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八日目・其の三

「今日くらいは正直にいたい」

 鏡の前に立つ私は、まるで何かに縋るような声でそう言った。

 鏡の向こうでは従兄弟が私の髪を結っている。

 私はそれを見つめながら、なんとなく涙を零しそうになるのだ。

「従姉妹。……怖いのか」

 従兄弟はそれ以上のことを聞こうとしなかった。

 首を縦に振ることもままならない。私は鏡に映る私の瞳をただ見つめて、この、死にたさとはまた違う感情を抱え込む。

「怖い……のかな。良く分からない……なにせ始めてのことばかりだから」

 その言葉に、ちょうど作業を終えた従兄弟は、まるで鏡の私の視界を遮るように、私の前に立つ。

 そして、いつになく真剣な目で言うのだ。

「いいか従姉妹。お前はいい女だ。――自信を持て」

「……お前はいつもそう言うな」

「本当だからな」

 従兄弟は私の肩を掴み、今度は鏡の前から退く。

 それから、私に鏡をしっかりと見据えさせてから、感慨深そうに、まるで独り言のように言う。

「綺麗な黒髪。整った輪郭。形のいい鼻に、少し薄めの唇。――それから、その凛とした、親譲りの真っ黒な眸」

 一つ、従兄弟はため息をついた。

「……惚れないやつはいない。それが男でも、例え女でも」

 ――まるで確信するように言う。そういうところにどうしようもなく腹が立つ。そして同時に、どうしようもなく……かっこいいと思う。

「ありがとう。……じゃあ、車の方を頼む」

「おうとも!」

 ――この感情とも、今日の限りでおさらばだ。


◆◆◆◆◆◆


 喧騒。

 静寂はない。

 従兄弟の車から降りて、数分歩くと、そこには喧騒があった。

 いつもより明らかに人が多く。私はそれに僅かな目眩を感じながらも、隣の少女をチラリと見た。

 当の少女は、私なんかには目もくれず喧騒の中へ入り込もうとうずうずしている。

 このまま放っておいても――いいや。今日は正直にいると決めたのだから。

 私は意を決して咳払いをした。

「こほん。すいません、はぐれると大変なので」

「はい?」

 ようやっと私に気付いたような少女は、キョトンとした視線を私に向けた。

 なので、私は呆れたように提案するのだ。

「手を繋ぎましょう?」

 そう言って、差し出した手に。

「……はい!」

 満面の笑顔で答えてくれた少女への想いは、また溢れだしそうになる。

 でもそれを、ぐっと抑えて。

「さぁ、行きましょうか。覚悟はいいですか?」

「もちろんですとも!」

 私達は、喧騒へと一歩踏み入れた。


◆◆◆◆◆◆


「姉さん! 次はあそこに!」

「まだ食べるのですか」

「姉さんの分ですよ?」

「それは……いえいえ、お気になさらず」

 案の定、少女はうちわを片手に、お面をつけて、ヨーヨーを持って、今まさに焼きそばを買おうとしていた。

 言わずもがな、片手は私がガッチリホールドしている。

「でも姉さん、ほとんど何も食べてないじゃないですか」

「昼に食べたので」

「そんなのじゃ成長が止まりますよ?」

「ほっといてください」

 これ以上ないほどの笑顔で私はやんわり怒りを向けた。誰がない胸じゃそのおっぱい揉みしだくぞ。

 なんて頭の中でセクハラしながら、私は少女が徐々に焼きそばの屋台へ近付いていることに気が付いた。

「食べるったら食べるんです! 姉さんと!」

「わ、私と!?」

「一緒に!」

 さも当然と言うように、彼女はそう、半ば叫ぶようにした。

「姉さん、私今、すっごく楽しい。でも、ううん。だからこそ、姉さんにももっと、楽しんでほしいんです」

「ああ……いえ。そのね、申し訳ない」

「謝らなくていいんです。……きっと、姉さんにとって不安なことがあるんですし」

 ギクリとして苦笑いを浮かべると、少女はくるりとこちらを向いた。

「ほら、笑っていないと! 好きな人が来るんでしょう?」

「覚えてたんですね……」

「それはもう! 私とっても楽しみです!」

 ははは、と笑い声を返しておくが、私の内心は今にも張り裂けそうだった。

 やはり……気付きはしないのか。そりゃそうだ、年頃の女の子が、どうして女性に好かれるなどと思うだろう? 普通は想い人と言えば男性を思い浮かべると、相場で決まっているものだ。

