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 情緒不安定、だったのだろうか。

 生理中で気分が悪い、というのもあったのかもしれないが、どうもそれだけではないような気がした。

 苛立った声を出してしまったのは完全にこちらが悪いものの、普段の彼女ならそれくらいで涙を流すというのはないだろう、と。何となくだがそう思う。



 細身のジーンズと。

 丈の長い薄手のセーター。首元は若干鎖骨が見えるが、それほど肌を晒しているわけではない。

 ドアを開けた瞬間に、その格好の京子を見て。これはかなり警戒しているな、と感じた。彼女がその服装を選んだ理由は間違いなく、前回この部屋で自分がした事を気にしているからで。


「・・・熱いぞ」

「うん。ありがと」

 差し出したカップの中身はコーヒー。

 彼女の為に、昨日いそいそとスキムミルクと料理用ではない砂糖を買い揃えた自分を笑ってしまう。

 まるで、前回の再現のようにカップを手渡して、京子の横に腰を下ろしたが。ほんの少し、本当にわずかだけれど、彼女の肩がびくりと反応したのを見た。この前とは打って変わったその態度が、嬉しくはあったが、少々警戒しすぎではないだろうかと悲しくもなる。


 今日、自分の部屋に再び京子を招いたのは、もう少し距離を縮めようと画策したからに他ならない。

 それなのに、彼女の方はと言えば。素直に訪れてはくれたものの、自分が触れるのをひどく恐れているかのように見える。そっと溜息を吐いて、これまた事前に用意していたビデオを再生する。

 これを観ようという名目で、彼女を誘い出したのだ。両手でカップを包んで、その中身を冷ます京子の横顔を盗み見ると。少し落ち着いたのか、目線はテレビへと移ってくれていた。今日はまだ一度も、髪に触れることすらできていない。彼女の不安を悟ってしまったので、何となく、手を引いてしまう。

「京子」

「・・・っ」

「何もしない。だからそんなに怯えないでくれるか?」

 名前を呼んだだけで、彼女の持つコーヒーに波が立った。

 それを見て、伸ばした手をゆっくりとその細い肩に回して。柔らかい髪の中に少しだけ指先を入れる。怖がるなと言うのは簡単だが、こちらの態度で理解してほしかった。差し込んだ指で髪を梳いて、彼女の反応を待つ。

「・・・ゆっくりでいいから。こうしてるも嫌だとか言われるのは、さすがにヘコむけど」

 覗きこんだ目の周りに差す朱、それが扇情的だった。

 それでも衝動を抑えられたのは、全て彼女を想うが故で。

「ううん・・・大丈夫」

 引き結ばれていた口元に笑みが浮かんだのを見て、ようやくほっとする。

 核心を口にせずとも、彼女はこちらの言いたい事を分かってくれたようだった。少しだけ体重をこちらへと預けてくる体が物語っていて。もっと傍に寄ればいいのに、と思いつつも、これが限界だろうと言い聞かせる。


 彼女にとっても、それから、彼女に手を出したくて仕方のない自分にも。





 ビデオテープが自動的に巻き戻る音だけが部屋に響いていた。

 流れる沈黙は居心地が悪くて、肩の上に乗った温かい手の持ち主が、今何を思っているのかが気になって仕方なかった。正直、今日この部屋に来る事に躊躇いを覚えて、本当は辞退しようとしていたのだ。けれど、それを口に出して呆れられるのが怖くて、彼の誘いに頷いた。

 自分でも何が怖いのか良く判らないのだけれど、漠然とした不安と焦燥に(さいな)まれているのは確か。

 何もしないと改めて口にした佐山は、それを苦々しく思っているだろうか。耳に届いたその柔らかな声は、自分を落ち着かせる効果はあったが、完全に不安を拭い去ってくれた訳ではない。

「・・・これって続きあるんだっけ?」

「ん? ああ・・・」

 何も言い出さない彼に、こちらから口を開く。

 ここに来てから、ようやくまともな言葉を吐き出せたと気付いた。コメディータッチのその映画を見てる間、お互い笑いはしたものの、会話だと位置づけられるようなものは一切していない。


