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「・・・きょーうーちゃーんー」

「え・・・?」


 膨れっ面の緋天が視界を覆っていた。

 むすっとしていても、何の威力もないのだけれど。とにかくそれでぼんやりとしていた思考の渦から抜け出す。

「お昼だよ? いっぱい無視したよ?」

「あー・・・ごめんごめん。ちょっと考え事」

「授業も全然聞いてなかったね。さっき、期末に出るって先生言ってたのに」

「うそっ、後で教えなさいよ」

 右斜め後ろの彼女の席からは、ぼんやりしていた自分が丸見えだったのだろう。

 どうやら散々彼女の呼びかけに反応を起こさなかったせいで、ぷくりと頬を膨らましてはいるが、その目線はどこか心配そうに自分に向けられていた。

「うん、いいけど・・・何考えてたの?」

 ずるずると椅子を引っ張ってきて、いつものように昼食体勢に入った彼女が問いかけてくる。

 まっすぐに邪気のない視線を向けられたので。誰かに泣きつきたい本音を隠してまで、ついついからかいたくなってしまう。

「・・・えっちな事」

「っっ!?」

 一瞬で朱に染まった頬をそのままに、黙って視線を可愛いうさぎの絵がついたランチボックスの上に落とす緋天。


「あっ! そうだ、あのねっ、ポッキーの動物シールシリーズ、あと二個で完成なのっっ」

 しばしの沈黙を要した後、彼女はあたふたとカバンからA6サイズのファイルを取り出して、半ば無理やりに机の上に置きだした。

「いや、緋天、あんたそれ派手に誤魔化しすぎ。そんな慌てなさんな」

 犬やら馬やらライオンやら。

 正方形の、動物の写真が印刷されたシール達。お菓子のおまけについているそれらが、目下のところ彼女の心を奪っているのだが。それをきれいにファイリングしたものをいきなり見せる事で、本気で今の自分の発言を忘れようとしている緋天に苦笑が漏れる。

「だって京ちゃんが変なこと言うんだもん・・・!」

「変なことって・・・やっぱ変なことなのかぁ・・・」

「っそうだよ」

 ようやく自分のランチボックスも取り出して、ふりかけのついた米を口に運びながら言うと。

 まだ頬を染めたまま、緋天も卵焼きを口に入れて嚥下してから、怒ったように返してきた。

 しばらくお互いの空腹を満たすことに時間を有する。恥ずかしさからか、緋天は自分から先程の話を蒸し返すような事はしなかったし、こちらもこちらで、食べながら考え事の続きをするのに忙しくて。


「ねえ、でもさ・・・、・・・やっぱいいや」

 キスをしたりすることは、変なことでもないだろう、と。

 そう口にしようとして、言うのをやめた。彼女にそれを言っても、真っ赤になってうろたえるか、真面目に考え込んで頭を抱え込んでしまうだろう、と何となく想像がついた。それに、視界の端、緋天の頭越しににこにこと笑顔を浮かべた木下が近付いてきたから。

「緋天さん、今何が足りないんだっけ?」

「ふあ、木下君。えっと・・・何?」

「そ、れ。動物シールシリーズ。さっき、あと二個で完成、って言ってたよね?」

 自分が言いかけてやめたことに緋天が困惑した表情を浮かべて、そこへ彼が後ろから声をかけたものだから、軽く驚いた彼女の目は見開かれた。それにくすりと笑って机の上に出されたままのファイルを指差す彼に、緋天はいそいそと空白のあるページをめくる。

 彼女の言動を遠くから木下が観察していたことすら、緋天は気付いていない。

 ただ、自分の好きなものの話をふってくれた事が単純に嬉しいのだ。

「あのね、ブタと仔ヤギ。ヤギはおっきいのじゃなくてね、こどもバージョンの方だよ。お父さんとお母さんはもういるの」

「あ、ほんと? 僕、豚持ってるよ」

「えっ、いいなぁ・・・」

 それはもう、羨ましい、という目をしてじっと木下を見る緋天に。

 仕組んだこととはいえ、純粋な彼女の反応に気圧される木下。

「ちょっと。もったいぶらないでさっさと寄越しなよ」

 どうせ初めから。

 いくらか数を揃えて、緋天に与えるつもりだったのだ。さも自分も緋天に感化され集め始めた、という態度で。その周到さに歯噛みしながら、彼の手に持ったファイルを広げて、緋天の望むものを取り出した。

「はい、あげる」

「えぇ!? 京ちゃん???」

「市村さん、それ僕の・・・あー、緋天さん、遠慮しないで。コレクションに加えてよ」

「いいの!? 木下君も集めてるんだよね?」

 先程よりも更に目を丸くして、緋天は木下に伺いを立てる。そんな事をする必要すらないのに。

 彼にすっかり操られそうになる彼女を見て、危険信号が鳴り、にこりと笑う木下に腹が立つ。

「いいよー。その代わりさ、緋天さんが作ったお菓子、ちょっと頂戴? 明日、部活日だし」


「ちょっと!! 調子のりす、ぎ・・・あ、・・・?」

「京ちゃん! 大丈夫!?」


 あまりにも図々しい木下に苛ついて、立ち上がった瞬間。

 くらり、と眩暈に襲われる。ああ、貧血だ、と冷静に思ってゆっくりと座りなおした。


「保健室行こ?」

「うん・・・もうちょっと休んでから」

 普段、こうして貧血に見舞われることなど、あまりない。

 いつも傍にいる緋天の方がその回数は圧倒的に多く、よく倒れているのだ。自分が今すぐに動けない状態なのは良く判ったし、とにかくこの気分の悪さが治まるまでは、と机に突っ伏す。

