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第十一節 少女と美女

「重くないのか? それ」

 とか考えていたのに、校門を出てすぐに訊いてしまった。それ、と指さしたのは背中のギターケース。

 果たして、知識はつんと隼の方を見ず前を向いたまま、

「……別に慣れてるから平気。あたしが背負ってるの見たこと無いっけ?」

「いや、初めて見た」

 もう知り合ってから一年経つというのに、楽器を背負う知識は初めて見た。というか、楽器を演奏する姿も見たことがない。ちょくちょくライブをしているらしいのだが、隼はそれに顔を出したことがないのだ。文化祭でもやる予定だったが、知識が熱を出したため代わりのメンバーが演っているのを聞いたくらい。音楽のことなどてんで分からないので、ドラムがうるさい、くらいの感想しかもたなかった。そんなこと言ったら怒られそうだから言わないが。

「まあ、大体楽器なんて学校に置きっぱなしだからね」

「今日は何で持って帰ってるんだ」

「休みに家で練習したいから。部活中は新入生の面倒見なくちゃいけなくて、練習できないの。今日は居残りして練習してたけど、……家で出来たほうが良いなって思って」

「へえ……、なんか大変そうだな」

「まあ……好きでやってることだし……」

 ぽつりと、知識は言う。なんだか、その言葉の裏側には色々な事情がありそうな気がした。知識の家はなかなかのビッグネームであり、関東にいくつか広い土地をもっているらしい。家は(隼は見たこと無いが)結構な邸宅で、知識はいわゆるお嬢様として教育されてきたらしく、厳しい監視下に置かれているようだ。そんな家柄なのにロックなことをしているとなると、家族との確執は凄いんだろうな、と隼は勝手に想像してしまう。

 そんなことを思いつつも、今サナリの力を借りれば楽器なんて容易く扱えるようになるんだろうか、とか不逞な事を考えたりする。

 二人から少し離れて歩くサナリの方を見やってみると、サナリはすぐに隼の考えてることに気づいて、「ちょっと時間がかかるかもしれないですね」と、苦笑を浮かべている。まあ、そうだろうな、とか、知識に気付かれないように口元を緩めた。

「居残ってたから、一人だったのか」

 隼が言うと、知識は頷いた。

「井代は何で一人? 下野とかは?」

「なんか……諸々の事情で消えていった」

 英太が生徒会長姫田志緒里に捕らわれていったことを話すと、知識は呆れた風に息を吐いた。

「懲りないな……」

「あいつももう慣れてる感じだったな、会長にしょっぴかれるの」

 あんな危機的状況でも、軽口を叩ける精神は社会に出た時役に立つのだろうか。

 それにしても、知識は何でもない風に英太の話題を出してきたあたり、隼は少し緊張した。

 これは石地も肥田も同意していることであるのだが、知識は英太を好いている。大胆にというか、直截言ってしまえば知識は英太に恋をしているのではないか、という話だ。英太にだけはやけに歯切れが悪くなるし、英太の話題を出すと何だか慌てたようになるし、こんなふうにさり気なく英太の所在を訊いてくるし。

 何だか、自分と衣桜の関係も、こんなふうに見られてるんだろうか、と思うと少し──どころでなく、結構気恥ずかしい。

 でもそう考えると、いわば隼と知識は似たような境遇にあるというわけだ。つまり……、知識もきっと英太を「好き」なのか「恋する」なのか、理解していないのだと思う。だからこそ、そんな自分の感情に振り回されるような仕草をするのだ、と思う。

 だから、相談したかった。

 ──また、後悔しないためにも。

「英太……といえば、お前ってさ」

 隼は言った。

「英太のことが、好きなのか?」

 その時やっと、初めて知識は英太の顔をまっすぐと見た。目を丸く見開いてびっくりする様は、何だか明日提出の宿題の存在を今リマインドされたかのようだった。

「な、な……何で?」

 何で分かったの? と言いたいのだろうか。隼と衣桜の関係については、皆ほいほいと突っついてくるくせに、英太と知識との関係は誰も突かないものだから、こんな驚かれたのだろう。誰にもバレてないと思って。

