」

「殊勝な心掛けね。いいと思うわ」

「なんで他人事なんだよ」

 そんなやりとりをしていると、先ほどのように子供三人がティアを囲んだ。

「お姉ちゃん、ご飯食べに行くの? その後また遊べる?」

 一人が訊くと、ティアは「さぁ」と平坦な口調で返す。

「分からないわ。でも暇だったら村をぶらついているから、その時はまた遊びましょう」

 その言葉に子供三人は目を輝かせると、大きく頷いてから駆けていった。

 小さな背中を見送ってから歩き出したティアに並んでヨウは口を開く。

「子供好きなのか」

「どうかしら。でも、大司祭として好きであるべきだとは思っているわ」

「なんだそりゃ」

「たくさんの老人と子供一人が命の危機に晒されていたら私は後者を助ける。世界のことを考えればそれが正解だと思うから。だから老人よりは子供が好きよ」

 その言葉にヨウは少し顔をしかめた後、頭を掻きながら口を開く。

「他と比較した結果の好きってのは、俺はあんまり好きじゃないな」

「あなたには唯一無二の存在がいるものね」

 そう言って口元に笑みを浮かべるティアの表情がどこか悲しげに見えて、ヨウは返事をすることさえ忘れていた。それを気にした素振りを見せないティアの歩幅が少し大きくなったのは、空腹に耐えきれなくなったからか、それとも、深く訊いてくれるなという心の表れだったのか。

「ティアには家族とかいないのか?」

 しかし、ヨウは引かない。一瞬でも近付いたら離さない。だからこそ、彼は討伐軍内外で信頼を得てきたのだ。

 ティアもそんな彼のことはなんとなく察していた。それでも隙を見せてしまったのは何故だろうか。

「私も人の子だから両親はいるわ。この世界で生き延びているかは分からないけれど。兄弟は……少なくとも兄や姉はいなかったわね」

 大司祭という天命は記憶力を良くするのか、ティアは一歳になった頃に見た両親の表情や言葉を未だに覚えている。

「私が生まれたのは、ナズベキニア帝国にある、魔法使いのみが暮らすことを許される魔法都市マジュラムよ」

「魔法使いのみ?」

「えぇ。もっとも、あなた達地球人が来る少し前に魔物の襲撃があってほとんどの魔法使いは殺されてしまって、今は普通の都市として復興に向かっているわ」

「魔物の襲撃って……。その時様子を見に行ったりしなかったのか?」

「あなた達が来てくれた今でこそ僅かな余裕はあるけれど、あの頃は他にするべきことが山積みだったの。まぁ、暇でも行かなかったでしょうけど」

「なんでだよ? 親と仲悪いのか?」

「悪くはない、というより、私が親と離れたのはまだろくに言葉も話せない頃だから、仲も何もないわ。愛されていたとは今でも思っているけれど」

「じゃあなんで帰らないんだ?」

「あなた、本当に遠慮なしに訊いてくるのね」

「嫌なら止めるけどさ」

 ということは、ヨウから見た私は嫌そうな顔をしてなかったのね、とティアは口元に笑みを浮かべると、

「いえ。構わないわ。自分の昔話で悲しくなったり傷付いたりするような歳でもないもの」

 と言ってから、「でも」と顔を前に向ける。

「ジェスの家は間近よ。続きはまた次の機会にしましょう」

 ヨウが前を向くと、ちょうどジェスの家が見えてきて、窓から顔を覗かせていたキャスが二人に向けて手を振った。

 それから三十分後、五人が囲むには少し狭い食卓に所狭しと料理が並び、心無しかティアが目を輝かせている。

「今日は昼から特別豪勢だね……」

 と苦笑しながら言うのはハリスだ。料理も戦い方も豪快で男勝りなジェスとは対照的に繊細で身体が丈夫ではない彼は肉料理が苦手だ。しかし、今日の食卓に並んでいるのは、肉八割野菜二割という矛盾気味な野菜炒めに、濃厚なタレに絡められた食用蛙の照り焼き、ウシブタのステーキなど、食べ盛りのヨウやキャスから見ても重たい料理ばかりだ。

