終章
気がついたら、隼は誰もいない支部(というプレハブ小屋)の中で、パイプ椅子に座ってコーヒーを飲んでいた。黒い液体はただひたすらに苦いだけで、うまいともなんとも思わなかった。でも喉は渇いているので、抗えずに無心で飲んでしまう。
時刻は一三時を過ぎたところ。平日の昼間なのに、どうしてこんなところに居るんだろう。
数分ほどぼうっとしていると、ドアが開いて創夏が入ってきた。どこか気が抜けたような様子だったが、隼がぼんやりしているのを見てぱっと表情を変える。
「隼! 生きてたんだ!」
「……生きました」
隼はまるでそれが罪であるかのような口調で言った。
「いやー、突然あの世界追い出されて冥界に行っちゃったから焦ったよ。バイスともはぐれちゃったしね。とりあえずこっち戻ってきたら……のうのうとコーヒー飲んでるっていう」
「のうのうとはしてないですよ。一応、死にかけましたからね」
「そう、あれからどうなったの? っていうか、腕結局切らなかったの?」
創夏に指摘され、隼は今初めて気がついて左腕を見る。ちゃんとそこにあるし、別に変な角度に曲がっていたりもしない。それが当たり前の筈なのに、何故か変な感じだった。
「斬りましたよ。超痛かったです」
「そうだよねー……って痛かったって? 冥界って痛覚無いんだよ?」
「そうなんですよね。切ったはずなのに、何故か今も腕があるし。よく分かんないです」
よく分かんないです、と言いながら、隼はその左腕をじっくりと眺めて、一人で納得していた。これは、約束だ。隼が死ぬまで守られ続ける、約束の証。そのしるしに、ちょっと右腕と比べてほっそりとしている。とてもピアノが上手く弾けそうな手だった。
創夏は首を傾げながら、パイプ椅子を広げて座った。そして、その黒いセーラー服のどこからともなくビール缶を取り出して開ける。プシュッ、と景気のいい音がした。
「ふぅん……、まあ、無事だったんなら良いけどさ。サナリとは会えたの?」
「会えました。元気そうでしたよ」
「元気もなにもあるの?」
「はい、元気に冥界を通りすぎていきましたよ。もう、サナリは半壊じゃ無いです。一人前の死者になったんです」
「一人前の死者……、か。耳が痛いね。そしたら、アタシは永遠に半人前さ」
創夏は中身が空になったビール缶を投げ捨てた。隼も同時にコーヒーを飲み干して、カップを床に放り投げた。カラン、とガシャン、と同時に音が鳴った。
「……もしかして」
創夏は大して驚きもせずじっと、コーヒーカップの破片を見下ろして、
「あんた、昇華したの?」
「まさか。俺は俺のままですよ」
隼は笑って言った。
夜まで二人はそのまま支部に残っていたが、結局バイスは帰ってこなかった。『滓』も一匹も来なかった。隼が学校に復帰した次の日も、そして、次の日も。
「冥界の時間感覚ちょっと変だからさー、まあ、そのうち帰ってくるよ」
流石に心配し始めた隼に、創夏はビールを飲みながらそう言った。そして「まずっ」と呟き、空き缶を投げ捨てようとして──、やめて、ビニール袋の中に入れた。
「ま、またカップ割られたらやだから、さ」
ぶすっとした調子でそう言った。
そうはいっても、やっぱり自分は昇華したんじゃないか、と隼は思う。何故か、左腕が元通りにくっついて戻ってきたのもそうだし、今まで漠然と『生かされていた』という感覚にあった日常が、どこかさっぱりとしたというか、垢を落としたような感じに見えてきたのもそうだ。
でも、今の俺は前の俺と変わらない、という確信はある。
何の拠り所のない確信ではあるけれども、でもこういう感覚が大事なことを隼は身に沁みて知っている。あの昇華という現象はそんな小さな要素を気にしていられないほどのエネルギーがあったが、でもこの感覚を代償として釣り合うものがあるんじゃないかと、隼は思う。
──今日の放課後も、隼は本を読んでいた。
黒傘、柄井俊也作。
