二日目・続
「……」
モールに入ってから少女はひどく退屈そうに店を回った。
後から聞いた話だが、原因は私にあるらしい。なんでや。
しかし寂れたショッピングモールだな。夏だからまだ活気があるとは言え、やはり閉店寸前なのは見て取れる。
「なんでそんなに退屈そうなんです?」
「そっくりそのままお返しします!」
ははぁ、なるほど。
「私が退屈そうだからそちらも退屈と」
「はい。楽しみ方が分かりません」
正直に答えられても困る。それにどう楽しめばいいかは私も分からない。
目的もなしに、物珍しさ目当てに来たのは間違いだった。
「そうだ、従兄弟に土産を買うことにしよう」
「それ、お土産って言うんでしょうか」
「言います。私が言ってますから」
それを目的にすればいい。そうすればある程度退屈じゃなくなる。
土産はなんにするか……まぁ順当に酒だろうなぁ。私も呑みた――いや、私は未成年だし? そのへんのことは、ちゃんと、守るよ?
「ここは裏をついて育毛剤を……いや、市販では売ってないか」
「頭のことをいびるのはやめましょうよ……」
「そうですよね、よくよく考えれば私になんのメリットもありませんし」
「メリットとかの話ではなく――」
「まぁメリットとかシャンプーちゃんとしてたのに禿げたらしいんですが」
「やめませんか!? 会ったこともないのに従兄弟さんが可哀想に思えてきました!」
「実際彼女もいない可哀想なやつなので」
「そ、そうですか……」
訝しげな視線を私に向けて、少女は首を傾げた。
「そういえば……」
「なんです?」
「恋人は、いないんですか?」
「あー」
いない、って答えるべきなんだけど。
どうやら墓穴を掘ったか。彼女いない従兄弟を可哀想呼ばわりしといて自分にも恋人がいないんだったら、自分も可哀想なやつになる。
「恋はしてます」
「そうなんですか……」
だからこの回答は苦肉の策だ。本気出せばなんとかなるよということを示すための。
「いいんですよ、私は。まだ若いんだから」
だからその「言い訳してる」みたいな目で見るのやめてください。
「こほん! そんなことより、どうです。土産選びに付き合ってくれませんか」
「はい、喜んで!」
◆◆◆◆◆◆
上の階で浴衣なんて売ってるんだなー。知らなかった。この時期限定だろうか。……今度買いにきてもいいかも。
「で……結局、お土産はお酒のおつまみで決まりなんですね」
「従兄弟がスルメスキーでして」
なんでも未成年だけじゃお酒が買えないようになったらしく、少々値の張る日本酒は買えなかった。出費を抑えられたと考えよう。
「そういえば、何か欲しいものはありませんか? おごりますよ」
「いえ、そんな! 一緒にこうしていられたので満足です」
「あはは、それは結構なことで……」
少し前、私に対する警戒心はなくなった、と言ったが。
肝心の私はと言うと、警戒心こそないものの……彼女に対する疑問が溢れんばかりに貯まりつつあった。
友達というものに……あまりに疎いのではないか。私自身友達が多い方ではないが、それにしたってこの少女は、友というものに、少し喜び過ぎているように思えた。
「……そろそろ戻りましょうか。バスがなくなる」
でもその理由を聞くのは、まだまだ先のことになりそうだ。
◆◆◆◆◆◆
「あの」
来た道を引き返していく途中、少女は唐突に口を開いた。
だんまりに耐えきれなくなったのだろうか。
「今日は――」
「お礼を言うには早いですよ」
頭を下げようとした少女に静止を呼びかける。
なんというか……まだ早いだろう、あんまりにも。本日のスケジュール、その大目玉はまだ終わってないんだから。
それに、お礼を言われるようなことは一つもしていない。
「ささ、急ぎましょう。夕暮れまであと幾許もない」
だからせめてもの、これから見せようとする風景は、恐ろしくつまらなかったであろう今日一日を、できる限り綺麗に終わらせるための演出だ。
「待ってください、疲れました……」
「ご安心くださいな、夕日を見れば吹き飛びます」
「さ、さいですか……」
ああもう、本当はいっそのこと、この場で思い切り謝罪して、逃げ出したい気分なのに。
