二日目
あ、二日目はここからです。「前の話で二日目の朝あったじゃねーか」なんて言わないで。
「……」
そんなこんなで。
ついに来た。来てしまった。
髪の手入れにもいつもより時間と手間をかけ、オシャレにもいつもより念を入れ、おまけに従兄弟からもらった麦わら帽子をして――おまけに靴はヒールと来た。
いや、いくらなんでも私、気合いいれすぎじゃ無かろうか? ここはただの片田舎だし、相手はたぶん「片田舎の案内人」を期待して来るわけだし……。
考えるほどにキリがない。まるで底の見えない滝壺の上で必死にバタ足をしているかのような……いやよくよく考えたら、私が緊張するのは中々に、中々おかしなことなんじゃなかろうか? つまりは普通に、いつも通り接することができれば――いや、たぶん嫌われるだろうな。
なんせこんな――いや、だから考えるのはよそう。
「あーしかしまぁ……よくもまぁ、まぁまぁ……こんな早く来たもんだよまだ三十分もあるじゃないか……」
従兄弟から渡された腕時計をチラと見る。私は専らケータイで時間を確認する人間なのだが、どういうわけか従兄弟はこれを渡してきた。
身だしなみに気を遣う私に思うところがあったのかもしれない。
申し訳ないことに、来るのは年下と思われる女の子なんだ。うん。申し訳ない。
通り過ぎるバスを見て、私は自分の姿のなんとも言えない滑稽さに思いを馳せた。
若人の欠片もないような田舎の道路に、一人少女が佇んでいるのだ。これが美少女ならば絵になるのだろうが私ならばそうはいかない。なんというのか、こう――ミスマッチのような。
「奇妙なりける……」
思わずため息を零すとそんな言葉が一緒にこぼれ落ちた。
いやはや、もしこれで……件の子が来なかった場合私は一体全体どうする気なのだろう? それは自分でも気になるところだ。
まぁ、田舎特有の1時間一本バスというものの例に漏れずここもそうであるわけで――
結局私は、最低でもあと一時間は待たされるわけだ。
◆◆◆◆◆◆
「……はぁ」
いや、まぁ、分かっていたことだが――めっちゃ暑いわ。都会ほどではないが、それでも暑いもんは暑い。
こう長い間待ってると、流石に少し汗ばんでくる。汗ばむ程度で済むのはもちろん田舎の恩恵である。
時間は――九時、もうすぐ半になるか。バスは時間通りに来ないと踏んで、長くてあと十分。
いやはや、長いもんだ。近くにコンビニがあるのが唯一の救いかな。
まぁ私とあの子が出会ったのは偶然にもバス停近くであったから、来るとしたらこのバス停だ。
私は先ほどコンビニで買った棒アイスを一本平らげて、なおも鈍足なバスを待った。待ち人を更に待たせるとは、あのバスやはり迷惑以外の何者でもないようだ。
残った薄ぺらい木の棒なんぞはその辺にぽいーである。
麦わら帽子は日除けとしての役割を果たしているが、しかし長い時間かぶり続けるとどうにも頭が熱くなる。早く来ないものか。私はもう、1時間も待ち続けているのだが。気分はあたかも、どこぞの北極に置いていかれた二三匹だったかの犬のようである。――当然ここは日本だし、寒いどころか逆に暑いし、無論私は人間なわけだが。
だが不思議とイライラは募らない。私はまたされるのは嫌いな方なんだが、これは一体どうしたことか。苛立ちがないのなら、それにこしたことはないが。
なんというのだろう。
恋しい、と言うべきか。それとも――ああ、そう、待ち焦がれるというのが正しいじゃないか。
「馬鹿馬鹿しい、何を待ち焦がれるんだよ……」
いやしかし……しかし……あの少女も、また私との再開を……楽しみにしてくれていたら、いいなぁ。なんて淡く思う。
さて、時刻はそろそろ九時の半分を越す。
時間としては来てもよい頃合だが――。
「おぅ……」
腕時計を覗き込んだ目を上げると、目の前にはバスが止まっていた。
◆◆◆◆◆◆
「すいません、お待たせしてしまい……」
「いえいえ、そんなことはありませんとも微塵も」
実際はかなり待ったがね。それはもういいのだ。
もういい。ああ、もういい。すごくどうでもいい。今再び、この子に会えたことで、全ての時間は無駄ではないことが証明された。やべぇわ。超可愛い。
昨日の夜よろしく髪は横目に結ってある。私のそれとは違い、日頃から日光を浴びることが多いのかどことなく茶色が混じって見える。
