六日目・其の一
「……」
私は未だ強烈な死にたさの残滓に呆然としながら、とにかくほぼ意識もなく、朝の連続ドラマを垂れ流すテレビ画面を見つめていた。
寝癖も治さず朝食も一向に摂ろうとしない私を見て、さすがに従兄弟が音を上げる。
「あのなぁ従姉妹……そりゃあ昨晩のあれはらしくないっちゃなかったが……」
「ああもう! 言うなよ! 忘れようとしているところなんだから!」
声を掛けるのは有難迷惑であると悟ったのか、ぐしゃぐしゃと髪を乱す私に従兄弟はこれ以上声をかけようとはしなかった。
「一からやり直しじゃあないか! あんちくしょうめ!」
かくいう私はと言うと、忘れようとすればするほど頭の中は件のあの子で一杯になり――顔が赤くなっているのが自分でも分かるほどになっていた。
それはもうどうしようもないことだと言う自覚はあるが、それを認めてしまうにはどうにも悔しくて。
「従兄弟のせいだ! 全部従兄弟のせいだからな!」
なので責任は全部この禿げに押し付けよう。残った髪の毛も抜けてしまえ、ストレスで。
「ハッハッハ。それくらい安いもんよ。それで従姉妹の恋が成就するなら好きなだけ背負うぞ」
「普通に返すな! そこは嫌がれ……ったく」
中途半端にいい男を演じおってからに。なんでコイツは全く動じていないんだ? 普通同性愛に対する風当たりは強い筈なのに。不思議でたまらない、いったいどういう思考回路をしているのだろう。
まぁ、やめろやめろとやかましくないだけ、ありがたいんだろうけど。
「ほれ、無理に忘れるなんて馬鹿なこと言ってないで、朝飯を食べろ」
「ぐあー……やはり無茶かな。どうにも忘れられそうにないが」
「忘れる必要がないからな。もっと強烈な思い出があれば忘れられるんじゃないか? 例えばそうだな――」
私は目の前に置かれた茶を一口含んだ。
従兄弟の言葉はすかさずそこに滑り込んできた。
「――告白とか」
「ごぶっふ」
「うおっ! 汚ッ! 吹くな吹くな!」
「やっかましい――ごっほ。あ、のなぁ……えふん。こく、こ、告白だなんてそそそそんなこと……」
逆流してきた茶に咳き込みながら、私はさらに顔を赤くした。と言うのも、うら若き乙女特有の妄想が頭を埋め尽くしたからである。
以下しばらくは私の妄想である。セリフのみでお楽しみください。
『姉さん……とっても可愛い……』
『ああ……そんな、そんな……いけません……』
『うふふ。緊張しないで……力を抜いて……』
『やめ、て……』
『嫌がったって体は正直ですよ? ほらもう、こんなに……』
『見ないでぇ……』
『姉さん……姉さん……愛していますよ……』
『あっ――!♀』
以下妄想終。お目汚し失礼いたした。というか私の頭ではここで限界なので、あとは各位少女をくんずほぐれつしていただきたい。もちろんする側は私であることは譲らないのであしからず。
と言うか良く考えたら私以外の男の中に少女が登場する? は? ふざけんなって感じだな。あの子は私だけのもんだ。独占してやる。独占禁止法? 知るか。というか人には適用されない。
「告白……なんて……」
「あのなぁ従姉妹」
私の対面に腰掛けて、従兄弟はパンを一口かじる。
「確かに、メールや電話はできるよな。でも実際会えるのは今だけだろう……面と向かって言わないと意味が無いんだよ」
もっともなことを言って、従兄弟は連続ドラマを見始めた。
「BGMって大切だよなぁ……」
「面と向かって、なぁ」
……それは一理あると思う。言葉や文面だけでは伝わらないことが、確かにある。
目の動き。呼吸。鼓動。……そこに賭ける想いの丈。それは向かい合った時にしか分からない。
ただの言葉では、その真意は伝わらない。
ただの文書では、その鼓動は伝わらない。
だからここにいるうちに、その目の前で、はっきりと伝えなくてはならないのだ。
「…………」
