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 口の中で広がる美味しさは本物なのだけれど。

「・・・ねえ、なんか間違ってるよね、これ」

 これから水族館へ行こうという、この時に。何故、わざわざ魚介類専門店で食事をしているのだろう。

「何が?」

「意外と図太いよね・・・あのさ、なんか良心が痛まない?」

「・・・お前、そんなこと気にしてんの? 旨いんだからいいじゃん、これだけ新鮮なのってやっぱ海沿いでしか食えないだろ?」

「そうなんだけどさー・・・」

 木造の、和風な佇まい。マグロが食べたいと言う彼が迷わず入った店内で、板前達の威勢の良い声に出迎えられた。巨大な水槽が中央に据えられ、てっきり寿司屋か定食屋のような定番メニューばかりかと思えば、和洋折衷、創作系のものも取り揃えられていて。どちらかといえば、夜にお酒を飲んでゆったりするような場所。

「まあ、いっか。水族館行った後よりはマシかな」

 水槽と言うよりプールのような生簀の中、悠々と泳ぐ魚達をちらりと見てから、テーブル上の料理に目をやる。見ていて呆れる程の食欲を発揮していた佐山の箸が、幾分ゆったりとした動きに変わったのを確認して、胃をなだめる事に集中することにした。





「佐山さん、ペンギン見に行こうよー。ここのペンギンすごい可愛いんだよ」

 自分でここに来ることを言い出した彼は、それなりに楽しんではいるようなのだが、どちらかといえば後ろからくっついてくる保護者のような位置にいた。あの魚が面白いとか、あれがきれいだとか。そういう事を口にする自分に対して、微笑みと相槌を返してくれるのだけど。一貫して、どこか遠くからこちらを観察しているような態度。

「この前ね、なんか親子っぽいのがいて、列になって歩いてたんだ」

 淡水魚の水槽の前、三歩後ろの佐山を振り返る。

「ペンギンね・・・そんな可愛かったのか?」

「うん、すっごい可愛かった。あ、でもイルカの方が面白かったかな」

 照明の絞られた薄暗い館内。

 彼の顔に、一瞬。とても皮肉げな笑みが浮かんだような気がした。

「・・・んじゃ、行くぞ。ペンギンとイルカ」

 自分の足では三歩の距離を。二歩であっという間に隣に並んで。

 一転して、異様な張り切り具合でこちらの左手を取る。少し強めに握られて、ぐい、と勢いよく引っ張られた。

「わっ、ちょ、佐山さんっ」

 痛い、と言おうとした矢先、歩調を合わせられる。これで文句は言えないだろう、というような視線を向けられ、ついでに取ってつけたような笑み。

「っもう!!」

 それが嫌だと思えないのは、惚れた弱みなのだろうか。

 骨ばった手の感覚も、余裕ぶった態度も。いちいち胸の奥を締め付けてくれるのだから、どうしようもない。

「ほら、ちゃっちゃと歩く」

「・・・くそぅ」


 どうしてこうも、上から見られるのか。年齢の差がそうさせるのだと頭では分かるが、心が納得しない。ある種の意地がそれを支えているのだけど、もし、この感覚がなくなったら。あるいは、佐山の方が大人の殻を脱いで、本能だけで行動するなら。

 きっと、この均衡は崩壊する。

 それをする時は、自分が壁を飛び越えて、向こう側に。未知の領域へ行くのだ。


「京子ちゃん、お口が悪いよ」

「・・・佐山さん、その言い方キモいよ」

「っ!? 普通、自分の彼氏に向かってキモいとか言うか? つーか、この前も気色悪いっつったよな?」

「だってそう思ったんだもん。制服見てニヤニヤしてたでしょ?」

 つないだ手はそのままで、彼の顔に苦笑が奔る。

「あー・・・不可抗力だって。お前が悪い、お前が」

 冗談交じりの言い合いをしていたはずなのに、そう言って、彼の目がじっと自分を見るので。足元から何かが沸き立った気がした。ちらちらと自分達を見ては追い越していく人々の視線も痛い。

「・・・お前は、魚と一緒に見世物になる気か?」

 見物料取ってやれ、と呟いてから、再び歩き出す。

 その背中が、先日の彼が見せたような熱の片鱗は、もう収まっているから、とでも言っているように見えた。





「ダメ。却下」

 京子が嬉しそうに抱える物体を確認して、思わずそう言い放った。

「え~!? なんで!?」

 細い腕の中の、イルカの形をしたぬいぐるみ。歳相応、とでも言うべきか。ぬいぐるみの山の前で意外にもはしゃぐ彼女を目にしたので、買ってやる、と口にしたのはいいものの。選び出したのは、青と白の色をした、女子供の人気を一番集めるそれだった。

