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八日目・其の二

「……」

 無心――それはまさしく、星空を写す水面が如く。

 私が今着付けしているのは果てしない造形美を求めた模型である。と、仮定して。

 私は無心で着付けにとりかかった。

「姉さん……目が怖い……ですよ?」

「……」

「あ、あの、姉さん?」

「タダイマオコタエデキマセヌ」

 細い両腕で、下着姿の体を隠そうとする少女に対し、私はひたすら無心に徹した。むろん浴衣用の下着に代えてもらっている。

 もちろん私の頭はショート済みであって、まともな思考回路は軒並み御陀仏である。

「ホソイコシデスネ」

「よく……言われます……」

「スタイルモヨロシイデス」

「そうですかね」

「そしてなんて素晴らしい脚だ」

「姉さん?」

「ハイナンデショウ」

「わざとやってますよね?」

「ナンノコトデショウ」

 それから、少女が持ってきた――私がプレゼントした――浴衣を広げる。

 まずそれを背中からかけて、まっすぐ落ちるよう調節。

 さて、理性がどこまで持つか、実験と行こうじゃないか。

「失礼。まずは裾を上げますので、そこの布を……はい、両手で上に」

 くるぶしまで、と付け加える。

 それから、左右にさっさと布を片付けて腰紐に取り掛かる。

「えーっと……その……すいません、手でこの、腰紐を。一旦押さえて」

「はい」

 少女は律儀に指示に従う。

 ここが正念場である

 さすがに結び方を口頭のみで伝えるわけにもいかないのだ。だから、一旦少女腰手を回す必要がある。

 その時一瞬の油断で浴衣がはだけたりして布に躓いたりしてくんずほぐれつ――なんてことにならないよう気を付けなければ。

 まぁ事件なんて起きないのだが。

「本当に……できるんですね、着付け」

「ええまぁ、いえ、今は一旦私服に戻っていただきます。まだ昼食も済ませていませんし」

 そういうわけで、描写は割愛させてもらう。

 浴衣を脱ぐ少女に背を向けて、私は平常心を保った私を褒めた。

 いや、実際……よくやったよ。何もなく終わって本当に良かった。

「昼食はたぶん、また素麺だと思うのですが。いかんせん従兄弟がまだ仕事を残しているようでして」

「従兄弟さん、忙しいんですか?」

「……まぁね。ええ、いいじゃないですかあんな禿げ」

 ……私は何をやっているんだろう。自分から話題を振っておいて、その話題が嫌になるなんて。

 確かに、アイツはいい男だけど。私が惚れるくらいにいい男だけど。

 いや、だからこそ、この少女さえも魅了するなんて。そんなことはないはずだから。

 私は気をそらすためにそそくさと浴衣を畳む。

 もう沈んでいる暇はない。夕暮れまで、時間は徐々に狭まっていく。何度だって言うけれど、できることなら逃げ出したい。自分の気持ちを伝えることは、いつどんな時だって、どうしてこんなにも、身勝手に怖いのだろうか。

