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第十六節 金色の昇華

「んじゃあな! また来週に会おうぜ」

 英太は、これから一週間かけて旅行にいくとは思えないほどの軽装で隼の家を訪れていた。時刻は東の空にはまだ日が出る気配もないから、もはや未明だ。常人なら怒っているところだろうが、隼は平然とした顔で英太を迎えた。

「ほんとに行くんだな」

「当たり前だろ? 前も言ったとおり、ノート頼んだぞ」

「……じゃあ、何かおごれよ」

「おっけー! おみやげ期待しておいていいぞ。木刀みたいなかっけーやつ待ってろよ!」

「修学旅行かよ」

 隼がツッコミを終える前に英太はさっさとすぐそこでスタンバイしていた車に乗り込み、手を振ってきた。隼は息を吐いて、手を小さく掲げてそれに応える。どんだけ嬉しいんだ。それにあんなぺらぺらな荷物で一週間も過ごせるんだろうか? ──まあ、過ごせるんだろうな。ナンパ、サボリがお手の物のやつだ、今出かけていった時と同じ服装でふてぶてしく帰ってくるに違いない。臭そうだな。

 英太に起こされてこんな時間に眼は覚めているものの、今日はゴールデンウィーク一日目(明日から二日間はまだ平日だから正確にそう言わないのかもしれないが)、祝日だ。

 でも今日は創夏に呼び出されていて、支部に出かけなければいけない。昨日の夜に突然、連絡が来たのだ。

 ──隼! 聞いて、スゴイんだよ! いや、見て! かも知れない──アタシスゴイんだよ!

 何がスゴイのか知らないが、電話でならともかく文面でこの内容だ。いつもの創夏とはかけ離れたテンションに、隼は引っ掛かりを覚えて支部に行くことを了解した。

 石館創夏と仲良くしておけ、とバイスにアドバイスされたものの、創夏と会えたのはあれから一度きりだった。というか、そもそも創夏の連絡先なんて知らなかったから、先方から赴いてくるのを待つしかなかったのだ。創夏はそういう風に身体を改造して隼の居場所が分かるんだろうが(プライバシーもなにもあったもんじゃない)、隼はまだ『何も』していない。だから、どう仲良くすりゃいいんだと思ったが、むしろあちらの方からの絡みのほうが積極的だった。学校の門の前で待ち伏せされたのだ。お陰様で知識と英太と一緒に帰りそびれたのだが、まあ、知識にとってはありがたいことだったんだろう──まあ、それはいいとして。

 とはいえ、隼は創夏はもともと男子だったという可能性に気づいてほぼ確信しているために、前のような喜ばしさは胸に芽生えなかった。良い友達ができた、程度の感慨だった。

 それで、その時にようやく連絡先を交換した。アプリの中で、『石館創夏』の名前の下に可愛らしい犬のアイコンが出てくる。電話番号とかメルアドまで交換することはなかった。

「また……寝ますか?」

 何故かそう訊くサナリ自身が凄まじく眠そうだった。約束の時間まではだいぶあるし、手ぶらで良さそうだから支部まではワープで一秒も経たずに辿り着くだろう。クセになると良くないのであんまり多用はしたくないのだが、いかんせんあの支部は遠いしなんとかたどり着いてもあるのがちっぽけなプレハブ小屋となると、歩いて行く気にはなれない、

「ああ。寝る」

 そう答えるとサナリはこくんと頷いて、するすると壁を抜けて隼の部屋に戻っていく。隼が部屋に戻った時にはもうぐっすりと寝付いていた。隼のベッドの上で。

 もう、寝なくて良いか、と隼は思い、椅子に腰掛け机に向かう。机には本が平積みしてあって、そのうちの一冊を取った。柄井俊也、未来色の情歌。ひょんなことから、一つの楽団をその身に背負うことになった男の話。何故楽団なのに情歌なんてタイトルをつけたんだろう。なんて思いながらページを繰る。やがて、最後のページまで辿り着いて、なるほどなあ、と本を閉じた。


 カラッと晴れて、夏の足音が聞こえるような日だった。祝日の午後らしい、のんびりとした空気が漂っている。

 まるきり田舎な道路を歩いていき、支部へと向かう。ワープするにはひと目のつかないところに降り立たないと行けないので、往々にしてこんな具合に誤差を訂正しなければならない。

「何の用なんだろうな……」

 隼は誰も居ないことをわかっていて、そう口にする。

「……」

 サナリは黙っていた。また欠伸しているのかと思って振り向いたが、そうではなく、むしろなんと答えるべきか考えているようだった。

「心当たりがあるのか?」

「えっ……と……、創夏さんなりの……、集大成を見出したんだと思います」

 やけに意味深な物言いだ。隼はそれをとりあえず上辺だけで解釈して、

「じゃあ、いいものが見れるってことか?」

「そう……ですね」

 歯切れは悪かったが、でもきっぱりとサナリは言い切った。

 支部に到着して、その薄っぺらいドアを開けると、バイスがコーヒーをストローで飲んでいた。全身黒ずくめなのに、真っ白のカップ。そのうち、カップが灰色に濁ってしまいそうだ。