今までのユーモラスな作風はどっかに消え去り、一気にダークホラーに転向した話題作、らしい。乃衣が貸してくれた。乃衣の部屋の本棚には、隼が衣桜に奨めたはずの本がすべて収まっていたのだから、自分も乃衣の推薦図書は読まなければいけない……はず。
そう思って読み始めたら、それはありえないほど怖かった。何故なら、それは隼が先日に味わって落ちかけた死の感覚を呼び起こすものだったからだ。この作者──柄井俊也が実際に死の淵に居たことがあったのかは知らないが、それにしても言葉の力は凄い。それが想像を綴っているだけ、と理解していても、こちらは勝手にそれを噛み砕いてリアルな形に再生産する。その材料が豊富にある隼にとって、このホラーは最恐のものとなるのだ。
そんな感じで鑑賞をしている隼の脇に、ドン、と置かれた木片の塔。
「……ジェンガ」
「重かった! さあ、始めるか」
英太はジェンガの入っていた箱をその辺の机に置くと、その辺にあった椅子に腰掛けた。そのまま、タワーの中から一本を引く。
隼はそれを見て、
「相変わらず強引だな」
「くく、我は貴様が此の呪われし塔の封印を解きたがっていると百貨店の玩具売場でのたうち回る赤子の如き心を見て取ったのだ……」
「面倒臭い口調で長たらしい比喩を使うなよ」
呆れながら、片手で一本抜く。それを見た英太は少し不満そうな顔をした。
「……本場オクラホマでは後攻は小指だけを使って抜かなきゃいけないってルールがあってな」
「いいから早く取れよ」
適当な地名出しとけば説得力が出ると思ってるんだろう。デタラメなうんちくに耳を貸さずに隼が促すと、英太はほーいと木片を引き抜く。
すると、がらがらがら、と慈悲もなくジェンガは崩れ去った。
「……」
「……いや、やっぱ二人でジェンガは面白く無い」
いつかどっかで聞いたようなセリフを吐いて、英太は散らばる木片をそのままにして駈け出し、どっかに行ってしまった。
また誰か拾ってくるつもりなんだろうか、と思いながら、隼は無心でジェンガを組み立てる。もうこのホラー小説を読む気にはなれなかった。こんな呆気無い日常に一旦戻ってしまったから、非日常の記憶を呼び覚ますような世界に身を投じる気が削げてしまう。
ふいに、誰かが脇に立った気配がした。
隼が顔を上げると、知識がそこに居た。例によって大きなギターケースを担いで、小さなコンビニの袋を片手にぶら下げている。
「……まだいたんだ」
隼は、ジェンガの一番上に積まれた木片を弄びながら、
「俺は勉強が趣味だけど、学校は勉強をするところだからな。いつまで居たって、居すぎることはない」
「久々にそういうセリフ聞いたけど、やっぱり変だね」
「変……か?」
「変。普通の高校生はそんなこと言わないよ。青春とかさ、リア充になるとかさ、とにかく楽しかった思い出を作ろうとするでしょ?」
「なら変じゃない。俺は、良い思い出を現在進行形で作ってるからな」
隼は木片をてっぺんに戻しながら言った。知識はビニール袋を近くの机に置いて、ギターケースを背中から下ろす。
「隼って、精神年齢高すぎなんだよ」
それから近くの椅子に腰掛けながら、言う。
「そんなことない。俺だって嫌なことは駄々っ子みたいに拒否する」
「……じゃあ、時木さんのこと……、どうやって折合いをつけたの?」
隼は知識がそう切り出してきたのを少し意外に思いながら、もう一度ジェンガの木片に手を付ける。
「それこそみっともなかったから話したくないな」
「……そう、ならいいんだけど」
「まあでも、今ではきちんと気持ちの整理はついてるからさ」
隼がそう言うと、少しだけ知識は目を伏せて何か躊躇うような仕草を見せた後、
「──あたしさ、結構、あのタイミングで告っちゃったこと、後悔してたんだよね。なんだか……時木さんのことを強く意識させちゃったみたいでさ。それで、その直後に英太が……」
「別に今更、そんなことを考えたってしょうがない。衣桜はずっと前に死んでたんだし、それがたまたまあのタイミングだっただけだ」