それほど私は今日のエスコートに自身がなかった。この土地を知り尽くしているなど、とんだ慢心だった。なんと恥ずべきことだろう。私は……私は、お願いも充分に果たすこともできなかったんだ。
ああいっそ、逃げ出せたらどんなにいいか。だけど自分から提案したんだ。それに思ってしまったんだ。
この子と一緒に、あの夕日を見たいって。
「さぁ、もうすぐですよ! fight!」
「い、一発……」
◆◆◆◆◆◆
やっとの思いでたどり着いた高台から臨む海は、すっかり人がいなくなっていた。
波の音さえもが、寂しげな静けさを知らしめている。
水面は少し影のように暗がりを作り出していたが、空はまだ明るい。
「ははは、間に合いましたね……」
「はい……なんとか……」
間に合った、なんとか間に合った。ベストタイミングだ。
「ごめんなさい。人がいない朝の海は、これの数倍綺麗なんですが……」
もうじき日が沈むと思うと、私はなぜだか焦り出して、あたふたと言葉を口から零していく。
「今日一日、きっと退屈したでしょう? 申し訳ない、こんな私が案内人を買って出るなんて。少しくらい勉強しておけば良かったです。朝も申し訳なかった。綺麗なものを見せることも叶わず、その挙句海の家で昼食などと……きっと、ひどくつまらなかったことでしょう?」
ああだけれども。
申し訳ない気持ちで、いっぱいだ。
「それでも、これは私の意地です。最後の最後はいい思い出であって欲しい! この何もない田舎で――何もないからこそ美しい景色を……あなたと共に眺めて、ようやく今日を終わりにしましょう?」
頬を指す山吹色の光を感じて――
私達二人は、ハッとしたように海を見た。
「…………――綺麗」
その一言に。
「ありがとう」
思わずほろりと来たのは内緒だけど。
零れた雫を忘れてしまうほどに。
それは不思議な時間だった。
海は、空は、赤く朱に燃えて。あんなに天高かった太陽が、まるで勢いを沈め――まるで私たちを見つめているような錯覚に陥った。
そこには得も言われぬほどの力があって。広大な、広大な、ひたすらに大きな「何か」が、全身を駆け抜けていく。
太陽は、ゆっくり、ゆっくりと、海の向こうに沈んでいく。
嗚呼――太陽は、こんなに早く沈むんだ。
愛しそうに見つめていたろうか? 私はふと、掌に他人の体温を感じて。
避けようとした頃にはすでに遅く。私の指は、白魚のような細く白い指と結ばれていて。
気が付くと、隣の少女は頬を一筋濡らしながら、おもむろに私の手を強く握っていた。
「行かないで……」
嗚呼それでも、なんて残酷なんだろう。時は進む。太陽は――私達が思うよりもずっと早く、沈んでしまうのだ。
辺りが本格的に暗くなり初めたころ、二人ともようやく我に帰った。
「はは、泣いてるんですか?」
「嫌味ですね。悪いですか」
「いいえ、悪くない。この景色にはそれだけの力があるのですから」
繋いだ手をそのままに。私は空いた手を、繋いだ手に重ねた。
「今日はありがとう。私の方こそ楽しかったよ。……ここにいる日が長く苦しいのなら、私で良ければ会ってやってほしい」
「はい……!」
「私達は――もう立派な友達だ」
その日最後の思い出に、私は少女の、意外そうな顔から、驚きに変わり――それから映した、満面の笑みを刻み込んだ。
「また会いましょう!」
「ええ。きっとまた、会いましょう」
◆◆◆◆◆◆
「遅い!!」
「も、申し訳ない……」
「全く……人に心配させるなよ……今朝も言ったろう、俺は心配症なたちなんだ。遅くなるなら連絡の一つくらい……まぁいい。帰ってきたんだからな! 飯だ飯!」
帰宅した私を出迎えたのは激昂した従兄弟であった。全く以て無粋である。ちなみに上のは説教の最初と最後を切り取り貼っ付けたものである。実際はこの間に五分を超えるお小言が挟まれている。
とは言っても――肝心な私にとっては、馬の耳に念仏もいいところだった。諺には詳しくないのでその表現を用いたが、要するにほとんど耳に入ってこなかった。
最後に握った手の感触が、未だに離れてくれない故である。
ぷりぷり怒った従兄弟は夕餉の準備を一人げに済まし席に着く。
そして、呆ける私にやっと注意がとんだ。
「これ。何がどうしたぼさっとして。さすがにそれはらしくないぞ」