「く、珍しいな。お前がここに来るなんて」

「どうせ分かってたんでしょ……。石館さんに呼ばれたんです」

「ふん、意外と早かったな」

 意外と、早かった。なんだか文脈から外れているようにも聞こえたが──、もし文脈通りなんだとしたら、何かとんでもない、想像を上回るような事態が起こったんじゃないか、と隼は直感的に思ってしまった。

 その直後、

「ハロー! グッモーニン!」

 ドッダンバタ、カラカラカラ、と派手な音を立てて、『彼女』が入ってきた時には心臓が止まるかと思った。隼は脊髄反射でそちらの方を見てしまう。

 まず目に入ったのは凄まじく長い長髪……それも金髪。ド金髪。それも後で染めたものではない、一見しただけで自然と生えてきたものだと分かる艶のある発色だった。そして、セーラー服──何故かこれはドス黒い。この世に存在する色をすべて混ぜ込んだような純粋な黒で、スカーフまでもが黒い。よくわからないが、ソックスは白い。まるでいま見たバイスの姿を写したかのようだった。

 そして、手に持っているのは大量の嗜好品──もとい、缶ビールチューハイサワー諸々……。

 誰だ、この人?

 隼は本気で一瞬分からなかったが、

「よう、石館創夏……、随分楽しそうだな」

 バイスの言葉に、目を剥いた。

 創夏? このヒトが? だって、何もかも違うじゃないか。あんな髪色してないしあんなファッションしないし、持ってるもの……はまあ、ずっと好きだったか、えっと、結構舞い上がったところがあったとはいえ、あんなハイテンションな欧米人みたいな挨拶しないし。

「フフーン、そりゃそうでしょ! アンタだってなりたてのころは、そうだったんじゃないの?」

 創夏と呼ばれた人物は盛大に胸を張る。セーラー服とスカートの間から、そのドス黒い服装とは裏腹な白いお腹がちらっと見えた。

 ──にわかには信じられなかった。

「ほんとに……石館さんなんですか?」

 隼はやっとの思いで、そう訊ねた。彼女はピースを作った手で、バッと目元にあてがって(その手には指出しの黒い手袋が)、

「ホントだよ! あ、もしかして信じてないのん?」

 ショック……、と言わんばかりに目に不安の翳をちらつかせ、

「なら、これで信じるはず!」

 怒涛のタックル。助走無しでこれだけの勢いがつけられるなら、もう立ち幅跳びとか簡単に人間超えられるのでは──と、思った瞬間には、隼の身体に彼女は突っ込んできていて、猛烈な勢いで頬ずりをされていた。

「どお! このぬくもりは……まさしくアタシ、石館創夏のものでしょー?」

「ぐああああ……」

 ただすべすべとした頬が隼の皮膚を襲ってくるだけで、それが石館創夏である存在証明にはなっているかどうかと問われれば間違っているとしか言い様がない。だって、創夏にそんなことされたことなどないから……

「ぬ、ぬくもりなんて感じたことないですから!」

 隼は慌てて必死で彼女を我が身から引き剥がす。自然、手をついてしまったが、黒いセーラー服はやけに硬い素材を使っているようだった。

 彼女は意外にあっけなく離れると、ぺたりと地面に座り込んで、

「そ、そんな……、あの日の夜のことは何だったっていうの?」

「別にお互いフツーに寝てたじゃないですか……、というか、どちらかというと、サナリの方にご執着でしたよ」

「んー、まあ、うん、その時のアタシはなー」

「……その時のって……」

 彼女はすくっと立ち上がって、隼の前に仁王立ちになる。瞳はまっすぐな黒色で、控えめな唇は淡い色。髪は金色──、服はまるで支部長みたいな漆黒。

 ちがう。創夏じゃない……、でも彼女は口を開く。

「アタシは正真正銘、石館創夏。やっと『昇華』できたんだよ! サイコーッじゃない? もう……芋臭かった自分とはおさらば、ってね」

「……」

 隼は唖然とした、──するほかなかった。確かに、前の創夏もけっこう変な人だったが、ここまで変じゃなかった。どうして、こんなに短い間にこんなに変わってしまったんだろう──、どうしてここまで変われたんだろう。おかしい、変だ、いくらなんでも……。

「く、随分長くかかったな」

 バイスが餞別の拍手のようなものをパンパンと鳴らして言った。創夏は満更でも無さそうに、でもあんまり露骨に嬉しそうな態度にならない、ほのかなニヤケ面で、

「まあ、アタシの場合、大変身だったわけだし? 性別まで変えたのアタシが初めてじゃない?」

「そんなことはない。たぶん。意外と人類の歴史は長い、世界は広いから誰かしらやってるだろう」

「ま、世界初かどうかなんてどうでもいいけどね! オンリーワンが欲しかったんだ」

 まるで旧知の仲かのような話しぶりだ。創夏ではなく、バイスが、である。いつも、隼に対するどこか見下ろすような口調ではなく、まるきり仕事仲間に接するような、まるきり同級生に接するような気さくさが、全面に出ていた。