「わ、顔色悪いね・・・大丈夫?」

「あー、はいはい。平気だから」

 原因ははっきりしていた。

 ここ数日、正確には亮祐と水族館へ出かけてから、寝不足気味だということ。

 それに、きっちり周期通りに訪れた生理が重なり調子が悪くなったという、何ともシンプルな理由。

「・・・木下、ちょっとあっち行ってて。なんかイライラしてるから」

「あ、うん。ごめん。先生には僕が言っとくよ」

 神妙な顔になった彼が顔を覗き込んできて、眉をしかめたけれど。

 それすらも、何となく神経を逆撫でしたから。八つ当たりだとは判ってはいても、彼を追い払うことを止められなかった。大人しく委員長らしい言葉を吐いて、ようやく彼が去っていく。

「アレだよね・・・? 京ちゃん、いつも元気なのに・・・もしかして朝から調子悪かった?」

「うん、そうかな・・・ちょっと寝不足だし」

「・・・そっか。午後はゆっくり寝た方がいいかも?」

「ん、そうする・・・」


 静かな緋天の声に、波立った心が凪いでいくのを感じた。

 自分でもどうかと思うほど、出口の見えない考え事に延々と頭を悩ませていた気がする。

 うるさいとしか言いようのない、昼休みの喧騒の中で。じっとして、しばらく黙り込んで。

「じゃあ、ちょっと休んでくる」

 そろりそろりと立ち上がり、どうやらまともに歩けそうなことにほっとしながら、心配そうにする緋天に口を開く。左側で、何かあれば支えようと待ち構えている彼女に時計を指差してみせた。

「だいじょーぶ。もう五時間目始まるから、付いてこなくてもいいよ」

「え、でも・・・」

「いいから。っていうか、私の分のノートしっかり取ってくれる方がうれしい」

「うん。・・・ほんとに大丈夫?」

「平気。だからノートよろしく」


 廊下の途中まで付いてくる緋天に最後にそう言い置いて、保健室に向かう。

 随分と正直な自分の体に少し笑えた。

 今日はバイトがある日だ。亮祐と顔を合わせるのは、先日のデート以来。

 会いたいという気持ちと、少しだけ気後れがしてしまうのと。()い交ぜになって、どうすればいいのか分からなかった。ただ、行かなければ後悔するのだろうという事だけは、何となく分かった。





「先生ぇー、お腹痛い。気持ち悪い。寝かせて下さい」


 がら、と扉を開けて、挨拶もそこそこに症状を訴える。

「あら、市村さん。今日は河野さんじゃないのね」

 机に向かって何かを書いていた保健医の彼女が、驚いた顔で立ち上がる。ソファに座るように促され、一瞬後に体温計を手渡してきた。この一連の動作は慣れからくるものなのだろうか。四十代にしては機敏な仕草に、少しばかり惚れ惚れとした。

「貧血ね。顔色悪いわ」

「うん。だからちょっと休ませて。ベッド空いてますか?」

「今日は誰もいないから大丈夫。それか、家に帰った方が楽なら早退する?」

「ううん。いいや。放課後まで寝てる」

「バイト、無理してるんじゃないわよね?」

「うん」

 ピピ、と音のした体温計を彼女に返して、一通り、お決まりの設問に答えた。

 朝食は食べたか。昨夜は何時に寝たか。最近悩んでいる事はあるか。


 ブレザーを脱いでから、用意されたベッドに寝転んで。

 たった今、いいえ、と答えた問いを掘り返した。


「・・・先生」

「はぁい」


 ゆるりと返事をした彼女の声は、緋天と同様、とても優しくて。

 ほんの少し、涙腺が緩んでしまった。


「旦那さんて、はじめて付き合った人?」

「・・・ううん、三番目かな」

「じゃあさ。・・・・・・キス以上のことも三番目?」


 沈黙が返ってくるかと思ったが、意外にも彼女の笑い声が響く。


「恋をしてるのねー。青春、青春」

 満面の笑みで、カーテンを閉めながら彼女が言う。そんな風にからかわれるとは思っていなかったから、拍子抜けした。

「今お付き合いしてるのって、年上でしょう?」

「っえ!? 何でわかったの!?」

 くすくすと笑いながら、何だか慈愛に満ちた視線を落とされる。

 無償の愛情。

 それを感じながら、答えを返されるのを待つ。

「だって、市村さん。同級生の事てんで相手にしてないじゃないの。それに、そんなに真剣に悩んでるなら、よっぽど相手が上手なのかなぁ、と思って」

 少なくとも高校生ではないわね、と付け足されて。

 血の気が引いていたはずの頬に、少し熱が集まった気がした。


「なるようになるわよ。私は市村さんの事信じてるから、不純異性交遊がどうのって言う気ないからね」


 他の子なら避妊具の使い方から煩く言うけど。

 止めていた手を再び動かして、ベッドの周りに四角い空間を作った彼女が、そうやって。

 小さい独り言のように呟いた言葉は、聞こえないことにした。


「ちなみに。旦那様がはじめての人よ」

「・・・わ、純愛だね、先生」

「秘密だからね」

「はーい」


 カーテンの向こうから聞こえた声に、ようやく本来の調子を取り戻して返事をした。


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