「じゃかましい、感傷に浸る時くらいあるさ」
「ほーう、感傷にねぇ」
「何がおかしい」
「いや? いいことがあったんだなぁと思っだけさ」
従兄弟はニヤリとして言った。どうやらコイツの手にかかればなんでもお見通しのようだ。
「とにかく! 食べるぞ。夏なんだ、早くしないと腐っちまう」
「ふむ。それでは――」
「「いただきます」」
従兄弟の料理、私は好きだったりする。ものによっては大味と繊細な味とが対照的だったりするのだが、それでもうまいもんはうまい。
「どこ行ってたんだ、今日は」
「説教中に言うたろう」
「言うてないぞ」
「そうか。海に行ってたんだ」
「海に? はてな、いたっけか……」
「来てたのか?」
「いや、よく考えたら俺は今日家から出てなかった」
「この引きこもりが……」
「職人気質なのさ」
ひょいひょいと飛ぶようにおかずが消えていく。二十歳を超えるというのにこの食欲は大したものだ。
「それにしても……随分楽しんだようだな。朝から晩まで海にいたのか?」
「いや、途中からモールに」
「ふーん」
興味なさげに従兄弟はビールを注ぐ。
「ま、はしゃぐのはいいがあんまり遅くなるな。で……明日なんだが」
酒を薦めてきたのでやんわり断る。
「どっか行きたいとこあるか?」
「逆に聞くが行くところあるのか?」
「あー……」
歳上の酌を断るとは何事だなんてことを言いたそうに従兄弟は缶ビールを引っ込める。
「車ならある程度は遠出できるからな。温泉とかプールなら」
「そうじゃなくて……この田舎特有の何か……」
「特有のか……そう言われると悩むな」
結果として、従兄弟は一人ちびちび飲むハメになった。
「ほら、このあたりはバスが少ないだろう? 外出するにしても、時間制限が強すぎて困る」
だから歩いて行ける距離か、長い間時間を潰せる場所でないと。私がそう付け加えると、従兄弟の箸が一旦止まる。
「……なぜそんなことを気にする。いつもなら外出めんどいーとか言い出す筈なんだが」
「理由なんてどうだっていいじゃないか」
はてな、と首を傾げ、従兄弟は一旦箸を置く。
「じゃあ理由は聞かないこととして。明日は一つ、めぼしいところを回ってみるか?」
「うん、頼めるかな」
「お安い御用だ」
ふむ。明日は中々忙しい日になりそうだな。
◆◆◆◆◆◆
「ふーむ」
「なんだ従兄弟じろじろ見て。欲情してきたか?」
「俺にロリコンの気はないからな。そういうのじゃなく、晩飯前からエラく上機嫌じゃないか。え? いいことでもあったか」
いいことか。
あれをいいこととするならば……うん、あったことになる。
それにしても、そんなに嬉しそうにしてたか?
「ちょっとな」
「なんだちょっととは。ケチなやつめ教えてくれてもいいんじゃあないか」
「秘密だ秘密」
「教えてくれてもいいんじゃあないか……?」
「ええい! 秘密と言ったら秘密だ! しつこい男はモテないぞ!?」
「なにお!? 地味に気にしてたのに! 何も地雷を踏まずともいいだろう!!」
「知ったことか若禿げめ!」
「禿げって言うな!」
「うっさいばーか! 禿げ! 引きこもり! ブサメン!」
「そこまで言うかこいつめ!」
「くすぐりはなしだあああ!」
くそぅ、言い争いでは勝てるがそれ以外で勝てた試しがない。どうしたもんか。
「気になるだろ」
「気にするな」
「気にするわ」
気になる、と言われてもなぁ。なんだか話す気になれないというのが本音。
そもそも人に聞かせるような話でもないし。……しかし、しつこいのも事実か。これ以上聞かれるのもどこか癪だ。
「そこまで気になるなら教えよう。友達ができたんだ」
「ほほう、友達が?」
「うん。久方ぶりの友達が」
さぁどうだ、大したことないだろう。
「大したことなかった」
「はっきり言うなよ。傷付くじゃないか」
それにしても、と従兄弟が付け足す。
「友達か……どんな子だ」
「少し変わった感じの――」
「じゃなくて、歳だ歳」
「なんじゃあ、彼女候補にでもする気かロリコンめ」
「悪いか!」
「悪いわ!」
もういい。私はひどく傷ついた。ついでに従兄弟に失望しておいた。さっさと風呂に入って寝よう。
ここで二日目終わりでーす




