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第三節 神話の伝統

「契約、してくれますか! しますか! しませんか! して下さい!」

 サナリはグイグイと迫ってきた。かなり強引な押しに隼はたじろぐ。

「ちょ、ちょっと待って、契約って何?」

「……私があなたを幸せにする契約です」

「そんなずさんな内容説明の契約、見たこと無いぞ……」

 隼はげんなりとした。「少なくともそっちがこっちにもたらすメリットと、俺がそっちに提供することがはっきりしないと、二つ返事なんてできない。ただでさえ、君は幽霊なんだろ」

「あ……そ、そうですね……わ、私……幽霊でした……」

 サナリはハッとしたように、さっきまでの勢いはどこかへ行ってしまい、萎縮した細い声に戻った。その唐突な萎縮っぷりに、隼は何となく気の毒な気分になる。

「まぁ教えてくれれば、考えないこともない……んだけど」

「……本当ですか?」

「……努力はする」

 隼のその一言で、サナリは気を取りなおしたように顔を引き締めた。

「えっと、私があなたにもたらすのは、私のチカラです」

「……力」

「はい、チカラといっても、単純にキログラムで表示するものではないです。私があちこちで培ったあらゆる知識や、幽霊ならではの能力をあなたが使えるようになります」

「幽霊ならではの能力?」

「そうです。……えっと、私自分のこと幽霊って言いますけど、これ便宜上のものです。英語でいうとゴーストですかね、死んだひとが何かよく分かんないけど、不完全だけど生きてるかのように目の前に現れる現象を幽霊って呼ぶのが、いちばん分かりやすいと思われています」

 目の前の頼りなさそうだった幽霊が、唐突に塾講師のようにすらすらと解説を始めたので、隼は少し驚いた。彼女は続ける。

「一時期、この存在が科学的に証明できそうな動きがあったんですけど、あからさまに超越的な次元での話で、このことを今の人類が理解するのにゆうに二百年はかかると見込まれて研究チームは解散になったみたいです」

「……そんな話は聞いたことある……」

 隼は呆然としてぼやいた。中学二年生の時に見た、「冥界」というものの存在を指摘するニュースが脳裏に浮かぶ。あの時は全く信じなかったし、すぐに研究も頓挫したからすっかり忘れていた。だが、いま当事者からその真相について語られている。なんという状況だ、と思った。

「その時の発表では、『ある一定の情報を含んだ電磁波のようなものが放出されている』って話でしたけど、これはかなりふにゃふにゃにした表現です。実際のところはもっと複雑で、私達でも理解不能なことが生物の『死』の瞬間には起こっています。が、残念ながら現在のパラダイムでは、これについて十分な説明することはできません」

「……」

「ただ、端的に言ってしまえば、『冥界』というものは存在します」

 サナリは、断言した。「よく言われるように、生きているものが暮らす世界と皮一枚を隔てただけのような瓜二つの世界があって、そこに私達は存在している。ただ存在している、というだけで、ほとんどのものは、自意識を持たず放浪しているだけです。……そして自意識のないものは、程なくして完全に消滅します」

「でも、例外はあると」

「は、はい、もちろんです。私みたいに、自我が『何故か』存在する種もあって、生きていると勘違いしたままいつも通りの生活を送っている人もいます。ですが、死を理解している……私もですけど、そういう人たちは一箇所に固まって生活をしています。そこまで規模は大きくないですけど……それで、ここからが問題なんですけど、この冥界は、簡単にいえば生きているものの世界、私達は実界とか呼びますが、それをリアルタイムに投影しているような、劣化した世界なのです。例えば、そこに整えられている法則は実界に比べると遥かに杜撰で、いくらでも変更が効いてしまうような代物です。私達の身体がどう動くという予測値を自分たちの意志で自由に変えることができる、つまりそれは──」

「……ちょっと待って」

 隼は静止をかけた。意味が掴めなくなったから、ではなく、段々サナリが早口になっていって聞き取りにくくなったからだ。そうでなくても、理解しようという気力が無くなりそうであるというのに。

 サナリは慌てた様子で謝罪してきた。

「す、すみません……、あの、わかりにくかったですか……」

「いや、もうちょっとゆっくり喋って欲しくって」

「あ……、ごめんなさい……つい……」

 さっきまでの勢いはどこにいったのやら、しゅんとしてしまった。この消沈した姿がどうしてか隼の同情心を煽って、彼女の話を真面目に聞かなければいけないような気になってしまう。幽霊になっても、人徳というものは変わらずにあるらしい。

「え、えっと……、ちょっと分かりにくいかなって、思ったので、もっと端的に言いますね」

 彼女は少しだけ持ち直して、

「つまり、私達はなんでもやりたい放題なんです。壁を抜けたり空を飛んだり地面に潜ったり人の考えを読んだり透視したり、思いつく限りほとんどなんでもできるんです。そして、その能力を私と契約することによって……一部制約が付きますが、使えるようになります」