 それを私は……ああ、私はどうやって切り出すつもりだろうか? 花火を利用するところまでは考えているのだが……。

「すいません、焼きそば一つ」

 頭を悩ませていると、不意に少女がそう言うのが聞こえた。

 慌てて財布を取り出そうとする私を手で制し、今度は少女が自分の鞄から財布を取り出した。

 それから、そそくさと会計を済ませ、ぽかんと口を開ける私に向かって口を開いた。

「姉さん。ちょっと休憩しませんか?」


◆◆◆◆◆◆


 休憩用のスペースまであるとは、この祭りも中々に進化した。田舎特有の広い土地を良く活かしている。

 そういうわけで、喧騒から少し離れた位置に来て、私と少女はベンチに座って一息ついていた。

 こんな場所でまで手を繋がなくとも――なんて思って手を離そうと力を緩めると、今度はなんと意外も意外。

「……」

 少女の方から指を絡めてきた。

 視線こそ私に向けてはいないものの、綿あめを食してはいるものの、意識を指に集中しているのは明らかで。

 だってこんなにも、私の手を何度も何度も握り返してくる。

 私の掌はただ少女になされるがまま、何度も何度も指を弄ばれる。

 しばらく少女の手を楽しんでいると、少女は不意に言葉を紡いだ。

「私、知ってるんですよ」

 その言葉には、若干の怒りが込められていて。

「従兄弟さんが好きなんでしょ?」

「な……」

 見抜かれたことよりも――少なからず、見抜かれたことは意外だったが――少女が、なぜだか怒りを感じていることに、私は何より驚いた。

「……ずるいです、今更私が勝てる訳ないのに。何年も自分の事を見てくれた相手を好きになるなんて」

 はて? 勝てる訳ない、とな。

 なんのことだろうか。私が頭を悩ませる中、少女はなおも続ける。

「ごめんなさい。馬鹿な約束をさせてしまって」

「そんな……」

「今になって私――」

 ギュッと。

 握った手は力強く。

「後悔してる――だから姉さん」

 だから私は――伝えようとした言葉に人差し指を立てた。

「何も言わないで。――私はとても楽しんでますから」

 ね?