流されるのではなく、自らの意思で。やらなければならないのだ。
例えば彼女と、一緒にいたいなら、その道は避けて通れない。私に覚悟があるのなら。
「……ほれ、ちゃちゃっと食え」
「ん……ああ。悪いな」
――考えている暇は、そんなにないけど。
◆◆◆◆◆◆
午前十一時前。今日は堅実な服装で決めてみた。
従兄弟が昔使っていたカーゴパンツを借用。上はポロシャツを着てきた。これに合う上着を持ち合わせていなかったのでこれ以上はない。
この服装を見せたとき、従兄弟は「ショートだったらもっとイイ」とかなんとかぼやいたが今の私には関係ない。第一に動きやすいのがいいのだ。
ポケットに入れたサイフを取り出し、中身を確認する。頭を下げた甲斐もあってか中々に潤ってはいるが――買い物ですべて消し飛ぶだろう。お手軽とは言え、あれはそんなに安くはない。それに、ものによっては値を張るだろう。
「お……キタキタ」
黒髪を揺らす排気に嫌悪を覚えながら、しかめ面でバスの中を見る。
私の表情がパッと明るくなったのは言うまでもない。
中に乗り込むと少女が笑顔で手を振った。
「おはようございます、姉さん!」
「ええ、おはようございます。今日もお元気なようで何より」
「当たり前です。健康が取り柄ですからね」
自信満々に胸を張る少女は輝いて見えた。……あれ、なんかマズいぞ。何を話していいか分からない。変に意識してるんじゃないのか、これ。
「…………えーっと」
「その……姉さん。今日は買い物、って言っていましたが。何を買うんですか?」
「ああ、少しね。それは行ってからの、お楽しみと言う奴ですええ、今はまだ丸秘です」
「えー! 意地悪しますね……」
「ふふ、楽しみにしておいてください」
ああ、そうだ。話しておくべきことが一つあった。
「あのですね。一昨日も話したやも知れませんが、明後日に夏祭りがあるんです」
「ああ……聞きましたね、確か。花火でどうのって……」
「いえそれは……まぁ、それが毎年、中々に楽しいものでして。ええ。ここにいるのなら、顔を出しておいて損はありませんよ」
……言っておくが、これは前振りに過ぎない。ここでの本題こそあるものの、それも今日の本題の前座でしかない。
だが重要なことだ。
「それでですね……少し、関係のない話かも知れませんが」
私は一呼吸置いた。
「いつまでここに滞在してくださるのか?」
思い切って聞いた。私にしてはまぁまぁ。いや、これくらいはできないと。この程度で躊躇しているようなら先は遠いな。
少女は呼吸を整える私を尻目に、しばらく考え込んでいた。
「さぁ……まだ分かりません。夏祭りまでは確実にいると思います。けれど、盆には家に戻るので……」
「盆には、ですか」
ゆっくりしていられるかもだが――いや、持て余している暇はない。
「なるほど、分かりました。ありがとうございます」
「あの……どうしてそんなことを?」
「気にするのか?」
「はい」
「それは単純に知りたかっただけです。気になるんですよ、いつ……いなくなってしまうのか、ね」
次のバス停で停車した途端、少女は私が腰掛ける二人用座席に押しかけた。ちなみに私はまた窓際に押し込まれた。そしていつぞやのように私を見つめるのだ。
顔が火照るのは仕方ないことだと思いたい。
「あ、あの」
「どうしたんですか、姉さん?」
「すいませんその……はい。そんなに見られると」
「うふふ。一昨日私の裸をじっくり見たじゃないですか」
私は「うぐっ」と唸った。
「仕返しです。堪忍しなさい」
「ははは……了解です……」
少女はやたらとご機嫌で、今に鼻歌の一つでも歌い出しそうだ。
いったい何が彼女をそこまで? 一昨日のお泊りはそこまで意味があったのか――だとしたら非常に喜ばしいことだ。
私はと言うと、あまりにも明確な意志の変動があったと言うのに……。
はぁ、と私は大きくため息をついて、また窓の外を見つめることにした。