「違うのか?」

「……」

 知識はまた隼から視線を外し、前の方に向き直ってしまった。そのまま無言で、閉店間際で客の居ない酒屋の前を通り過ぎて行く。風がほとんどなく、空気が程よくひんやりとしている良い夜だった。

 隼は頬を掻きながら、言葉を考えながら紡いでいく。

「まあ別に、それについてでからかおうとかいうつもりじゃなくって……、英太あたりから聞いてるだろ、俺には幼馴染が居てさ……、事情で今は遠くにいるんだけど、えっと、乃衣の姉で衣桜って言って……、なんだか、よく分からなくってさ。その……単純に『好き』なのか、『惚れてる』のか……」

 自分で言ってて、何を言ってるんだか。隼の口調は尻すぼみになっていく。

 やがてぷっ、と知識が吹き出したので、もう恥ずかしさも限度を迎えて言葉が出なくなってしまった。

「井代ってもっと堅い人だと思ってたけど……、何だか、意外とうぶなんだ」

 そう言われては立つ瀬がないが、でもそれでも少しは言い返したい。

「お、お前も……そうだろ」

「あ、あたしは……違うよ。そういうのじゃない」

 おぉ、断言した。完全に隼から顔を背けているあたり、信憑性も薄い。

 でもその直後、「それに……」と呟きながら、知識はふっと隼の方へ振り向き、何かを口にしかけた。だが結局何も言わずに少し開かれた口をやがてもごもごと閉じると、

「ごめん、なんでもない」

 また前を向いて、一言、そう言った。

 隼は呆気にとられてその横顔を眺めていたが、結局その先の言葉は出てこなかった。妙な雰囲気の沈黙に包まれ、二人は別れる直前のカップルのように歩いて行く。

 ようやく駅に近づいてきたところで、ホームに滑りこむ電車を目にした知識は、「ごめん、あれ乗りたい! じゃあねっ」とだけ言って、駅へと走っていった。隼は驚いて思わず立ち止まってしまった。そのまま、充電の切れたロボットのように知識の背負っているギターケースが見えなくなるのを眺めていた。

「何だったんだ……?」

「……さ、さあ……」

 独り言のつもりだったが、サナリが拾って一緒に首を傾げてくれた。サナリなりにも考えるところがあったようで、複雑な表情をしている。さっきまで呑気な欠伸をしていたとは思えないほど真面目な面持ちだ。

 「それに……」の後にはどんなセリフが続いたのか。──色々想像してみて、最終的に「それに……あたしには、もう、『いる』から、さ」が一番、しっくりと来た。ちょっとした偏見かも知れないが軽音楽をしているのだ、必ずそういう出会いはあるはずだ。もう既に成就した後でも仕方がない。

 ──そう考えると、英太のことが好きなのか、なんていう質問は愚問中の愚問だったんじゃないかと思う。そりゃ、そんなことを唐突に訊かれれば誰だって驚くに決まっている。

 何だか今までの言動が黒い渦になって胸の奥にずるんと流れこんできたように、疲れが押し寄せてきた。情けなくてたまらなかった。こういう時に日本人は「死にたい」と呟くんだろうが、それは言い換えれると「穴があったら入って恥が無くなるのを待ちたい」ことだと隼は思う。今の身なら、無人の辺境に行くのも一瞬だから、どっか未踏の鍾乳洞にでも行きたい気分だ。

「あ、あの……」

 ふと、サナリが遠慮がちに口を開いた。振り向くとサナリはさっきよりも少し大人びた姿で、でもいつものような少し落ち着かない様子でいる。隼はなるべく傍目から見て不自然な様子にならないように、いかにも待ち合わせをしている様な格好で街灯のもとに立った。

