八日目・其の一
ちょい長めが続きます
「……」
しばらくスマホの画面と向かい合いながら、私は寝ぼけ眼を擦った。
どうやら……昨晩話し込んでいる間に電話をかけていたらしい。
チラと時計を見てみると、まだ朝は早い。電話をかけるには些か迷惑か。
どうやら伝言があるようなので、それを再生してみよう。
『えーっと……姉さん? 私です。すいません、こんな時間に……明日のことなんですが。……そういえば留守電でした。返事はないんですよね。要件ですが、明日、従兄弟さんの家へ遊びに行ってもいいですか? お返事ください。以上です』
もう一度だけ聞いてみる。内容は同じなので割愛だ。
さて……答えはもちろんイエスだが。そうなると、おそらく居間で眠りこけている従兄弟を起こさなくてはならないな。
さぁ、今日と言う日を始めよう。
◆◆◆◆◆◆
居間に出てみると、そこはすでにもぬけの殻だった。
ので、工房を訪れてみると。
「お早いもんだな従兄弟」
「おう、従姉妹か。おはよう」
案の定、凛々しい顔で材木に向かう従兄弟がいた。
コイツ、仕事に打ち込む姿は本当にかっこいいな。頭に巻いたタオルのおかげで禿げがある程度隠れるのも作用しているかもしれない。
「こんな時間に――どうした? てっきり寝てると思ったんだが……っと。節か……」
材の表面を撫でる手は、削ることによって生じた棘が刺さらないほどに固く変化していて。
そのくせして、実に器用に動くのだ。
「あの子から伝言だよ。こっちから言うまでもなく――家に遊びに来たいそうだ」
「ふむ……で?」
「分かるだろ……迎に行ってやってはくれまいかね」
「お安い御用だ」
作業着のポケットからメジャーを取り出して、木の厚さを測る。
それから頭を掻く。これは癖だ。
「えーっと……あと四ミリ……だから……節が出たから裏を……」
どうやら私はお邪魔らしい。
「あー……従兄弟。シャワー浴びたか」
「浴びたとも。体を清潔にしてから工房に立つと決めているのさ」
そうだったっけ。意外と知らないものだな、従兄弟の習慣とか。
まぁ、汗をかいてるから後々もう一回シャワーを浴びるんだろうが。今は先に使わせてもらおうかな。
「しばしシャワーを使う。浴室には入るなよ」
◆◆◆◆◆◆
髪が長いと困ることの一つに、シャワーの時間というものがあると思う。
長いとどうにも時間がかかる。そのためシャワーだけでも気合いを入れれば一時間近く使うことになるわけだ。
そういうわけで、いつ髪をばっさり行こうかなぁ、なんて思いを馳せていると、脱衣所から従兄弟の声が聞こえてきた。
「従姉妹。まだ上がらないか」
「いや、もうじき。それがどうかしたか?」
「いやな。家の掃除を頼む、居間だけでいい」
「了解した」
一応毎朝掃除はしているらしいのだが、どうにも最近は埃が目立つ。なんでも私の方が掃除がうまいから、来ている間は掃除を任せたいというのが従兄弟の曰くであるが、私からすれば従兄弟も私もどっこいどっこいであるし、そもそも私の掃除術は従兄弟から倣ったものだ。本家を超えてこそのどうのと言う話はよく聞くがそれはそれである。
まぁいつまでも、自論を垂れ流しているわけにもいかない。
そういうわけで、私は掃除機片手に居間にいる。
掃除と行っても簡単で、適当に(と言いつつ隅から隅まで)掃除機をかけて、適当に雑巾をかけるだけである(床は畳なので洗剤は使えない)。
適当に(と、言いつつやはりしっかりと)掃除を終えると、なぜだか一時間近く経っていた。
髪の毛を乾かす片手間にやるもんではない。
ついでに廊下まで掃除を終えた私は、一息つこうと茶を淹れる。湯呑み片手にあぐらを組んで新聞を読もうとした瞬間、玄関の方から従兄弟の「ただいまー」と言う無粋な声が聞こえてきた。
いつまでもどこまでも間の悪い奴。私は一つ盛大に舌打ちをして、仕方が無いからおそらく一緒であろう少女を出迎えることにした。
◆◆◆◆◆◆
「帰ったぞー」
「ようこそおいでくださった。ささ、お早くお上がりを」
「ありがとうございます、姉さん。従兄弟さんも」
「そんな若禿げほっといてやりなさい。禿げがうつりますよ」
「なんだ禿げがうつるって! ちょいとは労え!」
「やっかましいなぁ。そんなだから禿げるのだよ」
「禿げは関係ないだろが!」
「従兄弟さん、そう怒らないで……」
ガルル、だなんて唸り出しそうな従兄弟をよそに、私はそそくさと少女の手を引き居間へ導いた。
ついでに「まだ仕事残ってるだろ」と従兄弟に声をかけておく。こうすることで大抵工房の方へと飛んでいくのだ。
居間につくと、さきほど淹れたばかりの茶が置かれていた。新聞も広げたままである。
「すいませんね」と謝ると、少女は「いえいえ」と微笑みを返した。
「ええ、まぁ、先程までくつろいでいまして。少し待っていてくださいお茶を淹れますので」
「そんな、お構いなく」
「お構いしますよ。なんせ友人ですからね」
「悪いですよ……」
「お気になさらず。さぁさぁ座って」
半ば無理矢理席につかせて、私はそそくさと台所へ消えることにした。しばらく一人にするが大丈夫だ、あの子は変にガサ入れしたりしないだろうし、そもそも入れるような場所がない。
もったいないが、私が一度使った茶葉は捨てる。それから新しいものに取り替えて、客人用にこしらえたであろう、値段が少し高めの湯呑みにまず湯を注ぐ。
それから急須に、湯呑みに一旦注いだ湯を淹れる。
それから一分と少しだけ待つ。
こうすると美味い具合になるのだ。まぁ、茶葉はそこまで高くはないが、そこそこうまくはいっただろう。
「お待たせいたしました」
「ありがとうございます」
「いえいえ、どーぞ、何卒おくつろぎにね」
盆に湯呑み一つと、おそらく隠していたであろう羊羹を切って皿に乗せ、運ぶ。
盆に乗った羊羹に少女は目を輝かせるが、次のセリフは「一切れ……?」という疑問。
何を心配しているのだろうか?