「……」

 少女が着替えによって生じる衣擦れの音を聞きながら、私は一人夢想に沈みこんだ。

「あの……姉さん?」

「なん、でしょうか?」

「いえ、別段どうかしたわけではないのですが」

 互いに背中を向けながら、少女は私に問いかけた。

「とっても……楽しみで」

 鏡に映った少女は、表情が綻ぶのを抑えきれないでいた。

 私とて、決して憂鬱なわけではないのだが。ああしかし、彼女がそれを楽しみにしていると言うのなら、もう、それが全てでいいかもしれないな。

 そうだ、簡単に考えよう。何も気負うことはない。

「始めてですか、夏祭りも」

「はい」

「なら存分に楽しんで」

「姉さんも一緒に。楽しみましょう?」

「私も、一緒に……」

 着替え終わった少女はおもむろに髪を解く。

 それから私に向き直り、背を向けたままの私の肩に、少し力を込めて手を置いた。

「一緒に、です!」

 手に震えはなく。肩に置かれたそれに、私はしかと掌を重ねた。

 それでも私は少女のことを見ることができずに。震える掌で、少女の手を握った。

「……一緒に。ええ……そうですとも。約束ですもの」

 不意に怖くなった。

 自分の思いが。抱えた気持ちが。それが、自分の心だという事実が。それはなんて――自分勝手で利己的で、どうしようもない押し付けなのか。

 私はただ、自分の気持ちだけを見て、少女の心を見向きもせずに。私はいったい何を見つめているのだろう。

「――私とあなたで」

 こんな、自分勝手な考えで。

 何が彼女を――愛している、だ。どの口でそれを言うつもりなのか。これはただ、身勝手に利己的に――私が一方的に、彼女に想いを寄せているだけだ。

 それが通じれば嬉しいし、相手が私を、同じように想っているなら。それはこの上ない幸せだろう。でもその時、私は始めて少女の心と対峙することになる。

「覚悟してくださいよ? 私との祭りは死ぬほど楽しいですからね」

「はい!」

 いつも通りの夏祭りに、隣に少女がいる情景を思い浮かべる。

 きっと、お面に、綿あめに、金魚にヨーヨーに、焼きそばに。両手は忙しいに決まっている。私はそれに振りまわされて、いったい何回ため息をつくだろう。

 そして今年も花火を見るんだ。

「さて……そろそろ昼食ですか。腹が減ってはなんとやらです」

 その隣に……今年こそは、誰かがそこにいるはずだから。


◆◆◆◆◆◆


「悪い……納品先が今すぐにとな……」

「ああ、いや、別にいいさ。夕方には帰ってくるんだろ?」

「おうとも。くれぐれもおかしな行動は――」

 従兄弟は私の後ろをチラと見る。

 当然のようにそこにいるのは少女である。

「――祭りの後まで慎めよ?」

「禿げ散れ」

 睨みを効かせてそう言うと、従兄弟はすっかり萎縮して肩をすぼめて玄関へ向かった。

 どうやら昼食は用意してあるらしい。

 少女は私の後ろでキョトンとした顔をして、その大きな目で私を見つめた。どうやら従兄弟の言葉を捉え損ねたらしい。

 こちらとしては、あの言葉は聞かれていないほうがいい。

「さ、早く食べてしまいましょう。麺が伸びてはもったいない」

「はい、そうですね」

 ので、さっさと食事に移ってしまおう。

 私達はそういう流れで食卓についた。

 最初に口を開いたのは少女のほうだ。

「そういえば、姉さん」

「なんです」

「前に言われてましたね。あんなことやこんなことしたいって」

「えふほん」

「大丈夫ですか?」

「ご安心を咳き込んだだけですので」

 まったく、何を言い出すんだこの子は。

「やっぱり、お相手はいるんですか……?」

 ホントに何言ってんだこの子は。いるわけないし、そもそもあんなことやこんなことしたいのは、今はあなただけなのに。

「はー……なぜそんな質問を?」

「えっと……少し気になって。ほら、姉さんモテそうだから」

 そうかなぁ。私は素直な感想を述べる代わりに、箸の端をくわえてから疑問をぶつけた。

「なぜモテそうだと?」

「だって……」

 少女は少し拗ねたように、一旦顔を背けてからしばし一人素麺をすすっていた。

 それから、からかっただけかな、なんて思い始めていた私に――油断していた私に――ガツンとこう返したのだ。

「だって姉さん、すごく綺麗だもん……」

 その言葉に思わずクラリと来たのは言うまでもないが、秘密にしておこう。

 少女はなんだか潤んだ目で私のことを見つめ続ける。言うまでもなく私はその目に見つめられるとどうにも弱く、今すぐにでも謝りたくなってくるのだ。

 なので

「申し訳ない……」

 と謝ると、

「やっぱり彼氏いるんですね……」

 なんて早とちりな答えが返ってきた。

 少女の目はなぜか曇って、今までとは打って代わりちまちまと素麺を食べ始めた。

 見て分かるほどの落胆振りに、私が慌てて弁明したのはここに表すまでもない。までもないが、書かないと間が持たないので書かせてもらう。

「いませんよ、彼氏なんて。いるわけないじゃないですか、そりゃ気になる相手はいますよ一人だけ。でもその人とは彼氏にはなれないと言いますか、なんと言いますか。とにかく少し特殊でしてね、ですから彼氏なんていませんし作るつもりもありません」