 つまり、創夏がバイスと……同じような存在に『昇華』した? 世界の終わりを見る、と宣言しているようなほどイカれた人間が、心を開くような……

「ど、どういうことなんですか……?」

 隼は問わずにはいられない。

「お、俺にはどういうことなのか……わからないんですが」

「分かってるんでしょう? アンタは頭がいいんだから」

 創夏は黒い眼を三日月型に笑わせる。バイスが小さく笑って、

「く、この女は今や俺の同胞。そういうことさ」

「そんな悪趣味じゃないけどね」

「おい、小突くな……、取れたらまたつけるの大変なんだぞ……」

 創夏がひょい、と跳んでバイスのヘルメットを突き、バイスは迷惑そうに抑える。隼は震えそうになる身体を押さえつける。

「同胞って……どういうことですか……?」

「く、見てわからんか。一歩、宇宙に近づいた仲間、というわけだ」

「だからー、そんな悪趣味と一緒にしないでって!」

「……えっと……石館さん……」

 埒が明かないと思って、隼は彼女の方を向く。ん? と小動物みたいに振り向いた彼女は、いつの間にか自分で持ってきていたビール缶を開けていた。

 隼は呑み込みかけた質問を思い切って口にする。

「あの……セインはどこにいったんですか?」

 いつもなら、創夏と一緒にひょっこり顔を出す少年の幽霊の姿がさっきから見当たらない。それがなんだか、喉にひっかかった魚の小骨みたいに刺さりそうで刺さらない、それ故のなにかを感じさせていた。

 創夏は、ああ、と今思い出したような素振りを見せ、

「セインはアタシだよ」

 自分に向けて人差し指を向けた。

「え……」

「なんだー、てっきりわかってるもんかと。これが、あの契約の最終的な目標だったのにねえ。弁証法でいうところのジンテーゼ。肉体と精神の核融合、さ!」

 創夏はそこでぐいっと、ビールをあおった。一瞬でその中身は空になり、「まずっ」と小さな声で言って缶をぽーんと放り投げる。

 隼は考える──そうしないと、自分の感慨に圧倒されてしまいそうだったから。

「つまり……人間と幽霊が合体して、別の一つの人格が出来上がるってことですか?」

「く、その通り。それを『昇華』という。諸外国でなんというかは知らん」

「華に昇る、なんてステキな単語だね! ふふふふふ」

 不思議な笑い声を立てて、創夏は二本目の酒缶を空けた。酒癖は変わらないらしいが──でも、その挙動は今までの創夏とはぜんぜん違う、赤の他人だった。

「さ、そういうわけだからさ、どんちゃん騒ぎをしよう! 今日はアタシの出生祝いだよ!」

 創夏、そしてセインが、大声で張り上げて三本目の缶を開ける。隼は何の抵抗もできないまま、その渦に巻き込まれていった。


 真夜中。

 隼はべろんべろんになった創夏の肩を担いで、外灯の明かりすら呑みこもうとする闇の中を歩いていた。

「ふふふふふふふふふ、アタシってば……隼に身体を触られちゃってる……ふふ」

 気色の悪い声でそんなうわ言を延々と繰り返していて、もうどうしようもない。

 ──さっきまでのどんちゃん騒ぎ(主に創夏だけによる)のせいで、今日は『滓』がとんでもない量で押し寄せてきた。しかも、創夏はご覧の有り様なので戦力にならず、ちょっとまずいな、と思ったらしいバイスが、

「俺がここを引き止めておくから、お前はこいつ連れて逃げろ。今日はここで宴会は終了だ」

 と言うほどのものだった。

 確かに、今までとはタイプの違う『滓』も居るようだった。その数二十を越す。バイスはプレハブ小屋の屋上にたち、どこからか取り出してきたらしい秘蔵の木刀を手に据え、飄々とそれらと対峙していた。まるで、映画のワンシーンみたいだった。

 いま、のろのろと夜道を逃げている隼たちもある意味では映画のワンシーンのようだった。たまに一匹ずつ現れる『滓』は空き缶をぶつけて撃退しながら、遥か先の創夏のアパートを目指す。終電なんてとっくに無いし、タクシー使うほどの金はないし、今の創夏にワープなんてやらせたらシベリアあたりにすっ飛んでいきそうだったから、徒歩で向かうしか無かった。当然今晩はもう家へ帰れそうになく、どうしたらいいか分からずにサナリに助けを求めると、

「大丈夫です、お家に電話をかけてみてください」

 半信半疑でその通りにしたところ、あっけなく了承が得られてしまった。──恐い能力だな、と思ってしまった。

「こっちの道です」

 サナリが淡々と道案内をしてくれるから、迷う心配は無かった。少し油断すると、創夏はするりと隼の手から逃れ、「リサイタルー!」とか叫びながらアイドルの曲を熱唱し始める。物陰から『滓』がぬるりと現れ、それを見たらすぐに創夏の手持ちの空き缶を投擲して仕留める。真夜中で人が居ないことが本当に幸いだった。傍目から見ればゴミを不法投棄する酔っぱらいと、騒々しい酔っぱらいが肩を寄せあって歩いているだけにしか見えなかっただろうから。



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