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第十五節 警句と浄化

「なら同姓同名の別人だろ」

 隼はきっぱりと言った。別にそういうのは珍しいかもしれないが、ありえないことでもない。そもそも性別が違うんだから、そう考えるしかないだろう。そんな少し冷めたようなニュアンスを込めて。

 肥田は期待が外れたからから、少し勢いを失った。

「そうなんすかねえ……? でも……」

「まあ、創夏だっけ……? 別に男でも女でも通用しそうな名前じゃんかよ。同姓同名だったっておかしくない……っていうか、そうじゃないとおかしいだろ?」

 英太が比較的真面目なことを言うと、乃衣は思案顔で、

「でも、性転換とか最近できるようになってるって言うからもしかしたら……」

 とはいうもののあくまで噂好きの女子のような口ぶりなので、そんな真に受けているわけではなさそうだった。

 でも、隼は確信していた。石館創夏は、男だったんだ。そして、大学進学で上京すると同時にセインの力によって女へと生まれ変わった。女子へのあの欲情ぷりも元が男であるということから考えてみれば納得出来るし、むしろ自然なことだし、ずっと女子に変貌することが理想の自分なのであったら、今をあれほど楽しそうに生きているのも当然のことなのだ。

 英太は乃衣の言葉をうけて、

「ふぅん、それであんな美人になれんなら、俺も……」

 隼はそんなことを言う英太をじろりと睨む。

「俺も、なんだよ」

「いやいやいや! 俺がなってどうすんだよ! バカッ!」

「なんなんだよ」

「というか、お前は何であんなワケ有りそうな美人と知り合いなんだよ! それを聞かせろよ!」

 英太はビシッと隼の鼻先を指さし、ぐっと詰め寄ってくる。それはもちろん俺もワケ有りだからだ、と言えればよかったが、黙っておいた。こいつらなら、いちから順序立てて話せば一応信じてはくれるんだろうが……、でも、そうしたらもうこいつらと正常な関係で居られなくなるかもしれないじゃないか。こんな風に、遊び歩くことも馬鹿な話をすることも阿呆みたいにゲームすることも、叶わなくなるんじゃないか、と。

 怖かった。

「い、いとこの友達でさ……、何故か今でも仲良くて……そう、たまーに、正月とか、お盆とかに、よく話したりするんだよ。それだけだよ」

「ホントかよ! さっきぶり~、とか言ってなかったか?」

「そんなん俺を困らせる冗談に決まってるだろ」

「ふぅん。そうか。くそう、いいなあ、俺だって……」

 必死に嘘をこねくり回して誤魔化したのだが、英太は意外なほどあっさりと納得した。「俺だって……」かあ。本当のことを話しても、「俺だって……」って言えるのだろうか、こいつは──。

「あのー、そろそろ次行きません? 俺、ボウリング行きたいんですよ!」

「いいね! あたしも行きたい!」

 肥田がそう切り出して、乃衣が同調する。英太と隼に異論はなかった。

 一行は生徒会長のことなどすっかり忘れて──、というか、もうさっきまでの会話もすっかり忘れて、平ヶ谷の街を歩きまわる。

 

 すっかり日が暮れてしまった。隼は英太と別れ、また乃衣とふたりで帰路についている。

「隼って大学どこ目指すの?」

「考えてないけど、国立だろうな」

「そりゃ、考えてない人の大半はそうなるんじゃない?」

「またそういう正論を……、まあ、できるだけ高いところを目指すさ」

 そんな他愛のない会話をした後、三叉路で別れた。別れる必要がないくらい、お互いの家はそこから近い場所にあるのだが、なんだか昔に比べてその距離はずっと遠くなったような気がする。小さい頃、この三叉路の道に挟まれた場所は空き地になっていて、ここでよくここらの子どもで遊んでいた。ここから、少し歩けば隼の家があるし少し走れば衣桜と乃衣の家があるから、真夏にそこで遊び疲れるとどっちかの家に麦茶を無心しにいったりした。

 今ではその空き地にも切り分けたチーズケーキみたいな建物が建って、隼の家から時木家は見えなくなってしまった。それ以上に色んな理由から、もう昔のように遊びにいくことはできない。距離感を感じるのも当然だった。

 隼は自宅まで近づいていって──、それに気がついた。『滓』だ。ぺちゃぺちゃと身体を鳴らして熊みたいなぶっとい四肢をくねらせ、鰐みたいな長細い頭でこちらを見据えている。相変わらず動きは遅いが、何らかの「挑発」をすると彼らは尋常じゃないスピードで食いついてくる。油断していると頭を持って行かれてしまう……。