 もちろんこの言葉の後ろには「彼女は欲しいですけどね」という短い文句が省略されている。省略した理由は言うまでもないので、今度こそ書かない。

 私の言葉を聞くうちに、少女は見る見る瞳に輝きを取り戻した。食指もご覧、元通りだ。

「でも彼氏がいないなら、それはそれでなんだか嫌かも。だって世の男は姉さんを見る目がないってことでしょう?」

「ああ……いや、そういうわけでも」

 ここで言い訳をしておくが、異性からの人気は本当にない。なぜだか困っているところを助けてしまうと怒られるし、かと言って助けなくても薄情だのなんだの言われるし。

 そういうところが癪に触るので今度は私に対する手伝いを断ってやったら、強情だのなんだの抜かされた。

 腹が立ったのでテストで上位五位以内に入ってやると、今度はいよいよ話しかけられさえしなくなったのだ。

「なんと言いますか。世の男は私のような女はどうにも嫌いらしいです」

「なんてもったいない。こんな美人さんを」

「従兄弟と同じことを言いますね」

「なら従兄弟さんには見る目がありますね」

「ふむ……悪い気はしませんね」

「もっと自信持ってください!」

「ふむ、それは難しいことだ」

 中々減らない昼食に少し苛立つ。量多過ぎなんだよ。

「どうして……」

「好きな人から惚れられるほどの美しさを持っているなら、自信はつきますけども」

 そう言って、私は少女を一瞥する。

 少女は私の言葉が誰を指すのか分からず首を傾げている。

「すいません、分かりにくい言葉を」

「いえ。その……気になっただけです。姉さんの好きな人」

 それはあんただよ。

 とは言えない。……言うのはまだ、少しだけ先だ。

 だから今は、少し意識させるに留めよう。

「じゃあ……そうですね。夏祭りに、私の好きな人が来るらしいので楽しみにしておいてください」

「ホントですか!?」

 なんだか期待しているような、嫌がっているような、そんな複雑な色を眸に宿す。それから少女は、私の想像を遥かに超える要求をしてきた。

「じゃ、じゃあっ! 恋人同士なんですから、キスして見せてくださいっ!!」

「なっ!?」

 つゆを零しかけたので、というか若干零したので台拭きで机を拭う。

 その最中に、私の頭はフル回転して言葉の意味を探り続けた。

 好きな人にキスをする――それはつまり、この少女に口づけすることに他ならない。要すれば、告白の後にキスを付け加えると言う意味で――

「ダメ……?」

 ああもう、反則だろう上目遣いなんて!

「いいに決まってます。ただそうですね、人目を惹かないタイミングでお願いしますよ?」

「はい!」

 そういうわけで……私の頭を悩ませる原因は、また一つ増えた。


◆◆◆◆◆◆


「おお……悪いな従姉妹、遅くなった……おお!」

「なんだ従兄弟、気持ち悪い……」

「いや、いやいや! ふむ! どうした従姉妹今から浴衣か!!」

「ふふん。どーだどうだ。綺麗か? 美しいか? 欲情してくるか?」

「欲情はせんが見惚れはしそうだ」

 満面の笑みを浮かべる従兄弟はどこか気持ち悪かった。禿げのせいだろうか。

「して従姉妹。今日は機嫌が良いな。何があった」

「ふんふふん。聞いて驚け見て跪け。これが私チョイス浴衣wear少女だ!」

 帰ってきた従兄弟を玄関で出迎えた私は、すかさず逃げようとする少女の肩をがっしり掴み、従兄弟の前へと導いた。

 他の男に見せたくないが、従兄弟にだけは自慢したいのだ。

「あの……姉さん……? こ、これ……恥ずかしい……ですけど……!?」

「まぁまぁ」

「うおお! なんてこった! 写真撮らせて!」

「いかんぞそれは! 私が先だ!」

「撮らないでください!」

 私の手を振り解いた少女は逃げ出した。

 が、案の定躓いて転んだ。

「痛いぃ……」

「はっはっは、申し訳ない少し自慢したくって」

「限度があるでしょ……そもそもあんなに喜ばれるなんて思いませんでした……」

「それは仕方のないことだ。なんせあなたは――」

 あなたは。いったいなんだろう? 私は一瞬だけ押し黙り、それから整理した言葉を放った。

「――とても可愛いんだから」

「そういうこと言わないでください」

 顔を赤く染めた少女は、なんとも恥ずかしそうに両の手で顔を隠した。

 私は顔をよく見たいので近寄って、力づくでその両の手を引き剥がす。

 すると顔を出したのは、涙目で顔の赤く、息の荒い少女であった。

 こりゃホンマ勃起もんやでぇ……。

「姉さん……やましいこと考えてます?」

「ははは、まさかそんな」

 なんで見抜けるんでしょうか。

 少女に手を貸す私をよそに、従兄弟は靴を脱いで廊下に上がる。それから腕時計をチラリと見てから、私に向かってこう言った。

「従姉妹。髪を結う。部屋まで来い」

 そう言い残すと、従兄弟はさっさと家の奥へと姿を消した。

「あの……姉さん? そろそろ手を……」

「あ、失礼」

「力がお強いんですね」

「いえ、火事場のなんとやらです。申し訳ない少し痕が着いたようだ……」

「大丈夫ですよ?」

 手首をさすりながら、少女は別になんでもないとでも言うように首をかしげた。

「いやでも――」

「従姉妹!」

「分かった分かった! 今行くから!」

 憎々しげな視線をたっぷり廊下の奥へ送っていると、少女がにこやかな声を上げているのを聞いた気がした。

 気になって振り返ってみると、少女はこれまた上品に、口に手を当て笑うのである。

「ほら、従兄弟さんが呼んでますよ?」

「……申し訳ない、こんなダメな人間で」

「そんなことはありませんから、ね?」

 ようやっと立ち上がってから、少女は私の手を取った。

「楽しみです、夏祭り――思いっきり楽しまないと!」

「ええ、存分に」

 私もその手を握り返して、うるさい従兄弟の元へ駆けた。


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