「じゃあ、今度続き観ようよ」


 引き寄せられたままの状態で、勝手に出てきたそれに自分で驚いた。

 隠す間もなく、それが顔に出てしまったのが分かる。口走った言葉は、またこの部屋に来ると宣言するのと同義。


「・・・っ」

 彼の顔にも驚きが奔ったのは見ていた。

 けれど、一拍置いて、それが笑顔に変わって。

 触れるぞ、と先に断るかのように、じっとこちらの目を覗き込みながら、ゆっくりと近付いてきた彼の唇を受け止める。こうしてキスを落とされたのも、今日はこれがはじめて。

 ちゃんと待ってくれていたのだ、その誓約通りに。

 自分が落ち着くまで、二時間以上も。


「んっ、佐山さ、・・・ん」

「・・・これくらいは・・・許せよ・・・?」


 一度離した唇が、ものすごい至近距離で動く。艶めく目線が突き刺さって、その低めの声にぞくりと何かが背を這った。それが嫌な感覚から生まれたものではないと分かったのは、背を支えていた彼の指が、下方に向かって少し移動したせい。腰の辺りに痺れを与える、そんな感触をもたらしたから。

「京子・・・?」

 全身が、自分のものではないように弛緩していた。頷いて彼に了承の意を伝えることすらできず、ただ彼のシャツを手の中に握りこんで安定を図った。

 ふ、と小さく笑う声と一緒に、再びキスを落とされる。繰り返し角度を変えて啄まれ、口の中を探られ、気の遠くなるような甘さを与えられる。

 それを、心地いい、と。

 頭のどこか奥でそう感じている。佐山が唇を重ねるのは紛れもなく自分であり、その愛情を向けられるのも自分であるのだ、と肌で感じて。


「・・・っ、好き・・・」

「・・・知ってる」


 自分から唇を離して囁いたそれは、くすりと笑う佐山の返事にあっけなく受け入れられた。そんな風にあっさりとかわさなくてもいいのではないか、と少々むっとしたのは、ほんの一瞬。


「俺がこういう事、してる時点で・・・気付けよ」


 再開されたキスの合間に、やたらと艶っぽい声音で囁き返され。

 自分の零れ落ちた言葉と同じ、好きだという確固としたもので返されなくても。

 それで、充分だった。

 むしろ、激しくなっていく口付けの隙間に囁かれると、怖ろしいほどの満足感を伴う。

 満足感というよりも、全身を奔るそれは、快感、というものに近いかもしれなかったが。


「ああ・・・っダメだ、・・・はい、やめやめ」

「・・・え?」

 ばり、と音がしそうな勢いで体を放されて、彼はといえば、右腕で顔を覆って天井を仰いでいた。

「えーと・・・佐山さん?」

 急にキスを止めたことを不思議に思いながらも、息を整える。あれ以上続けられていたら、酸素不足になっていたかもしれないので、自分としては良かったのだろうけれど。

「何・・・」

 ソファに仰け反っていた体勢を元に戻した彼が、先程の余韻の残る声で呟いた。

「もういちゃいちゃしないの?」

「っっ!? な、お前・・・、・・・したいのか?」

「え・・・あー、今まではいちゃいちゃしてるカップル見るとイラっとしたけど・・・なんだろ? 自分がその立場になると、いちゃいちゃしたいなーって思うかも」


「いちゃいちゃね・・・例えば?」

 苦笑する彼の顔。なんとなく、その目が熱っぽく感じる。

「・・・佐山さんが、髪撫でたりとか」

「ふーん・・・」

 もう一度伸びてきた腕が、背中に回り。

 彼は無言で髪を梳く。

「あとね、名前呼んでくれたりとか」

 リクエストに応えてくれるつもりなのだろうか。先を促すような沈黙に、つい口が動く。

「・・・京子」

 あっという間に戻ってきた熱が、耳まで赤に染めているのだろうと自分で分かった。意識しているつもりはないのだけど、何故か目まで潤みはじめる。

「それから・・・」

「それから?」



「・・・・・・キスして」


 そう紡ぐのに、何時間もかかった気がする。

 優しく唇を塞がれて、頭に霞がかかりそうになった。


「これだけか・・・?」

「っ、うん・・・これだけ」


 間近の彼は、傍目にも判るほどがっくりと肩を落として溜息を吐いた。

「お前の言ういちゃいちゃは・・・俺の我慢大会かよ・・・」

「あー・・・ごめん」

「ごめんで済んだら警察いらん・・・まあ、いいか。少しずつ馴らせば」

「・・・慣らす・・・?」

「ああ。馴らす」


 にやりと笑う彼に、思わず体を引いたら。

「焦る必要はないからな・・・悩むな」

 そう言って、不意打ちのキス。

 ぺろりと最後に唇を舐められ、一瞬の真面目な声音。


 こちらの考えなんて。

 全て、読まれている。

 ずっと張り詰めていた何かが消えて。降参だ、と白旗を揚げる。


 なるようになるかもしれない、とようやく。

 ようやく、そう思えた。


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