「なんでって・・・ほら、サメのがかっこいいだろ」

 棚の中、左端に寄せられた、どこかやさぐれた哀愁を漂わせるサメのぬいぐるみを京子の腕にのせてやる。イルカを抜き取って元の棚に放り込んで、少し愉快な気分になった。

「なんか目つき悪いよ、これ・・・かわいくない」

「可愛くなくて結構。見た目で女の気を引くイルカは性格悪いぞ、絶対」

「性格悪いって・・・何でそんなこと分かるのさー」

 不満げな顔をする彼女をレジの前まで引っ張り、店員にタグだけ切ってもらう。そそくさと会計を済ませ、誘惑を仕掛けるイルカがいる店内から素早く出ることに成功した。


「かわいくないー、佐山さんみたい」

 黙っていた、というより唖然として何も言えなかった京子が、しばらくしてから口を開いた。

 何故か満面の笑みで、サメを見ながらそんなことを言う。

「何だよ、そりゃ・・・」

 かわいくないと言いつつも、サメが気に入らないとダダをこねる訳でもなく。にこにこと笑いながら彼女が腕に抱きしめるそれが、少しだけ恨めしい。

「ふふっ」

 一歩、軽く跳ねるようにして右に並んだ彼女がこちらを見上げる。

「・・・あのさ。もしかしてそうかなぁ、とか思ってたけど、思わないようにしてたんだよね」

 出口に近付いて、外の夕闇の色が見えた。

「うぬぼれて、実は違ってた、とかでヘコむのもイヤだし」

 入館した時と、何ら変わらない笑顔で受付の女性に送り出されて。隣の彼女の頬には、オレンジ色の光が落ちた。


「もしかしなくても。佐山さん、ちょっと妬いてくれた?」


 きらりと夕焼けを反射した、京子の双眸。

 どこか得意そうで、楽しそうで、はにかみを隠したような笑み。

 そういう表情に、可愛いと思うだけでなく、押しやられるような気分になるのは、自分だけではないと思う。


「・・・何を根拠に」

「あ、動揺してる?」


 くす、と笑われて。

 敵わない、と思った。


「そもそも水族館って言い出した時点で、あれ?って思った」


 行き先について深くは考えないだろう、とか。

 思う存分、彼女の好きな海獣を見せた時間の意味など思いつかないだろう、とか。

 そんな風に思い込んでいた自分が浅はかだった。


「確かにゴウさんと来た時はすごい楽しかったよ」


 年下の彼女には、そこまで考える余裕なんてない、なんて。

 先日、自分の部屋での様子を見ていたからこそ、そう思ってしまっていたのだ。


「だけどさ。それって。お笑いの人の、あのショーが面白かったんだよ。一緒に行ったのがゴウさんだったから、大人が相手で気楽だなぁとか思ったけど。もし友達と行ってたら。同じ位か、それ以上楽しかったんだと思う」


 気付けば足が止まっていた。

 それ程、自分が驚いて、戸惑っているという証拠。

「でもね、やっぱり佐山さんと出かけるのは別だよ。友達は友達で、その楽しさは別なの。ゴウさんは、なんかこう、何でも相談できるお兄さんって感じかな。それもまた違う感覚だけど」


「悔しいけど、一緒にいてドキドキさせられるのは、佐山さんしかいないんだよね」


 今のところは、と。

 小さく付け加えられたそれに、ようやく呪縛から抜け出せた。

「・・・あー、なんだよ・・・カッコ悪いな」

 零れ落ちた本音が、彼女を笑顔にした。

「カッコ悪くはないよ。嬉しいよ?」

 下から自分を覗き込むその表情は、凶悪だと思えるくらいに可愛くて。

 彼女の水族館の最後の記憶には、ゴウが含まれているから。それを消してやろう、と。それは後付けで。

 ずっと頭の隅に引っかかっていたのは、彼が京子を連れ出していたという事実。だから、どこかに出かけるのならば、まずは水族館で、彼女の中の新しい記憶を上塗りしてしまえ、とそう思った。

「このサメみたいに、かわいくないけどね」

 ぬいぐるみの鼻先で、こちらの腕をつついてくる彼女が笑う。

 立つ瀬がない、とはこの事だろうか。気恥ずかしさをごまかしたくて、夕焼けに染まる京子の髪を乱暴にまぜる。

「うわ、何すんの!?・・・ほんとかわいくない」


「かわいくなくて結構。置いてくぞー」

 並んだ彼女から半歩先に飛び出して。

 そう口にした声が、及第点を与えられるくらいは余裕を感じられるレベルで耳に響いたから。

 ほっとして、京子に振り返ることが出来た。


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