「……そう言ってくれると、助かるけど」
あの告白以来、少し知識との関係が気まずくなるかと思ったが、予想以上に知識は前と変わらない調子で隼と接してきた。意図しない(本能的な欲望による)自己改造で作られた隼に魅了されてああいう行動をとった以上、隼にも負い目の感覚があったから、それはとても助かることだった。
「俺も──」
と、隼が言いかけた瞬間だった。
「たのもおおおおおおお!」
教室の扉が無遠慮に開かれた。
隼は英太が帰ってきたのかと思って振り返ると──、そこにいたのはなんと生徒会長の姫田志緒里だった。
「な、何の用ですか……」
呆然とする隼を尻目に、志緒里はずかずかと近寄ってきて言う。
「ジェンガ! これね、この忌々しい幼稚な遊びを終われせて、さっさと業務に戻りなさい!」
「へえへえ、わかりやした」
ゴマをする間男みたいに英太が、その背後から近寄ってくる。いくら人数が居ないからってこんなとんでもない人を連れてくる事ないだろう。どうせ、「まさか会長、俺に負けるのが怖いんじゃないですか?」とか言って乗せられたんだろう。こういうセリフを言う英太はかなりウザい顔をするから。
「お、ササッティじゃん! お前も一緒にやろうぜ!」
英太が知識を発見して、声をかける。すると知識は少し不満そうな顔をしつつも、頷いた。
「別に良いけど……」
「よしこれで四人、ベストコンディションだ!」
そう英太が叫んでガッツポーズとった瞬間に、またこの教室に来客があった。
「ちわーっ、今日も何かやるんすか~、って生徒会長だぁー!」
肥田だった。志緒里の姿を認めて、ツチノコでも発見したような声を発する。その後ろから石地が顔を覗かせていた。無事に展覧会を乗り越えた石地の顔色は普段のような健康的な白色に戻っていた。
志緒里は珍物扱いされたのに憤慨したのか、
「何、そんな人をゴジラみたいに言って……! あんたらの部が外部の団体との交渉を円滑にしてあげたの、誰だと思ってんの!」
「いや、アレは助かったけど……何で、ここにいるんです?」
石地がもっともな質問をする。すると志緒里は胸を張って、
「この"バカ"に二度と口をきけないようにするために、わざわざここまで来てあげたの!」
「これ口に突っ込みでもするんですか」
隼がジェンガの木片をちらつかせて言うと、教室に笑いが起こった。
「違う! もう笑うなー! 今からあんた達全員敵だから! 二度とこの学校に来れないようにしてやる!」
真っ赤な顔して反論しているが、それは生徒会長としてどうなのだろうか。というか、そもそも煽り耐性低すぎでは──。
と、その時、
「皆さんお集まりでなによりですー! 劇団スマトマの公演情報ですー!」
乃衣が大量のチラシを持って教壇の上に現れた。乃衣は演劇部の活動だけでなく、一般の劇団の使い走りみたいなのを望んでしているらしい。
「チケットあたしがあげるから、来てね!」
チラシを隼に手渡す時、乃衣がそう告げてくる。衣桜が生きていると誤魔化していたことを、未だに乃衣は気にして色々なところで隼を気遣ってくる。もう気にしなくて良い、と言っているのだが、まあ本人が気の済むまで……ということで隼はそれに甘んじている現状だ。
英太は無論、このチャンスを逃すわけがなく、
「乃衣も遊んでこうぜ! 今日はゲストで生徒会長サマが来てるからな!」
「誰がゲストだ! 私は潰しにきたんだからね!」
志緒里が吼える。こんな猛々しい人が、ゴスロリのドレスを着るだけであんなにプリンみたいに柔らかな人当たりになるのだから(父親限定かも知れんが)、人というのは不思議だ。
乃衣はもちろん元気よく手を挙げて、
「え、もちろんやりますやりますー!」
「ちょっとこんな大人数なんて聞いてない──」
「大人数のほうが楽しいじゃないっすか~」
「ジェンガなんて久しぶりだな……」
「どういう順番でやるの?」
「ジャンケンで勝った人から順でいいだろ」
「おしきた! じゃあいくぞ、ジャンケン──」
ポン!