服装は――短パン。そしてTシャツに、半袖のパーカーを羽織っている。
口調とは裏腹のいかにも活発そうな服装だ。……私は白のワンピースだと言うのに。
と、相手の観察をしていると、妙に沈黙が長いことが気になった。やっちまったと思うが時は既に遅いだろう。毎度観察しているうちに嫌われるのだ。
「あ、あの……何かおかしなところでも……?」
「え!? ああいや、うん。おかしいところはありませんよただその……ええ、いや! 申し訳ない、少しばかり暑さにぼうっと」
眼前の少女は苦笑いを浮かべ、まじまじと姿を観察する私のことをやんわりと見返した。
少しばかり驚いた表情をされたのに、少しばかり苛立ちを感じたのは内緒だ。
「では……どこに行きましょう?」
少し高めの、しかし落ち着いた声で少女は聞いた。
「そうですね……海などは?」
丁度、動きやすい格好をしているし。
「海! いいですね! 行きましょう!」
「……好きなので?」
「あ……いえ、行ったことがなくて……」
「……行ったことが……?」
はて。それはいったい――どういうことか? 今時海に行かない家と言うのも珍しいが、この子の家はそれに当てはまると見て……
「あの……深く詮索しないでいただけると」
……ふむ。間違いないだろう。
「では参りましょう」
「はい!」
あの寂れた海で満足してくれるかなぁ?
◆◆◆◆◆◆
徒歩にして「お、見えてきた」二十分と少し。
案外時間くったな、ちくしょう。
ヒールってもんはこう、歩くのに向いてないんだよ。これだから嫌いだ、何を気合い入れてきたのか……今更になって、いよいよ後悔するとは。どうやら私はこういう方面にはとことん疎いようだ。
「風が……吹いてる」
「ん……あぁ、潮風でしょう」
波の音が聞こえるほど海岸に近付いてみると、少しだけ温い風が頬を撫でた。チラと隣を歩く少女を見つめると、何がそんなに感動的なのか――目をキラキラさせる、なんて陳腐な表現をここで用いるが――とにかく潮風を感じながら、口を半開きにして何か言いたげに、しかし肝心の言葉の方は、「わぁ」とか「はー」とか、簡単な感嘆詞だけが飛び出した。
「もうじき見えますよ。ほら、あの高台まで」
「は、はい」
呆けていても仕方がない。時間は有限、使いたい時は効率よくが私の信条だ。
そんなわけで、私はいつまでも潮風に呆ける彼女の手を取った。
しかしまぁ……くそぅ、なんじゃあこりゃあ。まるで走れないじゃないか、ええ? なんでこんな作りしてんだヒールは。普通にサンダル履いてくるんだった。
「うわ、わ――」
突然手を引いたので、どうやら転びかけた彼女はしかしすぐさま体制を戻して歩き出す。
「そんなに引っ張らなくても」
「すいません……どうやら急いていたようで」
「はぁ……?」
正直――海を眺めているのは好きだけど、そろそろ群がってくるであろう人の群れは嫌いだ。寂れているとは言え季節は夏本番。いつもよりやはり、人は多い。
あまり騒がしいとその――幻滅してしまうのではと。少しばかり、危惧している。
彼女はきっと、期待しているのだろう。初めて見る海に、あらぬ幻想を抱いているだろう。
それはどんな姿だろうか? それはきっと、美しいのだろう。きっと輝かしいのだろう。きっと、きっと、透き通っているに違いない。
なんとなく分かる。咄嗟に握った手から、堪えきれないほどの期待を感じたから。
私は今、彼女に現実を突きつけようとしている。それも――理想とはかけ離れた現実を。
だからせめてもの、誰もいない、人のいない、私が最大限綺麗な海を――見せてあげたい。
私達二人は、いつの間にか高台の上に立っていた。
すると彼女は……私の手を、強く握った。
私はその横顔を……見ることができず。手を強く握り返した。
「…………」
人が溢れ帰った海は、ゴミと、人で、汚れきっていた。
なぜかひどく悲しい。私は……この程度のものを見せようとしていたのか。
「あの……えっと、申し訳ない……こんな……程度の……」
「――綺麗」
「え……――」
私は思わず彼女を見た。
いや、見つめずにはいられなかった。
私の予想とは裏腹に、彼女の瞳は感動に揺れていた。そしていつぞや車窓から見た海のように、その瞳は輝いていた。
――なぜ?