「どちらの分でしょう?」
「もちろんあなたですが」
「姉さんの分は」
「ああ……」
これは……ふむ。私の分がないことに対する疑問か。ならば答えは決まっている。
「先程食べたので」
こう答えないと、たぶん怒るだろう。「後で食べる」だと「じゃあ今食べましょう」と返すだろうし、「要らないので」だと「なんでですか!」と返される。
そういうわけで、これが一番手っ取り早い。後で従兄弟に怒られるだろうがまぁいいだろう。私は食べなかったんだし。
「では……すいません、私だけいただいて」
「遠慮なさらず」
嗚呼――こうして、やはり格差は広がっていくのだ……なんのとは言わないが。それに私としても少女のがしぼむとか耐えられないしね。
「あのー……姉さん?」
「は、はいっなんでしょっ?」
「どこ見てるんですか……女同士ですしいいですけれど……」
「面目ない……」
「別に謝らなくとも――ん、おいしいですね羊羹……」
無意識のうちに少女の胸を見つめていたらしい。
「はー……私、姉さんが羨ましい……なんでそんなに細いんですか……」
「それを言えばあなたも細いでしょう」
なのにそんなにおっぱいでしょう。
とは言わず。服の上から腹肉をつまむ(と言ってもつまめてない)少女を見つめ、私はまた胸を見つめた。
それから絶望と羨望をこめてため息をつくのである。
「そういえば、姉さんはよくため息をつきますね」
「ああ……従兄弟の影響でして。はぁ……幸せが逃げるなんて言わないでくださいよ?」
「言いません。幸せが逃げるなら捕まえればいいんです」
中々いいことを言うじゃあないか。
「でも、なんだかいつも何かに疲れてるみたいで少しだけ、気になります」
「何がです?」
「何をそんなに疲れているのかな、と……」
そう言って、今度は少女が私のことをじっと見つめた。私のように体中を見定めるわけではないにしても、なんだか私のことを計っているかのような。
そんな視線を、ひたすら瞳にぶつけてくるのだ。
「私……姉さんはもっと、単純な考え方でもいいかなぁって。そう思って」
「よく言われます」
「まぁ、そうかもしれませんけど。友達だと言うのなら、私には深く考えずに、接してくれてもいいんじゃないですか?」
なるほど。つまりは色々考えを巡らしながら話されるのはどこか嫌な思いをするわけか。
だが、この子の前に限っては、思考回路を張り巡らせておかないと何を言うか分かったもんじゃない――
「では好きですよ」
「え?」
「間違えました。ではこれ以降気をつけます」
ほら、こう言った具合に。いつ何を言うか分かったもんじゃない。今の言葉の真意は伝わらなかったからいいとして、いつボロを出すか……それに、いつ理性のリミッターが外れるか分からない。今はなんとか耐えているだけで。
「あのー、姉さん? 実は話しておかないといけないことが一つ」
「はい、ないでしょう」
「お母さんが、どうやら着付けのできない人だったようでして」
「それはまた、困ったことですな」
「それで、ですね。姉さんに着付けを頼もうかと……いいですか?」
何言ってんだこの子。というか何申し訳なさそうにしてるんだこの子。
「お安い御用ですとも!」
「着付けできるんですね……すごい」
「みんなそう言いますが、それほどですかね。私としてはそれほどではないんですが」
自分用の茶を口に含む。
やはり、和服という文化はずいぶんと廃れてしまったようだ。いよいよ自分のような人間は貴重になり始めているらしく、私はこの技術を後世へ継がせていかねば……なんて思うわけもなく。そもそもそういうものは、元来自分の両親から脈々と受け継がれていくものなんじゃないのか。どこかの代で、それを無駄だと判断し捨てたにすぎない。
必要なものまで捨て去って、最低限をかたちにすれば、はい人型のできあがりだ。人類はそうやってできている。
まぁ話は飛躍したが、昔のものはこれからどんどん捨てられていくだろうな、と私は思っているのだ。それこそまさに諸行無常と表現するにふさわしく。
「なんなら、ここにいる間に覚えてしまいますか。ある程度なら教えられますよ」
「いいんですか!」
ここで私は従兄弟の言葉を借りて、