 なんて言わないが。少女のどこか落ち込んだ顔に、私はせめてと、笑顔を向けた。

 ぎこちなかったかもしれない。でも、いい。それでいいんだ。今はそれが精一杯だから。

「姉さん。私――」

 その笑顔に何を思ったか、少女は私の肩を両手で掴む。

「ちょ、ちょっ――!?」

 ずいっと顔が近付いた。

 私は「ヒエェ」なんて声を上げ、迫る少女の進行をなんとか妨げようとした。

 ケータイからアラームが鳴り響いたのはその時だ。

「姉さん!!」

「え!? あ、いや、あの、ごめんなさい!!」

 獣じみた少女を初めて見た。

 ともあれ、アラームか。……どうやら私に残された時間も少ないようだ。

「何アラームなんか仕掛けてんです!?」

「いや、故意的に――仕掛けたわけではあるんですよ? しかし決してあなたを拒否するために仕掛けたわけではなくて」

 私は咄嗟にケータイを取り出し、時間を確認する。

 それから時計を少女に見せ、

「花火までもう間もない。その合図ですよ」

 と、説明した。

「あ……そういえば、言ってましたね……」

 すると少女は酷く落ち込んだように肩を落とす。それから深くため息をついて、俯く。

「もっと綺麗なものが見れたのに……」

「なんですと?」

「いえ! なんでもないですよ!」

 すっかり日の落ちた暗闇の中でさえ、少女が赤面していることが分かる。

 何をそんなに恥ずかしがるのか……それを考えると、これから私のやろうとしていることと、きっと大差はないんだろうな、なんて思えて。

 自然に笑みがこぼれた。

「五分前ですね。――覚えてますか、浴衣を買った日のこと」

「? はい、覚えてますよ? 私に伝えたいことがあるって」

 私は大きく呼吸を整える。

「良かった。忘れていたらどうしようかと」

 さぁ、勝負はここからだ。

 あと四分。

「あぁ、これは余談なんですが。このあたり――私の隣に立つとですね。一番綺麗に見えると思います、花火」

 少し強引に手を引いて、私は少女を隣へ導いた。

「あの。たったの一週間ですけれど、私はとても楽しかった。あなたに出会えて良かったと心の底から思います」

 あと三分。

「でも。私はあなたとの出逢いを――ただの想い出にしたくない」

 少女と出逢ったあの日のように。

 少女は星空を見つめ。

 私は少女を見つめる。

 お互いに強く強く手を握り。

 ――残り、二分と少し。

 嗚呼星空は、きっとあの日のように輝いているだろう。輝いておらずとも、私たちにとっては同じことだ。

 隣の少女に寄り添いながら、私はひっそりと目を閉じた。

「……」

 あの日。私と少女が出逢って。

 私の世界は変わった。

 明るくなったわけではないけれど。華やかになったわけではないけれど。それはきっと、些細な変化なのだろう。

 僅かに世界が色付いただけだ。

 だけどそれは、世界を見るためには必要不可欠なこと。少女は私にそれをくれた。

 だから私も――少女に何かをあげたい。それができないのだとしたら、我が侭だけど、せめて少女の隣にいたい。隣に寄り添うのは私でありたい。

 私の少女であってほしい。

「だからどうか。――私の隣にいてくれまいか」


 甲高い音を響かせて、火の玉ははるか空へ昇った。


「あなたのことを愛しています――この世の誰より」

 音と光がぶつかるように。


 私は少女と唇を重ねた。


△▼


 遠いところで音がした。……ような気がする。

 たぶん花火の音だろう。肝心のそれを見ることは――姉さんのおかげでできないけれど。

 姉さん、こういうところは抜けてるなぁ。花火に気を取られている間に事を済ませようって考えだったんだろうけど。


 キスって、相手が目の前にいるものなんだよ?


「………っ…、……」

 どこか遠いところで音が轟く。

 でも目の前にいる姉さんを、見つめることに忙しくて。嗚呼、なんだかもう、このままずっと音を聞いていたいなぁ、なんてことを思った。

――終わらないで。

 終わらないで。終わらないでいて。ずっとこのままでいて。ずっとこのままでいてほしい。

 失いたくない。亡くしたくない。隣にいたい。ずっと一緒にいたい。

 私達はいつの間にか、互いに強く抱きしめあっていた。

 嗚呼、どうしてこんなに愛おしい。

 離すもんか。離れるもんか。世間がなんだ。周りがなんだ。いざとなったら姉さんの意志も関係ない。

 誰がどれだけなんと言おうと、この人は私の恋人だ。私だけの恋人だ。あの従兄弟にだって渡すもんか。


 嗚呼それでも。それでも時は止まらない。


「あ……」


△▼


 物欲しそうな声が聞こえた。

 僅かに潤む少女の瞳を一瞥してから、頬が熱くなるのを感じて思わず目を逸らした。

――鼓動が酷くやかましい。

 気が付くと、手はしっかりと握られていて。

「姉さん」

 少女は私を、見つめているか?