 どうしようか、と隼が逡巡したその瞬間に、チーズケーキ型の建物の屋上から何者かが飛び降りてきた。音もなくその人物は飛来すると、『滓』に向かって長い槍のようなものを突き立てる。シュミレーターみたいに正確な動きだった。カンッ、と硬い音がするのと同時に、『滓』の身体はその名の通り細切れのカスになって飛び散った。

「バイス支部長……」

 隼はその人物の名前を読んだ。黒いコートをはためかせ、ゆるりと着地の姿勢から立ち上がったバイスは、相変わらず表情の見えないヘルメットをこちらに向けて、肩を笑わせた。

「く、久しぶりだ。今日は随分若々しく遊んでいたな」

「見てたんですか」

「暇だからな。こちとら、既に死んだような身の上だ。天国にいるお前の身内のような心境で眺めていたが……、お前、昨晩、創夏と何をしていたんだ?」

「べ、別になんともないお喋りですよ」

 まさかバイスにそんなことを突っ込まれるとは思わなかったので、隼は慌てて言い繕う。まあ、実際本当にそれだけだったのだが。

 バイスはそれを聞くと、さっき『滓』を砕いた槍のようなもの──よく見たら物干し竿だった、それでさっき『滓』がいた場所を突いて、

「く、今のワニ頭を見たか。あのワニ頭はだいたいにおいて、契約者の興奮に釣られて現れる。……あまり支部内でそういうゴタゴタは望ましくないから、できれば遠慮して欲しいものなんだが?」

「そ、その興奮は石館さんのサナリへの欲情の結果だと思いますが……」

「く、まあ、そうだろうな」

 バイスはあっけらかんと言ってから、真っ黒の手袋をした手の指を一本立てた。

「それで今日はな、人類滅亡の観測者である俺からの、アドバイスを伝えに来た」

「アドバイス」

「く、そうだ。まずひとつ、石館ともっと仲良くしておけ」

「石館さんですか……?」

 こちらから仲良くするというよりは、むしろ創夏の方からガンガン来ている感じなのだが。それにしても、なんだか小学校の先生みたいなアドバイスだ。

「ああ。お前が後悔したくなければな」

 バイスは至って真面目だった。意味深過ぎて、詳しく訊くのも憚られる。隼は神妙に頷いておいた。

「それと、もうひとつは」

 そう言って黒い腕を静かに下ろす。しん、と空気が引き締った。のっぺりとしたフルフェイスヘルメットに、外灯の光が暗雲のように反射している。戦隊モノのヒーロー変身後のヘルメットは、あんな風には光らない。

 バイスは言った。

「きちんと、考えることだ。お前の頭で、お前の責任で」

「一気に抽象的になりましたね」

「く、ではもっと具体的に言おうか?」

 ぐっと、喉元に詰め寄ってくるかのような物言いだった。隼は少し圧倒されながらも、

「はあ、じゃあお願いします」

「く、殊勝だな。簡単に言うと、お前は想像以上にヤバい状態にある」

「……ヤバい」

「難しく言うと危機的状態だ」

「別にそんなに難しくなってないですけど」

 それに、全然具体的ではない。

 バイスはまた独特のくぐもった笑い声をだした。

「く、簡単な問題だ。お前はプールの監視員だ。一人の子どもが排水口に吸い込まれそうになっているのを見つけたが、他に誰も気づいている様子はない。で、そこに大きな蟹が乱入してきた」

「蟹?」

「蟹だ。やたらと高価な、な。それがプールの客を襲いかかろうとしている。お前は散弾銃を持っていてそれならばその蟹を殺せる。だがそれはお前にしか扱うことができない。だが、蟹を相手にしていたら子どもは排水口に呑み込まれて大変なことになる。お前は、どうする?」

「……」

 なんとも粗末な舞台設定だが(というか、絶対思いつきで言ったんだろうが)、言わんとすることは分かる。

「どこか、そのあたりの人に子どもを頼んで、蟹の駆除に向かうんじゃないですか?」

「く、それは本当に考えた結果か?」

 バイスは嗤う。考えた結果、もなにも、そもそもそんなに考える余地などないではないか。

「自分だけで両方助けられるなんて、自惚れてなんていませんよ」

「くく、誰が両方助けろなんて言った。俺は、考えろと言っただけだ。誰も倫理を問うてるわけじゃないし、ハラハラドキドキを求めてるわけでもない。そうだな、例えばその散弾銃で自分の頭を撃ち抜いたらどうだ? それならどんな結果になっても、お前に『責任』を感じることはできなくなる。お前は消えるわけだからな」

