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「・・・市村、ちょっと」


 とうとう我慢の限界を超えて飛び出した声は、刺々しいものを含んで響いた。

 自分ですらそう思うのだから、呼びかけた彼女や、少し離れた場所にいた真理の顔には当然驚きの表情が浮かぶ。

 幸い、周囲に他の人間は見当たらなかった。もちろん、そこを狙って京子を直接手元に呼んだのだけれど。


「帰り支度しろ。送ってやるから」

「・・・え? なんで?」

「お前、体調悪いんだろうが」

 廊下に出た彼女を見下ろした。

 今日、一番はじめに彼女を遠目に見た時に、何かおかしいと思ったのだ。顔色が悪い、の一言で片付けられる、いつもとは違う京子。そのまま視線を下ろすことは到底できなくて、しばらく観察していると、どことなく体も重そうで。

 

 それで、悟った。

 彼女は体調が優れないのに、無理をして動いていると。

それでも周りに言われるままに仕事をしていく京子を見て、腹が立った。一向に休む気配もないので、いてもたってもいられなくなり、直接言わなければ、と立ち上がったのがつい先ほどの事。


「真理さん。市村具合悪いので連れて帰りますよ」

「あら、気付いてくれたんだ? やるじゃない」

「ちょっ、待ってよ、佐山さん!」


 近くで見る京子の顔色は、やはり良くない。それを確認して、ディスプレイを作っていた真理に許可を取ろうとすると。彼女はにこりと笑って頷いた。どうやら先程、自分が穏やかならぬ声を出していたのにも関わらず、黙って京子を見送った理由は、彼女も気付いていたかららしい。それで自分がどうするかと観察していたのだ。随分と意地が悪いとは思ったが、口には出さず頷き返した。

ひとり黙りこんでいた京子が一拍置いて抗議をしてくると、真理が笑顔のまま口を開く。

「京ちゃん。体調管理も仕事の内。体調管理って、病気しないように、っていうのは勿論だけどさ。病気になるなって言ってる訳じゃないんだよ。具合悪くなっちゃうのは仕方ないじゃん? そういう時に無理しないで周りを頼るのが体調管理って言うんだけどね?」

「・・・いい事言いますね」

「いつもいい事しか言わないわよ、私は」


 お互い笑いあってから、同時に京子を見る。気まずそうにするその表情は、歳相応だと思った。

大人に気を遣う子供。


「ってことで、佐山に甘えて、いちゃいちゃしながら帰りなさい」

「なっ、でもっ!」

手を振る真理に、それでも食い下がる京子。意外と頑固だなと思った時に、真理が微笑みながら京子の頬に小さく口付ける。

「・・・うー、あー、じゃあお願いします」

何故かそれで大人しくなった彼女がそう言って、腕を広げる真理に抱きつき、同じ様に頬にキスを落とした。

「あと私がやっとくから大丈夫。はい、じゃあね。他のヤツらに捕まらない内に帰るのよ」

 片目を瞑る真理に頭を下げて、ようやく京子は帰る素振りを見せた。

 それはいいのだが、何となく納得がいかないのは、きっと。

「佐山さん?」

 呼びかけられて、とりあえずその背を軽く押す。

 こんなところで、嫉妬している姿など見せる気もない。

「ざまーみろー」

 背中で含み笑いとともに吐かれた言葉は無視して、京子を外に連れ出した。





「ったく、お前は・・・」

 店舗の駐車場を出て、しばらくしてから彼がようやく口を開く。

 開いたと思ったらそれは苦々しげな声。今日はじめて話しかけられた時ほど尖ったものではなかったが、それでもまだ少し、そこには苛立ちのようなものが含まれていた。

「・・・ごめん」

「っ、謝るくらいなら最初から素直に気分が悪いって言えよ」

 それほど自分の顔色は傍目にも、遠くにいた佐山にも判ってしまうほどに悪かったのだろうか。午後中ずっと保健室のベッドで横になっていたおかげで、大分楽になったのだけれど。

「何でわざわざ無理してまで出るんだ? 電話一本かければ済む話だろ? 休むななんて言う人間はあそこにはいねぇんだよ」

ハンドルを握る彼から次々と不機嫌な声が飛び出してくる。畳み掛けるように乱暴になっていく口調が、佐山がどれだけ苛立っているかを物語っていた。


「だから、ごめんって!・・・っ言って、るのにっ」

 彼が。

 自分を心配してそう言っているのは分かっていたのだけれど。体調の悪そうな自分が一向に帰る気配もなく、いつもと同じ様にしていたことを気にかけて、こうして帰らせてくれたのは分かっていたのだけれど。

