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六日目・其の三

「……」

「あ、あの、姉さん」

「動かないで。色を見ているだけですから」

 ああでもないこうでもないと思案しながら、私は徐々に奥へ奥へと進んでいった。

 案外品揃えが悪い。まぁある程度は、田舎の寂れたモールなのだから仕方ないとは言え。もう少し多く種類を揃えてもいいと思う。でないと客引き効果も弱いし……何より、選ぶ側が迷惑を被っている。

 だがそんな中でも、この数分で少女に似合うのは朱の浴衣であることが判明した。

 暗めよりも、明るい色の方が似合う。似合いのものにも性格が出るようだ。

「あの……」

「ふむ。なんです?」

「なぜそこまで真剣に……」

 どうやらいつになく真面目な私に驚いたらしい。その真摯さが伝わってくれたら嬉しいのだが――いや、そのうち伝えるしいいか。

 それに。

「なに、そのうち分かりますよ」

 申し訳ないが、考えるのに忙しくて、話している余裕がない。

 ベストな浴衣を。一番似合う浴衣を。互いの魅力を引き出し合うものを。私の頭はそればかりでいっぱいで、どうにも忙しかった。

「ふーむ……うん、トンボはなし……と。と、なると水仙柄は……ちょっと私これ着られたら立ち直れないなぁ……でも基本は花柄か……」

 ちなみに浴衣の柄には意味がある。

 例えばトンボならば必勝。水仙ならば知性美と。

 つまり、そういう意味でも似合うのもを選ばなければ意味がない。

「ならばこれで……ふむ。失礼少し」

「はぁ……また動くなと?」

「はい。おそらくこれが最後です」

 私が手にとったのは、鮮やかな赤の生地に、撫子柄の浴衣である。

 それを少しだけ、少女に重ねてみる。

 試着など必要ない。動かず立ってもらってそこに広げた浴衣を重ねてみる。その行為だけでも――美しいのは一目瞭然だ。

 我ながらちょっとだけ言葉を失った。

「ブラボー! おお……ブラボー!!」

 思わずそう口走るほど、私の選択は正しいと言わざるを得ない。

 その歓喜に少女は苦笑いを浮かべ、それからあまり期待しない目でその浴衣を見つめた。

 そういえば、誰のものとは言っていないんだったな。――ここまで付き合わせておいて誰にあげるものか分からないとは、案外この子も鈍い。

 ……分かっているとも。欲しいだろうなぁ、傍から見たってすごく似合っていたんだから。それにこんなにいい浴衣、滅多なことでは手に入らない。……欲しいよなぁ。

 良し。

「ではレジに。よろしいか?」

 浴衣を見つめていた少女に声をかける。

 だがしかし。これを購入してしまえば後にひけないのは私なわけで。これからしなければならないことを考えると、今からだって心臓がバクバク言っているのだ。

「あ――はい。もちろん」

 少しだけ呆けていたのか、少女はハッとしたように言った。購入の意がしっかり伝わったことをもう一度だけ確認する。

 

 さぁ本番は、ここからだ。


◆◆◆◆◆◆


「案外値を張るものなんですね、浴衣って」

「ええ、まぁ。元々はもっと庶民的なものなんですが」

 私びっくりしました、なんてことを言いながら、少女は微笑む。

 その微笑みをただ横に見て、私は買ったばかりの浴衣を袋ごと大事に抱え――タイミングを見計らう。

 ああしかし。なぜこんな、こんなことをしようとしたのか。私よく決断したな。ああ、よくやった。だからあと一踏ん張りしよう。それに自分のために買ったものじゃないんだから、いつまでも大事に抱えているわけにもいかない。

 それに……あの日をまた一人で、過ごしたくはないから。

「はー。浴衣かぁ。お母さん、持っているでしょうか……今日の姉さんすごく、私に浴衣を着てほしそうだったから……」

 少女は少しだけ残念そうな顔をして、休憩所の席から立って背伸びした。……どうやらこれから何か起こるとは微塵も思っていないようだ。

 油断しきった少女の、その背後の壁に掛けられた時計をチラと見る。――時刻、三時すぎ。

 バスの時間を考慮すると、そう何回も乗り降りを繰り返しては時間を喰うし――何より。失敗なり成功なり、やりきったあとに一時間も一緒に居て理性やらを持たせる自信が無い。

 心臓がバクンと高鳴るのを感じる。私の中で、徐々に緊張が高まっているようだ。手汗も多いし――ああくそ、こんな手汗に濡れた袋を渡すことになるなんてついてないな。それ以前にこんなことを言おうとするなんて無茶しすぎだ、らしくない。

 私はひたすら呼吸を整えて、ひたすら少女の言葉の続きを待った。

 そして時は――動き出す。

「家にあるか、探してみようかな――」


――ここだ。


「いいえ、その必要はありません」

 絞り出したつもりの声は、思いの外大きく響いた。

 その声に少女はまた驚いたような表情を見せ――キョトンとした視線を向ける。

 一瞬だけ、伝わらなかったのかな、とも思ったがそれはないと自己否定。あれだけ大きな声だったのだ。聞こえないはずもない。

 その一瞬の戸惑いに、私の中で漠然とした死にたさが沸き起こる。

 だが止まることはできないのだ。私はいつもの調子で「ええ」と話を繋げる。

「良ければ。この――浴衣を。夏祭りに着て来てほしい」

 そう言ってから、私は黙って浴衣を差し出した。

 さぁ、しっかりと、見ろ。受け取ってくれるのか、否か。その目で然と見届けろ。もう……後戻りはできないぞ。

 バクバクと、急に我侭な鼓動を刻み始めた心臓に、軽い目眩を覚えながら、それでも私は少女を見つめる。

 どうやら眼前の少女は酷くびっくりしているようで、目を見開いて私と浴衣を交互に見つめた。

 あと、一押しか。

「どうか、お願いします」

 どうなる……!?

 心臓の鼓動だけがいたずらに早く、そのくせなぜか時間は進むことを忘れてしまったかのようにノロマに過ぎ去っていく。

 早く、なんとでも、どうとでもなれ。いいから早く、この緊張から開放してくれ。

 頭の中が真っ白になっていく。それに反して目の前は真っ暗になっていき――ああなんか、目の前に赤字で「GameOver」って出てきそうだな――震える手から重みが消えるのを感じて、いつの間にか閉じていた目に、光が差し込むのが分かった。

 急に明るくなった視界には――少女の笑顔が輝いていて。

「はい! 喜んでっ!!」

 今度は少女が、大事に袋を抱えていた。

 私は少女の言葉に意識を持っていかれそうになるのを必死に耐え。

 急に軽くなった両の手でガッツポーズしそうになるのもついでに抑える。

 さぁ、これで相手も土俵に引き込んだ。

「……では、もう一つ」

 そう、まだ目的は、完遂ではないのだ……やるしかない、今、ここで。

 私は大きく深呼吸して、無理やり呼吸を整える。それからもう一度、言うべきことの内容を頭の中で反芻し、やはりまた少女を見つめた。

 覚悟はいいか。

「夏祭りで。伝えたいことがありますので」

 ――私はできてる。

「覚悟していてください」

ちょっと長い六日目。次で終わりです。

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