「そんな……」

「く、救いたければ救え。死にたければ、死ね。自由主義バンザイだな」

 バイスは楽しそうに笑った。それを見ていて、隼は少し反論したくなった。

「そんなの……間違ってますよ。問いかけとして」

「間違ってるか? まあ、そうかもな。でも、間違ってない時もあるかも知れない。合っていることもある。それを判断するのはその時その場所にいるその人間だけであって、誰もジャッジなんてしちゃくれない。く、だから、その時のために、お前は頭を休めちゃいけない」

 それだけ言うと、バイスはひょいと手に持った物干し竿を隼に向けて放り投げた。隼は普通に、それを受け取ろうとしたが──、どう考えても人に渡すために投げた速度ではなかった。『滓』でなくともその速度でぶつかれば、人間でもただじゃ済まなさそうな……。

 身体が勝手にふっと動き、その物干し竿をかわした。空を切った竿はそのまま通過していき──、後ろにいたワニ顔の『滓』に当たった。『滓』は音もなく原型をなくしていく。

「サナリ……」

 隼の身体を動かしたのは、サナリだった。サナリは──泣きそうな顔をしていた。く、と。そんなバイスの呻きのような笑い声が、聞こえたような気がした。

 その時、ゴンッ、とすごい嫌な音がした。

「ん」

 隼はその音の方向を見やった。なんだろう、この既視感。投擲物、『滓』が突き抜ける、大きな音。

「なんじゃあ、ゴラーッ!」

 そして、怒声。頭に白いタオルを巻いた男が起こっている。その男の乗っている軽トラックのボディに、大きな凹みができていた。その側には物干し竿が転がっている。

 事態を悟った隼がバイスを見ると、黒ずくめの男は大仰に肩をすくめてみせた。

「く、お前らは帰っていいぞ。俺が、全部片を済ませてくる」

「そりゃそうだ」

 何で俺が悪いことしたような雰囲気にしようとしてるんだ。


 久しぶりに自室に戻ってきたような気がした。隼はなんとも言えない気分で、椅子に腰掛ける。

「サナリ?」

 隼はさっきから様子のおかしいサナリに話しかける。思えば昼間、平ヶ谷を散策している頃から様子がおかしかった。いつからだったか……。

 サナリはベッドの上に正座をして、人類の滅亡を待つかのように顔を俯かせている。黒い髪が重たい枝垂れ桜のように垂れ、幽霊っぽさに磨きがかかっているようだが、別段人を驚かせるのが生き甲斐みたいな幽霊ではなく、むしろ幸せを届けに来ている幽霊なのでそのビジュアルはミスマッチだった。

 隼は改めてサナリに向き直って、また名前を呼んだ。

 するとサナリははっとして顔をあげ、泣きそうな表情を見せた。

「はい……、あの……ごめんなさい」

「いや、謝るなよ……、んーと……何か嫌なことでもあったのか?」

 こんなあからさまに落ち込んでいる人間を相手にするのは初めてだったので、訊ね方もいびつになってしまう。サナリは質問に首を振って否定してから、潤んだ眼を隼にしばらく向け──、やがて口を開いた。

「あの……あなたは……、恋をしたことはありますか?」

「……えっ」

 予想外の角度からの質問に、隼は焦った。

「私はあります。創夏さんもでした。セインももちろんです。支部長は……わかりませんが、あの人は変わってますから──必要ないのかも知れません。でも……普通の人には、必要なものだと、思いませんか?」

 普通の人には、必要なもの。恋。

 その言葉は隼の心を強く打った。それはいくらでも反論の余地のある論理だった。恋の経験の無い人間を、望まない人間を変な人、で括ってしまうのは間違っている。

「あなたも……きっとそうです」

 ただ、その言葉に打たれてしまった。打たれてしまった以上、『間違っている』なんて退けることはできない。

「必要なのかもしれない。自分を大きく変えるには」

 隼は言った。言っただけで、そのセリフは空っぽの口の中に微かな残響を残しただけで、どこかへいってしまったようだった。

「俺は恋をしている」

 そう小さく口にした。

 ……そうと形にするだけで、驚くほど心が軽くなるのが分かった。

 サナリの表情がふっ、と緩んだのを見た。どこか驚きを孕んだようなその一瞬の所作に、俺は鉱泉を見つけたような気分になった。こいつは俺の幸せを届けに来た。俺の目下のゴールは、そこだったんだ。何気ない日常はぐるぐるぐるぐると俺を浄化して、この地点へと連れてきたのだ。

「明日から、大変だな」

 隼はつぶやいて、携帯を見る。衣桜から返信があった。隼は返信を済ませると、早々に床に就いた。サナリは嬉しさを胸中に収めているのか、小さな微笑を耐えず浮かべていた。欠伸はしていなかった。


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