「珍しくお客さんがいるし、夜は一仕事あるからな! 今のうちに力付けてもらわないと!」

「むしろ動けなくなりそうなんだけど……。キャス、胃もたれに効く薬草ってまだあったかな?」

「まだ少しあるはずだよ」

「あぁ、あれなら料理に使ったぞ! 一緒に食えば一石二鳥だろ!」

「……お母さん、ちなみに薬草はなにに使ったの?」

「野菜炒めだけど」

「あれ熱加えたら効果なくなるんだけど。むしろすり潰して飲まないと余計胃に負担が……」

「……黙ってたら思い込みでなんともなかったかもしれないのに!」

「僕も知ってたけどね」

 苦笑を浮かべるハリスは、ふとヨウとティアの視線に気付き、少し照れたように笑い、

「ジェス、そのお客さんを待たせてるよ」

「おぉ、そうだった! それじゃあ食べよう!」

 その言葉を待ってましたと言わんばかりに大きく頷いたティアに、ジェスは歯を見せて笑った。

 コハルやティアと違い、食事中に話をすることが出来る三人と談笑しながらヨウは箸を進める。話の内容は、地球のことだったり討伐軍のことだったりと様々だ。討伐軍の話をすると、どうしても、ヨウの名がティノジアに知れ渡った黒炎竜討伐時の話になるのだが、ヨウとしては勝手に辞めて急に戻ってきていいとこ取りをしたようにしか思えないため、あまりこの話題を好んではいない。辞めた理由は言えないし、戻ってきた理由も言いたくないので話も広がらない。どちらかというと、誰もが気を遣うアカネの話題の方が好きだった。アカネのことを忘れずにいる人がいることは嬉しいし、ヨウ自身、アカネとの記憶を思い出すと楽しかったことだらけだから。

「実はこの村にもいるのよ。みんなから勇者って呼ばれてる人が」

 キャスがそう言ったのは、ジェスとティアの活躍もあり料理が殆どなくなった頃だった。

「勇者?」

 まだ料理にフォークを伸ばすティアの隣で聞き返したヨウに、キャスだけではなくハリスとジェスも頷く。

「もちろん天命が勇者ってわけじゃないんだけど、でも剣も魔法も凄腕だったんだよ。私達の師匠でもあるの。もう四年くらい前になるかな。この村に来た師匠に、私達は魔法を教えてもらって、グバルさんとウォルトは剣を教えてもらったんだ。師匠が来るまで村一番の剣士だったグバルさんはかなり悔しがってたけど、それでも師匠のことは認めてた」

 ヨウが知る限り、魔法も使える前衛は自身を除けばアカネとトドロキくらいしか知らない。

 近接戦闘を得意とする者は、イコールで魔力を戦闘魔力に変換するのが上手い。その代わりに魔力を魔法に変換することが苦手な場合が多く、その逆もまた然り。しかし、その苦手意識がアカネやトドロキには見られず、そしてアカネは能力自体がずば抜けていたため、先祖返り状態なら剣は周知の通りで、魔法も隊長格レベルのものを使えていた。

「……人の天命を訊くのってマナー違反だったよな」

 ヨウの言葉にキャスは頷き、

「でもいいんじゃないかな。どうせお墓見たら書いてあるんだし」

 そう言って両親に目を向けると、ジェスもハリスも同意するように首を振る。

 キャスはそれを見ると、ヨウに向き直ってから口を開く。

「師匠の天命は『魔法剣士』」

 その時、ティアの動きがほんの一瞬だけ固まった。それに気付いたのは、おそらくヨウだけだ。

「魔法剣士ローベルト。命を賭けてキウト村を守ってくれた英雄よ」




 魔法剣士とは、ただ魔法が使えるだけの剣士ではない。他の天命と比べて何よりも優れているのは魔力変換能力だ。魔法剣士ローベルトは、普通ならばとうに戦闘魔力が身体に馴染みにくくなり戦いから身を引く年齢ながら、自身に馴染みやすい戦闘魔力を作ることによって、前衛としても優秀だった。