まず沸き上がったのは疑問だ。この光景を美しいと思える感性への、純粋な疑問。
私は思わず自問して、それから計らず自答して、次に沸き上がったのは――それでもやはり、疑問だった。
「あ、あの……少し砂浜を歩いてみても……いいですか?」
「え、えぇ。どうぞ!」
語尾が少し強くなったか。だが……まぁいいや。今は彼女を、楽しませることだけを考えよう。
◆◆◆◆◆◆
海の家で昼食を取ることになった時、私は一つの確信を得た。
彼女は未知を楽しんでいる。
「美味しい……」
理由はこれだ。
いや、味覚なんざ人それぞれなのだから。着眼点はそこじゃない。
……普通、焼きそばとかフランクフルトで飛び上がるほど喜ぶか? そんなことをするのは――そう、初めて海に来て、今まで知らなかったこと……つまり、未知の部分に触れた餓鬼くらいのもんだろう。
彼女は恐ろしいほどに何も知らない。きっとなんらかの理由で、外に出ることが許されなかったんだろう。
ならなぜ。この、いかにも活発だと自己主張してくる面持ちは一体なんなのか?
答えは簡単だ。昨日今日、ようやっと外出許可が出たとしよう。
外は何もかも知らないことだらけ。自分の中には抑圧され続けた好奇心が渦巻いている。……そりゃあ、活発になるだろう。年甲斐もなくはしゃぐだろう? きっと私が同じ状況下なら、私もきっとそうしたろう。
「あの」
「はい、なんでしょう?」
頬が少し膨れるほど焼きそばを詰め込んだまま、彼女は私に聞き返した。
「あの……よければ夕方、また……ここに来ませんか?」
「それはまた……なぜ?」
「その……夕日を……見せたくて」
「夕日……ですか」
「えぇ、夕日です。ここから見える夕暮れが、これまた綺麗で」
私の提案を聞き入れながら、その子はなおも食指を動かし続ける。
……これも知らないか。
「あのー……食事中のところ、悪いのですが。人が話しかけてきた時は、それに耳を傾けるのがよろしいかと」
「んっ、ぐ……ふむ……その通りですね、言われてみれば」
詰め込む手を一旦止めて、少女は乱雑に口元を拭う。
女性らしからぬ仕草に、私は頭痛を覚えた気がした。
「こほん。もう一度言いますが、ここから見える夕暮れが絶景でして」
「なるほど」
なにくそ、その「その程度のもんかよ」みたいな顔はなんだ。
「だからまた夕方、ここに来たいのですが。よろしいか?」
「はい!」
はぁ……なんとかなったか。
さて……自他共に認めるほどにつまらん人間の私が、彼女を最後まで楽しませることができるのか? 心配すべきは、そこだろう。
◆◆◆◆◆◆
「次はどちらへ?」
「え? あ、あぁ……えっとですね……そのぉ……」
やべぇ考えてなかった。どうしよう。
「どこか……行きたい場所などは」
「そうですね」
既に万策尽きた私に代わり、顎に手を当て少女はしばし思考した。
「……他に行くべきところはありますか?」
「ないですね。田舎ですし」
忘れてた。ここは田舎だったんだ、何もないのが当たり前ってもんだ。
「じゃあ、あの……その、一緒に……」
「一緒に?」
少女は恥ずかしそうに顔を俯かせる。
そして、消え入りそうな声で言った。
「一緒に、歩くだけでも……」
――どういうわけだ、それは。
「あ! なんですかその、呆れたような顔は! 確かに変かもしれませんが、あからさまに見せるのは失礼なんじゃありませんか!?」
「こ、これは失敬」
「まったく……顔に出やすい人だとは思っていましたがここまでだなんて」
「顔に……」
そんなに出やすいかな。私はそこまで感情の起伏が激しいほうじゃないと思うんだが。
ともあれ……失礼を働いたのだ。ならば言う事を聞くのが道理。
「一緒に歩くだけなんて……それだけでいいんですか? 他にももっと……要望があるでしょう?」
「私にとっては……こうしているだけで楽しいんですから」
もう一度高台を経て、今度は歩道に出る。
チラリと腕時計を見てみると、どうやらもうすぐ一時を回る。……案外時間を食ったものだ。
「そういえば、聞き忘れていました。地元の方なんですか?」
突然飛来した質問に「はぇ?」なんて奇抜で気の抜けた声をあげ、しばらくしてからようやく答えが頭に浮かぶ。