「俺でも?」

「……はい」

 幼い頃なら、誰でも抱くような超人的な能力が、この幽霊と契約すれば手に入るらしい。自分が子どもならもうすぐにでもそんなことができるようになりたいと思っただろうが、もう自分は高校生になった。

 却って冷めた頭で、隼は次に訊くべきことを訊いた。

「それで、俺が支払う対価は? 契約っていうんだから、双方にメリットが無いと」

「対価は……その、もう、もらっています」

 サナリは恥ずかしそうに視線をたじろがせて、「あなたが私を認識して、コミュニケーションを取れていることです」

 隼は反応に困ったが、サナリはそのまま続ける。

「人は死ぬと孤独になります。私達は冥界である程度の形を持った組織として固まって過ごしていますが、声を持たないので簡単なコミュニケーションしか行えないのです。そもそも冥界というのも、本来は神話で語られるような時代──つまり混沌と秩序が別れて間もない時期ですね、冥界における実界の再現率がまだ高く相互性がまだ良かった時代に、亡くなった人のところへ一部の許された人達が会いに行くための、いわば面会室みたいなものだったので、別に集まった霊たち同士が話せる必要は無かったんですね」

「……さらりとすごいこと言ってたが……、神話ってギリシャ神話とか、そういう神話のことなのか?」

「はい。あれらの大半は真実で実際にあった出来事らしいです、私は新参なのであまりよく知りませんが……」

 ことも無さげにサナリは言うが、これはかなりとんでもないことだ。つくり話であるということを前提に語られてきた、神話に関するあらゆることが無に帰すことになる。このあたり、『今の人類には理解不可能な領域』というさっきの言葉とのつながりが見える。

「え、えっと、とにかく……冥界では誰とも話せないんです。でも、私は久しぶりにあなたとしゃべりました。そ、それだけで……と、とても、いま、た、楽しいんです!」

 あたふたと言葉を選びながら、サナリは言った。どおりで最初からこんな落ち着かない様子なのか、と隼は察する。

 それにしても、孤独を脱して人の温もりを再び感じるため、自分の能力を提供するという名分で現世に舞い戻ってくるというのだ。死んでもなお、孤独と付き合わなければならないとは、なかなか嫌な経験だな、と思う。それならば、まだ自我がなく気づかぬ間に消滅した方が良い。

「い、言ってしまえば、だからこれは、神話の時代に根ざす、幽霊と人間がずっと繋がりを持っているための、伝統的な契約です。人間側は超人的なチカラを、幽霊はまた実界にもどって活動ができるっていう、どっちも損をしないからこそ、今でも続いてるシステムなんです!」

 また勢いを得たようで、サナリは力説してくる。

 隼はもはやすっかり落ち着いてしまった脳を巡らせて、その言葉をじっくりと考えてみた。そんな都合の良い話がそうそう転がってくるはずがない。

「……本当にデメリットは無いのか?」

「ありません」

 極めてキッパリと言い返された。さっきまでの彼女の様子を見ている限り、嘘を吐いたのならうたた寝していても分かりそうなものだ。恐らく、本当に不利なところは無いか、或いはあったとしてもサナリは何も知らないか。

「そうだな……じゃあ、前例は? それだけとんでもないチカラが手に入るんだ、歴史上の人物にこの契約を交わした人が居るんじゃないか?」

「む……めちゃくちゃマイナーな質問ですね……」

 サナリは困ったように眉を寄せる。「メジャーなところだと源義経公ですか。天狗から色々教えてもらったって言いますけど、あれは恐らくこれと同様な契約です。頼朝によって殺されたと云うのが主流な説のようですが、実際はモンゴルに渡って王になったみたいな説が正しいようです。……ほかにもいますが、数は多くないですし、それほど歴史の表舞台に出たわけではありません。正味、義経以外はほとんど名前も聞いたことが無いと思います」

「……なるほど」

 それだけとんでもない能力が得られるのであれば、歴史上で大業を成した人物の一人くらい契約を交わしていてもおかしくないと思ったが、そうでもないらしい。

「ま、まだ質問はありますか?」

 サナリが窺うような視線を投げかけてくる。

 隼はまた少し考えてから、口を開いた。

「さっきこの部屋に居た、白髪の女の子は誰だったんだ」

 およそ見た目からして尋常な人間では無かった、あの少女のことがずっと頭から離れない。サナリなのかも知れないが、それにしても今、眼前に居るこの少女とあの白髪の少女では容姿が違いすぎる。

 だが、サナリは恥ずかしそうに、

「あ……あれは、私です……」

 予想に反した回答に、隼は愕然として目を瞠る。

「とてもそうには見えたなかったが……」

「実際、見た目なんていくらでも変更が効くんです。や、やろうと思えば、今すぐにマッチョのおじさんにだってなれます……が、いまは生きていた時の惰性で、この姿をやっています」