 齢五十を超えてなお戦い続けた彼は、ある時、この村を襲った中型魔物が率いる軍勢を相手に最後は孤軍奮闘し、その命を落としながらも村を守り抜いた。

「魔法剣士ローベルト。英雄ここに眠る」

 村の近くにある小高い緑色の丘に置かれた墓石に刻まれている文字をヨウはゆっくり読むと、隣に立っているティアを横目で見る。

「知り合いだったのか?」

 ティアは、そう訊かれることを予想していたように「えぇ」と即答した。

「昔の知り合いよ。どこで何をしていたか知らなかったけど、まさかこんなところにいるなんてね」

「キャス達に教えてやらないのか? 家族がいるなら連絡した方がいいだろうし」

「この人にとって家族と呼べる人がいるのかまでは知らないわ」

「そうか」と残念そうに呟きながら、ヨウは墓石に向き直る。

「いい人だったんだな。誰も名前くらいしか知らないのにあそこまで信頼されてる」

「どうかしら。私が知ってるあの人はただの嘘吐きだったけれど」

 あなたと同じね、と付け足された言葉に、ヨウは同意も否定もせずに顔を逸らした。

「まぁ私にはどれもどうでもいいことよ」

 ティアはそう言うと踵を返して歩き出す。

「まーたどうでもいいって、それ口癖なのか?」

 その横に並びながら言うと、ティアは口元に笑みを浮かべた。

「ラキナやルキナにもそんな風に怒られたことがあるわ」

「別に怒ってないけどさ。投げやりだなって思ってるだけで」

「こう見えてやることはやっているわ」

「仕事放り出してここにいる奴が何言ってんだ」

「あなたも似たようなものでしょう。むしろ仕事なんかよりも大切なんじゃないかしら?」

 うぐ、と言葉に詰まるヨウを満足げに見てから、

「まぁ気持ちは分からないでもないわ。でも気を付けなさい。他人のことばかり考えていたら自分のことがどうでもよくなってしまうわよ」

「……それがティアなのか?」

 いえ、とティアは首を横に振る。

「自分のことがどうでもよくなって、他人のことも世界のこともどうでもよくなってしまったのが私。大司祭じゃなければニートにでもなっていたんじゃないかしら」

「なんか簡単に想像出来るな。この世界のトップとしていいのかこれって」

 呆れ顔をするヨウを見て口元に笑みを浮かべてから、ティアはそっと俯く。

 もっとも、大司祭じゃなければ普通の女の子として過ごしていたでしょうね。という自虐混じりの冗談は、ヨウ相手だと冗談で済まされそうにないので黙っておいた。

「いいのよ。私がこんなでも、大司祭としてしっかりしていれば誰も文句言わないんだから」

 しかし、代わりに口から出た言葉は、結局自虐混じりに、どこか愚痴っぽくなってしまった。

「ラキナやルキナに文句言われたんだろ?」

「あの子達は口うるさいのよ」

「そうなのか」

 ヨウにとって、ルキナは少し失礼な奴、ラキナは礼儀正しい姉、という印象しかない。

「そうよ。だから普段からなるべく大司祭をやってるんだけど、今だけは別。なにもかもどうでもいいティアクリフトさん十歳でいさせてもらうわ」

「今更な宣言だな」

「これからもっとぐうたらするための宣言よ」

「今すぐ取り消せ。それで大司祭に戻れ」

「嫌よ。二週間後に戦いで死ぬかもしれないのだから、それまでくらいは私のままのんびりしたいもの」




「なんて言ったものの、何もすることがないとそれはそれで退屈ね。もう寝るのも飽きてしまったわ」

 翌日、宿の部屋で昼食を食べていると、ティアがそんなことを口にした。

 昨晩にギルドの手伝いで出掛けて帰ってきたのは明け方。そして先程目を覚ましたばかりのヨウからすれば、思わず口元がひきつるほど贅沢な悩みである。

「なら夕方からの魔物討伐一緒に行くか?」

 朝食兼昼食のトーストを食べながらヨウが言うと、ティアは「嫌よ」と即答した。

「私は私の楽しいことだけをしたいわ」

「お前本格的に駄目人間化してないか?」

「気のせいよ」と、しれっと返したティアは、三杯目の白米を食べながらヨウを箸で指す。

「それに、そういうあなたも大した戦闘のない旅で腕が鈍ってるんじゃないの? たかが小型魔物の群れに、あのメンバーで戦って明け方までかかるなんて」

 その言葉に、ヨウは咀嚼しながら「うん?」と片眉を上げる。

「言ってなかったっけ? 目撃情報のあったオルフの群れは結局見つからなくて、一応明け方まで周辺を見て回ってたんだよ」

「聞いてないわ。だってあなた帰ってきたらいつもすぐに寝ちゃうじゃない。私のこと全然構いもしないで……」

「倦怠期突入した夫婦か。てかティアも寝てただろ」

「枕をイエスにして待ってたのに……」

「詳しいな、おい」

 そんなやりとりをしながらも白米を平らげたティアは、やりきったように小さな息を満足げに吐くと、ヨウに顔を向ける。

「それで、結局見つからなかったの?」

「ん? 何がだ? 夫婦の愛か?」

「そんな曖昧なもの探すだけ無駄よ。そうじゃなくて、魔物の群れの話」

「あぁそっちか。見つからなかったな。結構な数の魔物がいた痕跡は確かにあったから、狩り場を変える最中ここらに寄っただけじゃないかって話になった。ここを狩り場に決めたなら、縄張りに見張りの魔物すらいないなんてことは有り得ないだろうし」

