赤い花
ある街に生まれた美しい娘の話です。
私はこの街で一番、誰よりも美しかった。
家族はもちろん私の家にやって来る人、通りすぎてふと私の部屋に目をやった人、皆が皆、私に見惚れた。
それくらい私は美しかった。
他の街の住民も、私より身分の上の貴族も、一国の王さまだってはるばる馬を走らせて私を見にやってきた。
そして私を見るたびに
「なんて美しい娘なのだろう!」
と、私をほめて様々な贈り物をした。
美味しいお菓子に綺麗な服、そして輝く宝石。
やってくる贈り物は途絶えることなく、私の部屋に溢れていた。
だけど、私の心は満たされなかった。
満足に外の世界を見たことがない私は、満たされる先を人ではなく外へと転じた。
皆は外に出ることを許してくれなかった。拒まれればさらに激しくなる恋のように私の思いもそのたびに濃くなっていった。一回家の塀を飛び越えようとしたこともあった。でもそれが成功したことは一度もなかった。私はいつまでたっても地図でしか外もみたことがなかった。
「貴女は皆のものだから、もうどこにもいかないで」
涙ながらに訴える母を見て、私は外にいこうとする事を諦めた。皆はより一層私を愛して、たくさんの贈り物を贈った。
そんなある日のことだった。
私の家の目の前でとても美しい花が咲いた。
それはそれはとても大きくて、花弁はとても厚く立派で、夢見せる香りは二階にある私の部屋にも届いた。
たちまち私の家の前に人混みができた。皆、その美しい花を一目見たいと毎日やってきた。最近は遠くの王様までも馬を走らせて来るらしい。
ぽつり、ぽつりと私に会いに来る足どりは消え始め、私の家の前で皆帰っていった。
皆は私にしたように様々な贈り物をその花にした。
山奥から取ってきた澄んだ水、栄養たっぷりの土や肥料、そして夜でも咲き続けるように明るく照らすランプ。人々の贈り物は途絶えなかった。その代わりに、私のもとへの贈り物はどんどんと減り続け、たった一人しか届かなくなってしまった。
気に入らなかった。
私という美しい娘がいながら私の家の目の前で満足して帰ってしまう貴族や王様や街の住民を見ると、私はとても腹立たしくなった。
だから、私は。
皆に私をほめてほしくて。
私だけを見てほしくて。
あの美しい花を引き抜いた。
次の日、街中は大騒ぎになった。
あの皆に愛されたあの赤い花は引き抜かれ、踏みつぶされ、ちぎられていた。
街中の皆は嘆き悲しんだ。街中だけではない。隣街の人々も、その隣街の人々も貴族も王様も、動物たちも深く、深く嘆き悲しんだ。
たった一人、私を残して、世界は悲しみに包まれた。
私の時もそうだったように、何日かすれば、皆花のことを忘れて私のことを見てくれる。
私は内心そう思って小躍りしていた。何日かすれば、あの元の生活に戻れるのだ。私は早く皆の悲しみが引くのを待ち望んだ。
でも、皆の悲しみはひくことはなかった。
それどころか、日を重ねるごとに悲しみは深くなる一方で、皆が私の元にやってくることはなかった。
私は苛立った。どうして皆あの花のことを忘れないのか、どうして私のことを見てくれないのか、どうして、私をあの花のように愛してくれないのか。
私は悩んだ。悩んで悩んで悩んで悩んで悩みぬいたある日、事件は起きた。
私の足が、私自身の体重に耐え切れなくなって砕けたのだ。
その激痛が引き金となって私の体が悲鳴をあげ始めた。
細く空洞となった骨たちは治りが遅く、簡単に折れ、美しいドレスを着るためにコルセットで締め上げた体は形が歪み、食べ物を通さなくなっていた。日に照らされることなどほとんどない肌は不健康にくすみ、吹き出物が膿をためる。
その時、私は気付いたのだ。
私はもう、美しくなんてなかったということを。
気付いた時にはもう遅くて私はベッドから動くこともできなかった。
窓から見える景色だけが寝たきりの私に季節を知らせた。
春には小鳥が鳴き、夏には強い日差しが差し込んで秋には落ち葉が舞い、冬には雪が北風と一緒に走る。
季節はめぐり、過ぎる時は私から体力を奪った。
それでも、人々は私のために涙を流してくれることはなかった。
彼らの心は私の付け入る隙がないくらいに全部、あの花のものだった。
もう、誰も私のことを思い出す人もいなかった。あの時泣いた母でさえも、私の部屋にはやってこなかった。
寂しさは体の痛み以上に私の体を貫いた。
ボロボロになった体で、もう見るも絶えない姿になっても、私はまだ誰かに愛されたかった。
でもその気持ちとは裏腹に私の体は流されるように衰えた。
奇跡なんて起こるはずもなかった。
誰と話すこともなく、一日が過ぎ、その一日が重なり、月日が過ぎたある日、街がまた大騒ぎになった。
私が昔引き抜いたあの美しい花が再び咲いたらしい。
ただそれだけで暗く淀んだ街の色が明るく弾んだ。
美しい花はあの時と同じように掌より大きくて、赤い厚い花弁を持っているらしい。
私にはもうその姿は見えなかったが、ただ一つだけその花の香りで彼女を知ることができた。
前と全く変わらない強く夢見る甘い香りは体の痛みを和らげる。
ふと、涙がこぼれた。それは止まることなく頬を伝う。
体は震え、私は自分で自分を抱きしめた。
夢見る香りで思い出した。
気に入らなかったのではない。
私は彼女になりたかったのだ。
いるだけで誰かを安心させる何かに、そばにいてほしいと思える何かに。
いつまでも美しくて、人を笑顔にする何かに。
私は、あの美しい花のようになりたかったのだ。
「でも、」
私は静かに笑って目を閉じる。
もう、私の体では何もできなかった。
さようなら、現世。また今度。
赤い花はいつまでもいつまでも咲き続けていた。
ここまで目を通していただき、ありがとうございました。