「ん?」

「あの……もし私がボーイだったら契約してくれませんでしたか?」

「……何の話だ?」

「えっと……だから、私がこの姿じゃなくて例えばおじさんの姿だったら……、契約してくれませんでしたか?」

 サナリの瞳は不安を湛えている。何か隼の知らないものへ祈っているように、ぎゅっと手を合わせている。きっと、さっきの英太の話に影響を受けてそんなことを考えていたんだろう。とんでもない話だ。もしも彼女が、今その辺で疲れた身体を引き摺って家へと帰ろうとしているサラリーマンのような姿だったら──。

 あまり考える時間を要さなかった。至極正直に、

「契約してなかったかもしれない」

「……」

 隼があっさり言うとサナリは一瞬目を瞠って、それからすぐにうるうるとさせた。隼は慌ててすぐに次の言葉をつなげる。

「いやでも、それはプレゼン力的な表現の問題でさ、俺はあの時、お前の話にシンパシーを感じて契約したんだ。おじさんならおじさんのカッコをする意味のある交渉術を使って、俺を契約させようとしたはずだ。でもお前はその姿で俺をちゃんと納得させた。それは一つの表現の成功ってことで……、別に気にすることないと思う」

「……成功、ですか?」

 サナリは首を傾げる。隼は頷く。

「そう、成功した。お前のその姿が生前の惰性からとってるものだとすると……生粋のお前自身の力で、俺を口説き落としたっていう……ことだな」

 ……口説いた? なんだか、自分がひどく的はずれなことを言っているような気がしてきて、言葉が鈍っていく。何だ、これは、俺はこんな慰め方をするつもりだったか……。

「あ、ありがとうございます……」

 サナリはぽかんとした表情で、どこか遠慮がちに礼を言ってきた。どういう脚本のミスでこんな気まずい感じになるんだろうか。どちらかというと、「そうですよね」って、どこかふっと力が抜けたようなほほ笑みを期待していたのに、俺は。

「……」

 微笑みなんてありゃしない、むしろ多少戸惑ったようなサナリの顔をみて、隼はふと気づく。

 ──そうか、俺は格好つけようとしていたのか。胸の奥にしめやかに湧いてきた小さな衝撃は、ぬるりとその大きさを身体全体に広げていく。隼は冷たい街灯に背を預けて、ぬるくなった息を吐いた。そんなこと、到底出来るはずがないのに。衣桜に置いて行かれてしまった自分が、他の異性(のかたちをした幽霊)の前で、格好つけようなんて──。

 サナリが一人のガールであると同時に、隼は一人のボーイだった。これは平凡な、どこにでもある普通のボーイミーツガール。いや、隼にとっては平凡でも普通でも日常的でも何でもないが……、一般的に見ればごく平凡、そこら辺を掘ればいくらでも出てくる話。突然現れた少女、どぎまぎする少年。俺はその特殊性に浮かれいていないと思っていた。だから静かに英太のババ抜きの相手をし、サイコロの全パターン制覇の瞬間も誰にもそのことを豪語しなかった。

 でも──結局、俺は浮かれていたようだ。当たり前だ。だって、俺は普通の平凡などこにでもいる高校生。人間、誰だって、こうなる。自分はそうでない、と確信しているのなら、なおさら。

 サナリは目をきょろきょろと忙しなく動かしている。何か答えようとしているけれども、言葉が見つからないといった様子だ。

 やがて、視線を思い切り逸らしながら、口を開いた。

「あ……、あの……っ」

 さっきのよりもずっとタメのある前振り。隼は思わず、肩を強張らせる。

 しかし予想に反してサナリはふっ、と頬を綻ばせて、

「その、ありがとうございます……、その、嬉しい、です……」

 改めて礼を口にした。さっきの言葉と違って、何を根拠にして礼を言っているのか自分で理解しているようだった。隼は自分でも何が言いたかったのか結局わからなかったが──、結果的にサナリが納得してくれたのだったらそれで十分だった。