「そう」と短く答えたティアは、空の茶碗を持って立ち上がり、テーブルの上に置かれたご飯釜の前に立つ。

 おかわり自由でよかった、と思うヨウの心など知らないティアは山盛りの茶碗を手に満足げな表情で席に着く。

「でも確かに規模の大きな群れみたいだからな。今日はどうなるか分からないけど、明日から念のために村周辺の見回りをするってさ」

「それが賢明ね。まぁ私達には関係ないことだけど。どうせ明日には村を出るんでしょう?」

「あぁ。ミカツギ村にいる中型魔物を一人で倒せる戦士ってのも気になるしな」

「中型魔物ね……。悪くないけど、大型や人型を一人で倒せるくらいの即戦力が欲しいわね。今のところ私とあなたぐらいでしょう? 討伐軍の隊長格や二大ギルドの長なら相手によるって感じかしら」

「おぉ、なんか大司祭っぽいな」

「……まぁどうでもいいけれど」と照れ隠しに言ってから、ティアは小さく溜め息を吐く。

「駄目ね。すぐにこういうことを考えてしまうのは職業病なのかしら。せっかくの長期休暇なのに」

「自然に考えちまうなら職業病でもなんでもなくそれ含めてティアなんだろ」

「なるほど。休みたい私と仕事のことを考える私はどっちも私自身。つまりアナタは『お前の存在マジ矛盾』と言いたいわけね」

「そのひねくれた思考はなんなんだよ」

 ヨウの呆れた視線を受けながら、ティアは早くも四杯目のご飯を完食した。

「なぁティア」

 五杯目をよそってきたティアに、ヨウが呼び掛ける。

「なにかしら。あなたが何を言おうと私は食べることをやめないわ」

「ティアといいコハルといい、特殊な天命の奴の食に掛ける情熱は何なの?」

 そういえばアカネも結構食べるほうだった。ユタカやヨウ自身は普通だが。

「コハルって、あのボインの子ね」

「今初めてジェネレーションギャップを感じた」

「同じくらい食べるということは私も将来ああなるのかしら」

 ティアは箸をくわえながら、最近膨らんできたらしい胸に目を落とす。

「俺に聞かれてもな。でもニコールも結構食うからな……」

「マキシムの長ね。これはいよいよ将来が楽しみになってきたわ。今、私の生きる理由が出来た」

「なんつー悲しい人生だ」

 ティアと会って以来、これが真顔なのではないかと思ってしまうほど浮かべてきた呆れ顔をしたヨウだったが、すぐに本来の話を思い出して、

「そんなことより」

「なにがそんなことなのかしら。私にとっては人生の重要事項よ」

「……お前といると話が進まない」

「進めないようにしているもの」

「なんでだよ。嫌がらせか」

 顔をしかめるヨウに、ティアが箸を止めることなく口にした答えに、

「嫌な予感がするから」

 思わず、ヨウの表情が固まる。

「ほら当たった。あなたって分かり難いようで分かり易いのよ」

 口元に笑みを浮かべて言うティアに、ヨウはしかめた顔を逸らした。同じようなことを、いつだか誰かに言われた気がする。

「なんとなくだけど予想も付いてるから遠慮なく質問していいわよ」

「ローベルトってティアの父親か?」

「ふふ。本当に遠慮ないわね」

 目を細めて笑うティアを、ヨウは黙って見つめる。

「えぇ、そうよ。同名同天命の人物でなければね」

「ローベルトさんは一人娘がいるって言ってたらしい」

「……昨日私が言ったことが気に掛かっているのね」

 その言葉にヨウは僅かに目を見開いてから、素直に首を縦に振った。

『愛されていたとは思うけれど』

『この人にとって家族と呼べる人がいるのかは分からないわ』

 失言だっただろうか。まぁどちらにせよ、ティアにはどうでもいいことだ。

「そういえば昨日は途中で終わらせてしまったんだったわね。いい機会だし、続きを話しましょう。ところで、あの人、奥さん……私の母親のことは何か言ってたかしら」

「……別れたって」とヨウが言うと、ティアは気にした様子もなく「やっぱりそうなの」と呟いた。

「知ってたのか?」

「知らなかったわ。予想はついていたけどね」

 そう言って、ティアは三十年ほど昔のことを話し始める。

「昨日言ったけど、私が生まれたのは魔法都市マジュラム。父の名はローベルト、母はミーシャ。天命はそれぞれ『魔法剣士』と『雷魔法使い』。マジュラムは魔法使いしか住めないところだから、二人はローベルトの天命を周りに隠して暮らしていたのでしょうね。それを赤ん坊だった私がバラしちゃってお終い。私はすぐに大神殿に引き取られたけれど、まぁ結末はそんな感じだろうと思っていたわ。ミーシャはマジュラムでも有数の名家の生まれだったし、時代錯誤な住人が駆け落ちなんて許さないでしょうから。子供の頃、神官に親のことを聞いたらミーシャと知らない名前を答えられたことがあったから、おそらく再婚したのでしょうね。今度はちゃんと魔法使いと」