 惰性、ということは、サナリは若くして死んだのかも知れない。寿命を全うした人間が、そんな言葉を使うとは考えにくい。だとしたら、孤独から抜けだそうとここまで熱心になるのも頷ける。

「それならどうしてあんな見た目になってた?」

「え、えっと、あれは……、……油断していたというか、んと……、誰にも見られてないと、自然とああなっちゃいますよ……」

 しきりに目をあちこちに泳がせて、落ち着かないように身体を揺らしている様子を見れば、それはあまり正確な理由になっていないということは分かる。ただ、これ以上追求してもそれほど良い情報を聞き出せるような気はしなかった。

 ふと、隼は思い出して、

「そういえばあの時、手首を掴まれたような感じがしたんだけど、幽霊でもこの世界のものに触れられるのか?」

「えっと……基本的に不可能です。……だから、さっきもベッドに埋まってました」

 そういえばさっきはベッドから首だけだして生首状態になっていて、かなり驚いた。

「接触ができないということは、逆に三次元の座標ならどこでもいられるということです。今、私が座ってるように見えるのは、丁度そう見えるように私の身体を置いているからです」

「で、また例外があると」

 隼が先回りすると、サナリは自分のペースを見失ったのか一瞬口をぽかんと開けて、

「はい……えっと……、幽霊は自分の姿を誰かに認められると、認識したその人にのみ、触れることができるようになります」

「……どうして?」

「そ、それは分かりません……」

 申し訳なさそうにサナリは目を伏せる。

 こう言ってはなんだが、こういう人の同情を寄せるような姿が似合っている。何となく、隼は故を訊ねたことを反省した。

 サナリはこちらの顔色を見るような視線で、

「……ほかに、何か聞きたいことないですか?」

「ひとつある」

 隼は言った。「何で……俺を選んだんだ?」

 この幽霊は隼を幸せにしにきたという。その裏には、自分が幸せになりたいという魂胆があるわけなのだが、世の中この取引を持ちかける相手はゴマンといるはずだし、喉から手が出るほどほしい人間だっているはずだ。

 隼の幸福観は非常にありふれているものだろうし、自分が人として面白みがあるとは思っていない。孤独から解放されたいのであれば、他にもっと適した人物がいるのではないか。

 すると、思ったよりもサナリはあっさりと答えた。

「あなたがたまたま私を見つけたからです。そこに必然性は全くないです」

「たまたま……」

「……た、たまたまです。私達がそう簡単に発見されたら、実界はそのうち死者の世界に成り代わってしまいますよ……、実際に、心が折れて冥界に帰って、そのまま自我を失って消えてしまうひともいます」

 人は簡単に幽霊を見つけることはできない。だからこそ、サナリはようやく自分を認識してくれた隼に、どうしても契約を結んでほしかった。

 徹頭徹尾、契約をしたがる姿勢は、そこに依るものだったようだ。見かけによらず、かなりの根気を持っているらしい。誰からも存在を認知されることなく、だが誰かが見つけてくれることを信じて、ずっと漂い続ける心境を考えると、隼は気が遠くなる。

 そう考えると自分が数ある人間の中からひとり選ばれたのだ、と思っていた自分に罪悪感を覚えた。

 そんな風に思っていたのが顔に出たのか、サナリは照れるように、

「そ、そんな、わ、私は、そんなに長いこといたわけではないです、運が良かったのです……、すごいわけじゃないですよぅ……」

「……そう、なのか」

 なんと言えばいいのか分からずに、言葉に詰まる。今ここで、何をいっても陳腐にしかならないような気がした。

 沈黙。

 この沈黙の後は、契約をするか、しないかという段階に移るだろう。空気がそのような流れになっている。隼は、サナリがこちらが口を開くのを待ち焦がれるような表情でいるのをじっと見ながら、どう返事をするか迷っていた。

 断る理由はないように思える。

 しかし、本当に良いのだろうか。ここまで好条件に満ちていると、あまりにも虫が良すぎるような気がしてくる。裏に何かあるのではないかと疑ってしまう。

「……お約束します」 

 そんな隼の胸中を見透かすように、サナリは言った。「穏やかだけど退屈な日々に終止符を打って、もっと刺激的で、……喜びに満ちた日々を……私と……」

 泣きそうな顔をしていた。もはや懇願だった。ぐっと、何かが隼の胸の奥を強く押したような感覚に襲われる。

 理性はともかく、感情は全面的に契約することに賛成していた。

 それは、この少女の切実な姿が──去年、時木衣桜が近くから居なくなった時の、自分と重なっていたから。失望から希望を見いだせた時の喜びというものは、何物にも勝るものがある。

 隼は腹を決めて、口を開いた。

「それが……君の助けになるのなら、その契約というものを結んでも、いい」

 サナリは一瞬、何を言われたのか分からないかのようにきょとんとした顔になり、それから紙芝居の絵が変わるかのように破顔して、

「あ、ありがとうございます!」

 まさしく、命の恩人にするような感謝をした。




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