「いえ、そうではなく。夏休み中は従兄弟の家に宿泊しているんです」
「帰省ですか?」
「いえ。単に暇なので」
「好きなんですか従兄弟さんが」
「それだけは断じてありません。誰があんな若禿げなんぞを」
「禿げ……」
「あぁ、すいません日頃から彼のことを話す時は禿げのことは伏せろと言われているんですが。何せ真っ先に目に付くのが頭頂部ですからねぇ……」
「仲はよろしいので?」
「ふーむ、そこそこに良いと思いますが」
しばらく高台に沿って歩きながら、私達はしばらくの間会話を交わすことにした。
「まぁ、毎年押しかける私をきちんと泊めてくれるのですから、仲の善し悪しを抜きにしても良き男です」
「はー……職業は何をなされているので?」
「従兄弟ですか?」
「はい」
「家具職人をば。収入はしっかりあるらしいのですが、いかんせん気まぐれなやつでしてね。安定しないのなんのって」
「中々厳しい仕事なんですね」
「ええ、まぁ……そういえば聞き忘れていた」
「何をですか?」
「おいくつですか? ちなみに私は十七です」
「……今年で十五になりますね」
おいおい、年齢を聞かれるのは嫌か? 参ったなこりゃ。
「十七とは……二つも上なんですね。敬語なんか使わなくても――」
「これは癖みたいなもんです」
それに――そこまで親しいわけでもなし、といいかけて止める。これは言わない方がいいだろうな。
「確かにそこまで親しくはありませんけども……そこまで敬遠しなくていいんじゃないですか?」
「あーうん。ですがその……」
……引いたりしない……?
「いいじゃないッスか、敬語くらい」
「む……」
少女は少し機嫌を悪くした。
「良くはないです。……親しくなれると思ったのに」
なんと?
「親しく……ですか」
親しくなりたいと。そう申したか。
ならまずはやるべきことがある。
「ではメアドを交換しましょう」
「え? あ、そうですね、すっかり忘れてました」
まぁ、これをやんなきゃ始まんないだろう。だって連絡も取り合えない友達って、仲いい印象薄いだろう?
ちなみに最近のスマホは赤外線通信もできるのだ。全く便利な世の中だ。
「交換完了っと……また連絡しますね、帰ったあとにでも」
「お、お願いします」
なるほど、メアド交換も始めてだったりするのか? いやそれは考えにくいし、久しぶりだったりするのかな。結構喜んでいるようだけど。
「しかしまぁ……気になってはいたんですが」
「何がです?」
「なぜこんな田舎に来たんです。旅行向きの土地なんて日本にごまんとあるでしょうに」
「それを言うなら、あなたもですよ」
……その通りだ。夏休みにこんな田舎に来る物好きを、今年になってもう一人発見するなんて。
「私もあなたと同じ理由で来たってことでいいんじゃないでしょうか?」
「違いないですね」
思わぬところに共通点があるものだ。私達は思わず顔を見合わせて笑う。
「はー……良かった。怖い人じゃなくて」
「今更ですか!」
「今更ですね」
私はなんとか彼女の安心を勝ち取ったようだ。ようやっと。ようやっと。思ったより長い道のりだったなぁ。というか、最初から警戒はあまりされてないと思っていたが、敬語を使われるということは、つまり警戒心があったってことだろう。
「私、すごく驚いたんですよ? 昨日の夜」
となれば未だ敬語を使う理由は、私が年上だからなのか。
「ああ、昨日の夜はね……」
……我ながら恥ずかしい思い出だ、昨日のあれは。
「いきなり声をかけられるとは思いませんでした。これが噂に聞くナンパか! って思ったくらいです」
「噂に聞く程度なんですか! その手の話は結構多く持っていると思ったのに」
「そんなことありませんよ。案外孤立してたりするんですから」
「は、はぁ……」
今、ちょっと聞いちゃいけない事が聞こえた気がするぞ。……気にしないけど。
「そういえば、田舎に来るのは初めてで?」
「はい。十五年生きてきてこれが初めてです」
今時の都会人は田舎に興味を持たないからなぁ。悲しいもんだ。
「それにしても……田舎にも、スーパーってあるんですね!」
「ちょっと、田舎なめないでくださいな」
あんちくしょう、これだから嫌いなんだ、田舎初心者は。