 そう言うと、ティアは自嘲的な表情を浮かべる。

「家庭を壊したうえに何十年も会ってない人間をまだ娘だと思っているなんて、眉唾物だと思っていた親の愛というのも馬鹿に出来ないわね。もっとも、妻に捨てられて子供に依存していただけかもしれないけれど」

「……そのひねくれた思考はなんなんだよ」

「客観的見解よ」

「家族の話をする時くらい主観でいいと思うけどな」

「主観で語れるほどの経験がないもの」

 その答えにヨウが思わず口を噤むと、ティアが小さく笑う。

「それに、他人のことに構っている余裕があなたにあるのかしら」

「他人じゃないから構ってんだけどな。設定みたいに兄妹とはいかなくても、一緒に戦う仲間ではあるだろ」

「そうね。でも、あなたとしては私がこのままでいた方が都合良いんじゃないかしら。何もかもどうでもいいティア。ティノジアを第一に考える大司祭ティアクリフト。どちらかが少しでも変われば、あなたのこともどうでもよくなくなるかもしれないわよ」

「その時はその時だし、もし変わったとしても、ティアは今と変わらないと思ってる」

「……矛盾してるわ」

「そう思うんだから仕方ないだろ」

 そう言って笑うヨウを見てから、ティアはゆっくりと立ち上がり、ご飯釜を開ける。

「あら」

 たくさん入っていたご飯は、いつの間にかあと一杯分しかなくなっていた。




 日が沈み、辺りが薄ら闇に包まれた頃、ヨウは、ジェス以外の四人と村から離れたところにある洞窟へ来ていた。夕方には村を出た面々だったが、昨日のこともあり、見回りをしながら遠回りをして来たため、こんな夜になってしまったが、元々魔物が眠っているところを狙う作戦なので問題はない。

「ここがその魔物がいる洞窟か?」

 茂みから顔を出してヨウが小声で問うと、グバルとウォルトが頷く。

「あぁ。敵は虎型の人獣。多分、四年前に村を襲った奴だ。ただし、悪魔化の兆候があるらしい」

 グバルの言葉に、ウォルトとキャス、ハリスの表情に緊張が走る。彼らは、悪魔化した中型魔物を相手にするのは今回が初となる。

「しかも、身体もかなりデカくなってやがる。五、六メートルはあるぞ」

「人獣タイプの魔物としては最大級だな。武器を持ってないにしても、間合いに入るのは難しそうだ」

 ヨウの言葉に、前衛二人は頷く。例えば、討伐軍の隊長格やスピードのある隊員、ニコールやノブユキのような者であれば可能だろう。しかし、グバルとウォルトはともにパワータイプ。パワータイプと言われて浮かぶのはガイアだが、彼女は万能なうえに攻撃力がずば抜けて高いだけなので参考にならない。

『ローベルトさんの仇は俺達に取らせてくれ』

 その言葉により後衛に徹することになっているヨウだが、話を聞く限り、かなりヤバそうな相手だ。気持ちは分からなくもないが、敵の動き次第では、即行動することをヨウは心に決める。

「食い止めてくれれば私達が魔法で決めるわ」

 と言うキャスだが、おそらく彼女やハリスの魔法で悪魔化中型魔物を一撃で倒すことは不可能である。どんな事故が起こるか分からない戦場で、戦いが長引くことは避けるべきだ。昔と比べれば大分余裕を持って使えるようになった黒の障壁も、消費魔力が減ったわけではないのだし、ジリ貧になるようなら初めから全力でかかりたい。ここにいるのが討伐軍なら間違いなくそうするだろう。だが、ここにいるのはギルドのメンバーだ。自分達の手には余るかもしれない人獣の討伐を軍に頼まないのも、ローベルトのことがあってのことだろう。そういう個人的な感情を何よりも大切にするのがギルドだ。

「ハリス、光魔法を頼む」

 グバルの声に、ハリスは胸の高さまで上げた手を空に向けて光の玉を作り出す。ふわふわと空に浮いたそれは五人の頭上で止まった。

「よし。じゃあ行くぞ」

 茂みを出たグバルに、ウォルト、キャス、ハリス、ヨウの順で続く。洞窟は入り口こそ広いものの奥に行くにつれて狭くなっているらしく、人獣は入り口から三十メートルほどの場所にいるのではないかと予想される。