「ダメと言った覚えはありませんが?」
と言った。すると少女は嬉しそうに笑う。
元々薄く切っておいた羊羹はあっという間に胃の中へ消えたようで、少女残りの茶をすすっていた。
「まぁね……とにかく午前中はいいでしょう。まだまだ私も暇をしていたいですし……それにこうして――」
私はおもむろに、少女の隣へとすり動く。
「――隣にいるのも悪くない」
「て、テレビでも見ましょう」
ふむ、こういう露骨な迫り方は嫌か。では別方面から攻めてみようかな。
「あの、姉さん、今日、どうかしましたか? なんだか怖いです……」
「……失礼。普通にいようとするほどこうなってしまって」
正直な話、こうして相手が気付けるように働きかけるくらいしか、正気でいられそうもない。こうしている間にも――逃げ出したい気持ちだけが募っていく。
「テレビでも見れば和みますよ」
「そうですかね……あ、そういえば録画した歌番がありました」
「歌番なんて見るんですか!」
「えぇまあ。何ですかその意外そうな顔」
「いえ、あまりテレビを見ない方だとばかり」
つまり、普段は何をして過ごしていると考えていたんだろう。さしずめ読書かな? ベタなパターンだ。
まぁ、確かに本を読むのは好きだけど。私はどちらかと言えば飽きやすいたちであるし、つまりはそれだけだと退屈してしまうのだ。
そういうわけで歌番組は、割とよく見る方なのだが……。
中でもお気に入りは深夜枠の「SONGS」という番組だ。内容は割愛させてもらうが、昔の歌手しか出てこないところがいい。
「昔の曲が好きでして」
「なんだか意外です」
「ふふふ、これがまた、いい曲が多くてね」
従兄弟のテレビはブルーレイ内蔵である。ハイテクである。録画したりそれを見たりするのがポチポチでできるのである。
そういうわけで、私は数ヶ月前の番組を見ることにした。
番組が始まると少女と私は互いに黙って、じっと画面を見つめた。
曲が始まると――どうにもこれは癖らしい――私は無意識のうちに鼻歌を合わせる。少女はそれを嫌とも言わず聞き入れて、また黙って画面を見つめる。
どうやら、昔の歌手など知らないと見えて、いつぞや私に見せた興味津々の目をテレビに向けた。
私からすると見慣れた番組なので、ふと少女の横顔を除く。
それは、実に多彩な表情を見せて――いつも無表情な私とは大違いだな、なんてことを考えた。そしてそんな、表情豊かなことさえも魅力に感じられて。
そういう時に、私は少女のことが好きなんだと思い知る。
ああきっと、言葉にしたって伝わらない。今ここで、思いの丈をぶつけても――そもそも私は、この感情をうまく言葉にできやしないのだから。
「あ、私この曲好きかも」
「ああ……ふむ、確かに悪くない」
だがきっと……それでも伝えたいから、それが言葉になるんだろう。
まだ、なんだ。私にはまだ、内に秘められるだけの想いなんだ。
こんなにも溢れそうだと言うのに、我が心というやつはどこまでも自分勝手だ。
「……」
ああそれでも――この想いを伝えてみたい。この少女を困らせてみたい。おそらく動揺するだろうし、あわよくばその隙をついて唇を――
「がああああああッ!!」
「!? 姉さん!?」
「すいません、ほっといてください」
何を考えているんだ私は。唇を奪いたい――なんて、いや、そういう欲望が、ないわけではないけども。どちらかと言うと奪って欲しいというか――いや、それも違うのだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい、こんな私で……うぐぐ……ぐぅう! こなくそ、こんな頭があるからぁ!」
「姉さん! やめましょう! 机が痛みます!」
机に頭突きを喰らわせていると、オドオドした様子の少女が私の肩を掴んで制止をかけた。
まぁこの机、従兄弟の自作品だったりするんだけど。潰しても特に支障はないにしろ、さすが従兄弟の作品だ、強度も中々。
「姉さん、落ち着きましょう? とりあえず……着付けを教えてくださいな!」
それはきっと、私を落ち着かせようとの配慮だろうが。
私からすれば、更なる動揺を誘うのみだ。
「うわああああああああ」
「姉さんお願い! 落ち着いてぇ!」