「・・・そんなに怒んなくてもいいじゃん・・・っ」

 そんな事は望んでいなかった。

 彼に怒って欲しい訳ではなく、笑顔を向けて欲しかったのに。

 隣から苛立つ声を投げて欲しい訳ではなく、優しい声を聞かせて欲しかったのに。

「っっ、・・・あー、・・・あー、悪い、・・・京子」

 滲んだ涙を抑える事ができず、あっという間に零れ落ちてしまった。こんな事で泣きたくないと思っていても、勝手にそれが流れていく。気付いた佐山が慌てた声を発し、いささか乱暴に車を路肩に寄せても、涙を止めることができなくて。

「泣くなって。ごめんな」

 頭を撫でられ、そっと引き寄せられる。ふわりと自分を包み込んだ温もりは、更に涙腺を刺激した。

「佐山さんがっ、怒る、からっ」

「ああ、うん、もう怒ってないから。そんなに泣かないでくれ」

 耳の上で彼の弱りきった声が響く。つい数瞬前まで発せられていたものとは打って変わったその声音に、混乱して自分でも抑えられなかった何かが消えていって。

「あー、何やってるんだか、俺は・・・」

 長い嘆息が頭の上を流れていった。直後、ぎゅ、と力を入れて抱きしめられ、その腕の中から解放される。

 苦笑して運転席に体を戻して。

「・・・今更だけど、気分悪くないか?」

 左手が伸びてきて、その甲が頬にぺたりと触れる。

心配そうにちらりと流された視線も、右手はハンドルを握っていても、こちらの返事を聞くまではまだ動き出そうとしない仕草も。


嬉しくて、好きだと思った。

 

「平気。ただの貧血だから」

 自然とこぼれた笑みと一緒に答えれば。

「ああ、生理か?」

「っっっ!! っ何言ってんのー!?」

 真面目な顔と声でさらりと返されて、半ばパニックに陥る。

 なんと言うか、彼を愛しく思った一瞬前の甘さが台無しで。

「っデリカシーない!!」

「落ち着け。・・・あー、そういやまだ高校生か・・・恥ずかしいのか、お前」

「当たり前っ! さすがの私も恥ずかしいよ!! っ信じらんないっ!!」

 赤くなった頬を押さえながら左の窓に顔を背ける。そちらを向く前に視界に入った彼の顔はどこか困ったような表情だったけれど、そんな事を構っている余裕はない。

「・・・京子。ふざけてるんじゃなくて、真面目に聞きたいんだけど」

 右から聞こえてくるのは、静かな声。名前を呼ばれてびくりと体が反応してしまう。

「毎月今頃に来るか? いつも貧血になるのか?」

「・・・」

「京子」

 ゆっくりと紡がれたそれが、ざわりと胸の奥を掻き乱す。

「・・・いつも、ちゃんと来る」

「貧血は? 痛みはひどくないか?」

 目に映る、白い毛並みの犬と、その飼い主。

窓の外、歩道を楽しそうに歩く彼らを見送ってから首を振った。

「いつもは元気。今日はたまたま寝不足だったから」

「そうか。でも辛い時は言えよ?」

 運転席に戻ったはずの彼の声。

 再び近くで、耳の後ろでそれが聞こえて、思わず顔をそちらに向ける。


「今度から体調悪い時は俺に言えよ?」

「・・・うん」

 至近距離でじっと見つめられれば、大人しく頷くしかない。

 ものすごく答えにくい事を言わせておいて、こうやって真面目な声でいかにも心配そうな表情を向けるなんて、反則だと思う。やはり彼は大人で。それを知っておくのが当然だといった態度。

こんな風にされると、自分が大人の女性になったかのように錯覚してしまう。

本当は、彼の大人の愛情表現に応えられなくて、悩みすぎて寝不足になるほど子供なのに。


「俺に言えよ?」

「うん・・・っ」


 念を押すように再度繰り返された言葉に、小さく答える。

 にこりと満足そうに頷いた彼に、優しく唇を啄まれて。

深くなるそれに、慣らされている自分がいた。

そう気付いたのは、家に着いて彼の車を降りた時だったのだけれど。


キスをするラインが、まだまだ自分の限界点。


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