 洞窟内で暴れて崩れでもしたら危険なので外におびき寄せて戦うことになっているが、四年前、多数の小型魔物を率いていたことを考えると仲間を呼ぶ可能性もあるため、最悪分かれて戦うことになる。

「……ちょっと待て」

 ヨウの言葉に、四人は足を止めて振り返る。

 彼の視線は、足元に向けられていて、そこには無数の足跡が残っていた。大きさからして小型魔物のものだが、地面に隙間無く残る足跡を見ればかなりの数であることが予想される。

「魔物同士の争い?」

 キャスの呟きに、ハリスが首を横に振る。

「いや、争ったような痕はない。どちらかというとここらに集まっていたような感じだね」

「どの足跡もまだ新しいよね」

 ウォルトが言うと、グバルが顔をしかめて洞窟に目を向ける。

「中にいやがるのか?」

「いや」と否定したのは、いつの間にか少し離れていたところに立っていたヨウ。

「少なくとも人獣はいないな。外に出た足跡が残ってる」

「なに!? あのタイプの魔物に夜動くような習性はなかったはずだぞ!?」

「人獣は知恵が回る。それが何も無しに魔物を集めて夜に行動するはずがない」

 そう言って、ヨウは真っ直ぐに洞窟を見る。

「中に人獣がいなければ、即行で村に帰る。」

 四人は目を見開いてからゆっくりと顔を合わせて頷いた。




「ここからあなたは何を見ていたのかしら」

 星空の下、小高い丘で墓石の背にもたれかかって空と景色を眺めていたティアがそっと呟いた。

 当然、返事はない。この世に幽霊というものがいたとしてもティアには見えないのだから。それに、見えたとしても、それがローベルトであると分かるだろうか。ティアの記憶に存在する彼は二十代前半の青年とも言える姿。五十を過ぎれば白髪もあるだろうし、老けているだろうし、もしかしたらぽっちゃりしているかもしれない。

「まぁ、どうでもいいけれど」

 そう呟き、目を閉じて後頭部を墓石に付ける。彼が好きだったという丘。ここからは村が一望出来て、そしてその向こうの山中には――。

 目を開くと同時に、ティアの眉間に皺が寄った。村を超えた遥か先にある高い山との間で、数え切れないほどの影が動いている。

 彼女が人差し指を立てると、そこに青い炎のようなものが現れた。淡い光を放つそれは、視認出来るほど濃縮された彼女の魔力だ。その指を、コンタクトレンズをいれるように左目に近付けると、魔力は彼女の瞳に宿る。

「……あの人達は何をやっているのかしら」

 無関心な表情のまま呟いたティアの左目には、大量のオルフ、そしてそれを率いている巨大な人獣が映っていた。

 それと同時に、早くも消灯していたキウト村の民家の灯りが次々に点いていく。どうやらジェスか誰かがこの事態に気付き、他の村民に知らせたようだ。

「……運が良かったわね」

 ティアはその光景を見ながら静かに呟く。

「この世界を統べる大司祭として、小さな村のために自らを危険に晒すわけにはいかないわ」




 ヨウ達五人は、来た道を全速力で戻っていた。魔物の足跡は最短距離でキウト村へ向かっている。見回りをしなければ、間違いなく鉢合わせていただろう。その方が良かったことは言うまでもないが。

 林を抜けて草原に出ると、キウト村がある方角の空が赤く染まっていた。

 炎だ。それも、村を飲み込むほどに大きな。

 焦燥の表情に絶望が浮かび、すぐに怒りに染まったグバルは無言のまま歯を食いしばり、更に速度を上げる。他の四人も怒りではなく焦燥の表情を浮かべたまま足を早めた。

 その瞬間、村の中心、その上空で、何かが微かに光ったかと思うと、夜の闇に、まるで雲間を裂くように強烈な光が降り注いだ。それはキウト村だけでなく、周辺まで光に染める。

 降り注ぐ光を村の中心でその身に浴びていたジェスと村人達は、眩しい光の中でも目を大きく見開いて空を見上げていた。

 村を囲む炎の赤、空から降り注ぐ光の白をものともせずに青色の輝きを放っているのは、ジェスや村人にとっては異世界からやってきた少女でしかないシズクだ。しかし、いくら服装が白いネグリジェであろうと、その髪を見れば、彼女が何者であるかを察するには十分過ぎる。魔物襲撃の知らせを受けた時、彼らは口に出そうが出すまいが誰もが助けを求めただろう。だが、誰が彼女の助けを想像しただろうか。