「ありがとう――」

 ドン。と――

「――――」

 遠くで花火が輝いた。

 彼女の声は聞こえない。何を言おうとしたのだろう。何を伝えようと思ったのか。

 私はそれを知れないが。それでも、きっと憶測のままでいいんだ。

 だって。相手がなんと思おうが、私はこの子が好きなのだから。

 だから私はまたはっきりと、自分の想像よりも大声で、

「これで約束は全て果たせましたね」

 そう、笑いながら言ってやった。――もちろん少女の方など向けはしない。

 笑顔なんかも作れはしない。うまく顔に力が入らなくて。

 どんな表情をしていたろう。

「…………」

 私達はそれきり黙り込んで、ただ静かに手を繋ぎ花火を見つめた。


◆◆◆◆◆◆


 ……何年も経ったような気がした。

 否。それは一瞬、刹那のように過ぎ去ったような気さえした。

 でも今日という日は未来永劫刻み込まれたままだろう。私と、少女の間では。

 すっかり光の残像までもが消え去って、夜空はいつも通りの静けさを取り戻していた。花火が目的で来た人が半数を占めるのか、祭りもすっかり勢いを失ったように感じる。

 けれど私達はしっかりと手をつないだまま、まるで呆けたようにただ夜空を見上げた。

 ――嗚呼。

「綺麗だ」

 なんて輝かしい。私の胸のうちはすっかり空っぽになってしまったようだ。なんだか腑抜けた笑い声が漏れた。

 恥ずかしいことしたなぁ、私。でもこれで良かったと思える。

 伝えず抱えているよりは、比べ物にならないほど気が楽だ。なんて清々するものか。

 対する答えがなんであったっていい。できれば良い物であってほしいけど、それは高望みというものだ。私は少女の想いを知らないし、少女は私の想いに困惑しているに違いない。

 私って、本当に馬鹿な女だな……。

「姉さん」

 なんて夢想に沈んでいると、隣の少女がいつになく静かな声でそう言った。

「少し、歩きませんか?」


◆◆◆◆◆◆


「あの日もこんな夜でしたよね……」

「ええ、まぁ。……エラく歩いた」

 夜の海。

 波の音を聞きながら、私は少しだけ前を歩く少女の背中を追いかけた。

 すると少女は不意に立ち止まり、これまた不意に星空を見上げた。

「実はね。私あの時、素敵な出逢いが来ないかなぁ、なんて思って星を見てたんだ」

 ――少女はどんな表情を浮かべているのだろう。

「初めて声をかけられた時は、それはもうびっくりで……私、姉さんが変な人だったらどうしようって不安だった」

 私に背を向けたまま、少女は続ける。

「でも、姉さんは……私のことを見てくれた。私のことを見つめてくれた。あの日、あの時、あの場所で見た夕日――私絶対、忘れないよ」

 それから星を眺めるのをやめて、こちらを振り抜く素振りを見せた。

「姉さん」

「はい」

「……来て」

 その声は。

 ほんの少し震えているように思えた。ほんの少し、怖がっているように感じた。それでも、少女は私に「来て」と命じた。

 なら、それに背く理由はない。

「私、始めは姉さんのこと嫌いなのかなって思った」

 一歩、近づく。

「だって、一緒にいるだけでこんなに胸が痛くて――」

 一歩。踏み込む。

「苦しくて――」

 一歩。

「こんなに辛いんだもの――!」

 一歩。

 最後のそれを踏み出したのは少女だった。

「でも、私分かったんだ。分かったんです。姉さんのおかげで気付けたから」

 私達が見つめあったのは一瞬だった。

「大好きです! 名前も知らないあなたのことが、この世の誰より大好きです――!!」

 少女は私に飛び付いた。

 私はそれを両手で受け入れる。

 すると少女は嗚咽に肩を揺らすのだ。

「ハハ……泣かなくとも。確かに名前も教えていませんでしたね」

「姉さんの馬鹿。今更でしょう?」

「あなたの言う通りだ」

 まったく以て、その通り。馬鹿馬鹿しいにも程があるだろ、互いに名前も知らないなんて。


 本当に呆れた恋人だ。


「――仲秋(なかあき) 名月(なつき)といいます。改めて……これからよろしく」

「姉さんの、名前……」

 抱き着いたままの少女は、そのままくすりと微笑んだ。

「なんて奇遇なんでしょう。私も同じ名前なんです」

 少女は私に抱き着くのをやめ、今度は正面に向かい合った。

 それから、また改まって、こう述べる。

天川(あまかわ) 七月(なつき)って言います。――あなたの恋人としてどうか……末永く」

 なんだかそれがおかしくて。

 私達は、互いにしばらく笑みを交わした。


「よろしく、七月」

「こちらこそ、名月さん」


 嗚呼。私達の物語は、ようやっとここから、始まるのだ――。


エンダアアアア

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