一瞬全員硬直して、皆が出した手の形を確認していく。
──勝ったのは隼だった。
「何だ隼からかー」
「というか、この人数だとそもそも一周できたら凄くない?」
「そういや、真ん中取るのってありなんすか?」
「ありでしょ」
「さっさと取りなさいよ、あとの業務が差し支えてるんだから!」
なんとも騒がしいけれども、これが俺の帰ってきた日常だ。ごくありふれた日常で、恵まれているけれどもどこかちょっと退屈で、もしかしたら何年かしたらすっかり忘れてしまうような一場面。それは誰もが求めていて、でも実は求めている限り実は誰もが既に持っているものなのかも知れない。
俺が死に物狂いで助けたのは、衣桜であると同時にこういう風景でもあったんだ。
隼は積み上がった塔へと左手を伸ばす。
サナリ、いや、衣桜がすぐ後ろのロッカーで欠伸をしているような気がした。両手で口を覆って、目尻に少し涙を溜めて、満足そうに微笑みながら、隼を見つめている──そんな気がした。
ありがとうございます。あと1ヶ月サボっていたら、一周年でした。でも完結に一応こぎつけたので良かったです。
6月くらいから急激に更新頻度が上がったと思いますが、まあ、きっかけがあったわけですね当たり前のことですが。
まずこの物語は前々々々作くらいの「マイリビングライセンス」というものの設定を元に、ぜーーんぶを一新したものです。
何故そうしようかと思ったかと言うと、まず「マイリビ(略)」以降に作った作品ども……が、ことごとく評価を得られなかったこと。マンネリを感じていたこと。もっと世界の狭いものでないとダメだな、と思ったこと。かわいい幽霊が書きたかったこと。パツキンのチャンネーを書きたかったこと。フリーダムを形にしたような親友キュラを書きたかったこと。
そして、ボーイミーツガールに必然性を持たせたかったこと。
「マイ(略)」ではまったく偶然から始まるために、初期の展開がけっこう雑だな、と思ったので、ある種ボーイとガールが結ばれる「必然性」を持たせるために、半壊の者サナリに生前というドラマを与えて、それで主人公に結びつけるという、王道に王道を重ねたド王道を提案しました。
それ故に、典型的なハッピーエンドは不可能になりました。
でも最近の嗜み的に、よくそうしていたようなハッピーエンドに少し抵抗を覚えていたので、どっちにしろこんな感じにはなってたと思います。
で、ひたすら「日常」とか「普通」とか「一般」とか使ってますが、この小説に出てくるキャラを誰一人として普通だと思ってないです。特に一番の一般人を自負している主人公隼などに至っては、成績トップという時点で普通を凌駕してますね。非凡です。それだから『滓』という暗黒物質に追いかけられることになるんですが。
……これは、最近のキャラクター至上主義に対するちょっとした抵抗だったりします。魅力のあるキャラクター、個性あふれるキャラクター、キャラクター有りきの物語。
こういう風潮下で歓迎されるヒロインを、某人が「白痴」のヒロイン、と凄まじい威力の単語を以って表現しているのを見て、少し考える必要があるなあ、と思ったわけです(この作品ではヒロインが埋もれがちでアレだったワケですけど)。
でも文章で、というか創作として表現される限り、そうならざるを得ない。「そう」なる……というのは、つまり超冷めた視線で見てしまった時に「頭おかしいんじゃない?」ということになってしまうキャラクターです。
だから、俺達は普通だ、と宣言し続けるわけです。
キャラが立ってない! うるせえ、これは俺の普通だ! 何が悪い!
キャラ濃すぎ! うるせえ、これが俺の普通だ! 受け入れろ!
まあ、これでこそ個性、という感じですよね。白痴なんて言われるかもしれないが、でも狂っていない創作物なんてどこをさがしてもないし、彼らから見れば彼らをキャラクターと呼ぶこと自体が狂気なのかもしれない。
ま、そんなこんなでこんな作品になりました。
読んでくださった方には途方も無い感謝の念でいっぱいです。
またなにか、新しい物語ができた折には、またおねがいします。
ありがとう、さようなら。