 ということは、とジェスは村を囲む炎に顔を向ける。この光は、大司祭のみが使える『浄化魔法』なのだろうか。だとすれば、今頃炎の向こうは……。

「あら」

 と、小さな声が上から聞こえた瞬間、炎を裂いて巨大な手と爪が振り下ろされた。

 炎の裂け目から姿を見せたのは、虎顔の人獣。その色は、四年前の黄色に黒の網模様ではなく、黄色は黒へ、そして黒は白色へと変化して、耳の横に二本の角を生やし、背中には黒炎竜のような黒く刺々しい翼を広げた姿だった。炎を裂いた爪は人くらいならば輪切りにしてしまいそうなほど鋭く伸びている。

「やっぱりあなたは消えないのね」

 そう呟いたティアに、人獣は顔を向けると膝を大きく曲げて地面を蹴った。

 その体格に似合わない速度で一気に距離を詰めた人獣に、ティアは掌を広げた右手をそっと前に出す。

「ここで戦う気はないの」

 瞬間、人獣は豪風に身体を押される。翼を大きく広げてなんとか耐えているものの、少し気を抜けば、その巨体ごと吹き飛ばされそうな風は前進することを許さない。

「あら。これに耐えられるの」

 感心するように言ってから、ティアは左手を上げて、そっと右手に重ねる。

 今までの倍近い勢いの豪風に、なす術なく村の外まで吹き飛び地面に叩きつけられた人獣の近くにティアが現れて、ゆっくりと辺りを見回した。

 つい先程まで村を囲んだ炎に向かって吠えていた小型魔物の姿は一体も見当たらない。

「あなたも浄化魔法で消えていれば痛みを感じずに済んだのに」

 ティアがそう言って顔を前に向ける。人獣はゆっくりと起き上がると爪を尖らせた両手を広げ、怒りを解き放つよう天に向かって咆哮をあげた。

「怒っても駄目よ」

 口元に笑みを浮かべながら、ティアは両手を真横に伸ばす。その掌の数センチ上には、それぞれ青と赤の小さな球体が浮いている。

「でも、泣いても駄目よ」

 それだけでは終わらない。緑、黄、茶、白の球体が、ティアの身体を囲むように現れる。

「何をしても駄目。無駄なの」

 吼えながら突撃してくる人獣に、ティアは左右の人差し指と親指で三角を作るように両手を前に出す。

「だから、せめて痛みを感じるまでもなく殺してあげる」

 計六個の球体が、人獣に向けて飛び出す。人獣は咄嗟に避ける素振りを見せたが、ティアの言うとおり、何をしても無駄だった。

 人獣が避けようとした瞬間、白の球体と青の球体が軽く触れ合う。たったそれだけで、小規模な、しかし高威力の爆発が起きた。それは他の球体をも巻き込み、爆風があっという間に人獣の身体を包んでいく。

 濃縮された強大な魔力同士が触れ合うことにより巻き起こる爆発。それは、場合によっては通常の魔法よりも強力な攻撃になる。もっとも今回の場合、人獣の身体はどちらにせよ跡形もなくなっていただろうが。

 ふぅ、と小さく息を吐き、風に揺れる青色の髪を押さえながら、先程まで人獣がいた場所、爆発をなぞるように剥き出しとなった地面を見る。

 身体の力を抜き、彼女の髪色が普段通りの白に戻った時、背後で物音が聞こえて振り返ると、そこにはニヤニヤと笑っているヨウと、その後ろで目を見開いて放心状態のグバル、ウォルト、キャス、一人苦笑しているハリスがいた。

「今はのんびり過ごすんじゃなかったのか?」

 ヨウの言葉に小さく鼻を鳴らして、

「私にだってどうでもよくないことくらいあるわ」

 そう言うと、ティアは他の四人に顔を向ける。

「ごめんなさい。あなた達の師匠さんの仇、私が代わりに倒してしまったわ」

 ヨウは、大司祭に謝罪され、狼狽して言葉に詰まる四人を見て笑みを浮かべながら、小さく「代わりじゃねーじゃん」と呟いた。




 翌朝、肩と腰に袋を下げたヨウは、キウト村ギルドメンバー五人とともに、笑顔を浮かべた村人達に囲まれているティアを見ていた。麻色のローブに身を包んだティアは、いつも通り無関心で無愛想な表情で一言二言口を開く。