「……まあ、安心してくれたならそれで……っ!」

 隼は思わず絶句した。唐突にふわっと視界が塞がれたと同時に、背中に誰かの温かい身体が密着してきたからだ。

「だれだ?」

 甘い女の声。えらく酒臭い──がなんだか嫌じゃない匂いだ。あんまり良いものでない匂いを、臭く感じさせない芸当ができる知り合いは少なくとも一人しかいない。

「石舘さんですか」

「あたり!」

 ぱっと目隠しを解いて、ぱっと隼とサナリの間に割り込んでくる。明らかに張り切って準備したんだろうな、とひと目でわかる服装──よくわからないが都心のブティックでおしゃれな人たちが「カワイイ! けど高いなあ」と言って敬遠してしまいそうな春物のコートに、ヨーロッパかどこか現地で買ったようなおしゃれなブランド物のバッグを下げて、ばっちりと自分のものとしている石館創夏は、その美貌にハッとしてしまった男を一瞬にしてげんなりとさせるようなくらい、酔っ払っていた。

「ああ、幸せ! こんなにたくさんお酒を飲んだあとに、隼くんとサナリちゃんに会えるなんて! 明日、世界が海の底に沈んで私だけ箱舟に乗って助かっても仕方ない位の楽しさね!」

「俺達は助けてくれないんですね」

「流石に中はプライベートだからねぇ……」

 創夏は恥ずかしげに視線を逸らす。箱舟を私物化とか、この人ならしてもおかしくなさそうだが──いや、おかしいか。あまりこの酔っぱらいと真面目に話をしてると、こっちも変になりそうだ。

「で……、石館さん、いま帰りなんですか?」

 隼は言いながらちらっと、セインが近くにいるのを確認した。なにか面白いものを見つけたような顔をしていて、なんだか気味が悪い。まあ、そもそも幽霊がこの薄暗い道で突っ立っているという時点で既に気味が悪いのだが。

 創夏は上機嫌で、

「そうよ! でも、さっきは、このまま帰ろ~って思って電車乗ってたんだけどね、君たちの姿が見えたから、ぱって降りてきちゃったの!」

「で、電車から見えたんですか……?」

「見えるわよ~、サナリちゃんめっちゃ目立つんだから!」

 そう言って創夏は自然な動きでサナリに抱きつき、サナリは目を丸くする。こうして見ると、仲の良い姉妹みたいに見えなくもないが、とろけそうなほどデレデレした表情の創夏が、恍惚の隙間から垂れ流すように言っているのを聞くと、そうでないことがわかる。(見た目的に)同性間だからまだ見ていられるものの、これが異性間だったらもう直視できなかっただろうな──、と隼は肩を落としながら思う。そんな風に思ってることがセインにバレたら、また面倒くさいからかわれ方をするんだろうが……。

 とはいえ流石に駅前で人通りの可能性が大きいからだろう、創夏の愛で方はかなり大人しかった。隼はそこに救われて、質問を返すことができた。

「遠くからでも見えるんですか……?」

「そうよ、隼くんもそういうふうに進化しておくと便利よ」

 サナリをぎゅっと胸元へしまいこむように抱き寄せながら、創夏は言う。やっぱりそういうことか──、やっぱりズルい力だな、と隼は思った。

「……じゃあ、帰るわよ」

 創夏は唐突にそう切りだすと、踵を返して駅へとまっすぐ向かっていった。あまりに唐突だったので、何故か突然冷たくなった恋人に追い縋る男さながらに、隼は慌てて追いかける。

「い、いきなりどうしたんですか」

「こんな公衆の前じゃ何だから、帰ってからお話しましょう、ってことよ」

「いやいやいきなりシラフになるのやめましょうよ……、って、帰るって……まさかうちにくるつもりですか?」

「何言ってるの」

 創夏はいたずらっぽく隼のほうをちらりと見やって、

「あなたが、うちに来るの」

 意味がわからないほど理不尽だった。


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