 村を囲む形で焦げ痕が残ったものの、人や村に被害はなく、こうして無事に朝を迎えることが出来たことをまだ夢のように思っている村人もいるはずだ。

 そんな者が、ここにも一人。

「……シズクちゃんが大司祭様だなんて、まだ信じられねぇや」

 グバルの言葉に、キャスが鋭い視線を向ける。

「グバルおじさん、大司祭様のことシズクちゃんなんて呼んだら駄目よ」

 その言葉に反応したのはヨウ。

「いや、ティアはどっちでもいいと思うけど……」

「ヨウもよ! 兄妹っていう設定上少しくらいの失礼は仕方ないと思ってたけど、あんた普通に失礼しまくってるじゃない! 呼び捨ても駄目!」

「えー……」

 キャスに指を差されて顔をしかめるヨウを見て、ハリスとジェスが笑う。

「まぁまぁ、キャス。お忍びの旅なんだし、ヨウが堅苦しい言葉を使って目立つのもよくないよ」

「新聞読んでる奴ならヨウのことも絶対に分かるからなぁ」

 キャスが「うぐ」と喉を鳴らし、ヨウに向けて伸ばしていた腕を下ろすと、タイミングを見計らっていたのかウォルトが口を開く。

「ヨウ達はこれからどうすんの?」

「とりあえずアガレス王都に行ってみるつもりだ」

 ミカツギ村に直行、と言いたいところだが、王都である程度所持金を増やさないと心許ない。

「そっか」とウォルトが返した時、村人達が左右に避けて出来た道をティアが歩いてきた。

「ヨウ、そろそろ行きましょ」

「そうだな。出来れば今日中に王都まで行きたいし。ティアが転移魔法使ってくれれば一瞬なんだけどな」

 その言葉に、ふいっと顔を逸らして歩き始めたティアを見てヨウは顔をしかめる。しかし、これ以上何か言えば、隣で不機嫌オーラを放っているキャスに文句を言われること間違いなしだ。

「……まぁ仕方ないな。途中の村に転移魔法使える奴がいればいいけど」

 ヨウは呟きながら、ティアの横に並んで、村の入り口まで歩く。

 焼け焦げた地面の手前でヨウが振り返ると、キウト村ギルドのメンバーと村人達が二人に大きく手を振っていた。

 それに片手を上げて返してから、隣のティアに顔を向ける。

 ヨウにつられて振り返っていたティアは、その視線を受けて、肩の高さまで右手を上げると小さく左右に振った。



「歩くの疲れたわ」

 村が見えなくなると同時にティアが口にした言葉に、ヨウは顔をひきつらせる。

「これから走ろうってとこなんだけど……」

「あら。ちょうどよかったじゃない」

 そう言って両手を上げるティアに溜め息を吐いてからヨウはその場にしゃがむ。

「大司祭様を背負えるなんて光栄なことよ」

 そう言いながら背中に負ぶさるティアに、ヨウは膝を伸ばしながら苦笑を浮かべた。

「そういや、キャスにも俺は失礼過ぎるって言われたな」

 よっ、というヨウの声に合わせてティアの身体が軽く浮く。

「いっそのこと設定変えるか? どっかのお嬢様と従者みたいなのにすれば不自然でもないだろ」

「あなたに従者役が務まるとは思えないし、何より今の私はなにもかもどうでもいいティアだから。礼儀なんてどうでもいいわ」

「どうでもよくないこともあるんじゃなかったのか?」

 ヨウが地面を蹴り出しながら訊くと、ティアはどうでもよさそうに「あぁそうだったわね」と呟く。

「じゃあこれからは、空腹以外はどうでもいいティアちゃんと名乗ることにするわ」

「お嬢様役は難しそうだな」

『この村がなくなったら私にご飯を作ってくれる人がいなくなっちゃうじゃない』

 ティア曰わく、それが魔物を倒した理由で、ヨウも追求せずに『あぁそうか』で済ませたのが昨晩の話になる。

「そういえば大神殿に顔見せとかなくていいのか? せっかく近くまできたんだし。あの山の向こうだろ?」

「いいのよ。というか、家出娘がそんな軽いノリで帰れるわけないじゃない。帰ったら最後。ラキナとルキナの捕縛魔法に捕らえられるわ」

 ヨウの頭にとある老婆が浮かび、力無く笑う。

 それからしばらく、ティアと同じく黙って草原を駆けていたヨウだったが、突っ切ればアガレス王都への近道となる森が見えてきた時、口を開いた。

「なぁティア。空腹のこと以外は相変わらずどうでもいいんだよな?」

「えぇ。これ以上例外を増やす気もないわ」

 淡々と返された言葉にヨウは苦笑してから、「ならさ」と小さく言う。

「一つだけ頼みがあるんだけど、聞いてくれるか?」

 ティアがその問いに答える前に、二人の背中は森の中へと消えていった。




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